た日々を送っていた。 きせが故郷へ帰ったころ、坂田に月謝を払うものは喧嘩 きせが四十四歳の明治十二年八月四日、満期放免となっ兇状で入獄したことのある、この男ひとりだけだった。 きせはわが家へはすぐ行かず、亡き夫の墓に詣で、懺悔 故郷へいそいそと帰ったきせは、二十二歳の青年になつを述べ、行いの誤りを詫びた。 ていた勝太郎に迎えられた。勝太郎は美しいだけの若者で「いい天気ですね、おツかさん。どうです、空の色の綺麗 なこと」 はなく、逞しい農人として成長していた。 勝太郎はそうとも心づかず、母をわが家へ早くつれて行 そのころ、坂田久太郎は青年教育を志し、私塾を開いた 一 : っ A 」、丁ニるンス が学びにくる者がなかった。妻は針仕事と洗濯をして、く らしを支えることに力をつくしたが、世間は監獄先生とあ「もう一カ所お詣りします」 ざけって、入門した者をすら勧めて退学させた。 「どこです、今度は」 ひどい貧乏が夫婦を襲った。 「弥惣兵衛さんのお墓です」 「先生、その節はご厄介になりました。あッしを弟子にし 「あんな奴の墓へですか」 「まあ、そういわないこと」 てください」 人相のあまりよくない三十二、三歳の男が、坂田の汚くな母について行きは行ったが、勝太郎は弥惣兵衛の墓に眼 もくれなかった。 った鷺行舎という私塾へはいって来た。冬の午後だった。 「だれだったかね、君は」 きせは買ってきた花をあげ、線香をあげ、水を供えた。 「弥惣兵衛さん、お詫びを申上げなくてはなりません。わ 「監獄で教えてもらった三百二号ですよ」 「ああそうだった。まあ、あがれよ君。ほう、今は人力車たくしの心得が不足でしたので、あなたをお慰めし安心さ せ、楽しい日を送るように、と一向に心づきませんでし を輓いているのか。それはい、、新しい仕事だからいい た。わたくしのしたことが、あなたの改める時を失わせた き人の便利になっていい」 志「そうですか、しし 、のですか。なるほどね、人の便利になのでございました」 女るからだね。ねえ先生、あッしに監獄塾の時のつづきを教勝太郎は母が、何かまだいっているのが聞きとれなかっ えてやってください、頼みます」 たが、母の姿をみていると、弥惣兵衛の墓に合掌してもい 「ああ、 ししとも」 いような気がふいと起った。 っ一 0
370 愛がり方をした。 そちから母へさしあげろ」とくれた。二度ならず三度なら と知ってきせはうれしいと思った。ひとり子がだれよりず、日がたつにつれて、少年と寡婦への贈物がしげくなっ 」 0 も目をかけてもらえるのが、夫に先立たれて後、足掛け二 年を通じてはじめての愉しさ、だとした。 さすがにきせに疑いが起った。疑ってみれば疑いをはら す材料は一つもない、 「紺田先生がこれを下されました」 ことに弥惣兵衛が独り身であること ある日、勝太郎が八日市で売っている菓子をもらって帰を思うとはツとした。 った。そのときもきせは、わが子が可愛がられているうれ「勝太郎、先先から下され物があっても、母が固く申付け しさで、「母からもお礼を」と、何の気もっかず勝太良 5 にましたと申上げ、必ずご辞退なさい、頂いてはなりませ いわせた。 二、三日の後、今度は釣ったのでもあろうか、鮒を勝太「どうしてでござります」 郎がもらって帰って来た。 