かった。あまりにも急にいろいろなことが起きすぎたので、 た国際研究機関でも、透きとおった雪を体内で固定化するこ ノートに書いて頭の中を整理したかった〉 とは叶わなかったのだ。それを一国のみで、しかも極秘裏に キャンプ・サウスは、想定外の出来事の連続に混乱をきわ実現したというのは、やはり疑わしい。荒れ野をめぐる発言 めていた。とりわけキャンプを主導する合州国は、『クサナカを得て、権益を少しでも有利な形で確保するために、虚仮 ギ』開発と方舟計画の発表に大きな衝撃を受けた。荒れ野が威しをかけてきたのではないか、と合州国は見ていた。ほど 奪還される。合州国にとって、それは、同盟の名のもとに支なくミネギシ政権はひそかに接触を図ってくるはずで、合州 配してきた小さな島国の裏切りーー叛乱にほかならない。 国はそのルートや交渉内容のシミュレーションを進める一 キャンプ内の空気が変わった。スタッフの動きがあわただ方、キャンプ・サウスを警護する駐留軍の態勢を、静かに、 しくなり、笑い声が消えた。合州国から派遣されたスタッフ素早く、荒れ野封鎖の編成へと切り替えていった。 は司令室にこもりきりになって、大使館や駐留軍を介しての 〈でも、ヘロン先生の考えは違っていた。先生は、俺たちの 情報収集を急いだ。ほかの国々から来たスタッフも、それぞ 国をーー「俺たちの」なんて呼びたくはないけれど、とにか く、この国のことを、よくわかっている。この国には、もと れの母国と合州国との間の関係に応じて、協力を申し出た 、静観を決め込んだり、と互いに牽制し合っていた。 もと、合州国を相手に揺さぶりをかけて交渉をするような度 それまでは三日月の民を救うための人道的な施設としての胸はないはずだった。ただし、『クサナギ』を開発できるか 顔しか見せていなかったキャンプ・サウスだが、状況次第で もしれない科学力は、確かに持っている。だとすれば、『ク は、ここは荒れ野への最前線の軍事拠点になる。その「状サナギ』は本物なのか ? それとも逆に、はったりのコケお 況」が紛れもなく、いま、訪れたのだ。 梗概 〈ヘロン先生もゆうべは何度も司令室に呼びつけられて、 僕たちの国の土地なのに、自由に立ち人ることができない場 『クサナギ』のことを訊かれていた。でも、先生は「わから 所・荒れ野。ュウジこと「僕」が母のお腹にいるころ、コンビ ない、ありえない、信じられない」と繰り返すだけだった。 ナートで事故が起き、毒のひそんだ透きとおった雪を吸った 人間は突然に死を迎えるようになった。居住区に移り住んだ ごまかしたり隠したりしたわけではない。荒れ野の研究を長 僕が中学生となった四月末の追悼週間、建設会社社長のタケ 年つづけ、科学者の仲間が世界中にいるヘロン先生でさえ、 トラの息子テッヤは「奇跡の子」になるべく鎮魂の鐘を鳴ら 『クサナギ』のことはまったく知らなかった。まさに寝耳に した。そんな中、透きとおった雪を克服するワクチン『クサ 水の話だったわけだ〉 ナギ』の開発が成功し、ユウジはタケトラから『クサナギ』 キャンプ・サウスでは、『クサナギ』の存在を疑問視する を打って荒れ野に行く最初の人間に指名される。 声のほうが多かった。世界中から第一線の研究者が集められ 335 荒れ野にて
たのだ。トウホルスキー通りがまだ大砲通りと呼ばれていた 多摩の高校生だ。と思ったが、彼はもう高校生ではない。二 頃、このゲマインデに集まってきていた人たちだ。幼稚園を十代の終わりだろうか。誰からも誉められず貶されずに一人 作ってへプライ語の字を教え、本を読むことを教えた。 で生きているうちに大きく育ってしまったお化けキノコみた いなアーチスト。彼は何を見つめ、なぜその店に人るのを躊 お前たちは出ていけ、という落書きが壁を汚し、窓に投げ躇っているのだろう。どこかで会ったことがあるような気が つけられた石がガラスを割り、店では冷たく扱われ、外から してならない。高校時代の同級生だと言われても驚かない。 