吉三郎 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第14巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第14巻〉

山田卯兵衛は単なる豪商でなく、剛胆で果断に富み、一 この金次郎の母が五月十六日の朝、道之助をいろいろ世話 而に慈悲の強い精神家だった。 してくれた下駄屋の老婆である。そうかと思うと、谷中屋 しも 1 一えと ところが、その夜中に北隣りの家から火を失した。道之敷出入りの下肥取りの農人が、落人となって来られるであ 助はそれと知り、かたわらの吉三郎を揺起したが、 疲労のろうと、隠匿う準備をして待っていたのに、そこへはつい 果ての眠りとてなかなか起きない。ええ面倒と肩に引ツか に行かずに終った。蜘蛛の巣の糸のごとく、どこかで繋が け、隠れ座敷の二階から降りようとすると、やッと眼をさ っているかと思えば切れ放れたところもある。 山田屋は類焼したが、それぐらいは何でもない、商売は 「おうツ、火事じゃないか」 いよいよ繁昌した。 「火事なんだが、奉公人の眼についてはならない我々だか或る日、山田屋の内儀お照が下総成田の不動詣でに、道 ら、働くに働けない、残念だ」 之助は信州からきている親戚の者に扮し、吉三郎は山田屋 しるしばんてん 山田屋はついに類焼した。 の印絆纒を着け、他に山田屋の老僕由兵衛と四人で、参詣 しゆく 二人は山田屋の隠居や子供達と八幡の別荘に避難し、やをすましての帰り、船橋の宿を出た一行が、行徳から船で がて大和町の山田屋の分家に隠匿われたが、探索が厳しい 帰ろうと船夫に値を聞くと、無法に高いことを云った。そ ので葛飾郡中島の別荘に道之助のみ隠れ、吉三郎は山田屋れではやめにするというと、船夫がおおいに怒り、悪口雑 - 一ら の雇人を扮った。そのうちに、吉三郎が市中潜伏の同志と言を吐いたので、吉三郎が怺えかね、ただ一言叱りつけ たの 連絡をとり、榎本釜次郎等が旧幕府の軍艦で北海に渡り、 た。船夫は衆を恃んで、 「この生れ損いめ」 再挙をはかると聞き、同志数名とともに品日沖にいたった と、打ってかかった。吉三郎は腹をたて、忽ち大男の船 軍艦はすでに出発した後であった。道之助もその同志 であった。 夫を投げ飛ばし、打ってかかってきた三、四人を手玉にと 年山田屋卯兵衛はこのことを知って、道之助、吉三郎を叱った。船夫は引退いて悪態を盛んにあびせた。 知り、時代の変化を説き、王政復古の正しきを論じ、大いに これを観ていた人々のなかで、 さむらい 幕諫めた。 「あんな姿をしているがあの人は武士だぜ」 と、いう声をちらと聞いてお照が目交ぜしたので、道 人生は蜘蛛の巣の糸という。五月十八日、谷中屋敷へお 照がつれて行った若い者の一人は、名を金次郎といった。 之助が船夫の頭をお照の前につれて行った。お照は、 よそお

