デンバ 1 のステ 1 プルトン国際空港を離陸した。途中ィリノイ州シカゴに着陸し、ペンシルべニア州 フィラデルフィアに向かう予定であった。乗客二八五名、乗員一一名が搭乗していた。 畠操縦 離陸して予定の巡航高度三万七〇〇〇フィ 1 トに上昇するまで、飛行は平穏無事であった。リ 士が操縦していた。オ 1 トパイロットがエンゲ 1 ジ ( 作動 ) され、オ 1 トスロットルはスピード・モ ードの二七〇ノット ( 速度を指示対気速度二七〇ノットに保持する ) で使用されていた。フライト・ プランではマッハ数〇・八三の巡航速度で飛行することになっていた。 離陸して一時間七分後の一五時一六分一〇秒、乗員は大きな、ドンという爆発音を聞いた。振動が 始まり、機体がぶるぶる震えた。乗員は、エンジン計器を点検し、後方の第二エンジン ( 尾部搭載の △印の地点 ) 。 エンジン、図 4 ・ 2 参照 ) が機能停止したことを知った ( 図 4 ・ 3 の右上、 陸 機長はエンジン停止のチェックリストを命じた。チェックリストを行っている間に航空機関士は、 着 跡機体の油圧系統の圧力計と油量計が、ともにゼロを指しているのに気づいた。 奇 副操縦士は「航空機を制御できない。右旋回で降下している」と言った。機長が操縦を代わり、航 機 空機が操縦入力に応答しないことを確認した。 ム月 御機長は第一エンジン ( 左翼のエンジン ) の推力を減じた。航空機はロールして、翼を水平にする姿 勢に戻った。 四乗員は空気駆動発電機を展開した。これは第一補助油圧ポンプに動力を供給する。そして油圧ポン プのスイッチをオンにした。しかし、油圧は回復しなかった。
C D E F CVR (cockpit voice recorder) コックピット・ポイス・レコーダー。操 縦室音声記録装置。無線による航空管制機関との交信、操縦室内の乗務員同 士の会話、客室乗務員との会話などを記録する。通常、 30 分のエンドレス・ テープが使用され、常に最終の 30 分の音声が録音される。 FDR ( フライ ト・データ・レコーダー ) と同じく、航空機の事故調査用の機器である。火 災や衝撃に耐えられるよう耐熱・耐衝撃構造がとられている。 DFDR (digital flight data recorder) デジタル・フライト・データ・レ コーダー。アナログ式の FDR ( フライト・データ・レコーダー ) に記録さ れるデータ ( 高度、対気速度、機首方位、垂直加速度、時間など ) に加え、 機体の姿勢、舵面の動き、エンジン推力の状況といったデータを磁気テープ にデジタル式で記録する。航空機のシステムの複雑化に対応するため、 70 年 代以降に使用されるようになった。 DM E (distance measuring equipment) ディスタンス・メジャーリン グ・イクイップメント。距離測定装置。航空機から特定の地上局までの距離 を測定する。航空機から質問電波を発射し、それを受けた地上局から自動的 に発信される応答電波が航空機に達するまでの経過時間から距離を算出す る。 EPR (engine pressure ratio) 工ンジン・プレッシャー・レシオ。工ンジ ン推力の目安。ェンジン排気の圧力を、吸い込む空気の圧力 ( 圧縮機入り口 圧力 ) で割った値。 FAA (Federal Aviation Administration) フェデラノレ・エビエーショ ン・アドミニストレーション。米連邦航空局。アメリカの航空行政当局。 1958 年に設立された連邦航空機関が 66 年、運輸省の設置に伴い改組されたも の。 FDR (flight data recorder) フライト・データ・レコーダー。飛行記録 装置。高度、対気速度、機首方位、垂直加速度、時間などのデータを記録す る。記録方式は、ステンレス・テープにダイヤモンド針で刻まれるアナログ 式。デジタル式の DFDR ( デジタル・フライト・データ・レコーダー ) は、 機体の姿勢、舵面の動き、エンジン推力の状況といったデータも記録でき る。 CVR ( コックピット・ポイス・レコーダー ) と同じく、航空機の事故 調査用の機器。火災や衝撃に耐えられるよう耐熱・耐衝撃構造がとられてい 274
