太郎 - みる会図書館


検索対象: 人間の壁〈上〉
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1. 人間の壁〈上〉

真実を語る勇気を与え、封建的性格にとりかこまれた環 のみならず、この時代から直後に、政府当局は警察カ境のなかで、新しい民主主義的な考え方、感じ方をやし をもって新教育の弾圧をはじめている。弾圧は執拗に、 ない、利己主義や立身出世主義とは違った協同の精神を っちか 太平洋戦争の終局までつづけられ、純真な若い教育者た培い育てたのだった。貧しい教師たちは自分の貧しさを ちを却って左翼運動に追いやった。あるいは、左翼でな忘れ、報いられることはなはだうすい教師の立場を忘れ い教師をすらも、いわゆる ( 主義者 ) として取扱った。 て、ひたすらに教育の理想を追い、官憲の故なき弾圧に 「赤い鳥」から脈をひいた生活つづり方運動は、一つはあえぎながら、孜々として努力していたのであった。 官僚主義教育のかたまりのような高知師範の卒業生のあ その苦難の歴史を読みすすんでゆくと、尾崎ふみ子は いだから、いわゆる南方系教育として発展し、いま一つ胸苦しくなってくるのであった。今日ではすべての教師 は山形、秋田、仙台等をびつくるめた北方性教育としての常識になっている新教育が、占領軍の押しつけや要求 育って来た。 によってのみ育ってきたものではなくて、既にその前か 昭和四年十月、小砂丘忠義氏らの努力によって創刊さら、若い教師たちによって、日本的な民主教育の基盤が れた「綴方生活」は、この運動の発展に新しい力を添えつくられていたのだった。それは国家主義的な政治道徳 るものであった。上田庄三郎、今井誉次郎、村山俊太郎〈の批判として、教育勅語的な教育思想〈の抗議として、 その他、後年つづり方運動の先達となったような人たち貧しい生活のなかで、はげしい人間愛の心にもえながら、 つるくさ が、この雑誌を拠りどころとして活動していた。 地べたをはう蔓草のように、自分の周囲にむかって少し そしてそれが、秋田県や山形県に一つずつの拠点をもずつ新教育の蔓を茂らせていったのであった。 ち、やがて北方性教育運動の基盤となったのである。 山形地方につづり方教育を展開していったのは村山俊 子供たちのつづり方指導からはじまって、生活指導に太郎氏であった。「綴方生活」その他の雑誌を手がかり はいり、学級経営の研究、創作童話の研究となり、子供にして全国的に同志と結びつきながら、その傘下に国分 たちのサークル活動の指導がはじまる。そして、少年少一太郎氏を育て、後年の無着成恭氏を育てあげた。 女たちに自分の周囲を見る正しい批判の眼をひらかせ、 秋田市には昭和四年ごろから北方教育社という教育者 かえ しつよう 270

2. 人間の壁〈上〉

からじゃないですか。 ちかごろ流行の作文教師は、そういう厳しい見方を忘組合の役員選挙について、反吉沢派というような人も、 れて、子供を甘やかしているんですよ。子供の心のなかいくらかはあ 0 た。志野田建一郎はそういう人たちと連 の狡いもの、悪がしこいもの、虚栄心、嫉妬心、そうい絡をと 0 ていた。選挙の情勢が思わしくないという予想 うものをちっとも厳しく批判しようとしないんですよ」がついたのも、そういう連絡から得たものであった。庄 司春子がたのみにならなかったということも、地方支部 「そうでしようか」と彼女は小さな声で答えた。 そして直感的に、 ( この人は子供を信じていない ) との婦人部から集まった情報によって解ってきた。 思 0 た。信じていないということは、この場合、愛して彼女は事務所から帰りの汽車を待ちあわせて、建一郎 と一緒の席をとると直ぐに言った。 いないということと、同じだった。 子供の心のなかに、醜いものがなくはない。嫉妬も虚「志野田先生、わたし、婦人部のひとからうんと吊しあ 栄も狡猾さも、なくはない。しかし、一人の子供の心のげられたのよ」 なかから、美しさを発見するか醜さを発見するか、それ「何のことです」 ・ : 婦人部長が特定のひとりを推薦する こそ、教育者と非教育者とを区別する最大の分岐点では「選挙のこと。 ないだろうか。 ( 一条先生が何とおっしやろうと、私はなんて、とんでもないことだって言うの。普通の組合員 もっともっと、子供の心の美しさを発見してやらなくてならかまわないけれど、役員がそんな事をしたら、組合 が割れてしまうっていうんですよ。 はならない ) : : : と彼女は思っていた。 沢田先生はひとことも答えなかった。恐らく一条先生ですから私は、表面に立つような事は何もできなかっ の手きびしい批評は、さっきの職員会議で彼の反対意見たんです。御免なさい。でも、直接連絡のつくような人 ふくしゅう : 大丈夫じゃ が押しつぶされてしまった、その事〈の復讐であるらしたちには、相当運動しておいたつもり。 かった。沢田先生は悪口雑言にも似た一条太郎のひややないんですか」 「おそらくだめだね」 かな言葉を、黙って聞き、黙って耐えていた。 「あら、そんな事ないでしよう。私の聞いたところでは つる Z96

