あとずさ お作の手から嘉吉の手に移った赤子は、啼きもせす、眼嘉吉は後退りしてお作の前にきた、そのうしろでお作 が、拾い児を抱いて怯えて小さくなった。 をばちばちゃっている。 「お、つ、いい「卞たいい「すた」 幸助は台所の外を覘き、前後を見廻し、そッと、うしろ 抱いて歩く嘉吉にお作はついて歩いてあやした。 手に雨戸を閉めた。 「静かにしろ」 「どうだろうお作、朝になったらお届け申さなくちゃなら っそ , っ ないが、縁あって家の外へ棄てられたのだから、 嘉吉はお作の前に坐った、庇うつもりだ。 のこと家の子にしようか」 「ここの家は新店だな」 「そうして下さると有難いんですよ」 と幸助は、心張棒を雨戸にあて、家の中を見廻した。 「子守っ子をひとり置かないといけないかしら」 「あしたっから小僧がひとり来るんでしよう、そうした 「俺は、いわずと知れた、盗つ人だ」 ら、子守ッ子を置かないでも、きっとあたし、やって行き と店の間へ幸助は入った。 ます」 「そうできれば一番いいんだけれど」 「手荒えことは決してしねえ、声を立てるな、いしな決 どしンと家の中のどこかで物音がした。 のぞ して声をたてるな又、俺の面を覩くな」 「あれ」 お作が驚くのを嘉吉は、ぎよッとしながらも制して、赤「は、 子をお作の手に移させ、今、音のしたのは台所と見つめ「俺はお前のところへ盗みにへえったんじゃねえんだ」 「えツ」 赤子はお作の手のうちで、乳房をくわえてすやすや睡り「驚くな、こんな新店の炭屋、しかも、夫婦かけ向いで、 これから仕出そうという家へ眼なんそっけるもんか。しつ の 外は、この先でひと仕事したんだが、逃げこんできたんだ、 台所を嘉吉があけて見た、雨戸は閉っていた、が 根 いや驚くなよ。もしも捉まったところで、ここで隠匿っ 屋から開けられて、霰たばしる中から手拭で覆面した稲葉小 僧幸助が、ぬっとはいってきて赤子に眼をつけた。腰に脇て貰いましたなんていうもんか、脅かしつけて無理やりに 隠れていたというから心配するねえ」 差をさしている。 めす かば
122 ひし は睨んで、すっと夫婦に近寄った。 まいと、子供に犇と寄り添った。 「又、おいでなすったか」 幸助は逐われるように外へ出て、忙しく戸を閉めたが、 むせ 嘉吉は勇気を出してやっと云った。 そのまま、外にまだ居るらしく、咽び泣く声ではないかと 「、つむ」 思えるのが聞えた。 と幸助はかすかに云って、お作が自分の床に寝かせた子霰が雨戸へ当る音が強くなった。 供に近づこうとした。 夢でも見たのか子供が泣き出したので、お作は子守唄を うたってあやした。しかし、その唄声は細々としていた。 「もし、何をなさるんです」 さえぎ と嘉吉もお作も、怖さを忘れて前後から遮った。 四年の後 店の間へあがった幸助は、遮る夫婦を腕すくで掻きのけ かけたが、すぐやめて、お作のうしろの床の上の、子供の それから四年経って文化八年の秋、霰たばしる夜ーー夢 寝姿を覘こうとした。 「お前さんが、もしやこの子を棄てたんでは、ございませに怯えてか亀太郎が泣き出したのを、お作が寄添って宥め ていた。 んか」 幾たびかいおうとして、云えなかったことを嘉吉が、や「どうしたの亀坊、おっかさんもおとっさんも、起きてこ っと云った。 こにいるんだよ」 「叱ツ」 幸助の体がみるみる顫え出した。 「違わあな、違う、俺がそんなことを知るもんか、俺は子 と嘉吉がお作を制した。お作は黙って振向いた、亀太郎 なんかねえ、あってたまるもんか」 も、子供、いにはツとして泣きゃんだ。 さっき朝松が心張棒を外した、台所の戸が軋みながら開 しどろもどろに云って、尻込んで、土間へ消えるように いて閉められた。 おりた幸助は、そこで自失したように突っ起った。 「お前さんがもし棄てた子なら、どうしようと云うんで やがて、驚き怖れている嘉吉お作の前へ、台所から髪を す。もしお前さん、お前さん」 乱した四年前の幸助が、面を隠さす、綻びだらけの着物 捕物のあとをまざまざ見せてはいってきた。 嘉吉は土間へ追いかけるように云ったが、お作は手放すに、 せわ なだ
