おうし と分ったので、こんどは牡午の姿になりました。ヘラクレスはまた壮牛の首をつかんで、頭を地 べたへ引きずりおろし、わたくしを砂の上に投げたおしました。そればかりではありません。無 じひ 慈悲にもわたくしの頭から角を一本、引っこぬいてしまったのです。その角をナイアスたちがひ ほ ) ふ ろって、清め、なかにかおりの高い花をみたしました。『豊富』の女神がそれを自分のものにし ・コビアイ ( 豊かな角 ) と名づけました。」 て、コルヌー 昔の人たちは、神話の物語のうちに、かくれた意味を見つけるのがすきでした。アケロオスと ヘラクレスの争いを説明して、アケロオスというのは、雨期になると洪水をおこす川のことだ、 というのです。それから、アケロオスがディアネイラを愛して、このむすめといっしょになりた いと思った、というのは、 月がうねくねとまがりまがって、ディアネイラの国を流れていたこと を意味します。ヘビの姿になったというのは、 月がうねうねしていることで、雄牛になったとい くる うのは、 川がさわがしく、ほえ狂うことです。川の水がふえると、新しい川すじを作って流れ出 つつみらんが します。これが頭に角がはえるということでした。ヘラクレスは堤や運河をつくって、毎年の洪 水を防ぎましたので、川の神を征服して、そ角をもぎとったというわけです。こうして、まえ にはたびたび洪水に見まわれていた土地が、い まではたいへん豊かな土地になりました。これが 「豊かな角」の意味だ、というのです。 きげん コルヌ ・コビアイの起源については、べつないい伝えもあります。それによると、ゼウスが せいふく こうすい 挈 4 挈
かんけ うんめい たも ー人の信仰によると、この火を保つことが、町の運命に関があると考えられていましたので、 しんでん ばっ ばあい ) さし もし、司たちがう 0 かり火を消した場合には、きびしく罰せられ、神殿の火は、ふたたび太陽 の光線からとって燃やしつけられました。 丿ベルというのは、・ハッコスのラテン名であり、ムルキベルはウルカヌスの別名です。 やくめ もんばん ャヌスは天上の門番です。一年のとびらをあけるのはヤヌスの役目ですから、一年の最初の月 は、その名まえをとって「ヤヌスの月」とよばれています。ャヌスは門の守り神で、門は、かオ らず二つの道に面していますから、ヤヌスには、顔が二つあるようにえがかれています。ローマ には、ヤヌスの神殿がたくさんあります。戦争のときには、おもな神殿の門はいつもあけはなし てあり、平和の世になると、しめられました。ヌマとアウグストウスの代に門がしめられたこと は、ただ一度しかありませんでした。 しよっきとだな かぞくこうふく ペナテスは、家族の幸福とかいやうの守り神です。この名まえはペヌス ( 食器戸棚 ) からき とだな たもので、この神々は、家々の食器戸棚にまつられてありました。一家の主人は、その家のペナ やくめ テスをまつる役目をもっていました。 ラレスもまた、家政の神です。けれど。〈ナテスとはちがって、人間のたましいが神になったも しそん せんぞ のと考えられていました。家々のラレスというのは、その家の先祖のたましいで、それが子孫を 見守り、保護していてくれるのです。レムレスとかラルウアとかいうことばは英語の Ghost ( 精 こうせん しんでん えいご さいしょ
なんは ったのだ。気やすめのことばをいっておくれでない。あの方は難破して、おなくなりになったの だ。わたしはお姿を見て、たしかにあの方とわかりました。手をのべて、引きとめようとしたら ' 消えてしまわれたが、あの方にちがいありません。いつものような、美しいお姿ではなく、まっ かみしおみす さおで、はだかのままで、髪も塩水にぬれて、見るもおいたわしいありさまでした。ちょうどこ】 ハルキ、オネはその足あとでも残っていやしな こに、そのまぼろしは立っていたのです。」 いかというように、そのあたりをながめました。