8 口には出さないが、問題は、鷹師吉田平三郎ではない。 内蔵介はもう先導に立っている。使者はそれにつづく他紀伊大納言に対する老中の不当さである。しかし、争いの ないので、続きはしたが、顔見合せた。中納言どの〃御じ題目は、吉田平三郎という水戸藩の者の″身分。にある、 きじきのお答えだな〃とさすがに覚った。 吉田は陪臣か直参同然であるか、それを取りあげて、一転 そのとおりである。 させて幕府改善の端緒にしたいのである。 頼房その日の返答は、僅かな言葉数だった。 頼一房は、こういっている。 「当家の者、吉田平三郎を引渡すこと不承知」 「老中どもは、陪臣の身を顧みずして、吉田が直参の某を これだけである。〃その理由は〃と、反問したい使者だ害したこと憎しと上意ありと称している。水戸家の士が陪 ったが、威光に圧されて口に出せない。又反問しては当を臣とは何を以て申すか。諸大名の家来は陪臣である。が、 失する相手である。 尾張、紀伊、水戸の三家の士は決して陪臣でない。そのゆ 帰って行く使者の心のうちは、すごすごとしている。 えは、そもそも三家は台徳院殿 ( 秀忠 ) とおなじく、まさし く神君 ( 家康 ) の子である。異なるは惣領、庶子のみ、され ば、三家とも士は神君よカ付け給う。しからば陪臣ならず 駆付大名 直参ではないか」。これが表面の意志である。裏は違う。 おび 「老中どもに人材なきにあらねど、往々にして大事を誘き 時は慶安の由井正雪一件の翌年であるばかりでなく、戸出すようなることをするので、安心しておりがたい。神君 次庄左衛門、林戸右衛門、三宅平六、藤江又十郎、土岐与の子にして、尾張、紀伊、水戸の三家たるもの、何ぞ反逆 左衛門らが、倒幕の計画あらわれ、或いは捕われ、或いはの心があろうぞ、大老、老中、その他の役人ども、信ずべ 自殺したのが、ついこの九月十三日と十六日のことである。 きを信じかね、疑うべからざる人を疑いてみねば、智恵な 江戸市中は穏かだが、幕府の内は二ッつづいた倒幕事件き者のように思う心が歎かわしい。三家のうち二家まで、 神経が昻ぶっている。そこへまた水戸家の問題であ謀反すと疑われ、その疑いをいまだ蒙らすにいるのはわが る。老中側は将軍家と水戸家の問題としているが、水戸家家のみである。そもそも、これは何のゆえぞ」 では相手は老中としている。 それはそのとおりで、最初に反逆すと疑われたのは、今 さて、頼房の決心は固い。 は亡き尾張大納言義直である。寛永十一年の六月、三代将 こ 0
田道灌の末孫で、水戸の頼房が幼いころ、一時、母と仰い がある。水戸家にも面目がある。両方の面目が立って和解 そばめ だのが、家康が晩年、信頼しきった側女のお梶の局といっする、そういう余地が双方にない。 て、伯母である。春日の局が駿府に行って、竹千代 ( 家光「ご返辞を承らずも、よろしゅうござる。水戸家、明日の の童名 ) 世嗣たるべきを家康に訴えた。その志に感じ、家ご出仕をそこ許、おとどめ下さらぬか、天下の御為にござ 康を説いて、目的を遂げさせたものが、お梶の局である。 お梶の局がいなかったら、とうてい、春日の局のみのカで「何と仰せある」 は、家光を将軍につかせることは覚束なかった。 と備中守が聞き直した。″出仕をとどめよみという、そ 太田備中守は伯母の関係で、水戸家とは特別な間柄でもれはなにゆえかと反問したのである。伊豆守はわざとそれ をはすし、 あり、一族の太田新蔵は水一尸家で重臣の一人となってい る。それやこれや、所縁が濃いので、伊豆守が喚んだので 「明日の一働きは、天下に人衆しといえども、そこ許の他 ある。 ござらぬ。