考え - みる会図書館


検索対象: 新潮 2016年7月号
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1. 新潮 2016年7月号

くる。私のことを「無知の知」なんていう人がいるが、そ のダイモンが命じるままに、この不届き ( Ⅱ不正規 ) な うじゃないのだ。私はただ単に「無知」なだけなのさ。私 『正しさ』の行使を続けるだけなのだ、いま私が法に服す は足場をもたないアプなのだ。「知」のまわりを、それは るのも、ちつぼけなアプの一刺しとしてなのだ」、とね。 本当の「知」なのかとうるさく嗅ぎまわり、「正しさ」と ではなぜ、最初から、こう語らなかったのだと、君はい されるもののまわりを、それは「ほんとうに正しいのか」 うだろうか。でも、こうしたことは、クリトン、君のよう とぶんぶんと飛び回る。それが私の「正しさだ。私の に、自分の頭で考えて、疑問を持つ人が、一対一で反問し 「正しさ」は、アプの「正しさ」だから、それは単独では てくれるのでなければ、いえないことなのだ。そうではな 存在しないのだ。 いだろうか。私は「アプ」だ。問いのないまま、いおうと そして第二に、私には、国法からの呼びかけが耳をつい すると、多くの人が相手になる。するとダイモンが出てく て離れないからだ。「正しさ」はつねに私には外からやっ る。黙れ、というのだ。 てくる。そしてそれを私は拒むことができない。私にでき ることは、それに揺り動かされること、そしてそれを、疑 やはりプラトン、あなたには、ここまでを、両者のやりと うことだけなのだ。 りとして、書いてもらいたかった。そういうと、プラトン だからね、クリトン、私の「よりよく生きたい」真理へ は、いや読者に「自分のリスクで」ここまで考えさせるため の道と、私の国法との約束と、この二つは対立していな に、こういう書き方をしているのさ、というかもしれない。 い。二つは、一対の存在なんだ。君はよいところに目を向 うそぶくかもしれない。しかしここは、論理的 ( ? ) に、説 けたが、少し違う。 明できる個所である。 ここにあるのは「良心」と「国法」というよりは、「ア なぜ、ソクラテスは、最初の考えに続き、屋上屋を重ねると プ」と「大きくて血統はよいが、その大きさゆえにちょっ ように第二に「正論」を呼び出しているのか。ここを考えてた とノロマで、アプのような存在に目を覚まさせてもらう必 みよ。そうプラトンが読者に尋ねているのであれば、読者と考 要がある馬」の関係なのだ。君のいうように、この二つの しては、こう答えたい。 彼 正しさがぶつかるなら、私は、国法にいわなければならな それは、ソクラテスが、自分の考えを、それだけで立つもん い。「私はあなたに反論できない。敵わない。しかし、あ のとしては設置しなかったからである。彼が対話を自分の哲に 死 なたには従わない。いままで、そうだったように、今回も学の基軸においたのは、「知ること」にではなく「知らない あなたをちくっと刺す。私は、誰からも支えられずに、私 こと」にささえられる哲学をめざしたからである。それは、

