しトフぶまち ノンちゃんのにいちゃんは、ノンちゃんより二つ年うえの、ちょうど十歳、菖蒲町の小学校 はんみよう しいますが、いつもタケちゃんとよぶのは、ほとんど、 の四年生です。本名は、田代タケシと、 おかあさんひとりといっても、 ししくら いろんな名まえをもっています。時間にかぎりがあ 三についてしか、お話できないのは、まことにざんねんです。 りますから、おもなもの、二、 と、お にいちゃんが生まれてから、まず最初に自分の名まえとしてつけてもらったのは ことわりするわけは、にいちゃんも生まれてから六日間は、、 との男の子にもあてはまる「赤ち ゃん」とか「坊ちゃん」とかいう名でよばれていたからですーーーもちろん、本名のタケシでし ばうず た。けれど、すぐそのあとを追っかけて、「根っこの坊主」という、最初のあだ名をもらいま はんみさっ した。名づけ親は、本名のときと同じく、おじいちゃんでした。 にいちゃんは生まれて以来、いつもいつもふとってばかりいて、ノンちゃんのように、やせ たりふとったりしたことはないのです。生まれたてのときにもう、その首、その胴、その手足、 ノンちゃんのお話 ( にいちゃんーにいちゃんのあだ名 ) おや たしろ さいしょ さいしょ はんみよう 113
まぶしい、まぶしい とてもちゃんとなんか目をあけていられません。けれど、ノンちゃんは、 もう雲の上にいるのではありませんでした。頭の上は、もう広い青空ではなく、ロバのかっこ もくめ てんじよう うをした木目さえ見なれた家の天井です。ノンちゃんは、いつもひるま勉強したり、夜寝たり する六畳に、おふとんをしいて寝ているのです。でも、からだは、まだ雲に乗っているように、 ふうらふうらしていました。なんというふしぎなことでしよう。 おかあさんは、ノンちゃんの額を手でおさえ、目や鼻がバラバラに見えるくらい顔を近よせ、 「オカアサンデスョ。」 「む : : : 」ノンちゃんは、笑いながら目をつぶりました。「わかるよ。」 「ネムイ ? ・」 「ねむかない。でも、まぶしいから : : : それに、あたし、くたびれちゃった ! 」 「ソウ ? ・ジャ、シズカニネマショウネ。」 おかあさんは、そっとノンちゃんの肩をなではじめました。 みよう でも、妙なもので、あたりがしんとしてくると、ノンちゃんは、なんだか、からだがむずむず してきて、またそうっと目をあけて見ずにはいられませんでした。 左わきには、おばちゃんがだまってすわっていました。おばちゃんも、目をまっかにしてい ばん ます。おばちゃんのひざのところに、白いふきんをかけたお盆がおいてあり、くすりびんが半 わら
を見たとき、ノンちゃんも、どんなに乗ってみたいと思ったでしよう。けれども、おかあさん が、乗ってはあぶないといいました。 にいちゃんは、さわったらぶんなぐるといいました。 そこで、ノンちゃんはしかたなくその日も、にいちゃんがせまい庭を、竹馬でのつしのつし えん にいちゃんはおちると大いそぎ 乗りまわるのを、うらやましく縁がわから見物していました。 で、サザンカの木までかけていってまた乗るのでした。そして、カップシかきやら、片足だち ひじゅっ やら、秘術をつくして見せてくれました。 みよう ノンちゃんは朝から、妙にからだがだるかったのです。ぞくそく寒いような気もしました。 ざしき けれども、おかあさんが一生けんめい、お座敷の戸棚を片づけていましたから、できるだけお かあさんのじゃまをしないようにして、おひるからは、にいちゃんの竹馬を見物しました。 そのうち、 「ノンちゃん、どうして、そこ、みんなしめちゃったの ? 」という、おかあさんの声で気がっ ゼんぶ くと、朝からあいていた南がわのガラス戸は全部しめてあって、ノンちゃんはそのうちの一枚 にすがりつくようにしながら、ほっ。へたをびったりガラスにあてていました。 わら 「寒いから。」と、ノンちゃんがいうと、おかあさんは笑って、 「きようはあたたかいのよ。それに、もう少しすると、ここのごみを掃きだすから、あけとい てちょうだい。」 かたあし