2. 長谷川伸全集〈第14巻〉

大仰なくらい腮を引いてみせた。 老僧と遠くはなれず、後になり先になり、越後高田でその 新庄から富山へは一里オ ど、八ッ ( 午後二時 ) 過ぎには、女老僧に教えられて、今町へ出て船へ乗ったのは前いったと の足でも、惣門をくぐって城下へはいれるはず。 おり。富山で伝三郎を尋ね、会ったのがあの日の七ッ ( 午 お蝶はさっき見た番付で、伝三郎の役が「鬼一法眼三略後四時 ) すこし前だった。それからのお蝶は伝三郎の女房、 巻』で牛若丸、「湯上りのお俊』で伝兵衛、『関の扉』で小 この女房が伝三郎に意気を入れたのか、牛若がよく、小町 町と知って、小褄からげた結いつけ草履の足許が軽かつは楽屋内まで感心をさせた。二の替りの濡衣がよく、小梅 と長吉のしわけが人の噂に立ち、三の替りには演し物をさ せるとなって、楽屋にいざこざをいう者はあっても世間の 富山の芝居は十五日の間大入っづき、三日休んで二の替評判がそうさせず、とうとう出した実盛が、ウケさせるだ りが出た、これも大入っづき、嵐伝三郎の役は「本朝二十けでなくまともでもあり肚もありで、これが大々の好評だ 四孝』で慈悲蔵に濡衣、『梅の由兵衛』で小梅に長吉、 ったので、「あいつは女が追ツかけて来たので、御開運と こんにやく 「阿古屋の琴責』で榛沢六郎だった。 来やがった、今度は女の旦那か何かが現れて、酢だ蒟蒻だ 月が変って三の替り、これも十五日立で、伝三郎の役はとごてついた時が、あいつの御閉運さ」と、伝三郎への風 『八大伝』で犬塚信乃、『汕屋』でお紺、『布引滝』で実当りは強かったが、お蝶の如才なさが、そういった者をも きりきようげん 盛。この興行で伝三郎に切狂言で演し物をさせたのは、座その時だけにしろ、毒舌をゆるめさせ、舞台でしくじらせ 頭の阪東扇舎も、書出しの山村伊左衛門も、中軸の岡島屋る悪辣をやらせない効能があった。 徳十郎も、立女形の尾沢千鳥も、だれも彼も、伝三郎の伎狂言替りの相談が纒まり、伝三郎の役は「鏡山』でお 初、「十段目』で初菊、『千本桜』川連館が演し物で忠信と 倆と人気の二ツで、出させないではいられなくなったた きまった。 め、ことに興行主の銅又が大の肩入れだった。 ごんどう かね というのが長野の権堂から、娘分とはいえ、金しばりの お蝶はその頃のならい、眉毛を落し、鉄漿をつけた。色 結び目がまだ解けていないお蝶が、佐久の豪農に背負い投は白し、剃った痕の眉は青し、歯は染めて黒し、船で見た したた げをくれ、たツた 一人、身一ツで、長沼まで来てから使いお蝶とは又一段と違い、美しさ水も滴るばかりと、だれよ に、恋路を辿って生きますと書き残しの一通を届けさせ、 りも喜んだのは嵐伝助という、二の替りから番付に名がの 二梃合せた剃刀を身を護る名剣の気で、出雲崎の寺へゆくって、小器用に舞台を勤めている伝三郎の新弟子と、その こ 0

3. 長谷川伸全集〈第14巻〉

「久方振りだったのう」 と、落着きをつくり、座についた。すわといえば、すぐ 妹追善 手の届くように、用心して撰んだ坐り場所である。 平三郎は美男だが、今夜は陰気で、声までがじめじめし 高輪に智勝院という寺がある。そこは近くに幾つもの谷ている。 「真野氏。お恨みに存じます」 がその頃あった。木立の茂みが諸所にあり、草地もあれば 「何が」 小池もあった。 「わたくし妹の縁談、何で破却となったか、お覚え、ござ そこに幕府の鷹師で真野庄九郎 ( 正勝とも重綱ともいう ) の 屋敷があった。 幕府の放鷹は家康によって模範が示され、二代秀忠、三「何ーー思いもよらぬことをいう男だのう。わしは鷹のこ 代家光みな好んだので、尾張、紀伊、水戸の三家、ともとなら知らぬということはないが、他人の妹の縁談など、 、放鷹が盛んで、そのために、名人上手の鷹師が、それ一向、知らんな」 「そうは申させぬ」 ぞれに随身している。 しもど 承応元年十月二十六日の夕方、霜解けのある黒い土を踏「平三平三、ちと言葉を慎しまぬか。その方、そのロのき みつつ、真野庄九郎方を訪れてきたものがある。水戸家のき方はたれにだ。わしは天下のお抱えの鷹師だぞよ」 「鷹のお話ではござりません、妹の」 吉田平三郎という若手の鷹師である。 「だから知らぬと、今もいったとおりだ」 庄九郎は平三郎が来たと聞いて、不快と不安と怒りと を、一時に顔に出したが、その頃の、刀を帯するものの意「わたくし妹は、先年名古屋より江戸へまいり、わたくし 郎気として、居留守はつかいかねるので、厭々ながら一間に方におりました」 「そうだそうな」 平通させた。 「名はさき、よくご存じの者です」 吉庄九郎は刀をそッと手にして、平三郎が待っている次の 「顔も知っている、よい娘だということも存じている」 鷹間に音せぬように置いた。 座敷へはいってみると、平三郎の血色がひどく悪い。ど「よい娘 ? どのロでそういうのだ」 「怒るな、褒めたのだぞ」 きンと庄九郎はしたが、

