くらせた。ところが、帆については、わたしがいちいち工夫しなければならなかった。古い帆、 というより帆の切れ端がしまってあることはおばえていたが、なにしろ二十六年もた 0 ているこ ゅめ とだし、まさか、また帆をつくるのにつかうことになるなどとは夢にも思わないで、ほったらか しておいたので、見つかったとしても、きっと、ばろばろになっているだろうと思った。はたし て、ほとんどだめになっていたが、二枚だけ、あまりいたんでいないのが出てきた。そこで、さ っそく、これをつかって仕事にとりかかり、 ( 読者にもわかってもらえるだろうが ) 針がないの くろう ぶきよう でたいへんな苦労をしながら、無器用な手つきで、うんざりするほど時間をかけたあげく、やっ ちょうさんかくほ と、三角形のぶかっこうなしろものをつくりあげた。これは、イギリスで長三角帆といわれてい ほげた る帆と同じ形のものだったが、わたしは、その上下に帆桁をつけて、普通、船にそなえつけてあ るポ 1 トを走らせる時に張る帆と同じようなものにした。この物語のはじめのほうでのべたよう だっしゆっ に、わたしがハ リ海岸から脱出する時に乗ったポ 1 トについていたのも、同じような形の帆 だったから、わたしにはあっかいやすかった。 こういう仕上げの仕事、つまり、マストと帆をとりつける仕事に、二か月近くかかった。でき かんぜん * しさく * んしようほ るだけ完全なものにしようと思って、風上に向かう時にも走れるように、支索と前檣帆までとり せんび かじ つけたからだ。そのうえ、船尾には、方向をとるための舵までそなえつけた。わたしは、舟をつ かじ くる仕事はヘたくそだったが、舵のような装置がどれほど役に立つか、というより、なくてなら そうち ふね 336
かたがわ さをちぢめたりして、板切れにした。それから、その板の片側を、端から端まで、平らに、なめ らかにしたうえ、ひっくりがえして、裏側も同じようにし、やっとのことで、厚さ三インチほど ほねお の、両面がすべすべした板に仕上げることができた。こんな仕事一つに、どれほど骨が折れたか、 そうぞう きんべんにん 読者にも想像してもらえると思うが、この仕事だけでなく、ほかのたくさんの仕事も、動勉と忍 耐のおかげで、なんとかなしとげた。こんなことをくどくどのべたのは、ほんのちょっとした仕 事一つするのに、どんなに多くの時間がかかったか、そのしだいを、はっきりさせるためだ。手 どうぐ どうぐ つだってくれる人と道具があれば簡単にできるなんでもない仕事が、一入きりで、道具もない場 ほねお ムロに十、こ、 オもへんな骨折りと、べらばうな時間を必要とした。それでも、わたしは、なんとかや ひつよう りぬき、今のくらしにぜひ必要なものは一つ残らずつくりあげた。 十一月、十二月になると、そろそろ大麦と稲の取り入れができそうな時期になった。こやしを かんき やったり、たがやしたりした地面はそれほど広くはなかった。前にのべたとおり、乾期にまいて、 しゅうかく まるまる一回分の収穫をだいなしにしてしまったので、種はどちらも半ペック以上はなかったか らだ。今度こそ、収穫はじゅうぶんありそうだとあてにしていたところが、にわかに、ちっとや さいなん そっとのことでは防ぎようもない災難が次々とふってわいて、またまた、あぶなっかしいことに のうさぎ あじ なった。まず、山羊と野兎が大麦や稲の葉を食べて、そのうまいのに味をしめ、夜昼なしに、葉 なえ が出てくるとたちまちかたつばしから食べてしまい、苗がそだつひまもないほどだった。 しゅうかく ふせ かんたん うらがわ のこ ひつよう たね じき あっ 、じよう 1 覆
ぎぜっ かいふ ~ 、 を飲んだ時より、はるかに元気を回復した。なにしろ、のどがかわいて、今にも気絶しそうにな っていたからだ。 父親が水を飲みおわると、わたしはフライデ 1 を呼んで、まだ残っているかどうかきいた。 「はい。」との答えだったので、父親と同じようにひどくのどがかわいているあのスペイン人に も飲ましてやれと命じた。フライデ 1 がと 0 てきた。ハンも一つ、持たせてやった。スペイン人は す「かり弱 0 て、木かげの草の上で休んでいたが、手足はこわばり、きつくしばられていたため に、むくんでいた。フライデ 1 が水を持っていってやると、起きあがって飲み、。ハンを食べはじ めたので、わたしもそばへ行って、干しぶどうを一にぎりやった。