そうだん かしよそうとう と相談を持ちかけてきたが、船は水もれがひどく、こわれた箇所も相当あるので、船長としては、 まっすぐプラジル海岸に向かってひきかえしたいようだった。 あん はんたい えんがん わたしはその案にはまっこうから反対し、いっしょにアメリカ沿岸の海図をしらべてみた。け かいしよとう つきよく、カリブ海諸島あたりまで行かなくては、助けを求めようにも、人の住んでいる土地は ちょうりゅう ないことがわかったので、バルヾ。 ノトス島に向かうことにした。メキシコ湾に流れこむ潮流をさけ て、外海を通れば、だいたい十五日ぐらいで、楽に着ける見込みだった。いずれにせよ、船を修 のりくみいんきゅうよう 理し、乗組員も休養をとらなければ、とてもアフリカ海岸まで行けるものではなかった。 ゝ、、さしあたり、助けても こういう計画をたてると、わたしたちは針路を変えて西北西に向力 りよう とんや らえそうな、イギリス領のどこかの島に着くつもりだった。だが、そうは問屋がおろさなかった。 ぼうふう 北緯十二度十八分のところで、またまた暴風におそわれたからだ。今度も、ものすごいいきおい おうらい で西へ追いまくられ、たいていの船がふだん往来する航路から、まるきりそれてしまったので、 やばんじん たといおばれ死にをまぬかれたにしても、国に帰れるどころか、野蛮人に食い殺されるのがせき きけん の山という、危険なはめに落ちこんでしまった。 風はいつまでもたけりくるい、船はさんざんな目にあったが、ある朝、夜が明けたころ、乗組 りくち 員の一人が、「陸地だ ! 」と大声をあげた。すぐさま、わたしたちは船室からとび出して、今ど のへんにいるのかたしかめようとしたが、そのとたんに、船は浅瀬に乗りあげてしまった。たち ほくい しんろ こうろ もと あさせ わん ころ のりくみ しゅう
一ペ 1 ジョーク市イングランド北東部にあるヨークシャー州の首都。英国の最も古い町の一つ。 プレーメン西ドイツ北部にあるプレ 1 メン州の首都。貿易港として有名。 ハルヨーク市の南東方にある都市で、イングランド北東部では最大の港の所在地。 ー一六七六 ) のこと。軍人であるととも ロカット大佐サー・ウィリアム・ロカット に、外交官でもあった。 フランダース現在のベルギ 1 西部と、それに隣接するフランス北部、およびオランダ南西部を ふくむ北海沿岸の地域で、中世には一つの国であった。 ダンケルク現在ではフランス北部の海港。イギリスとスペインは一六五五年から一六五九年ま で戦ったが、一六五八年、ダンケルク附近の戦闘で、イギリス軍はスペイン軍に勝った。 ハンバー河口イングランド東北部を流れるトレント河とウーズ河が合流して、全長六十キロメ 1 トルのハンバ 1 河となる。前記の、ルはこの河口にある。 三ページャーマス港イングランド東海岸に面するノーフォーク州の港。現在は、グレート・ヤ 1 マスと ニューカッスルイングランド北部、ノーサンバーランド州にある港。石炭の積出し地として有 名。現在は造船業の中心地。 ジ どりようこう 訳注 ( 度量衡については後の表参照 )
かしよう 一三ページトッブマスト下檣の上につぎたした帆柱。 たいしよう 1 ジメインマスト大檣。船の最大の帆柱。 ジウインタトン岬ノーフォ 1 ク州にあり、ヤーマスの北方にあたる。 1 ジクローマーノーフォーク州にあり、現在は避暑地として有名。 一食 一三ページギニア西部アフリカ中部の沿岸。 一一五ページカナリア諸島アフリカ北西岸沖にある山の多い群島で、スペイン領。 アフリカ北西部、モロッコ海岸にある港で、海賊の根拠地だった。 ニ六ページムーア人元来、モロッコ地方に住む原住民で、回教を信じていた。ただし、回教徒全般をムー ア人と呼ぶこともある。 マレスコ人モレスコが正しい。イタリー語で、「ムーア人の」という意味。 ージカディス湾ス・ヘイン南西部大西洋岸にある湾。 ジ 一穴ペー ベルデ岬諸島アフリカ大陸最西端のベルデ岬の西の沖にある諸島で、ポルトガル領。 ージトドス・オス・サントス湾プラジル沿岸で最も大きい港のある湾で、当時の首府サン・サルバ 五 0 ペ ドルはこの湾に面していた。 毛ページサン・サルバドル港前の注参照。 六 0 ペ ージサン・アウグスチノ岬おそらく、プラジルの大西洋に面する最東端、サン・ロケ岬のことと思 われる。 フェルナンド・デ・ノローニヤ島サン・ロケ岬の北東方海上にある島。 ギアナオリノコ河流域からその南方アマゾン河流域にわたる広大な大西洋岸の熱帯地域。 オリノコ河プラジルの北に接するベネズエラを西から東に流れて大西洋にそそぐ河。 4
