だとしたら 「おいサチ ! 」 腕を揺すると、彼は龍二を遠ざけるように体をひねった。奥歯に力を入れているのか、首筋 が白く浮く。 「答えろ、栄」 龍二は必死で訊いた。悪い予感が、する。 : いかねえ」 長い沈黙のあと、栄はつぶやく。 「 : : : どこに行くかなんて、俺だって知んねえよ。 だ。どこでも、生きて行けりゃあよ : : : 」 ( なんだよそれ ) がくぜん 龍二は愕然として目を瞠る。離婚する義母にはついていかない。けれど、父とも暮らさな そうーーー一言 , っ : : : のか。 「 ! おまえ高校は ! 」 はツとして訊ねた。青森についていかないかぎり、進学への経済状態はきびしいのではなか 「受け付け、先週締め切ったぜ」 みは : ここじゃなきや、どこだっていいん
陽射しから精一杯ぬくもりも得ようと、壁に背を押しつけた。朋重はコンクリにべたんと座 り、両足を投げ出している。 寒くないのだろうかと彼は思った。いくら人よりも長いとはいえ、紺サージのスカート一枚 なのに。 「ケッ、冷えねえ ? 」 「んーんー」 うな 訊ねると、振り子のように頭を揺すりながら、朋重は唸った。自分では止められないのか、 その動作をやめない。 「おいおい」 彼は朋重の頭を抱えた。眠れ、というように肩を押しつけて止める。 髪からも、シンナーが臭った。普段の、彼女には似合わないような、優しい花の香りのシャ ンプーではなく。 その目の焦点は合わないままだ。気持ちいいのだろうが、見ている側には哀れをもよおさせ る。 脳が溶けて骨が溶けて、腐ってゆく快楽に身を委ねる姿はーー醜し 「子供みてえなことしてんなよ : ・・ : 」 すべ ため息とともにつぶやいた。世の中には酒やタバコや、快楽を得る術は他にいくらでもある ひざ にお くさ ゆだ こん
「何がですか、なにが ! 」 たまり兼ねたように悲鳴を上げ、栄は横をむいてしまった。 めんどう 「もう : : : 面倒くせえ : : : 」 その様子に、ふたたび二人は爆笑した。 声を出して笑ったことでか、心の重苦しさが少しずつ晴れてゆく。和泉と三人で、埠頭を抜 け出したこともあるだろう。 「おまえ、運転上手くなったの ? 」 龍二はふたたび振り向き、訊ねた。栄がむっとした調子で両眉を上げる 「一応のことは覚えた」 辻洋介の指導でハンドルを握るようになってから、そろそろ二週間だ。龍二はチームに入っ あやっ てすぐに和泉にたたき込まれたため、バイクも車もひととおりは操縦れる。 じようず . 普段はもつばら和泉の助手席の専門だが、まだ栄よりは上手だろう。 「ヨースケの教え方、どうだ ? 」 和泉が訊くと、栄はばっと体を起こした。 8 「あいつの、分かりやすいです。コツ、きちんと言ってくれるから」 駅「ヨースケとは、気が合いそうだなおまえは」 「はい 「辻って、イヤガラセしねえの ? 」
『おめでとう』 淡々とした声。声からでは、当然と思っているのか喜んでいるのかは知れない。 「ひとつ、訊いてもいいですか ? 」 『 : : : 何たね ? 』 めんく 面食らったようだ。そうだろう、龍二が「話す」のは、初めてのことだ。 「俺は、見込みありますか ? あなたが、未来を買いたくなるような」 『どう言うことだね ? 』 声が、かすかに笑っている。苦笑だろうか、面白がっているのか。 ふところ 龍二は続けた。策をろうしても無駄だ。まっすぐ懐に切り込むのが、最良の策。 「俺の未来を買ってください。その資格があると思えば」 いくらを、望む ? 』 の ややしてそう訊ねられた。龍二は息を呑み、続ける。 「とりあえず二億で。価値が上がったと思えば、その都度上乗せして」 笑い声が響く。彼は切り替えした。 『その逆もあってしかるべきだと思うが ? 』 彼にとって一銭の価値もなくなったら、放り出すというのだ。 「覚悟の上のこと」 彼は長い間笑っていた。やがて、笑いを収めて訊ねる。
( なんだ ? ) 胸騒ぎを覚え、龍二は門をあける。玄関をのぞいた途端、知らない婦人の背中を目にした。 「母さん ? 」 背後の栄が声を上げる。びくっとした背中が、振り向いた。 「栄 ? 」 やせてつやのない肌をした、中年の婦人が驚きに目を丸くする。龍二と目を合わせて軽く会 つまさき 釈し、特攻服に身を包んだ二人を、頭から爪先までながめ、瞬いた。 かっこう 「そんな恰好で、どこに行ってたの ? 」 非難するような口調ではなかった。ただ、汚れたその服が気になるようだった。 「あなた、ケンカでもしてきたの ? 」 「それよりも、何しにきたんだよ」 母親をさえぎって栄が訊ねる。彼女はちらりと龍二を見、言いにくそうに下を向いた。 「だって、あなたたちがここにいるって」 その言い方に、龍二ははツとした。 しわざ 彼の母親の仕業だ。二人の留守に、栄の家に連絡を入れたにちがいない , 「うちの母親はどこですか」 息せき切って訊ねた。あの女の姿が見えない。 またた
