アルプス縦断の絶景ルート トゥーン湖畔の町とレッチベルク峠越え Bern Spiez Kandersteg Brig Text by Kazuya Nemoto ・直通列車の所要時間 ベルン ~ ブリーク間は新線経由の場合 は約 1 時間 5 分。旧線経由の場合は約 1 時間 45 分 Bern へ丿レン駅 城がたたすむ湖畔からアルフスの南へ スイス中央部のアルプスを北から南へ縦断し、湖や山々など の変化に富んだ車窓風景を楽しむルート。 2 開 7 年に全長約 36km のレッチベルク基底トンネルが開通し、特急列車はカンデルシ ュテーク Kandersteg を経由せずに、シュヒ。ーツ spiez からアルフ スを長大なトンネルで一気に通過してフィスプ Visp 、プリーク Brig へ抜けるようになった。所要時間は 30 分以上も短縮された ものの、アルプスの峠越えの絶景を眺めることはできなくなっ た。アルプス越えのダイナミックな景色を楽しみたければ、シ ュピーツで旧線を走る急行に乗り換えよう。 スタート地点はベルン。列車はアーレ川を渡って進行方向を 南に向けると、速度を上げながら牧草地の中を駆け抜けてい く。 20 分もすれば最初の停車駅トゥーン Thun に到着する。 トウーンはトゥーン湖の一番下流にある町湖から流れ出た 144 ern モントルーへ← ュビーツ トゥーン湖 リエンツ・ マルティニへ ~ カンデルシュテーク Kandersteg ゴッペンシュタイン G 叩 penstein プリーク アンデルマットへ→ 20km
。ミューレネンを出 ミューレネンからカンテルシュテークへ てふたつ目の駅フルッティゲン F 皿 igen を過ぎると、列車は本 カンテルシュテークからは、ゲン 格的なアルプス越えに差しかかる。フルッティゲンの標高は ミ峠方面へのハイキングルートが 延びている。駅前からバスでロー 779m 。カンデルシュテークの標高は 1176m なので、この 18km プウェイ乗り場へ向かおう。ロー の区間の間に標高差約 400m の上りになる。フルッティゲン駅 プウェイでスンビュール Sunnbu を出発すると長さ 265m のカンデル陸橋があり、カンデル川を まで行ってハイキング開始。途中 東側に渡り次第に標高を上げていく。広い谷が次第に狭くな にシュヴァーレンノヾッハという難 り、行き止まりになったところで列車は 180 度大きくカープ。 所もある、中世からのアルプス越 えの歴史街道を進んで行く。ダウ 今までとは正反対の方向を向いて再び標高を上げる。断崖絶壁 べン湖畔を通って約 3 時間でゲン に張り付くように造られた線路は大迫力。今度はトンネルの中 ミ峠に到着。ゲンミ峠はヴァリス で 180 度カープ。列車は再びアルプスのほうを向く。特に 2 度 アルプスが一望できる絶景の展望 目のカープはトンネルの中なので、トンネルを出ると谷が反対 ロ。日はここから断崖絶壁を九十 側にあり方向感覚を失うところだ。絶壁に作られた短いトンネ 九折りの細い道で下ったが、今は 温泉町ロイカーバートヘロープウ ルをいくつか通過すると、ようやく谷あいの別天地カンデルシ 工イに乗り 10 分で下りることがで ュテークに到着する きる。 カンデルシュテークは周囲を険しいアルプスに囲まれた牧歌 的な村だ。見どころはなんといっても工ッシネン湖。駅から歩 いて 10 分くらいの村外れからリフトが出ている。約 10 分で到 着する山頂駅から、再び徒歩 20 分足らずで湖に着く。周囲を 断崖に囲まれた深緑色の水をたたえる湖は神秘的だ。 ゲンミ峠へのハイキング MüIenen ミューレネン駅 Spiez シュピーツ駅 Kandersteg ク駅 カンテルシュテー カンデルシュテークを出発すると、間もなくアルプス越えの レッチベルク・トンネルに入る。