率的にしか定まらない ) 事象であった。 実際、速度、着地点、方向、高度、降下速度のようなパラメーター ( 変数 ) を、別個ならともか 、すべてを同時に制御するのは、事実上不可能であった。 シミュレーターによる訓練は事実上不可能である。これがシミュレーター試験の結論である。 高く称賛に値する 乗員が直面した主要な作業は、フゴイド運動による周期の長い振動 ( 周期約六〇秒 ) の間に、航空 機の経路を制御することであった。それを成し遂げるのは、極度に困難であった。 縦の経路を制御するためには、推力を左右同時に増減しなければならない。 一方横の経路を制御す 陸 るためには、左右の推力を非対称に用いて、横 ( ロール ) の制御を行わなければならない。乗員はよ 着 跡く努力したが、航空機を安定した状態に維持することはできなかった。 奇 o ー川の製造会社 ( ダグラス社 ) 、 << ( 連邦航空局 ) 、ユナイテッド・エアラインズは、油圧 まれ 機 ヒ匕 飛行制御系の完全喪失をきわめて稀なことと考え、そのような状況に対処する手段が必要とは考えて 御いなかった。乗員がシミュレーター訓練で要求される最も過酷な飛行でも、三系統のうち二系統の油 制 圧を停止するに過ぎなかった。この訓練では、残り一系統が使用可能で、これが舵面を動かしてい 四た。 第 ( コックピット・ポイス・レコーダ↓では、油圧喪失に対処する手順、解決法、行動順序 261
油圧破壊からの生還ーー予想を超えた乗員の技量 一九八九年七月一九日午後、コロラド州デンバーのステープルトン国際空港を離陸したユナイテッ ー川ー川は、シカゴに向かって高度三万七〇〇〇フィート ( 約一万 ド・エアラインズの 2 3 2 便、 O 一三〇〇メートル ) を巡航していた。乗員乗客二九六名が搭乗していた。 離陸して一時間七分後の一五時一六分ごろ、尾部搭載の第二エンジンが爆発した。飛散したファン ・ディスクは三つある油圧系統のすべてを破壊、 QO ー川は舵面による操縦が不可能になった。 乗員は、たまたま乗り合わせていたユナイテッド・エアラインズの訓練審査担当の機長とともに、 協力して飛行の継続に努めた。残された制御の手段は、左右エンジンの推力を増減することだけであ っ一」 0 ー川は飛行特性が変化して、右へ旋回する傾向があった。それは左右エンジンの推力を非対称 にすることで、かろうじて防げる種類のものであった。また、経路は縦に大きく波打ち、この振動を 制御することは不可能だった。 ミネアポリスの航空路管制センターは、最初アイオワ州のデモイン国際空港へ同機を誘導しようと ・シティのスー・ゲートウェイ空港へ誘 した。しかし交信時の航空機の向きから、管制官は同州スー 導することを示唆した。 機長はこれを受け入れた。客室乗務員は事態を知らされ、着陸に備えた。乗員は燃料を投棄し、予 216
機体の釣り合い迎角を胴体姿勢角を日としよう ( 図 3 ・ ) ) 。水平定常釣り合い飛行では、 と日は一致する。経路角 ( 飛行方向と水平線のなす角 ) をアとすると、アは日ーでゼロ ( 水平 ) である。そして推カは抗力に、揚カ *-a は重力に、それぞれ一致している。 さて、推力を増すと、速度が増えて揚力が増し、機体は上昇を開始する。ただし、迎角静安定があ るから、 ( 推カ変化によるモーメント変化を無視すれば ) 釣り合い迎角は変化しない。 このため飛 行方向に垂直な揚カと平行な抗力は、 ( 長周期運動が収まると ) 、水平定常飛行時の値と同一にな る ( 図 3 ・ ただし、上昇時には、経路角アがゼロでないから、飛行経路方向には、速度を減ずる向きに重力成 分が発生する ( は機体の重量 ) 。言いかえれば、経路角アで上昇するためには、 + の推力が必要になる。 しかし抗力は水平定常飛行時の値と一致する。したがって、推力増加は重力成分と一 致しなければならない。 すなわち推力を増すと、最終的には、それがと一致するような経路角アで、機体を上昇 させる。このように迎角静安定がある限り、 ( 厳密に言えば、推カモーメントの影響を無視すれば ) 釣り合い状態の飛行速度は、推力を変えても変えられない。 ガンマ 204
左右エンジン推力の同時増減 釣り合いと迎角静安定 推力増加の影響 推力で速度は変えられない 警報を疑う , ーー油圧操縦不能はあり得ない事態 全系統の油圧が破壊されて飛べるか加 生還の可能性 五〇〇年後に起こるべき事故 修理は製造より難しい 修理のチェック機構がなかった 第四章制御不能機、奇跡の着陸 油圧破壊からの生還ーー予想を超えた乗員の技量 油圧ゼロ スー・ゲ 1 トウェイ空港へ 非番の ( 訓練審査官 ) 機長 201 199 210 2 2 2 2 16