「わたくしひとりをおいて、海の旅などにお出〕 かけにならぬようにお願いしたとき、あんなに胸さわぎがしたのも、このためだったのだ。あな たがどうしてもいらっしやるのなら、わたくしもごいっしょにいったほうが、ずっとましでした のに ! そうすれば、ひとり生き残って暮らさないでもいいし、べつべつに死なないでもよかっ つら たのです。このまま苦しみながら生きてゆくのは、海で死ぬよりどんなに辛いかわかりません。 はな けれど、もう苦しみはいたしません。あなたと離れ離れになるようなこともいたしません。こん どこそ、おあとへついてまいります。死んで同じお墓にはいれなくても、お墓の石には、いっ しょに名まえを書いてもらえるでしよう。灰はべつべつのところにおかれても、あなたとわたく・ 、レキ、オネは悲しさのあま しの名まえは、切りはなすことのできないものになるでしよう。」ノノ り、もうことばをつづけることができませんでした。これだけでも、泣きながら、ようやくいっ たのでした。
与えられたことを記念するためでした。 よげん ひっヒか まご ファウススはサトウルヌスの孫で、野の神、羊飼いの神としてあがめられ、また予言の神とも ふくすう されていました。けれど、名まえが複数になると、ギリシア人のサテ、ロスのように、半身が人 間で、半身がヤギの姿の、ふざけすきな神々の一族をさすのです。 クウィリヌスは戦争の神でこれはローマの国をひらいたロムルス ( 紀元前七五三年にローマを けんせつ 建設し、紀元前七一六年に火の車で天上にはこばれた ) が、死んでから神にまつられたのだ、と いうことです。 べロナは戦争の女神。 テルミススは土地ざかいの目じるしの神です。その像がそまつな石や木の柱にほられ、田畑の さかいを示すために立ててありました。 かちく 。ハレスは家畜やまきばをつかさどる女神。 。ハモナはくだものの木をつかさどる女神。 フロラは花の女神。 ルキナはお産の女神。 ウエスタ ( ギリシア名へスティア ) は、町の炉と家々の炉をつかさどる神でした。ウ = スタの しんせい さいし しんでん 神殿にはウ = スタリスとよばれる六人のおとめの祭司に守られて神聖な火がもえていました。ロ , ざん はんしん
戚のものがおさめていました。そこの王様アイソンは、もう、政治をするのにれてしま 0 たの おうい で、王位を、弟のペリアスにゆずりましたが、それはむすこのイアソンがおとなになるまでとい やくそく う約束のうえのことであったのです。ところがイアソンがおとなになって、おじのペリアスに位 をゆすってもらいたいというと、ペリアスは、よろこんでゆずるようなふりをしながら、いつほ まうけん 若いイアソンに、金の羊の毛皮をさがしにいくという、はなばなしい冒険をくわだてること をすすめました。金の羊の毛皮が、コルキスの国にあることは、だれでも知っていましたが、ペ いえざいさん リアスにいわせると、それは、もともと自分たちの家の財産だったというのでした。ィアンンは、・ えんせいヒゅんび たいそうよろこんで、さっそく遠征の準備をしました。そのころのギリシアでは、船といえば、 まるきぶね 小さなポートか、木の幹をくりぬいた丸木舟などばかりでしたから、イアソンがアルゴスをやと おお・しごと って、五十人乗りの船をつくらせたときには、たいした大仕事のように思われました。けれども、・ とうとう船はできあがりました。そして、つくった人の名まえにちなんで、「アルゴ」と、名づ ぼうけん なかま けられました。ィアソンは、ギリシア中の冒険ずきな若者に、仲間入りをしないかという、さそ いちだんゅうかん いのことばを送ったところ、まもなく一団の勇敢な靑年たちが集まりましたので、イアソン自身、・ ゅうめい そのかしらになりました。その一隊のなかには、のちにギリシアの英雄として有名になった人、 神にまつられた人などがたくさんあります。ヘラクレス、テセウス、オルペウス、ネストルとい いっこう うような人々もその中にいました。この一行は、乗ってゆく船の名にちなんで、「アルゴの一行」 みき えいゅク 9