帰るとコートの背中に唾がついていて、頭の中で危険信号が でも名前は全く思い出せない。大学を卒業した春に「ベルリ 鳴り続ける。ヘイトスピーチという言葉はふさわしくない。 ンに行って来ます」と彼が飲み会で宣言した時には、それま 嫌うこと自体は人間的で悪いことではないから。蜘蛛を嫌う では尻を舐めるように軽蔑しあいながらも飲みつるんでいた 人、汚職を嫌う人、にんじんを嫌う人、ナイロンを嫌う人。 仲間たちの身体に一瞬、緊張が走った。あちあちのアートを いろんな人がいていい。でもユダヤ人を嫌うということはあ あっちでやるんね、ははは、と酔った一人が額の高さに持ち りえない。トルコ人を嫌うということはありえない。中国人 上げた杯がゆれてお酒が顔にかかった。工 リートぶりを捨て を嫌うということはありえない。自分の傷が腐敗しかけてい きれないもう一人が眉をひそめて、ベルリンね、まあニュー るのに治療する勇気を出せない臆病者が、無関係な他人に当 ヨークよりはいいかもな、とつぶやく。棘に覆われたプラジ たり散らしているだけだ。 ャーのオプジェを作って最近、賞をもらった多摩の美は、あ トウホルスキーは、子どもの頃は自分がユダヤ人だという たしも連れてってええ、と猫撫で声を出した。彼は一人にや ことなど考えたこともなく、ドイツ語を話すヨーロツ。ハ人と にやしながら、優越感と薄ら寒さを重ね着し、肩をまるめて して育った。わたしだって同じだ。たとえば散策者であるこ 一人で家に帰った。同じ汁の中で煮詰められていた野菜スー とがわたしの国籍だと思っていた。「日本人」という言葉を プから自分だけがすくいあげられて高みに昇った気分だった 思い浮かべた途端、ラ 1 メンのにおいがして、脳に素手で触が、すくいあげられた後で、宙にぶちまかれるのかもしれな られたみたいにぎよっとした。五メートルくらい離れたとこ い。そのくらいならお椀に静かによそわれて凡人に食べても ろに長いよれよれの踵に届きそうなトレンチコートを着て、 らった方がいいのかもしれない、とも思ったがもう遅い。キ 古い運動靴を潰すようにはいた若い男が立っている。ショー ャンセルできない格安の片道航空券を買ってしまった。ベル ウインドウのガラスをうつろな目で見つめているが、その腰 リンに着いてからはずっと微熱が続いて食欲がなく、自分が の位置、肩の落とし方がわたしの記憶の表面を引っ掻く。 何をしているのか分からないというか、何かしているのが自
そのためだ。 からはすぐに飽きられて、様々な大人たちとはできない。なぜなら「敵ーは警察と結 の自分勝手な欲望や都合に振り回され、漂託し、仲間である健太や康太に放火の濡れ 宗教団体でカリスマ的な人気を集める、 女性嫌悪の牧師。親友が赤ん坊を買う様子流していく。ついには原発周辺に取り残さ衣を着せて、逮捕させてしまったからだ。 そこで仲間のシイラは、薔薇香に国外へ を番組にしようと目論む、テレビディレクれて甲状腺癌を患い、手術することにな ター。甲状腺癌を患った少女を反原発のヒる。不幸ばかりを引き受ける、なんとも気逃げるよううながす。合理的な判断といえ よう。ところが薔薇香の考えは違った。彼 ーローに仕立て上げようとする脱原発派。の毒なキャラクターである。 逆に彼女を「フクシマは安全だ」と印象付だが興味深いのは、最初は利用されるだ女は声の出ない「おじいちゃんーの代わり けるために使おうとする広告代理店のオーけの受け身の存在だったバラカが、途中かに、こう言ったのである。 「いいえ、お願いします。私たちを乗せ ら変化していくことだ。 桐野は震災後の日本をリアルタイムで観彼女は沙羅からつけられた「光」というて、このまま旅を続けてください。なぜな 察し、絶えず「現実」にインスピレーショ名前を拒絶するあたりから、大人たちへのら、私たちは何も法律を犯していません。 ンを受けながら、こうした「あるある」的抵抗を始め、主体性を発揮し出す。そして健太や康太もそうです。