: ジべ . 写真 / 左 : ツェルマット方面から流 れてくるマッターフィスパ川にかか るキラーホフ陸橋。さらに上流でサ ース・フェー方面から流れてくるサ ースフィス / ヾ川が合流する右 : 新 しそうに見える手前のノイブルッケ 橋が 400 年前に建設されたもの て列車は快調に走っていく。進行方向右側に古い石造りの橋 が見え列車はその下をくぐり抜けるが、これは約 400 年前に 1865 年、イギリス人登山家ウィ ンパー卿がマッターホルン初登 建設されたノイカレッケ橋 Neubrükkeo 橋の中心に小さな礼拝 頂に成功するが、その帰路で起 堂があるほうが古いほうの橋だ きたガイドの滑落事故により、マ このあたりの線路はきれいに整備されカープも緩やかに造 ッターホルンとツェルマットはヨ られている。 2 年にフィスパ川で大洪水が発生。川沿いに ーロッパ中で有名になった。す あったこの付近の線路は、ほとんどが押し流されるか水没し ると多くの観光客や登山家が大 挙してツェルマットに押し掛け たため、その後新しく造り直された。その際にカープや勾配 た。フィスプからの馬車はまた が補正されて現在のような快適な軌道になったのだ たく間に満員になり、それに代 やがて発電所の横からラックレール区間に差し掛かり、勾 わる交通機関の建設が求められ 配を一気に上げていく。この区間の勾配は 125 パーミルで、路 た。その結果、 19 世紀末という 線中一番の急勾配となる。左右にブドウ畑が広がるがこのあ 早い時期にこの路線が開業した のだ。全線電化されたのが 1929 たりはスイスでも有名なワインの産地。すぐこの近くのアル 年。開業当初は夏季のみの運行 プの上にはヨーロッパ最高所のブドウ畑として標高 118m の で、雪崩の危険性のある冬季の 地点に広がるフィスパーテルミネン Visperterminen 村もある 運行許可は出ないままだった。雪 ハイダワインの産地として有名なところだ。ラックレールは 崩避けなどの設備が整い、通年 そのまま続き、上りきったところがシュタルデン・サース の営業ができるようになったのは 1933 年からだ。 Stalden-Saas 駅。 対進行方向左側、後半は ・シュタ庁ン・サースからツェルマットへ ( 崖崩れを横目に ) 列車はマッターフィスパ川に沿って走っていく。駅を出発 右側 すると、左側の前方に 1969 年に建設されたコンクリート製の キラーホフ KiIlerhof 陸橋が見え、その後方には 1930 年代に造 られた橋も見られるが現在は使われていない。再びラックレ ールで標高を上げていくが、 こから先は進行方向左側の景 フィスプ・ツェルマット鉄道 032
写真 / 左 : 世界自然遺産に登録され ているアルプス最長の氷河、アレッ チ氷河右上 : ブリーク駅に停車中 のイタリア鉄道の列車。ここではさ まざまな国際列車が行き交う右 下 : 新しくなったフィスプ駅 対進行方向右側 巡礼教会の横を通過すると、ひさしぶりの大きな町、プリー ク Brig が近づいて来る。右側にはマッサポーデン Massaboden の水力発電所があり、スイス国鉄やマッターホルン・ゴッタ ルド鉄道も電力供給を受けている。 ・ブリークからフィスプへいローヌ渓谷を走る ) プリークも交通の要所。フランスやドイツ方面からの街道 はどちらもプリークへ至り、こからシンプロン峠を越えて イタリア方面へ抜けていた。地元の名士、シュトックアルバ 一家が塩の貿易で莫大な富を得、それに伴い発展した町だ。 1905 年にシンプロン・トンネルが開通アルプスを抜ける 鉄道トンネルとして建設され、日本の大清水トンネルが開通 するまでの約 76 年間、世界一長いトンネルであった。 グレッシャー・エクスプレスのプリーク駅はスイス国鉄の 駅前広場に作られ。まるで市電乗り場のような感じだ。 