4. 長谷川伸全集〈第14巻〉

暫く経っと、一人の老人が介錯の仕度にかかり、平三郎 これも又伊豆守の勝目だった。伊豆守が又々いった。 「当分、ご出仕これなきが、よろしくござりましようかとは切腹の仕度にかかり、もう一人の老人がそれを手伝っ 存じます。そのゆえは、伊豆ごときがお使いにまいり、そた。 れにて先ごろよりの一条、埒明きたりとあっては恐れ多介錯の老人は平三郎の叔父で、幕府の鷹師で、当代の吉 し。このまま、ご出仕これなく、吉田の身の上、何分、定田流宗家吉田多左衛門だった。切腹の仕事を手伝っている まり、真野の除籍仕り、その上にてご出仕これありますれのは、名古屋から出てきていた尾張家の鷹師で、宗家多左 いったろう 衛門弟の吉田五太郎といって、平三郎の父である。 ば、水一尸様のご威光、損わざるかと存じまする」 またしても頼房は″敗けた〃と思うとともに、幕府の重吉田平三郎の切腹は見事だった。父も叔父も、平三郎の 生前には微笑していたが、自殺が終了となったとき、とも 職が、事を処置して行く手腕に、安心が持てて来た。 に一雫ずつの涙を老いた頬に、矢のごとく走らせた。 中納言は肚のなかで、微笑の感じをしきりに持った。 真野の家の断絶は、翌二十一日、行われた。 世上の噂は、引きつづいて、水戸中納言が、極力、家来「これによって、天下無事になりぬ。天晴れ健気なる吉田 かな」と文献には書いてある。 を庇っているので、無事な解決は付かぬかも知れない、 と、臆説が好きなものだけが、見てきたような話を振り撒 昭和十四年九月一日『週刊朝日』新秋特別号 いているうちに、その年の師走がきた。 本郷湯島切通坂の上に、天沢寺というのがある。その門 前の街を天沢寺門前町といった。春日の局の本願で、開基 になってから二十年目がその年でーー承応元年十一一月二十 郎日である。 平去る十月二十六日以来、姿を晦していた吉田平三郎が、 吉小雨がやんだ午過ぎに、二人の老人とともに、境内へはい 鷹り、本堂の前で暫く拝んでいたが、墓地へ行き、吉田多左 衛門家元という鷹師で、古今稀な名人の墓の前で、三人と も手向けをした。 そこな