こうして、 ( 操縦により ) 主翼に対する水平尾翼の取り付け角が変わる。すると、縦のモーメント ( カ x 距離の総和 ) が変化し、釣り合い迎角が変わる。操縦輪位置 ( すなわち昇降舵位置 ) を固定す ると、釣り合い迎角は一つしかない。 さて 123 便の飛行制御に戻ろう。 123 便は、事故が起きた状態で、迎角静安定を有していた。 そしてこの状態で、油圧がなくなり、舵が利かなくなった。 しかし、その後も迎角静安定を有していたことは、の記録からも明白である。仮に迎角静 安定がなく、かっ舵が利かなければ、航空機は即座に墜落する。 推力増加の影響 このように機体に迎角静安定があることを記意にとどめたうえで、次の思考実験に移りたい。 機体は釣り合い状態にあるとする。ここでスロットルを進めて、推力を少し増したとしよう。する と、まず速度が増えて、揚力が増加し、機体は上昇を開始する。 〇このとき航空機は長周期運動を開始する。ここでは話を簡単にするため、この長周期運動が収まっ 走たとして、その後の状態を考えよう。あるいは以下を、長周期運動を取り除いた平均的経路の話と考 えてもよい このとき増加した推力の影響はどこへいくか。結論を先に書くと、推力増加は機体を上昇させるエ ネルギー源として使われ、飛行速度は変わらないのである。 203
と考えられる」と結論している。 左右エンジン推力の同時増減 事故機の飛行で、乗員がただ一つ行った積極的飛行制御は、推力の増減であった。それも非対称の 推力でなく、左右エンジンの推力を同時に増減するタイプの制御であった。これがどのような意味を 持つか。最後に解説したい。 しかしそれを行うには、まず風見安定について述べなければならない。航空機に付与される諸々の 特性のうち、飛行制御上最も重要なものは風見安定である。風見安定とは、機首が風上を向く性質で 落ある。 風見安定の最も単純な例は、風向計である。風向計は常に風上を向く。その性質は、後尾にある羽 山 鷹 によって作り出される。航空機では、垂直尾翼と水平尾翼がその役割を担う。前者は方向の、後者は 巣 御 縦の、風見安定にそれぞれ寄与する。 〇例えば航空機が機首を横に振ったとする。すると風 ( 相対速度 ) は、機体対称面に斜めに吹き込ん 走でくる。この角度を横滑り角といい、機体は横滑りしているという。 迷 厳密には横滑りと機首の左右振り ( ヨー ) とは異なる。図 3 ・を参照されたい。 この図の横滑り 三角滝をゼロに戻そうとする性質が、方向の風見安定である。方向の静安定ともいう。 同様に、航空機が機首を上下に振ったとする。すると風 ( 相対速度 ) の方向が ( 上下に ) 変化す 199
飛行方向 胴体軸 迎角々 飛行方向 205 胴体軸 経路角 図 3 ・ 25 水平線 揚力 抗力 D 推力ア Wsiny 重力ル (a) 上昇 揚力と 抗力 D 推力ア ピッチ姿勢角日 水平線 重力ル (b) 水平飛行 2 つの釣り合い飛行 ( 注 7 )
製造時の欠陥 さて疲労亀裂の起点となったファン・ディスクの空洞 ( キャビティ ) はなぜできたか。おそらく最 終機械加工時か、あるいはショット・ピーニング過程で生じたと推測されている。ショット・ピ 1 ニ ングとは、金属表面に小鋼片を打ちつけ、酸化皮膜を除いて表面仕上げと強化を行う加工法である。 この欠陥 ( 空洞 ) は、製造者側の超音波探傷、マクロエッチ ( 腐食を用いた巨視的表面組織検査 法 ) 、蛍光浸透探傷検査で発見されなかった。事故報告書は、最終加工後にマクロエッチを行えば発 見できたであろう、としている。加工は三つの検査の後に行われた。 この欠陥に、最大出力のエンジン推力が初めて加わったとき、亀裂が生じた。この亀裂は成長し て、欠陥のない部分に伸びた。 しまもよう 荷重が繰り返されると、疲労域に貝殻状の縞模様が現れる。その数は ( 顕微鏡で読む ) ディスクの 離着陸サイクル ( 一万五五〇三 ) にほば等しかった。このことは疲労亀裂が、ディスクの使用開始の 早い時期に始まったことを意味した。 疲労亀裂面に認められた先述の変色は、事故の七六〇サイクル前、ユナイテッド・エアラインズが 行った蛍光浸透探傷検査 (ßææ—) で付着したものであった。また変色域は、検査時の亀裂の大きさ を示すことも明らかにされた。変色域の長さは、〇・四七六インチ ( 約一・二センチ ) であった。 2 5 0