「怒ったんじゃねえから怖がるなよ。おう、まだ外は暗え 足した。 「乳がありや大丈夫、心配することなんかちっともねえんようだが、一番雀がどっかで囀ってやがる、どれ行こう 力」 と幸助は入ってきたときと逆に土間へおりた、穿物をも 「そうでございますとも、赤ン坊にお乳がないのはみじめ っていたと見え、どこからか出して穿いたのに、なぜか、 でございますから」 土間に起って暫く、妙にじっとしていた。 怖る怖る嘉吉が、要慎しながらいった。 ふびん 「そうだよ、乳のねえこどもぐれえ、不便なものはありや嘉吉夫婦は曲者の様子の怪しさに、ひそひそと囁きあ 、息を殺して見つめた。 しねえ。うぬが腹のへったのはどうにでも我慢もすれば諦 はらわた ぶいと幸助は表の戸へ手をかけ、外の様子をうかがい定 めもつけられるが、赤ン坊に泣きたてられちゃあ、腸を つれ わじ め、そっと開けて一歩敷居を跨いだが、心残りある眼で、 撚られるようで、辛えもんだ」 嘉吉夫婦の方をじっと見ていたが、外へ出て、戸を引きっ 「んツ」 「炭屋さん、俺みてえな悪い奴でも、今いったようなこと 「お前さん、やっと行ってくれましたよ」 は知ってやあがる、フフフ」 くせもの 前の言葉も今の言葉も、曲者の口から聞くのでなく、世「ああこれで安心だ。おう、よく睡ているなあ」 「ねえ、今の人、どうも様子が変じゃありませんかしら」 間話のうち解けた感じに、嘉吉は誘われた。 おっしゃ 「そんなことを仰有るようでは、まんざらの悪い人とも思「変だったとも」 「もしやこの子の」 えませんが、どうしてまともな途が歩けないのでございま 「そうなんだ、きっとあの人は。叱つ」 と嘉吉が表を向いて制した、雨戸の外に人の気配を感じ 「よさねえか。いまさら、意見が役に立つもんか」 声「でも、今のように優しいことをいうお方が、悪いことをたのだ。 どき の はたして戸が外から開いて、幸助が引きあけ刻の色の するなぞとは」 根 中から、手拭の覆面を仕直し、土間へはいって戸を閉め 屋「黙ってくれ」 と幸助は突っ放すように云った。 嘉吉夫婦は、新たな驚きで見つめているその眼を、幸助 こ 0
116 入ってきた捕手は三人、手に手に提灯をもっていた。円「おっかちゃん」 とりただ 眼をさました亀太郎が、怯えてお作に抱きついた。 蔵というのが嘉吉取糺しにあたり、朝松、源兵衛は、土間 「いいんだよ良いんだよ、何でもないよ、他家の小父さん をまず検めた。 がご用があって来たんだよ」 「岩代屋嘉吉、そうだったな」 「おっかちゃん。夜逃げするのかい」 「へえ」 と亀太郎が不意にいい出したので、お作ははツとして、 上り口にかしこまって嘉吉は、お得意先と応待するよう 捕手の心をはかりかねた。 かくま 「夜逃げだとーーーおう嘉吉、あんな子供が夜逃げだなんて 「隠匿ってやしねえか、だとすると不為だ、今のうちに、 あっさり云っちまえ」 云うところをみると、手前、確かに、隠匿ってるんだろ と円蔵の口調は荒かった。 土間にある穿物を、いちいち手にとり、「これはだれの 「へ ? 」 あらた だ」と検めていた円蔵が、眼に稜をたてて訊いた。 