アタランテ アタランテの顔は、むすめにしては男の子のよ うでしたが、といって、男の子にしては、むすめ らしすぎる、といった顔だちでした。そして、こ うんめい よげん んな運命を予言されていました 「アタランテ けっこん 愀ろ よ、結婚もないがいい。結婚は、おまえの身を亡 しんたく ぼすだろう。」おそろしい神託を受けたものです から、アタランテはなるべく男の人たちとは一し か ょにいないようにして、ひとりだけで狩りをして きゅうこんしゃ 遊んでいました。それでも、たくさんの求婚者が ヒようけん ありましたが、その人たちには、こういう条件を 持ちだしました。「わたくしは、だれでもわたく きようそク しと競走してった人のものになりましよう。け れど、やってみて負けた人たちは、その罰として 死ななければなりません。」この申し出は、なか なかききめがあって、たいていの人は、これを聞 くと、もう、うるさくつきまとってこなくなりま あそ
ちし ・ろい物語をたのしむと同時に、現代の文学をよく理解して読むのに、なくてならない知識を得る ことができるでしよう。 らちゅう こうぞう これらの物語を理解するためには、まず大むかしのギリシア人の考えていた字宙の構造を、知 った かがくしゅうきよう ひつよう このギリシア人の科学と宗教が、ロ 1 マ人に伝わり、ロ 1 マ人を っておく必要があります。 とおして、さらにほかの国民に伝わったのですから。 ギリシア人の信じていたところによると、世界は、まるい、平たいもので、自分たちの国がそ ちゅうおう の中央にあり、神々の住みかであるオリ、ンポスの山か、神のお告げで有名なデルポイが、ちょ うど世界の中心にあたっている、というのでした。 この、まるい、平たい世界は、東から西へ流れる「海」で、同じくらいの大きさの、二つの部 にわけられていました。「海」というのは、いまの地中海と、それにつづく黒海のことでした。 ギリシア人たちは、海といえばこの二つしか知らなかったのです。 川のようなものがあり、世界の西がわでは南から北 世界のまわりには、「大洋の流れ」という、 あらし はんたいうこう へ、東がわではその反対の方向に、流れめぐっていました。この「大洋」は、どんな嵐のときに も、荒れることのない、しずかな流れでした。すべての海や川は、この大洋から水をもらってい る、と思われていました。 つぼうらくえん 世界の北のはしには、ヒ、ベルポレオイ人 ( 北方楽園の民 ) という幸福な民族が住んでいまし げんだい りかい こうふくみんぞく ゅうめい
た。北の方には高い山々があって、ギリシア人をふるえあがらせる、はだをさすような北風は、 あな この山々のほら穴から吹いてくる、と思われていました。が、ヒベルポレオイ人は、その山々 あたたか こらふく のかなたの、 いつも春のように暖い、幸福な国に住んでいました。その国へは、陸づたいにも、 海をまわっても、近づくことができませんでした。その国には病気もなく、年よりになることも くろうせんそう なく、苦労も戦争もありませんでした。 世界の南のはしには、「大洋の流れ」にのぞんで、ヒ、ベルポレオイ人と同じように、幸福な、 みんぞく りつばな心をもった民族が住んでいました。それはエティオビア人とよ・ばれていました。神々は、 この民族を特別に愛して、ときどきオリ = ンポスのご既から出かけて、 = ティオピア人のささげ るそなえものや、ごちそうをたべにゆきました。 リ、シオンの原 ( 極楽の原 ) と名づけられた楽 世界の西のはしには、「大洋の流れ」に近く、エ とくべっ 園がありました。特別に神々のお気に入りの人たちは、死をあじわわずに、そこにつれてゆかれ こらふく て、視福された不死の生活をたのしむのでした。このめでたい土地は、また、「幸福の野、とも 「視福された人々の島」ともよばれていました。 これを見てもわかるように、大むかしのギリシア人たちは、自分の国の東や南の方や、地中海 えんがん みんぞく の沿岸に住んでいる民族を知っているくらいのもので、そのほかの土地の人間のことは、ほとん きよしんかいぶつまう そうぞらりよく ど知らなかったのです。それで、想像力をめぐらせて、地中海の西方には、巨人や怪物や魔法っ しゆくふく ごくらく こらふく