2. 新潮 2016年7月号

どのような確かなものにもささえられないという行き方にほ かならない。それ⑩えに、彼はまた、誘惑される者でもあ る。つねに動揺する者でもあった。外から来る「呼びかけ」 に動かされる「低さ」をもっていた。それが、彼が「国法」 を重視したことの哲学的な理由である。「法には反論できな い、しかし、自分の考えと違うときには、従わない、しか し、従わない、とはいうというのが、ソクラテスの行動 が、総体として語る、彼の社会へのコミットの仕方なのだ。 さて、ここで大事なことは、ソクラテスを動かしているも のが、ささえのない力だ、ということだ。それが彼の答えを 一対のものにしている。「二つ」にしている。そしてそれが、 彼の対話術、産婆術、弁証法の秘密なのだ。 それが、ソクラテスが自分を「馬の正しさ」のまわりをど こまでもうるさくつきまとい、一対一でのみ相手に働きかけ るーーチクッと刺すーー、「アプ」になぞらえる理由なので ある。 したがって、このプラトンの書き方は、やはり、不十分 だ。なぜプラトンは、ソクラテスが、ほかに聞きたいことは ないか、と尋ねるのに、クリトンに、右のように質問させな かったのか ( ソクラテスは最後、さらに何かあるだろうか、 見込みのある弁論があるなら「言ってくれたまえ」という。 クリトンは「いや、ないよ」と答える。〔「クリトーン」〕 ) プラトンは、ソクラテスのこの考えが、後に『国家篇』へ といたる自分の考えとは違っていることを知っていた。先生 であるソクラテスの考えが、生徒である自分の考えを否定す るものであることを知っていた。だから、この二つの違いを 示し、しかしここから導き出される答えについては、明一一一口を 避けた。ここを空白に残した。 これが『クリトン』における、プラトンの書き方がこうな っていることに対する、私の答えである。 6 ソクラテス 0 ー柄谷行人『哲学の起源』 では、この先のソクラテスの考えを、どのように受けとめ るのがよいだろう。『弁明』でソクラテスは、こう述べてい さて、私が、個人的に歩き回ってこういったことを勧告 し余分なことをしているのに、公には民衆の前に進み出て 皆さんのためになることをあえてポリスに勧告しようとし ないのは、もしかしたら奇妙に思われるかもしれません。 その理由は、私があちこちで語っているのを皆さんもし 私は私自身に関わるさまざまな物事については一切配慮し てきませんでしたし、家のこともすでに長い年月放ってお いて構わずにいました。他方で、いつも皆さんのお世話を し、それぞれの人に個人的にーー父や兄のようにーー近づ いては、徳に配慮するようにと説得してきたのです。 ( 『ソ クラテスの弁明』一八、同前 ) また、

3. 新潮 2016年7月号

「二つ」をいわせているのだろうか。 三重の不正という論法であって、それを私たちはソクラテス まずいえるのは、この二つを合わせて「悪法も法なり」と と呼んでいるが、そこに「悪法も法なり」という言明は人 だけ受けとるのは、この『クリトン』でのソクラテスの言明 っていない。国法がそのように自分にいってきたら、反論で の解釈として、不正確もはなはだしい、ということである。 きるかい、できないよ、とソクラテスはいうが、それは、自 これについてはプラトン学者の納富信留が、「ソクラテス分の考えは、国法の考えと一緒だ、ということではない。そ に帰される『悪法も法なり』も、こういった不精確な理解の こに、「複雑で精妙」な論理がある、というのはそのことで 一つである」と述べている。彼は、いう。 ある。 しかし、ここでの弁論の「複雑」さと「精妙」さは、これ につきない。 プラトン『クリトン』において、アテナイの法律を守っ て脱獄の提案を拒絶するソクラテスは、そのような表現 三重の不正の論理は、論理として「複雑で精妙ーである。 ( 「悪法も法なり 引用者 ) を語らない。彼が友人クリト しかし、その論理 ( ソクラテス ) が最初のソクラテスの ンに向ける論理は、より複雑で精妙である。 「正しさ」の論理 ( ソク一フテス ) の上に重ねられ、二つで この標語は、日本では、ローマの法学者ウルピアヌスに 一つとして、ソクラテスの答えをなしているところには、論 由来する法格言 "Dura lex, sed lex" ( 厳しい法でも、法理のあり方として、それよりずっと「複雑で精妙」なものが である ) と混淆され、流布したようである。無論、両者は 現れている。 含意も起原も異なる。だが、この誤った表現ゆえに、ソク 残念ながら、こうしたいわば「文学的な問題」 ( ? ) に、 ラテスは「法実証主義」の起原と解されてしまっている。 ソクラテス学者たちの観察は届いていない。目につくソクラ ( 『哲学者の誕生ソクラテスをめぐる人々』 ) テスに関する本を読んでも、なぜここで彼が脱獄をしない理 由として、「一つ」ではなく「二つ」をあげているのか、と これに続けて、納富は、日本でのこの「悪法も法なり」と いう問いにはついぞ、お目にかからないからである。そこに 「無知の知」とが、そのまま戦前には韓国に伝えられ、間違顔を見せているのが、論理よりもずっと高次の、どのような った浅い考え方を広めた事実がある、この「悪法も法なり」 「複雑で精妙」な論理のあり方かは、彼らの視界の外にある。 は、戦後の韓国で、「軍事政権が政治的抑圧を行うときのい そこが一番、大事だろうに。 い分けに用いられていた」と述べている。 なぜソク一フテスはこんな答え方をしているのか。ソクラテ 納富が指摘するように、ソクラテスの主張は、先に示した スはすでに『弁明』で、これに答えている。右に引用した 762