3 カドモス王 おうし あるとき、ゼウスが牡牛に姿をかえて、フ = ニ キア王アゲノルのむすめ、エウロべをさらってゆ ぎました。アゲノルは、むすこのカドモスに命じ て、妹をさがさせ、エウロべを見つけたうえでな ければ、帰ってきてはいけないといいわたしまし た。カドモスは長いあいた、遠い国々をまわって、 さがして歩きましたが、どうしても見つかりませ ん。そのまま帰るわけにはゆきませんから、どこ の国に落ちついたらいいものかと思って、アポロ しんたく ンの神託をうかがいました。すると、そのお告げ おうし には、「野原で一匹の牡牛を見つけるだろう。そ の牡牛のあとをどこまでもついてゆけ。そして牡 牛がついに足をとどめた所に、町をたてて、その 町をテパイと名づけよ。」ということでした。カ ドモスが、神託のくだったカスタリアのほら穴 を出るやいなや、目のまえを一匹の牡牛が、のそ
神アスクレビオスが、もう一度生き返らせてくれました。アルテミスは、腹ぐろい母親と、それ に迷わされている父親が手を出せないように、ヒッポリ = トスをイタリアへやって、エゲリアと ・よぶニンフに守らせました。 じんぼう いんたい テセウスは、とうとう国民の人望を失い、引退して、スキ = ロス王リ = コメデスのもとへ、身 しんせつむか うらぎ ・をよせましたリ = コメデスは、はじめは親切に迎えましたが、あとでは裏切って殺してしまい しようぐん いこっ ・ました。すっと後になってアテナイの将軍キモンが、テセウスの遺骨の埋まっている場所を見つ えいゅうきねん ・けて、それをアテナイへ持って帰らせました。そうしてこの英雄の記念のために、テセウムとい しんでん ・う神殿を建て、そこにこの骨をまつったということです。 テセウスが妻にしたアマゾンの女王は、ヒッポリ = テという名まえだったという説もあります。 れきしてき きろく ちほう テセウスは、半ば歴史的の人物であります。記録によると、アッティカの地方は、それまでい ぶらく とういっ くつかの部落にわかれていたのを、テセウスが統一して一つの国とし、都をアテナイにおいた、 きねん ・ということです。この大改革の記念として、テセウスは、アテナイの守り神アテナのために、パ ンアテナイアの祭りを始めました。この祭りは、ほかのギリシアの竸技とは二つの点でちがって ぎようじ いました。第一に、これはアテナイ人だけのお祭りでした。第二にその祭りの主な行事というの は、。へプロスというアテネの衣をパルテノンへ運んでゆき、アテナの像の前にかける、というお ぎようれつ " ごそかな行列でした。ペ。フロスには一面にぬい取りがしてありましたが、これはアテナイのもっ いちめん はら せつ ははおや
うんめい が、とうとう姉の情が、母の情に打ち勝ちました。アルタイアは運命の燃えさしを手にとって、 けいはっ こういいました。「刑罰をつかさどる女神たちょ。わたくしが持ってきたいけにえをごらんくだ さい。罪は罪でつぐのわなければなりません。夫のオイネウスだって、わたくしの父のテスティ しようり ウスの家すじが絶えると知れば、むすこの勝利をよろこびますまい。けれど、まあ、わたしは、 ははおや なんというおそろしいことをする運命に、生まれついたものだろう ! 弟たちょ、母親の弱い心 をゆるしてください。どうしても、わたしの手はにぶってしまう。たしかにメレアグロスは死ぬ べきです。けれど、わたしが殺さないでもよさそうなものです。いや、しかし、あの子が生きの あだう び、勝ちほこって、このカリ、ドンの主となるのに、あなたがたは仇討ちもしてもらえず、よみ の国をさまよわなければならないのでしようか。いやいや、そんなことがあってはならない。 レアグロス、おまえはわたしのおかげでいままで生きのびたのだ。いま自分の罪で死ぬのだ。メ たんしよう レアグロス、誕生のときと、火の中からこの燃えさしを取り出したときと、わたしは、二度もお まえに命をあげたが、いまは、その命を返しておくれ。、ああ、あのときおまえが死んでいたら、 つみ よかったのに。弟たち、あなたがたはとうとう勝ちました。けれどその結果、おそろしい罪がお こなわれなければならない。」アルタイアは顔をそむけながら、その運命の燃えさしを、もえるま きの上に投げこみました。 はしょ その燃えさしは、おそろしいうめき声をだしたように思われました。するとべつの場所にいた めがみ けつか つみ 182
