ったが、それを蔽うてあまりあるがごとく、卑しきを卑しと聞かされて涙を流し、「僕は立派な人物となってこの腐 きとせぬ者が世にのさばった。少年達はそれを憤り悲し爛した日本を清明にしたい念願を抱き、勉学中です」とり み、世道人心を一新させるものはわれわれだと、明日の大きむ少年に眼を細くした。勘一郎は問わるるままに寄宿先 臣参議を夢みて語りあい、田舎縞の着物に誇りをもち、田も告げた。 源助はそれまで何かいいそうにしてやめ、又いいかけて 舎弁にヒケ目を感じなかった。 そういうなかで勘一郎は時にふれて、「血写経の詩」をやめ、暫く考えた後に、思いきった顔をして、「勘一郎様 吟じた。戸来の血写経と、いっか生徒の間にそれが知れわはご新造さまにお目におかかりなのですか」と尋ねた。「母 こっ , ) 0 いいえ。源助さん、母様はご健固なのです 様にですか 、近ごろのご様子を知っているのですか」と、頬を紅に 勘一郎の寄宿先は麻布善福寺門前町だった、そこから麹染めた。 町まで、毎日通うその途中、飯倉かわらけ坂で呼びとめる「勘一郎様、わたくしはただお見掛けしただけでございま 男があった。そろそろ夏になろうという、好い晴れた午後すが、確かにご新造さまに違いございません、わたくしは 守こっ , ) 0 ご挨拶の代りに、頭をさげたのですが、ご会釈もなし、お 「盛岡の戸来様のご子息さまですね、おう勘一郎様だ、大連れの女のお方お二人と、御門の中へおはいりになりまし た、柿田源助とお心づきがなかったはずでござります。わ きくおなりなされました」 、、たしておりますのですか たくしは車力をかくのとおり とその男は輓いていた荷車をとめた。 「戸来勘一郎ですが、君はどなたか」 「柿田源助でございます、お見忘れですか、あのころはお聞けばそれは神田向柳原、旧藩主に由縁深い人の隠棲の 屋敷の前だ、という。 小さかったのですから」 「そうーーー母さまはそこにおいでなの」 経「ああ、忘れておりません」 「ただお見掛けしただけでござりますから、そのお屋敷に 写何とやらいう宿場で、太神楽とやらを見せにつれて行っ おいでやら、存じませぬが、今度あちらへ参ったとき、聞 血てくれた、かっての若党だった。 きあわせた上で、お知らせに参上しましよう」 卸した梶棒に勘一郎を腰かけさせた源助は、父勘兵衛が 「それには及ばない」 国事に奔走して、藩の重役から罪せられ、京都で自殺した
せぬ、なぜですか」 眼に涙を湛えた勘一郎の出いに / 。目ド 正月の行事がほとんど皆ちがうのに、心づいた児の尋ねかった。 月ごとに行事のどれも、江戸と違う一年を過して勘一郎 「お国では江戸と違い、元旦より七草までを大正月とい は、もはや、父に「母さまは」といわなくなった。人々が もちあい い、八日から十三日までを餅間という、十四日から二十日寝ている児を起すように、「そこ許の母御はお国へまいる までを小正月というて、江戸のように十日正月、二十日正が厭というて江一尸にござる、最早そこ許の母御とはいわれ って聞かせた。そ 月などというはない。江戸とお国の違いは餅にも雑煮にもぬ、他家の人と相成られている」と、い ふせ ある」 の親切が、勘一郎を病名の知れぬ病いの床に、長いこと臥 らせた。 二月が来て久しく雪に隠されていた地肌が出て、黒い土 に草が芽ぐむのを見て、だれもの顔が笑っているころ、勘国の言葉にも気候にも習俗にも慣れた勘一郎が、八歳の 一郎は父に尋ねた。 春、藩命で京都に上った父が、遺髪だけになって帰ったの 「母さまはまだお着きになりませぬか」 は九歳の秋長けてからだった。父の兄夫婦と妹夫婦から、 「まだまだ」 「そちの父はあつばれな最期をとげた」と聞かされた。父 「道のりが遠いので、お手間がとれるのですか」 を悪くいう者もあった、褒める者もあった。 「うむ、左様か知れぬ」 小さな勘一郎の眼はいつも涙を湛えているかに見えた。 叔父夫婦に引取られ養育をうけているうちに、明治戊辰 桃も桜も一時に咲く雪国の春は勘一郎を喜ばせた。 