す 「どうして神様は、こんな若い美しい人をそそのかして、命を捨てさせるのだろう。あの人が かわいそうだ。それは、あの人が美しいからではない ( 美しいにはちがいないけれど ) 。まだ若 ぎようをう いからなのだ。あの人がをよしてくれればいいのに。でも、がむしやらに、どうしてもやり 。しい。」アタランテがこんなことを考えて、 たいというなら、あの人がわたしを負かしてくれれ、 ためら 0 ているあいだに、見ゲ人たちは待ち遠しくなり、おとうさんも、早く用意をしなさいと いの せきたてました。そのとき、ヒッポメネスは、こういってアプロディテに祈りました。「アプロ ディテよ。お助けください。これもみな、あなたがおさせになったことなのですから。」アプ ディテはその祈りを聞きとどけました。 ア。フ。ディテの島キ : フ。スにある神既の庭に、黄色い葉、黄色い枝に金色の実をつけた一本 のリンゴの木がありました。アプロディテは、その木から三つの金のリンゴを取って、それを、 だれにも見つからないように、そっとヒッポメネスに与え、その使い方を教えてやりました。さ しゆっぱってん きようそうあいす て競走の合図とともに、ヒッポメネスとアタランテは、出発点から駆けだして、飛ぶように走っ こくもっ みがる てゆきました。その身軽なこと、これなら川の上でも、波うつ穀物の上でも、飛んでわたってゆ おうえん けそうなほどです。見物人は大声にさけんで、ヒッポメネスを応援しました。「それ、それ、しつ かりしつかりー はやくはやく。追いついて。ひるむな。いまひと息 ! 」こんな叫び声を聞いて、 よろこんだのは、アタランテかヒッポメネスか、どちらか分らないくらいでした。けれど、やが いの
霊 ) というような意味のことばです。 しんこう ーマ人の信仰によると、男にはそれぞれ自分のゲ = ウス ( 守り神 ) があり、女にはそれぞれ のユノ ( 女の守り神 ) がある、と考えられていました。つまり自分に生をさずけた神で、それが、 たんしようび 一生自分たちを保護してくれるというのでした。それで、誕生日には、男の人は、自分のグ = ウ スに、女の人は自分のユノに、それぞれささげものをいたしました。 れい
そのひとりが武器を投げすてて、「きようだいよ、もう仲よくしようではないか。」といいました。 それでこの五人がカドモスを助けて、いっしょに町をきずきあげ、その町にテ・ハイという名をつ ・けました。 カドモスは、アプロディテのむすめハルモ一一アを妻にむかえました。そのときには、神々がオ しゆっせき リ = ンポスからでかけていって、そのお祝いに出席し、ヘパイストス ( ヴルカヌス ) は花嫁に、 自分でつくったみごとな首かざりをおくりました。けれども、カドモスの一家にはふしあわせな たいじ うんめい ・運命が、つきまとっていました。それは、カドモスの退治した化け物が、軍神アレス ( マルス ) まご の大蛇だったからです。むすめのセメレも、イノも、孫のアクタイオンや、ペンテウスも、みん な、ふしあわせな死に方をしました。それで、カドモスも ( ルモニアも、しだいにテパイの町が いじゅう いやになって、テパイを立ち去り、エンケリア人の国に移住しました。その国の人は、よろこん でふたりを迎えて、カドモスを王にしました。けれども、子どもたちのふしあわせが、いつまで も心を暗くしていました。とうとう、ある日のこと、カドモスが、「たった一匹の大蛇の命が、 神々にとってそれほど大切なものなら、わたしもなりたい。」と叫びました。いいおわらないうち すがた に、カドモスの姿は、〈ビに変りはじめました。それを見た ( ルモ = アも、同じ姿にしていただ ぎたいと祈りました。そして、ふたりともヘビになって、森に住むようになりました。けれど、 もとの素性をおばえていて、人を見ても逃げかくれもせす、また人に害を与えることもありませ すじよう むか ぐんしん はなよめ
ぎようれつ 夢に見たとおりの無数の人間が、やはり夢のなかのように、行列をつくって歩いているではあり おどろ ませんか。驚いたり、よろこんだりして、ながめているうちに、その行列が近づいて、わたくし おうさまばんざい かんしゃ の前にきて、ひざまずき、王様万歳をとなえました。わたくしはゼウスに感謝をささげて、人の たはた 住んでいなかった町や、田畑を、この新しく生まれた人々に分けてやりました。その人々はアリ ( ミ、ルメクス ) から生まれてきたのですから、わたくしはこの人たちをミ、ルミドンとよびま せいしつ した。あなたがごらんになったのは、この人たちなのです。その性質は、まえにアリだったこう きんべん せいしつ の性質によく似ています。勤勉な民族で、ものを手に入れることには熱心で、いったん手に入れ たら、しつかりにぎって離しません。この者どもを、戦争にお連れください。年も若く、勇気も ありますから、十分お役に立ちましよう。」 むすう はな