車はこの峠を走れず、カート レインを利用してトンネルを抜けることになる。乗り場はカン デルシュテーク駅の進行方向右側にある。車の乗客はエンジン を切り、サイドプレーキを引いた状態で車内待機する。列車の トンネル内走行中に車外へ出ることや、ライトを点灯させるこ とは禁止されている。トンネルの全長は 14.6km 。完成は 1913 年。最初から複線電化で開通していた。本来はもっと短い直線 でゴッペンシュタイン Goppenstein までを結ぶ予定だったが、カ ンデルシュテークから約 2 )( ) m 掘り進んだところでトンネルの 上を流れているカンデル川の河床を抜き、大出水するという事 故に見舞われた。そのため北半分のルートが変更され現在のよ うな「くの字型」のルートとなった。 写真 / カンテルシュテークを訪れたら 急行列車は 12 分で、アルプスの南側の駅ゴッペンシュタイ ぜひ立ち寄りたい神秘的な工ッシネン ンに到着する。アルプス北側に北ヨーロッパからの雲がたまる 湖 146
Text by Kazuya Nemoto 2010 年に 80 年目を迎える。今や世界でもトップクラスの知名 度を誇り、国外からの観光客が競って乗車する観光列車。そ の誕生から現在までを振り返ってみたい。 ・アルプス観光列車の登場 19 世紀の末からョーロッパの上流階級の人々の間では、 夏のバカンスをアルプスで過ごすのが流行となっていた。暑 い下界を離れて山の清涼な空気の中で過ごそうとする人々 は、その後も増え続け、それにともないアルプス山麓では観 光産業が急速に発展していった。 風光明媚なアルプスの景観が広く知れ渡ったこともある が、最大の理由は当時、世界の最先端にあった鉄道技術の おかげだ。 1871 年に中央スイスのリギ山にヨーロッパ最初の山岳鉄 道が開通。目覚ましい発展を遂げた鉄道技術により、目の くらむような谷に橋をかけ、急斜面にアプト式の線路を敷 き、次々と新しい駅が造られていった。 今やスイスを代表する山岳リゾートであるツェルマットに は 1891 年に最初の列車が到着、 1904 年にはサンモリツッ駅 が開業した。この頃になると、それまで辺鄙な山間だった村 にも鉄道が通り、アルプス山麓の寒村が続々と山岳リゾー トへと様変わりしていったのだ サンモリツツのあるグラウビュンテン州とツェルマットか あるヴァリス州、その間にあるウーリ州には、この当時すで に 3 つの鉄道会社、レーティッシュ鉄道 ( 魅 B ) 、フルカ・オ ーノヾーアルプ鉄道 ( FOB ) 、フィスプ・ツェルマット鉄道 ( vz 、 後にプリークまで延伸して、プリーク・フィスプ・ツェルマ ット鉄道 ( BVZ ) となる ) があった。アルプス観光の機運をさ らに盛り上げるべく、 3 社は共同でアルプスを横断する観 光列車の運行を計画し始めた。 036 グレッシャー・エクスプレスの歩み 世界で知られる観光列車 10 : 着 1 1 : 15 着 12 : 08 着 13 : 16 着 13 : 30 着 10 : 28 着 10 : 47 着 1 1 : 14 着 1 1 : 46 着 1 1 : 着 鉄道の開通、そして鉄道技術の 進歩により、目的地への所要時 間は大幅に短縮された。クール ~ サンモリツツ間を例にとって、 その変遷をみてみよう。 ・郵便馬車の時刻表 ( 1896 ) [ レーティッシュ鉄道開通前 ] 時刻表の変遷 クール トウズイス ティーフェンカステル べ丿レギュン サメーダン サンモリツツ 6 : 12 発 8 : 15 着 10 : 25 着 13 : 55 着 18 : 50 着 19 : 40 着 総所要時間 : 13 時間 28 分 ・ SL 列車時刻表 ( 184 ) [ レーティッシュ鉄道開通当時 ] クール トウズイス ティーフェンカステル ベルギュン サメーダン サンモリツツ 9 : 49 発 総所要時間 : 3 時間 41 分 ・急行列車時刻表 ( 2009 現在 ) クール トウズイス ティーフェンカステル ベルギュン サメーダン サンモリツツ 総所要時間 : 2 時間 9 : 発
