食べ - みる会図書館


検索対象: ロビンソン・クルーソー
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1. ロビンソン・クルーソー

かた えあげても、その場を動かなかった。そればかりか、わたしが、殺した山羊を肩にかついで歩き ははやぎ だすと、子山羊もあとについてきて、とうとう柵のところまで来てしまった。そこで、母山羊を こやぎ 地面におろし、子山羊をだいて、柵を乗りこえた。はじめは、食べ物をや「て銅いならすつもり だったのだが、なにをやっても食べようとしないので、しかたなしに、殺して、食べてしまった。 しよくりよう ひきやぎ この二匹の山羊の肉は、すこしずつ食べたので、ずいぶん長くもち、おかげで、ほかの食糧、と せつやく くに。ハンを節約するのに、たいへん役に立った。 ねんりよう すまい こうして、住居もちゃんとできたので、今度は、火をおこす場所をつくることと、燃料を用意 らあな ひつよう することが、必要となった。そのためにどんなことをしたか、とか、どういうふうに祠穴を広げ てぎとう せつび べんり くふう たかとか、どういう工夫をこらして便利な設備をつく。たか、といった話は、いずれ適当なとこ ろでくわしくのべることにして、その前に、わたし自身のことや、生きるということについて、 かんたんせつめい わたしがいろいろ考えたことを、簡単に説明しておかねばならない。 さく さく ころ ころ

2. ロビンソン・クルーソー

とだった。その点は、今のべたような方法でうまくいっこが、 杭にした木があまりぎっしりはえ すぎて、しかたなく、かなりの木をひきぬかなければならないほどだった。 のうえん この農園では、ぶどうも植えて、おもに、冬食べるための干しぶどうをつくった。干しぶどう は、食べ物の中でもとびきりのごちそうなので、いつもだいじにとっておいたが、ただおいしい かいふ′、 からだ ばかりでなく、たいそう栄養があって、体によく、元気を回復するのにも役立った。 べっそう この別荘は、もう一つの住居と、舟を置いてきた場所との中間にあったので、舟のあるところ ふね へ行く時は、たいていここに立ちょって、泊まることにしていた。わたしは、しよっちゅう舟を 見にいっては、とりつけてあるものがいたんだり、なくなったりしないように気をつけていた。 時には、気ばらしに海に出てみることもあったが、二度とあぶない目にはあいたくないので、岸 ちょうりゅう から石を投げればとどくぐらいのところでやめ、それより冲には出なかった。潮流や風におされ て、どこかわからないところに流されるのは、こりごりだった。それはともかく、ついに、わた しの生活ががらっと変わるようなことが、持ちあがった。 えいよう すま ふねお ほうほう おき ふね

3. ロビンソン・クルーソー

きた年取った猫は二匹とも死んでしまい、その後は、ふえてくるたびに、どんどん追いはらった ぜんぶ り、食べ物をやらないでいるうちに、ほとんど全部森の中に逃げこんで、野生にもどってしまっ びき た。最後まで残っていたのは、わたしがかわいがっていた二、三匹だけで、そのままずっと飼っ ころ ていたが、子猫がうまれたりすると、そのたびに、水につけて殺してしまった。こういう動物た ちが、わたしの主な家族だった。 びき そのほかに、子山羊を二、三匹、遊び相手に銅っておき、わたしの手から糾を食べるように銅 いならした。おうむも、もう一一羽いて、かなりよくしゃべったり、わたしのことを「ロビン・ク ル 1 ソ 1 」と呼んだりしたが、ポルほどうまくはしゃべれなかったし、実は、教えるほうも、ポ ねっしん なんば ルの時ほど熱心ではなかった。ほかに、名まえはわからないが、海鳥も何羽か海岸でつかまえて、 はね んしろ 羽を切ったうえ、飼っていた。以前、城の前の地面にさし木しておいた木が、今ではすっかり成 しげ ひく 長して、こんもり茂った木立になっていたので、その海鳥たちは、低い木の中に住みついて、そ こでひなをかえした。これも、わたしには楽しみの一つだった。こういうわけで、さっきものべ ばんじん たとおり、もし蛮人のことを心配しないですむなら、今のくらしはたいそう満足なものであった。 ところが、そうはいかなかった。この本を読んでくれる人たちが、これからのべる話から次の きよう」くん ような教訓を受けとっても、見当ちがいではないだろう。わたしたちの一生を通じてしばしばあ じっさ ることだが、なんとかして避けたいとねがい、また、実際にわが身にふりかかってきたとき、こ こねこ のこ ひぎ かぞく ノ、し、 えさ まんぞく