戚のものがおさめていました。そこの王様アイソンは、もう、政治をするのにれてしま 0 たの おうい で、王位を、弟のペリアスにゆずりましたが、それはむすこのイアソンがおとなになるまでとい やくそく う約束のうえのことであったのです。ところがイアソンがおとなになって、おじのペリアスに位 をゆすってもらいたいというと、ペリアスは、よろこんでゆずるようなふりをしながら、いつほ まうけん 若いイアソンに、金の羊の毛皮をさがしにいくという、はなばなしい冒険をくわだてること をすすめました。金の羊の毛皮が、コルキスの国にあることは、だれでも知っていましたが、ペ いえざいさん リアスにいわせると、それは、もともと自分たちの家の財産だったというのでした。ィアンンは、・ えんせいヒゅんび たいそうよろこんで、さっそく遠征の準備をしました。そのころのギリシアでは、船といえば、 まるきぶね 小さなポートか、木の幹をくりぬいた丸木舟などばかりでしたから、イアソンがアルゴスをやと おお・しごと って、五十人乗りの船をつくらせたときには、たいした大仕事のように思われました。けれども、・ とうとう船はできあがりました。そして、つくった人の名まえにちなんで、「アルゴ」と、名づ ぼうけん なかま けられました。ィアソンは、ギリシア中の冒険ずきな若者に、仲間入りをしないかという、さそ いちだんゅうかん いのことばを送ったところ、まもなく一団の勇敢な靑年たちが集まりましたので、イアソン自身、・ ゅうめい そのかしらになりました。その一隊のなかには、のちにギリシアの英雄として有名になった人、 神にまつられた人などがたくさんあります。ヘラクレス、テセウス、オルペウス、ネストルとい いっこう うような人々もその中にいました。この一行は、乗ってゆく船の名にちなんで、「アルゴの一行」 みき えいゅク 9
もん 科学などのなかの特別な部門を受けもっていました。カリオペは叙事詩を受けもち、クレイオは加 ひす しょヒようし がっしようぶよう 歴史を、エウテルべは叙情詩を、メルポメネは悲劇を、テルプシコレは合唱舞踊を、エラトは恋 きげき の詩を、ポリ = ヒ = ムニアは聖歌を、ウラ」一一・アは天文を、タレイアは喜劇を、受けもっていま こうしよら えんかい 美の女神たちは、宴会、おどり、そのほかの社交上のたのしみや、高荷な芸ごとをつかさどる、 三人の女神でした。名まえは、エウ。フロシネ、アグライア、タレイアといいました。 うんめい 運命の女神もやはり三人で、クロト、ラケシス、アトロポスとよばれました。この女神たちは、 やくめ 人間の運命の糸をつむぐのが役目でした。手には大きなはさみを持ち、気がむいたときには、そ そうだんやく おうざ れで糸をたち切りました。この女神たちは、ゼウスの王座のそば近く相談役としてすわっている、 テミス ( 法の女神 ) のむすめでした。 おおやけさいばん ふくしゅう 復讐の女神たち ( エリ = 、ス、またはフリア ) は、公の裁判をのがれたり、それにそむいたり けいばっ ひみつはり する人々を、秘密の針でさして、刑罰を与える三人の女神でした。頭には〈ビがまきっき、おそ ろしい、いやな姿をしています。名まえはアレクト、ティシポネ、メガイラといいました。この 三人はまたエウメニデスともよばれています。 せいぎいか ネメシスも復讐の女神です。ネメシスは、神々の正義の怒り、とりわけ、高慢なもの、なまい きなものに対する怒りをあらわしています。 かがく めがみ とくべっ しよしし こうまん こ
与えられたことを記念するためでした。 よげん ひっヒか まご ファウススはサトウルヌスの孫で、野の神、羊飼いの神としてあがめられ、また予言の神とも ふくすう されていました。けれど、名まえが複数になると、ギリシア人のサテ、ロスのように、半身が人 間で、半身がヤギの姿の、ふざけすきな神々の一族をさすのです。 クウィリヌスは戦争の神でこれはローマの国をひらいたロムルス ( 紀元前七五三年にローマを けんせつ 建設し、紀元前七一六年に火の車で天上にはこばれた ) が、死んでから神にまつられたのだ、と いうことです。 べロナは戦争の女神。 テルミススは土地ざかいの目じるしの神です。その像がそまつな石や木の柱にほられ、田畑の さかいを示すために立ててありました。 かちく 。ハレスは家畜やまきばをつかさどる女神。 。ハモナはくだものの木をつかさどる女神。 フロラは花の女神。 ルキナはお産の女神。 ウエスタ ( ギリシア名へスティア ) は、町の炉と家々の炉をつかさどる神でした。ウ = スタの しんせい さいし しんでん 神殿にはウ = スタリスとよばれる六人のおとめの祭司に守られて神聖な火がもえていました。ロ , ざん はんしん