・トンネルを抜けてアルプスの南側へ 車窓に目を戻すと、進行方向右側上方にたまねぎ型をした 教会の塔が見える。ヴァッセン wassen の教会だが、この形を よく覚えておこう。ここから列車はトンネルに入る。暗闇な のでよくわからないが、中で列車の進行方向は 180 度変わっ ており、先ほど進行方向右側上方に見えた教会の裏側が、 度は進行方向右側下方に見える。再びトンネルへ。出ると先 ほどの教会が今度は左下に見える。スーステン峠へのヴァッ センを通過し、やがて列車はサンゴッタルド・トンネルの北 の入口、ケッシエネン Göschenen に到着する。昔からの峠道 こからサンゴッタルド峠に向けてきつい上りになる。現 は、 在ではマッターホルン・ゴッタルド鉄道が、ゲッシエネンか らアンデルマットまでをラックレール方式の鉄道で結んでい る。途中、伝説で有名な悪魔の橋も通過する。 本線の鉄道はここから長いトンネルに入る。全長 15km に及 ぶサンゴッタルド・トンネルだ。当時の最新技術を駆使して 造られたこのトンネル開削には、約 2 年を要した。アルプス の北と南から掘り進んでいって到達した地点は、なんと 50cm しか離れていなかったという記録が残されている。 トンネルを抜けて明るい空が見えたらアルプスの南側、ア サンゴッタルド・トンネルのはる か下、アルプスの地下を貫くトン ネル工事の大計画か進行中だ。標 高約 1 100m のところにあるサン ゴッタルド・トンネルは 1881 年 に開通。列車では 7 分ほどで通過 してしまう長さ約 15km のトンネ ルだが、南北を結ぶ要衝として貨 物の流通や交通に活躍しており、 1 日に約 9000 人の乗客が利用す る。そして現在、「アルプス縦断 高速鉄道網」大ブロジェクト計画 の一部として建設か始まったのが、 注目のサンゴッタルド基底トンネ ル。鮻工は 2017 年末 ~ 2020 年 の予定。全長約 57km で、完成す ると日本の青函トンネルを抜き世 界一長いトンネルとなる。 写真 / 列車から見るヴァッセンの教 トンネル内のループを通るたび に、この教会が大きくなったり、 さくなったりする。 世界最長のトンネル工事
History 0f Swiss RaiIway 深い谷と切り立った岩壁、そして立ちふさがる刀レフズ それらに挑戦し続けた年月。世界有数の鉄道大国になるまで スイスが歩んだ道のりをたどっていきたい。 ◎スイス鉄道の歴史 アルプスとの闘い 狭い国土の多くが山岳部であるスイス。そこにあるのは、 そそり立つ高い峰、深く刻まれた谷、そして剥き出しの岩盤 や巨大な氷河・・・・・・。建設を阻む数多くの障害を乗り越えて世 界有数の鉄道大国になった、その歴史を振り返ってみたい。 スイス最初の鉄道駅がスイス、フランス、ドイツの国境が 接するノヾーゼルに開業したのは 1 5 年。フランスのアルザス 鉄道の国境駅として開業した。しかしこれはスイス領内のノヾ ーゼルに駅ができただけのこと。隣国のフランスやドイツが バーゼルからチューリヒまでの延伸を狙ったものだったが、す ぐにスイス領内に鉄道が敷かれることはなかった。 スイスに鉄道線路が敷かれて、最初の列車が走るのは、そ の 2 年後の 1847 年バーデン ~ チューリヒ間約 23.3km の開通 まで待たなければならない。