太夫 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第14巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第14巻〉

夫、必死の覚悟だ」 十太夫達は、天地を覆っている砂煙のなかから、二代相 「ほう、判った。すると」 恩の君が城、烏城がほんのり、風の吹き切れた間だけ見え 源吾左衛門は、思い当ることがあって悲痛な顔をした。 たので、 十太夫は前歯一本ない口を開けて、 「九郎次郎、お城がみえるぞ」 「さすが、源吾、判ったと見える」 「は 「うむ、判った」 九郎次郎は十太夫の遅い子で、二十三歳、若いだけに、 まっげ 「、つはツはツ↓よ 淡々とみえる烏城をみると、感傷の涙が睫毛を濡らした。 と、十太夫は腹を揺って笑った。 ; 、・、 カ源吾左衛門は笑え 岡山から備中松山へは十里である、寛永時代のものは、 なかった。十太夫の長男九郎次郎も笑わなかった。笑わぬ十里の道を遠いと思っていなかったが、寒い烈風に苦しめ どころか、二人とも、固くなった顔を、朗かに笑う十太夫られた十太夫主従の旅は、案外に時間がかかり、着いたの からそむけた。 は酉の下刻だった。十里に十三時間かかったのである。 十太夫は老人である、対手は勇猛を一世にうたわれた村十太夫は町家に宿をとり、衣服を更め、備中守長幸の家 山越中である、尋常の勝負では勝算が十太夫にない、そこ老水野善左衛門を訪れた。十太夫は関ヶ原の戦い、大坂冬 で、引組んで、我も死に彼も殺す、勝負無し相討ち、と、夏両度の陣にも従軍し、大坂城改築のときは数十人のカで 十太夫の決心が、あまりにも明らかなのである。 動かぬ大きな石を、ただ一人で、工夫によって自在に動か し、徳川家から特に恩賞をくだされたことなどもある有名 な武士なので、水野は、早速礼を厚くして会った。と、十 生別死別の酒 太夫は、 「御家にて、村山越中お召抱えと承ります、実否如何か、 しか 夫臼井十太夫、九郎次郎父子と、家来加藤右衛門七、槍持確と承知いたしたくござる」 + 権平の四人が、備前岡山を発った寛永八年十一月二十七日 と、捻じこんでおいて宿へ引取った、と、予期していた 日は、早朝から烈風が、乾ききっている土を吹き撒くので、 とおり水野から、 三尺距れると茫とみえ、六尺距れたのでは、まるで見えな「夜中ながら、登城めされ」 と、 かった、したがって、往来の困難ひととおりでなかった。 いって来た。十太夫はにツこと笑い、それ、来た ゆす

2. 長谷川伸全集〈第14巻〉

十太夫は六十六歳、越中は五十五歳、互いに抜き放った 「村山越中殿に申上げまする、手前主人、臼井十太夫、 ねての宿意により、あれにて先程よりお待受け申しており白刃を構え、睨み合う側面からタ日の光が、眼もくらめく ばかり照りつけた。 ます、尋常に勝負なされませい」 越中の家来四人、一団となって眼を据え、抜いた刀を斜 オカ顔の色がさッと変っめに構え、じッとして動かずにいるのは、真剣勝負に無経 と、家来の一人が怒鳴っこ、ま、 験で、進みも退きもならずにいるのだと、九郎次郎が見て て、刀にかけた手が顫えている。 駕籠のかたわらへ、うしろにいた家来が二人、これも血とって、 「えいツ、えいツ」 相変えて近づいたが、何事か駕籠の中の越中にいわれたと と、雄叫びとともに左から圧迫に進み出た、それとみて みえ、つかっかと右衛門七の前へ出た。その一人が、 「これは成羽の医者の許へ急ぐ病人でござる。お見違え迷右衛門七も、劣らじと勇をふるい 「え、ツ、えいツ」 惑でごギ、る」 ちがい その時、十太夫はすかずかと駕籠の棒鼻に近づいた。越と、右から圧迫に進み出た。強い弱いの差は一本の糸ほ どの違いできまる。倍数の四人が、九郎次郎、右衛門七に 中の家来四人は、十太夫の凄じい無視にあい、肝をひしが みるみる圧迫されて後へ後へさがる。その一方で十太夫は れて棒立ちになった。 十太夫は駕籠の棒鼻へ手をかけ、どッどッと、一気に押越中の眼を睨んでいた、越中も十太夫の眼を犇と睨んでい る。 戻し、 「村山越中、その方は」 「偽病人とは卑怯なり村山越中。十太夫を忘れたか」 と、叱咤した。駕籠担きは仰天し、駕籠を投げやりに遠と、十太夫がいいかけると、越中は、 「えいツ」 夫く逃げた。 と擬声を示して、十太夫に虚をつくらせようとした、 + 「待て十太夫」 が、その手に十太夫は乗らず、 日駕籠の戸、蹴開いて村山越中が、 「その方、年少の河内左近を、無残に討ったる仕業は、人 ひらりと外に出るを待って十太夫。 ちく 畜同然、左近は何歳、わずかに十五、その方には孫同然の 「越中、勝負 ! 」 かんめき 閂太刀を鷲掴みに、