スペイン人は、感謝の気持を たたか ありありと顔に浮かべて、わたしをじっと見つめたが、さっきはあれほどいきおいよく戦ったの に、今はすっかり弱っていて、立ちあがることもできなかった。二、三度立ちあがろうとしたが、 足首がす 0 かりはれあが 0 て、ひどく痛むので、どうしてもだめだ 0 た。わたしは、じっとして るよ、つにと フライデ 1 に命じて、さっき父親にしてやったと同じように、足首をもませ たり、ラム酒をつけてこすらせたりした。 おやこうこう 親孝行のフライデ 1 は、スペイン人のそばにいるあいだも、二分に一度は、いや、もっとひん ばんに、うしろをふりかえっては、父親がもとのところに同じかっこうですわっているかどうか をたしかめていた。そのうちに、父の姿が見えないのに気がつくと、は「と驚いて立ちあがり、 しゅ すがた のこ おどろ かんしゃ 357
ぎやはん ももなかほど やぎがわせい 上着も山羊皮製で、すそが腿の中程までとどいていた。ズボンも同じく山羊皮の半ズボンだっ おやぎ たが、年とった牡山羊の毛皮でつくったので、ふさふさした毛が長くたれさがり、まるでももひ ぜんぜん すね きみたいに、脛の中ごろまでとどいていた。靴や靴下は、全然なかったが、なんというか、半長 すね 靴みたいなものを自分でこしらえて、はいていた。これは、脛がすっぽりくるまるぐらい長くて、 脚絆のように、まわりをひもでぎゅっとしめつけるようにしたが、なんともみつともないものだ った。もっとも、わたしの身につけているものときたら、どれもこれも、同じようにみつともな っこ、、ゝ 0 やぎがわはばひろ やぎがわ ベルトは、よくかわかした山羊皮を幅広く切ってつくり、留め金のかわりに、やはり山羊皮で ちょうけんたんけん つくった二本のひもで、むすび合わせておいた。ベルトの左右には、長剣と短剣のかわりに、ト さなのこぎりと、手斧をぶらさげた。もうすこし細いベルトをもう一本つくり、同じように皮ひ かた もでむすび合わせて、肩にかけ、そのはしの、ちょうど左のわきの下にあたるところに、同じく かやく せなか ふくろ 山羊皮製の袋を二つさげて、その一つには火薬を、もう一つには弾丸を入れておいた。背中には かた じゅう 籠を背負い、肩には銃をかつぎ、頭の上には、大きくてぶかっこうだが、何といっても、わたし じゅう やぎがわ にと。ては銃の次に大切な、山羊皮のかさをさしていた。顔の色はどうかというと、全手入れ もしないで、赤道から九度か十度ぐらいしかはなれていないところに住んでいる人間にしては、 それほど、黒くなかった。ひげは、前には、のびほうだいにしておいたら、四分の一ャ 1 ドぐら やぎがわせい かごせお ちょうな くつくっした たま やぎがわ はんちょう かわ
どの日だったかはっきりしないが、大きな鳥を一羽撃ち落とした。肉はとてもうまかったが、な んという鳥だかわからない。 ごこち きよう 十一月十七日。ーー住み心地をもっとよくするために、テントの裏手の岩壁を掘る仕事に今日 からとりかかる。 どうぐ ひつよう てお ( 注 ) この仕事をするのに必要な三つの道具、すなわち、つるはし、シャベル、手押し車また かこ さぎよう ふそく は籠がなくて、たいそうこまった。そこで、作業を一時中止して、この不足をどうしたらおぎな どうぐ えるか、それとも、なにか代わりの道具がつくれないものかといろいろ考えた。つるはしの代わ もんだい りに、鉄梃をつかってみたところ、重かったけれども、なんとかまにあった。次の問題は、シャ くわ ベルか鍬で、これがなければ仕事はとうていできないのだが、どういう形のものをつくったらい いか、まるで見当がっかなかった。 十一月十八日。ーー・・森の中をさがしまわっているうちに、非常に堅いので『鉄の木』とブラジ おのは ルでは呼ばれている木と同じか、それによく似た木を見つけた。斧の刃がかけるほどさんざん苦 ざいもく ほねお 労したあげく、やっと材木にして、持ち帰ったが、びどく重いので、運ぶのにも骨が折れた。 ほうほう この木はとても堅かったし、それに、良い方法もなかったので、けずるのにずいぶん長い時間 くわ カかかったが、それでも、すこしずつけずっているうちに、どうやらシャベルか鍬らしきものが できあがった。柄の形はイギリスのものとそっくり同じだが、土を掘る広い部分のさきに鉄をか ろう かなてこ かた ひじよう うらて かた がんべきほ ぶぶん 110