愛称を「スペイン・パン列車」と いわれたこの列車は、毎朝バーデンのパン屋で作られた新鮮 なパンを、チューリヒに運んでいたのだ。この鉄道を建設し た鉄道会社は 1836 年にチューリヒで創業しており、チューリ ヒ州以外の州政府の許可が出ないまま開業を迫られたのであ スイスの公共交通網の総延長は る。このあと約 7 年間もスイスの鉄道はこの区間だけであり、 約 2 万 5000km 。この数字はス 当時隣国のフランスやドイツにはすでに数千に及ぶ鉄道網 イス国鉄が 2986km 、そのほかの 私鉄 2100km 、山岳鉄道 157km 、 があったことに比較すると、そのスタートは非常に遅かった ロープウェイ 894km 、ポストバ といえる。しかし、この後約 30 年の間に、スイスは約 258km ス 1 万 316km 、そのほかのバス を超える鉄道網をもつ鉄道大国へと飛躍的に発展する。しか 路線 5722km 、市電・市バス もそのなかには全長 15km に及ぶサンゴッタルド・トンネルを 1 71 9 km 、遊覧船 1 1 1 9 km を含 含むことにもなるのだ。 めたもの。 チューリヒ中央駅前にある工ッシャ ーの像 スイスの交通
ってからは右側の車窓がおすすめ。 標高 2312m の分水嶺。この峠の 南側に流れた水はイン川に流れ やがて前方に大きく谷が開けるがその一瞬前、右上にはル 込み、後にドナウ河となって黒 イネ・カンピ Ruine campi の城跡が見え、列車はその下をト 海へ。北側に流れた水はアルブ ンネルで抜ける。線路は大きく左へカープし眼下にはトウズ ラ川からライン河に入り、北海 イス Thusis の旧市街と教会の塔が見える。ヒンターライン川 へ流れる。気候もこの峠を境に とサン・ベルナルディーノ峠へ向かう自動車専用道路を高架 して大きく変わる。明るいエン ガディンの谷からトンネルを越え 橋で渡ると近代的なトウズイス駅に到着する。 た途端に霧や雲が立ち込めてい トウズイス駅を出発すると谷は広く開ける。鉄道線路、ヒ ることがある。北海からの雲が ンターライン川、高速道路と並んで谷を下っていくのだが、 このアルプスによって行く手を遮 谷の向こうの見晴らしのよい高台にこの区間だけで 20 くらい られアルプスの北側に溜まるた の古城や城跡が見られる。ドムレシュク Domleschg と言われ めに起こる現象で、特に冬はこ の傾向が強い。サンモリツツの る地域。ここはアルプス越えの重要な通商路だったために見 晴天率が高いのはこの峠の南側 張りや税の取り立てのためにさまざまな城が造られたのだ。 に位置しているからだ。 このあたりまでやってくるとグラウビュンデンの州都、ク ールへの通勤圏となってくるので住宅も増えてくる。やがて 大きく左右にカープを曲がると左側の下方から別の鉄道線路 が近づいてくる。これは後ほどグレッシャー・エクスプレス がツェルマット方面へ向かう線路だ ヒンターライン川の鉄橋を渡るとライヒエナウ・タミンス 沿線詳細ガイド 第 外 グレッシャー・エクスプレス 写真 / 上左 : ドムレシュクの古城。丘 の上に点々と城や砦が見える上右 : トウズイスの教会。山の中腹にも同 じような教会の塔が見える下 : ラ イヒエナウ・タミンス駅 アルブラ峠