だから、私たちが なカリカチュアを形成していったのだろ「おじいちゃん」こと豊田吾朗に引き取ら彼らを助けないで、誰が助けるのでしょ れて「薔薇香」という名を与えられてからう」 そんな中異彩を放っているのが、小説のは、はっきりとした自分の意志を持ち始め僕はこの言葉に意表を突かれた。 タイトルにもなっている「バラカ」というる。原発推進派・脱原発派の両方から利用そして不思議な感動に包まれた。 少女である。彼女は社会に存在するあらゆされ、誰が味方で誰が敵なのかも分からぬ先述したように、小説「バラカ」が描く る負のエネルギーを吸い込んでしまうよう袋小路に人り込んでも、知性と判断力と決ディストピアは、多少のデフォルメはある な、とらえどころのない不思議なキャラク断力を駆使して、自由を獲得しようと闘っものの、私たちが直面する世界そのもので ある。 ていくのである。 そのどうしようもない世界で生きていく バラカは最初、現代社会に生きる大人た絶望的な状況の中でもがく彼女は、もし ちの欲望や絶望や心の荒廃を投影する、キかしたら震災後の世界に生きる「私たち」ために、私たち一人ひとりに、いったい何 のメタファーなのではないか ? 小説を読ができるのか。薔薇香のセリフには、その ャンバスのような存在として提示される。 ための重要なヒントがあるのではないか 日系プラジル人の子として生まれた彼女み進めるうちに、そんな気がしてきた。 ラスト近くで、とても印象的なシーンがと、僕には思えたのである。 は、赤ん坊の頃「バラカ」という名前でド ( 集英社刊・一八五〇円 ) 本 バイで売られてしまう。彼女を買ったのはある。 「男はいらないけど子供は欲しいーという「敵」に追われ、命を狙われる薔薇香。だ 日本人女性・沙羅。しかし・ハラカは、沙羅が、助けを求めるために警察へ駆け込むこ
かり消え去ったとしても、この書物は言葉チ〉ではなく〈五輪〉の〈聖火〉と呼ぶとを練り歩く」ことがイメージされる「祝 と言葉とのバランスだけで自立しているにいうか書く習慣とあいまって、どこか宗教祭」である限り「空地」の空地性は失なわ 違いない。この本もまた金井氏が、小説で的な ( ということは、疑いというものをあまりれ、そこには金井氏の指摘する「宗教」臭 あれェッセイであれいつも仕掛けるいまま持たない ) イメージが感じられます」と金さは付き纏い、そして「発注」の問題は相 年変わらず残ったままだ。「画家は絵を描く でに誰もやったことのない言葉による実験井氏は続ける。とすれば、この 2016 の快晴の正月に富士山を望んで、それまでことが心底好きで絵を描くためには、主題 の成果なのである。 は「説明できるロジックが見つかるまでコなどは実のところ、何でもいいという素直 小さな断片のように思わせる項目は、 実は大きな「差別」「詐欺」「メディア」メントは差し控えるべき」 ( 磯崎新『偶有性な気持が、芸術家的と信じられていたかの 「発注」の 4 つのプロックに分かれており、操縦法』 2 016 年 3 月 ) と思っていた磯崎ようだ。 ( 中略 ) 『絵画』などというもの そこで風通しのよくなった視線で、金井氏氏は東京を周辺から眺めてみたいと考えては、政治的状況のみで価値が決るものだ、 が本の最後に緊急の手紙のように差し挟ん思索の旅に向かい、遂に「空地になっていと舌足らずに言いたいらしい。しかし、レ ンプラントに絵を発注したのは、国家では だ「まだ、とても書き足りない」で言及しる神宮外苑を「原ツ。ハ」として残せ ! 」 かからていながら誌面の尽きた 2016 年 ( 同上 ) と、まだどこかに岡本太郎の「芸なく、市民ではなかったか」 そして、このなかの主語である「画家」 の「新国立競技場」をめぐる建築家たちの術は爆発だ ! 」の残響を感じさせる口調で 発言を見直すとどうなるだろうか。出てき書きもする。