「今のそなたでは判りかねます、成人したら聞かせましょ 「紺田先生が、母にさしあげるとよいと、わたしに下されう」 ました」 きせはこのときも紺田弥惣兵衛が、勝太郎を可愛がって勝太郎が正念寺の和尚のところへ学びに行ったあとで、 くれる、ただそれだけにしか解釈しなかったので、翌日、 きせは親類のうちおも立った寺崎広助方を訪ね、弥惣兵衛 勝太郎の檮古について行き、四十に近い大男の弥惣兵衛の贈物がたびたびなので、何とやら不安でならないと、当 に、先日の菓子の礼と昨日の魚の礼とをいった。 主は留守だったが隠居夫婦に打明けた。 弥惣兵衛はどぎまぎして、「はあはあ」とばかり、初め「そうか、家中のものは戯れ半分に、惣太の後家の残んの て勝太郎を連れて入門を乞いに入ったときとは、人が変っ色香はだれが目にもっくが、惣太が化けて出てきそうで陰 口に冗談もいいかねると申しているとやら、それはそうに たように応対が滑かでなかった。 きせはそれでも弥惣兵衛を腹に一物ある男とは思わなか違いない、 まだまだ三回忌には遠いのだからのう、なれど も、お国へは近ごろはじめて参られた紺田殿だ、そなたの その後も弥惣兵衛は勝太郎にと、はツきりわかる贈物を容色のまだあせぬのに目がついたか知れぬが、心配には及 し、次には、きせに贈ると思えるものを、「勝太郎これをばぬよ、何ぞいうたら断りなさい、聞きわけがないようだ
おきますが、あの当時の情勢ではあれより手段がなかっ廃藩となって弥惣兵衛は金二十五両を、最上家から渡さ た、だからとて責任が取消されていいとはなりません。しれた。勝太郎は金百二十七両二分渡された。弥惣兵衛は三 かしああいうやり方は、それまでこ、、こ しオるところの藩に十石、勝太郎は三十五石、五石のひらきが百二両二分の違 あったことです。だからといって、前いったとおり責任が いとなった。弥惣兵衛は一代随身、勝太郎は明暦といった ないのではない」 年号の徳川四代の家綱のころから、ずッと随身していた家 「坂田さんはそんなことをいって落着いておられますが、系だったから、そういう計算を最上家で出したのである。 人殺しの罪に落ちるのではないでしようか、以前と違って弥惣兵衛は自分の二十五両をまず飲んで酔いに消し、次 妻子のある身ですから、妻子のために心配なのです」 に勝太郎の百二十七両二分をねらい、それだけは徒らな酒 「妻子とは、故志賀惣太の後家と倅のことかーーーあなたはの酔いにかわらせまいと、泣きっ怒りつ、きせが争ったが このごろ、深酒をやり、酔いにまかせてあなたのいう妻子弥惣兵衛は刀をひねくりまわし、「勝太郎を殺して奪いと を苦しめるそうだ、いけませんねーー話を前にもどしま ってやる」と暴れ、三両五両と、何べんとなく取って飽く す。罪に問われたら罪に服するのです、私の利益のために こと知らず酒に狂った。 やったのではないでしよう。私はそうだったが、あなたは その年十月一一十六日の晩、泥のごとく酔った弥惣兵衛 どうですか。私の利益のためにああいうことをやらせてく が、どこで喧嘩をしたのか、髪を乱し、着ている物を泥だ れと、あの時いって来たのでしたか」 らけにし、大声で喚きながら帰ってきて、酒が飲み足りな 「いいえ、決してそんなことはありません」 いと暴れた。そのうちに睡りこけた。 辞して外へ出た弥惣兵衛の顔の色は悪かった。それから翌けて二十七日の朝、ゆうべ、きせと勝太郎とで臥床の は一層ひどい乱酒になって、三十六歳になったきせ、十四中へ寝かせた弥惣兵衛が、けさは咽喉を刺されて冷たくな っていた 歳になった勝太郎は、三日に一度ぐらいずつ、酒に狂った き弥惣兵衛に、刀を抜いて追いまわされた。