3. 長谷川伸全集〈第14巻〉

をしているだろう」 「面を冐して諫めろ」 「何のことだ」 叱っている父の顔に五本の皺が深くみえた。 「年上の女と懇ろにしているだろう」 「馬鹿な」 喧嘩双方 「馬鹿なではない、おりや面を冒して諫めるのだ」 「無礼にも程がある」 そそ 巽の馬場で馬術の練習を終ってから、水飼場へ馬をひい 安太夫は顔に朱を漉ぎ、挨拶をやめ、馬をひいてそこを て行く三沢甚六が、色白い顔に汗の珠をうかべ、馬を水飼去ろうとした。 にひいてゆく桑原安太夫と一緒になった。名は安太夫と年甚六は赫として、 寄ったように聞えるが、甚六より一ッ下の二十二歳、家中「絶交する ! 」 一の美男だった。 拳を固め激越していった。安太夫は振向きもせず行って しまった。 「おい安太夫、話がある」 まじわ と、甚六は険しい眼をむけた。始めから穏かに気軽く その時から二人は交りを絶った。交りは絶ったが、二人 ともおなじ勤務に就き、同じように火術の稽古をしてい うつもりだった、が、短い詞のうちに憤慨が駈け出してし まったので、慌てて笑顔をつくった。 る、で、二人がお互いに眼をそむけ合っているのが人目に 安太夫は笑顔で応じた。甚六と違って、笑うと又一段のすぐっいた。 美しさがある。 どこにもある小人がここにもいて、甚六、安太夫の反目 甚六は馬を人なき馬場の隅にひいて行き待合わせた。間に興味をもち、原因をいい加減に推測して吹聴する者があ もなく安太夫が馬の頸に手綱を打ちかけ先にたって歩いてる、その一方では、甚六か安太夫か、どちらか一方に好意 を寄せるものが出た、が、好意だけ寄せて原因は確めない きた。馬は主人のあとからついて来た。 でも、 しいという者はなかった、原因が知りたい点では興味 「話とは、何だ甚六」 「もそッと、こっちへこい」 を趨いたがる小人の心も、友情だけ持合せていて思慮の欠 けたものもおなじだった。 「何だか知らぬが、事々しいではないか」 こういう二ツの流れが、いつの間にか甚六、安太夫の足 「容易ならぬことだ。安太夫、お前は顧みて恥かしいこと おもて かっ