戦争が盛岡にも及んで、日ごとに城下を出てゆく藩兵の隊 端午の節句の夏がきて、ちまきはあれど柏餅のない盛岡が、暑い日に照りつけられて続いた。叔父も武装して雨っ 経は、侍小路と町方に五月幟が立ったが、城には幟を立てぬづきの或る日、玄関で家族に別れを告げ、門前で鹿毛の馬 写古い仕来たりが残っていた。 に跨り、わが家を振返りもせず行ってしまった。伯父もそ 血 の日、陣営へ行ってしまった。 雪もよいの暗い空の日がつづくころ。 芳しくない戦況が伝わり、やがて盛岡が帰順降伏して、 「母さまは」 見慣れぬ服装の兵を率いて隊長が、幾人も幾人も、城下に
た。母君の夢でもみたのと違うか」と主人が窓からさし入 勘一郎は秋になってからの或る日の午後、執事を訪ねてる朝の光をうけている膳の前で尋ねた。「はい、母が遠い 向うへ行きましたので、呼んだように思います」と見た夢 母の安否を問うと、 「待っておりましたぞ待っておりましたそ、今度みえたらを話すより先に、さてはやはり寝言をいったかと真赤にな った。「寝言かあれは」といって主人は粛然とした。妻も 会うてやろうということに相成った、待たれい待たれい」 と奥へ行き、やや暫くして戻ってきた。皺をいつもより主人の母も、勘一郎より十五も年上のその家の息子も厳か な顔をした。主人の母は涙をこらえて廊下へ起っていっ 深くした、面白からぬ顔つきだった。 「気の毒ながら今日は、御用繁多につき、明日の今ごろと 申される」 その午後、勘一郎は執事を訪ねた。今までの訪問のうち この日が一番、晴れ晴れとした顔だった。 我がままな女かなと、いいたげな老人の顔つきに勘一郎 は心づかず、さッと顔を染めた。 小間使いの若い女が老人に呼ばれて、「案内なさい」と いわれた。勘一郎はそのうしろにつき、長い廊下をゆき、 「明日ですか、は、ツ、明日、参ります」 「ほう、喜んだのですか、よかったよかった。喜んでくれ曲り又曲り、杉戸に四季の花が描いてある襖の広い座敷に れば拙者も喜ばしい」 待たされ、暫くすると別の若い女が迎えにきて、以前の長 老人はロを大きく開いて笑った。 い廊下へ戻り、曲り又曲って二十畳ばかりの座敷に通され た。そこには六十ぐらいから二十幾つぐらいまで、身じま その晩、勘一郎は眠り成らず、とろとろとすると夢に、 いをして美しい衣裳をつけた、女ばかりが十三人いた。御 過ぎし昔の母をみた。南部坂の頃の或る日のことのようだ った。やがて太神楽を一緒にみている母が、いっか客の膳殿女中の春やら冬やらっき交ぜたこのお花畑は、少年を甚 をはこんで遠い向うの廊下を歩いていた。眼がさめて後、だたじろがせた。 経「母さま母さま」と寝言をいったらしいと心づいた。明く 田舎風俗の勘一郎のド肝をぬかれた姿が気に入ったの 写るに遅い朝だった。 か、女十三人がどッと笑った。そのロは赤く、その歯は鉄 血寄宿先の人々は勘一郎と母のことを知っていたので、そ漿で染めて黒く光っていた。 白髪まじりの女が一番先に笑いやんで、 の日の朝の食事は勘一郎だけ、小さい魚ながらお頭つきだ った。「勘一郎さん、けさ早う大きい声で何かいっておっ 「戸来勘一郎と申さるるそうな、そこに坐って、ここに居 学 ) 0
Ⅷ 「このお方がそこ許の母御」 る人々をようく見るがよい」 といった頃は、だれも笑いやめていた。ゴクリと唾をの指ざして加乃を示した、勘一郎は泣いていて見なかっ むものがあった。 「泣かずとごろじ、この方がそこ許の」 又いう声の半ばで勘一郎は、もの一ッいわず、頭をさ 勘一郎はなぜそういうのかと、老女の顔をみた。 「いやいや、わらわのみ見てはなりませぬ、皆さまのお顔げ、田舎縞の袖がしらで涙を横撫ぜして座を起った。 「これツ」 をとくと拝見なされて、さてーー」 というと、十三人の中の二人三人が、ぶッとふき出し笑加乃の気色ばんだ美しい顔を、勘一郎は見なかった。 「これツ、勘一郎、わらわがそちの母であったのは昔のこ いをやりかけ、体をねじらせて耐えた。 