どういうわけで最上家のあった旧幕前後は、家中に死亡者があると検視 志そんな危い乱暴をやるかと、だれが聞いてみても弥惣兵衛を行った。明治になってからは朝令暮改で、司法も警察も 女は答えなかった。 うまく行かなかった上に、紺田弥惣兵衛の変死を、薄々知 っている人はあっても黙っていたので、酒が過ぎて頓死し 行その年ーー明治四年、きせは親類中から交りを絶たれ、 家財も衣類も弥惣兵衛に酒にされてしまった。 たという、きせのいうとおりに寺でも扱い、野辺の送りが おこな
まるまる使うことを避け、勝太郎に供をつけてやる時だけ ったら親類にお話しくださいと、わしの方へ廻しなさい、 の他は、三日に一日という使い方だったので、この日もま そなたの思いどおりに計らってやる」 歯が欠けていて言葉が聞きとり難いが、六十八歳でも元た、きせが帰るまで人のいないわが家だった。 「拙者です、お留守に伺い、よんどころなくご帰宅を、こ 気な隠居が、頼もしげないい方に、きせは安心した。 四、五日の後、紙きれに二行、ご子息のことでお話があれにてお待ち申していました」 という声は弥惣兵衛だった。 ると、弥惣兵衛の書いたものを勝太郎が持って帰った。 「どなたかと存じました、紺田先生でおいででしたか、何 きせは心地がすぐれませぬというロ実をつくり、親類の 隠居に行ってもらったところ、「女手で育てるからであろぞご用でも」 別にこれといってござらんが、通りがかりゆえ、 うが、勝太郎は偏った食好みがある、それを治さぬと成人「は の後、骨細き体になり、青白い顔になる、これを母ごに話お邪魔いたしました」 きせは門口に傘をさして立ったままで声高に応対した。 したかったと、こういう弥惣兵衛殿のお話だった、ごもっ ともなるお忠告、と礼をいって帰ってきた。別に、そちのこうすれば広くもない屋敷の内、隣り屋敷にも聞えるだろ うし、だれかしらが見ていてくれるだろうと、用心が先に ことを聞きもしなかった」であった。それならばと安心も 立った。 したし、徒らに疑って悪いことだったという気もした。 雨が細々と降って、どこの山も煙って見えない日の灯と雨の日の常であたりが暗くなるのが早い。弥惣兵衛は玄 もし」ろ。 関の二畳へ敷台からあがって、坐りこんでいるらしいが、 子供ばかりの夜ばなしの会へ出る勝太郎を、家中の北久暗い中なので姿をそれと、きせは見定めかねた。 「ちとお話があります」 保方へつれて行き、わが家へかえったきせが、人の気配が 弥惣兵衛がつばをのみこんだらしい声。 家の中にしているので、門口に立ちどまり何としようかと きせは答えなかった。「ご用談ならば昼のうちにどうぞ」 き思案した。三十五石の禄では惣太の在世のころでも手に入 志るのは二十七、八石、年によって二十二石が切れたこともと、ずけずけいうのはあまり無礼に過ぎていえなかった。 女あった。勝太郎が相続してからは、実際はほとんど半減しすでにもう夜に入っているのだから、寡婦と独り身だとい う男とが、ひと間のうちで、何を話したとて二人きりで ての下されで、一年のくらしを十五石足らずでやって行か は、あらぬ疑いがかけられるだろう、といってわが家の門 ねばならないので、召使いは五十過ぎた男が一人、それも