ができるのではないか、とも考えた。 そのくせわたしは、むこうに行ってからどうしたらいいか、もし蛮人につかまったらどうなる か、殺されそうになったらどうやって逃げたらいいか、などということについては、まるきり考 いのち とちゅう ばんじん えてもみなかった。いや、それどころか、もし途中で蛮人におそわれれば命が助かる見込みはな いから、どうやったらむこう岸まで無事に着くことができるだろうか、ということや、かりにお そわれないですんだとしても、食べ物をどうして手に入れたらいいか、どの方向に向かって進ん だらいいか、などということもまるで考えなかった。わたしは、そういうことはなに一つ考えに いれず、ただただ、舟に乗って本土に渡ろうという考えだけにとりつかれていた。わたしには、 いじよう 今の身の上ほどみじめなものはなく、これ以上悪いものは、死以外にはなにもないと思われた。 もし本土の海岸に着けたら、たぶんだれかに助けてもらえるだろうし、すぐ助けてもらえなくて えんがん も、アフリカの沿岸でやったように、海岸ぞいに舟を進めていけば、そのうちに、人の住んでい さいご すく る土地に着いて、救われるだろう。いずれにしても、最後には、どこかキリスト教国の船に出会 さいあく って、乗せてもらえるだろう。たとい最悪の場合でも、死ぬだけのことで、死んでしまえば、あ らゆる苦しみはたちまち消えてしまうだろう、などとわたしは思った。 こんらん こういうさまざまな考えは、わたしの混乱した頭と、いらいらした気持から生まれたもので、 くろう その時のわたしは、長年の苦労と、難破船へ行った時の失望で、やけになっていたのだ。難破船 ころ ふね なんばせん ふね しつぼう ばんじん なんばせんお
ージカリブ海諸島南アメリカ大陸の北側のカリブ海にある諸島で、大アンチル諸島、小アンチル諸 島がつらなっている。 ル北方の海上 バルバドス島小アンチル諸島の一つで、オリノコ河の河口から約五百キロメート にある。 ージアラック酒ココやしの汁などからっくる強い酒。 じゅうこう マスケット銃一六世紀に用いられはじめた、銃腔にみぞのない歩兵銃で、現在のライフル銃の 前身。 「悩みの日に : ・」旧約聖書、詩篇第五十章第十五節。 ジ 一四四ペ 1 「神はイエスを : ・」新約聖書、使徒行伝第五章第三十一節参照。 一哭ペ ージカサバブラジル原産の植物で、その根茎から良質のでん粉がとれる。 アローゆり科の熱帯植物で、薬用にも鑑賞用にもなる。 ジ リ海岸アフリカ北部の沿岸地方で、モロッコもふくまれる。 1 ジ莊園ヨーロツ。ハの封建時代に、貴族が所有していた領地。 ライム熱帯地方に産する小木。その実はレモンに似て、清涼飲料などに用いられる。 ージレドンホール市場ロンドン市中に現在もある市場で、肉類をあっかっている。 ジ ソロモン王イスラエルの王 ( 在位紀元前九七一年ー九三二年頃 ) 。経済の才にたけ、通商によ って大きな利益をあげ、盛んに建築工事をおこなった。 ージプエノス・アイレスかラ・プラタどちらも、アルゼンチンのラ・プラタ河の河口にある港。 一穴一ペ 三 0 三ペ 1 ジ ージニア北アメリカ中部、大西洋岸の州で、当時はイギリスの植民地。 ジ トリニダード島カリブ海諸島 ( 前注参照 ) 中の小アンチル諸島の最南端にある島で、オリノコ 三入ペ 1 一六四ペ 一九 0 ペー 一四九ペー 一五 0 ペ 六一ペ 七四ペ 八一ペ 2