きずな と、ゆえあって、縁を絶ったれば、絆は切れて他人、以 「さてーー・どなたが、そこ許の尋ねる人か、こなたからは 後、同藩の者の子として参るがよい」 教えぬ、当ててごろうじ」 この言葉が終ると、十二人の女が低く、「あつばれ」と と真顔になってツンとした。 勘一郎は十三人を見廻した。七ツで別れ今は十三歳、年も、「さすがは加乃どの」とも、「婦女の亀鑑」とも、声々 レしったが勘一郎に聞えなかった。 を隔ることいまだ僅かだのに、どの人が母であるやら判らこ、 少年は長い廊下を泣き泣き迷い歩き、どこからか出てき なかった。髪かたち衣裳に遮られたりとても、けさの夢に も見た母の顔が、憐む君が壮大にして心いよいよ苦しむとた小間使いに送り出され、西の空が赤い、屋敷の外に出 愛誦の「血写経の詩」を吟ずるとき、いつも眼に浮ぶ母のた。 顔がここにはなくて、別な人の顔ばかりに見えた。羨む君「おいたわしい、わたくしこちら様を今日限り下がりま が老に臨んで相逢うを得たると蘇東坡は、朱寿郎を詠んだす」 と、その若い女がいったが、それも勘一郎の耳にはいら か勘一郎は、若くして今、相逢うを得るに臨んで、母がわ うった なかった。 からないもどかしさを、自分に愬えて泣き出した。 戸来勘一郎の口から「血写経の詩」が出なくなっ 爾米、 少年が畳にひれ伏して泣く姿が、十三人の御殿女中を狼 狽させた。 た。友も、寄宿先の人々も、それについて何もいわなくな なかでも白髪まじりの女が、慌てふためいて、
勘一郎の何でも知りたがる声に、思いごとの霧が散じた仕した。勘兵衛は箸をとったが、子は廊下の方に気をとら 父が、 れ、父に促されるまで箸を手にしなかった。 「左様、石に刻んだ地蔵菩薩」 父は母なき児となった勘一郎に、不憫さはいうばかりな とだけで、何ゆえにそこに安置されているかいわなかっ く加わっているものの大人過ぎた。かって勘一郎ぐらいの た。刑場だった。 年のとき、父は、遠く置き隔てられた女親を、もったので これが文久の末、徳川氏の権力がぐらついて、日本の大はなかったから、昨今のわが子の心とおなじ経験をもたな 半に雨か風かの雲行き急のときだった。 かった。 食膳に就いている間も勘一郎は、廊下の彼方に、女の衣 小山の宿にはいったのが昼飯ごろ、脚絆草鞋をとって、ずれや足音を聞くと、眼をそちらに向けて箸の手をとめ 顔と手足を洗い、次の間は若党、中間は縁側。雇った人夫た。 はみえぬところに行ったらしい。勘兵衛父子は座敷で座に 「勘一郎、脇見はならぬ、不行儀である」 就いた 「はい」 ここの茶屋女は紅白粉なしで垢抜け、髪は杓子髷に紫縮勘兵衛の去りし妻への思慕と、隔たり遠い勘一郎の思慕 緬のキレをかけ、あらい縞物を着け、黒ッばい帯を男結びが、二十四、五の色白な、さっきの茶屋女に仮託の現れとな にきりッとしめたところ、江戸の深川あたりで見掛けた女っていると、気がっかない勘兵衛は、その女から眼を惹く 風俗に、霞をちょッとかけた趣きと、勘兵衛は淡々と思っ加乃に似通ったところなどがあろうとは、すこしも知らな て、出された茶をのみつつ気がっき、勘一郎がその二十四かった。それは大人の世界のことで、子供の世界ではもッ 五の色白な茶屋女に、つぶらな眼を向けていた、ー、 カそれと鋭くもッと敏かった。さっきの茶屋女は勘一郎の母に、 がどうということも思わせず、茶をのみ干した。 似たところはただ一ッあった。歩き方がそッくりだった。 経その女とは別な茶屋女で、二十歳ばかりなのが、菓子を世に波風は立ちさわいでも、常のままの姿はどこにもあ 写もって来た。勘一郎が、天井を仰ぎ壁を見廻し、桃色の頬る。日が照って風和かな外で、太神楽の囃子が人の心を浮 血をした丸い顔に、眼もむけずにいたのを父は知らなかっ き立たせるように起っこ。 オⅢ近とみえて口上の声が聞え、 見物の人声がどよめいた。 丸顔の女と小女とで食膳をはこんで、父子の前に据え給「旦那、太神楽をやっております。ご覧じなされまする ) 0 さん み、と