「旧国立競技場」の解体は今を「建築家」に置き換えて読めば、「素直 た発言のほとんどは「国家か社会か」「自から 1 年前の 2015 年の 3 月にはじまりな」対応振りが時には思わず「ひとかど」 と言うより「オレさまに見えてしまう今 然か伝統か」「ファシズムかネオリべラリスタンドのある外壁が消えたのは 5 月で、 ズムかー「市民か天皇か」といった大仰で富士山は見なかったものの解体で現れた空の建築家たちに欠けているものが分かるだ 派手な一一一口説ばかりで、もちろんそのほとんの広さのあまりの気持ちよさに、私はカメろう。それは金井美恵子氏の言葉の回転運 どが「ピント外れ」ということになるだろラを持って数日間通ったくらいであったか動の軸となっているごく常識的な「庶民感 う。というのも、金井氏が注目するのはら、早さが勝負の「メディア」に意識的に覚」ではなかろうか。とはいえその庶民は 「新国立競技場」ではなくてむしろ「聖火関連づけてきた磯崎氏としては少し反応が醤油味ではなくて「ばらの騎士」のオクタ 台」のほうなのだ。「なぜ、選考の席でも、遅過ぎるとはいえ、そもそも最初からオリヴィアンは、マレーネ・ディートリッヒの また新デザインが発表された時も、そしてンピックがいらなかった私の考えと表面上言葉を信頼してジェラール・フィリップが 今までの何ヶ月の間も、誰もそのことを言では同じことになったが、しかし磯崎氏の相応しいと直感したルビッチのものである い出さなかったのかが不思議です」と指摘「皇居前」であれ「神宮外苑」であれどこが。 ( 平凡社刊・一九〇〇円 ) したあと「それを〈オリンピック・トー かの「広場」であれ、それが「都市の街頭 コモンセン 225 本
なかったという一般の通念の愚かしさを知った。「アポロジ この覆いを破り、永遠と一体となるには、ただ意志を振い起 イ」が成らなかったのは、この人の病弱や夭折が原因ではな せば足るのだとは知っている、みんな解っている、それでい い。もともと彼の思想は、そういう仕事を完成する様な性質て、凡そ生き物のうちで一番のやくざ者でいるとは、これは のものではなかったのである〉。これに続く箇所では。ハスカ堪らぬ事だ。人間とは何んと意気地のないものか。ハムレッ ルを評してこう述べる。〈あまり速く廻る独楽が動かない様 ト、ハムレット。彼の荒々しい、嵐の様な話を思うと、足腰 に見える様に、凡そ可能な方法を悉く利用した人間は、考え 立たぬ全世界の歎きが聞えて来る様で、もう僕の胸は悲し気 るのに何んの方法も持たぬ人間の様な外見を呈するだろう。 な不平にも非難にも騒がぬ。僕の心はいよいよ苦しくなり、 外見の下で、どの様な思考の集中が行われなければならぬ僕は知らぬ振りをする、でないと心が毀れてしまいそうで か、知る人は知るであろう。「自分は呻き乍ら探る人間しかす。。ハスカルは言った。哲学に反抗するものは自身が哲学者 認めないーと彼は言った。こういう人には、謎から解決に向 だ、と。傷ましい考え方だ。 ( 中略 ) 僕には新しい計画が一 う一と筋の論理の糸なぞは、一種の児戯としか映らない。疑っあります、発狂する事。いずれ人間どもは、気が変になっ いを挑発しない解決という様なものが、この世にありようが たり、直ったり、正気に返ったりする、それで構わぬ〉 ( 「兄 ミハイル宛書簡」一八三八年八月九日 ) 。 ない。こういう人は、謎を解かず、却ってそれを深め、これ を純化する。真の解決は神から来る外はないのだから。。ハス 。ハスカルもまた人間の弱さを執拗に嘆いた。〈私をいちば カルが、若しドストエフスキイを知っていたら、まさしく彼ん驚かすことは、世間の人たちがみな自分の弱さに驚いてい を「呻き乍ら探る人間」と認めたであろう。ドストエフスキ ないということである〉 ( 『パンセ』前田陽一・由木康訳 ) 。では イが、特にパスカルを愛読し、その影響を受けたという様な 。ハスカルの考える弱さとは何か。それは人間の自己愛に関わ っている。