リギ登山鉄道 スイスの登山列車の歴史はここから始まった Vitznau Rigi KuIm / Arth-GOIdau Rigi KuIm Text by Kazuya Nemoto 写真 / P100 上 : リギ山の山頂はな だらかな草原が広がるのんびりした 展望台下 : 湖側の出発駅、フィッ ツナウの湖畔風景 P101 上 : 山頂直前、フィッツナウ からくる列車 ( 赤 ) とアルト・ゴルダ ウへ向かう列車 ( 青 ) がすれ違う下 : フィーアヴァルトシュテッター湖を 見下ろす。稜線に沿ってハイキング コースがある 4 ・アルプス観光の時代を作った先駆者 アルプス観光の先駆者であるリ リギ山はルツェルンの東にそびえる独立峰。この山頂から ギ山には、多くの有名人が足跡 北を望むと、地平線まで山らしい山がない。下界から山を見 を印している。ヴィクトリア英 上げて「あの山の頂からの眺めはきっといいはずだ」と考える 女王をはじめ、リヒャルト・ワ のは自然なこと。 18 世紀のヨーロッパの人々も同じことを考 ーグナー、ゲーテ、ヴィクトル・ えた。観光地としての山。それまでになかった考えが、イギ ユゴー、トルストイ、マーク・ト ウェインなどがいる。 リス人を中心として広まった。アルプスの観光化がスタート し、そのきっかけになったのがリギ山だったのだ。 19 世紀の初めにはスイス最古といわれる山岳ホテルがオー プン。特に山頂からの 360 度の眺望と、朝の御来光が人気の 的だった。周囲を湖に囲まれているこの場所では、秋から冬 にかけて温度差から霧がよく発生し、雲海の上に御来光が出 てくることになる。それを早起きして毛布をかぶりながら眺 めるのが、当時のヨーロッパ貴族の間で流行だったのだ。 その後、観光化にますます拍車がかかり、 1871 年、ここに ョーロッパで最初のラックレールを使った登山鉄道が建設さ れた。湖畔の町フィッツナウⅥ皀 nau からシュタッフェルへー 工 sta 飛 lhöhe までの区間だ。その 2 年後には山頂まで開通し ている。徒歩か馬に揺られて長々と頂上までの道を進んでい ったことを考えると夢のようだっただろう。開通当初は SL だ リキ山に登った有名人
りのルートを雪囲いのトンネルなどを通りながら下っていく。 急カープばかりなので、線路の軋む音がトンネルに響く。カ ープを曲がるたびに、景色の見える方向がそのつど変わるの で、車内にいる人々は忙しい。しばらくの間、谷側の車窓か らはパリュ氷河がよく見える。谷の下に見えるのは発電所。 ラーゴ・ビアンコとの標高差を利用した発電が行われている。 発電所の建物も駅と同じくニコラス・ハートマン・ジュニア が設計している。 やがて列車はパリュ水河をあとにし、東向きに谷を下って いく。ついさっきまでのラーゴ・ビアンコ周辺の荒涼とした 風景が嘘のように、沿線の緑が急に濃くなっていく。モルテ ラッチュ周辺の針葉樹の森とは、植生が明らかに違う、広葉 樹を主体とした森だ。少し平らになった場所がカヴァーリア cavaglia 駅。ここには発電所関連の建物が集まっている。 振り返ると後ろの山の中腹にアルプ・グリュムの駅が見え る。出発すると再び一気の下り。窓の下にはようやくこれか ら向かうポスキアーヴォの町と湖がはっきりと見えるように なってくる。また林の切れ目からはイタリアのアルプスの山々 が美しく遠望できる。 カデラ cadera 駅を通過し、やがて左側の谷から自動車道が 谷を下っている姿が見えるようになる。ベルニナ峠で分かれ た国道だ。プリビラスコ l)rivilasc 。の無人駅を通過すると、ポ スキアーヴォのふたつの教会の塔が近づいてくる 町の中心に建つのはサンヴィトール教会。 5 段のアーケード 型の鐘楼はイタリアのロンバルディア地方の特徴でもある。 こまで来ると陽光もまぶしく、今までのアルプス地方とは まったく別の国にやってきたような感覚になる。 ・ポスキアーヴォからテイラーノへ ポスキアーヴォを出発した列車は開けた明るい谷をイタリ ア内匈けて緩やかに下って行く。リ・コート LiCurt からレ・プ レゼし間は、途中から道路と併用軌道になっており、列 車の前を車やオートバイが走っていく。レ・プレゼから左手 にはポスキアーヴォ湖が美しく広がる。