ねこ ぜんやまねこ てもどってきた。以前、山猫を一匹撃ち殺した時に、この島の猫は、ヨ 1 ロツ。ハの猫とは種類が こねこ んん 全然ちがうと思 0 たことがあ 0 た。ところが、ふしぎなことに、今度の子猫はどれもこれも、 めす ふつう ねこ ねこ 猫と同じく、家で飼うような普通の猫だった。しかも、わたしの家にいたのは、二匹とも雌だっ びぎねこ たから、ますますふしぎだった。それはともかく、その後、この三匹の猫のおかげで、家じゅう ねこ が猫だらけになり、とてもわたしの手におえなくなってしまったので、やむをえず、ねずみや猛 ころ じゅうころ 獣を殺すのと同じように、どんどん殺したり、家に近づかないように、できるだけ追いはらわな ければならなかった。 八月十四日から二十六日までは、雨が降りどおしだったので、ほとんど外へ出られなかった。 しよくりようふそく 今度はとくに体ぬれないように気をつけていたが、とじこも 0 ているうちに、食糧が不足して きたので、思いきって二度ばかり外出した。一度目は山羊を一匹殺し、二度目の二十六日は、大 きなかめを一匹見つけた。このかめはすばらしいごちそうになった。そういうわけで、毎日の食 ふさ 事の献立も次のようにきまった。朝食には干しぶどう一房。昼食には山羊かかめのあぶり肉一切 ざんねん てきとうなべ れ ( 残念ながら、適当な鍋がないので、煮たり、シチ = 1 にすることはできなかったが ) 。夕食 にはかめの卵を二、三個食べた。 ほらあな 雨でとじこめられているあいだに、 毎日一一、三時間、洞穴を広げる仕事をした。同じ方向にす さく こしずつ掘りすすんでいるうちに、岩山をつきぬけてしまったが、そこは柵の外なので、ここか こんだて たま′」 びき こ びぎう ころ びきころ ねこ ひき しゆるい は 15
ぎりは、二度とこの家から遠くはなれないようにしようと決心した。 ぎゅうよう 家に帰ってから一週間は、長い旅の疲れをいやそうと思って、休養をとった。そのあいだは、 今ではすっかり家になれて、わたしと大の仲良しになっているおうむのために、鳥籠をつくって のこ こやぎ やる大仕事にかかりきりだった。その仕事がすむと、あずまやに残してきた子山羊のことが気に なってきたので、出かけていって、家へ連れてくるか、それとも、なにか食べ物を置いてきてや ることにした。さっそく行ってみると、子山羊は、逃げもせずに、そのままでいたが、食べ物が こえだ ないので飢え死にしかかっていた。わたしは、すぐに、そのへんにはえている木の小枝を切って きて、投げてやった。食べおわったところで、また前のようにひもをつけて、びつばって帰ろう としたが、長いことひもじかったせいか、すっかりおとなしくなっていて、ひもをつけなくても、 大のように、わたしのあとからちゃんとついてきた。その後、ずっと食べ物をやっているうちに、 すっかりなついて、おとなしくなり、おうむと同じく、家族の一員となって、けっして逃げよう とはしなかった。 さくねん ぎねんび 秋の雨期がはじまった。九月三十日は、この島に流れついた記念日として、昨年と同じように、 すく おごそかな気持ですごした。これでまる二年たったが、救われるのぞみは、この島にあがった第 一日目と同じく、まったくなかった。それでも、わたしは、神が、現在のさびしいくらしをあわ こやぎ なかよ かぞく げんざい とりか・こ 168
すっかりなくなったり、ひどくいたんできたりした。インクは、前にものべたとおり、だいぶ前 にほとんどなくなっていたので、ごくわずか残っているのに少しずつ水を割ってつかっているう あと ちに、すっかり色がうすくなって、とうとう、紙の上には、跡がほとんどっかなくなってしまっ とくべっ ひとっき た。それでも、インクのつづくかぎりは、一月のうち、なにか特別なことが起こった日のことだ けは書きとめておいた。今こうして、過ぎ去 0 た日々のことを思い出して書きしるしていると、 きみよう 神のおばしめしによ 0 てわたしの身にふりかか「たいろいろな出来事の起こった日が、奇妙に一 えんぎ 致していることにはじめて気がついた。もしわたしが縁起をかつぐ人間で、日が良いとか悪いと ぎようみ かをいちいち気にするたちだとしたら、さぞ大きな興味をそそられただろう。 