「だれか逃げ込んだろう今し方、どうだ」 「いえ、どう仕りまして、子供がああ申しましたのは、お 「いいえ、どなたもお見えになりません」 恥かしゅうございますが、手前どもの店は、腹の黒い人に 「本当か、おい」 だま 騙されたり、カケ倒れが夥しゅうございまして、どうに 提灯をむけて嘉吉の顔を見て、円蔵は急に乗出した。 もやって参れませんので夫婦でゆうべも愚痴をいっていた 「お前、汐していたらしいな」 のを聞き齧ったのでございまして」 「どうだかなあ。今ごろまでお前達は起きていたのが、怪 「朝、源、ここの亭主は泣きっ面してる、臭えぞ、家探し しいぜ」 をしてみろ」 「へえ、ご覧のとおり、帳合いをいたしておりまして」 「おい来た」 「ロがうめえぜお前は、動くなよ。かみさん。お前もそこ 朝松と源兵衛が、駭く嘉吉を掻き退けて上へあがり、も う一と間ある八畳と台所へもはいって行った。八畳の襖のから動いちゃいけねえ。おう朝、台所はどんな風だ」 朝松が台所から顔を出した。 あけたて、台所の揚げ板の音などが、手荒く聞えて夫婦を 脅かした。 「怪しいところはねえ。源の字、そっちはどうだ」 ふため おびただ おび かど
と、嘉吉は腕をこまぬいて歎息した。 「ゆうべも今時分、ここで、相談した時、もう駄目だから 「おや。情けないなんて、そりやこの子のことですか」 夜逃げしようと、お前さんがいったでしよう」 「うむ。血をわけない親子だから、そんな小さな子の心嶂 「まさか、それを聞いていたのではあるまい」 も、棄てて行かれりやしないかと邪推が出るんだ」 「寝ていて聞いていたんでしよう」 「そんなことをいってはこの子が可哀そうですよ、この子・ 「あんな小さな子がーーー夜逃げだなんて、ああーーー」 は、あたし達をこんなにして慕っているのじゃありません 涙が嘉吉の眼を曇らした。 「おっかさん、夜逃げするとき、あたいを忘れてっちゃ厭か」 「そうじや無いよ。本当の親子でないから、そんな邪推を だよというんですもの、あたしたまらなくなって」 「そんなことをいったのか。道理で、きよう一日中、お前するんだ」 「お前さん、そりや違います」 ゃあたしのそばをはなれないでいたつけ」 「違うものか、そうなんだ」 「気がっきましたか、あの子は、眼をきよろきよろして、 「いえ、それは」 置去りにされやしないかと心配しているんですよ」 「だれが、置去りにするものか、拾った子も実の子もおん炭俵が積んである暗い土間の雨戸一重先は外だった。そ の雨戸を叩く者がある。 なじじゃよ、 オしか、そんな心配をしなくたっていいのに」 、この子、これなんで「お尋ねだ開けろ」 「ねえ、ちょいと見てやって下さい よく聞きとれないが、雨戸の隙間に、提灯のあかりが明 すから」 るかった。 お作がそっと起ち寄って、蒲団の端を捲ったその下で、 亀太郎の小さな手が、お作が脱ぎすての絆纒の袂を握って嘉吉夫婦は顔を見合せた。 「起きろおい。お尋ねだ起きろ」 眠っていた。 。只今」 声「お前の着ていた絆纒の袂をつかまえているじゃないか」 の 「こうさせてやらないと、この子は、今夜、寝つかないん嘉吉は土間へおりて行った。お作は亀太郎が眼をさます 根 屋ですもの。さっきまで、時どき、びくりとして眼をさまし かと、傍へ行って、寝顔をのぞいた。 まっ 雨戸を嘉吉があけたので、ご用提灯のあかりが、 ていたんですよ」 と、手持ち品薄な土間を照らした。 「情けないなあ」
