しかし、「私人の立場ーでそうする、ということである。 理の一対性の関係というよりは、「アプ」と「立派な馬」の ソクラテスが、「真理」のために生きる、よりよく生き 非対称の一対性の関係なのではないだろうか。察するに、ソ る、ソクラテスが、いわば公的な「正義」のために生き クラテスの謎の核心をなすのは、柄谷のいう「私人」と「公 る、であるとすれば、柄谷の見解から出てくるソクラテス O 人」の背理の関係をもってしてもいいつくせない、その先に ある、「アプ」と「立派な馬」という、非対称性の関係のダ は、「ほんとうに正義のために戦うことは、公人としてでは イナミズムなのではあるまいか。 できない」、人は私人としてこそほんとうに「正義のために プラトンよりもさらに若かったディオゲネスは、外からア 戦う」、となるはずである。 しかし、この柄谷の観点からは、なぜソクラテスが、「反テナイにやってきて、ソクラテスに学んだアンティステネス の弟子になった。住まいをもたず、奇行で知られ、アレクサ 論できない」国法の主張をもちだして、自分はこれに反論で ンドロスが会いに来て「何か希望がないか」といったときに きない、と述べているのか、ということまでは、説明できな は、「日射しがさえぎられるからよけてくれ」といったと伝 い。また、柄谷の「私人でありつつ公的であれ」、「ポリスの えられる。また、プラトンがイデア説を唱えると、オレには 中にありつつコスモポリタンであれ」という命題からは、当 然、「公人でありつつ私的であれ」、「コスモポリタンであり 「机」は見えるが、「机そのもの」なんて見えないゾ、といっ つつポリスの中にとどまれ」という逆命題が、引き出されて て反駁している。 ソクラテスからはプラトンと同時にディオゲネスが生まれ くるが、正義のために戦うことが、なぜ「私人」としてでな でてくる。それは、ポリスの中にあることと、コスモポリタ ければなされえないのかということは、ダイモンの声が禁止 ンであることが、ソクラテスの「正義」のなかに含有されて するから、というだけで、ソクラテスの言明にそって説明が いたということである。しかしソクラテス自身はそのプラト なされるわけではない。私人 ( 私的 ) であること、公的 ( 公 ンとも、ディオゲネスとも違う。その違いが、ここではそれた 人 ) であること、ポリスの中にあること、コスモポリタンで ぞれ、「私人であること」、「ポリスの中にいること ( 公的で考 あることの四者の関係は、明らかにされないまま、ただ、公 人であることと私人であることの価値転倒が、ー背理として示 あること ) 」として語られている。では、この公人性に対す で ん される。そしてその背理を生きたところに、ソクラテスの謎る私人性、私人として公的な「正義のために戦う」という、 このソクラテスの特異性は、どこからくるのか。それについに があると語られるのである。 死 てソクラテス自身は、何といっているのか。 しかし、このソクラテスの第一の理由 (< ) と、第二の理 由 (n) の関係は、柄谷がいうような私人と公人の逆接・背
どのような確かなものにもささえられないという行き方にほ かならない。それ⑩えに、彼はまた、誘惑される者でもあ る。つねに動揺する者でもあった。外から来る「呼びかけ」 に動かされる「低さ」をもっていた。それが、彼が「国法」 を重視したことの哲学的な理由である。「法には反論できな い、しかし、自分の考えと違うときには、従わない、しか し、従わない、とはいうというのが、ソクラテスの行動 が、総体として語る、彼の社会へのコミットの仕方なのだ。 さて、ここで大事なことは、ソクラテスを動かしているも のが、ささえのない力だ、ということだ。それが彼の答えを 一対のものにしている。「二つ」にしている。そしてそれが、 彼の対話術、産婆術、弁証法の秘密なのだ。 それが、ソクラテスが自分を「馬の正しさ」のまわりをど こまでもうるさくつきまとい、一対一でのみ相手に働きかけ るーーチクッと刺すーー、「アプ」になぞらえる理由なので ある。 