まったものだが、 その人たちは、おそらく、わたしの父か、すくなくとも母にわけを話して、そ れだけの金を出してもらったにちがいないと、わたしは思っている。 わたしが手を出したいろいろなもうけ仕事のうちで、うまくいったといえるのは、この航海だ しようじき たが、それというのも、まじめで正直な船長のおかげだった。そればかりか、わたしが数学や こうかいきろく てんたいかんそくほう こうかいじゅっ 航海術についてかなりの知識を得ることができ、航海記録のつけかたや、天体観測法など、要す るに、船乗りが知っていなければならないいろいろなことをおばえることができたのも、船長の ひとこう力し ねっしん ねっしん おかげだった。教えるほうも熱心だったが、習うほうも熱心だった。けつきよく、この一航海で、 しようにん わたしはれつきとした船乗りにもなり、商入にもなった。なにしろ、ひともうけしてやろうと持 さきん ねだん ち帰った、目方五ポンド九オンスの砂金が、ロンドンでは、なんと、およそ三百ポンドの値段で やしんも 売れたのだ。これに味をしめて、いよいよ野心を燃やすことになったが、やがては、そのせいで、 とりかえしのつかない身の破滅をまねくことになった。 こうかいちゅう 幸運だったとはいうものの、この航海中でさえ、つらい思いをしたこともあった。とくに、も につしゃびよう うれつな暑さのせいで、ひどい日射病にかかり、気分が悪くなることがしよっちゅうあった。な えんがん にしろ、おもな取引場所といえば、北緯十五度から赤道にかけての沿岸だったからだ。 ぼうえきしようにん こうしてわたしは、いちおう、ギニア貿易商人ということになった。親しい仲間となった船長 こ - っ力し が、帰国後まもなく亡くなったのは、大きな不幸だったが、わたしは、もう一度同じ航海に出るこ こううん な あじ ちしきえ はめつ ほくい ふこう なら なかま こう・カし よう 2
じゅう こうかいし 水夫二人と船室付きポ 1 イをしたがえて、銃をかまえて待ちうけていた。航海士が鉄梃でドアを じゅう こじあけたとたんに、その四人は、とびこんでくる相手にむかって、めちゃくちゃに銃をぶつば じゅうたま ふしよう ふしよう いのち なした。航海士は、マスケット銃の弾丸を腕に受けて負傷し、部下の二人も負傷したが、命には べつじよう 別状なかった。 おうえんもと こうかいし にせせんちょう 航海士は応援を求めてさけびながら、傷をものともせずに船室にとびこみ、ピストルで偽船長 ひとこと の頭を撃ちぬいた。弾丸は口からはいって、耳のうしろからまたとび出し、相手は一言もいえず れんじゅうこうさん しゅび にのびてしまった。これを見ると、あとの連中も降参したので、それ以上死者を出さずに、首尾 よく船をうばいかえすことができた。 こうして、船長は、船を自分の手に取りもどすと、成功した場合の合図として、あらかじめわ はっしゃ たしとうち合わせておいたとおり、七発の号砲をすぐ発射させた。わたしは、午前二時ごろまで こし 海岸に腰をおろして、今か今かと合図を待ちかまえているところだったから、この号砲をきいた ときにはどんなにうれしかったか、読者にもすぐわかってもらえるだろう。 こうかいし っ たま ぎず どうほう せいこう ぶか いじよう あいて かなてこ こ - ) ほよノ 基 12
になるもんではないという、はっきりしたいましめだと思わなきゃいかんよ。」 こ、つ力し 「それなら、」とわたしはいった。「あなたも、二度と航海には出かけないんですか ? 」 「それとこれとは話が別だ。」と船長は答えた。「航海するのはわしの仕事だし、したがってわ しの義務でもある。ところが、あんたは、小手だめしに航海したにすぎん。どこまでも意地を張 れば、今後どんな目にあうことになるか、今度の神のこらしめで、いやというほどわかっただろ う」 船長はまごころをこめて、ぜひ父のもとへ帰りなさい、神のみ心をあなどって、身をほろばす ようなまねはするなとわたしをいさめた。 