3. 人間の壁〈上〉

の団体ができていた。宮城県には鈴木道太氏や佐々木正悲惨な事実があったことを、彼女はいま初めて知ったの 氏があり、福島には木下竜二氏がおり、岩手には高橋啓であった。 昭和十四年、山形県庄内の言語学者斎藤秀一氏が中国 吾氏、新潟には寒川道夫氏がいた。これら東北の教師た の文人と文通しているということに疑いの眼を向けたの ちが集まって北日本国語教育連盟をつくり、いわゆる北 が、酒田警察の砂田特高係であった。たったそれだけの 方性教育運動がおこされたのは昭和九年十一月であった。 昭和十一年のはじめから、官憲の弾圧がはじまっていことから、いわゆる「生活主義綴方運動事件」あるいは る。はじめは教職からの追放、のちには逮捕監禁処刑ま「雑誌 ( 生活学校 ) 編集グル 1 プに関する事件」が特高 ねっぞう で行われたのだった。 警察によって捏造された。 山形県警察は警視庁と連絡のうえ、まず村山俊太郎を 村山俊太郎は山形県特高に逮捕され、まる一一年のあい だ警察から警察へたらいまわしにされ、肺を病んでから検挙し、ついで東北六県の特高会議をびらいて方針をさ 自宅へ帰された。鈴木道太は実刑を科せられた。国分一だめ、昭和十五年末までに、日本全国にわたっておよそ 太郎も木下竜二も一年から一年半にわたって留置場につ 三百人の若い教師たちを検挙した。大部分は治安維持法 けんぎ ながれた。教育学の大先輩であった法政大学の城戸幡太違反の嫌疑ということになっていた。 郎教授すらも逮捕せられた。 かって青森でつづり方運動をやっていた土岐兼房は、 そのようにして日本の新教育は、若い教師たちの血と台湾の任地で逮捕されて青森まで護送され、一年ちかい 肉との犠牲の上に築かれ、受け継がれてきたのだった。期間を独房にとじこめられた。言語学者斎藤秀一は秋田 刑務所で病死し、新潟の内山直治は自殺した。池田、佐 長欠の子供はだれも来ない。夜はもう八時にちかかっ佐木、横山、角、一木、氏家、木下、平田の諸氏は獄中 ) た。尾崎ふみ子先生はたったひとりで音楽教室に坐ってに病を得て、出獄ののち間もなく死んでいる。村山俊太 いる。上り下りの汽車が遠い汽笛の尾をひいて、何本か郎は二カ年の留置場生活に肺患を得て刑の執行を停止さ 通りすぎて行った。彼女はさらに新しい。へ 1 ジをひらいれ、帰宅ののち数年にして死んだ。鈴木道太は実際に服 7 人て、先輩教師たちの苦難の歴史を読む。教育界にこんな役させられたが、その他の者は刑の決定もされない留置