5. 長谷川伸全集〈第14巻〉

悔していますの」と聞いた。金三郎は飯を食べたあとの汗金三郎は「水橋なんて存じませんが、どうせ旅していれ を掌で拭いて、「銭がなくって悲しいと、稀にや思いますば、知らない土地が稼ぎ場所ですから水橋でも火箸でも結 ね、でも、後悔なんてしません」といえば、お為も侘しげ構です、あたしや考えました、三味線がありませんから、 ながら笑顔になり、「辛い悲しいで涙こそこばしますけれ女房を後見にするか、さくらになって貰うかして、あたし ど、あたし達は浄瑠璃こそはいらないけれど、手に手をとの芸当は、独り芝居か独り角カか、独り喧嘩か、それにヨ イヨイの花見、と、それまでは考えてみました、まだ何か って道行をしているんだ、二人はこうしても添い遂げてい 思いっきがありそうです」と、ひどく元気が出た。お為が るんだ、江戸の世間雀め、ザマをみろという気ですもの、 「だけどそれは、姐さんを富山へお送りしてからだよ」と 一トかたきおまんま抜いた時でも、旅路の月も見ますし、 いった。「違いねえ、すると、店開きは越中富山だ」と陽 花だって見物します」と、瞳を輝かせていった。 二重が浅い白い腮をひきつけてお蝶は、「身につまされ気に笑った。お為は亭主よりお蝶に、心配そうな顔をそッ と向けた。 て聞きました、有難う、教えていただいたお二人さんに」 水橋の浜の漁師の家で、朝飯を食べて出立し、汗みずく と、指でまっ毛の涙を払った。 になって新庄へ着いたのが昼ごろ。「あら、辻番付が貼っ この船が糸魚川を出帆すると、金三郎夫婦がお蝶を、 「姐さん姐さん」とかしずくので、彼の三人別々の下心のあてある」とお蝶が飛び立つばかり、松の下陰へはいり、幹 たくら る男客が、小当りにも中当りにも、お蝶に何かしらで企みへ引っかけた板に貼った芝居興行の辻番付に、白い指で嵐 のテを出しかけると、世間に揉まれ抜いて来た上に、十人伝三郎とあるのを示して夫婦の顔をみて、ほッほッと嬉し 並より調子の違った金三郎が、やンわり遮ったりびしやりげに笑った。 とキメ付けたり、それに又お為が、日向臭い女好きなどが嵐伝三郎は座頭でも書出しでも中軸でもないが、花形と 何をいっても先が読めるので茶化してみたり、やり込めてみえて、書出しの次に名があった。「ちょいと」とお為が 月みたりで、三ツの小さな色悪どもは手も足も出なかった。 横眼でお蝶をみて、思う男の役割りを丹念にみているのを 越後と越中と二晩、沖がかりしてその次の朝、幸いに晴確かめ、「大丈夫かねえ、あんなに思いこんでいらッしゃ ーカるけれど、よくあるヤツで、女蕩しではないのかねえ」 満れた霧のあとで、水橋沖で船のものがカケ合い、はしナ、、、 わりに漁船を雇ってくれた、その船で涼しい海をお蝶と金と、眉をくもらせ囁いた。金三郎は事ともせず、「なあに めんび 三郎夫婦とは陸へ向った。 色悪だったら面皮を剥いで正体をあらわさせてやる」と、 たま

6. 長谷川伸全集〈第14巻〉

ぶるぶると顫えて甚四郎は逃げて行った。はじめてこれて虎の間詰をしている筈の若殿が、上下もなく無刀で、胸 ちんじ で階上の椿事を知った井上政之助は、肩衣袴から脇差までもはだけ裾も踏みしだいて、気絶しているので、忽ち上を 持って行かれたのに心づいて、きりきりと一つ処を舞いな下への大騒ぎとなった。 がら、 政之助の父は御勘定奉行の井上備前守だ。息子のこのだ らしのない臆病に憤激して、鞭を執って殴りつけ、早々元 「池田殿、池田殿」 とあたりを見廻した。池田吉十郎はその時もう組頭大久の番所へ追い返した。しかし、井上備前守は涙を流して 保六郎右衛門の詰所へ駈け込んでいたのだから、その辺に ( 当家も末だ ) と唇を咬んだ。当家も末だが、武士も末世 よ、よ、つこ 0 で、腐り果てているのが悲しかったのだ。 ーを ( し十 / 、カ十 / 「池田殿、肩衣を、袴を、脇差を」 たた 四 ばたばたと自分の腰を平手で敲きながら途方にくれてい る井上政之助の背後へ、階上から降ってきたのは、臀を斬息所で外記が刃傷したと知れると、虎の間の番士たち られた神尾五郎三郎であった。五郎三郎は血の噴いているは縮みあがった。右往左往と立騒ぐうちに、逃げて出る者 ばんつづら 臀も臍も丸出しにして、投げられた蜘蛛のように一時平太もあれば、夜具などを入れてある番葛籠を積み重ね、その 弓った。が、忽ち飛び起きた時、遅れて逃げてきた同僚の後にもぐり込んで神仏を祈っている者もあった。藪庄七郎・ は雪隠に潜伏したら、さすがの外記も心づかず見逃がすだ 足に踏み倒された。 井上政之助は、こういう光景を見ると、前にいる人の腰ろうと、雪隠へ駈けつけてみると既に先手を打って、中か へ、手をかけて引き戻し、その機みで自分が前に出て、一ら戸を押えている者があった。 「武士は相見互いだ、開けてくれ開けてくれ」 目散に逃げだした。 泣き声になって頼み入り、先客と二人狭い処に押し合っ 帯が解けて、尻尾のように地に垂れているのも心づか ず、出来る限りの速さで逃げ出した。逃げるより外に何のた。 念慮もない政之助は、御門御門を突破して自分の屋敷ま堀長右衛門は縁の下へもぐり込み、生温いものを掴んで 仰天し、外記がここにきているかと肝を冷し、逃げて出よ で、根限りになって逃げ帰った。 うとしたが、漸くそれは同僚の荒川三郎兵衛と知れて、二 屋敷の門内へはいると、安心が出て政之助は玄関で打っ 倒れた。この物音に用人以下が飛んで出ると、御番に当っ人っれ立って、、行けるだけ深く、奥へ奥へと、蜘蛛の巣を はず