したがって、このプラトンの書き方は、やはり、不十分 だ。なぜプラトンは、ソクラテスが、ほかに聞きたいことは ないか、と尋ねるのに、クリトンに、右のように質問させな かったのか ( ソクラテスは最後、さらに何かあるだろうか、 見込みのある弁論があるなら「言ってくれたまえ」という。 クリトンは「いや、ないよ」と答える。〔「クリトーン」〕 ) プラトンは、ソクラテスのこの考えが、後に『国家篇』へ といたる自分の考えとは違っていることを知っていた。先生 であるソクラテスの考えが、生徒である自分の考えを否定す るものであることを知っていた。だから、この二つの違いを 示し、しかしここから導き出される答えについては、明一一一口を 避けた。ここを空白に残した。 これが『クリトン』における、プラトンの書き方がこうな っていることに対する、私の答えである。 6 ソクラテス 0 ー柄谷行人『哲学の起源』 では、この先のソクラテスの考えを、どのように受けとめ るのがよいだろう。『弁明』でソクラテスは、こう述べてい さて、私が、個人的に歩き回ってこういったことを勧告 し余分なことをしているのに、公には民衆の前に進み出て 皆さんのためになることをあえてポリスに勧告しようとし ないのは、もしかしたら奇妙に思われるかもしれません。 その理由は、私があちこちで語っているのを皆さんもし 私は私自身に関わるさまざまな物事については一切配慮し てきませんでしたし、家のこともすでに長い年月放ってお いて構わずにいました。他方で、いつも皆さんのお世話を し、それぞれの人に個人的にーー父や兄のようにーー近づ いては、徳に配慮するようにと説得してきたのです。 ( 『ソ クラテスの弁明』一八、同前 ) また、
「二つ」をいわせているのだろうか。 三重の不正という論法であって、それを私たちはソクラテス まずいえるのは、この二つを合わせて「悪法も法なり」と と呼んでいるが、そこに「悪法も法なり」という言明は人 だけ受けとるのは、この『クリトン』でのソクラテスの言明 っていない。国法がそのように自分にいってきたら、反論で の解釈として、不正確もはなはだしい、ということである。 きるかい、できないよ、とソクラテスはいうが、それは、自 これについてはプラトン学者の納富信留が、「ソクラテス分の考えは、国法の考えと一緒だ、ということではない。そ に帰される『悪法も法なり』も、こういった不精確な理解の こに、「複雑で精妙」な論理がある、というのはそのことで 一つである」と述べている。彼は、いう。 ある。 しかし、ここでの弁論の「複雑」さと「精妙」さは、これ につきない。 プラトン『クリトン』において、アテナイの法律を守っ て脱獄の提案を拒絶するソクラテスは、そのような表現 三重の不正の論理は、論理として「複雑で精妙ーである。 ( 「悪法も法なり 引用者 ) を語らない。彼が友人クリト しかし、その論理 ( ソクラテス ) が最初のソクラテスの ンに向ける論理は、より複雑で精妙である。 「正しさ」の論理 ( ソク一フテス ) の上に重ねられ、二つで この標語は、日本では、ローマの法学者ウルピアヌスに 一つとして、ソクラテスの答えをなしているところには、論 由来する法格言 "Dura lex, sed lex" ( 厳しい法でも、法理のあり方として、それよりずっと「複雑で精妙」なものが である ) と混淆され、流布したようである。無論、両者は 現れている。 含意も起原も異なる。だが、この誤った表現ゆえに、ソク 残念ながら、こうしたいわば「文学的な問題」 ( ? ) に、 ラテスは「法実証主義」の起原と解されてしまっている。 ソクラテス学者たちの観察は届いていない。目につくソクラ ( 『哲学者の誕生ソクラテスをめぐる人々』 ) テスに関する本を読んでも、なぜここで彼が脱獄をしない理 由として、「一つ」ではなく「二つ」をあげているのか、と これに続けて、納富は、日本でのこの「悪法も法なり」と いう問いにはついぞ、お目にかからないからである。そこに 「無知の知」とが、そのまま戦前には韓国に伝えられ、間違顔を見せているのが、論理よりもずっと高次の、どのような った浅い考え方を広めた事実がある、この「悪法も法なり」 「複雑で精妙」な論理のあり方かは、彼らの視界の外にある。 は、戦後の韓国で、「軍事政権が政治的抑圧を行うときのい そこが一番、大事だろうに。 い分けに用いられていた」と述べている。 なぜソク一フテスはこんな答え方をしているのか。ソクラテ 納富が指摘するように、ソクラテスの主張は、先に示した スはすでに『弁明』で、これに答えている。右に引用した 762