すんだ。 それは慶応三年十二月二十九日、妙心寺の山のすそに斬 生きている鬼が死んだので、きせは勝太郎の将来のためり殺されていた浮田周右衛門は、何者が殺したかわからず 安心したが、自分の白い手がどうかして気になるときがあにいたのが、下手人は殺された弥惣兵衛だとわかっただけ った。指の股か爪の間かに、弥惣兵衛の血が残っているのでなく、その事実を確かめるため喚んで調べた証人の芝田 ではないか、そう思って人知れず青白くなって見つめるこ新左衛門等の口から、坂田久太郎が主謀者だと申立てがあ とがある。 った、そのためである。 国事犯であろうとも殺人罪は処刑すべきである、という 説が裁判所内の一部にある。時代の違いであらゆる状態が 明治五年九月二十八日、大津県改め滋賀県に、近江十一一今とは違うから、これを処刑するとなると、波及が相当の 郡すべてが管轄された。 人才に及び国家の損失となる、さればとて証人の申立ての その年の十一月朔日、神崎郡八日市の警察屯所から三人うち、一つを顧みず、一つをとりあげたのでは、証人の証 の屯所役人が、大森へ来て、ろくに物もいわず、きせを引言が意味を失う、といってさてこれをどう捌くか、処刑す ッ捕えて繩をかけて、連れて来た駕籠に乗せて拘引した。 るにしろ処刑したくないにしろ、明智を別に発見できない きせは三十七歳だった。 ものか、という声が裁判所内の一部にある。 大津裁判所から出張中の中等属という官名の判官宇津木明治六年の冬、この断獄は東京でとなった。 たかあき 孚明が、主としてきせを糺問し、一応の審理をすますと、 翌七年の一月、雪の大津から三十九歳になったきせが、 きせを大津裁判所で審問することとなった。 東京上等裁判所に移された。ここでも判決が容易にくださ 滋賀県令は松田道之で、法律は旧幕のころの刑法を応用れず、四十歳の春をきせは市ヶ谷監獄の未決女囚檻倉で迎 していた時である。 えた。 きせの捕縛は前にいったごとく明治五年十一月朔日、そ浮田周右衛門暗殺の主謀者だった坂田久太郎は、明治二 れから満一年たったが判決が下されなかった。 年八月に近江を去り、東京に住んでいた。初めは本郷で私 きせが熟酔している弥惣兵衛を刺殺したことを自白しな塾をひらき、明治三年に墨田堤に転じ、協心会という私塾 いのではない、包むところなく明白に答えているのだが、 をひらき、徳川氏以降の歴史を独力で編み十巻を脱稿して 判決を下しかねる一点がこの事件の中にあった。
にいつまでも雨傘をさして立 0 ていたのでは、だれかの目再び枕についたきせが、越し方と行く末とを、そこはか となく思いめぐらせ、睡りのならぬのにいらいらした末、 について問われるに違いない、そのとき「女ひとりのとこ ろへ弥惣兵衛殿がみえておいでなされて」と答えたらそれ漸くうとうとしかかったとき、針を含んだような夜風に顔 だけで弥惣兵衛は、この地を立退くか、人々の不信を買 0 をなぜられはツとな 0 た。隙漏る風と違っていた。 と、雨戸のきしりが静かにして、吹き入っていた夜風が ても居残るか、そんなことにしかなるまいと思うと、きせ は行くところもなく、立ちも居られず、「困った」と途方なくなった。 きせがびくりとしてはね起き、枕の下から懐剣をとるう に暮れた。 ちに、酒の香が悪臭く匂った。 暗い玄関に音がして、雨の下に大きな体の弥惣兵衛が、 「あツ」 傘も持たずのっそり出て来た。酒の匂いがぶうンとした。 声を立てた。酒の匂いが夜中の訪問者がだれだかを判ら 弥惣兵衛は一言もいわず、会釈の真似ごともせず、きせ せた。 の前を足音荒く通った。 「静かになさい、お驚きくださるな、拙者です」 きせはロのうちで思わずいった。弥惣兵衛がじろりと光という声は紺田弥惣兵衛だった。