4. 長谷川伸全集〈第14巻〉

きゅうたん もとで、眼に見えない急潭をつくった。 あがりざま、手からはなしたばかりの鉄砲を飛越えたとき 安太夫の方では、 に、安太夫の刀が頬をすこし削ぎ、左の眉へ斬りこんだ、 「甚六めが吹聴した」 が、甚六の体がずっと前へ出てしまっていたので、斬りは と、おもい、甚六の方では、 斬ったが、僅かに届いただけ、傷はいたって軽かった。 「安太夫め、あれ以来この方を憎がっている」 甚六はくるツと向き直り、大刀を抜いた。 と、田 5 った。 十人の火術練習生が、わッと声をあげ総起ちになった。 あずち 十月上旬の或る日、城中、二の丸の垬で、火術の稽古日甚六はそのために安太夫の姿が見えなくなったので、 の午後、鉄砲の手入れをすべき日だったので、甚六は自分「退け退け、邪魔すると斬るそ」 あずか がお預りの鉄砲の掃除をはじめた。同じに稽古をうけてい 頭の上で刀をくるくると振廻し、邪魔になる朋輩を、 るのだから、安太夫も鉄砲の掃除をすべきだったが、膝の二、三人片手で衝きとばした。 うつむ 上に、鉄砲をのせただけで俯向いていた。安太夫の坐って安太夫の方でも、 いる位置は、ちょうど、甚六の真うしろになる。 「退け退け」 二人の他に十人、おなじぐらいの年頃のものばかり、め と、叫んでいた。 いめいお預りの鉄砲掃除にかかっていた。 大野が人を掻分けて、二の間へはさまり、 大野甚之丞が見廻りにきて、安太夫に、 「どこと心得てその態、大白痴めが ! 」 「ど、つした ? ・」 と、大音声に叱りつけ二人を睨みつけた。そういわれる 「気分がすぐれませぬ、持帰って掃除いたします」 と安太夫はどきっとした。ここは郭内だったのだ。城から 「そ、フか」 下がって帰る途中でやってもよかった。自分も甚六も父の 大野が安太夫のそばをはなれ、二人の鉄砲掃除を検め、住居はおなじ荻生にあるのだから、帰宅の後にやってもよ 嘩三人目の鉄砲を手にとろうとした時、安太夫がすッくと起かったのである。そう思うと、場所を誤った後悔がひしひ のちがり、引付けてあった大刀を抜き放ち、うしろから甚六しと胸を責めた。 射に斬りつけた。 甚六は烈しい怒りで顔を真赤にしている、左の頬から噴 いている血が、そのため一時はそれほど赤くみえなかっ 甚六は安太夫の起ちあがり方が妙に変だったので、「さ ては」と思って膝のわきに置いてあった大刀を掴み、飛びた。

5. 長谷川伸全集〈第14巻〉

152 「卑法ものの安太夫め、うしろから不意にかからぬと討て気がある、「斬り結ばせてさえくれれば安太夫ごとき」と ぬと思ったのだろう、卑怯なことをしてもやつばり討てぬ いう気も充分ある、で、態度が不謹慎にみえた。 ではないか」 それらの上にもう一ッあった、この場になっても安太夫 と、微笑して刀を鞘に納めた。 が美しいことである。謹慎すればするはど風に悩まされて 大野を除く十人の火術練習生と、駈け付けてきた十五、 いる若い花のようにみえる安太夫は、甚六の若い武骨さと 六人の武士の眼に、甚六のした微笑がせせら笑いにみえ、熟しきらない魁偉さとでは雲泥の差だった。 憎態だという印象をあたえた。 安太夫の方はその反対に好感をもたれた。安太夫はその 寺の柳 とき、場所柄を忘れ刃傷を仕掛けたのは自分だから、、いに 責めるところが強かった、それと又一ツには、甚六がきめ えぐ つけた詞に急所を抉られていた。甚六は「卑怯ものめ、う安太夫は糺問をうけたが、 かか しろから不意でなくては蒐れまい」といった、云われてみ「甚六に宿意がござりましての刃傷」 れば、それほどはツきりしてはいなかったが自分の心のう と、だけ答えて、原因をどうしても云わなかった。 ちにないことではない。甚六は中条流剣法の皆伝をとって甚六も原因を糺問されたが、やはり答えず、 いる、自分はそれに比べるとかに劣っている、尋常にか「安太夫に遺恨を抱かれる覚えがござりませぬ、乱心と存 かったのではかえって討果されてしまうだろう、それを避じます」 だま けるには騙し討ちと、考えたことがないではない、が、そ と、いい張った。 んなことをしては父の名誉を傷つけてしまうし、自ら顧み安太夫はその後、激しく調べられたが、 ても恥かしいので、騙し討ちと考えた途端に、われとすぐ 「当時、逆上いたしましての刃傷にござります」 とス 取消した、それがきようは、眼の前に甚六の背中をみて、 しい直した。 今なら斬れるという気持に酔った結果、斬りつけて失敗し 「それでは前後不揃いの答えではないか」 たのである、こういう心の中を覗いたようにいわれたので と、畳みかけられたが安太夫は、どうしても原因に触れ ひる ず、 怯んだ。怯んだのを謹慎と他人はみた。 甚六の方は「あいつが仕掛けたのだ」とそう問責したい 「甚六は日ごろ、中条流皆伝を自慢いたし、心憎きことの

