は給食費の補助を受けた。兄が二人いるが、長男は十九だってね」 で父の業を手伝い、次男は十七で農家の手伝いなど日雇「そうです」 労働をしている。男ばかりの世帯だ。血のつづかない後「あのね : : : 」と一条先生は煙草のけむりを吐きながら 妻の連れ子がひとり、この男たちの間にはさまっている。言った。「もしあなたがいやでなければ、その厄介な子 しかも知能の劣った子供だ。 供をさ、・ : ・ : 僕のクラスに引取ってあげようか」 おそらくはそういう生活環境が、この子の異常な性格志野田ふみ子は風呂敷の端をむすんでいた手を、びた をそだてたものに違いない。近いうちに家庭訪間という りと止めた。いやな気持だった。二時間ほど前に校長か 先生たちの年中行事がはじまる。その機会によく調べてら言われたことを、今度は直接に一条先生から言われた みようと志野田先生は思った。 のだ。校長と一条とのあいだに話しあいができていて、 その夕方、彼女が帰り支度をしていると、隣席の一条両方からロをあわせて、彼女を納得させようとしている 先生がくわえ煙草のけむたそうな顔を向けて、小さな声のではないかという気がした。 で言った。 しかし、あの手に負えない一人の子を、のクラスか 「先生のクラスにね、浅井吉男っていう子供がいるでしら < のクラスに替えることに、どれだけの意味があるの よう」 だろうか。彼女にはそこまでは察しがっかなかった。 「いますわ」 の一人の有力な母親のわがままな発言が、校長をう 「悪いやつだってね」 ごかしていることなどは知る由もない。 「いいえ、そんなに悪いっていうわけじゃないんです」 「まあ、そんな劣等児は、どこのクラスに人れたって邪 「だってク一フスの母親たちが、みんなぶつふつ言ってい魔ものであることに変りはないけれど、女の先生ではあ るそうだ。あの子がひとりいるために、クラスが乱れてまりびしびし叱るわけにもゆくまいし、男の教師の方が 上 困るって。本当ですか」 すこしはこわいから、おとなしくするんじゃないかな。 の「だれがそんな事を言いました ? 」 どうです。僕の方へ取ってあげましようか」 9 3 人「だれって言うわけじゃないが、・ : : ・新町の大工の子供「いいえ」と彼女は頭を振って強く答えた。「折角の御 1
ゅう一条先生は志野田ふみ子の努力やあせりを、横から 事があった。一条先生だった。 ひやかしたりからかったりするような態度をつづけてい 彼はわざとらしく斜めの姿勢になって、レインコート たのだった。 を肩に羽織り、軽く足を組んで、くわえ煙草をしていた。 まるでみんなを見下げているような態度である。彼はど「竹越先生、私はいまやめる訳にはゆかないんです」と んな場合にも他の教師たちの集団から一歩はなれていた。彼女は言った。「勧告を拒否するには、どうすればよろ しいんですか」 その離れた所から皮肉な眼でみんなを見おろしている。 「呼ばれても出頭しなければいいんですよ」 年は三十を出たばかりで、まだ独身の教師だった。 分会長より先に一条の方がそう答えた。 「その基準はですなあ、第一に老朽教師といいますか、 つまり年をとって教育能力を失ったと認定されるような「それだけでいいんですか。それだったら私は行きませ 先生ですよ。これはまあ、仕様がないですな。しかしそんわ」 れは今度のお二人には適用されないでしよう、おそらく「いや、それだけでいいかどうかは解らんですなあ。白 ね。 : : : それから、一番問題になっているのは例の共か金小学校に居った新田君という、僕の知りあいの先生の せぎの場合ですな。これは僕なんか絶対に安全ですが、場合ですが、去年の春だったかな、退職勧告が来たのに、 要するに共かせぎの夫婦の収入の合計が、ええと : : : 四行かなかったんですよ。そうするとね、ひと月ほど経っ こがや 万円とか四万一一千円とかでしたね、そういう先生たちはてから、沢谷の奥の小萱という分校へ転勤命令が出され へきち どちらか一方の人に、なるべくやめてもらいたいというたんです。