〈人間は、自分自身においても、他人に対しても、 事は恐らくなかっただろうが、二人は別々に同じ星の下に生 れた人間らしい〉。 偽装と虚偽や偽善とであるにすぎない。彼は、人が彼にほん 彼らが〈血縁〉あるいは〈別々に同じ星の下に生れた〉と とうのことを言うのを欲しないし、他の人たちにほんとうの はどういうことか。小林は。ハスカルに言及している十七歳の ことを言うのも避ける。正義と理性とからこのようにかけ離 ドストエフスキーの書簡を引用する。〈人間とは、何んと不れたこれらすべての性向は、人間の心のなかに生まれつき根 自然に創られた子供だろう。精神界の法則というものが滅ざしているのである〉。誰もが自分を良い人間であると思い雄 茶々々にやられているからです。この世は、罪深い思想によ たい。また思われたい。何か間違いがあれば指摘してほしい林 って損われた天上の魂達の煉獄の様に僕には思えます。 ( 中 と思う。実際にそうロにしたりもする。だが、それもまた自 略 ) 全世界がその下で呻いているお粗末な外皮が見えている分は公正であると思いたい自己愛からであり、そこに正面か こわ
くれたこと、呉淞ロの安宿の納戸部屋に沈みこんでいた彼を野で、馮を含めこれまでの人生で関わりを持ったすべての 拾い上げ、映写技師の仕事をあてがってくれたことーーそう 人々と縁を切って暮らす : したすべてを通じて、おれはあの老人から試されていたのか 支那は広い。満州事変以来日本が侵略し辛うじて制圧した もしれない。予期せぬ場面にいきなり置かれたおれがその中地域などそのほんの小さな一部分にすぎない。日本軍駐屯地 でどう行動するか、降りかかってくる厄難の数々にどう反応を迂回してバスを乗り継ぎ、西へ西へと突き進んで、かって しどう対処するか。それを馮は遠くから近くから、あの皮肉 のシルクロードの経路を辿り、中近東の国々まで突き抜けて で冷徹な目でじっと観察していた : 。その挙げ句、合格点 みたらどうか。アラビア語を覚え、絨毯の売り買いの仕方で を与えてもいいという気持になって、「わたしたちーの中に も勉強し、イスタンプールの裏街で小さな店でも開いて おれを受け人れようとようやく決断した : 。明かりを消した寝室で、寝つかれないままべッドで輾 いや、それならそれでも良い、と芹沢は改めて考え直し転反側しているようなとき、現実味に乏しいことがあまりに た。自分に強いてそう考えようとした。警察官の職への未練も明らかなそんなとりとめのない夢想が暗闇の中を揺曳す る。 はもうとっくのとうになくなっている。生まれ育った内地を 棄て、六年間を過ごしたこの上海も棄て、新しい土地に移り 階段を降りればすぐ行き着ける、同じ家のつい目と鼻の先 新しい人生のステージに足を踏み人れる。そのきっかけを馮 の寝室に横たわっている美雨の匂いやかな肉体の存在が、は が提供してくれるというのなら、今のおれにそれを歓迎しな つきりと意識にのぼらないまでも識閾下の無意識の部分を絶 い理由はない。自分のうちで凍結し凝っていた生命力が、こ えず刺激しつづけるせいだろうか、そんな深夜にはまた、馮 の夏の間にようやくゆっくりとほとびて、ふんだんに流露し が自分を試していたのではないかとの疑いからさらに派生し はじめたように芹沢は感じていた。もっと生きたい。そう強て、美雨と自分の間にあの夜起きた艶つぼい椿事もまた、実 く思う。芹沢は数えでまだ三十一だった。 はその試しの一環なのではなかったかという妄念めいたもの が、しかし、馮に言われるまま彼らの後に付いて香港に行 まで、ついでのようにふと頭をよぎる。それは芹沢にとって くのとは別の選択肢は、はたしておれにはないのか。上海に決して愉快な考えではなかった。阿片に溺れ、やや病的な痩 とどまって後半生を過ごすという途がありえないのは明らか せこけようがかえっていびつな官能をそそる自分の姪の真っ としても、馮に頼らず自力で上海脱出の可能性を探ることは 白な肉体を甘い餌にして、芹沢をおびき寄せ罠の中に誘いこ できないか。何とかして国境を越え、日本からも支那からも み、雁字搦めに縛り上げ、身内の中に取りこんでしまおうと 離れ、どこか外国の街で、あるいは街でなければ田舎で、原いう狡猾なたくらみ : いやいや、まさか、いかに何で フェン フェン フェン メイユイ フェン メイユイ 354