6. 長谷川伸全集〈第14巻〉

136 と、すぐ登城した。 : 遮二無二、村山越中を庇護する気が最初からなかった。 池田備中守長幸は、十太夫の抗議で弱っていると見え、 十太夫は城をさがり、その晩のうちに、九郎次郎と右衛 「村山越中の儀は、宮内少輔殿には内々申上げてあるが、 門七、権平を従え、松山の城下を発ち、松山街道を西にむ その方は承りおらぬか」 かった、成羽は松山から西二里にある。 十太夫は、断然、突っ張った。 十太夫主従が成羽の入口に着いたのは、明け方で、朝日 「岡山表にては左様のご沙汰、承りおりませぬ」 の出る前の山野が、霜をかぶって真白だった。 さかみせ すると、備中守は、ますます、当惑な態であったが、 「あれに酒店がある、別れの盃を交わそう」 なりわ 「村山は先頃より、再三再四、当国のうち成羽に居住い と、十太夫が先にたち、杉の葉を軒に掲げた地酒づくり したしとしきりに訴えおるので、このほど、成羽居住を差の家へはいり、酒を買って、十太夫、九郎次郎、右衛門七 許したので、家来に抱えなどしたのでない」 と三人で、三遍飲み廻した。 と、しどろもどろになって云った。 納めは十太夫。その十太夫が、 おわんご 「御懇ろなるお言葉を下しおかれ、十太夫、面目このこと「権平、そちもこの桝酒が飲みたいか」 にござります、さすれば、村山越中を御当国にて討取りま槍持の権平は、実直で、熱情漢だったので、別れの酒 して、よろしきょ , っ承りましてござりまするが」 が、自分だけ除かれているので、さっきから独り残念がっ かしら 十太夫は平伏のまま、頭をすこし上げて、備中守の顔をていた。 見入り、返答を待った。 「そちにはな権平。この桝酒がっかわせられぬ」 「差許す」 「何と仰せなされます、権平を役にたたぬ奴と、お見下し 「はツ。御意、有難く存じ奉ります」 に′」ざりまするか」 「なお、明朝、館にて、朝茶の湯の催しがある、村山も召「怒るな。そちは身を大切にいたせ」 おっしゃ してあるゆえ」 「お情けないことを仰有ります。身分賤しい奴でも、心は さては城中に来ているのかと、十太夫はゴグリと唾をの一廉の武士に劣りまぜぬ。もし、若旦那様。親旦那様にお とりな んだ。 執成しくださりませ。右衛門七殿、お前ばかりそのお酒を つれな 「それ済み次第、心のままに本懐を遂げてよかろう」 いただいたからよいわと、おらがことかまわぬは無情いで 備中守は手落ちがあったのと、病弱になっている時だけ やかた めんばく やっこ

7. 長谷川伸全集〈第14巻〉

132 容易なことではつかわぬはずの男である。 臼井十太夫の宅は城下の一劃に、大小さまざまのかたち で建ち並んでいる侍町の、とある隅に、南北を引ッ構えた ふさわ 千石取りに相応しいものだった。門前へきてみて源吾左衛 門はほっとはをひそかについた。 臼井の宅はひッそり閑としていた。 「頼もう。安部源吾左衛門、推参にござる」 訪うと、すぐ玄関へ手燭をかかげて出て来たのは主人の 臼井十太夫だった。十太夫は六十六歳、赤ら顔で、身の丈 が高く、額から脳天へかけて禿げあがっているので、手燭 の灯が、そこへ反射して一段と光っている。 ふり 十太夫は礼装して腰に大小刀二口をさしている。何か知 彼も我も死 ら異様だ。 「おう、源吾か。待っていた。さ、さ、まずあがれ」 おう 安部源吾左衛門は、今、受取ったばかりの手紙を披いて「応」 みると、直ぐ 導かれて源吾左衛門は、何一つ飾ってない客間へ通っ て、座に就いた。 「十太夫方へ参る」 十太夫が手燭の灯を、燭台にうっしたので、急に明るく 手短く妻にいって、玄関へ出た。 よっこ 0 十一月の下旬で、外は寒くもあり暗かった。 源吾左衛門はさッさッと足早に歩いた。無二の親友が出「至急、足労を願い恐れ入る。今日まで多年にわたり、公 抜けに、「拙者、一期の大事に出会い」とか、「篤と思案の私ともにご懇情を蒙ったる段、けっして忘却っかまつら . しー刀、を 上、折人って貴殿にご依頼の儀これあり」などと、 も浮沈の瀬戸にあるような手紙の書き方をしているのが解と、正座していう十太夫の顔を、源吾左衛門はしげしげ 眺めて、 しかねた。源吾左衛門の親友臼井十太夫はそんな文句を、 臼井十太夫