もか、あんた。」と船長はいった。「もし家へもどらないとすれば、どこへ行こうと、かな らず災難に出会って、失望するにきまっとるぞ。お父上がいわれたとおりになることはまちがい なしだ。」 船長とはすぐにわかれた。わたしがろくに返事もしなかったからだ。その後船長には一度も会 わなかったし、どこへ行ったかも知らない。わたしのほうは、ポケットに金がいくらかあったの で、陸路ロンドンまで行った。旅をしているさいちゅうも、ロンドンへ着いてからも、わたしは、 こら・カし これからどうやってくらしたらいいか、家へ帰るのと、航海に出るのと、どちらがいいかと、さ んざん思いなやんだ。 な ん カくろ ぎむ しつぼう べっ こう・カし 一」、つ・カし
そ ) ここまでくれば、船長に残された仕事は、二艘のボートに必要な装置や器材をとりつけ、一艘 おおあな じんいんはいち のホトの大穴をふさぎ、人員の配置をきめることぐらいだった。船長は、例の船客を一方のポ こう力いし ートの指揮官にし、四人の水夫を、部下としてつけた。船長自身と、航海士と、ほかに五人の水 夫が、もう一方のポートに乗りこんだ。全員が受け持ちの仕事をうまくやったおかげで、ポート は、ちょうど真夜中ごろ、本船に近づいた。声がとどくところまで来ると、船長はすぐロビンソ のこ れんじゅうよ ンに命じて、本船に残っている連中に呼びかけさせ、仲間とボ 1 トを連れもどしてきたが、さが し出すのにずいぶんひまがかかった、というようなことをのべつにしゃべらせて、ポ 1 トが船に げんそく こうかいし 横づけになるまで、相手の注意をそらせておいた。ポ 1 トが舷側に着くが早いか、船長と航海士 じゅう にとうこうかいし ふなだいく じゅ , だいじり がマスケット銃を手にしてまっさきにおどりこみ、たちまち二等航海士と船大工を銃の台尻でな れんじゅう じようかんばんこうかんばん のこ れん ぐり倒した。つづいてとびこんだ部下の連中も、船長を助けて、上甲板と後甲板にいた残りの連 しようこう、ち 中を全部つかまえてから、下のほうにいる者があがってこられないように、昇降口をしめはじめ れんじゅう いかりおきば ぜん た。そのころには、もう一艘のポートに乗ってきた連中が、船首の錨置場から船に乗りこみ、前 かんばん ちょうりしつ しようこうぐちせんりよう 甲板と、調理室に通じる昇降口を占領し、そこにいた三人の水夫を捕虜にしていた。 かんばんせい こうかいし びと仕事かたづいて、全員無事に甲板に勢ぞろいすると、船長は、航海士を呼びよせ、部下を こうかんばんしっとつにゆう 三人ひきいて、今度の反乱で船長におさまった男がたてこもっている後甲板室に突入するように と命じた。船長になったつもりの男は、さわぎが起こったのを知ってすでに起きあがっており、 よこ じゅうぜんぶ ふ たお しきかん まよなか はんらん ぜんいんぶじ そう のこ ぜんいん なかま ひつようそうち ほりよ っ きざい よ 411
こうしてわたしは、船の航海日誌でたしかめた日付によれば、一六八六年十二月十九日に、 の島に別れを告げた。ちょうど二十八年二か月と十九日間、この島でくらしたことになる。二度 ぜん ぎようぐう 目のとらわれの境遇から解きはなたれたこの日は、ふしぎにも、以前、サリ 1 のム 1 ア人のとこ ろから、ポ 1 トに乗って脱出したのと同じ日だった。 長い航海の後、この船が、イギリスに着いたのは、一六八七年六月十一日のことで、国を出て さいげつ から、実に、三十五年の歳月がたっていた。 だっしゆっ こうかいにつし ひろけ