4. 人間の壁〈上〉

一条太郎は小さく笑って斜めに彼女を見た。そして、 ようにして、用務員室まで行くと、奥の宿直室で話し声 「尾崎さん近ごろ、変りましたねえ」と言った。 がしていた。安藤さんが番茶を入れていた。 「そうですか」 「私にもお茶を一つ下さらない」 「ああ。変ったなあ」 「はい」 「どんなに変りました ? 」 「今日はだれも来なかったわ」 「何だかちょっと、こわくなったなあ」 「はあ、さようでしたか」 からかみ いやだわ」 ・こわいんてすか ? : ・ : ・ 「私が ? : 彼女は板敷きを通って宿直室の唐紙をひらいた。 「いや、本当です。なあ竹越君。うつかりした事を言う 「こんばんは。 ・ : あら、先生もいらしてたんですか」 竹越先生のほかに、一条先生もいた。家庭教師にまわと、びんと弾き返されそうだ」 った帰りらしかった。竹越先生は宿直の夜を利用して教「そうですか。女は独りで暮していると、きつくなるの 育雑誌を読んでいたらしい。するとその中からむずかしかしら。いやですね」 い作文が一つ出てきた。それについて二人がいま意見を「しかし、きれいになったですなあ。きれい過ぎる女教 師というものは気をつけなくてはいけない。男の子なん 闘わしているところだった。 か、勉強を忘れて先生の顔ばかり、うっとりして見てい 「どんな作丈ですの ? 」 「これ。ちょっと見て下さい。あなたの意見も聞きたる」 「先生、酔っていらっしやるのね」 い」と竹越さんは言った。 彼女はそういう話を打ち切ろうとするように、作文の 「尾崎先生の意見は聞かなくてもわかってるよ」 一条先生は窓にもたれて、ひとりでコップ酒をのみな出ている雑誌を取りあげた。一条太郎は少しはなれて彼 女の横顔をながめていた。きれいになったのは、彼女の ) がら、そう言った。 顔に憂いの影があるからかも知れない、と彼は思った。 「あら、どうしてですか」 良人に別れた三十女の孤独が、その表情を複雑にしてい 9 の「竹越君と同じ意見だよ。なあ君 : : : 」 人 るのだ。・ 一変なことをおっしやるわ」

5. 人間の壁〈上〉

い。 「僕は本を買ってやるほど金持ちじゃないし、校費にそ 「そんな書類、こしらえたって無駄じゃないのかねえ」んな予算はないし、寄付してくれるような奇特な人もい と一条太郎は自分の机のうえをかたづけながら言った。 ないし、仕様がないでしよう」 「どうしてですか」 「となりの子供の本を見せてもらうんですか」 「どうせお役所仕事だ。調査だの報告だのと言って、半「休み時間に自分のノートに写したりしているようだ」 年もたたなくては補助金は来やしないよ。せいぜい三百「可哀そうね。それでいいのかしら」 円か四百円のおかねだろう。そんな法律は体裁ばかりは「よくはないさ。よくはないがやむを得んでしよう。子 良いんだが、頼りにはならんね」 供の親が貧乏している、その事の尻ぬぐいまでは、とて 「じゃ、どうすればいいんです」 も僕等は手がまわらんからね。子供を産んだ親たちは、 「の予算から出してもらうんだね。その方がずつ教科書ぐらいは買ってやる責任があるんだ。親が買って と早手まわしだ」 やれない場合には、国家社会が何とかしてやればいいん 「出してもらえるでしようか」 だよ。教師の仕事じゃないね」 「さあ。それは事と次第によってだろう。も貧乏「だから今度、こういう規則をこしらえて、文部省から だからね」 本代を給与してくれるというんでしよう」 無責任な言い方をして、一条先生は立ちあがった。 「それがちゃんちゃんとやれればいいのさ。申請だの調 「もう帰ろうじゃないですか」 査だの報告だの言っていたら、今年の間に合わんよ」 「 e にお願いする方がいいかしら」 彼女はそれには答えずに、 「先生のクラスでは、どうしていらっしやるんです」と「まあ、その方が早そうだね。じゃ、おさきに : : : 」 , 問うた。「本の買えない子はいないんですか」 一条先生はいつでもそういう風に、投げやりな、懐疑 「いるさ。五人もいますよ」 的な物言いをする男だった。せつかく志野田ふみ子が申 請しようとしている書類にけちをつけて、そのまま皮肉 : 「それを、どうなさるんですの」 人「どうもしない : ・ : 」一条太郎は平気でそう言った。 な笑いをのこして帰って行く、どこか小意地のわるい男 7 しり