これは僻地ですよ。山道を四里も歩いて登ら んですよ。須藤先生も志野田先生も共かせぎでしよう。おなくてはいけない所なんだ。電灯なんかもちろん無い。 二人の収入の合計がその位になるんじゃないんですか」生徒は十八人とかいう、単級学校ですよ。 新田君というのは気の強いやつでね。それも断わって そこまで言って、一条太郎は小さな笑い声をたてた。 それを聞くと志野田先生は黙って居られなくなった。一しまったんだ。そんな僻地へ行かされる理由はないって いうんだな。そうするとまた二カ月ほど経って、夏休み 条先生を黙らせたいという気持もまざっていた。この一 年間、一一人とも六年生を担当して来たが、そのあいだじの前だったか、新田教師は無能だからやめさせてはどう
おこし、先まわりして生徒の心を読み、振幅のびろい授泣かせる、ガラスをこわす、給食のスープをこぼす、花 : ・そのたびに、職員室の一条先生のと 業のすすめ方で、あかせずに面白く、生徒たちをひきず壇の花を折る。 って行く。いわば技術主義の教育者であった。それは沢ころへ訴えが来るのだ。 田先生とはかなり違った、一種都会的な性格の指導方法訴えを受けると一条先生は、 しか 「うむ、よしよし。あとで叱ってやる」というばかりで、 である。 そういう指導法に、何かしら一つの欠点があるらしいまじめに取りあげようとはしない。子供を帰したあとで ことに、尾崎ふみ子先生は気がついていた。それをどう彼は、 表現していいかよく解らないが、もしも一条先生が大怪「あんな事をいちいち叱っていたら、子供はいじけてし 我をして授業を休んだと仮定して、そのときクラスのまう」と言って笑うのであった。 それは一条太郎の性格であった。頭がよくて、学問が 子供たちは、いまの O クラスのように静粛に自し、み ずから学級の秩序をまもるような姿を見せるとは思われできて、底の方に何かしら投げやりなものがある。心の けいべっ ない。一条先生のいうことは聞くが他の教師のいうこと底では生徒たちを軽蔑しているような冷たさがある。そ は聞かない。自習を命ぜられても遊んだり騒いだりして、して、生徒たちが先生のそういう性格を、そっくりその まま反映しているようなところがあるのだった。 みずから秩序を乱すのではないだろうか。 それに比べると沢田先生のやり方はかなり違っている そこに、一条先生の指導方法の、根の浅いところがあ る、と彼女は思っていた。一条先生の教えた子供は、成らしい。一条先生は子供たちをひきずって行く。ひきず 績もよい。家庭教師として指導をうけた子供たちは、上られるあいだは、子供たちは素直に歩いてくる。びきず 級学校への合格率もいい。しかし、学間はできるけれどる力がなくなった時、子供たちはどっちへ歩いていいか も、それが学間だけで終って、自治能力、自律精神、道解らなくなる。 上 徳的な高さという点では問題が残っているように思われ沢田先生は生徒をひきずるのではない。いそがずに、 のる。クラスの子供たちは学成績はいいけれども、校生徒と並んで歩いてゆく。四つ角にくると生徒たちと一 人 庭の遊ぶ時間に事故をおこす生徒も多かった。女の子を緒になって考える。生徒は自分の能力によって考え、方 301
い方をした。 「理屈はそうだろうね。しかし、そんな形式的な片々た 4 「勉強 ? : : : 勉強なんかしないよ。宿直室でマージャンる記録でもって、生徒の個性がわかるだろうか。あぶな をやっていたんだ。校務主任と横山先生と僕と神倉先生いもんだ。 と」 第一、それを書いた先生たちが、どれだけの良心をも って記録したか、疑問だと思いませんか。一年間子供を 「まあ、神倉先生もマージャンをなさるの ? 」 「やるさ。酒だって強いよ。女の人であんなに酒の強い教育して、書いたことはたった三行か五行だ。え ? 人は珍しいね。おかげでこっちまで飲み過ぎたらしい」国語、読解力とぼし。算数、計算力やや劣る。