からスイス国鉄に乗り換える人などを下ろして、グレッシャ ・エクスプレスは最後の行程に進んでいく。 プリークを出発するとフィスプⅥ sp まではローヌ渓谷に沿 かって東から到着するグレッシ って走る。左側にはマッターホルン・ゴッタルド鉄道の車庫 ャー・エクスプレスは、ブリーク があり、右側にはスイス国鉄のジュネーヴ方面への線路が並 の町の外側から回りこみ、西か ら駅へアプローチするルートをと 行して走っている。また右側の山の中腹には B い鉄道のレッ っていた。スイッチバックのよう チベルク線の線路がしだいに標高を上げていくのが見える な形をとり、ブリーク駅で機関 全線の中ではこのプリークからフィスプまでの開通が一番 車を付け替え、進行方向を変え 遅く 1930 年。グレッシャー・エクスプレスはこの区間の開通 ていたのだ。それが 2007 年 12 を待って運転を開始したことになる。地理的には線路の建設 月に線路の付け替え工事が完了。 スイス国鉄の駅前にそのまま東 に何の困難もない場所だが、ツェルマット ~ フィスプを結ん 方向から進入するようになった。 でいた vz 鉄道 ( フィスプ・ツェルマット鉄道 ) は建設当初よ 機関車の付け替え作業もなくな り、ジュネーヴ方面からの乗客が輸送の中心と考えていたの り、距離も短くなってその分所 で、フィスプからプリークに至るこの区間の鉄道建設の必要 要時間も若干短縮されている。 ブリーク駅の線路付け替え 030
ってからは右側の車窓がおすすめ。 標高 2312m の分水嶺。この峠の 南側に流れた水はイン川に流れ やがて前方に大きく谷が開けるがその一瞬前、右上にはル 込み、後にドナウ河となって黒 イネ・カンピ Ruine campi の城跡が見え、列車はその下をト 海へ。北側に流れた水はアルブ ンネルで抜ける。線路は大きく左へカープし眼下にはトウズ ラ川からライン河に入り、北海 イス Thusis の旧市街と教会の塔が見える。ヒンターライン川 へ流れる。気候もこの峠を境に とサン・ベルナルディーノ峠へ向かう自動車専用道路を高架 して大きく変わる。明るいエン ガディンの谷からトンネルを越え 橋で渡ると近代的なトウズイス駅に到着する。 た途端に霧や雲が立ち込めてい トウズイス駅を出発すると谷は広く開ける。鉄道線路、ヒ ることがある。北海からの雲が ンターライン川、高速道路と並んで谷を下っていくのだが、 このアルプスによって行く手を遮 谷の向こうの見晴らしのよい高台にこの区間だけで 20 くらい られアルプスの北側に溜まるた の古城や城跡が見られる。ドムレシュク Domleschg と言われ めに起こる現象で、特に冬はこ の傾向が強い。サンモリツツの る地域。ここはアルプス越えの重要な通商路だったために見 晴天率が高いのはこの峠の南側 張りや税の取り立てのためにさまざまな城が造られたのだ。 に位置しているからだ。 このあたりまでやってくるとグラウビュンデンの州都、ク ールへの通勤圏となってくるので住宅も増えてくる。やがて 大きく左右にカープを曲がると左側の下方から別の鉄道線路 が近づいてくる。これは後ほどグレッシャー・エクスプレス がツェルマット方面へ向かう線路だ ヒンターライン川の鉄橋を渡るとライヒエナウ・タミンス 沿線詳細ガイド 第 外 グレッシャー・エクスプレス 写真 / 上左 : ドムレシュクの古城。丘 の上に点々と城や砦が見える上右 : トウズイスの教会。山の中腹にも同 じような教会の塔が見える下 : ラ イヒエナウ・タミンス駅 アルブラ峠