申すまでもござるまいが、そこ許ご先祖道灌公 「そこ許は、この頃たびたび水戸家へまいられておられま以来代々の永らく、この江戸、又は江一尸近くは如何でござ ったろう。諸豪、兵を用いて合戦に日を送り、百姓町人は とたん 「左様にござります」 塗炭の苦に悩みしとは、。 こ存じのとおりにござる。その後 ひとえ 備中守は老人である。伊豆守が、 四海穏かに只今のごとく相成りましたるは、偏に権現様 ( 家康 ) 御威徳でござります。近年、不心得のもの少々あっ 「水戸家は、まだ当分、ご出仕はないでござろうか」 わざ いって備中守の眼をひたと見つめた。備中守の眼て、よろしからざる所為ござりましたが、我が日本は神 に、みるみる困惑が出た、それを見のがす伊豆守ではな国にござればそれらの不心得も未然に事露現し、それぞれ 片付きましたるは、ご同慶のいたりにござる。さりなが 平「水戸家には、明日、ご出仕でござるか」 ら、天下三名家の一たる水戸家にて、些かのことより悶着 吉再び、備中守の眼に困惑が出た。 かのごとく、世上に取り沙汰いたす昨今のこと耳にしオ 鷹まことに、中納言頼房は、明朝登城して、大老、老中し、心あるものは深く憂い悲しみおります。世には分別不 に、真向からぶつかる決意をしていた。ぶつかれば和解に足の者すこしありて、騒動を勇壮と間違え、なにかと、益 はならない、十中の九の九まで決裂である。幕府にも面目なきことを水戸家へ申出で炭火に汕をそそぎ、吹き立てて
監物は用意の馬を乗りつぎ乗りつぎ、名古屋から岡崎ま こういうことは、即座に、老中の知るところとなった。 で、駆足をとらせ続け、城門から駆けこみすぐに江戸へ、波紋はことのほかひろがった。 ″尾張家には謀反のご様子すこしも御座なく〃と注進した。 老中の面々、色を失した。 このときが、義直の第二回目の疑いである。それは放鷹将軍家綱はそのとき年十二。 をやり、兵馬を練ったことが原因だということになってい る。 出仕停め 水野監物は頼房に親しかったので、監物の嫡子で、後に 越後騒動を直接捌いた水野右衛門大夫忠春は、監物の実子 でなくして、じつは水一尸頼房の子で、俗にいう親知らすと時の大老保科肥後守正之は、 いう、貰い児であるといわれている。 「伊豆どの、小石川のこと、よきに計らわれい」 「ま 水戸家へ駆けつけたものは、水野監物だけではない。仙 台の伊達松平陸奥守忠宗も駆けつけた。伊達家は先代の政それだけで、松平伊豆守信綱が、問題解決の責任者とな 宗以来、水戸家とは深い交際がある。ことに忠宗の夫人は 頼房と一時、義兄弟だったものである。政宗が在世のこ伊豆守はすかさず、処分の範囲を確かめんとして、 ろ、水戸家と蒲生下野守忠郷と争いが起った。と知って、 「どれほどのところで、仕りましようか」 政宗、小石川の水戸邸の玄関から刀を脱せす、ずかずか通「正しきを正しきといたされい」 肥後守正之は〃三名君〃といわれた人物である、正しき り、頼房に、〃政宗先陣仕る。蒲生をお踏みつぶしなされ ませい〃といった。そのくらい深い伊達家である。 は正しの信条を枉げない。 九州佐賀の城主で、先年の島原陣で、水際立った戦いを伊豆守は快い微笑を浮べた。正しいものを正しいとする 敵味方にみせた鍋島信濃守勝茂は、水戸家に恩義がある。 なら解決が確かにつく自信がある。 伊達家と前後して馳せつけた。丹羽加賀守光重。戸沢能登麹町平河門内に伊豆守信綱の屋敷がある。それへ、ひそ 守乗盛、秋田河内守俊季その他、縁故の諸大名が、次からかに人を呼んだ。三河の国西尾二万五千石、太田備中守資 次と馳せつけるので、小石川邸の付近を往くものは、諸国宗である。前にいった岡崎の水野監物が、″何と備中、如 の大小名ばかりである。 何おもうみと尋ねたとき横にかぶりを振った人である。太 つきあい っ ) 0