の背理を生きた。それが彼の生き方あるいは死に方を謎めい ソクラテスがもたらしたのは、公人であることと私人で たものにした」、というのが、柄谷の見解である。 あることの価値転倒である。それは先ず、私人であること これは、なかなかの炯眼で、『クリトン』において、なぜ を公的Ⅱ政治的なものに優越させることである。 ( ディオゲ ソクラテスがソクラテスに加えて、屋上屋を重ねるように ネスに代表されるーー引用者 ) キュニコス派と呼ばれたソク ソクラテス ( 公人の立場 ) の主張を行っているか、という ラテスの弟子たちは、このような価値転倒を遂行した。デ 私たちの問いに、別の方向から、答えている。ソクラテス イオゲネスのような外国人は、公人として生きることをわ は、プラトンのようにはアテナイ市民としての立場に、自足 ざわざ断念する必要はなかった。 ( 略 ) ディオゲネスは、 できなかった。またポリス的な政治的態度に立脚しなかっ どこの市民かと問われて、「おれは世界市民 ( コスモポリス た。それに回収されきれない余剰が彼のうちにはあった。そ の市民 ) だ」と答えた、といわれる。 ( 略 ) れが彼にいわば私人としての「正義」の第一の理由 ( ソクラ 一方、プラトンやクセノフォンは公人としての活動を自 テス << ) をあげさせる。しかしまた、彼はディオゲネスなど 明とみなすアテネ市民であった。 ( 略 ) の外国人のようには、自分をコスモポリタンであるとはみな だが、ソクラテスの立場は、ディオゲネスとプラトンの さなかった。その束縛からの自由への抵抗がポリスに彼をと 立場のいずれとも違っていた。ソク一フテスがいうのは、煎どめた。そのアテナイ人性 ( 公人性 ) ともいうべきものが、 じつめれば、私人でありつつ公的であれ、ということにあ彼にいわば公人としての「正義」の第二の理由 ( ソクラテス る。別の観点からいえば、それは、ポリスの中にありつつ ) をあげさせる。ソクラテスの「二つの答え」は、この コスモポリタンであれ、ということである。この点で、ソ 「公人であることと私人であることの価値転倒」からくる、 クラテスはキュニコス派にくらべてポリス的であり、プラ と柄谷はいっている。そしてこれが、さしあたり、柄谷から トンに比べてコスモポリス的であった。 ( 同前、第 5 章の 4 ) 得られる、ソクラテス 0 の立場である。 議論を屋上屋に重ね、自分は ( 公民の立場 ) に反論でき ふつう、「正義のために戦う」ことは公的なことである。 ないと述べることで、彼は自分の立場を ( 個人の立場 ) か ら引きはがす。一方、反論はできないが、「それに従う、そ したがって、ソクラテスの謎は、公人となることなく私人と して「正義のために戦う」という、彼の逆説的な姿勢からく れが正しい」とは述べないことで、彼は、さらに ( 公民の る。それが、彼だけがこのときに示した、ポリス的あり方か 立場 ) からも自分を引きはがしている。その最後に残る立場 を、ソクラテス O と呼べば、それは、「正義のために戦う」、 らそれる「正しさ」をめぐる姿勢だった、「ソクラテスはこ
