わす 空、青くないぜ、黒いよ。ぼくは、仕事のことなんか忘れちゃって、空ばかり見てた。 ( 死ん だら星になるんだ ) と思っちゃったなあ。それに、ふわふわ浮いてる雲がきれいでねえ。ぼく たち、すぐそばを通ったり、中をつきぬけたりしたんだよ。ヒッジみたいな、かわいいむくむ くしたやつなんかいて、喜々として遊びたわむれてるのさ。雲って、ほんとに乗れば、乗れそ 0 うだね。ひざぐらいまで沈んじゃうかもしれないけれど : にいさんは、あるとき、こういって、チラといみありげにノンちゃんを見ました。 ノンちゃんは、ハッとして、知らぬまに、別のことをきいていました。 ひ・ : フき じようしさっげんど 「にいさんたちに想像できる飛行機の上昇限度って、どのくらいのもの ? 」 むげん 「さあ : : : だから、ぼくは無限っていいたいんだよ。星になるまでさ。」と、にいさんは笑って 答えました。 せんそう けれど、かなしい戦争はかなしいおわりをつげ、星にならなかったにいさんは、ふたたび家 に帰ってきました。そして、またもとの学生生活にもどり、ときどきは、 「ちがうよ、その E s は da s s 以下をうけるのさ。」 というようなむずかしいことを、ノンちゃんに教えてくれます。 きゅうちょう ノンちゃんは、とうとう一度も級長にならなかったにいさんが、そのまるつこいからだで、 なんかんもくもく とつば 男の子を待っている難関を黙々として突破し、このごろでは、おとうさんに、 要 : フそ・フ しず わら 273
ちょうきち ( おや ! ) というように、長吉の目がまるくなりました。 わら ノンちゃんは、また笑って、 ( いっ帰ってきたの ? 星、もらってきた ? ) ちょうきち ( おやおやおや ! ) というように、長吉はロまであけました。 どこを見てるー・」 教壇から、一日に何回となくかかる声がかかりました。 ノンちゃんは、ハッと首をちぢめました。 つけられちゃう : 胸かドンドン鳴りました。 ちょうきち けれど : : どうしたのでしよう、長吉はいつまでたっても、いつものように、 たしろ 「せんせ工、ぼくじゃないんですう、田代君がわるいんですう。」といいませんでした。 ちょうきち 長吉は、だまっていました。 先生は、もう一度かるく、 ちょうきち 「あ ? 」とききましたが、長士口がじっと本を見つめて動かないものですから、そのまま、お 話は先へすすみました。 ノンちゃんは級長の席で、カメの子のようにちちこまり、ドキドキ、ドキドキしながら、心 むね せき 264
たりにいるはずです。ところが、いたずら坊主なので、小さい者より前に出されているのです。 これまでノンちゃんにとって、この頭は、教室じゅうでいちばんーーーというよりも、ただ一つ そんざい の目ざわりな、いまわしい存在でした。 けれども : : : きようはちがいました。きようは、ノンちゃんは、なっかしいような、ハッと するような気もちで、その頭をわざわざ見たのです。 ちょうきち ちょうきち ( 長吉 ! ) ノンちゃんは、、いの中で、小さくよびました。きようにかぎって、長吉とよびすて ちょうきち にするのは、なんだかすまないような気がしましたが、でも、「長吉さん」などといったら、 かえってばかにしたことになるでしよう。ノンちゃんは、やつばり町じゅうの人がするように、 ちょうきち したしげに「長士ロ」とよびました。 ちょうきち それがきこえたのかどうか、長吉は、ニュッと左手をあげ、ごしごし、耳のあたりをかきはじめ ました。それから、ねむそうにあくびをしながら、うしろをふりむきました。 ちょうきち ( 長吉 ! ) ノンちゃんは、心の中で、大声をあげました。 ひょうし ちょうきち その拍子というわけでもないでしようが、長吉はひょっと目をあげ、あちこちきよろきよろ とちゅう 見まわす途中、すぐ、首をのばしてそっちをのぞいていたノンちゃんと目を合わせました。 ノンちゃんは、思わずにこっとして、頭をさげました ( こんちは ! ) 263