4. 新潮 2016年7月号

ら、裁判の勝ち負けからいえば有利なはずの、自分への三人 い。論理的にはソクラテスの考え方のほうが、正しい。ま の告発者による「新しい告発」だけを相手に裁判闘争をする た、その答えには過不足がない。それなので、わざわざソク ことはしていない。アテナイ市民全体による「古い告発」に ラテスの考えをもってくるには及ばない。 まで遡り、自分に対するこれまでのすべての批判に反論する したがって私は、ソクラテス派です。 というやり方を採用する。そして、五〇一票中の六一票とい しかし、クリトンの提案にソクラテスがとという二つ う小差で有罪となる。 の考えを並べ、答えとしているのはなぜか。そのことの理由 は、このことからはわからない。 裁判は有罪の決定後、量刑の裁決にすすむ。そこでソクラ テスは、法の精神からいえば、ほんとうなら自分はアテナイ それを考えると、ソクラテスの答えは、この先の別の考え によいことをしたのだから、食事を饗応されたいところだ。 だったのではないかとも思えてくる。 しかしそれは法の規定にないので、譲歩して、友人からのカ それをここで、ソクラテス O と呼んでみよう。そしてなぜ ン。ハでまかなえる金額である三〇ムナの罰金刑を請求する、 クリトンの提案に対し、ソクラテスが、この二つの答えをあ と述べる。これは皮肉でも何でもないのだが、 - この言い方が げ、従わないと述べているのか、その理由を考えてみよう」。 これを、詳しく、具体的にいうと、こうなる。 裁」員を怒らせる結果となり、今度は一 = 一一票と」う大差 で死刑と決せられる。しかし、それを受け人れる。 まず、ソクラテスが、正しい理由。 ソクラテスの主張は、この考え方の延長にある。「より これまで、ソクラテスは、さんざんにアテナイの市民たち よく生きること」が一番なのだ、という主張に従い、自分が に揶揄され、批判を受けてきた。 まずアテナイの市民に、不用・無益なことをもちだし、天正当であると判断して臨んだ裁判の、所定の手続きを踏んだ 判決を受け人れる。判決は死刑。「では、死のう。」これは逆 上地下のことを論じ、悪を善にいいくるめ、弁論を教授する らえない。この考えのまっとうさを、否定できない。 ( 金を取る ) と非難された ( 「古い告発」 ) 。そのあげくにこの え 考 たびは、五年前の敗戦を受け、アテナイの古い神をないがし 3 ソクラテス 彼 ろにし、怪しげな神霊 ( ダイモニア ) をあげつらい、青年を で ん では、なぜ、ソクラテスの答えをとらないか。 腐敗させた罪で訴えられる ( 「新しい告発」 ) 。 ここには、クリトンへの答えとして、ソクラテスとソクに これに対し、彼は、今回だけは、どんなにいやがられよう 死 ラテスと二つの考えが示されている。このことを受け、こ と、人間にとって一番大切なことは「よく生きること」なの の二つを比べ、いずれが正しいか、と問えば、ソクラテス だ、といおうとして、意を決して裁判に臨んでいる。だか