トンに向け、架空の国法を呼び出すかたちで自分との想定問 ( 国家との契約的な関係においても義務を履行しない ) 不正 答を話して聞かせ、第二の考えを示す。ソクラテスであ の三つである。この「国」に対する不正は、前者のクリトン のいう「世間の人々」の不正に比べて、はるかに大きい。 ソクラテスは、いう。 さて、もしここに、国法と国家 このばあい、国法と国家共同体は僕にいうだろう。 公共体がやってきて、自分たちを生み育てたものに、おまえ クラテスよ、おまえは「世間の人々」から不正を加えられた は害をなすのか、というなら、どうだろう。クリトン、そう からといって、これに ( 脱獄という ) 不正で答えるのか。そ いわれたら、僕も、それには歯向かえないのではないだろう うなら、おまえの犯す不正は「国法と祖国」への不正とな り、「世間の人々」がおまえに犯す不正とは比べものになら そこでの論理は、こうである。 ないくらい大きい。それは、受けた不正を差し引いてもなお 一、まずそこには、正しさの平等はない。父と子の論理に大きな不正を犯すことではないか。この大きな不正を犯すこ 対等がないように。二、また、国家と祖国に従わないと考え とは、それまでおまえのいってきた正義への一一一口葉を裏切るこ るのであれば、まず国家と祖国を間違っているゾと、相手を とになる。このあと、アテナイ以外のどこにいっても、誰も 説得すべきだ、見捨てるのではなく。三、さらに、それ以前 もはやおまえの言葉を信用しないだろう。 に、国家と祖国と関係をもちたくない ( 約束を破棄したい ) これを受けて、私は学生に、こう設問を課した。 というのであれば、成人に達したときに、この国を離れるこ 問い。「あなたは、クリトン派になるか、ソクラテス派 とができたはずだ。それなのに、とどまり続けたということ になるか、ソクラテス派になるか、それともそれのどれに は、国家と関係をもっことにしたということではないか、約もならず、別の考えを示すか。問いに答え、簡潔にその理由 束をし直したということではないか、といわれる。そういわ を述べよ。」 れても僕としては、反論できないだろう。 答えは、大多数がクリトン派、少数がソクラテス派で、 だから、クリトンの提案に従って脱獄すれば、三重の不正 ソクラテス CQ 派は皆無であった。 を行うことになる。整理していえば、一、生みの親に服従し さて、これへの私の考えは、以下のようである。 ない ( 昔からの国の神々と祖先の権威を尊重しない ) 不正。 2 ソクラテス 二、育ての親に服従しない ( 現在の国家への忠誠に反する ) 不正。三、いったん服属すると約束した対等の相手を、説得 「クリトンの提案にも理はあるが、クリトンの側から、ソク ラテスを説得しても、ソクラテス << の理屈には、逆らえな もせず、またこれに服従もしないで、無断でその約束を破る 758
紀元前三九九年ソクラテスの裁判と刑死 7 「知ること」からの遠さ 一部についてなら、それをソクラテスの置かれた時代背景 紀元前五世紀後半、このとき、古代ギリシャは、大きくア から説明することも、不可能ではない。そのことの背景に、 テナイの全盛期から。ヘリクレスの死、ペロポネソス戦争の敗 ソクラテスの生きた時代的な転変も大きく作用しているから戦をへて長い衰退期に移り、混乱期を迎えようとしている。 だ。ソクラテスは紀元前の四六九年頃に生まれ、プラトンは アテナイは古代ギリシャのポリスとして古来保守的な土地柄 四二七年に生まれ、ディオゲネスは四一二年前後に生まれて として知られていた。ベルシャ戦争を機に、そのアテナイに いる。プラトンはソク一フテスよりも四二歳若く、ディオゲネ進取の精神に富む植民市から多くの住民、知識人 ( ソフィス スはプラトンよりも一五歳若い。 ト ) らが流人してくる。アテナイはデロス同盟の盟主とし て、都市国家内で民主政のしくみを確立する最初のポリスと 〇紀元前四九九、四四九年ベルシャ戦争 なる。しかし、その専横ぶりにほかのポリスが反撥し、やが 紀元前四七九年プラタイアの戦いでギリシャ勝利 てペロポネソス戦争がはじまる。その激動のなか、アテナイ 紀元前四七八年デロス同盟 では古い時代の神と新しい時代の神がせめぎあう。 * ソクラテス生まれる 紀元前四一五年、第二次ペロポネソス戦争敗戦のきっかけ 紀元前四六一 5 四三〇年。ヘリクレスの民主政の治世 となったシケリア遠征を強行したアルキビアデスはソクラテ 紀元前四五四年アテナイが全盛期を迎える スの教え子の一人でもあった。