写真 / P68 上 : インターラーケン・ ・インターラーケン→グリンデルワルト、ラウターブルンネン オストとグリンデルワルトを結ぶ インターラーケンにはオスト ( 東 ) とヴェスト ( 西 ) のふたっ BOBO シーニゲ・プラッテヘの出発 駅、ヴィルダースヴィルに停車中 の駅があるが、ユングフラウ方面への玄関口となっているの 下 : ヴェンゲン駅に停車中の WAB 。 は東寄りにあるオスト駅。西からはベルンやドイツなど各地 ここからさらに急勾配を下ってラウ ターブルンネン駅を目指す からの列車が、東からはルツェルン方面からプリューニック P69 上 : ユングフラウ鉄道グループ 線がやってきて出合う駅だ。 の起点となるインターラーケン・オ スト駅中 : グリンデルワルト駅。 こからグリンデルワルト & ラウタープルンネンまでは BOB ホテルが隣接する便利な駅下 : ク が走っている。前半分の車両がラウターカレンネン行き ( 所要 ライネ・シャイテックに向かう WAB アルプの中に線路があるので、牛が 約 20 分 ) 、後ろ半分がグリンデルワルト行き ( 約 40 分 ) で、ふ 線路のすぐ横にいることも たつめの駅ツヴァイリュチーネン Zweilutschinen で分かれる。 前方に輝く白銀の峰が、目指すュングフラウ。懐の氷河か ら流れてきた川はミルキーホワイト色をしている。一方、グ リンデルワルト線と並行に流れる支流には澄んだ水が流れる。 1890 年の開業当時は蒸気機関車が走っていたという BOB は、勾配のある区間だけラックレールに歯車をかませて上る。 耳を澄ませていれば、途中で音が変わるのに気付くだろう。 しかし、 BOB の勾配はあまり急な感じがしない。特にユング フラウョッホからの帰路にはなだらかに思えてしまうが、 れでも最大勾配は 120 パーミル。日本の登山電車の最急勾配 パーミルよりも急なのだ。 ・グリンデルワルト→クライネ・シャイデック 左回りの BOB に乗るなら、右側の座席がいい。終点の手前 でアイガー北壁が右側の車窓いつばいに現れるからだ 日本人観光客に絶大な人気があるグリンデルワルトの村は、 いつ訪れてもにぎやか。大型ホテルやギフトショップ、スキ ーショップが建ち並び、立派な日本語観光案内所まである。 ぜひ滞在して、周辺のハイキングコースを歩いてみたい。 こから先は、全線がラックレールのヴェンゲルンアルプ 鉄道 (WAB) となる。クライネ・シャイデック経由でラウター カレンネンまで全長 19.1 。世界最長の登山鉄道だ。 グリンデルワルトは斜面の中腹に開けた村であるため、駅 をあとにした WAB はいったん坂を下り、谷底にあるグルント Grund 駅でスイッチバックをして、アイガーに向けて上る。箱 根登山鉄道のように高度をかせぐためのスイッチバックでは なく、動力車を常に坂の下側にするためにスイッチバックを するわけだ。このため、もし車窓から思う存分アイガーを見 上げたければ、グリンデルワルトで乗り込む際、進行方向右 側の座席に、後ろ向きに座るといい。 クライネ・シャイデックまでの所要時間は 35 分。到着する までユングフラウとの再会はおあずけだ。 登山列車の旅 ュングフラウ鉄道グループ 069
沿線詳細ガイド 写真 / P.1 6 上 : ツウオンドラ・ト はラッチというテラス状になった村があり、ハイジの映 ンネルから出てくる線路を陸橋 ( ① ) 画の舞台になったことで知られている。 から見下ろす。わずか 1 分で下の線路 までたどり着く中上 : ツウオンド ベルギュンを出発すると、列車はすぐにアルプラシュルフ ラ・トンネルを出てすぐのポイント トにさしかかる。シュルフトとは氷河が硬い岩を削って作っ から進行方向左後ろを見上げると、先 ほど通過したばかりの陸橋を見るこ た峡谷のことだ。長さ 430m のグラチェラス・トンネル、そし とができる中下 : ラグノー トン て 698m のベルギュナーシュタイン・トンネルと続く。断崖絶 ネルに入る直前に通過する陸橋 ( ・ ) 。 