8. 長谷川伸全集〈第14巻〉

みにござりました、そのため、日頃より憎き奴と存じておしろから、寺の僧が、筆と紙をもって追って来て、書いて りました」 貰った句である。句に詠まれた柳は枯れて今はないそうで と、 いった。そのころの大聖寺藩の慣例では家老が判検ある、が、芭蕉がこの寺へくる八年前、甚六、安太夫は切 事の役を兼ねていた。 腹を申付かったのである、柳は葉をふり落してはいただろ 甚六も激しい調べをつづけられたが、いつまで経ってうが、人目につくすがたをその頃していたことであったろ も、塙の後室と安太夫のことはいわなかった。「これを、 っては安太夫が可哀そうだ」と思 い、「塙の後室の乱行は安太夫は長男で父は桑原八太夫といい、弟に八之丞があ 発かれたとて自業自得だからかまわん」とも思っている。 った、その下にはまだ幼い弟もあり姉妹もあり、甚六の父 安太夫の方では又、「塙の後室にお気の毒だ」と思い の三沢安右衛門のように親ひとり子ひとりの淋しさとは違 「甚六めが有りもせぬ噂をまことにしていい触らしたと事っていた。 実を申上げてはいかにあいつでも可哀そうだ」とこう思っ 安太夫の弟八之丞は兄のように美男ではないが、気性 ている。 は、安太夫と比べものにならない激しさだった。 二人の取調べがやがて打切られた。甚六の耳に「塙の後「父上。兄者は見事やりましようか」 室と安太夫が不行跡をやっている」と告げた者はある、 「遣る、確かにな」 が、その者が名乗って出ず、取調べもそこまで延びず、終「それだとよいが」 りとなった。 「不安心か」 甚六、安太夫、両人とも、「全昌寺に於て切腹申付く」 「兄者は気が優しいから、心配です」 というのが判決だった。 「あれも武士の子だ、、一期の終りに見事な死方をせいでい 全昌寺は山号を耳聞山という、耳聞堂というがあって、 るものか」 嘩そこに一夜を明かせば、神遊びの琴の音が聞えるともいう 「私、今夜にもお願い申上げ、兄者に会わせていただき、 のし、古くから伝わる石がそこにあって、それを耳に入れる篤と申して参りましようか」 射と囁く声が聞えるともいう伝説からできた山号である。 「それには及ばぬ。覚悟のほどはきのうの手紙にもみえて 芭蕉の句に「庭掃いて出づるや寺に散る柳」というのが いる」 ある、芭蕉が一夜をこの寺に明かし越前へ去らんとするう 「父上、左様にご安心なされていてよいのでしようか」