5. 新潮 2016年7月号

トンに向け、架空の国法を呼び出すかたちで自分との想定問 ( 国家との契約的な関係においても義務を履行しない ) 不正 答を話して聞かせ、第二の考えを示す。ソクラテスであ の三つである。この「国」に対する不正は、前者のクリトン のいう「世間の人々」の不正に比べて、はるかに大きい。 ソクラテスは、いう。 さて、もしここに、国法と国家 このばあい、国法と国家共同体は僕にいうだろう。 公共体がやってきて、自分たちを生み育てたものに、おまえ クラテスよ、おまえは「世間の人々」から不正を加えられた は害をなすのか、というなら、どうだろう。クリトン、そう からといって、これに ( 脱獄という ) 不正で答えるのか。そ いわれたら、僕も、それには歯向かえないのではないだろう うなら、おまえの犯す不正は「国法と祖国」への不正とな り、「世間の人々」がおまえに犯す不正とは比べものになら そこでの論理は、こうである。 ないくらい大きい。それは、受けた不正を差し引いてもなお 一、まずそこには、正しさの平等はない。父と子の論理に大きな不正を犯すことではないか。この大きな不正を犯すこ 対等がないように。二、また、国家と祖国に従わないと考え とは、それまでおまえのいってきた正義への一一一口葉を裏切るこ るのであれば、まず国家と祖国を間違っているゾと、相手を とになる。このあと、アテナイ以外のどこにいっても、誰も 説得すべきだ、見捨てるのではなく。三、さらに、それ以前 もはやおまえの言葉を信用しないだろう。 に、国家と祖国と関係をもちたくない ( 約束を破棄したい ) これを受けて、私は学生に、こう設問を課した。 というのであれば、成人に達したときに、この国を離れるこ 問い。「あなたは、クリトン派になるか、ソクラテス派 とができたはずだ。それなのに、とどまり続けたということ になるか、ソクラテス派になるか、それともそれのどれに は、国家と関係をもっことにしたということではないか、約もならず、別の考えを示すか。問いに答え、簡潔にその理由 束をし直したということではないか、といわれる。そういわ を述べよ。」 れても僕としては、反論できないだろう。 答えは、大多数がクリトン派、少数がソクラテス派で、 だから、クリトンの提案に従って脱獄すれば、三重の不正 ソクラテス CQ 派は皆無であった。 を行うことになる。整理していえば、一、生みの親に服従し さて、これへの私の考えは、以下のようである。 ない ( 昔からの国の神々と祖先の権威を尊重しない ) 不正。 2 ソクラテス 二、育ての親に服従しない ( 現在の国家への忠誠に反する ) 不正。三、いったん服属すると約束した対等の相手を、説得 「クリトンの提案にも理はあるが、クリトンの側から、ソク ラテスを説得しても、ソクラテス << の理屈には、逆らえな もせず、またこれに服従もしないで、無断でその約束を破る 758

6. 新潮 2016年7月号

。まあ、今からそんなことを言っていても始まらない地にいるんじゃあ、どうせえげつなく買い叩いてくるに決ま か。それにしても、疲れたな。 っている。まあ、必要ならおれは話をまとめに、独りでまた 疲れた・ 。なあ、この家の家具はどうするんだ。ぜんぶ 上海に戻ってくるつもりだが : そうか 処分してしまうのか。 ホンチャオ いや、かなりの部分はこのまま残しておく。馮先生は結 実は先生はもう一つ、郊外の虹橋地区にかなり広い土地 局、この家は今すぐには売らないと決めたんだ。だから、家を持っていてね、畑を小作人に貸している。それも売ってし の中を完全に空つぼにする必要はない。戦況の帰趨にかかわ まおうとしたんだが、ここも買い手がまったくつかん。考え らずもう上海には戻ってこないと彼は言っていて、それは相 過ぎかもしれんが、どうも馮先生に関して水面下で何か悪 当な覚悟のうえの本心のようだが、ただその一方、この先何い噂が流れているんじゃないか、とおれは : が起こるかわからないし、上海に何らかの足掛かりだけは残 馮篤生という男には関わり合いにならない方が良い、と しておきたいという気持もないではないらしい。二重、三重いったたぐいの : : : ? に安全策を講じておきたい、保険を掛けておきたい、と。そ そう。何か祟りがあるぞ、某筋から睨まれることになる れは正しいね。おれも賛成だよ。 ぞ、と。だとすれば、「天譴漢奸」と書き殴っていった連 ガーデン・シアター 〈花園影戯院〉はどうなった。買い手はついたのか。 中は見事、自分たちの目的を達したってことさ。 売却話がまとまりかけている、と言う洪の声には安堵が籠 それに、どうかわからんが : : : と芹沢は考え考え言った。 もっていた。ぎりぎりになりそうだが、たぶん十月十五日の 。われわれ 老馮が手首を折った、あの暴行事件だって・ 出発前に契約まで持って行けるだろう。 は警察にも届けず、表沙汰にしなかったが、あのとき目撃者 それは良かったな。じゃあ、維爾蒙路のあの骨董時計店がまったくいなかったわけではなかろう。二十メートルほど は ? 離れたところにはたしかに人目があった。ああいうことも世 いや、あそこはなあ・ 。あれも売りに出しているんだ 間で密かに噂になっているのではないかな。耳から耳へ囁か が、「天譴漢奸」の一件があるからな。ああいうケチのつ れているうちに話に尾ひれがっき、誇張されて : いた物件は、縁起が悪いとして当然忌避される。あの地所と ありうるね。力で押してくるやつらが結局は勝つのか。厭 建物を売り捌くのは難しいよ。後を不動産屋に任せて出発し な世の中だな : 。まあそういうわけで、この家を売らない てしまうほかはない。しかし今後、たとえ買い手が現われて ことになったし、移住に当たっての資金が見込み額に届かな くて、やや苦しいんだが : あ、そうそう、きみに言うの も、こっちが上海を見棄てたかたちで千二百キロも離れた土 ティエンチェンハンジェン フェンシェンシェン ラオフェン フェン・ドウシェン シェンシェン ティエンチェンハンジェン フェンシェンシェン