第一に、船乗りになろうと、父や友人たちをふりすててハルまで逃げ出した日と、その後、サ どれい かいぞくせん 丿 1 の海賊船につかまって奴隷にされてしまった日とが、同じだった。 おきていはくち ャーマス沖の停泊地で難破して、命からがら逃げ出したのと同じ日に、わたしは、何年かたっ た後、サリ 1 からポ 1 トで脱出したのだった。 きせきてき さらに、わたしが生まれたのは九月三十日だが、この島にうちあげられて奇蹟的に命が助かっ こどく たのも、二十六年後の同じ九月三十日だった。こうしてみると、わたしの罪深い生活も、孤独な 生活も、まったく同じ日にはじまったことになる。 ふそく ノン、つまり、船から持ってきた大きいビスケッ ところで、インクの次に不足してきたのは、。、 なんば だっしゆっ いのち のこ いのち 197
のうちに、今の住居のあるところは、島の中でもいちばん悪い場所ではないだろうかと思うよう になった。あげくのはては、あの気持の良い、実り豊かな土地のどこかに、できれば今と同じぐ らい安全な場所を見つけて、引っ越すことにしようと本気で考えるようになった。 この考えはいつまでも頭をはなれず、あの土地の気持の良さに心をひかれて、しばらくは、 っ越しのことをあれこれ考えるのが、なによりの楽しみとなった。だが、もっと実際的に考えて りえき みると、今のまま海岸の近くに住んでいるほうが、わたしの利益になりそうななにごとかが起こ さいなん る見込みは大きいだろうと思われてきた。ことによると、だれかが、不幸にもわたしと同じ災難 にあって、同じ場所にうちあげられるかもしれない。そんなことはまず起こりそうもないにせよ、 それでも、島のまん中の山奥にとじこもってしまうのは、自分で自分をとらわれの身にしてしま うのと同じことになるし、まんいち起こるかもしれないことを、全然起こらないことにしてしま けつろんたっ という結論に達した。 うことにもなる。だから、わたしは、ぜったいに引っ越すべきではない、 すえ とはいうものの、わたしはあの場所がすっかり気に入ってしまったので、七月の末までは、ほ とんどそこでくらした。今のべたように、鴃いなおして、引っ越すことはやめにしたが、そのか わりに、あずまやのような小さな小屋を建て、そのまわりに、小屋からすこしはなして、じよう さく かきね ぶな柵をめぐらした。柵は、わたしの手がとどくぐらいの高さの二重の垣根にして、杭をしつか かきかき りうちこんでがんじようにし、一日一と垣のあいだには、しばをいつばいつめた。こうしておけば、 すま やまおく こ こ みのゆた こ こ んん ふこう じっさいてぎ 152
えるのだった。わたしは、できるだけ、自分の境遇の明るい面だけを見て、暗い面は見ないよう ふそく にし、不足しているもののことを考えるより、今持っているもののありがたみを考えるようにし ことば た。おかげで、言葉にはあらわせないほどのよろこびを、人知れず味わうのだった。こういうこ とを、ここで書くのは、神からあたえられていないものばかりほしがって、せつかくあたえられ ふへいかしよくん ているものをよろこんで受け入れることのできない、世間の不平家諸君に、よく考えてもらいた いからだ。無いものねだりをして不平をぶつぶつこばすのは、今あたえられているものにたいし ふそく て感謝する気持が不足しているせいだろう。 はんせい そのほかに、わたしが反省したことがもう一つあった。これはわたしにはたいへん役に立った が、わたしばかりではなく、わたしと同じように苦しい目にあうかもしれないどんな人にとって じようたい はんせい も、役に立つにちがいない。反省した、という意味は、現在の状態を、さもなければこうなった じよう よそう じようたい もいかえれば、神のみ心がなかったらこうなっただろうと思われる状 だろうと予想される状態、 態とくらべてみた、ということだ。神のおばしめしで、船が海岸の近くまで流されてきたからこ ひつよう そ、わたしは船まで行けたばかりでなく、必要なものを海岸まで運ぶことができ、そのおかげで 命が助かり、大きななぐさめもえられたのだ。もしそういうことがなかったら、わたしは、仕事 えもの どうぐ ぶき をしようにも道具がなく、身を守ろうにも武器がなく、獲物をとろうにも弾丸がなかっただろう。 わたしは、何時間、いや、何日間もついやして、もし自分が船からなに一つ持ち出せなかった かんしゃ きようぐう げんざい あじ たま 195