9. 長谷川伸全集〈第14巻〉

「えいツ」 少年だぞよ」 コんいツ」 振りかぶって斬っておろす、その寸前、十太夫がひらり み、き と、越中が又も擬声を示したが、十太夫はその手に乗らと体を斜めに、九郎次郎の胸前へ入れて押付け、 ばこ挈」、 「待った ! 」 「父上。こやつは父上をうしろから」 「君の御憤り甚だしく、それがしに、越中を討って取れと 御内意を承って跨ぎ二年、今日唯今。上意 ! 」 「存じている。右衛門七、待とう ! 」 かたな ただ一撃に、十太夫は、対手の刀諸共骨も真ッ二ッと斬右衛門七は、九郎次郎に代って、槍持奴を斬りかかった りつけた。 が、十太夫の一喝にあって、 「はツ 「だあツ」 からたけわ 越中が自慢の閂太刀が二ツに折れ、唐竹割りに斬りつけ と、躊躇った。 られ、大口開いて、血煙のうちにきりりと舞って倒れた。 遠く放れて見ていた権平が、この時近く来ていたが、主 それと知って越中の家来四人は、辷けつまろびつ、這う人の槍をしごいて、 ほ , っ逃ナた。 「奴は奴同士だ。おのれツ」 十太夫は刀の血ぶるいして、 と、突いてかかりかけるを十太夫が 「昨年夏、河内左近が最期と同じ越中の最期だった、の「何をする権平」 飛鳥の早業で、うしろ帯をとって横に投げた。権平は投 と、その時、逃ぐるを追わず、十太夫のかたわらへ引返げられながら、槍を折るまじと両手に捧げ、べたりと地に してきた、九郎次郎、右衛門七を顧みていった。 坐った。 かな その時しも、松の幹に隠れていた越中の槍持奴が、主人十太夫は、越中が槍持奴に歩み寄った。奴はもう敵わぬ の槍の鞘を突き棄て、十太夫の背後へ廻り、ものも云わと覚悟の態で、大地に坐り、眼を閉じている。顔の色は死 ず、さツ、突き出した。 人のように黄色くなっていた。 かわ 「その方が、今の振舞いは、全く下郎の振舞いでない、天 十太夫は修練に長けている、咄嗟に、はツと体を躱し た。空を突いて槍持奴は、前へ、とンとンと泳いで出る、 晴れ武士だ」 げ 2.. ャへに 2 ヾ、、 やっこ ためら

10. 長谷川伸全集〈第14巻〉

「拙者に代り、願うてくれ」 「君の仰せにござる」 「ははツ 「左様かーー・うむ。承知した」 「明日、願うてくれ。明後日、発足する」 「当地を立退き候とも、妻子はそのまま御国へ差置く可き 「急だの」 旨、仰せ渡され候」 「早速、討取らぬと、彼奴め、松山の家臣となる、それで十太夫は感激して、暫く平伏していたが ほか は手遅れとなり、無念だわい」 「御意、冥加至極、感泣の他ござなく候、しかし、妻並に 翌二十六日、源吾左衛門が十太夫の浪人願いの手続きを次男小三郎は老母に付添わせ、摂州大坂の知辺の許に、今 したと見え、午後になってから執政荒尾志摩が、十太夫を朝、すでに発足いたさせてござります。この儀、御前へ、 とりな 呼出し、重厚な顔に徴笑をみせて、願いの趣き聞き届くとよろしく、御執成し願い入る」 云い渡し、 素早い家族の始末のつけ方に、源吾左衛門は舌を巻き、 「源吾左衛門が、今夜、行くはずじゃ」 「承知いたした。これなる大小は、昨年師走、君、御出府 み と、こッと笑って付け加えた。 の砌り、荒尾志摩殿へお預けあり、おりをみて十太夫に遣 その日の宵、城からさがったばかりの源吾左衛門は、自わせと御仰せありしもの、即ち、下さる」 宅へ立寄らず、十太夫方へ急いだ、小脇に刀剣らしい包み「ははツ かねしろ ただひろ を抱えている。 与えられた大刀は関の兼白、小刀は武蔵守忠広だった。 十太夫方は、ゆうべとは甚だしい変り方で、立退きの準 これで公式は終ったので、あとは俺がわれがという、友 早くも終っていた。 達の仲に戻った。 源吾左衛門は、礼装している十太夫と、長男の九郎次郎「十太。討手に向うのは、貴殿と、九郎次郎殿と、両人 えもしち と、一段下がって、この家の家来加藤右衛門七と、三人のか、召連れる家来は ? 」 出迎えを受け、客間へ案内された。客間はゆうべより又一 「さきほど、玄関につくばっていた加藤右衛門七を連れ参 層がらんとしていて、冷える宵なのに、客用の火桶さえ無る、他に、槍持一人」 くなっていた。 「主従四人か。村山越中は名だたる武勇の者、家来も三人 上座に就いた源吾左衛門は、平伏して言葉を待っ十太夫五人は召しつれていようが」 父子に 「家来三人五人は何でもないが、手剛いは越中だ。十太 すなわ