ぞうすい 煮立った雑炊のまわりに腰をおろそうとしていた一同が、 / しっせいに橋のほうへと目をむける。 「ほんとだ。あれはきっと、美枝子のお父さんだぞ」 「ほんとだ。ほんとだ。美枝子のお父さんが せんち 戦地からもどってきたんだ」 「ははは、美枝子のやっ、お父さんに会えたんだ」 きしべ 子どもらは岸辺に走って立ちならび、 とびはね、手をふりつつ、 「お 1 い美枝子ー 「美枝子。そのひと、美枝子のお父さんか」 「おまえ、お父さんに会えたんか」 ーむこうに呼びかけた。 「そうよ。お父さんに会えたの」 美枝子の小さな声は、みんなに届かなかった。でもお父さんの腕をかかえこんでいる美枝子のそ よろこ ぶりか、かくしようのない喜びをあらわしていた。 なかま 美枝子がお父さんの腕をかかえこんだまま、仲間たちのほうへ引き返しだす。 みえこ うで 3 〇び 第 冖
みんなが手をふり、呼びかける。 さくらいみつお 桜井光男も手をふりかえしつつ、足ばやにやってくると、 「全員そろってるな。よかった、よかった」 じゃれかかる子らの頭をなでたり、肩をひきよせたりしている ぐんたい 、も、つふ 「軍隊から払い下げてもらった毛布を持ってきた。 二枚しかないけど、小さい子に」 みつお 光男はいって、まるめた毛布を真弓にさしだした。 「ありがとう」お礼をのべる真弓につづいて、 「桜井さんよ、ありがとう」 ひろひこふし 広彦が節をつけて歌った。 「桜井さんよ、ありがとう」 いくにんかが、すぐに声をそろえて歌いだす。 「桜井さんよ、ありがとう」 「一銭ポリよ、ありかとう」 とくりかえし、子どもらは二人の大人をかこんで、 ひょうきんな身ぶりでおどりまわっている。 いっせん まゆみ 3 乙 1 ノ
かわらまち あくる日になって河原町に引き返した敏子だけど、家は焼けていて、それきり家族のゆくえはわ からない みえこ ( のぞみをかけたら、美枝子ちゃんみたいにつらくなるもん。あれだけ人が死んだのだから、きっ とわたしの家族も死んでしまったのよ ) 二年生の頭で、谷口敏子はそう決めこんでいるのだった。 しんばうづよく校庭に這いつくばっていた敏子だけど、目をあけたときから、敏子の世界は変わ りはてていたのだ。 ここは父さん母さんのいる町 まつおかじゅんさ もとやすがわ みんなで海へむけて歩きだそうとしたときだ。自転車をぎくしやくさせて、松岡巡査が元安川の 土手をさかのばってきた。 まつおか 「あ、松岡さんだー 「松岡さーん」 0 「一銭ポー 一銭ポ 1 リ」 よ てんでに呼びかけ、手をふりながら走りよる。 いっせん としこ 199
よ、つ一 せんりようぐんしんちゅう んなにこわい占領軍が進駐してくるのかと思っていた。でも彼らは陽気に歌をうたい、子どもたち を見かけるとさかんに手まねきする。みんなは かしおんけい これまでも二、三べんお菓子の恩恵にあずかっていた。 やってきたのは、の腕章をつけた三人の兵士だ 「ヘイ、リトルポーイ」 ももいろ 桃色の顔の兵士がよびかけ、さっそくビスケットや ガムやチョコレートを土手にばらまいた。わっと 男の子らがそれらをひろいあつめる 「ヘイ、カモン。プリティガ 1 ル」 あら 黒い顔の兵士が、洗いものをかかえこんだ 女の子らによびかける。ついで、ビスケットの まゆみ 赤い箱が真弓の足もとまでころがってきた。 「だれに許可をとって、わたしに話しかけてるの」 真弓が、にらむような目つきで兵士らを見かえす。ロ廛 じそんしん 投げてよこしたものをひろうのは、真弓の自尊心が としこ ゆるさない。真弓がひろわないから、美枝子も敏子も エムピー わんしよう みえこ 、 D
この地下のねぐらでは、孤児たちは、大きなトカゲを一びき、ヤモリを二、三びき、ねずみを四 ひき、ムカデを五ひき飼っていた。ひょっとしたらダンゴ虫も飼っていた。 九人の孤児たちは協力して食べものを確保するけど、これ らの者たちは、かってに食べているらしいともあれ、 ざんがい いっしょに仲よく残骸の建物で生きていた。ある子がほか の子らに話を聞かせているとき、ヤモリやねずみやトカゲ たちも、おとなしく聞いているのだろう。 その夜、広彦はお母さんの夢をみた。 「広彦。はやく母ちゃんを見つけて」 夢の中のお母さん声が、遠いところから呼びかける ように広彦の耳にとどいた。 朝がくると、広彦は真弓たちにつげた。 なかじまちょう まく、きようはひとりで中島町に行ってくるから。 しよくりよう 食料あつめは、よろしくな」 まっしぐらにわが家の焼けあとにかけつけた広彦は、 かわらをとりのぞき、木切れで土くれを掘りかえしはじめた。 きようりよく 、か / 、ほ Ⅱ 4