7. 新潮 2016年7月号

りました」と言ったワタナベは、ねえ、とカシラに含み笑い ま言った。「テッャさんとミナコさんも連れて来ますー で会釈してから、すぐにトネに向き直る。 ミナコの名前が出て、カシラは思わずワタナベを見た。 「カシラにご高配をいただいて、鐘の儀式を足場の最上段か ワタナベは動揺したそぶりはなく、カシラの目をまっすぐ ら撮らせてもらったんです。おかげで最高の画が撮れまし に見つめ返して、言った。 た。平凡で気弱な少年が、英雄の息子としての使命に目覚め 「ミナコは近い将来、方舟の船長夫人になります。要する た瞬間を、ばっちり に、テッヤの許嫁です。本人の意志とはかかわりなく、タケ ははつ、とワタナベが笑うのを、今度はトネのほうが「困 トラ氏の強い希望で、ということは断りようのない命令で」 りますね」とさえぎった。「何度も申し上げていることです カシラは絶句して、トネは「ワタナベさんーと声をとがら せたが、ワタナベは意に介さず、鼻歌まで聞こえそうなほど が、言葉には気をつけてください」 ワタナベは頬をゆるめたまま、笑い声だけを消して、ゆっ の軽い口調で続けた。 「テッヤとミナコが、方舟に乗り込む最初のつがい、という くりと言い直した。 わけです」 「誠実で親愛なる、若き船長閣下の、覚醒の瞬間」 「懲罰委員会にかけますよ」 トネは鼻白んだ様子で「よそでは決して、そういうくだら ないふざけ方はしないように」と釘を刺す。 トネの言葉に、ワタナベは表情を変えずに、「いまの発一言 は、猛省のうえ、撤回します」と、ひらべったく言った。 一方、ワタナベは平然として、トネに勧められる前にソフ 「 : : : 総帥への直接報告事案として、処理します」 アーに腰を下ろした。向き合ったカシラにあらためて「その トネはそう言って部屋を出て行った。それが捨て台詞にな 節は、ほんとうにありがとうございました」と一礼して、 と、カシラにはわかる。 った時点で、トネの負けだ 「見たいものを見ることができました。あと、見せたいもの 広い部屋に二人きりになると、ワタナベはまず最初に「す を見せることも」ーー早口に言った後半の言葉の意味が、カ みません」と謝った。「私がもっとうまくやっていれば、お シラには一瞬わからなかった。 顔を上げたワタナベが目配せをして、それで、ああそう茶ぐらいは出してもらえたのに : : : お茶やお菓子が来てから 遊んでやればよかったかな、トネくんと」 力、と記憶がつながった。 て に 「いつも、あんな調子なのか」 足場の最上段には、ユウジもいた。儀式が始まる直前まで は、たしかミナコという名前の女の子も一緒だった。二人と 「ええ。だって彼は、ひたすら生真面目な奴ですから、かられ かい甲斐があるでしよう」 もワタナベが連れてきたのだ。 「でも、カは持ってるだろう」 「カシラ、もうちょっとお待ちください」とトネが立ったま