枕行燈の淡い明りのつ くる隈に起っ大きな黒い姿は、弥惣兵衛に紛れなかった。 る眼を向けたからである。 叱責しなくてはいけない、そう気がついていながらきせ その後、弥惣兵衛は相変らず勝太郎を可愛がる、と知っ てきせは、勝太郎のために喜ぶのを忘れ、自分のために安は、言葉に詰った。 「酔っております、ご容赦いただく、さて」 心の胸をなぜおろした。 弥惣兵衛が坐った。体がふらふら動いているのは、酔い がひどい、そのためらしい 昼のうちから荒れていた風が、夕方から宵にかけすツか漸くのことできせが、 「女子供二人のところへ、夜中に押入るとは何ごとです り凪いだ、と思ったのが夜更けになって再び吹きあれた。 夫が在世のころと違い、目ざとくなったきせは、雨戸をか、お身分をお忘れですか」 「お叱りか。お叱りください、叱られるを承知でなくてか 打っ風に目がさめ、隣りの部屋の勝太郎をのぞきに行っ くのごとき推参をいたしますか」 た。少年は熟睡の息を立てていた。
「左様でござりますか」 四 「きせどの、それから何と仰せになりたいのですか」 「その他に申すことはござりませぬ」 きせが寡婦になったのは三十一歳。明治元年と改められ 「いやある。亡夫の怨みをはらしてくれですか」 る前の年の慶応三年は三十二歳、その十二月近くまで、紺 「いえ、左様なことは申しませぬ。もし申したらお引受け田弥惣兵衛からきせへ、何の贈物もなかった。きせはかえ なされますか」 って無気味に思った。勝太郎を可愛がることは、前とすこ 「浮田周右衛門か、拙者でさえあの人物はどうにもならしも変らぬ弥惣兵衛であった。 ぬ、ご当家を船だとすれば、周右衛門は梶だということで 一度こういうことがあった。どこから借りてきたか弥惣 す。梶をこわしては船がめちやめちゃになる」 兵衛が、少女の衣裳を出して勝太郎に着てみろといった。 「お帰りください」 勝太郎が応じなかったので、珍しく眼をむいて叱りつけ、 「ご立腹か、きせ殿ーーはて、この人は顔に似合わぬ難題泣き顔をこらえる少年の機嫌をとりとり、花のような衣裳 を出す」 を引ツかけさせ、自分は酒を丼についで飲み、「よろしい 首を右に振り左に振って思案していた弥惣兵衛が、何か いや見事だ見事だ」と、終いには手を拍って喜んだ。 いいかけてはロをつぐみ、又口をひらきかけては黙った。 むかしむかし、出羽の大藩であった最上家は、最上出羽 突然、刀を鞘に納めた弥惣兵衛が、手荒く徳利を振って守義光によって興隆し、義光が永眠すると次の当主の駿河 守家親は、一つ寝の衾の中で妾に刺された傷のために死 酒を飲んだ。 に、その次の源五郎義俊のときは、部将の間に党派が出来 やや暫くして、 「今晩はこれにて引取ります、あらためて拙者が推参するて激しく争い、丸に二引両の旗の威勢衰え、二十五の城を もった最上家が一万石にやせ細り、その次の駿河守義智の とき、きせ殿は常磐御前、拙者は平の清盛入道です」 そういったくせにいつまでも、もずもずとして坐りこんとき以来、近江の蒲生郡大森で五千石の旗下となった。と いう過去の遠きを振返って、浮田周右衛門は幕府困難のと でいたが、 一番雀の声を聞くと、酔いがさめたごとくすッ と起ちあがり、以前はいって来たところから出て行ったのき佐幕に力をそそぎ、時めぐり来りなば五万石の大名に、 だろう、夜風がさッと吹き込んだ。 最上家をノシあげさせる野心を抱いて、カ薄く人少きを承 知で、大森陣屋五千石挙って公方のため、粉骨砕身させる