いちだんらく りきりだったが、それが一段落したころ、また別の仕事ができて、そのために思ったよりずっと 多くの時間をとられてしまった。 まえまえから、島全体の様子をぜひしらべてみたいと思っていたので、一度、小川をさかのば って、のちにあずまやをたてた場所の近くまで行ってみたことは、前にのべたとおりだ。それで はんたいがわ 今度は、あずまやのむこうの、この島の反対側の海岸までまっすぐに行ってみようと思いたった。 しよくりよう かやくたま じゅうちょうな そこでわたしは、銃と手斧を持ち、大を連れ、火薬や弾丸をふだんよりたくさん用意し、食料と たんけん ふさふくろ して、大きなビスケット二枚と干しぶどう一房を袋に入れて、探検に出発した。あずまやのある りくち 谷を通りすぎると、西のほうに海が見えてきた。天気が良かったので、海上はるかに陸地がはっ たいりく きり見えたが、それが島なのか大陸なのかということまでは、見さだめることができなかった。 りくち その陸地の高さはかなり高く、西から西南西へとのびていたが、ここからはずいぶん遠いところ ぎより にあり、わたしの見当では、十五リ 1 グか二十リ 1 グぐらいの距離がありそうだった。 たいりく あそこはアメリカ大陸の一部にちがいないとは思ったが、アメリカのどのへんなのかは、はっ りよう きりしなかった。いろいろな点から考えて、スペイン領のあたりだと見当をつけた。もしスペイ りよう いきき ン領だとすれば、いずれ船が往来するのが見えるだろうが、もし船が通らないとすれば、あのヘ りよう ばんじん んは、プラジルとスペイン領のあいだの、蛮人の住んでいる海岸ということになる。しかも、そ ばんじん の蛮人は、いちばんたちが悪くて、人間をつかまえたら、かならず食べてしまうという人食い人 いちぶ べっ 163
しよくりよう その後十日、あるいは十二日間というもの、わたしたちは、なおも南へ南へと走りつづけた。 ほきゅう せつやく 食料がどんどんなくなっていくので、できるだけ節約し、どうしても水を補給する必要がある じようり ~ 、 がわ 時以外は、ほとんど上陸しなかった。目ざす行く先はガンビア河かセネガル河、つまり、どこか みさき ベルデ岬に近いところで、そのへんまで行けば、ヨ 1 ロツ。ハの船にあえるだろうとあてにしてい ノハからギニア海岸とかプラジルとか東インドなどへ行く船は、みな、そのへんを通 うんめい るとわかっていたからだ。けつきよく、 わたしは、自分の運命のすべてを、どこかの船に出会う か、それとも、野人につかま「て殺されるかというただ一点に賭けたのだ「た。 えんがん こういう決心をいだいて、およそ十日間も南へむかって走っているうちに、沿岸には、人の住 んでいる土地があることがはっきりしてきた。場所によっては、こちらのポ 1 トが通りすぎるの メ 4 こ、 ーナカ を、大ぜいの人間が岸に立って見ていることもあった。みんなまっ黒で、まっ裸だった。上陸し 1 リのほうが、かえって用心 て、その連中のところまで行ってみたくなることもあったが、ジュ 力し れんじゅう 3 ポルトガル船に救われ、ブラジルに渡って農園をいとなむ すく ころ わた のうえん がわ びつよう じようりく
明してやった。わたしの船が難破した時のもようも話してきかせ、船が岩に乗りあげた場所のこ かげ ともできるだけ正確に教えてやったが、船そのものはもうばらばらにこわれて、影も形もなくな っていた。 なんばせん 難破船から脱出した時に波にさらわれたボート の残骸も見せてやった。前に見つけた時は、あ らんかぎりのカで動かそうとしてもびくともしなかったが、今はばらばらにこわれていた。フラ ざんがい イデーはその残骸を見ながら、しばらく考えこんでいたが、なにもいわなか 0 た。なにをそんな に考えているのか、とたずねると、やっとのことで、「こんなポート、 わたし見る。」と答えた。 はじめはなんのことだかよくわからなかったが、もっとくわしくたずねてみると、これと同じ あらし ようなポ 1 トが、フライデ 1 の住んでいた国の海岸にやってきた、というより、嵐のためにおし 流されてきたことがある、という意味だとわかった。そうきいたとたんに、わたしは、ヨーロッ えんがんなんば ( のどこかの国の船が、そのへんの沿岸で難破したために、船のポ 1 トが波にさらわれて、岸に うちあげられたにちがいないと、見当がついた。だが、わたしの頭がばんやりしていたせいか、 なんばせん だっしゆっ 難破船から脱出してきた人間がいたかどうかについては考えもせず、まして、どこの国の人間か 妊んぜん たしかめてみる、などということには全然思いおよばなかった。けつきよく、ポ 1 トがどんなか っこうだったかときいてみただけだった。 だっしゆっ せいか / 、 なんば ざんがい わたしの国の場所にくる、 326