「、つむ、 ししとも」 怖さも、女一房のことも遠いところのように思うともなイ思 気持では釣竿製作の新エ夫を考えるつもりでいても、渦えてきた。忠吉は眼の中に釣竿を描いて再検討をはじめ た。こうなると怖いも恐ろしいもない、生きるもなければ 巻く水の真中に取り残された夫婦たった二人だけ、どこに も人の姿がない凄じさに負けて、考えようにも考えられ死ぬるもない、あるものはただ一本の釣竿の世界。 ぬ。そのうちに、どこの家が毀れたのか、満々たる水の中「おかよおかよ、気がついたか」 「ああお前さん、ここはどこなの。私達はまだ生きていた で波に尾をひき泡を立て、流れてきたのが、吊鐘を撞くよ うにどうンと忠吉の家へあたって、プルプルと家が震えんだね」 、一 0 「見な、もう夜が明けたぜ。流されたんじゃねえよ、やは 「ひえツ」 りここは、本所菊川の元の家だぜ」 思わず叫ぶおかよの声に、忠吉はわれを忘れて犇と抱家が流れているとは、退く潮にひかれる水を錯覚したの 。こっこ 0 おかよは見廻していたが忠吉に縋りつき、 「大丈夫だ、大丈夫だ、もう大丈夫だ」 「ああああああ、お前さん、家が流れているんじゃないか 「よかったね、あたしは冥土か、それでなければ上総か房 しら」 州の沖だとばかり思った」 「えツ。いけねえ、流れている」 「家が流れたように思ったのはよそ様の家が流れて行くの を感違いしたんだ、おう水はぐンぐン干いて行く。もう大 「ああ、とうとうこれまでの寿命だったのかねえ」 「何くそツ、おかよ、俺に齧りついていろ、くそツ、俺丈夫だ。なあおかよ、気を落すな、俺あ何となく仕事の眼 あ、こんな水に負けるもんか、こんなことで死んで耐るがグワッと開いた気がするんだ。病ってくれるなよ、気丈 か、たとえことは小さくとも、一生の仕事と極めた釣竿師 になって、踏張っていてくれ」 「あたしなら大丈夫だよ、お前さんこそ気をつけてね」 忠で名人といわれねえうちは死ぬもんか、死ぬもんか、おか 竿 どうした、おかよ、おいおか よ、死ぬな死ぬな死ぬなーーー 人 名よ、しつかりしろ」 まっさお ぐったり凭れている女房の顔をのぞくと真青、さては死 んだかと引ッ抱え、顔に顔をすりつけているうちに、水の かじ ひし わずら
198 させたそのあとを受け、六代家宣、七代家継、ともに、狩りと叩きのめした、その意趣返しだということにはならな 猟に関係なしだった。 い。が、昨年から紀伊大納言は大老、老中のテに引ツかか 八代吉宗が復活後の放鷹の遊びは、慶応二年の廃止までり拘禁ならぬ拘禁をされ、しかも、その原因は、由井、丸 ずッとつづいた。とはいえ、豪壮な放鷹が好きでない、又橋の乱にかかわりあるもののごとくなっている、紀州家の は屁ッびり腰で馬に乗せてもらっている将軍は、当然放鷹士で、悲憤せぬものはないが、幕府側の手の打ち方に隙が をやらなかった。 ないので、どうする方法もない、ただただ、ひそかに口惜 それはさておき、吉田平三郎である。真野庄九郎を手にし涙にくれているばかりである。 かけた後で、どこかで自殺する気であったらしいが、死遅そうすると、紀伊大納言が竹箆返しらしいものを、すで れたかして姿を晦した。 に食ったとすれば、次の番は水戸中納言でなくてはなるま と、その一方では老中のうちに、このことを執りあげ、 問題にする気のものがある。それがだれだか表面には現れ その水一尸中納言頼房は、幕府が紀伊大納言を山井一件に ないが、水戸家へ厳重な掛合いがあるはずだと、江戸城中結びつけたとして、心のうちで憤っている。