「こん畜生、こん畜生」 「何を、何をするんだ、この人は」 おもちゃの刀を棄てて小さな拳を打ちおろすその下で、・ たじろぐ嘉吉に、はらはらしながらお作は、眼をさまし かば ひれ伏しながら幸助は泣き入った。 ている亀太郎を庇う一方、身を揉んだ。 「亀太郎や」 「どうだ、往生してその金を受取るか」 「亀や」 「受取りませんとも、けっして受取るものですか」 夫婦の制しを亀太郎は肯かなかった。 「そんなことをいやあがりゃあ」 「まいんち来て、家のおとっちゃん苛めたじゃないか、家 名首を嘉吉の頬にあてて脅かした。 のおとっちゃん良いおとっちゃんなんだ。こん畜生、こん 「亠めツ」 二度三度と頬に七首をあてられるその都度、嘉吉は声を畜生」 かな 「ご免、ご免、坊やにや小父さん敵わねえ」 ロ走らせた。 「あれ。あーーー」 泣き声まじりにいって幸助が、起ちあがったその脚腰に まっか しが お作は見るに見かね、おろおろするその手から抜けた亀亀太郎は獅噛みつき、外へ押出す気で顔を真赤にした。 おもちやかご 太郎が、玩具籠からおもちゃの刀をとり、幸助に向って行「行っちまえ、行っちまえ、こん畜生」 「うむ、行くよ坊や、小父さん行くよ」 「小父ちゃん、おとっちゃん苛めると斬るよ」 「行っちまえ、行っちまえ」 「おう ! お前そんなにおとっちゃんが 素直に押出されていた幸助は、引返して亀太郎を両手で 抱きあげ頬摺りした。 見る見る幸助の体が顫えた。 「ああ、たまらねえ」 「行かないか。行かないか、斬るよう」 うちま 「わあツ」 おもちゃの刀で打ってかかる太郎に、われと打負かさ 亀太郎が泣き出したので、幸助は驚き手をはなし、ぐい 声れて幸助は、ほろりと泣いた。 の 「おとっちゃん、打っておやりよう、おいらいんだよ と涙に濡れた顔を夫婦にそむけた。 根 「もしお前さん。そこへお金を残して行き、難儀をかけて 屋、つ」 下さいますな」 5 「あいよ、あいよ」 と嘉吉の言葉が優しくなった。 嘉吉夫婦は顔見合せて涙ぐんだ。 つ ) 0 あしこし
「もしもし、一体、どうしようと思って、お前さんは、来「もしお前さん、何ということをするんです。ここへ今置 たのでございます」 いたこれは何です、大枚のお金じやございませんか、これ みくび 嘉吉は躍起となった。 をつかえと云うのですか、見縊ってくださいますな」 ひと めすと 「ただ逃げ込んできただけのことよ。四年前にもここへ逃「笑談いうな、俺は盗つ人だ、他人のものは欲しがるが、 うぬの物を他人にやるもんか」 げ込み、首尾よく助かったから、今度もそうありてえと思 ってなあ」 「お前さんはそんなことをして、この店を立直せというん 「それだけのことのようには見えませんが」 でしよう、とんでもない真似をする人だ、泥棒から資本を もんあきな 「何だと ! 」 貰ってたまるものか、あすが日にも親子三人、一文商いを 「お前さんは、何でそんなに家の子を覘きたがるのです」する身になるのは眼にみえていますけれど、それでもだれ 「覘きやしねえ」 に恥かしいこともございません。泥棒にお金を貢がれて店 「いえ、さっきから何度も何度も家の子を気にして胡いてを張るような嘉吉夫婦ではございません」 ししこと 「そう云わねえで取っておいてくれ。黙ってりや、 いました。手前どもの子はお前さんのような人に、覘いた り見られたり、家の子にそんな弱い尻はございません」 よそ しいえ、いけません」 「俺みてえのものが何で他家の子に何をするもんか。これ「、 でも自分がどんな奴だか知っているんだ。ねえご亭主さ 「そんな頑固をいうものじゃねえ、きっと迷惑はかけね ん、おかみさん、俺は夜が明けるまで無事だかどうだか判え、このロは堅えんだ、安心してつかってくれ」 らねえ体だ。身の上話なんかしても聞いちゃくれめえし、 「厭です、さあ早く持って出て行ってください」 ひま して、る田以も、俺にはも、フねえらし、。、、こ ; 、 しオカ俺だって、 「どうしてもお前、受取らねえというのかい」 始めつからの悪党じゃねえってことだけは聞きわけておい 「泥棒のくせに、そんなことを、生意気です」 と嘉吉は金包みをとって投げ返した。 てくれ、たった一度の間違えから、自暴になった身の末が こんなサマさ。じゃ、ご機嫌よう」 「そ、つか。じやきっと宀乂取・らねえな。よ、つし、じゃ、これ と幸助は、金の包みをそっと置いて去ろうとした。そのでも受取るのは厭か、おい、さあどうだ」 あいくち 挙動に眼をはなさずにいた嘉吉は、われを忘れて進み出 と幸助は七首をびかりと閃かした。 こ 0 たいまい みつ