7. 長谷川伸全集〈第14巻〉

「吟味は他場所でする。拙者は取締隊々長の命令できたんではないか、ここで格闘をやると迷惑するものは、捕方の うち だ。神妙にしねえと手取りにするそ」 連中ではなくて、ここの楼だからねえ」 「隊長というと安藤殿ですね」 吉三郎は頗る不平だったが、 「そうだ、薩州の安藤太郎殿だ」 「では、そうするか」 ああ、いナよ、、 と、道之助は一瞬のうちに覚悟した。 二人は駕籠に乗せられ、前後を捕手に包囲され、大門を かむろ ばんばり 時をこれと同じくして、吉三郎の座敷でも、同じことが出た。平泉楼の泉山は洞灯をもった禿を左右につれ、仲の 起っている。吉三郎も安藤隊長の命令と聞いて、万事休町を、多くの女とともども、微笑を絶えず浮べて二人を見 す、薩摩人のペテンに引ツかかったと痛憤し、 送った。 「何くそツ」 鍛冶橋内の仮収監所に投ぜられた道之助は、翌日、白洲 と、岡ッ引三人を廊下に叩きつけた。道之助はその物音に曳き出され、調べをうけて初めて心付いたのは、脱走の に廊下に立出で、 件ではなく、盗賊の嫌疑だったということだった。 「村雨君、こちらへ来給え」 そこで、道之助は山田屋卯兵衛のことはいわず、脱走の たむろ 「いや、来るに及ばねえ、外に屯している者を呼び入れ、頑末、安藤太郎と面談のこと、金品は知人の富豪の与えた カずくで引ッ括ってくる。手前達にナメられて耐るか」 るものなることを述べ、 とりてがしら と、腹をたてる捕手頭に道之助が、泉山をうしろに庇い 「いやしくも志士にして盗賊の嫌疑をかけらるること心外 ながら、 千万なり、何ぞ、探索の粗漏なる」 「今、聞いたところでは安藤隊長の命令だとあったがそれ と、手強く攻撃した。係役人は吉田某、黙って聴いてい 子 / ー刀 に違いないか、確と答えて貰いたし」 「安藤隊長さんの命令とはいわねえ」 「よろしい、取調べは後刻又する」 「二枚舌をつかってはいけない。それではだれの命令でき その日の午後、吉田某から取調べ中止、放免を申し渡さ れ、その後で、吉田が、 「大隊長の深尾吉真殿の命令だ」 「私は八丁堀に住んでいます、一度遊びにきてください」 「そうか。それでは深尾さんとやらに云ってくれ、後に田 5 と、慇懃な態度をとった。 いあたることがあるだろうと。村雨君、おとなしく行こう新吉原では平泉楼が彰義隊の人を、むざむざ、捉まえさ