4. ロビンソン・クルーソー

10 「亠よ、 0 フライ一ア ここ来た。」 ( と いいながら、フライデーは、島の北西部を指さしたが、 ぶぞく そのへんは、フライデーの部族のなわばりらしかった。 ) ぜん これでは 0 きりしたが、わたしの召使フライデ 1 も、以前は、島のむこう側によくや 0 てきて、 やばんじんなかま 人間の肉を食べていた野蛮人の仲間であったが、このあいだは、反対に、食べられるために連れ がわ てこられたというわけだった。その後しばらくしてから、わたしは、いきって、島のむこう側 ぜんなかま の、前にのべた場所へフライデーを連れていった。フライデーはそこがすぐわかって、以前仲間 がここで、男を二十人、女を二人、子どもを一人食べたとき、自分もいあわせた、と話してきか いちれつ せた。フライデーは、二十という英語を知らなかったが、石をそれだけ一列にならべてから、数 えてくれと指さすのだった。 こういうことを書いたのは、これからのべることのきっかけになるからだ。上のようなやりと りくち りがすむと、わたしは、つづいて、この島からむこうの陸地の岸まではどのくらいあるか、丸木 とちゅうしず きけん 舟がたびたび途中で沈むというようなことはないか、とフライデ 1 にたずねた。すると、危険は んぜん まるきぶねしず おき ちょうりゅう 全然なく、丸木舟が沈んだこともないが、すこし沖へ出ると、潮流と風が強い場所があって、朝 と午後ではその向きが反対になるということだった。 ふつうみ しお その時は、方向が変わるというのは、普通の満ち潮と引き潮のことだろう、ぐらいにしか、わ へんか たしは考えなかったが、あとになってみると、流れの変化は、あの、オリノコ河という大河のは ふね はんたい めしつかい しお はんたい ほくせいぶ がわ がわ たいが まるき 317

5. ロビンソン・クルーソー

こくもっ ていたこと、そして、わたしがその穀物を、えりにえって、岩かげのあの場所に捨てたことは、 やはり神のおばしめしというほかはなかった。もしあのとき、どこかほかの場所に捨てていたら、 すぐひからびて、枯れてしまったにちがいない。 その麦が実ったのは六月の末だったが、わたしはだいじに穂をつみとり、一つ残らずしまって おいた。もう一度全部まいて、いずれ、。ハンがつくれるだけの収穫を得たいと思ったからだ。だ こく , もっ じっさ が、実際に穀物が食べられるようになったのは、四年目になってからで、くわしいことは、いず たね れのべることにするが、食べたといっても、ほんのわずかだった。というのは、はじめて種をま よそう かんぎ ちよくぜん いた時に、時期をまちがえて、乾期にはいる直前にまいてしまったので、予想どおりには芽が出 てこなかったからだ。 いねほ 大麦のほかに、稲の穂が十二、三本見つかったことは、すこし前にのべたとおりだが、これも、 しよくりよう 麦と同じように大事にしまっておき、いずれ食糧にするつもりだった。。ハンをつくる時のように 焼いたりしないで米を料理する方法もおばえたが、それは、ずいぶんあとになってからのことだ った。だが、それはとにかくとして、日記にもどることにしよう。 ぜんぶ り・トへノ。り・ すえ ほうほう しゅうかくえ のこ 119