しつまう わたくしは、もう、す 0 かり失望して、世の中がいやでたまらす、人民とい 0 しょに死んでし まいたい、 と思うほどでした。どちらを見ても、人々がたおれています。ちょうど、熟れすぎて ボタボタ落ちたリン、コか、嵐に吹きおとされたドングリが、ちらかっているようなありさまです 9 あの向うの丘の上に、神殿が見えるでしよう。あそこにはゼウスがまっ 0 てあるのです。あの神 殿で、どれほど祈りがささげられたか知れません。夫は妻のために、父は子のために祈りました しんかん が、そうして祈りながらも死んでいくのです。神官たちがいけにえの用意をしているうちに、 けもの けにえにささげる獣が、病気で倒れることもたびたびでした。しまいに、神々を祭ることも忘れ まき かそう られてしまいました。死がいは埋められもせずに、ほうりだされています。火葬に使う薪が少な とむら くなって、たきぎのうばい合いからけんかがおこりました。とうとう、あとを弔う者さえなくな りました。むすこも、夫も、老人も、若者も、泣いてくれる者もなしに、死んでゆきました。 きいだん しいました。『ゼウスよ、もしあなたがわたく わたくしは祭壇のまえに立って、天を見あげて、 しの父であり、わたくしを恥ずかしくない子とお思いならば、どうか、わたくしの人民をかえし てください。でなければ、わたくしの命をもおとりください。』こういいおわるとともに、かみな りがなりとどろきました。『しるしがあ 0 た。』とわたくしは叫びました。『どうか、あのかみな りが、神様がわたくしの願いをきいてくださるしるしでありますように ! 』ちょうど、わたくし の立 0 ていたところに、一本の枝をは 0 たカシの木がありました。これはゼウ = にささげられた あらし しんでん いの しん
ち受けている海の女神テティスは、わたしがまっさかさまに落ちゃしないかと、はらはらして、 てんきゅう ふるえていることもあるくらいだ。その上、天球は、その間じゅう、、 しろんな星をのせて、たえ 、つも気をつけていなければな っしょにさらわれないように、 ずまわっている。その動きに、し らないのだ。もし、おまえに日の馬車を貸したら、いったいどんなことになるだろう。絶えまな みうしな くまわっている天球の上を、おまえは正しい道を見失わずにいけると思うのかい。おまえは、道 しんでん とちゅう の途中には、森があったり、町があったり、神々の住まいや神殿があったりするのだ、と思って ばもの おおちが いるのだろう。ところが大違いで、おそろしい化け物どもの間を通って行くのだ。「牡牛」の角 のそばを通り、「射手」のまえを過ぎて、「シシ」のあごの近くを通る。両がわから、「サソリ」 ようい と「カ = 」が手をのばしている、といったぐあいだ。それに、あの馬を御することが、また容易 はな な・ことではない。あの馬は、胸の中じゅうが燃える火で、その火を口や鼻から吐いているのだか いうことをきかない時には、わたしでも手に負えないくらいなのだ。わ ら。あれらがあばれて、 が子よ、わたしが日の車を貸したために、おまえの命にかかわることがあってはならぬ。いまの うちに、この望みを取りけすがよい。おまえが、わたしの血すじを引いているという証拠がほし しんばい いのなら、わたしが、こんなに心配しているということが、なによりの証拠ではないか。わたし そして、わたしの胸の中まで見られるといいのだが。そうすれば、ほんとう の顔をごらん。 の父親の心配というものが分るだろうに。さあ、世界を見まわして。海の中や地の上にある一。ば ちちおや のぞ しようこ おうし