音楽、理 : ・そんなものは子供の個性でもなんでもあ 神倉先生はまだ二十四、五の若くておしゃれな女教師解力あり。 だった。独身の一条先生が神倉喜久代をさそって夜ふけりやしない」 までマージャンをしている姿を想像すると、ふみ子は何「だって、ほかに生徒を知る手がかりは何も無いでしょ かいやな気がした。話をやめて、西内三枝子の個人記録う。まるきり知らないで仕事をはじめるよりは、多少で を読みつづける。 も知って置きたいと思うんです」 「僕はちかごろの学校教育で、一番不満なのはそういう ( 四年のとき。国語科、言語への関心少ない。社会科 常識に富むが批判力は無い。理科、実験に興味なし。音ことなんだ。なにもあなたの悪口を言ってるんじゃあり ませんよ。大体小学校の教師のやってる仕事って何です。 楽、鑑賞カゆたか。図工、模倣性つよく独創カ乏しい。 指導要録をつくる、個人調査をする、ク一フプ活動の記録、 「指導要録なんか読んで、なにか役に立ちますか」一条家庭調査の記録、教科課程の研究記録、月案と週案と日 案までつくって、教育が本職なんだか記録つくりが本職 先生は机に頬杖をついただらしのない姿勢で言った。 なんだか、わかりやしない。 また皮肉を言いたくなったらしい。志野田ふみ子は、 その記録が何の役にたっかというと、紙くずをこさえ なぜこの人がこんなに私をいじめるのかと思った。 「いままでの事を知っておいた方が、個性に応じた教育ているだけだ。そんな紙くずは教育と何の関係もありや ができるんじゃないでしようか」 しない。要するに文部省も県庁も教育庁も、先生を信用
いうんでしよう」 と思うんですが、事実上そんなことができますか。少な 6 「そうです」 くとも津田山東小学校のわれわれが、ここで職場集会を 「県当局が教員を減らすのは、予算の関係ですねえ」 ひらいて、それが何かの役に立ちますか。そこのところ 「そうです」 が供は、よくわからないんですがねえ」 「ところが県の方には予算がないというんでしよう。予いかにも皮肉な、意地のわるい言い方だった。自分だ 算がなくても教員の数は減らすなということになると、 けが一段高いところにいて、みんなを見くだしたような みんなの月給を減らすより仕方がない。しかしそんな事口調であった。しかし実際に、一条先生ほど事情に通じ は出来やしません。すると、どういうことになるんですた、何でも知っている教師は、この学校にはいないのだ か」 った。頭がよくて、理屈がうまくて、他人の揚げ足をと 「教育予算獲得に努力してもらうことですな」 ることが上手だった。 「なるほど。しかしね、もともとØー県は金がないんで野尻八重子先生は一条先生と気ごころが通じあうらし すよ。予算獲得っていっても、ないんですからね。教育かった。彼女は面白そうな徴笑をうかべて、竹越先生と 予算をふやすためには、税金をふやすとか、役人の月給一条先生とを見くらべていた。北見先生は腕を組んでう を減らすとか、道路工事をやめさせるとか、どこかそっ つむいていた。沢田先生はじっと天井を見つめていた。 ちの方にしわ寄せをするんですか。 : だけど、われわ校長は老眼鏡のくもりをぬぐっていた。そして生家の姓 れがそんなこと、要求出来ますか。 にかえった尾崎ふみ子先生は、一条太郎先生に急所を突 ー県は再建団体だから、予算は自治庁が監督していかれたようなおどろきを感じながら、竹越先生の回答を るんでしよう。教育予算をふやすか減らすかという話は、待っていた。自分では、どう答えていいかわからなかっ 県議会あたりできめられるんですか。自治庁の許可がなた。 くては駄目なんでしよう。 三年生担任の穴山先生が手をあげて言った。 そうしますと、ー教組の闘いは、自治庁を相手にし「ちょっと僕、言いたいんですが、 ・一条先生に反対 て、教育予算をたくさん計上させるということになるかするみたいで失礼ですけれど、一条先生の御意見は、筋