単身乗り込んで議論をしようというのだが、学問的にやられていて、その成果はどうか。外観と風趣からうける印 るのは忠吉の任でない、啖呵は切れるが議論はとくるとこ象はどうか。論理の形式が整っていないだけで、。 へらんめ の上なし下手だ。 え調子ではあるが、理論的な内容と実際が正確だ。相手は 「竿忠さん、やめた方がいいぜ」 真赤になって下を向いた。 あぶな と危がって引きとめる者があるが、頑として聞き入れ「おう黙ってちゃ判らねえ、このなかの誰が日本の釣竿を ず、 けなしたのか男らしく名乗ってみてくれ、多分そっちの方 「嘘にも釣竿師で飯をくっている男が、このまんま指をく にいる髭のはえた高慢な面の人だろう。何とか返事をしろ わえて引込んでいられるかい。相手がどんな偉いお役人か 知らねえが、まともというものは一ツだ、一体俺がやらね とうとう議論から得意の啖呵で喧嘩腰にまで発展した。 えで誰がやるんだ」 しかし、このことがあったので釣竿は工芸品に認められ たのである。 とうとう引きとめる手を振切って農商務省へ乗り込み、 大勢の役人を相手に、べらんめえ口調だが、内容は、じっ 明治三十三年、フランスのパ リに万国博覧会があって、 に豊富な実際知識で捲し立て、 政府は忠吉に釣竿の出品を命令した、忠吉は、 「お役人方、何んでも外国のものがいいというか、それで 「私よりも先輩が他におりますから、どうそそちらへお命 は一つ伺いますが、外国の釣竿がまさっていて日本の釣竿じ下さい」 がとるに足らねえというのは、どこを押して出る言葉で と固く辞退したが許されず、とうとう引きうけたものの す、日本の釣竿について、どのくらいのところまで知って相変らずの貧乏で、出品する釣竿を拵える費用がなくて弱 ため なさるか、一つ試しに聞いてみるから返答をして貰いまし っていると、これを聞き知った日頃から忠吉の作品と人物 とを愛している、いわゆる贔負の人達が、めいめい金を持 さすがの役人もこれには困った、このときのお役人さんち寄って製作の費用を出した。 が知っているのは、いわゆる駄竿、誰々の作というような すると忠吉は困った顔をして、 芸術品は知らないのだった。 「けれどねえ、これだけの金を返すのに日を限られては、 いろいろさまざまな竿が、なぜ作られるか、魚の習性ととても私には返せねえ、返さなきゃあただ貰うんだから、 水の事情、それからそれと徴に入り細に入った研究が遂げ俺あ厭だ」
下がって自殺を遂げていた。 「おい伊三さん、とんでもねえことになったなあ、どうし 死体の下で たというんだ」 とそのまま、手をつけずにある死体を見あげていう声を その晩、何んのことなく、翌日の朝早く、忠吉が顔を洗聞きつけ、部屋の隅で小さくなっていた伊三郎の父親で盲 っているところへ、 目の徳兵衛が、 「お早うござんす。こちらは竿忠さんでございますか、私 「あ、竿忠さんですか。よく来てやって下さいました」 は東森下の伊三郎さんの隣りの者でございますが、ゆうべ 「おお、気がっかなかった伊三さんのおとッさん、とんだ 伊三郎さんが亡くなりましたんで、帳場へ行きがけにちょ ことで、何んといっていいか言葉もねえ」 っとお知らせに来ました」 「竿忠さん、まだ御検視がおりねえので元のまんまにして 「えツ。伊三郎さんが死んだ、本当ですか」 あります、それよりは一つ、お話をとくといたしたいこと 「ええ」 がありますが」 「だって、ゆうべあっしの家でさんざん話して行ったんで「何んだね、おとっさん」 すが」 「そこらへまあ坐って下さい、竿忠さん、御存知だろうが 「それが当り前の死方じゃあないんです、〈あなた、ぶ元わたしは、大和の国郡山の城主十五万千二百八十八石柳 一やし ら下がってね」 沢さまのお抱え鞘師で山野徳兵衛、これでも烏帽子直垂 「あれ。へええ。こいつは、よッばどどうかしているぜ。 で、刀を差して仕事をしたものだったが、御時勢が変って どうもわざわざすみません、すぐ行ってみます。どうもごお抱えの鞘師どころじゃなくなった。