この湖も発電用の人 造湖だ やがて列車は湖の南端のミララーゴ M 同。駅に到着する。 こで左側の窓を見ると、湖とスイスのアルプスの山々が美 しい。「湖の景色」と命名されたこの駅から、湖とアルプスの 最後の景色を楽しもう。 ここから先は谷に沿っての一気の下り。途中プルージオ Brusi 。駅を通過すると、ベルニナ線の後半の見どころ、カレ ージオのオープンループ線に差しかかる。 054 ポスキアーヴォはこの地方の中 心。駅はベルニナ線の南側半分 の拠点となっており、車庫や修 理工場も併設されている。車窓 から町並みを眺めるとサンモリ ツツやポントレジーナとはまった く雰囲気が違う。イタリア風の 建物が多くなり、エンガディン 地方とは異なる趣がある。 対進行方向左側。ブルー ジオのループは、進行方向 右側が見い 写真 / P55 上 : 晴れた日にはたくさ んのヨットやポートが浮かんでいる ポスキアーヴォ湖下 : ブルージオ のループを走行中。進行方向右側に 移動し、ループの様子をじっくり見 てみたい ポスキアーヴォ
◎アルプスの峠越えルートの開通 アルプスを南北に結ぶ峠越えのルートはローマ時代からい 鉄道建設技術の発展と相まって、 くつかあり、最も古いものはスイス東部のビュンドナー峠群 数々の峠越えルートが一気に開 通していく。 1906 年には全長 1 を越えるものだ。それから西のグラン・サンベルナール峠や 万 9803m に及ぶシンプロン・ト シンプロン峠、そして一番新しく中世になって開通したもの ンネルが、 1913 年にそれに続く が中央スイスを突き抜けるサンゴッタルド峠越えルートだっ 全長 1 万 4612 m のレッチベル た。鉄道の開通以前、人々は徒歩や馬車などで山を越えてい ク・トンネルが開削され、アル た。スイスの鉄道が大きく発展した理由は、これら峠越えル プスの峠越えの主役はいよいよ 鉄道となっていった。それ以後 ート開削に必要な技術の進歩によるところが大きい。 南北に結ばれたスイスの鉄道網 開通当初の鉄道はできるだけトンネルや鉄橋を避けるため は飛躍的に発展していくことに に、延々と河や山に沿ってスイス北部や西部の平地に建設さ なる。 れることが多く、一部の急峻な地形では河川や湖の連絡船を その代替の手段として利用していた。しかし、交通量も輸送 量も増大していたアルプス越えのルートの開削に挑まなけれ 1. サンゴンタルド基底 ( スイス ) / 57 , 072m / 2010 年☆ ばならない時は刻々と迫っていた。いよいよどこかの峠に鉄 2 プレンナ底 ( オーストリア ~ 例ア ) / 56 国 2025 年 ' 3. 青函旧本 ) / 53 850m / 1988 年 道を通す必要に迫られていたのだ。 4. 英仏海峡 ( 佯丿ス ~ フランス ) / 50 , 450m / 1994 年 その当時、バーゼルまで来ていたフランスやドイツの鉄道 5. レ重ヾルク基底 ( スイス ) / 34 , 577m / 2007 年 と南のイタリアとを結ぶ最短路線は、地理的にはサンゴッタ 6. グアダ丿ャマ ( スペイン ) / 28 , 377m / 2007 年 ルド峠越えのルートということになる。そしてこの峠ルート 7. 太行山 ( 中国 ) / 27 848m / 2008 年 に初めて挑んだのは、スイス近代化の父といわれるアルフレ 8. 八甲田 ( 日本 ) / 26 , 455m / 2010 年・ 9. 岩手一戸旧本 ) / 25 , 810m / 2002 年 ッド・エッシャーだった。 1869 年からゴッタルド・ルートの 10. バハーレス基底 ( スペイン ) / 24 , 667m / 2011 年・ 調査を開始。ある程度技術的にめどの立った 1871 年にルツェ ☆は予定 ルンで鉄道会社を設立。