114 遠くで夜警の柝の音が、ものうく聞えていたのが、いつけれど、もうとても、どうにもこうにもならないんだ」 となく聞えなくなった。 「そんな気の弱いことをいわないでくださいよ。いまさら 「、つ、つむ」 ここの家をなくしてしまうなんて、情けなさ過ぎるじゃあ りませんか」 唸き声が二、三度聞えるうちに、捕手仲間が駈付けたと みえ、声高に何かいっていたが、一半のものは呻く者を担「情けないさ けれどなあ、借金に首っ玉を絞められて いで医療をうけに去ったらしく、残る一半のものは、提灯しまっては、どうにもこうにも遣り繰りがっかないから、 いっそうのこと、ここの店を抛り出しちまおう」 を振り照らし、厳重にあたりの詮索を始めた。 どンどンどン。戸を叩く音と「起きろお尋ねがある、起「又そんなことを云うんですか」 きろ」呼び起す声が、あっちこっち諸所で起った。 「身を落して、何か一文商いでもして、新規蒔直しに夫婦・ 曲者が、捕手のひとりを刺して、姿を隠したあとの嶮し親子三人、お粥をすすっても、借金とりに責めたてられな き、いつま、、、、相 5 負豕された。 い方が気が楽だ。きようも問屋からの掛合いで、ひどい悪 オしか、あたし達夫婦はまあいいとし 炭屋嘉吉の家では、女房お作が、今の騒ぎで眼をさまし口を聞かされたじゃよ、 て、坊主がなあ、家のおとっさんをいじめるとぶつぞとい た拾い子の亀太郎を、寝かしつけていた。 って眼の色を変えただろう たまらない」 嘉吉は行燈の下で幾冊かの帳面、何枚かの証文を前に、 算盤を置いて溜息をついていた。 「あの子は親思いですからねえ」 「ええ、どうにでもなれ」 「あんな小さなものでさえ、あたしが借金に責立てられて と算盤を抛り出した音に、お作は溜息を隠して、亀太郎苦しむのをみると、教えもしないのに、ぶつぞと食ってか の蒲団を軽く叩いた。 かる。たまらないなあ。きのうもきようも一日中、そとへ 遊びに出もしないじゃないか」 「お前さん、自暴を起して貰っちゃ困りますよ」 「、つむ」 がつくり頭をたれた嘉吉は、膝へ落ちた涙を指でカなく 厭な顔をして考え込む嘉吉を、お作はとても見ていられ弾い なくなり、起ってそばへ坐った。 「あの子は、きようも、あたしに聞くんですよ、夜逃げつ あられ 外では霰が音をたてている。 てなあにつて」 「え、夜逃げだって」 「お作、もう家は駄目さ。ぜっかくここまで持耐えてきた もちこた
っ 「すみませんでした」 台所の外、遠方で、幸助が捕手の張った網に引っかか 幸助は顔をそむけて金包みを、そッと手にとったその途たか、「ご用」の声がかまびすしく起った。嘉吉もお作も すく 端に、表の戸を慌しく叩く者があった。 その騒ぎに竦み、亀太郎を中に顔見合せた。 亀太郎を引きよせ、宥めていた夫婦も、飛びあがるばか 「なあに、おとっちゃん今の。今のあれなあに、おっかち おどろ り駭いたが、それにもまして駭いたのは幸助だ。夫婦が表やん」 の音に気をとられている間に、亀太郎に未練綿々の眼をむ と亀太郎が、ご用騒ぎを不審がる。それに夫婦は答える むせ けこま、又叩く戸の音に、思いきって台所の外へ姿を消し言葉がなく、音涙に咽んだ。 外では今の声のぬしの女が悲鳴をあげた。そればかりで 外の声は女だった。 