6. 人間の壁〈上〉

二、三時間も仕事を手伝ってもらう程度でしよう」 の宿命みたいなものかも知れなかった。 「だって、そんな時間はありませんよ」 校門の下の坂道を降りてくると、夜の淀んだ空気のな 「それは、話がきまれば分会で相談して、校務分掌を少かに若い稲のにおいがした。一条先生は良人と別れたば なくするとか、とにかく何とかしてもらうんです。そう かりの女教師に、なまなましい ( 女性 ) を感じていた。 して時間のやりくりをつけるんだな。どこでもそうやっ彼女がまだ妻であったころにはあまり意識しなかった女 ているんです」 性的なものを、今になって却って新鮮に感じていた。足 なたる 尾崎先生は意味もなく雑誌の。ヘージをくりながら、 もとの小溝から螢が飛びたち、青い灯の曲線を明減させ 「私にできるような事かしら」と言った。 ながら田の上に流れて行った。 「組ヘロから手当でも出るのかい」と一条太郎が口を出し「今夜はだれも来なかったようですね , と彼は言った。 ( 0 「ええ。ひとりも来ませんでした」 「一銭も出ないね。勤労奉仕だ」 「長欠の子はだめなんだ。親の方がだめなんだから、仕 「ふむ、そうか。どれ、僕は帰ろう。尾崎先生、帰りま方がないですよ。沢田君の熱心さはいいが、実際には特 せんか。夜道は暗いから、途中まで送りましよう」 設クラスなんて、効果はないね」 時計は九時をすぎていた。竹越先生は校内巡視をする 相手は黙っていた。 時間だった。一条太郎はモーターハイクを押しながら、 「竹越君はさっき、組合のはなしをしていたが、あなた、 尾崎ふみ子と連れ立って、用務員室から暗いグ一フウンド やるつもり ? 」 に出た。 「婦人部のことですか」 結局、親の不正行為に苦しむ子供のつづり方を、どう「そう言っていたね」 処理すべきかという問題は、結論が出なかった。結論は「考えているんです」 出なかったが、その代りに、教師という仕事の根底に、 「やめた方がいいよ」と彼は言った。「 : : : まあ、僕の なにか中途半端なものがあることに、みんな気がついて忠告は功利的とか現実主義とか言われるだろうけど、や いた。それは、もしかしたら永遠に解決できない、教師めた方がいいですな。あなたのためだ」 こみそ よど 282

7. 人間の壁〈上〉

政権をにぎったうえで、全力をあげて日教組をたたきっ いる。にくい女だ、と彼は思った。 ぶそうとしている。かなうわけはないじゃないですか。 それと同時に彼は、尾崎ふみ子から五、六歩離れた気 現に山口県を中心に第二組合ができている。あなたの持になった。女が離れた位置に立つならば、こっちも離 旦那さまもそっちの方らしいが、その組合には保守党がれてやろうという態度だった。離れれば、女に対する親 しりお 資金をあたえ、尻押ししているらしい。その組織はだん切さが裏返しになって、一種の残酷さがうかびあがる。 だん全国にひろまって行く様子もある。日教組にはいら「なぜ僕が忠告するのか、解らないんですか」 なくても飯は食えるし、生活も安泰だ。 こういう変な時代には、うつかり動かない方が利ロだ「それを僕に、言わせたいのかなあ」と彼はモーター・ハ と僕は言うんですよ。解るでしよう。敵の弾丸が雨あらイクを押しながら言った。車輪の下で夜の小石がきしむ。 れと飛んでくる時に、ざんごうから頭を出すやつは馬鹿もう尾崎ふみ子の家のちかくだった。 なんだ。穴山なんか馬鹿の標本だが、自分ではそれが解不意に彼女は、 っていないんだ。だからあんたもやめた方がいいって言 「どうも失礼しました。先生の御忠告、考えてみますわ。 うんですよ」 有難うございました」と言った。男の次の発言を封ずる 「そうですか。 ・ : でも、どうして私に、そんなに忠告ために、あわてて付け加えた言葉のようだった。 して下さるんですの ? 」 その言葉を聞きながして、女の肩に顔をちかづけて、 「ふむ。 ・ : あんたはずるいね」と一条太郎は言った。 「あなたと心中しようか」と彼はささやいた。「僕は独 男に散々言わせておいて、その話を黙って聞きながら、り者だから、いつだって死ねるよ」 この女は少しも心を動かされてはいないのだ、と彼は思十歩ばかり、彼女はうつむいたまま黙って歩いた。そ った。利口さであろうか、それとも冷たさであろうか。 れから、ふふっと喉で笑い声をたてた。 その冷たさに、志野田建一郎という人は耐えきれなかっ 「心中だったら、別の人としますわ。じゃ、さよなら、 ため たのかも知れない。あげくの果てに、 ( 何の為に私に忠御免ください」 告するのか ) と、男の足もとをすくうような質問をして 小走りに、女の靴音が横町へ駆けこんだ。一条太郎は のど 284