名並で二百余年つづいて来た最上駿河守義連はじめ、家中う信じた。それにはその節の検視正副だ 0 た二人が、事実 のおもなる人々を説き伏せ、いうところの佐幕派に一家中でない方の事実をわざと漏らしたのが、かなりあずかった ことだったろう。 をまとめあげかけていた。この計画に抗議と排斥とをたた きせも又そういう世間の話声に動かされ、おなじような きつけたものが惣太の死であった。遺書は文体を考えなけ れば論文であったに違いない。それが握りつぶされたので信じ方をした。安政二年の秋、縁を結ばせる人があって、 水口藩二万五千石加藤家の鎌ロ与惣次の娘きせは二十歳、 ある。 志賀惣太が二十四歳で、そのころとしてやや晩い結婚を 遺書握りつぶしのかわりか、まだ九歳の勝太郎という、 惣太夫婦の仲のひとり子に、三十五石の家督を滞りなく継し、足掛け十二年の日々、きせは夫に深く愛された妻だっ がせた。「志賀の跡式を立てていただき、涙のうちにも申たが、家庭以外のことでは、夫から何一つ相談相手にされ さばめでたい」と、親類の人々はほッとしただけで、惣太た妻ではなかった。女子供の知ることならずと、公けのこ 、と、そのとおりやっていた惣太だ が何のゆえに死を遂げたか、その方へ熱情をもってゆく人とは妻に語らぬのがいし 、よ、つこ。 った。「女のいうことを採りあげる夫にするな」と、役目 、カ十 / ー刀 / 日ごとに惣太のことが過去へ過去へと遠ざか 0 てゆくなの上のことを、夫から聞かされたくないと努めて来たきせ かで、惣太の妻きせだけは、夫が世を早めた慶応二年七月でもあった。 だから妻は夫の死を、正しくは知らずにいる。 二十九日が、きのうのことであり、きようのことであるよ うところが一つであれ 刀さす人々も丸腰の人々も、い うに、来る日ごとに思いつづけていた。 遺書が握りつぶされたので、家中の人々も、三ツの郡にば、疑うべくもないとしてきせの怨み心が、日をかさね月 わかれている最上家五千石の領地の人も、惣太が自殺したを加えるにつれ、浮田周右衛門に向っていった。 のは、最上の当主に信用あっき浮田周右衛門と、かねてか きら不和だったのが、さきごろ惣太が愛知郡池之庄村千石余 志の支配につき、上申した意見を周右衛門が排斥し、その結きせに似て勝太郎は美しい少年だった、父に別れたとき 女果、近く惣太が代官役を免ぜられると内定したと聞いて、九歳、今は十歳、美しさは一年ごとに加わ 0 た、それだか 9 私憤をかくのごとくしてはらす者がいたのでは御家の前途らでもないが、先ごろ江戸本所大川端の屋敷から国詰とな って来た禄三十石の紺田弥惣兵衛が、たれの目にもっく可 おばっかなしと、悲しみ怨んであんなことになった、とこ
「こん畜生、こん畜生」 「何を、何をするんだ、この人は」 おもちゃの刀を棄てて小さな拳を打ちおろすその下で、・ たじろぐ嘉吉に、はらはらしながらお作は、眼をさまし かば ひれ伏しながら幸助は泣き入った。 ている亀太郎を庇う一方、身を揉んだ。 「亀太郎や」 「どうだ、往生してその金を受取るか」 「亀や」 「受取りませんとも、けっして受取るものですか」 夫婦の制しを亀太郎は肯かなかった。 「そんなことをいやあがりゃあ」 「まいんち来て、家のおとっちゃん苛めたじゃないか、家 名首を嘉吉の頬にあてて脅かした。 のおとっちゃん良いおとっちゃんなんだ。こん畜生、こん 「亠めツ」 二度三度と頬に七首をあてられるその都度、嘉吉は声を畜生」 かな 「ご免、ご免、坊やにや小父さん敵わねえ」 ロ走らせた。 