をしたのだった。彼は、その劣等児を << ク一フスに引きと 親切ですけれど、あの子は私が何とかやってみますわ。 ることによって、和田澄江に恩を売りたかった。それに 今日も母親との会がありましたけれど、だれも浅井のこ とは言っておりませんでした。私は直接には、そういうよって、和田澄江とその母親グループとに、接近してお きたかった。またそのことによって、校長の困った立場 親たちの不平は聞いておりません」 を助けておいてやりたかった。校長にも恩を売っておき 「直接には言いにくいんだね」 こゝっこ。一石二鳥の名案である。 「そうかも知れません。でも、大丈夫です。校長先生かオカオ らも言われましたけれど、お断わりしたんです。わたし劣等児のひとりぐらい、一条太郎は何とも思わない。 その子を丁寧に教育してやる気などは持たないのだ。 はあの子が好きなんです。手に負えない子ですけれど、 だが、折角の交渉も、志野田先生の拒否にあって、駄 ちっとも憎いとは思いません。手ばなす気はありません 目になってしまった。和田澄江は今後も校長に注文をつ 一たん自分のク一フスに来たからには、どんなに手に負けるだろうし、担任教師に不満の意を示すだろう。一人 えない子供であろうと、それは担任教師の仕事であった。の劣等児の存在が、母親たちと教師との対立をまねくこ とになるかも知れない。一条先生はそこまでの先を見越 途中でほかのクラスに引きとってもらうなどということ して、うす笑いをうかべているのだった。 は、みずからを侮辱することにほかならない。彼女は、 浅井吉男を < クラスへやろうという校長や一条の提案に、 腹を立てていた。自分がそれほど無能な教師として見ら家庭訪問は数日後の予定になっていたが、志野田先生 はあの子のことが気がかりになってきたので、土曜日の れているのかと思うと、黙っていられない気がした。 しかしその話は全部、和田澄江から出たことであった。午後一時すぎ、特に予定をくりあげて、浅井吉男の家だ 自分の子供のクラスに邪魔ものが一人いるから、それをけを訪間してみた。 他のクラスへ追っ払おうというわがままな考えから出発新町の交番できいてみると、浅井の家はすぐわかった。 中年の巡査はどこかで彼女を見知っていたらしく、 したものであった。 その意をうけて、一条太郎が志野田ふみ子に直接交渉「東小学校の先生でしたな」と言った。 1 イひ
たちも無くなっていた。その第一条には、 ( この法律の かし着実に、改変し逆転させようとしていた。 その方策がある程度進行したとき、彼等が直面した壁趣旨 ) として、 ( この法律は、教育委員会の設置、学校その他の教 は、千二百二十七万人の小学生と、五百八十八万人の中 育機関の職員の身分取扱、その他地方公共団体にお 学生とに対して、毎日々々民主主義的な教育が日本中で ける教育行政の組織及び運営の基本を定めることを おこなわれているという巨大な事実であった。 目的とする ) こうして保守党政府と日教組とは、正面から対立する としか書いてなかった。 ことになった。それは運命的な対立であった。その対立 を、攻勢にたって押し切ろうとする政府の方策は、三十この二つの条文のなかにある大きな相違は、全条文の 一年三月八日、第二十四通常国会に、 ( 地方教育行政の精神の相違でもあった。新しい法案のなかには教育の理 組織および運営に関する法律案 ) となって上程されたと想などはあとかたも無くなっていて、ただ取締りと拘束 とだけがあった。文部大臣が地方公務員の選任にまでロ きから、強烈な、露骨なものになった。 この法律案は、教委法の部分的改正案ではなくて、全を出し、教育を政党の支配のもとに置き、教育委員の公 面的に廃止して新しい教委法を制定するような性質のも選を廃止して知事や市長の指名制に切りかえ、さらにそ れを文部大臣が直接に監督しようという、徹底的に中央 のであった。現行教委法の第一条には、 ( この法律は、教育が不当な支配に服することなく、集権の野望を盛りこんだものであった。 