6. ロビンソン・クルーソー

かけるとい、つことは、わたしが思っているほどふしぎなできごとではないとい、つことが、すぐに とくべっ ばんじんんん はっきりわかった。わたしは、神の特別なおばしめしで、蛮人が全然よりつかないほうの岸にう まるきぶね おきあい ちあげられたまでで、もしそうでなかったら、わたしも、本土から漕ぎ出した丸木舟が、沖合は がわ るかまで流されたような場合に、島のこちら側まで避難してくるのはごくあたりまえのことだと、 ばんじん まるきぶね ナナカ すぐ気づいていただろう。さらに、蛮人たちは丸木舟に乗って戦うことがよくあるから、勝った じんしゅ ほうが、捕虜をこの海岸まで連れてきたうえ、人食い人種のおそろしいしきたりどおり、殺して 食べてしまうことがある、ということにも気づいていただろう。その点については、これからく わしくのべよう。 話を前にもどすと、丘をおりて、島の南西端にあたる海岸に出たとたんに、わたしは腰がぬけ すなはま すがいこっ ほね るほどびつくりした。あたりの砂浜いちめんに、人間の頭蓋骨や、手足の骨や、そのほかの部分 ほね の骨がちらばっているのを見た時のおそろしさは、とてもいいあらわせない。 とくに目についた とうけいじよう のは、火をたいたあとが残っている場所で、そこは、闘鶏場のように地面が円く掘ってあった。 こし きようあくばんじん ざんこくえんかい おそらく、兇悪な蛮人たちは、ここに腰をおろして残酷な宴会をもよおし、自分たちと同じ人間 の肉をむさばり食ったのだろう。 わたしは、この光景にどぎもをぬかれて、しばらくは自分の身があぶないことなど、考えるゆ おに やばん いん とりもなかった。こういう鬼のような、野蛮きわまりないおこないについては、以前からよく話 ほりよ こうけし おか のこ なんせいたん ひなん こ こし ころ ぶぶん

7. ロビンソン・クルーソー

かたがわ さをちぢめたりして、板切れにした。それから、その板の片側を、端から端まで、平らに、なめ らかにしたうえ、ひっくりがえして、裏側も同じようにし、やっとのことで、厚さ三インチほど ほねお の、両面がすべすべした板に仕上げることができた。こんな仕事一つに、どれほど骨が折れたか、 そうぞう きんべんにん 読者にも想像してもらえると思うが、この仕事だけでなく、ほかのたくさんの仕事も、動勉と忍 耐のおかげで、なんとかなしとげた。こんなことをくどくどのべたのは、ほんのちょっとした仕 事一つするのに、どんなに多くの時間がかかったか、そのしだいを、はっきりさせるためだ。手 どうぐ どうぐ つだってくれる人と道具があれば簡単にできるなんでもない仕事が、一入きりで、道具もない場 ほねお ムロに十、こ、 オもへんな骨折りと、べらばうな時間を必要とした。それでも、わたしは、なんとかや ひつよう りぬき、今のくらしにぜひ必要なものは一つ残らずつくりあげた。 十一月、十二月になると、そろそろ大麦と稲の取り入れができそうな時期になった。こやしを かんき やったり、たがやしたりした地面はそれほど広くはなかった。前にのべたとおり、乾期にまいて、 しゅうかく まるまる一回分の収穫をだいなしにしてしまったので、種はどちらも半ペック以上はなかったか らだ。今度こそ、収穫はじゅうぶんありそうだとあてにしていたところが、にわかに、ちっとや さいなん そっとのことでは防ぎようもない災難が次々とふってわいて、またまた、あぶなっかしいことに のうさぎ あじ なった。まず、山羊と野兎が大麦や稲の葉を食べて、そのうまいのに味をしめ、夜昼なしに、葉 なえ が出てくるとたちまちかたつばしから食べてしまい、苗がそだつひまもないほどだった。 しゅうかく ふせ かんたん うらがわ のこ ひつよう たね じき あっ 、じよう 1 覆

8. ロビンソン・クルーソー

、蛮人たちは、自分たちと戦って捕虜になった人間以外は食べない、 という意味だった。 おかちょうじよう ひがしがわ その後しばらくたって、島の東側にある丘の頂上にのばった時のことだった。そこからは、前 たいりく にものべたとおり、天気の良い日には、アメリカ大陸が見えた。その日もよく晴れていたので、 たいがん フライデ 1 は、じっと目をこらして対岸を見つめていたが、やがて、いきなりとんだりはねたり しはじめ、すこし離れたところにいるわたしに大声で呼びかけた。いったいどうしたんだ、とた ずねると、フライデーは、「ああ、うれしい あそこ、わたしの土地、わた しの国見える ! 」といった。 フライデ 1 の顔には、このうえもないよろこびがあふれ、目はきらきらかがやいて、その表情 には、なんとしても自分の国へ帰ろう、とでもいうような、いつもとはちがうひたむきな気持が にじみ出ていた。わたしは、その様子を見て、いろいろ考えさせられ、その後しばらくは、せつ ちゅうじつめしつかい かく忠実な召使になったフライデ 1 ではあったが、今までのように気を許してばかりはいられな え しんこう くなった。フライデ 1 が、もし自分の国へ帰ったら、ここで得た信仰ばかりか、わたしにたい おん わす なかま る恩もすっかり忘れてしまい、わたしのことをあらいざらい仲間に話すだろう。そして、おそら せんそうはりよ く、仲間を百人も二百人も連れて、またここへおしよせ、戦争で捕虜にした人間を食べていたこ ろと同じように、大よろこびでわたしを食べてしまうだろう、などとわたしは田 5 った。 しようじきわかもの だが、これはとんでもない思いちがいとわかり、わたしは、この正直な若者にすまないことを ばんじん なかま はな っ たたか ほりよ ああ、楽しい よ し力し ゆる み ひょうじよう