「あれ。あーーー」 泣き声まじりにいって幸助が、起ちあがったその脚腰に まっか しが お作は見るに見かね、おろおろするその手から抜けた亀亀太郎は獅噛みつき、外へ押出す気で顔を真赤にした。 おもちやかご 太郎が、玩具籠からおもちゃの刀をとり、幸助に向って行「行っちまえ、行っちまえ、こん畜生」 「うむ、行くよ坊や、小父さん行くよ」 「小父ちゃん、おとっちゃん苛めると斬るよ」 「行っちまえ、行っちまえ」 「おう ! お前そんなにおとっちゃんが 素直に押出されていた幸助は、引返して亀太郎を両手で 抱きあげ頬摺りした。 見る見る幸助の体が顫えた。 「ああ、たまらねえ」 「行かないか。行かないか、斬るよう」 うちま 「わあツ」 おもちゃの刀で打ってかかる太郎に、われと打負かさ 亀太郎が泣き出したので、幸助は驚き手をはなし、ぐい 声れて幸助は、ほろりと泣いた。 の 「おとっちゃん、打っておやりよう、おいらいんだよ と涙に濡れた顔を夫婦にそむけた。 根 「もしお前さん。そこへお金を残して行き、難儀をかけて 屋、つ」 下さいますな」 5 「あいよ、あいよ」 と嘉吉の言葉が優しくなった。 嘉吉夫婦は顔見合せて涙ぐんだ。 つ ) 0 あしこし
っ 「すみませんでした」 台所の外、遠方で、幸助が捕手の張った網に引っかか 幸助は顔をそむけて金包みを、そッと手にとったその途たか、「ご用」の声がかまびすしく起った。嘉吉もお作も すく 端に、表の戸を慌しく叩く者があった。 その騒ぎに竦み、亀太郎を中に顔見合せた。 亀太郎を引きよせ、宥めていた夫婦も、飛びあがるばか 「なあに、おとっちゃん今の。今のあれなあに、おっかち おどろ り駭いたが、それにもまして駭いたのは幸助だ。夫婦が表やん」 の音に気をとられている間に、亀太郎に未練綿々の眼をむ と亀太郎が、ご用騒ぎを不審がる。それに夫婦は答える むせ けこま、又叩く戸の音に、思いきって台所の外へ姿を消し言葉がなく、音涙に咽んだ。 外では今の声のぬしの女が悲鳴をあげた。そればかりで 外の声は女だった。 なく、男ふたりの叱る声が聞えた。 「もしすみませんがちょいとお開けなすってくださいま霰が又音高く聞えた。 せ、すみませんがどうぞ」 「ど、どなたです」 夜明けの炭屋の裏では、地の上に媚かしい女の持物が くるわ 嘉吉は要慎深く起ちあがった。 二、三落ちていて、廓を抜けてきた錦山が、追っ人の熊〕 「後生でございます、早くお開けくださいませ」 蔵、鷹吉に追廻され取押えられかけていた。 「お作。女の人だ」 それを裏の家の亭主と、その前の家の八さんとが、表の 「何なのでしようかしら」 戸と窓とから、顔を出して見ているうしろに、ふたりのか おずおずのぞ お作は台所を怖々と覘いた。すでに幸助の姿がないのみさんも顔を突き出していた。 で、はツとしたが、表の人に危惧を持って、亀太郎から手熊蔵は錦山の白い腕をねじあげている、鷹吉は落ちてい を放さなかった。 る物を拾いあつめていた。 おいらん 「おっかちゃん、今の借金とりの小父さん、いけない奴だ「花魁。これさ花魁、そうジタ・ハタしてはいけませんぜ、 ったねえ」 おとなしくするものだ」 あざわら 「あ、ああ、そうだよ」 痛み苦しむ錦を嘲笑って熊蔵は、底意地の悪い口のき 外では女の焦慮った声が又した。嘉吉は土間へ、屹となき方だ。 っておりて行った。 「あッあツ、痛、腕が折れる、痛いツ」 こ 0 きっ なまめ きんざん