なく、男ふたりの叱る声が聞えた。 「もしすみませんがちょいとお開けなすってくださいま霰が又音高く聞えた。 せ、すみませんがどうぞ」 「ど、どなたです」 夜明けの炭屋の裏では、地の上に媚かしい女の持物が くるわ 嘉吉は要慎深く起ちあがった。 二、三落ちていて、廓を抜けてきた錦山が、追っ人の熊〕 「後生でございます、早くお開けくださいませ」 蔵、鷹吉に追廻され取押えられかけていた。 「お作。女の人だ」 それを裏の家の亭主と、その前の家の八さんとが、表の 「何なのでしようかしら」 戸と窓とから、顔を出して見ているうしろに、ふたりのか おずおずのぞ お作は台所を怖々と覘いた。すでに幸助の姿がないのみさんも顔を突き出していた。 で、はツとしたが、表の人に危惧を持って、亀太郎から手熊蔵は錦山の白い腕をねじあげている、鷹吉は落ちてい を放さなかった。 る物を拾いあつめていた。 おいらん 「おっかちゃん、今の借金とりの小父さん、いけない奴だ「花魁。これさ花魁、そうジタ・ハタしてはいけませんぜ、 ったねえ」 おとなしくするものだ」 あざわら 「あ、ああ、そうだよ」 痛み苦しむ錦を嘲笑って熊蔵は、底意地の悪い口のき 外では女の焦慮った声が又した。嘉吉は土間へ、屹となき方だ。 っておりて行った。 「あッあツ、痛、腕が折れる、痛いツ」 こ 0 きっ なまめ きんざん
円蔵が先頭で、捕手は三人とも出て行き、開け放された 源兵衛が八畳から出てきた。 てんじよううらゆか 「あとは天井裏と床の下だけだ、そのほか変なところはね表の雨戸の外を、駈けて行く他の捕手の提灯が、飛ぶよう に通って行った。 え」 「じゃ、二人で天井を突っついてみろ、ここは俺が見張っ嘉吉は土間へおり、雨戸を閉めた。 「今夜はなんという厭な晩なんでしよう」 てるから、そこの座敷からやってみろ」 とお作は抱いている亀太郎を揺りながら、屈託して息を と円蔵が差出す土間にあった天秤棒を源兵衛が受取り、 しんばりばう 朝松は台所から心張棒を外して八畳へはいって行った。天ついた。 「ああ。霰だ。お作、霰が降っている」 井板を下から突いて、音によって鑑定しようというのだ。 「おう嘉吉、もしも、隠匿ってでもあると、手前達夫婦「霰が降っていますかーーあの晩も、霰が降っていました 、よばこぞう は、ただでは済まねえ、人殺しの大盗つ人、稲葉小僧の幸ねえ」 助の巻添えを食うんだぞ、後になってからじゃ間にあわね「四年前のおとといの晩か」 「ええ」 え、そうならそうと、今のうちに云っちまえ」 しんみせ 「いえ、手前どもに限って、そんな悪党の方を隠匿うなそ「あの時分、家は新店で、もっと陽気だった、あの二月前 に赤ン坊には死なれたけれどーー・あれから四年の間、汗み とい、つことはざいません」 ずくに稼いでこんな始末になるとは、よくよくの不運だ。 「そんならそれでいい。 おう朝、源、どうだ」 朝松が八畳から、塵のはいった片眼をこすりながら顔を坊主はどうした。睡たか」 「たった今まで、獅噛みついていましたが、今の人達が出 出した。 て行ってくれたので、安心したのでしよう、こんなによく 「どうも、いねえようだ」 「じゃあ、畳をめくって床の下をみろ、おつ。朝、源、ふ睡てしまいました」 よび・一 「うむ、よく睡ているなあ」 声たりとも来い、呼笛が聞えた」 の どしンと家のどこかで物音がした。 あまり遠くないところで、呼笛がたった今聞えたのを、 根 「あれ」 屋円蔵は聞きはずさなかった。 お作が驚くのを嘉吉が、ぎよッとしながら制して、今、 源兵衛と朝松とは天秤棒も箒も、八畳に投げ棄てて土間 音のした台所の方を見詰めた。亀太郎が夢に怯えたのか急 へむかった。 ごみ あられ