し示す先がびたりと重なるような気がしまさんが保管していたもので、奥平さんと東はずで、そうではない昔のプリントが、こ した。それは、島の社会に漫然と漂う気後松さんは古くからの知り合いであるといの宮古島にたくさん残されているなんて、 れのような霧を取り払いたいと願っていた う。もしかしたら奥平一夫さんが、石川のと。 私にとって、特別な予感を覚えるものでし展示を開催するにあたっても何か力を貸し東松さんの古いプリントは奥平家で保管 てくださるのではないか、そんな思いからされていたものの、だいぶ状態も悪くなっ 池城さんは奥平さんの家を初めて訪ねるこていた。どうにか活用できないか、と奥平 こうしたきっかけがあって、ぼくは池城とになった。 さんも考えていたようで、ぼくが再び島を さんと出会い、そのことが宮古島での自分奥平一夫さんの親戚に、島の写真館に勤訪ねた際に連絡を取ると、会っていただけ の写真展へと繋がった。宮古島で展示するめている奥平千秋さんという、池城さんのることになった。 にあたって会場をどこにするかは悩ましい同級生がいた。池城さんは、千秋さんと同 ところだったが、 2002 年に東松照明さじ高校だったとはいえ専攻が違って面識は 2014 年Ⅱ月日、『 ARCHIPELA んが個展を開催した「うえすやー」というなかった。しかし、同級生のよしみという GO 宮古島』という小さな個展 ( 作品数 % カフェで展示をするのはどうか、と池城さことで千秋さんに連絡を取り、奥平一夫さ点 ) を、うえすやーでぼくは無事に開催す んが提案してくれた。 んを紹介してもらって、 2 014 年初夏、ることができた。初日のオープニング。ハ 「うえすやー」はもともと、年以上前に二人でお宅を訪ねることになった。 ティを終えて一息ついたⅡ月日、ぼくは 歯科医院として建てられた建物で、オーナ奥平さんの家で二人は東松さんの作品群池城さんと二人で奥平一夫さんの家を初め ーは、島出身者としてはじめて歯科医院をに初めて出くわした。池城さんは写真につて訪ねた。奥平さんは県議会議員なので、 開業させた高嶺長二氏の四女、郁子氏であいては素人だったが、それが貴重なもので宮古島と沖縄本島を往復しながら毎日忙し る。高嶺氏が引退後に医院を改装し、カフあることを直感し、 2014 年 9 月中旬、 くされており、ぼくたちがお会いできたの 工兼ギャラリーをはじめ、島に住む作家をぼくと最初に展示の打ち合わせをした際にも、その合間にたまたま島にいらっしやる 中心にいくつもの展示を開催してきた。今話をしてくれたのだった。 ときと重なって時間を割いてくれたからだ る は郁子さんの息子である歩さんがカフェを「宮古島に東松照明さんの写真を保管されった。 っ 切り盛りしている。 ている方がいます。今度、一緒にお宅に行東松照明さんは 1973 年に宮古島に渡を 池城さんは「うえすやー」の郁子さんかってみませんかー 、半年ほど島に暮らしてから東南アジア星 ら興味深い話を聞くことになる。 2002 ぼくはそれを聞いてびつくりした。東松への旅に出た。島に滞在していた当時歳上 年に展示した東松さんの写真は、宮古島のさんのプリントは、那覇に住む東松泰子さだった東松さんは〃宮古大学〃というゆる 西仲宗根に住む沖縄県議会議員、奥平一夫ん ( 東松照明さんの奥様 ) が管理されているやかなグループを作り、宮古島の若者たち刀