ふくせんちょう こう力し とにきめて、同じ船に乗りこんだ。今度は、前の航海の時の副船長が船長となって、船の指揮を とった。この航海は、なんともいえないみじめなものだった。わたしは、前の航海でもうけた金 みぼうじん のうち、二百ポンドは、なくなった船長の未亡人で、わたしにとても良くしてくれた女の人にあ ずけ、百ポンドだけしか持っていかなかったが、それでも、この航海ではさんざんな目にあった。 まず最初はこうだ。船が、カナリア諸島とアフリカ海岸のあいだを進んでいる時のことだが、 かいぞくせん かいぞくせん ある日の明け方、だしぬけに、サリ 1 を根城にするトルコの海賊船におそわれた。海賊船は、あ よ ほ げられるだけの帆を全部あげて、追いかけてきた。こちらも、マストに張れるかぎりの帆を張っ て、逃げきろうとした。しかし、敵はどんどんせまってきて、あと二、三時間もすればきっと追 いっかれるとわかったので、こちらの大砲は、敵の十八門にたいして、十二門しかなかったけれ じゅんび ども、とにかく一戦まじえる準備にとりかかった。午後三時ごろ、とうとう追いっかれた。相手 こうかんばんよこ せんび は、こちらの船尾に船をつけるつもりだったらしいが、まちがって、後甲板に横づけするような あいてげんそく かっこうになったので、わたしたちは、大砲のうち八門をそちらに向け、相手の舷側めがけて一 のりくみいんしようじゅうだん おう せいしやげき 斉射撃の雨をふらした。敵もそれに応じて、二百入近い乗組員が小銃弾をあびせかけてきたが、 こうたい こちらのいきおいにおされて、後退してしまった。わたしたちはみな物かげに身をかくしていた こうげき ので、弾丸にあたった者は一人もいなかった。敵がふたたび攻撃のかまえをとりはじめたので、 はんたいがわげんそく ぼうせんじゅんび こちらも防戦の準備にとりかかった。ところが、敵は、今度は前とは反対側の舷側に乗りつけ、 さいしょ たま こう・カし いっせん んぶ てき てぎ しよとう たいほう ねじろ たいほう てき てき てき こ第 ) ・カし は こうかい り 2
いりえ わたしは、フライデ 1 と航海士に、入江を渡 0 てから、この前坙人たちがフライデーを連れて じようり ~ 、 、も ~ 、ひょ第ノ 上陸した場所を目標にして、西のほうへ進んでいくようにと命じた。そして、半マイルぐらい先 小高い丘に着いたらすぐ、できるだけ大きな声をはりあげて、おういと呼び、水夫たちにき こえたかどうかわかるまでじっと待っていて、相手が返答してきたら、またすぐに大声で呼びか け、同じことをくりかえしながら、敵に姿を見られないように遠まわりして、相手をできるだけ おく 島の奥の森の中へさそいこみ、そうしておいてから、教えたとおりの道をぐるっとまわって帰っ てくるようにと、こまかく指図した。 水夫たちがちょうどポ 1 トに乗りこもうとしたとき、フライデ 1 と航海士がさけぶ声がきこえ た。水夫たちは、その声をききつけると、すぐに返事をしながら、声のするほうをめざして、浜 いりえ づたいに西にむかって走っていった。ところが、連中は、たちまち入江につきあたってしまい、 ちょうど潮が満ちていたので、渡れなくなった。そこで、水夫たちは、ポ 1 トを呼びよせて、む しおみ 。しかえす % 謀反人と戦い、船をうま、 おか むほんにんたたか さしず こうかいし わた てきすがた わた れんじゅう こうかいし 399
ぐんかん 長も、やがてはきっと、スペインかポルトガルの軍艦につかまることだろうから、そうなれば、 わたしは自由の身になれるとあてにしたのだ。ところが、まもなく、この見込みもはずれてしま ふつう - 」 5 ・カし った。主人は、航海に出る時は、いつもわたしをあとに残して、庭の手人れや、奴隷が普通やる こう・カし ざっよう ことになっている家の雑用をやらせ、航海を終わって帰ってくると、今度は船の手入れをさせる ために、わたしを船室に寝起きさせたからだ。 まいにちまいばんに 毎日毎晩、逃げ出すことばかり考え、どうしたらうまく逃げられるかと、さんざん頭をしばっ そうだんあい ほうほう たが、うまくいきそうな方法はなに一つ見つからなかった。いっしょに逃げてくれそうな相談相 手も、だれ一人いなかった。