8. 長谷川伸全集〈第14巻〉

物 の役者とは別にくれたせんべつで賄うことにした。その翌 って立去った。 このために出立を早めあすの朝七ッ ( 午前四時 ) 、城下を日の朝まだき、伝三郎夫婦と伝助夫婦、男衆の半造と五人 が、銅又から届けてくれた折詰の弁当二食ずつを持ち、残 日の出ないうちに出るとなった。その日、中軸の岡島屋徳 たておやま んの月をよすがに、飛騨街道へ向った。扇舎や伊左衛門達 十郎が立女形の尾沢千鳥と他に四、五人の役者を語らい、 どこかに稼ぎ場のアテでもあるのか、挨拶なしで立去っは、水橋へ行って、船の都合を問いあわせ、越後路へ渡っ た、となると、他人の物を手当り次第、持って逃げる渡りてみると、芝居小屋の前で、月の光をたよりに名残りを惜 いおだに しんで別れてしまった。笹津で昼飯となり、その晩は庵谷 者の役者が二、三人あった、そのなかで後に泥棒役者とい 村の農家へ泊めてもらい、翌日は蟹寺のふご ( 畚 ) 渡しにか われ、獄門にかかった、芸はまずいし面つきもよくない、 ひなはち 荻野一七八が伝三郎の小出しの財布を盗んだのを、伝助夫かった。 婦がおりよく見付け、それは取返したが泥棒は逃げた、そ越中と飛騨の境を流れる激流を二丈余り下にみて、ふご のあとで、伝三郎の胴巻もお蝶の胴巻も二ツながら、泥棒に乗って藤綱三本を命に、十四間を宙吊りになって渡ると き、一番青くなったのは気は利くがおッちょこちょいの男 役者に盗まれていたのに気がついた。 伝三郎は口惜しがったが、お蝶の落胆がひどかったせい衆の半造、眼をつぶって渡ったのは伝助とお為、伝三郎は か、一向に気にかけないふりをして、「なあお蝶、おれもお蝶があんまり平気なのでふいと気がついて、ふご渡しの 江戸を飛び出して三年になるので考えたよ、いつまで旅で仕掛から、ふごの揺れ方、渓川の流れなど、いっか芝居の くらすのだ、江戸大坂京の三ツのうちどこかで、一ッ廉のタネにと眼を配った。 ものにならねえでは、役者になった甲斐がねえ、ひとまず船津に泊った次の晩は高山泊り、お蝶の顔の色がよくな かったが、何ともないというので高山を発って、山口峠を 皆さんとお別れして、江一尸へ出て一ッ苦労してえ気だが」 と相談をかけると、お蝶の顔が生き生きとして来た。「一越えて下り、だいぶ行って日影村で、その先一里ぐらいは ト苦労といわず二ッ苦労でも三ッ苦労でも」と、涙ぐんだ行けそうだったがお蝶が苦しいらしいので、農家に頼んで 顔に嬉しそうな笑みをみせた。と聞いて伝助が、「お為、泊めて貰った。その晩、お蝶の容態が悪くなった。 おれもおついでに江戸役者の端くれになれるぜ」と手をば見る眼も哀れなはど、伝三郎は必死に介抱したが、夜に むれ ンと打った。 なると野猿が五十疋も百疋も群をなして裏山から現れ、啼 で、この師弟二タ夫婦の肚がきまった。路用は銅又が他きっ叫びつ木から木と渡ってゆく山の村だけに、あるのは

9. 長谷川伸全集〈第14巻〉

かぶと 富山の薬だけ、医者は何里か先の甲というところに七十幾むよ」と、繰返し繰返しいって、伝三郎が半造をつれて発 つかだが 一人いる、その医者を伝助が夜明けを待ちかね頼ったのが六日目の朝だった。 みに行き、馬に乗せて連れてきたが、「疲れじやろうな」 野麦峠を越えてきようは藪原泊りか、あすは諏訪という と手軽い見立てだった。薬は伝助が送って行って貰って帰ところでお泊りだろうねえとお蝶は、宿ぬしの夫婦が教え ったが、二日三日では効き目がみえなかった。 てくれるのをタネに、伝助夫婦を相手に、あと五日で江戸 だねえ、もう四日で着くねえと、道中の伝三郎の噂ばかり わずかのうちに面やつれしたお蝶が、伝三郎にたびた び、「あたしをここへ預けておいて、江戸へ発って」と頼を楽しみにした。 んだが、「おれはそんな不人情な男にや生れてこねえ、江病気は悪くはならないが良くはならなかった。伝三郎が 戸へはお前と一緒にゆく」と肯かなかった。お蝶は伝助夫発って七日目、お蝶は江戸の方角を宿ぬしに教わり、あれ ほど白かった手の指が青ざめて、円みがすこしあったのが 婦を呼び、「ねえ、みんなでここにいたのでは、富山の銅又 さんがせつかくくだすった路費を食べてしまうもの、あたちッと骨立ってきたのを胸先で組んで、寝床の上に起き直 し . し、刀、ら、 しはここで野猿の啼く声を聞きながら死んでも、 って拝んだ。「江戸の神さま仏さま、うちの人をお願い申 します」とい、つ心。 うちの親方を江戸へ発たせて、ねえ、頼むから」と、眼に 涙を溜めた。「お為、ご恩返しをやろう。おかみさん、伝伝助はお為と二人で、この頃は寝たり起きたりのお蝶の 助夫婦は親方に殴られても江戸へ必ず発っていただきま眼の届かぬところと、裏山の老樹の陰で、「なあお為、親 す、ご安心なさいまし」と引受けた。 方が置いて行った金は三分とすこしだ、それだけでは、、 伝助夫婦がお蝶の看病に残るから、半造を供に不自由をつまでとも日限りのないここの滞留に不足するのは知れた 辛抱して、江一尸へ発っていただきますと、顔の色を変えてことだ」と、覚悟を定めた眼つきで相談をかけた。お為は の諫めを伝三郎は、「おれに薄情者になれというのか」ぞッとした顔をして、「お前さんまさかここを逃げるので 月と、ただ一言に刎付けたが、お蝶に手を合わされて「どう はあるまいねえ」と、亭主の瞳をぐッと見た。伝助は泣き そ江戸へ出て、一ッ廉の役者になって」と、泣かれると渋笑いみたいな顔をして、「馬鹿いやがれ、ここが逃げられ 満りながらも合点し、それから二日、看病して、「じきに迎るか。おれは稼ごうと思うんだ、百姓仕事は素人で役に立 えにくるからね」と、草鞋を穿いてからも枕許に坐り、発たず、おまけにこれから先は冬だからすることがねえそう ちともない様子だったが、「伝助もお為もあれのことを頼 だ、だから高山へ出稼ぎするのはどうだろう。おれのこと

