入れる。 「まだ、そんなの持って歩いてたのかよ」 あき しい加減、呆れ交じりに龍二は訊いた。もう癖になっているのだろう。 「今役に立ったろ」 うそぶく栄に、めぐみが不安そうな目を向ける。 「どうやって食べるの、お兄ちゃん」 栄は、わざとらしい笑みを浮かべて、ぐいと顔を近づけた。 「手・づ・か・み」 あきら : ローソクつけるそ 「めぐみちゃん、諦めよう。 「おう」 タバコ用のライターで、龍二はロウソクに火をともした。 四人の顔が、オレンジ色に揺れる。暗い埠頭で、そこだけがひそかに明るい。 栄がもう一度車外へ出た。トランクを探して、小さな紙袋を持ってくる。 「ほら」 8 小さなものをそれぞれ手渡される。クラッカーだ。 「では」 「では」 四人はクラッカーをばらばらな方向へ向けてかまえた。狭い車内では、そうしないと紙吹雪 くせ
202 「すき焼きすんのか ? まだ暑ちいよ」 衣替えはとっくに過ぎたが、コートは月末まで必要がない 「焼肉にすればいいだろ。焼きうどんとか」 「龍二お兄ちゃんの、お部屋で作るの ? 」 めぐみが目を丸くする。 「面白そうだろ ? 」 訊ねると、彼女は笑ってうなずいた。慌てたように急いで付け足す。 「家庭科で、オムレッとさつま汁ならったよ。あたし、それなら作れる」 「じゃあ、みそ汁はめぐみちゃんの担当だな」 「うん」 うれ 嬉しそうな顔を見ていると、龍二の心も和んだ。妹というのは、こんな感じなんだと思う。 栄が暴力に耐えてきたのは、彼らを守るためだというのがよくわかる。栄は兄だ。自分が 翼を広げる役目を負わなければならない。 兄弟のいない龍二には、うらやましい気がした。きれいごとではないだろうが、それでも、 栄がまぶしく見える。 「ナベ買いにいくから、さっさと宿題しちゃえよ」 すなお 少しでも兄の気分が味わいたくて、彼は言った。食べおわった弟妹たちが、素直にうなすい て教科書を広げる。 つばさ あわ なご
226 二度と来るなと言い捨て、母親は彼らに背を向けた。 「残りの荷物は、すべてお送りいたしますから」 それきり、奥の部屋へと消える。 「龍二くん、ありがとうね」 そう声を掛けられ、龍二は振り向く。あんなひどい言葉を投げつけられたのに、栄の母親は おだ 穏やかな笑みを浮かべていた。 「そんなのいいんです。サチ ! まだ居ろよ、ここに居ろよ ! 」 すがりつくように言うと、栄は静かに首を振った。 「そうはいかねえよ。二月、ラッキーだったと思ってる」 「お兄ちゃん、ありがとうね」 めぐみまで重ねて言う。 「なんでだよ ! 」 あんな女、無視すればいいのだ。今までのように、今までのようにー サンキューな、龍」 「無茶一一 = ロうなよ。 栄が笑う。母親を促して、出てゆく。 「明日、学校でな」 「お兄ちゃん、またねー」
ないのだ。いくら目先を変えても、メニューは似通ってしまう。 せいは 歩いて行ける範囲の店を制覇し、龍二も栄もいささかうんざりしていた。弟たちが喜びつづ けているのが、理解できない 「明日、どうする ? 」 くぎよう 最近の苦行は週末だった。給食のあるウィークディのように、一食の息抜きが出来ない。 栄がうなる。彼もきっと、もう「食べたいもの」なんてないのだ。 「カレーにするか ? 」 「 : : : 店、どっかにあったか ? 」 「駅まで出りや、あるだろ ? 」 「デパートの、レストランか : : : 」 いやけ 心底嫌気がさしたように、栄が横を向く。そんな兄の心中を知らす、両手でコップを持って いた泰明がばっと顔を輝かせる。 「明日、カレー」 「まだ、わかんねえよ」 困ったように、彼は弟の頭を押さえる。めぐみがちらりと、隣に座った龍二を見上げた。 「龍二お兄ちゃん、お金は平気なの ? 」 彼まで「お兄ちゃん」と呼ばれているのが、どこかこそばゆかった。
肩に頬をつけて忍び笑う栄を、龍二は睨み付けた。こいつはあのピラピラした店のなかで も、しれっとしていたのだ。 プレゼントを眺めたり持ち上げたりする二人をよそに、龍二は外を眺めた。寄せて返す波 やみま は、闇に紛れて見えない。 ふんいき こんな雰囲気は久しぶりだった。クリスマスを祝わなくなって、どれくらい経つだろう。 ツリーを飾らなくなって。食卓を、一緒に囲むことがなくなって。 はるかな記憶を呼び寄せるように、彼は目を細めた。唇を、噛む。 「いいよな、兄弟って」 ちいさくつぶやいた。あの家にも、あと一人子供がいたならば、現在は違っていたのだろう 「何言ってんだよ」 子供用シャンパンに口を付けていた栄が苦笑する。甘さにか、一度顔をしかめて言った。 「おまえだって、兄ちゃんだろ」 『龍二お兄ちゃん』 またた 龍二は瞬く。それから、立てた片膝に頬を押しつけて笑った。 「「 : : ・そうだな」 血のつながりなんて、大したことではない。龍二は両親の知らないものを持っている。 かたひざ か た