路上に点在する公衆電話は壊れていること ポャけた水平線、画面右下から中央左に向に、特定の絵葉書や家族写真の中の一角が触 が前提の時代、通話最低料金である錆色の 2 かって伸びる岸壁、その突端に太めの灯台、媒となり、過去の記憶風景に作用し描画衝動 ペンス硬貨は外出時の通信手段に必須の役割灯台手前で海面を見つめる男、そんな光景のに結びつくのではないか ? 記憶の底の残像 を担っていた。 濃青単色の油彩画だ。 が偶然出会う既成風景と共振し衝動を呼ぶの プ厚い扉の真っ赤な電話ポックスに人り、 人工着色の古い観光絵葉書や家族アルバムか ? 受話器を取って縦長のコイン投入口に 2 ペンの中には時折描画衝動を駆り立てるものが紛 1863 年に世界最古の地下鉄がロンドン スコインの端 5 ミリほどを沈ませて、間延びれている。その衝動と画像内容を手がかりにに開通し、同年同じロンドンにフットボール した呼び出し音が途切れ相手が出ると同時に具象的風景画を描く習慣が代のころからあ協会が設立されたことを最近知った。 ガシャリジ 1 コンと 2 ペンス硬貨を押し込る。 プレミアリーグ最古のチ 1 ム「シェフィー ルド」創設はさらに遡る 1857 年だと む。そして通話が始まる。電話機ごとにも意識に浮かんだ小さな新作油絵も、その日 様々な特徴があり、一連の動作とタイミング手に取った 1 枚の新潟の古い観光絵葉書を元いう。日本は攘夷、天誅真っ只中、江戸幕末 をマスターするまでには何度も 2 ペンス硬貨に分ほどで描き上げたものだった。 大政奉還直前の御時世。 を無駄にした。 絵の種類によって出来上がるまでの時間や薩摩で島津斉彬公が国内初の銀板写真を撮 2 。ヘンスが手元にない緊急時に 5 ペンス、 プロセスは大きく異なるが、一連の単色油絵った年に異国でサッカー協会が始まり薩英戦 ペンス、ペンス硬貨を投人しても釣り銭はまず画像の要所を頭に入れることから始ま争の年ロンドンに地下鉄が開通した。高杉晋 の返却はなかった曖昧な記憶もあり、万年金る。そして壁に立てかけたキャンヴァスにそ作、坂本龍馬、サッカー、地下鉄は海を隔て 欠の身にとっては手強い思い出の残る硬貨だの残像を一気に一筆書きのように描画し、あた地でまったく同時代の出来事だったことに った。 とは油絵具の流れるままの偶然性に委ねる。驚愕した。 2 ペンス玉を押し込む際の指先の圧、コイ 以前、その一連の絵は自分にとって一体何幕末から明治にかけて活躍した写真の開祖 ンが吸い込まれる瞬間の機械音は電話ポックなのか、考えを巡らせてみた。 上野彦馬の写真集で肖像や風景をじっくりと 絵 ス内からの路上光景とともに強く心に焼きつ「観光絵葉書」「家族写真」「具象油彩画」と 眺める。人物、光景を問わずそこには一様にい いている。 いうこと以外、明確な軸に至らないもどかし「記憶」が写り込んでいるように感じ、同時え さを残したまま、その後も絵は続いた。 に心が和んだ。幕末の長崎と海の向こうのロ聴 長い年月を経た東京でカウンター越しに再ターンテープル脇のペンスコインを眺めンドンの街中を思い浮かべた。妄想の俯瞰か音 い 会したペンス玉はかっての記憶を次々蘇らながら、それらの絵は「記憶」と結びついてら眺める市井の雑踏はどちらも似ているよう な え に田 5 えた。 せた。 いるように思えてきた。 見 ( 題字 / 筆者 ) ふと、その日仕上げたばかりの小さな油彩 1 枚のヘンスコインが忘却の彼方に沈ん 画が浮かんだ。 でいたロンドンでの記憶を呼び起こしたよう
した。コップの水はすでに溢れんばかりだったので、ほんのすでみつめていた。 わずかな一滴で充分だったのだ。 トヨ子が梶の脇に寄り添い、 しかし、彼女の中で一体何が起きているのか、いまのとこ 「フダラク、行く時間や。一緒に旅しようか」 ろ、彼女自身にもよく分からない。その何かは、ポートが岸 と言った。語尾が震えている。梶は軽くうなずいて居住ま から遠ざかるにつれ、より一層強度を増して行った。 いを正し、 風がさらに強くなり、船の揺れも増した。トヨ子はリモコ 「よっしや、行こか、いつでもええで。前方よし、右よし、 ンレ・ハーを徐々に中立の状態へと戻し、エンジンの回転数を 左よし、後方よし」 落していく。