古い神々からの声と新しい民 〇紀元前四三一、四〇四年ペロポネソス戦争 主政の声とが、ソクラテスの周りには人り交じりあってい 紀元前四三一、四二一年ペロポネソス戦争 ( 第一次 ) た。つまり、この時期、ソクラテスに、若いポリス市民・プ 紀元前四二九年ペリクレス疫病死 ラトンたちに聞こえないダイモンの声が、一人聞こえ、一 * プラトン生まれる 方、コスモポリタンを自称したさらに若いディオゲネスらに 紀元前四一五年アルキビアデスのシケリア遠征で再開は一向に聞こえない国法からの声が、やはり一人聞こえてい 戦 ( 第二次 ) たとしても、不思議ではない。 * ディオゲネス生まれる ダイモンの声はソクラテスに公人たることを禁じ、一方、 紀元前四〇四年アテナイ降伏、ペロポネソス戦争終わ国法からの声は、ソクラテスにポリスの中にとどまり、「正 る。 義のために戦う」ことを命じる。柄谷のいうソクラテスの特
が自分の中にあって、その光源を基準に判断する、という言 「アプ」と立派な「馬」のくだりが、そうである。 い方である。その自分の中にある正しさの基準を、ここでは しかし、『クリトン』では、このことについて、ソクラテ スは何もいわない。プラトンが、彼にそういう場面を用意し仮に「良心」と呼んでいるのである。これに対し、「国法」 ていないからだ。だから、なぜこんな書き方をしているのか の正しさは、権威とともに、以前からある。また、上にあ り、力あるものとして、外からくる基準である。つまり、こ と、私たちは、ソクラテスの頭ごしに、書き手プラトンに、 の二つは、仮にいまふうにいっておくなら、「良心」と「正 質問をしなければならないのである。 レテイセンス 論」の違い、内からくる正しさと、外からくる正しさの違い 私はその言い落としについて、こう考えている。 ソク一フテスで国法の名で展開されているのは、いつも有なのである。 力で、先行する、共同的なもの、公共的なものが、それより 5 「良心」と「アプ」 は弱く、後から来る、私的で弱い立場の存在 ( 多くのばあい でも、そうだとしたら、なぜプラトンは、クリトンに、次 個人 ) に対して主張する、いわば上から目線の「正しさ」で のように、質問させなかったのだろうか。私が『クリトン』 ある。先に述べたように、こういう正しさの論はふつう、 を書くなら、この国法の呼び出し (n) について語るソクラ 「正論」といわれる。また、この立地の非対称性に注目すれ テスに対し、ここでクリトンは、こう質問するはずである。 ば、ここからポストコロニアリズムの立論の地点までは、そ う遠くない。 でもね、ソクラテス、君のいう第一の反対理由と第 ひとまずこれを、次のようにいっておこう。 二の反対理由は、一緒にいえるんだろうか。私にはそうじ ここでソクラテスは「前半で、個人として、自分の良心に ゃないように聞こえる。私には君の第一の理由は、君の良 照らして、脱獄は不正なので、できない、という理由を述べ 心からやってくるもののように思われるし、君の第二の理た ( ソクラテス ) 、後半で、公民として、自分の属する共同 由は君の公民としてのアテナイへの忠誠心からやってくる考 的・公共的な精神に立っと、脱獄は不正なので、すべきでは もののように思えるのだ。だとしたら、この二つは対立す彼 ない、といわれたら反論できない、と述べ ( ソクラテス ) 、 ることもあるのじゃないかね。そのばあい、君はどうするん この二つの理由から、クリトンの「常識」的な提案に反対し のだろう ? もし、君の良心が君の忠誠心に反対して、私に ているのである、と。 死 は脱獄しないが、それは国法の主張に反対できないからで そのうえで、ここで「照らして」という言葉に、改めて、 はなくて、自分の法である良心に従いたいからなのだ、万 注意してみよう。自分の良心に照らして、というのは、光源