10. 長谷川伸全集〈第14巻〉

せたのは、吉原の意地を台なしにしたと、尾彦、金瓶、稲安藤さんは馬で駈付けてね、吉田、いかんよ、あの二人は 本、角海老の遊女が、攻撃のロをきわめ、泉山さんはさす放免しろと叱られましたよ。あッしは叱られても、たいし たことはねえが、深尾さんはひどく怒鳴られたそうでさ」 力に見上げたもの、あれでこそ吉原の花だと、評判になっ 道之助、吉三郎が雪寃の祝いをしたとき、平泉楼はもと 道之助は吉三郎とつれ立ち、安藤太郎を訪ねて謝意を表より、名ある楼から夥しい祝い物が届き、金瓶の今紫、尾 しの 彦の誰袖からも祝い物が届いた、それらを凌いで豪華な祝 した。安藤は豪快に笑って、 い物が泉山から届いた 「遠慮が過ぎた、はじめから安藤の名を出せばよいのに、 その他にもう一ツ、奇抜な祝い物がその日、安藤太郎か あツはツは。二人とも若いから吉原ではモテるじやろう ら届いた。それは道之助、吉三郎を盗賊と間違えた岡ッ引 ね、あツはツよ 二人ともその後間もなく、八丁堀に吉田某を訪ねた、豊三人が、手土産を持ってやってきて、 めんにく 「どうも、面目しだいもねえことで」 かなくらしらしく、屋敷も立派だった。吉田はおおいに喜 ペコペコと頭を下げたことである。 んで酒肴を出し、 「さて、ご両人、打明けていいますが、あの一件のそもそ もは、村雨さん、お前さん、吉原の妓に女物の着物をやン春田道之助の後身は春田直哉といって、明治大正の実業 なすったろう、あれがいけなかったんですぜ。へええ、兄家で、八十余歳で物故した。なお、三州吉田松平家の士が さんの奥さんの着物だったンですかあれは。それをお前さ彰義隊参加の事実を明らかにしたるは、おそらく、これが ん、自分じゃ媚けていて着られねえてンで、くれちゃった最初であろう。 ンでしよう。岡ッ引がそれを聞きこんで、こいつは、今、 昭和十七年五月司浜田弥兵衛』 ( 天佑書房刊 ) 所収 さむらい 市中を荒し廻っている、武士強盗に違えねえと思って、深 年尾大隊長に上申すると、深尾さんはこんなことは不慣れの ししようにしろと仰有ったから、ああいうこと 方だから、、、 幕になったンですよ。あッしゃね白洲で春田さんの顔をひと 目見ていけねえ、これは違ったと思った。すると、安藤さ んのことをいい出したので、早速、伺いの使いを出すと、 にや