日教組が全面的抗争の態度をきめたのは当然のことで 国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきで あるという自覚のもとに、公正な民意により、地方あったが、それよりも人心をおどろかせたものは、三月 の実状に即した教育行政を行うために、教育委員会十九日の夕方、東大総長たちが発した共同声明であった。 ( : : : そのいわゆる改正案を見ると、いずれも部分 を設け、教育本来の目的を達成することを目的とす 上 的改正ではなく、民主的教育制度を根本的に変える る ) ようなものであり、ことに教育に対する国家統制の のという、教委法制定の大眼目がかかげられていた。と 9 復活をうながす傾向がはっきりしているのは、容易イ 人ころが新教委法の案文には、この重要な大前提が影もか
ましているようにだらけて見えた。ひろい校庭に照りったちずいぶん助かるだろうと思ったのよ。先生意地がわ ける日光が、無駄なようだった。たった一つの大人の世るいわ」 「いや、競争するのも面白いかも知れない。あなたには 界であるところの、職員室だけが活きていた。 学級担任がきめられたのは数日前であった。志野田ふとてもかないませんがね . 志野田先生はもう返事をすまいと思った。そして生徒 み子は五年生の組をうけもっことになった。組は一 条先生で、 0 組はあたらしくこの学校に赴任してきた沢の指導要録綴りをびらいて、これから一年のあいだ自分 がんじよう 田先生であった。四十すぎの、ぶつきら棒な、頑丈な体が担当する生徒たちの、過去四年間の記録に眼を通して 格をした、いかに。も田舎くさい感じの男だった。一条先見るこ、とにした。 ( 西内三枝子、津田山市朝日町三六番地、実母西内琴、 生が学年の主任である。 備考、自宅は歓楽街の中で居酒屋を営んでおり、環境よ 「またあんたと一緒になったね」 くない。父との関係不明。入学前の経歴、五歳より日本 彼は美しすぎる顔の金ぶち眼鏡をひからせながら、う ・ : 出欠の記録、三年で三十六日、四年 舞踊を習った。 す笑いをもらしていた。 「どうぞよろしく」と志野田先生はまじめに頭を下げてで三十日欠席している。身体の記録、四年のとき大腸カ 言った。「 : : : 今年はわたし、本当に一生懸命にやってタル。 , 体重いちじるしく減少。そのために三十日の欠席 見たいと思うんです。でも、あれもこれもというわけにになったのだ。二年のころ偏食のくせ。ッペルクリン反 応マイナス。三年で偏食やや治った。田中式知能指数 は行きませんから、何か目標を立てて下さいません ? 三人で一緒に研究しながらやって行ければ一番いいと思二年のとき七十一一、四年のとき七十。 : : : ) となりの席で一条先生が、両手を頭の上まであげて大 うんです」 きなあくびをした。 「競争しようっていうわけ ? 」と一条太郎は言った。 上 「ああ、今日は頭が痛いや。ゅうべはね、三時まで。四 「あら、そんなこと、考えていませんわ」 時間しか寝ていない」 の「女の先生は何かというと男と競争したがるからな」 人「いいえ。共同研究みたいなやり方をして頂ければ、私「そんなに御勉強ですか」と志野田ふみ子は気のない問 5 つづ
長は男子でも女子でもいい。 業に没頭した顔であった。 こうして男女平等の観念を教える。三人の委員は一学 子供たちは、自分の意志で先生をとり替えることはで きない。クラスの受持ちは学校から押しつけられる。怠期ごとに交代し、再選はゆるさない。だれでもが委員に 惰な、または時代遅れの先生に受持たれた子供たちは、選挙される機会をもっことができるために。また、子供 一年間の災難をうける。その災難はもしかしたら、子供たちはすべて平等であり、大勢の意志が尊重されるとい う民主社会の方式を、いまから身につけておかせるため たちの一生涯の損失になるかも知れない。 に。 志野田ふみ子はそういう責任の大きさを感じていた。 ところが、国会や市会の選挙にあらわれる醜悪な違反 < 組には一条先生がおり、 0 組には沢田先生がいる。