にいちゃんだって、まえにはよく、ノンちゃんといっしょにままごともしたものです。四谷 にいたときなんか、おじいちゃんの家や、ノンちゃんの家のサザンカの木の下などで、大ぜい 集まって、さかんにしたものです。 けれど、こっちへひっこして来てからは、ノンちゃんにお友だちがないのに、ふつつりあそ んでくれなくなりました。でも、ごくはじめのころは、田村さんがあそびにきた日など、雨が みせ 降ったりすると、三人でお店ごっこやお客さんごっこもしました。 ところが、いっか急にいやだといいだしました。 にいちゃんは、ある日、学校からかえってくると、ごはんをたべながら、ノンちゃんの顔を つくづくとながめていましたが、「おかあさん、ぼく、いままで気がっかなかったけど、ノブ子、 ずいぶんへんな口のききかたするんだねえ ? 」 ノンちゃんは、にいちゃんが、何をいいだしたのかと思って、びつくりしました。 わら 「きよう、ぼく、こまっちゃったよ。田村君が帰りに、笑っちゃって動かないんだもの。ノブ 子が、こないだ、ままごとしたときね、『ゴメンケラーサイ』っていったっていうんだよ。『ゴ メンクダサイ』のことだよ、おかあさん。ずいぶんへんだろ ? 」 ノンちゃんは、そんなこと、いやしなかった、といいました。 たむら よっや 147
で引きよせました。それから、腰の手ぬぐいをはずすと、ノンちゃんの鼻をつまみ、 「チン ! としろ。」 ノンちゃんは、チン ! としました。 はながあとからあとから、ひっきりなしに出だしたのは、このころからです。 おとうさんは、その手ぬぐいで、ほかのところもなでまわしながら、 「なんだい、ノンちゃん、おかあさんが東京へいったぐらいで、二年生が : 泣いてどうする ? おかしいぞ。」 「あた、あた、あたしにだま、だま、だまっていっちゃったあ : しゃなしか。すぐ帰ってくるとさ。おばちゃんとおとなしく待っといで。」 おとうさんは、さもなんでもなげにいいました。 ノンちゃんは、なまぐさい手ぬぐいを振りはらい にいちゃんはつれてったあ : てんらんかい 「ああ、にいちゃんは、こないだ、発明展覧会を見にいこうって、春ちゃんから手紙がきたか うちで、おばちゃんとあそん らね。おまえ、そんなとこへいったって、しかたがあるまい ? でるほうが、どのくら、 ししいカわからない」 せつめい そして、おとうさんは、この説明で、ノンちゃんにすっかりわけがわかってしまったかのよ こ はな : 級長がそんなに 0
とうさんが、どうしても見せたほうがしし 、というので、お茶わんが片づいたら、その証拠の品 は、にいちゃんの目の前にひろげられることになりました。 おかあさんがそのきれをとりに奥へ 、ってるあいだ、ノンちゃんの胸は、ドキドキ、ドキド キ鳴っていました。ああ、何もかもわかってしまうのにー にいちゃんはなぜ逃げださないで、 どっかりすわりこんでいるのでしよう。 おとうさんとノンちゃんと : : : それから、にいちゃんが、じっとすわっている目の前へ、お かあさんは、そのきれいなきれを、ふわっとおきました。 すると、ありました。やつばり、ありました。電気の光りで、うすくぼやけていましたが、 それでもちゃんと子どもの足あとが、赤地に白く染めぬいた「寿」の字をふみにじって、つい ていました。足をあててみる必要もありません。それがノンちゃんのでない証拠には、そのそ にいちゃんの忠僕の足あとが、ウメの花のようにちらばっていました。 おとうさんはだまって、そのきれを見ていました。おかあさんもだまって見ていました。ノ ンちゃんもだまって見ていました。 とっぜん そのうち、突然、にいちゃんのひざがギュギュッと動き、 : 」というような声がしました。 ノンちゃんがおどろいて見あげると、にいちゃんのくちびるがへの字にまがり、クワッと見 ひつよう ちゃ ことぶき むね 176
て、けれども、とてもとてもうれしそうに立っていました。なんだかりつばに見えました。ほ かの人たちは、やはり、ふわふわ、キラキラしていて、はっきりは見えませんが、ななめ上の ほうが細ながくなって、さかんにチラチラ動くのは、手をふっているのでしよう。 「さよならー・」 「さよなら ! 」という声が、風に送られて、すぐ耳もとでします。 ちょうきち 「さいならア ! 」長吉の声が、ひときわ大きくきこえました。 「サヨナラアリ」ノンちゃんも、できるだけ高い声をだして、さけびました。 けれど、またたくまに小雲は親雲をおいて、風のように走りだしました。おじいさんのひざ あんらく に乗り、しつかりつかまっていると、安楽いすというものに腰かけて飛んだらこんなだろうと きゅうてんかい 思われるほど、らくでした。ときどき、急転回して、雲はゆらゆら大きくゆれます。そんなと とら き、ノンちゃんとおじいさんのあいだに風がはいると、ノンちゃんの首は、はりこの虎のよう にゆすぶられます。ノンちゃんはまたおおいそぎで、おじいさんの胸のかげにかくれました。 じそく 「時速十八キロ ! 」おじいさんが、ノンちゃんの耳の中へどなりこみました。風がバアバアす るので、そうしなければきこえないのです。 せきうん 「積雲としては、相当なスビードじゃ。 が、 , もっといそお \ か ? ・」 ノンちゃんは、こわごわおじいさんのひざにのびあがり、どなりかえしました。 むね