レバーを完全に戻す前に船尾をふり返って、後 と応じた。 方から他船が接近していないか確認して、 トヨ子はダイビング用のウェイトベルトの片方、二キロの 「後方よし。停止します」 鉛のウェイトを四個付けたものを手にして、その装着法を梶 と声に出す。 の目の前で実演し始めた。ベルトをウエストの周囲に回し、 「こんなとこで、うしろに船がおるわけないやないか」 先端をバックルに通して、余った部分を左脇腹にかかってい と紙谷が舌打ちする音が聞こえた。 るべルトに蔓が木の幹に絡むように巻き付けておく。余った 「後方よし。停止します」 部分をそのままにしておくと、左手で引っぱった途端、バッ 呂律の回らない声で、梶が復唱した。 クルが開いてウェイトベルトが外れてしまうため、ベルトを ポートは惰力でまだ前方へ移動している。 外せないよう何重にも余った部分を巻き付けておくのであ る。 「ここらへんにしよか」 とエンジンを止めて梶に声を掛けると、船底に腰を降ろし 遺体が浮上しないための工夫で、紙谷はトヨ子に要領を教 ていた梶は、睡眠導人剤が効き始めたのか、ぼんやりした目 える際、 でトヨ子を見上げて、すぐには反応しなかった。 「ええか、巻き付けるのを忘れたらベルトが外れて、すぐ浮 トヨ子はビデオカメラを梶に見せて、汚らわしいものを扱き上がってしまうで。そしたら溺れるまで時間がかかるし、 うかのように、海中へ無雑作にほうり投げた。梶は、カメラ遺体がどこぞに流れ着いたり、漁船に発見されたりするや ろ。 が海中に吸い込まれていくのを、大して関心なさそうなよう 250
に転がり落すことができた。 「どないしたん ? 」 「石みたいに重いな」 シートに体を沈めながら梶が言った。 梶がぼやいた。 「しいっ ! 」 懐中電灯を小脇に挟んだトヨ子は、 先程のべンツがゆっくりと通り過ぎて行った。 「早う、こっち持って」 「もう着いたんか」 と促し、二人して峯野の足首の関節を掴んで、防潮堤へと トヨ子は答えず、べンツが後方の二つのカーヴを曲って見 えなくなるまで待つ。 : : : 何やのん、あのべンツ、まるで巡土の地面を引き摺って行く。地面には、シートを引き摺った 回中の。ハトカーみたいやないの、とつぶやいてエンジンを掛痕が残った。 防潮堤にたどり着くと、シートを解きにかかる。トヨ子 け、車を道路に出して発進する。三つ四つと岬を巡る急カー は、しきりに左右の道路の先に視線をやった。さっきのべン ヴを慎重に通過して、やがて灯台への上り階段から五十メー ツがまた回って来るような気がしたからだ。 トルほど離れた道の路肩に停止した。 シートから出した遺体を堤防の根方に置く。なぜか峯野の 「着いたわ」 左目が開いていた。トヨ子は指先でそれを閉じてやる。堤防 とトヨ子は言って、ハンドルに胸をもたせかけた。 の下から磯に打ち寄せる波音が高まった。 梶は、ポケットからタバコとジッポーを取り出した。 「海へ落さんでええんか。こんなとこへ置いといたら、すぐ 「タバコなんか吸うてる暇ないよ」 に見つかってまうで」 梶は慌ててタバコとジッポーをしまう。 「ええのんよ、ここで。シート、たたむの手伝って」 二人は車から降りた。停車位置から防潮堤までの距離は一一 彼女は一方の端を梶に持たせて、二度、三度、往ったり来 十メートルほどだ。防潮堤は粗いコンクリート製で、陸側に すそみち たりして、広げたシートを折り返す。シートから生きていた 付けられた二メートル幅の裾道も同じコンクリートで舗装さ 時の峯野の体臭が立ち昇った。 れているが、道路と裾道までの間は柔らかそうな土だから、 二人は、防潮堤から、後ろ向きになって足跡を消しながら 車を乗り人れることはできない。 トヨ子はトランクを開けた。プル 1 シートにくるんだ遺体車まで戻る。 トヨ子は、たたんだシートを用意のセメント袋に人れ、 の頭のほうを梶が、足のほうをトヨ子が持って、何とか地面 24 イ