「あざぐらいですめば、 レいけれど、けがでもすると、おたがい ( ここまりますからね。」 、ましたから、 「とんでもねえやろうだ ! 」と、うえせいさんは、ほんとにおこったようにいし ちょうきち 家へ帰って、うんと長吉をしかったにちがいありません。 ちょうきち ちょうきち ノンちゃんは学校のいき帰りに、長吉の家の前を通るから、よく知っています。長吉の家で は、じつによく子どもをしかります。いっかもおっかさんが、おそろしい声でどなっていました。 ちさっきち さとう しさっゅ 「長吉 ! / よぜ返事をしないッ ! 餅には砂糖をつけるのか、醤油をつけるのかツー そういうことでさえ、あんなさわぎをするのですから、ノンちゃんに石をぶつけたのでは、 ちょうきち どのくらいこらしめられたものでしよう。それ以来、長吉は、ノンちゃんにはけっして石をぶ つけないで、いじわるをします。たとえば、こんな歌をうたったりします。 「ノン公ノがつくノンざえもんノにかけてノンちやかノンちやか、わー こういうとき、いくらおかあさんの つけでも、相手にせず、と、とおりすぎることはむ ずかしいと、ノンちゃんは思うのです。 お友だちというものは、こういうことをするものでしようか : 「あ ? 友だちで、まことにつごうがよかったなあ ? 」 雲の上のおじいさんは、もう一度そういって、ノンちゃんの返事をさいそくしました。 「ええ : : : おんなじクラスだけど : : 」ノンちゃんは、首をかしげながらいいました。「でも :
ちょうきち だから、やつばりいまは、長吉がだまっていてくれたほうがいいのです。ノンちゃんが、も う少し大きくなって、もう少しじようずに「雲の上」の話ができるようになるまでは。 ちょうきち わっしん ノンちゃんは、そっと本から顔をあげ、熱心にお話をつ・つける先生と、それから、長吉の後ろ ちょうきち すがた 姿をぬすみ見ました。本をじっとにらんでいるらしい長吉の頭が、いつもとちがって、どっし りとたのもしげに見えました。 ろうか 四時間めのおわるころ、廊下のガラス戸のそとにおかあさんの顔がチラチラしました。ノン べんとう ちゃんのようすを見ながら、お弁当をもってきてくれたのです。おかあさんは、ノンちゃんの 元気なのにすっかり安心して、おじいちゃんといっしょに帰っていきました。 じゅ工う 三、四人のお友だち やがて、その日の授業もおわりました。ノンちゃんがいつものように、 ばんしゅん と校門を出たのは、うらうらとした晩春の午後でした。お友だちの話も足どりものんびりして とちゅう いました。途中でひとり、またひとりとさよならをして、原山の上までくれば、あとは、ノン た・ ちゃんだけです。ノンちゃんはそれから先、道ばたのレンゲや菜の花にとまるチョウチョウに も目をくれず、まっすぐ前をにらんでいそぎました。 はらやま ひかわさま 原山をすぎれば、あいだにへだてる何ものもなく、広い畑のむこうに氷川様の森がこんもり はちょう と望まれます。ノンちゃんの小きざみの歩調はいよいよ早まり、やがて、その小さいからだは、 森のかげにつつまれました。が、 森にはいるが早いか、ノンちゃんは家のほうへはいかずに、 のぞ はらやま
先生は、お友だちのように笑っておじいちゃんと話してから、ノンちゃんを見おろすと、ゆっ くりうなずき、 「それでは、きようから、うしろの席だよ。」 ノンちゃんは、先生におじぎをし、いちばんうしろの、いちばんおくの席につきました。 はーしー物し、 それは、土曜日まで、橋本さんの机でした。 ノンちゃんは、しずかにいすをひきだし、 かけながら、またあの橋本さんのいつもおちつい て、だれにもしんせつだった、りつばな態度を思いだしました。そして、ちょっと身ぶるいの ようなものを感じました。こんどから、ノンちゃんが橋本さんにかわって、みんなにそうしな ければならないのです。なんでも一生けんめいせよ、と、おかあさんはいいました。 筆入れと本だけ出して、ほかのものはしまい いま勉強しているべージをきっちりあけると、 さて、いつもとちがって見える教室を、そろッと見わたしました。 じゅん ノンちゃんは、体操の順からいえば、ビリにちかいのですから、すみからすみまですうと見 せき わたしてしまうというわけにいきません。けれども、ノンちゃんの席から、すっかりななめに はしれつ あたる、いちばん端の列の、いちばん前にすわっている生徒の、はげのある頭だけはよく見えま ちょうきち した。その頭は、ほかの人より、ぬっと上に出ていました。それは長吉の頭でした。 ちょうきち 長吉は、体操の順からいえば、一ばんですから、ほんとなら、いまノンちゃんのおとなりあ ふて じゅん わら せき せき