8. 新潮 2016年7月号

が一、国法の主張と自分の良心のいう「正しさ」が違うな ら、私は、国法の主張には従わない、といったら ? その ばあい君はどうするんだろう ? そうしたら、私のソクラテスは、がはは、と笑って、こう いうだろう。 いや、クリトン、君はよいところに気がついたよ。 それが、私が、後のほうの主張を自分の考えとしてはいわ なかった理由だからだ。最初、私は、自分の考えからこう する、といった。次に、私は、人からーーこの場合は国法 だがねーーーこういわれたら、反対できないだろう、といっ た。それは、君がこの二つの裂け目に気づいて、いまのよ うに質問したら、そのときだけ、答えようと思うことがあ ったからなのだ。君が何もいわなかったら、私もいわなか っただろう。でも君がその裂け目に気づいたので、いうこ とにするよ。 そうだ。その通りなのだ。ここには二つの「正しさ」が ある。一つは「アプ」の正しさだ。もう一つは、「ノロマ」 だけれども立派な「馬」の正しさなのだ。さあ、私が弁明 の場でいったことを思い出しておくれ。私は、こういった のだ。私は、自分が公的な正しさの場に出そうになると、 そのたびに、ダイモンがやってきて、やめよ、と声が制止 するので、それをやめた、と。それで私は、市民達が国の ことを論議する民会にも、義務で出なければならないとき 以外は出席しなかったし、政治家にもならなかったし、人 の上にも立とうとは思わなかったのだ。そして、アゴラ ( 広場 ) で、市民のほか、老人、奴隷、外国人、女子ども のいるところで、いつも一対一で、うるさく相手につきま とい、対話をする仕方でだけ、私の考える「正しさ」を追 求してきたのだよ。 私には、そんなふうにして追求される正しさのほうが、 いわば公共的な立場からいわれる大文字の正しさよりも、 いつも、自分に似つかわしいと思われるのだ。それは、ダ ィモンの声からくる。つまり、古い世界、神に属してい る。 ( しかし古さを盾に何かをいったりはしない。それは 新しさに抗うかたちでだけ、私を動かす、低い神の力なの だ ) 。一方、公的な正しさは、新しい世界、国 ( アテナイ ) に属している。私は神託に見られるような、神に属した、 ささえのない、一対一で手にされる正しさのほうが、国に 属した、集団で手にされる正しさよりも、大切だと思うの だ。そうだろう、君も知っての通り、こちらが一人の人間 が、いつどこでも、どんな場面でも、「よりよく生きる」 ことに、より叶うことだからね。 でも、それなら、なぜ、第一の「正しさ」だけにしなか ったのかと、君はいうだろうか。なぜわざわざ、ほんとう には信じていないかもしれない、第二の「正しさ」を、第 一の次に呼び出すのか、とね。 それには二つ、理由がある。第一には私には、君のいう 「良心」というものはない。「良心」は「知ること」の先に 76 イ

9. 新潮 2016年7月号

るかを、それぞれの仕方で語っている。 はじめに その年の春から夏にかけて、毎週一回、学生に発表をさ いまから三年前。二〇一三年の春、そのころ教えていた大せ、私の考えを述べ、読み進めた。そうするうち、心の中に 一つの問いが浮かびあがってきた。関係する本を読んでも誰 学の一年生向けのゼミで『ソクラテスの弁明』 ( 以下、『弁 もそのことに注意を払っている形跡がない。なぜだろうと疑 明』 ) 、『クリトン』、『。ハイドン』を読んだ。古典中の古典だ 問が膨らみ、最後、そのことをもとに、設問を作り、学生に が、扱うのははじめてである。私として似合わない選択をし 尋ねた。そして、その後、プラトン学者の納富信留の新訳と たのは、これがソクラテスという一人の人間の「死」をめぐ る本だったからである。私事に亘るが、その年の一月に息子その解説と著作、またこのとき出てまもない柄谷行人の著作 『哲学の起源』などを取りあげ、自分の考えを述べた。 の死に遭い、「死」の近くに身をおいていたいという希望が 二〇一一年三月、東日本大震災と原発事故があり、翌二〇 あったのである。 一二年一二月に、吉本隆明さんが死んでいる。二〇一三年一月 「死」をめぐる一番大きな物語として、私たちはイエス・キ に息子の死があり、二〇一四年二月、その後を支えてくれた リストの受難の物語をもっている。ソクラテスの受難の物語 は、四百年、それに先立つ。私は心の片隅で、ソクラテスの親しい友人の鷲尾賢也 ( 歌人の小高賢 ) さんの死が続き、去 死は、キリストの死とよく似ていると、長いこと感じてき年、二〇一五年七月には、鶴見俊輔さんが死んだ。いずれ も、私にとって大切な人たちである。 た。キリストは衆人環視のもと、磔刑に処せられる。一方、 あれから三年。ときは歩むことをやめない。そうしたな ソクラテスは死刑の判決を受け、獄内で友人に囲まれ、毒杯 か、記憶のむこうから、そうか、そうだったのか、という、 を飲んで刑死する。両者の「死」の物語のあいだにどのよう 一つのささやかな発見の声が浮かび上がってきたのは、何気 な連関があるのか、ないのか、私は知らないが、この二つの なく右のプラトンの一部を再読した、ごく最近のことであ 死は、それを身近で味わった者にただならぬ衝撃をもたら る。その発見を手がかりに、三年前の考察に立ち返り、そこ し、その後の彼らの生き方に決定的な影響を与えた。彼らの に試みられた思考のあとをもう一度、辿り直してみたい。 死は、「死」が遺された者にとってどのような経験でありう 756