9. ロビンソン・クルーソー

けつか こうして、わたしは、のぞみどおりの結果を得ることができ、一年半ぐらいたっと、子山羊も ひき いくひ、き やく びき ふくめて約十二匹となり、それから二年後には、殺して食べた幾匹かは別にしても、四十三匹に はなが なった。その後、わたしは、ほかの場所を五か所かこって山羊を放し銅いにし、それぞれの囲い の中に、、 月さいおりをつくって、必要があれば何匹かをその中に追いこめるようにし、また、囲 かこ いと囲いをつなぐ出入口もっくった。 それだけではなかった。というのは、今では、食べたい時にいつでも山羊の肉が食べられるだ ちちす けでなく、乳も好きなだけ飲めるようになったからだ。はじめは、乳のことなど考えてもいなか よそう たカ、いさ挈がとれるとわかった時は、予想もしていなかっただけに、実にうれしかった。さ ちち っそく乳しばりをはじめてみると、一日に一、二ガロンもとれることがあった。すべての人間に りようほう 食べ物をあたえてくださる神は、当然のことながら、その利用法も教えてくださるわけで、わた ・れい力し しの場合も、例外ではなかった。生まれてから一度も、山羊はおろか牛の乳もしばったことがな けつか しつ ハタ 1 やチ 1 ズの作りかたを見たこともなかったこのわたしが、いろいろ苦心した結果、失 ハタ 1 もチ 1 ズも、つまくつくれるよ、つになり、そ 敗もずいぶんしたとはいうものの、とうとう、 の後は、すこしも不自由しなくなった。はじめのうちは、飢え死にするほかないと思っていたこ はな しよくたく の離れ島で、なんとすばらしいごちそうが、食卓にならぶようになったことだろう ! むかんしん しようかぞく しよくたく いくら浮き世のことには無関心な人でも、わたしと、わたしの小家族一同が、食卓についてい ちち ふじゅう とうぜん ひつよう ころ びき やぎ ちち べっ ちち こやぎ カこ かこ

10. ロビンソン・クルーソー

ぎりは、二度とこの家から遠くはなれないようにしようと決心した。 ぎゅうよう 家に帰ってから一週間は、長い旅の疲れをいやそうと思って、休養をとった。そのあいだは、 今ではすっかり家になれて、わたしと大の仲良しになっているおうむのために、鳥籠をつくって のこ こやぎ やる大仕事にかかりきりだった。その仕事がすむと、あずまやに残してきた子山羊のことが気に なってきたので、出かけていって、家へ連れてくるか、それとも、なにか食べ物を置いてきてや ることにした。さっそく行ってみると、子山羊は、逃げもせずに、そのままでいたが、食べ物が こえだ ないので飢え死にしかかっていた。わたしは、すぐに、そのへんにはえている木の小枝を切って きて、投げてやった。食べおわったところで、また前のようにひもをつけて、びつばって帰ろう としたが、長いことひもじかったせいか、すっかりおとなしくなっていて、ひもをつけなくても、 大のように、わたしのあとからちゃんとついてきた。その後、ずっと食べ物をやっているうちに、 すっかりなついて、おとなしくなり、おうむと同じく、家族の一員となって、けっして逃げよう とはしなかった。 さくねん ぎねんび 秋の雨期がはじまった。九月三十日は、この島に流れついた記念日として、昨年と同じように、 すく おごそかな気持ですごした。これでまる二年たったが、救われるのぞみは、この島にあがった第 一日目と同じく、まったくなかった。それでも、わたしは、神が、現在のさびしいくらしをあわ こやぎ なかよ かぞく げんざい とりか・こ 168