ね : : : それから、まだわかるとこないかと思って、もう少し見てたら、『オカアサンニカテモ ラウモノオトウサンノトオンナシマネシッリ ュセンケジドウシャ』なんてのが出てきたの。 それで、ああ、これはまちがいなく、うちのタケちゃんのだなと思ったから、おかあさん、き れいにふいてとっておきましたよ。あれはね、タケちゃん、まねしつでなくて、まんねんひつ。 それから、りゆせんけでなくて、りゅうせんけい。」 おかあさんは、まっかになって笑いながらいいました。 にいちゃんもまっかになって、おかあさんの話がほかの人にきこえないように、どなってい ました。 「ずるいや、するいや ! 」 ちょうめん 「だから、こんどから、帳面にはみんなお名まえを書いとくの。そうすれば、だれも中まで見 はねお やしません。字も、もっとちゃんと書かなくちゃ。おかあさん、読むのに骨折っちゃった。」 「ずるいや、みんな読んじゃったんだ ! 」 「『べエゴマノヒミッ』って、なんだい。」と、おとうさんが、やつばり笑いながら聞きました。 「シバイタョ。」にいちゃんは、急に小さい声になりました。 「どこでするんだ ? 」 「田村君とこの物おき。」 わら わら
「あっはつはつはー 「ホホホホホ ! 」 わら また笑い声がわきたちました。 ノンちゃんは、はずかしいのとおかしいのとで、おじいさんの腕のかげにかくれ、キュッキ ュッと笑いました。 ちょうきち ふくれているのは、長吉だけです。 すこしすると、おじいさんはさもくたびれたように、はアはアしながら、 「ああ : : : ひさしぶりで気もちよく笑ったよ。子どもは、 しいなあ ! わしも子どものときを思 しゅめ いだしたんじゃ。遠い昔の夢じゃよ。」 そして、おじいさんは、ちょっとじゅばんのそでをひきだして、おかし涙をふきました。 なんていいおじいさんだ、と、ノンちゃんは思いました。はじめてあう人なのに、ちっとも よっや はずかしくなんかありません。まるで四谷のおじいちゃんとお話しているようです。そうだ。 よっや 四谷のおじいちゃんが、ふざけてこんなかっこうしてるのかな ? ノンちゃんは、そっとおじいさんの顔をぬすみ見しました。でも、ちがいました。頭もひげ もまっ白なこのおじいさんは、四谷のおじいちゃんより、二倍も三倍も年よりに見えます。そ わら よっや わら うて
「おじいさんがうそのつきかたを教えてやりやいいんだ : 小声でひそひそ、そんなことをいっているのがきこえます。 ちょうきち 「おもしれえぞ、うまくだまかしたときは。」と、大声でいったのは、長吉です。 びよういない 「じゃ、つきはじめ ! 三十秒以内に、つきはじめ ! 」と、おじいさんがいいました。 ノンちゃんはうつむいて、半分、雲にうずまっているひざの上で、両手をもんだり、ほぐし むね たりしました。胸がドキドキしました。なんておそろしいことになったのでしよう。自分の一 生にこんなことがあろうなどと、ノンちゃんは夢にも思ったことがありませんでした。みんな でノンちゃんがうそをつくのを、待っているのです。 うそはお話とちがって、いくら考えても、なかなか出てきませんでした。 びよう 「あと十五秒 ! 」おじいさんがいいました。 びよう びよう びよう 「あと十秒ー : 五秒・ : : ・三秒、二秒、一秒、だめ ! 」おじいさんは、あきれたようにいし 「こりや、なんじゃい だめか ! 」 ノンちゃんは、かなしくうなずきました。 「おかしいな : おまえ、うそっくの、いやだ、いやだと思っとるんじゃないか ? それだ から、出てこんのだろう。なぜそうきらいだ ? だれかにそういわれたな ? 」 おじいさんは、ノンちゃんのほうへ、ひとひざ、にじりよりました。 びよう びよう 234
「ふむ・ : ・ : 」と、おじいさんも笑いながら、「おもしろいな。 るいところないかな ? ・」 ノンちゃんは、じっと考えてから、「とってもらんぼう。」 「ふーん ! どんならんぼうをするね ? 」 「あたしのことね、どーんと投げとばしたりするの ! 」 おじいさんは、。、ツと目をかがやかしました。 しんばい 「ほう、そいつア : : 」ゆかい というのかと思って、ノンちゃんがむ配して見ていると、お じいさんは、ごっくり、つばをのみこんで、「ちとらんぼうのようじゃなあ。ちょいちょいや るのかい ? ・」 「ううん、そんなにちょいちょいじゃないけど : : : あたしが学校へいくようになってから、そ んなことはじめて : : : もう三度もやったの。」 「ほう、すると、一学期に一度というわりあいだな ? だが : : : そんなとき、おかあさん、と めないかし ? 」 「とめるときもあるけど : : : でも、たいがい、あっというまにやっちゃうから、まにあわないの。」 「ほう ! 早わざだな ? じゃ、あとでお小言もらうのか ? 」 「ええ : : : でもねえ、にいちゃんは、しかってたら、きりがないから、しからないし、ノブ子 わら : で、まだ、 にいちゃんのわ 153