10. 新潮 2016年7月号

ことは存じませんが、せつかくお読みいたべき出来事だったのではないでしようか。群を抜いていて、全く瑕疵がない」と賞讃 だいたばかりか、「選評ーに中性的で公平他の委員の書きぶりからも、黒川氏の作品したそうです。作品に「全く瑕疵がない」 な読後の感想の言葉をお書きくださってもへの評価が低かったらしいことと、それはなどという評は新人賞の「選評」で使われ いるお二人の委員に、「感想」をお書きく別の問題で、氏の文章への返答はなされるるべき一一一口葉ではなく、いうなれば、文庫本 ださるのなら、どうぞ個人あてのハガキべきだったでしよう。 の解説で丸谷才一が西脇順三郎の詩につい ( 「新潮」編集部気づけ ) で、と申しあげた「その年度における最も完成度の高い作品て、冒険的で挑戦的なうえに全く瑕疵がな いのです。図々しい態度でしようか。 に授賞する」と言う、浮世離れのした滑稽い、などと書くような ( そういう本はあり そして、思い出したのが、川端賞の中な主旨を持っ川端賞と違って「文学の前途ませんが ) 、そういった間違いとして成立 さわりない 性的読後感とは正反対だった選評によっを拓く新鋭の作品一篇に授賞する」というするはずなのです。 て、二〇一三年第二十六回三島由紀夫賞に規定を持っ三島賞の滑稽さ ( 何も、この賞蓮實氏の、三島賞受賞に関しての居丈高 『暗殺者たち』で落選した黒川創氏が、翌にかぎったわけではありません ) は、第一一な言辞 ( 委員の読解能力ではなく「文化制 月八月号「新潮」誌に書いた、髙村薫氏、十九回の賞に蓮實重彦氏の『伯爵夫人』を度」を氏は批判したのでしたが ) につい 町田康氏の両選考委員の事実誤認に対する選んだことにもうかがえます。新聞やテレて、それなら、はじめから断ればいい、 大変まっとうな反論です。町田氏は髙村氏ビで、蓮實氏の受賞記者会見での、発言内と、感想を求められて発言していたコピー が断定する事実誤認の事柄を根拠にしてい容のまっとうさに比べておそらくほとんどライターがいましたが、これは、せつかく るのかどうかはわかりませんが、「大逆事の人たちが感じた高飛車な態度 ( もっともの制度に文句を言うな、ということなので 件については一般的にはよく知られているな応接、と私は思いますが ) が話題になりしよう。しかし、受賞者の言葉しか聞く耳 ことばかりらしいーという伝聞の形で「選ましたが、黒川創氏が自作についてあなた がないのが世間のようです。私は、内田樹 評」を記してしまう迂闊さなのですが、方は事実誤認をしている、と返答を要求し氏が、村上春樹氏の小説について批判的評 「誤りに立っ否定的な断言が下されること たことについては、無視してつつましい沈を書いた蓮實氏に、 ( 村上が ) ノーベル賞 は、作品に対する中傷の効果をー持つのだ黙を守る選考委員の一人は、新聞記事が伝をもらったらどうするのだ、と、失笑物ので から「そんな事態を避ける努力を怠らないえるところでは、記者会見の席で「選考委考え方を示して批評したつもりだったこと ことが、文芸ジャーナリズムに携わる編集員からも、これは新鋭といえるのかというなども思い出して楽しんでしまったのですお は 部の職能であり、責務であるはずです」と議論はあったが、主催者側がこれは新鋭でが、川端賞の「選評」に関しては、この短 想 いう黒川氏の反論に対して、返答が一切なあると。だからしようがないーと、記事を文のタイトルの通りの考えです。 感 かった ( 私の知るかぎり ) ということは、読んだかぎりでは、主催者側にべったりの 文学賞というシステムの中でおきた特筆す言い草で、そのうえで「小説の技術として あたり