いっかは、時 の内議が、水戸家へ、その日のうちにそッと通知されてい来らば老職どもにひと泡吹かせてくれんと待っているとこ た。そういうことは、かねがね、水戸家で目をかけているろへ、幕臣は直参、水戸の家士は陪臣、いかなる理由があ くせごと 茶坊主が如才なく働くのである。 っても、尊卑を忘れた曲事、厳重に処分するといきまいて 江戸城内秘密通信ともいうべきものを受取った水戸家いる、老中の密議が、次々に水戸家へ、例の秘密通信で知 は、〃よしそれなら来い〃と構えていると、はたして、老れてきたので、頼房は前後をつくづく考え合せ、がツしり さしいだ ーしでやとばかり 中から公式に、〃吉田平三郎を差出さる可し〃といってき肚を据え、老中どもと、畳の上の一戦こ、、 た。その言葉に背くことの出来ないように、 着手した。 〃将軍、聞しめし、陪臣の身として、直参を討っこと、憎水戸中納言は、表向きは内々の謹慎という形をとり、一 きことなり、と、上意あり〃 面で、老中に挑戦した。 と、幕臣の威厳を立てる、将軍の意志を明らかに示して「打棄ておけ」 かかった。こうした老中側の腰の強い出方が、足掛け三年というのである。黙殺による挑戦である。 前に、紀伊大納言、水戸中納言の連合で老中の威勢をびし そのうち日が経つが、水戸家から何の音沙汰もないの きこ しつべい
はるたよしため 探偵作家の甲賀三郎は春田能為が本名である。旧姓は井三郎もまた家の現当主ではあれど、先先先代、先々代 崎、井崎家は江州水口藩加藤家の家老で、明治維新のとのことをまだ調査を得ずにいる。道之助の執筆した「春田 き、水口藩を代表し、討幕軍に一隊を率いて参加したる井直哉筆記』にも「先祖及び先々代のことはロ碑のみにて」 崎興山が祖父にあたる。それでは春田家はというと、三州といっている。まことに靴をへだてて痒きを掻くきらいが 吉田七万石松平家 ( 大河内 ) に十数代仕えてきた家で、白河ある所以はそのためだ。 楽翁に抜擢され、老中になった名君、松平伊豆守信明の教討死の用意にとて、道之助が取出したのは、麻の葉を金 くさりかたびら 育係であった人が、この一篇に登場している孫兵衛、道之糸で刺繍した鎖帷子である。これに袴をつけ、剣術の胴を 助兄弟 ( 他に二人の女があった ) の祖父であった。この人はなっけ、大刀を帯し槍をもつ、これが、母の考えた、弟息子 かなか傑出していたとみえ、盛名江戸に喧伝され、交際のの死出の衣裳である。道之助は前髪のある少年で、色が白 頬が桃色で、唇が赤い。この衣裳は似合うという以上 広大、人を驚かすばかりで、当時の学者文人画家から俳優 力士芸者まで知らずということがなかった。その息子が家に似合うにきまっている。 督相続をして後、父の富みたるを快しとしなかったのか、 債権の証文全部を返却したり焼きすてたりしたばかりでな 白井権八 く、多少、極端に奔って時勢を論じたので、和田与一右衛 門その他の老臣から睨まれ、六、七百石どりの家禄を剥が れ、百石ほどを与えるにとどめ、江戸から国許へ追い返さ幕府と運命をともにすべく、藩の方針はきまったが、前 いったごとく正月六日、その晩、大坂城中にあった徳川慶 れた。こうして、失意のうちに病んで三十七歳で死んだあ 、妻女は六人扶持の「お情け」だけで、四人の子を養育喜は、ひそかに天保山に走り、幕府の軍艦開陽丸に搭乗・ し、江戸に去ろうとし、すでに大坂城を脱したという情報 年こう書いてきて、甚だもの足らずと思うことは、春田家が、極秘のうちに、信古の許に届いた。藩の方針がここで くつがえ がらりと覆り、その夜のうちに、二、三の侍臣をつれて 代々の系図が不明のことである。江戸に天神の火事という 幕のがあって、家代々の家宝と聚集品と家伝の文献いっさい信古もまた、伊勢路をさして大坂を脱走した。 1 を灰に帰せしめた。家督名を孫兵衛といったぐらいしか判翌七日の早朝、藩の佐幕論者穂積清軒は、出陣の準備を らないので、正確に名を挙げて語ることが出来ない。甲賀して、来てみると、藩主は昨夜のうちに大坂を去っていな