ちよきんきよく ふく また貯金局のビルにもどってきた。着ているものはほこりまみれだ。敏子が、ひとりひとりの衣服 をはたいてやってる。 「おい、モグラども きんこ 一階の金庫の中であぐらをかいている義則が、はやばやと 地下のねぐらにひきこもった子らに呼びかけた。 「出てこいよ。はれた夜は、そとで寝るのも気持ちがいいも んだぜ」 真弓がいなくなってしょんばりしていたみんなが、その気 もとやすがわ になった。ビルからふみだし、元安川の土手つぶちまでやっ てくる 草むらにねころがって空をあおげば、星という星がぜんぶ 出そろってきらめいている。そして地上いちめんは、くずれ / 一おちたビルの骨組みが残っているだけの、まっくらい焼け野 ばくしん 原だ。いや、電気もようやく復旧して焼失をまぬがれた爆心 地から遠くの家いえには、ちらほら灯りがともっている しようど あの灯りのひとつひとつは、焦土の中にも人びとの生活が ふつきゅう としこ あか しようしつ
まゆみ しんべい 晋平が真弓を見あげ、鼻にかかった声でいってる。ほかの子らも思いは同じだ。 「しつけのいい子は、長居をしないものよ」 まゆみ 真弓はみんなを手まねきしつつ、 まつおか 「松岡さん。お風呂にいれてもらって、ありがとう ) 」ざいました」 お礼をのべると、さっさと歩きはじめた。 「松岡さん、ありがとう」 一銭ポーリ」 「一銭ポー丿 橋をわたりながら呼びかけ、手をふり、子どもたちは川むこうのねぐらに帰っていった。 ばくは桜井療男だ そのあくる日もいい天気だった。空もまた、体の垢をすっかり洗いおとした子らとおなじように、 ひとかけらの雲もない。 きせつ 季節はもう、夏という名前を失いかけていた。九月にはちかいないけど、きようか九月の何日か 知ってる子はいないそれに、時間が長かろうと短かろうと、みんなはちっとも気にしていなかっ た。もともと時間というものは、仕事や目的のある人間が長い短いを感じるのだ。自由であけすけ いっせん ふろ お な力い うしな あか
まつおか 川むこうから松岡さんが呼びかけた。 みんなが橋をわたってかけつけると、アカコは松岡さんと風呂に はいっていた。赤レンガにのつかったドラム缶の風呂だ。 「わあ、いしな、いいな。アカコは」 一銭ポ ] リ」 二銭ポー 「おう、おう、お、つ」 と松岡さんはうなずきかえし、風呂をかこんで うかれさわぐ子らを柔和な目で見まわしている。 こうたい 「おまえたちも、交代で風呂にはいれ」 かんせい と歓声をあげ、みんな大よろこびだ。 さいえん 菜園のわきで体に石けんをつけて洗い、 水を足しては火をたいて、代わりばんこに風呂に はいった。ドラム缶だから下駄をはいて湯につかるのだ。 「さあ、みんなおいで。タ陽でもながめていよう」 まつおかしゅんさ まゆみ いちばんあとで真弓が風呂にはいる番になると、松岡巡査は気をきかして、子どもたちを小屋の いっせん かん ふろ 松岡さん まつおか
「わたし : : : 」 まゆみ 真弓がなにかいいかけて、、つつむきかげんに みつお しせん 光男の視線をかわした。光男は問いかけるような 目で真弓の顔をのぞきこんだ。 「わたし : : : どんなパンツ、はいてると思う ? うすよごれて、泣きたくなるくらいきたないパ、 ノッよ」 真弓はにじんできた涙をこぶしでぬぐい、泣き笑い むね の顔で光男を見かえした。ふいに光男の胸の深みから、 あわ せつめい かんじよう 哀れみとも愛おしさとも説明のつかない感情がせりあがり、 「真弓ちゃん」 呼びかけたひょうしに、光男のほうもあやうく涙が せんそうすいこうしゃ 出かかった。と同時に、戦争そのものと、戦争遂行者に 対する怒りが腹のそこからわきあがってきた。 真弓はすぐに笑みをふくんだ表情にもどり、そして桜井さんにいった。 しゅうよ、つじよ 「あの子たちにも聞いてみるわ。みんなで迷子の収容所へいく気があるかどうか」 とたんに光男は顔をかがやかせ、 せんそう ひょうじよう さくらい
ばされるので、空には強い風が吹いているのだろう としこ 敏子の八月六日 いささか寝ぶそくぎみの朝がきた。 「朝だ朝だ。ものども、おきろよ」 なかま ゆすり起こそうにも届かない手のかわりに、義則が大声で仲間たちに呼びかける。 「地球が太陽のほうへ腹をむけてるあいだに、しつかり働こうぜ」 広彦がいいつつ、ねばけ顔の子らの頭をこづき、ほっぺたをつまんで、目をさまさせてやる 「地球が太陽のほうへ背中をむけたら、また、ランプに照らされた夜がくる。楽しい夜をむかえよ うと思ったら、みんなで食いものをあつめてこなきや」 ふうけい しばらく子どもたちは、あたらしい風景を楽しむように、あたらしいすみかのまわりをうろつい ている ざんがい 当、んぎようしようれいかん ゅうぜん 両わきに建物の残骸をのせた町をひかえて、ドームの屋根をもっ産業奨励館はひときわ悠然とそ びえていた。ドームのそばには大きなクスノキが焼けこげた枝をはりだしていて、むらがっている イカルやヒョドリたちが、さかんに鳴きたてている とど よしのり 194