まれていると思ったからだ。ところが、こちらには、土人たちのほうにはない不便な点があるこ まるきぶね わす とを、わたしはうつかり忘れていた。それは、丸木舟ができあがっても、海まで運んでいく人手 どうぐ カオ という点だった。道具がないということは、土人にとっては、たしかに不便にはちがい もんだい ないが、わたしに人手がないということのほうが、はるかに解決しにくい問題だった。森へ行っ どうぐ そとがわふね ほねお て大きな木を選び出し、骨を折って切り倒してから、道具をつかって外側を舟らしい形にし、内 まるきぶね がわや 側を焼いたりけずったりしてくばませて、丸木舟にしたてあげるところまでは、わたしにもなん とかなる。だが、 そうなってから、そのままそこにほったらかしで、海に浮かべることができな いとしたら、それまでの苦心にいったい何の意味があるだろう ? まるきぶね いくらわたしでも、丸木舟をつくっているあいだに、それくらいのことを思いっかなかったは ふね ずはないと、だれでも思うだろうが、わたしは、舟に乗って航海に出ることばかりに心をうばわ まるきぶね れていたので、どうやって丸木舟を海に浮かべるかなどということは、考えてもみなかった。ま せいしつ ったくの話、舟というものの性質をちょっとでも考えてみれば、海上を四十五マイル走らせるこ りくじよう * ひろきより とよりは、わずか四十五尋の距離でも、陸上を動かして、海岸まで運んでいくほうが、はるかに むずかしいということは、わかりきった話なのに。 とんでもないことを考えたものだが、とにかくわたしは、自分の思いっきにすっかりのばせあ がり、あとさきの考えもなしに、仕事にとりかかった。まず杉の木を一本切り倒した。その木は、 えら ふね たお かいけっ すぎ こ 5 ・カし たお ふべん うち プ 89
船をはなれてから十五分とたたないうちに、船が沈むのが見えた。わたしは、その時はじめて、 船が海上で沈没するというのはどういうことか、わかった。実をいえば、乗組員たちから、船が ゅうぎ しす 沈みかかっているぞといわれても、目をあげてじっと見つめるだけの勇気はほとんどなかった。 なにしろ、ポートに乗った、というよりほうりこんでもらったとたんに、くたばってしまったか ぎようふ らだ。驚きやら恐怖やら、これからのことについての不安やらで、わたしの心は、いわば死んだ どうぜん も同然だった。 こんなさなかでも、乗組員たちは、なんとかしてポートを岸に近づけようと、あらんかぎりの 力を出して漕いでいたが、そのうちに、ボートが山のような波に乗りあげたとき、岸がはっきり 見えた。大ぜいの人たちが、ポ 1 トが近づいたら助けてやろうと、浜辺を走っていた。だが ~ はなかなか近づけず、もちろん上陸することも全できないままに、とうとうウインタトンの とうだい マ 1 のほうへぐっと西にまがって 燈台も通りすぎてしまった。海岸線は、このあたりからクロ 1 いるので、はげしい風も、陸地にさえぎられるせいで、いく ぶんいきおいが弱まっていた。わた ほねお したちはここまで来てからやっと、それもずいぶん骨を折ったあげく、全員無事に上陸すること さいなん ができ、それから、ヤーマスまで歩いていった。ャ 1 マスでは、わたしたちは、災難にあった人 しようにん たちだというので、良い宿を世話してくれた町の役人たちをはじめ、金持の商人や船主たちから、 たいへん親切なもてなしを受けた。そのうえ、ロンドンへ行くなり、ハルへもどるなり、のぞみ おどろ ちんばっ こ のりくみいん やど りくち 力いがんせん じようりく しず ふあん はまべ んいんぶじ のりくみいん じようり , 、