こういうわけで、ときどきは、逃げ出す時のありさまをあれこれと そうぞう 想像して気をまぎらすこともあったが、それを実行する見込みはほとんどないままに、二年とい う月日がたってしまった。 およそ二年もすぎたころ、ちょっとしたことが起こって、自由の身になりたいという考えがま た浮かびあがってきた。主人はめずらしく長いあいだ、航海に出ることもしないで、家でぶらぶ らしていたが、うわさでは、金がないせいだということだった。そして、週に一、二度、天気の おき 良い時にはもっとひんばんに、船にそなえつけてあるポ 1 トに乗って冲へ出ては、釣りをしてい たが、そのたびに、わたしと、マレスコ人の少年をおともに連れ出して、ボ 1 トを漕がせた。二 うでまえ 人とも主人のごきげんをとるのがうまく、わたしの釣りの腕前もたいしたものだとわかったので、 ねお のこ 1 」。う・カし にわ どれい
ロンドンで、まず最初に、かなりりつばな人と知り合いになれたのはさいわいだった。そのこ わかもの ろのわたしのような、だらしない、いいかげんな若者が、そういう幸運にめぐまれるのはめった わかもの あくま にないことだ。悪魔というやつは、えてして、そんな若者にはずいぶん早くからちゃんとわなを しかけておくものだが、わたしの場合はそうではなかった。わたしがまず知り合いになったのは、 えんがんこうかし ギニア沿岸の航海から帰ってきた船の船長で、むこうで大もうけしたので、また出かける気にな あいそ っていた。船長は、わたしの愛想の良い物腰が気に入ったのか、広い世間が見たいというわたし いなちん の話をきくと、もしいっしょに航海に出かけてくれるなら、船賃はただにしてあげようといっこ。 食事や話の相手になってほしいというわけだ。それに、もしなにか品物を持っていけるなら、む りえきんぶ ゅうり こうでできるだけ有利に取引きして、利益は全部わたしのものにしてくれるし、ことによると、 とのことだった。 むこうで、なにか良いことがあるかもしれない、 しようじき わたしはこの申し出をありがたく受け入れ、正直で親切なこの船長とすっかり親しくなった。 こう・カし しようひんしこ 、いっしょに航海に出たが、他人のものをごま こうしてわたしは、すこしばかり商品を仕込んで りえき かしたりしない船長のおかげで、かなりの利益をあげることができた。わたしは四十ポンドぐら - んがく いの金額の、おもちややこまごました安物を仕入れていったのだが、それも、船長の指図にした がったのだった。この四十ポンドという金は、わたしが手紙を出した親類の人たちのおかげで集 つ、 ) 0 さいしょ ものごし し こううん しんるい たにん さしす っ 0 2
むちゃ わたしを父の家からひつばり出し、出世してやろうなどという無茶な考えをわたしの頭の中に うえつけた、あの悪い力とは、いったいどういうものか、わたしにはよくわからないが、今度も また、その悪い力につき動かされて、わたしは、この上もなく不幸な目にあうはめになるような えんがん こうろ ふつう * ことをはじめた。とうとう、アフリカ沿岸行きの船、つまり、船乗りが普通ギニア航路と呼んで いる航路を走る船に乗りこんだのだ。 せいしきのりくみいん こういう航海に、正式の乗組員として乗船しなかったのは、わたしにとっては大きな不幸だっ すいふ た。そうしていたら、すこしはつらい目にあったとしても、水夫の仕事をおばえることができ、 むり ふくせんちょう しかく やがては、船長までは無理だとしても、航海士や副船長になる資格ぐらいはとれたかもしれない。 そん えら だが、いちばん損なことを選ぶのがわたしのいつものめぐりあわせで、この時もそうだった。ポ しんしきど ケットに金はあるし、身なりもきちんとしていたので、わたしは、いつでも、紳士気取りで船に 乗りこんだからだ。そのために、船の中では仕事はなに一つせず、またなに一つおばえもしなか こうろ 2 ムーア人の奴隷となり、後に脱出 こう・カし どれい こうかいし だっしゆっ ふこう ふこう よ 2