この位置からアルブラ陸橋 1 号と道 壁をはりつくようにして、小さなトンネルや陸橋でこの区間 路、川が交差する谷の様子が一望で を克服していくのだが、左側の谷はあまりにも深いので河床 きる下 : ラグノー・トンネルを出 た直後 ( 0 ) のアルブラ陸橋 1 号のあた まで望むことは不可能だ。 5 本の短いトンネルを抜け、最後は りの景色。ここからラグノートンネル 再び 38 度のループトンネルを過ぎるとフィリズール FiIisur 駅 に入る直前の線路・がよく見える P17 プラツツ・トンネルを出たあと に到着する。最後のルーフ。線の手前から右側上方には、 12 世 びのポイントから見るべルギュンの 紀に建設され現在では廃墟となっているグライフェンシュタ 景色。奥に見える教会が 12 世紀の建 築だ イン城が見える。 ・フィリズールからクールへ ( ラントヴァッサー橋を通過 ) 進行方向左側、ソリス 駅を出発したらすぐに前半のハイライト、ラントヴァッサ 橋を渡ったら右側 ー ndw er 橋が近づく。進行方向左側の座席を確保したい。 フィリズールを出発するとすぐ、 216m の短いラントヴァッ サー・トンネルに人る。出たところがラントヴァッサー橋で、 断崖絶壁からいきなり空中に飛び出して行く感じだ。全長 017
◎列車を降りる 降車駅を知る 終点まで行くならいいが、途中駅で降りる場合は、しつか りと現在地を確認しながら行きたい。スイスの列車では、ち ゃんと車内放送をしてくれるが、その言葉がわからなければ 意味がない。なんとか町の名前だけでも聞き取ろうとしても、 一度に何カ国語かで放送されてしまうので、かなり難しい。 こはあきらめて自力で現在地点を知る努力をしよう。幸い スイスの場合運行時間が正確なので、前もって目的駅の到着 忘れずに小さな時刻表を手に入れた し、 時刻を調べておけば、時間からだいたいの現在地を知ること ができる。特に小さな駅に降りる予定の人は、駅に備えられ た路線ごとの小さな時刻表を持っていれば完璧だ。それでも 心配な人は、切符や地図を周りの人に示して教えてもらえば いいだろう。スイスの人は皆親切だ。 乗り換え時の注意 常に余裕をもって乗り継ぎができるようにダイヤが管理さ れているので、安心して乗り継ぎできる。ただし終着駅型の ターミナル駅の場合、後方の車両に乗っているとほかのホー ムに行くために時間がかかる。ホーム間をつなぐ連絡通路を 使えばいいのだが、階段を使わなければいけないので、大き な荷物があると大変。またハプになる大きな駅では、各地か らの列車がほば同時刻に到着し、同時刻に各地へ出発するよ うなシステムをとっている。朝夕のラッシュ時には、かなり 人の移動が激しいので、そのような時間帯に大きな荷物を持 って移動するのは大変だ。 lnfoBahn 第 ) 鰤 荷物が多いときはカートを利用した 鉄道旅行術 し、 ・巖を・ぐ、てはい物名まんを S し M 以 3 ま第ー 列車を降りる し滝「 sc ⅸ e nd 町 G!e 協 eve 市 0 を引 1 ! DéfensedetraverserIesvoies ! Vietato せ 3 sare ー binari ! DO れ猷 033 物 era Ⅱ way s ! 線路を模切ってはいけません ! 乗り換えのとき線路を渡ってしまいたくなるが、線路横断は厳禁 207 ラッシュ時のジュネーヴ駅構内
登山列車の旅 ュングフラウ鉄道グループ 写真 / 上 : ユングフラウ鉄道とハイ 引いている極地犬の訓練所がある。ョッホからの帰りはこ キングコース。線路の下のコースは で下車し、クライネ・シャイデックまで 1 時間ほど歩いてみ ヴェンゲン方面に下るコース。線路 の上はアイガーグレッチャー方面に るといい。眺めは極上だし、夏なら花も多い。午後になると 向かう中 : ユングフラウョッホに 氷河が崩れ落ち、轟音が谷にこだまする。 向かう途中駅、アイガーヴァントの トンネル。