問いは、こうである。 1 問いークリトン、ソクラテス、ソクラテス ソクラテスは、裁判で死刑の判決を受ける。しかし、デロ ス島への祭使派遣の行事と重なり、聖船が帰るまで、処刑は およそ一ヶ月のあいだ、延期される。 とうとう、処刑が一両日後に迫った日、「夜明け少し前」、 友人のクリトンが獄中のソクラテスのもとを訪れる。クリト ンは「裕福廉直な農民」。ソクラテスと同じ「アテナイのア ローベケー区の出身」で、「同い齢の竹馬の友」である。ク リトンは、誼を通じた牢番に見逃してもらい、牢獄へ忍び込 む。 ソクラテスは眠っている。 プラトンの『クリトン』は、こうソクラテスが眼をさます 場面からはじまる。 ソクラテスどうしてなのだ、いま時分、やって来たりし て、クリトン。それとも、もう早いことはないのかね。 クリトンいや、早いことは、早いのだよ。 ソクラテスいったい何どきだね。 クリトン夜明け少し前だ。 ( 中略 ) ソクラテスそれで、君がやって来たのは、たった今なの かね、それとも、さっきからなのかね。 クリトンかなりさっきからだ。 ソクラテスそれでいて、どうしてすぐ僕を起さなかった のだ。黙ってそばに坐っていたりして。 ( 「クリトーン」田中美知太郎訳、『ソークラテースの弁明・ク リトーン・。ハイドーン』田中美知太郎・池田美恵訳、所収 ) クリトンは、この一ヶ月間で周到に準備してきたことを伝 え、ソクラテスに脱獄を勧める。これに対し、ソクラテス は、二つの理由をあげて、クリトンの提案を拒む。 そこにしめされている考えを、クリトン、ソクラテス、 ソクラテスと呼んでみよう。 クリトンは、こうである。 ソクラテスよ、逃げた方が よい。用意はすべて、できている。相手は不正を働いている のだ。こんなことで、みすみす命をなくすのはばかげてい る。君にはもっとすることがあるだろう。また、子どものこ とも考えよ。 ソクラテスは、これに、二つの言い方で答える。 まず、ソク一フテス。これは、ソク一フテスがクリトンと対 話しながら示す言い方で、話の前半に出てくる。 しかし、クリトンよ、一、真理が何というかが問題た だ。二、大切にしなければならないのはただ生きるのではな考 く、よく生きるということだ。三、出て行くことは正しくな彼 い。たとえ不正にあったとしても、不正で返してはいけなん い。四、だから自分はよく生きるため、正しいことに従うたに 死 めに、ここに残るよ。 しかし、この後、ソクラテスは、「次の話」に進み、クリ
が正しいからである。 うに見える。しかしそのたび、その人にとっての最初の理由 理由は二つある。まず、この第一の正しさに不足があると の「強さ」は相対化され、弱くなっていく。ソクラテスは、 いうなら話は別だが、次に述べるように、そうはいわれてい そう思って屋上屋を重ねているわけではない。ではなぜソク ない。そのばあい、不足のない第一の正しさに第二の正しさ 一フテスに重ねての、このソクラテスなのか。 が加われば、たとえ正しくともそれは、屋上屋を重ねる正し 私の、さしあたっての答えは、こうである。 さである。正しさとしては、第二のものは、第一のもののよ その二つが、彼にとって、違う理由をなすからである。 うには、機能していない。 だから、だけでなく、をも彼は掲げているのだ。そう 次に、こちらが本体だが、この後見るように、第一の正し としか考えようがない。 さは、正しさといわれるが、第二の正しさは、これに自分は その違いとは何か、といえば、後者の答えは「正論」であ 反論できない、といわれるだけである。しかも、だから従る。そして前者は、そうではない。 う、ともいわれていない。ソクラテスは、これを別に自分の 産経新聞社から出ている雑誌に、『正論』というものがあ 正しさとは、明言していないのだ。 る。また、この新聞には、「正論」という欄があって、そこ では、何といっているのか。 では保守派の論客、政治家のような人々が、大上段にかざし ここでいわれているソクラテスの考えは、約めていえ た、「正しくてなかなか反論できないような主張」を行って ば、このアテナイの国法の「正論」の正しさには、反論でき いる。基本はソクラテスにおける国法の主張と同じである。 ない、というものである。