ノンちゃんの目とロカノ ; 、。、ツとあきました。「おかあさんは ? 」 おばちゃんは、またチラとおとうさんを見て、こまったように、 「あの : : : おかあさんね、ちょっとご用ができて、東京へいらしったの : ノンちゃんは、目をまるくしたまま、しばらくじっとしていましたが、やがて、少しふるえ よっや る声で、「四谷で : : : だれか病気 ? 」 わら おばちゃんは笑いました。 でもね、ノンちゃんたち、どんどん大きくなるでしよう ? だから、買いもの 力しつばいたまっちゃったんですって。でも、おおいそぎですまして、あかるいうちに帰って きますって : : ちゃん : : : は ? 」と、聞いたノンちゃんの声は、まえよりもふるえていました。 「タケちゃんもいったの : ノンちゃんはうつむいて、ごはんをたべはじめました。 おばちゃんはなぐさめました。 くら 「おかあさんね、ノンちゃんがちょっとあそんでるまに帰ってきちゃうんだって。暗いうちに、 お茶づけたべて出てらしったのよ。だから、おばちゃんと何かしてあそんでましよう。 0 、、 てしょ ? ・」 7 ケちゃんだけお泊まりして、あした、おじいちゃんに送ってきていただくの
沈まないのです。 「雲ぐっよ。」おじいさんは、おだやかに答えました。 さて、おじいさんの手にすがり、なおも苦心さんたん、三メートルほど進むと、そこで、お くまて あな じいさんは熊手の柄を雲につきたて、小さい穴を二つつくりました。それから、ノンちゃんを あな 抱いて、足をその穴へつつこませ、トンと、軽くノンちゃんのおしりで雲をたたき、からだを おちつかせてくれました。 あな 「らくちんじやろう ? 」おじいさんは、自分もとなりのへこみへ腰をおろし、ずっと大きな穴 へ足をつつこみながら、笑っていいました。 ノンちゃんは、汗ばんだ額の髪をかきあげながら、うなずきました。 「ええ、とっても。」 雲の乗り、い地は、しいていえば、氷川様の森でハンモックに乗るのとちょっと似ていますが、 あんなにきゅうくつでないうえに、からだもいたくありません それから、ノンちゃんは、急に思いだしていいました。 「おじいさん、さっきあたしがしてたのね、とびこみよ。はじめ、スワン・ダイブ三度して、 わす それから、ジャック・ナイフして : : : それから : : : あんまりたくさんしたから、忘れちゃった ! 」 おじいさんは、ゆっくりおなかをゆすりながら、おじいさんらしい > い声で笑いました。 しず あせ わら かみ ひかわさま わら
わす 空、青くないぜ、黒いよ。ぼくは、仕事のことなんか忘れちゃって、空ばかり見てた。 ( 死ん だら星になるんだ ) と思っちゃったなあ。それに、ふわふわ浮いてる雲がきれいでねえ。ぼく たち、すぐそばを通ったり、中をつきぬけたりしたんだよ。ヒッジみたいな、かわいいむくむ くしたやつなんかいて、喜々として遊びたわむれてるのさ。雲って、ほんとに乗れば、乗れそ 0 うだね。ひざぐらいまで沈んじゃうかもしれないけれど : にいさんは、あるとき、こういって、チラといみありげにノンちゃんを見ました。 ノンちゃんは、ハッとして、知らぬまに、別のことをきいていました。 ひ・ : フき じようしさっげんど 「にいさんたちに想像できる飛行機の上昇限度って、どのくらいのもの ? 」 むげん 「さあ : : : だから、ぼくは無限っていいたいんだよ。星になるまでさ。」と、にいさんは笑って 答えました。 せんそう けれど、かなしい戦争はかなしいおわりをつげ、星にならなかったにいさんは、ふたたび家 に帰ってきました。そして、またもとの学生生活にもどり、ときどきは、 「ちがうよ、その E s は da s s 以下をうけるのさ。」 というようなむずかしいことを、ノンちゃんに教えてくれます。 きゅうちょう ノンちゃんは、とうとう一度も級長にならなかったにいさんが、そのまるつこいからだで、 なんかんもくもく とつば 男の子を待っている難関を黙々として突破し、このごろでは、おとうさんに、 要 : フそ・フ しず わら 273