窓はアイガーの北壁に造 歩き慣れた人なら、線路を渡って反対側からアイガー直下 られている下 : アイガーヴァント を歩くアイガートレイル ( アルピグレンまで下り約 2 時間 ) も から眼下にクライネ・シャイテック を望む おもしろい。首が痛くなるほどの高さにそびえる北壁に、運 がよければクライマーの姿も見えるかもしれない。 さて、列車はアイガーグレッチャーを出発するとすぐトン ネルに入り、あとはひたすら岩盤内部をよじ上る。 JB は、お よそ 50 分の乗車時間の 4 分の 3 がトンネルの中。うす暗い車 内は退屈で、ついうとうとしてしまうが、 250 パーミルという 急勾配なので、後ろ向きの座席だとお尻がずり落ちそうにな って少々乗り心地が悪い。 このトンネルは 16 年の歳月をかけて 1912 年に完成した。当 初は、ユングフラウの山頂ヘロープウェイをかけるプランや、 山頂直下まで真っすぐにトンネルを掘るプランも検討された という。これらは技術的には可能だったが、あまりにも短時 間に高所へ上るために、高山病の危険が大きいとして却下 最終的に、アイガーとメンヒの胎内を迂回するプランが採用 された。標高差約 148m に分をかけるのは、乗客の体のた めでもあるのだ。 設計者のツェラー A. G. zeller は全線開通を見ることなく、 工事途中で心臓発作のために亡くなった。彼は未来の乗客の ために粋なはからいを用意してくれていた。トンネルの途中 2 ヵ所に横穴を掘り、外の景色を見せてやろうと考えたのだ そのアイガーヴァント駅 Eigerwand とアイスメーア駅 Eismeer の停車は、 JB の楽しみのひとつになっている。 073
ビラトウス登山鉄道 スイス随一の迫力ある登山列車 AIpnachstad PiIatus KuIm Text by Kazuya Nemot0 ・亡震カれる ! ? 山カ 中世、ピラトウスへの入山が禁 魔の山としてずっとおそれられてきたピラトウス山。その 止されていた理由は、山頂に亡 独立峰の山頂は、一部が崩れ落ちたためノコギリの刃のよう 霊が現れると信じられていたか にギザギザになっている。下界から見上げると確かに異様な らだ。キリストに処刑宣告を出 雰囲気を漂わせた山だ。その伝説の山に線路が敷かれ、世界 したローマ総督ポンテイウス・ で一番勾配の急な登山列車ができたのは 1 9 年。それ以来断 ピラトウスの亡霊がそれで、各 地をさまよった挙句、この山の 崖絶壁にへばり付き、斜面をよじ登っていくスリル満点の列 頂にたどり着いたのだという。 車に乗るために、世界中からたくさんの人がここを訪れる。 方でこの山はドラゴンマウンテン 出発地はルツェルンの郊外の町、アルブナハシュタット とも呼ばれている。ピラトウスの Alpnachstad0 この町と標高 2070m のビラトウス・クルム駅ま シンポルがドラゴンなのはそのた で全長 4.6km を約 30 分で結んでいる。 めだ。山頂に住むというこのド ラゴン、一般的なイメージと異 ピラトウス登山鉄道は、車両を上から引っ張るケーカレカ なり、遭難した人を助けたり、山 ーではなく、自力で上っていく登山列車。 1888 年に完成し の麓に住む人々の役にたったり 1 9 年から営業運転を開始した。スイスではリギ山に造られ と、とてもいいャツなのだとい たふたつの登山列車に続く、 3 番目に古い登山鉄道だ。 世界一の急勾配、最高 0 パーミル ( 1 ( m 進むと 480 m 上 る ) になった理由のひとつは、距離を短くすることによって建 設費を抑えようということだった。ではなぜケープルカーに しなかったのか ? ひとつには、いくら距離を短くしてもケ ーカレカーとしては山頂までの距離が長すぎて、上り下りに 登山列車の旅 ピラトウスの伝説 ピラトウス登山鉄道 ,LUZERN 写真 / P94 上 : 切り立った岩壁に張 り付くように敷かれた線路を走る列 車下 : アルブナハシュタットにあ る出発駅。すでに線路は斜めになっ ている P95 上 : 車両の入口描かれたシンポ ルマークのドラゴン下 : フィーア ヴァルトシュテッター湖を挟んで眺 めるピラトウス。ギザギザした山頂 がよくわかる 095