あ、忠さんそこにい 苦労さんでした」 て聞くだけ聞いてください線香が絶えたってかまわねえ。 忠「伊三さんどうしたというんだろうね、一体」 なあに、近所の衆が立ち働きをいくらしていたってかまわ 竿 「何んだかさつばりわからねえが、行ってみてやろう」 ねえ、死んだ不肖の倅のことよりこれから話そうというこ 人 名忠吉が駈けつけて見ると近所に一ばいの人だかり、なるとの方が、ずっと大事だ」 8 ほど使いの人のいったとおり、伊三郎は何を思ったもの「何んだね徳兵衛さん。自分の子の死骸をうしろにして、 か、刺子絆纒を着て手拭をスットコ冠りにして、梁へプラ俺へ話というのは」 さしこばんてん り
につけた。そうしないと、いつまでと時間のわからない隠は、幾日しても腐らない、都合のいい食料だった、そのか れだけに、しびれが脚にでき、盗みも逃げも出来ないからわりうまいというほどのものではなかった。 である。 「いいえ、それにしては重過ぎるよ」 「待て待て。何だい仰々しい 、ほ、フ、らほ、つ、ら」 「重いというと、じゃあ何だい」 ばかばかと裏の方で馬の蹄の音がする。ここは馬借の住「お金、ではないだろうか」 居かと気がつくと、馬の寝小屋の匂いが鼻に漸くプンと来「金だとーーどれ寄越してみな」 とここまで聞けばこの二人が夫婦だということを、知ろ 裏口へ何やら片手に急ぐ女のうしろ姿を、腰をのばしてうとしない喜三郎にもわかって来た。夫婦の間の数え年一一 のぞいた喜三郎は、白い二ツのふくらはぎに見入ってい ッぐらいの児が、畳敷きの方に蒲団をのべ、寝かしつけて て、他には尻目もくれなかった。 あるのはさきほどからだが、それに喜三郎は今でも気がっ 飼馬にすそをつかってやったのだろう、仕事着を一丸め いていなかった。気になるのは鞍に引ツかけてあったとい に抱え、裸で裏からはいって来た五郎さんという男に、女うから、馬に乗った客の坊さんが忘れて行ったものだろう は小さくずッしりした包みを一つ差出し、うしろ下がり が、中味がいくらあるかということだけ、その他には何も・ よ、つこ 0 に、家の中へ引返して来た。 / 、刀十ノ 「ふうン、鞍に引ツかけてあったのか、あの坊主だきッ女房が行燈に灯を入れた。亭主が包みをあけた。中の包 と。慌てものだお坊さんのくせに」 紙を披くとびかりと光った。 手足の濡れを古手拭でふきながら、五郎さんは、たいし 「ね」 たことではないという様子。 と女房が行燈に片手をのせ、乗しかかるようにのぞく陰 「だって、これ」 で、亭主が小判を数えている姿が、骨あらわな古壁に影絵 来と両手で小さな包みを、突きつけるように見せている、 こ・映った。 両女の腕のつやつやと白いのを、物陰の喜三郎はもう見てい 夫婦とも息を詰めている。隠れ場所の喜三郎も固唾をの 金なかった。色好みの眼つきが、泥棒まなこと変っている。 んで、いくらあるというだろうか、と聞き耳立てた。 「おおかた焼米に焼味噌、そんな物だろう」 「おかの、こ、これは、容易ならねえ」 焼米を噛んで焼味噌をなめる、道中携帯にはその頃で「大層なお金だねえ、忘れて行ってその坊さん、さぞ心配 こ 0
くノ一はその翌日から方針をあらため、廓の外へ網を張 が、よそながらにしろ、行って見て、どんな人柄の女だっ たかをきわめる気はすこしもなかった。けれどもその町のりはじめた、この間の様子ではあの異人客は、東雲のメレ 名、女の名は覚えておく用もないのに忘れなかった。それ ーによほど惚れているーーーと思、フとくノ一は腹が立ってき がなぜだかは気がっかない、 といって恋でもないのは明白た、たとえ千万里の遠くからきた異国の男でも、客である した、が、それ限りは、れてこそ通うはずなのはわかっていながら、や だ。なるほどくノ一は素肌で女をぐっと抱、 だから、あいつの は水の中のこと、どう間違ってもそれだけで、色も恋も起っぱりくノ一は面白くない気がした ろうはずはない。 持っている金を、捲きあげることは、痛快な気もちで出来 しかしくノ一は、東雲が与えた暗示によって、仕事をする仕事であった。 