8. 人間の壁〈上〉

もんだ。ところが穴山先生は、元気のいい兄貴というとで、先生という職業は、これでなかなか悪くないんだ。 ころだ。 ただ悪いのは月給が安いことだ。いつまで働いても残る はつらっ やつばり教師というものは、漫剌としていなくては駄ものが無い。そこで、物持ちの家に婿にはいるというの ロだよ。穴山君なんか全くこれで、婿にしたら良い婿だ。が案外に条件がいいんだ。田地が三町歩か四町歩もあっ ねえ、三国一の花婿だよ」 て、家屋敷があって、そこにきれいな娘さんがいて、そ ゅうゆう 「いや、婿なんかまっぴらですよ。かんべんして下されがそっくり自分のものになる。そうして悠々と先生を しながら、一一十五年くらいも勤めていれば校長になれる。 「いやいや、そうじゃない。穴山先生、君の考えは新し退職金も多くなる。世間の人望もあって、教育者として いようで古いぞ。僕みたいな年寄りの言うことを聞きた尊敬されて、こんないい人生はありませんよ」 まえ。 ・ : 」北見先生はかなり酔った口調だった。「本「その実例は竹越先生だ」と一条太郎が言った。「温厚 当だよ。悪いことは言わない。大きな野心をもってみたにして篤実。いいお婿さんですなあ」 ところで、金は小学校の教師だ。大したことは出来や「何が温厚なもんか」と竹越先生は笑 0 た。「出来のわ しない。 るい婿さんだ。校長にもなれそうにはないしね。 まあ近ごろは、組合運動で大いに活躍して、日教組の 「いやいや、竹越先生は校長になるよ。きっとなる。僕 幹部になって、それから参議院議員にな 0 たりする特殊はをしてもいいな」 な人物もあるにはあるが、そんなものは君、五十何万の 北見先生はそう言って大きくうなずいた。すると一条 組合員のなかの、三人か五人だ。 太郎が横から話をとって、 また一方ではこの一条先生みたいに、家庭教師やなん「大体、校長になる人物となれない人物とは、初めから ) かで大いにかせいで、それを資本にやがては転業して、違うようだな。北見先生みたいな欲のない人は、失礼だ 実業方面に進出しようという人物も無くはない」 が校長になる人じゃない。それから僕みたいな抜け目の の「僕は実業なんかやりやしないよ」 ない人間も案外駄目だ。さっきの話じゃないが、二十五 人 「君がやるという訳じゃない。・ ・ : とにかくそういう訳年も勤続する辛抱気がないから、そのうち転業するかも 7