しかし、だから、これが正しい、 ここから出てくるのが、このソクラテスの法の受け人れに ということにはならない。ソクラテスも、そうはいっていな ついていわれる、「悪法も法なり」という主張にほかならな い。ふつう、これには、「反論できない」。 では、なぜ、ソクラテスは、真理のために生きるので、脱 だから、このソクラテスとソク一フテスの並立が語るの 獄しない、という理由のほかに、この「国法」の批判には、 は、ソクラテスの理由は、立派で、反論できない。一方、 反論できない、という理由を、屋上屋を重ねて、ここにおく ソクラテスの理由は、少なくともソクラテスの理解では、 のか。 単独では不十分だと感じられている、ということである。 そのほうが強力になるから ? そういう「虚偽の論理」に だけで十分なのであれば、ソクラテスは、これにを付け足 ソクラテスはソフィストを相手に戦ってきた。一つより二 そうとは思わなかったはずだからである。 つ、二つより三つ。理由が多ければ、一見、より強くなるよ ソクラテスの「正論」についていえば、学生からの答え
ら、裁判の勝ち負けからいえば有利なはずの、自分への三人 い。論理的にはソクラテスの考え方のほうが、正しい。ま の告発者による「新しい告発」だけを相手に裁判闘争をする た、その答えには過不足がない。それなので、わざわざソク ことはしていない。アテナイ市民全体による「古い告発」に ラテスの考えをもってくるには及ばない。 まで遡り、自分に対するこれまでのすべての批判に反論する したがって私は、ソクラテス派です。 というやり方を採用する。そして、五〇一票中の六一票とい しかし、クリトンの提案にソクラテスがとという二つ う小差で有罪となる。 の考えを並べ、答えとしているのはなぜか。そのことの理由 は、このことからはわからない。 裁判は有罪の決定後、量刑の裁決にすすむ。そこでソクラ テスは、法の精神からいえば、ほんとうなら自分はアテナイ それを考えると、ソクラテスの答えは、この先の別の考え によいことをしたのだから、食事を饗応されたいところだ。 だったのではないかとも思えてくる。 しかしそれは法の規定にないので、譲歩して、友人からのカ それをここで、ソクラテス O と呼んでみよう。そしてなぜ ン。ハでまかなえる金額である三〇ムナの罰金刑を請求する、 クリトンの提案に対し、ソクラテスが、この二つの答えをあ と述べる。これは皮肉でも何でもないのだが、 - この言い方が げ、従わないと述べているのか、その理由を考えてみよう」。 これを、詳しく、具体的にいうと、こうなる。 裁」員を怒らせる結果となり、今度は一 = 一一票と」う大差 で死刑と決せられる。しかし、それを受け人れる。 まず、ソクラテスが、正しい理由。 ソクラテスの主張は、この考え方の延長にある。「より これまで、ソクラテスは、さんざんにアテナイの市民たち よく生きること」が一番なのだ、という主張に従い、自分が に揶揄され、批判を受けてきた。 まずアテナイの市民に、不用・無益なことをもちだし、天正当であると判断して臨んだ裁判の、所定の手続きを踏んだ 判決を受け人れる。判決は死刑。「では、死のう。」これは逆 上地下のことを論じ、悪を善にいいくるめ、弁論を教授する らえない。この考えのまっとうさを、否定できない。 ( 金を取る ) と非難された ( 「古い告発」 ) 。そのあげくにこの え 考 たびは、五年前の敗戦を受け、アテナイの古い神をないがし 3 ソクラテス 彼 ろにし、怪しげな神霊 ( ダイモニア ) をあげつらい、青年を で ん では、なぜ、ソクラテスの答えをとらないか。 腐敗させた罪で訴えられる ( 「新しい告発」 ) 。 ここには、クリトンへの答えとして、ソクラテスとソクに これに対し、彼は、今回だけは、どんなにいやがられよう 死 ラテスと二つの考えが示されている。このことを受け、こ と、人間にとって一番大切なことは「よく生きること」なの の二つを比べ、いずれが正しいか、と問えば、ソクラテス だ、といおうとして、意を決して裁判に臨んでいる。だか