縛られている。どうすることも出来ないほど、断ち切れないほど : : : 深く 「ねえお兄ちゃん、お腹いたいの ? 」 まゆね 黙り込んだ二人を交互に見比べ、泰明が不安そうに眉根を寄せる。 「うんち出ないの ? 出ないときはねえ、お野菜だって。にんじん食べなきや駄目だよって、 今日せんせえ言ってたよ」 しか 給食の時間に好き嫌いを言って叱られたのだろうか、泰明は真面目な顔をしている。 思わず顔を見合わせて、二人はかすかに笑ってしまった。 そうだ、いま考えてもしかたがない。 幼い彼らを、これ以上不安にさせてはいけないのだ。奇妙な同居を、楽しいものにしなけれ その義務がある。年長者として。 「お兄ちゃん ? 」 「帰り、電気屋寄るそ」 8 真剣に見つめる泰明に苦笑して、龍二は前髪をかきあげる。 でんきなべ 「電気鍋買おう、すき焼きとかする奴」 たさい ふと思いついたのだ。電気調理器を使うならば、ガスレンジがなくても料理は出来る。多彩 なメニューとまではいかなくても、今よりずっとマシになるはずだった。 なか やさい
小鋼に入れられていた。 めぐみが片づけたのだろう。 広告の裏を使った、泰明の落書きが散らばっている。楽しんでいたところを、呼ばれて下り て行ったのだろうか。 ふとん 布団が敷いてあった。休む用意は整っていたのだ。 龍二は熱い息を吐く。頬を、涙がこばれた。 守れ、なかった。 ちいさな二人の、穏やかな生活を。 栄を。 拳を目に押し当て、龍二はドアにもたれる。この家に生まれたことが、あの女の息子に生ま れたことが、悔しくてならなかった。 龍二は泣いた。 こんなに、自分が嫌いだった日はなかった。 セドリックのラジオが、天気予報を流している。今夜の降水確率はゼロバーセント。今年も 関東のイヴは、ホワイトクリスマスにはならないようだ。 「お兄ちゃん、どこ行くの ? 」 ほお ととの
の彼にとって、〈兄弟〉というものは遠い存在だった。年下の友人を持った試しもない。対応 のしようがなかった。 いくっ ? 」 間抜けだとは思いつつもそう訊いてしまう。他の質問を思いつけなかったのだ。 「六年生です」 「にねんせえ」 口々に答えた二人に、彼はうなずいた。 「ふうん。 : : : 大つきいね」 それはもっと年少の者に対する褒め言葉だった。めぐみがきよとんとする。 だが龍二にも、自分の言ったことがよくわかっていなかったため、驚かれて瞬く。 ( : : : あれ ) とぎ それきり、会話は途切れてしまった。なんとかなごませようと必死になるが、気のきいた言 葉は出てこない。 「ーーあの」 5 8 ややして、めぐみが顔を上げる。 「もうすぐ、お兄ちゃんここにくると思うんです。もしよかったら、それまでここにいてくだ さい」 夜の公園に、二人だけを置いておくわけには行かない。 またた
「どっち ? 」 「出発ロビーの方、その先 ! 」 案内板をとっさに見た龍二の指示で、栄が駆ける。彼は後を追いながら、電光掲示板を確認 ・ : (f) 、三十六便。 「サチ、ゲートだ ! 右 ! 」 もどかしく思いながらへルメットを脱ぐ。栄が叫んだ。 「かあさん ! 」 ゲートの向こうへ消えようとしていた、小さなポストンバッグを持った婦人が歩を止める。 両手にぶら下がっていた子供たちが振り返った。 「お兄ちゃん ! 」 あわ ばうぜん やすあき めぐみと泰明が、母親の手を振りほどいて駆けてくる。瞬間呆然としていた母親も、慌てた ように戻ってきた。 龍一一が追いつく。 8 「さっちゃんあなた卒業式は ? 」 「行ってきた」 両手にまとわりつく弟妹をやさしく払いのけ、栄は学生服のボタンを外した。 丸めた証書を取り出す。
「ほら」 プレゼントだ。受け取った泰明がはしゃいだ声を上げて、包装紙を破り取る。 「あー、車だー」 赤いスポーッカーのレプリカを振り回す。めぐみのは、くまのぬいぐるみだ。 「これは俺から」 龍二も持っていた包みをふたりに渡した。 泰明には超合金のロポット、めぐみには小さなポーチのなかに、ハンカチやメモ帳が入って 「あ : : : かわいい」 ピンクのポーチに、めぐみが頬を染める。 買ったときの恥ずかしさを思い出し、龍二は横を向いた。女の兄弟がいないため、あんな店 に入ったのも初めてだった。 幾度、レジを通らずに持ち去ろうと思ったことか。 「ありがとう、龍二お兄ちゃん」 8 めぐみに見つめられた龍二に、栄が笑いをかみ殺す。彼は、店での醜態を逐一知っているの 「よかったな、気に入ってもらえたみてーで」 「てめえ殺す」 ほお しゅうたいちくいち