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をしたのだった。彼は、その劣等児を << ク一フスに引きと 親切ですけれど、あの子は私が何とかやってみますわ。 ることによって、和田澄江に恩を売りたかった。それに 今日も母親との会がありましたけれど、だれも浅井のこ とは言っておりませんでした。私は直接には、そういうよって、和田澄江とその母親グループとに、接近してお きたかった。またそのことによって、校長の困った立場 親たちの不平は聞いておりません」 を助けておいてやりたかった。校長にも恩を売っておき 「直接には言いにくいんだね」 こゝっこ。一石二鳥の名案である。 「そうかも知れません。でも、大丈夫です。校長先生かオカオ らも言われましたけれど、お断わりしたんです。わたし劣等児のひとりぐらい、一条太郎は何とも思わない。 その子を丁寧に教育してやる気などは持たないのだ。 はあの子が好きなんです。手に負えない子ですけれど、 だが、折角の交渉も、志野田先生の拒否にあって、駄 ちっとも憎いとは思いません。手ばなす気はありません 目になってしまった。和田澄江は今後も校長に注文をつ 一たん自分のク一フスに来たからには、どんなに手に負けるだろうし、担任教師に不満の意を示すだろう。一人 えない子供であろうと、それは担任教師の仕事であった。の劣等児の存在が、母親たちと教師との対立をまねくこ とになるかも知れない。一条先生はそこまでの先を見越 途中でほかのクラスに引きとってもらうなどということ して、うす笑いをうかべているのだった。 は、みずからを侮辱することにほかならない。彼女は、 浅井吉男を < クラスへやろうという校長や一条の提案に、 腹を立てていた。自分がそれほど無能な教師として見ら家庭訪問は数日後の予定になっていたが、志野田先生 はあの子のことが気がかりになってきたので、土曜日の れているのかと思うと、黙っていられない気がした。 しかしその話は全部、和田澄江から出たことであった。午後一時すぎ、特に予定をくりあげて、浅井吉男の家だ 自分の子供のクラスに邪魔ものが一人いるから、それをけを訪間してみた。 他のクラスへ追っ払おうというわがままな考えから出発新町の交番できいてみると、浅井の家はすぐわかった。 中年の巡査はどこかで彼女を見知っていたらしく、 したものであった。 その意をうけて、一条太郎が志野田ふみ子に直接交渉「東小学校の先生でしたな」と言った。 1 イひ

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頬をゆがめて笑った。にくい女だと思う。 : ・そしてゆっ、限界線からはみ出してきたものに違いない。 つくりとモーターバイクにまたがった。 腕時計をはずして机の上に置いたとき、電気スタンド 田舎町の夜は、九時をすぎるとほとんど人通りが絶えの下に白い角封筒がはさんであるのに、彼は気がついた。 る。一条太郎は快適な早さで車を走らせ、三分も経たな心覚えのない封筒である。引き出してみると青いインキ いうちに下宿の門に着いた。 で ( 一条先生、親展 ) と書いてあった。裏には署名が無 こけ モーターをとめて、苔のにおいのする植込みのあいだい。ふと、心が騒いだ。 の道をゆっくりと歩く。未亡人が聞きつけて玄関の灯を爪の先で封を破る。銀線のはいった便箋が一枚。やや つけてくれるのに、ちょうど間にあうくらいの歩き方だ乱暴な女文字の、短い手紙だった。 っこ。 一条先生、一生のお願いです。私は三カ月以上も悩 みつづけました。自殺しようかと思ったこともありま ガラスのはいった格子戸のなかにほのかな灯がともる。 植込みの緑が新鮮にうかびあがる。音をひびかせないよす。どうか、大至急この家を出て下さい。お願いしま うに用心しながら、格子が内から開けられる D シルエッ す。もし先生が出て下さらない時には、先生の学校へ トになって、小肥りの女の姿が一条先生を出むかえた。 手紙を出す覚悟です。知恵子。 ゆかた 「お帰りなさい」とささやくような低い声で言う。 未亡人がはいってきた。紺地の浴衣に半幅の帯をしめ、 モーターバイクを引き入れ、かかとで靴をぬいで、先帯の下に肉づきのよい腰の丸みを見せて、脱ぎすてた先 生は廊下を離れへ行く。歩きながら上着をぬぎ、ネクタ生の服を衣紋竹にかける。先生は黙って娘の手紙を彼女 イを解いていた。 の眼のまえに突き出した。 離れの八畳はきちんと整理されて、彼の寝床が敷いて女は身をかがめて、スタンドの光で手紙を見る。読み まくら はいざら ある。枕は真白な布で包んである。枕もとには灰皿もマ終ると同時に先生の机の前に、くたくたと坐った。荒い 上 ッチも置いてある。下宿人が良人の待遇をうけていた。 息をしている。一条太郎はちぢみのシャツを脱ぎ、ふり 間おそらく未亡人はその ( 行き過ぎ ) に気がついてはいなむきもせずに寝間着に着かえた。煙草をくわえる。立っ いのだ。彼女の寄りすがる気持が、いつの間にか少しずたままでマッチをする。勢いよく白いけむりをはく。ふ つめ びんせん 8 2