が、その獲物にぶつかった。しびれを切らせたくノ一 る気にはなっていなかった、ではあるが、あの現金をしこ おろか は、やがて自分の愚さを嗤うことに気がついた。この間の たま持っているという異人客に、興味を感じないわけでは ない、仕事をしない気になったのは、ただほんの感情が東晩ともかくも東雲の客になった体だから、頭からおはき物 雲の言葉に快くなかった、それだけの理由しかなかった。 を食うはずがない、だから客であがって様子を聞いてみよ う、一つには年上ながら可愛がるとよりも、何となく懐し 一体、くノ一が好んで撰む巾着切の獲物は、屈託のない 顔の持ちぬしか、賭場帰りか投機師めいた男か、でなけれさがさきにたっ東雲にも逢えるし、と、両天秤にかけて行 トリイハウスの白ペンキ塗りの棟の高 く気が萌した、で、 ば競馬帰りか芸者づれの大尽、客か、そんな種類の人にたい てい限られていた、その筆法からいえば現金をしこたま持い家の前へ立った。が、女には客があった、さてはあいっ っているあの異人なら、自在に働いてくれる白い指先を向来ているなと思った、しかしそれは違っていた。くノ一が けても、まんざら悪いとは思われなかった。 廓の中をひとめぐりしてきた時、東雲が送り出した客は、 かんぶきずなんきん よく支那街で見かける海岸通りの弁房の疵南京だった。顔 くノ一はそんな気がしてきたので、今夜、異人街へはい 切り込んだのだ。しかし、運がない、目ざしている異人に出に深く二条の疵痕がある五十近い肥満したその男は、金ば しゆくしゃ なれのいいのでは有名な支那人であった。 巾会わなかった。狭いようでも、広い世界を縮写したような 本 元居留地へ、ぶらりときて直ぐ見出すようなことは、よほ 「あれからどうして ? 」 ど珍しい偶然でない限りあるはずがない。 東雲の態度が先頃とはがらりと変ってきている、かりそ なっか
「あいつなら安心して仕事が出来る」 くノ一の選択にのばった男は、有名な蕩児だった、商機 に投ずる才略は相当もっていたが、いつまでも乳の香がう せぬ子供視している父が、厳然として控えていることが、 おと 蕩児をいよいよ蕩児に堕していった。「おやじ入れるよな のぞ 火消し ~ 亞」を、熱心に希んでいるものの、火消し壺より棺 でなくては、とうていこの蕩児の癌はのぞかれそうもなか 巾着切はごく雑とした風聞ではあったが、 蕩児について 知っていた、であるから、この男の懐中物なら、安心して 抜きとっていいと信じた。 おんな 「馬鹿息子め、たった一人の妓に月千二、三百円ずつも玉 巾着切のくノ一は、、、 し鴨をみつけた。くノ一は夥しい 祝儀を払うなんて、それがいくら可愛い妓に、竸争する妓 人間の波を前にして、さて巾着切をはたらこうという時、があるからって、馬鹿さの方図が知れねえ。どう割りつけ これならという被害者を選定するのこ、、 レしろいろ自家一流て勘定しても、月千二、三百円の玉祝儀といえば、一つ体 の標準があった。一番嫌って手を下すことを断じてしな に二重三重に金を払ってやがるのだ、馬鹿な ! 」 、それは、刻苦が見える顔の持主であった。服装持物が そんな馬鹿息子の金なら、いくら盗んでもいいようにく どんなに物質上の余裕を示していても、くノ一一流の相貌ノ一は思った、どんなことがあっても裏店街の子のため 鑑識によって、些かでも悲劇の相を認めたら、彼奴は決し 一つのプールをつくってやるようなことは絶対にしな て二度と振向かなかった。 い金だ、同じ妓に貢ぐ金でもそれで芸を修行させるのでも 俺は人を螫して血を吸う蚊だ、しかし、同じ掏摸という ない、高い香水をまいて寝転ぶだけの望みしかないあいっ 人生街道の蚊でも、マラリヤ熱を伝染させるまだら蚊ではの金、遠慮しては悪い金だ、さっさと捲きあげて差支えあ ない。くノ一はこう思って微笑している男だった。そんなるまい金なのだ。 風な巾着切がいい鴨をみつけたのである。 「あしたは一つーー驚くなよ、馬鹿息子」 旅へ行く幽霊