・プランアルプ→プリエンツアー・ロートホルン プリエンツを出てから約 20 分。森林限界を超えて広々とし た牧草地に出ると、まもなく標高 1 lm のプランアルプ p 引 p に到着。とても鉄道駅には見えない小さな民家風の建物がか ' で 5 分ほど停車し、機関士が水を補給している わ ( 、。こ 様子を見ることができる。 BRB は単線なので、この駅で下り 列車とすれ違う。 汽車は再び広々とした丘を走り出す。目を上げれば緩やか な斜面に曲線を描いてレールが延びる。 2 台が続けて走って いるときには、互いの車両が格好の被写体となる。目指す山 の稜線に目を凝らせば山頂駅とホテルが見える。あんな高い 所まで上るのだ。斜面に見えるむくむくとした白い塊は、草 を食む羊。あちらこちらからカウベルの音も響いてくる。牛 たちは線路のすぐ脇に寝そべっていたり、線路を横切ったり、 ときにはレール上で昼寝を決め込んでいたりする。どうやら こちらも牛歩なのを知っているらしく、ギリギリまで粘って いるが、プホーツと汽笛を鳴らされると、ようやく重い腰を 上げて去ってゆく。 やがて最後のトンネルに入り、この中で大きくターンすれ ば、終点はすぐそこだ。 写真 / 上 : 山頂周辺ではアイベック スをよく見かける下 : ブリエンツ ァー・ロートホルン駅の近くからブ リエンツ湖を見下ろす。雲かイ氏く湖 が見えないときでも、雲海の上にべ ルナーアルプスの大バノラマが眺め られることもある
う第を。 沿線詳細ガイド 色が見もの。底の見えない深い渓谷の断崖絶壁を、短いトン ネルと小さな鉄橋で縫うようにそろそろと進んでいく。対岸 崩落の危険性は以前から指摘さ れており、住居などはまったく にはツェルマットへ向かう自動車用の道路も見られるが、 ない場所だったが、その山崩れ ちらも目もくらむような断崖を縫うように進んでいる。 がいつ、どれくらいの規模で起 カルベトラン lpetran 駅から小さなゴンドラが山の上のほ こるのかは誰にも予想できなか うへ向かって延びている。このあたりには家はあまりないが、 った。崩落した土砂は川を堰止 実は集落はこの谷のずっと上方の日当たりのよいアルプに広 め、巨大な池を形成しはじめ、上 流にあったランダ駅は瞬く間に 2 がっている。ゴンドラで上ったエンプト Embd 村はスイスで一 m も水没。このままではツェル 番勾配のきつい村として有名だ。 マットまでが水没か、という話 やがてマッターフィスパ川は次第に河床を上げ、列車は川 になった。すぐにスイス軍が出 を反対側に渡る。 こからはキーフェンシュルフト KipfenschIuft 動。水路を確保し、水没は回避 と呼ばれる谷。山が両側から迫る荒涼としたところで、断崖 された。ただし、今でも山崩れ の危険性があるので、各所に設 を見上げるといく筋もの土砂崩れや雪崩の跡が見える。また 置されたセンサーが岩の細かな 川の中にも、転け落ちて来たに違いない数 m の岩がゴロゴロ 動きの監視を続けている。 している。 次のヘルプリッゲン Herbri en 駅を過ぎると、前方に大き な山崩れが見えてくる。 1991 年 4 月 18 日と 5 月 9 日、同じ場 所で 2 回にわたって大規模な山崩れ、というよりは山の大崩 写真 / ヘルブリッゲンとランダの間 で見られる、 3000 万立方メートルも 落が発生し、道路は約 150m 、鉄道線路は約 250m にわたって の岩が崩落したという現場。実際に その土砂に飲み込まれた。道路、鉄道の付け替えの緊急工事 目にすると、その規模に圧倒される 033 大崩落とその後