こ と同じ性質のものが、子供たちのク一フスの中にもはっき の二人の男教師に負けてはならない。競争心でもあり、 りと現われてくる。 責任感でもあった。 「おい、副委員長は小林にしろよ。お前も小林を書け」 「ところで、先生はまだみんなの名前がよくわからない 「おれは原田を書くんだ。原田の方がいいぞ」 んです。早く覚えたいんですが、みんな同じように利ロ 小林は背の高い餓鬼大将で、原田は金持ちの息子だ。 な顔をしているもんだから、なかなか覚えられない。今 から紙をあげますから、自分の名前を大きな字で書いて原田は日ごろから鉛筆ゃべ工ごまやキャラメルをもって 友達を買収している。仲間をつくっている。貧しい家の ちょうだい。机の前にはってもらいますからね」 先生は紙も糊もみんな用意していた。前列の子供に紙子は学間ができてもランニングが早くても、なかなか人 をくばらせる。学級経営の第一歩は、子供の名前を知る望は集まらない。子供たちは、大人の世界の悪徳を、こ ことであった。名を知ることによって、あたらしい先生のクラスのなかにことごとく背負い込んで来ているのだ っこ。 と生徒とのあいだは何歩か近づいてくる。 そこで志野田先生は、正しい選挙ということについて その次にはクラス委員の選挙。級長というポスをつく らないために、委員長一名、副委員長は一一名にした。副多少の注意をあたえなくてはならなかった。これはいず 委員長の選挙には、男女一名ずつの名を書かせた。委員れは中学生ぐらいになってから社会科で教えられる、重 2 6
もんだ。ところが穴山先生は、元気のいい兄貴というとで、先生という職業は、これでなかなか悪くないんだ。 ころだ。 ただ悪いのは月給が安いことだ。いつまで働いても残る はつらっ やつばり教師というものは、漫剌としていなくては駄ものが無い。そこで、物持ちの家に婿にはいるというの ロだよ。穴山君なんか全くこれで、婿にしたら良い婿だ。が案外に条件がいいんだ。田地が三町歩か四町歩もあっ ねえ、三国一の花婿だよ」 て、家屋敷があって、そこにきれいな娘さんがいて、そ ゅうゆう 「いや、婿なんかまっぴらですよ。かんべんして下されがそっくり自分のものになる。そうして悠々と先生を しながら、一一十五年くらいも勤めていれば校長になれる。 「いやいや、そうじゃない。穴山先生、君の考えは新し退職金も多くなる。世間の人望もあって、教育者として いようで古いぞ。僕みたいな年寄りの言うことを聞きた尊敬されて、こんないい人生はありませんよ」 まえ。 ・ : 」北見先生はかなり酔った口調だった。「本「その実例は竹越先生だ」と一条太郎が言った。「温厚 当だよ。悪いことは言わない。大きな野心をもってみたにして篤実。いいお婿さんですなあ」 ところで、金は小学校の教師だ。大したことは出来や「何が温厚なもんか」と竹越先生は笑 0 た。「出来のわ しない。 るい婿さんだ。校長にもなれそうにはないしね。 まあ近ごろは、組合運動で大いに活躍して、日教組の 「いやいや、竹越先生は校長になるよ。きっとなる。僕 幹部になって、それから参議院議員にな 0 たりする特殊はをしてもいいな」 な人物もあるにはあるが、そんなものは君、五十何万の 北見先生はそう言って大きくうなずいた。すると一条 組合員のなかの、三人か五人だ。 太郎が横から話をとって、 また一方ではこの一条先生みたいに、家庭教師やなん「大体、校長になる人物となれない人物とは、初めから ) かで大いにかせいで、それを資本にやがては転業して、違うようだな。北見先生みたいな欲のない人は、失礼だ 実業方面に進出しようという人物も無くはない」 が校長になる人じゃない。それから僕みたいな抜け目の の「僕は実業なんかやりやしないよ」 ない人間も案外駄目だ。さっきの話じゃないが、二十五 人 「君がやるという訳じゃない。・ ・ : とにかくそういう訳年も勤続する辛抱気がないから、そのうち転業するかも 7