彼は資金調達のために銀行までも設 そのほかのスイスのトンネル 立。未熟な技術のため、度重なる犠牲者を出しながらも、 1 2 シンプロン第 1 / 19 , 803 前 1906 年 年、ついに全長約 15km にも及ぶサンゴッタルド・トンネルを ヴェライナ / 19 , 058 前 1999 年 新フルカ / 15 , 442 1982 年 開通させ、アルプスの峠を克服したのだ。 チェネリ基底 / 15 , 400 前 2019 年・ サンゴンタルド 715 , 003 rn/1882 年 レッチベルク / 14 , 612 前 1913 年 トンネルが広げた鉄道網 世界のトンネル長トップ IO オーバーアルカヾスを進む列車 ( 1939 年 ) ◎ MGB 鉄道旅行術 鉄道会社が作った銀行 大工事を遂行するうえで、技術 的な問題と同じくらいに重要な ス イ のが資金的な問題。工ッシャー のすばらしさは、あらかじめこの 鉄 問題に対しても手を打っていた の ことだ。彼が設立した銀行が、ク レティ・スイス銀行の母体とな 史 ったことを考えれば、工ッシャー は金融業でも大成していたかも しれない。
こ立きこ シュピーツからフィスプへの特急 ナ ℃特急やミラノ方面行きの国際特 急は、シュピーツを出発すると次 はアルプスの反対側、フィスプ Visp までレッチベルク基底トンネ ルを走り抜けて一気に向かう。ト ンネル内の最高時速は 200km 。あ っという間に到着する。ツェルマ ット方面へ急ぐ場合にはレッチベ ルク基底トンネルを通過するこの 特急利用が便利。途中下車やアル プス越えの景色を楽しみたい人は、 ここから旧線を走る急行に乗り換 えよう。スイスを代表する車窓風 景がたっぷりと楽しめる。 水はここからアーレ川となり、ベルンを経由してライン河へと 向かっていく。勢いよく水が流れるアーレ川を渡って旧市街に 向かおう。ツェーリンゲン侯が 12 世紀に建てたトゥーン城から は、ベルナー・オーノヾーラントアルプスの景色が美しく眺めら れる。トウーンからは、ハイシーズンは大体 1 時間に 1 本の割 合で遊覧船が出航している。スイスパスでも乗れるので、シュ ピーツまで約 50 分の船旅を楽しむのもいい。 第 1 に 途中下車の旅 Thun トウーン駅 Spiez シュピーツ駅 トゥーンを列車で出発すると、約 10 分でシュピーツに着く。 線路は徐々に高度を上げ、途中から進行方向左側に穏やかなト ゥーン湖の全景が眺められる。遊覧船やヨットが浮かび、牧草 地やアルプスとともにスイスらしい風景を見せてくれる。 シュピーツからは線路が 4 方向に延びており、交通の要所と なっている。シュピーツ自体は静かな湖畔のリゾート。駅を出 ると湖が眼下に広がり、湖畔に教会の尖塔とシュピーツ城、遊 覧船の発着場が見える。坂を下れば約 15 分で湖畔へ出る。 シュピーツから旧線を走る急行に乗り換えると、約 5 分でミ 写真 / P144 左 : トウーン城からトウ ューレネン M 確 nen 駅に到着。駅前から出ているケーカレカー ーン湖の方角を眺める。遠方にはユン で片道約 30 分、標高 2363m のニーセン山の頂に到着する。富 グフラウ三山が見える右 : インター ラーケンからトウーンに到着する定期 士山によく似た三角形の独立峰で、山頂からの 38 度の展望が 船 すばらしい。トゥーン湖やユングフラウ二山はもちろん、天候 P145 左 : レッチベルク峠を越える列 車右 : シュピーツ城とトウーン湖 に恵まれればモン・プランまで遠望できる。モダンなガラス張 下 : ニーセン山頂にある眺めのよいレ りのレストランがあり、眺望と同時に食事も楽しめる ストラン アルプス縦断の絶景ルート 145