「高島ア ! 」 「首とったる ! 」 ぶつかるー ねら 龍二はそのうねりを、まともに食らった。和泉を叩きのめそうとする男たちが、彼をも狙っ てくる。脳天めがけて振り下ろされた木刀に、とっさに身をかわし、脇で挟み込むようにして 刀を止める。 「 1 ーだコラア ! 」 血走った目の少年は、大して歳が変わらない。左足が繰り出された。すねに一撃を受け、龍 二は崩れかける。 かろ 少年は木刀を引き抜いた。背中に打ち下ろされるところを、辛うじて転がってよけた。 痛みを感じている余裕はない ! 龍二は起き上がり、無防備な腰目掛けて蹴り付ける。衝撃に彼はアスファルトにふっ飛ん だ。木刀が手から離れ、弧を描いて地面を滑る。 「高島和泉イⅡ」 0 くだを巻くような声が上がった。 駅殴りかかられた和泉が、相手の手首を撥ね飛ばすように右足を蹴りあげる。悲鳴を上げてう かかと ずくまる男の背を踵で踏みつけ、もどかしくなったのか上着のボタンを外した。 「やかましいんだよ ! 」
「たあのしーよなあ」 そのガードを緩めたような言い方に、龍二はつられて笑んでいた。そうだ、と心から思え る。 「はい」 こう、 ) う 「どうだったの ? キヨーダイ孝行」 洋介にワインを注がせながら、秋子が訊ねる。ビールの入った紙コップを持ったまま、栄が うつむくようにして軽くうなずく。 「まあ」 ロの端がかすかに持ち上がっている。 「ありがとうございました、ケーキ」 とたんに秋子が笑いだす。 「なによお、照れるじゃなあい ! 」 「 : : : おいしかったです」 言って、照れ隠しのようにビールに口を付けた。 8 ( お ) 龍二は目を丸くした。あのアルコール嫌いの栄が、珍しいことだった。 「やつだな、もうつ」 カ任せに秋子は栄の肩をたたいた。はすみで、彼はビールを口中に放り込むように、半分ほ くちは
笑 , つよ , つには栄は一一 = ロった。 「おいちょっと待てよ とりはが、 言いながら、両腕に鳥肌が走る。 しつねん 自分が私立単願だからと失念していた。彼はずっと不登校だったのだ。 けれど、何とかしていると思っていたのに。取りあえず、願書だけは出しているだろうと。 栄のことだからと。 不覚だった ! 「じゃあおまえ : : : 」 栄が顔を戻す。頬をゆがめた。 「働くしか、ねえじゃん ? 」 かえり 家族を顧みない父親と暮らすのでは。 義母と、別れるのでは。 かせ 「自分で稼ぐなら、もうあんな野郎といたくねえじゃん ? あいつのせいで、俺たちめちゃく ちゃになったのに。毎日、顔つきあわせんの嫌じゃん ? 」 だからーー出てゆく。 8 どこかへ。 ) 一「何で言ってくれなかったんだよ」 まだ信じられない思いのまま、龍二は訊ねた。
龍二の名前は : : : あった。 「やったな」 くち・よう おまえなら当然だというロ調で、栄は言って肩をすくめる。押しつけるようにして受験票を 返し、歩きだした。 「おい待てよ」 「帰ろうぜ」 長居は無用だというように答え、栄は止まろうとはしない。仕方なしに追いかけながら、龍 二は受験票を乱暴にポケットに押し込んだ。 来たときの半分の時間で、彼は駅に着いた。栄は無言のまま切符を買う。金額は地元までの 値段ではなかった。 「ーーーどこ行くんだよ」 「フナバシ」 訊ねると、簡単に返ってきた。 ふなばし ( 船橋 ? ) ちょうち - レう 8 解せない。〈蝶々〉に行くつもりなのか。 駅「気分じゃねえよ」 いずみ 和泉にも、メンノし ヾーこも会いたくない。 そんな気分になれないと告げると、栄はにべもなく言った。
いくつもの感情が入り乱れ、それを言葉に出来ないもどかしさにそう思う。こんな栄も、こ んな自分も、こんな状況も ! 「ーーー・も , ついいよ」 ひ 体を退いて、栄は視線を背けた。 「おまえ帰れよ。気分じゃないんだろ ? 」 龍二を突き放すような、すべてを放り出すような声だった。ため息をつくように笑い、背を 向ける。 「どのみち、別れを言いにきたんだ」 それを最後の言葉に、彼は歩きだす。ほうけたように立ち尽くした龍二は、はツとして追い ・カ . レ子′ 「どういうことだよ」 腕を取り、カずくで振り向かせた。目を合わせない栄に訊ねる。 「青森、行くのか ? 」 義母たちと共に暮らす決心をしたのだろうか ? 0 ふち 栄の視線が揺れ、目の淵がにごるように赤く染まった。 かすかに、頬が笑う。 違うのだと龍二は悟った。そうではない。