で、老中側は再び使者を出し、 くと見届け、にツこと笑って絶命した。こうした気概と実 「吉田平三郎を、何日、差出されるや」 力をもった士ならいくらもいた。というのは、こういう逸 と迫った。水戸家はそれも黙殺した。 言が、寛永から慶安にかけ、数多く挙げられるからであ 老中側は三度目の使者を出した。幕府たるものが、水戸る。 家といえども、命令したるに答えもせず、棄て置くようで何にしても水戸の諸士は喧嘩は、老中相手ではあるが、 は威厳立たず、是非に返答を聞くべしと、熱を高くして使老中側に付く大名あれば、それらをも辞退なく、相手にす 者にくれぐれも厳命した。 るといっている。殺気は内にこンもり盛りあがった。 使者両名は老中の意志をその通り、小石川の水戸家へ行その日、水戸家の使者応待の役は、山野辺内蔵介他一人 、出羽 き、述べて、確答を求めた。 である。内蔵介の父は山野辺右衛門大夫義忠といい が、水戸家は今までどおり、 山形五十五万石の最上出羽守義光の子で、在世しているた 「お使いご苦労に存じ奉る」 だ一人である。 の一点張りである。それでは、今度の使者は帰れない、 使者はして、たびたび、 ひ芋 老中の意気込みでは、確答を得ずに引返したなら疑いもな 「吉田平三郎引渡しの日限りを承りたい」 と、迫っているが、山野辺内蔵介は悠々と、 く、身の上の大事になるだろう。そこで使者はフン張った。 「今日は、吉田平三郎を何日までに差出さるるか、その辺「茶なと如何」 と、落着いているのが、使者にしてみれば、弄ばれて を、確と承ります」 と、梃でも動かぬ態度をとった。 いる感がする。で、憤然として、 水戸にはそのころ、傑物が幾人もいた。戦略家から理財「たびたび、吉田引渡しにつき、日限りを申されよという 、時刻をのびのびにするは、なにゆえであるか、その答 郎家から、何から何まで、多士済々だった。戦闘の士も又揃 平いに揃い、たとえば谷市右衛門といって、江戸の下谷で寺えを承ろう」 吉詣りしているうしろから、出抜けに右の肩を斬った奴があ と、あらためて詰め寄ったとき、内蔵介のそばへ、士が かたち 鷹る。斬られた肩が落ちそうになっているのを、市右衛門は一人、近づいて何かいった。と、内蔵介が、容をあらため、 「ご案内仕る」 的早速に左の手で押えつけ、右手で抜刀して相手を斬った。 あっけ と、いった。不意打ちだったので使者は呆気にとられ 斬られた相手は両断になって死んだ。市右衛門はそれをと しか もてあそ
遠慮した。結婚が本ぎまりとなり、式を挙げた翌日から、 並べ立てます。 伊左江は嫁の不出来を数え立て、六、七日目はその絶頂、 十郎左衛門さすがに心平らかでなく、言葉すくなく反対 離別と決したのが十一日目です。これを皮切りに隠居次太すると、伊左江は血相を変え、 夫の生存中に、三回の婚礼と離縁があり、次太夫の歿後も「母の取りきめに不承知といわれますか、母の面目が立た また前後六回の結婚と離縁とがありました。前の養子のとぬも知らずにいうのではありますまい。倅が不承知を唱え きから数えると、じつに二十一回の祝言と離別とが、芦田ましたと母にいうて行けというのですか。母がその申訳に 家にあったのです。 どういたさねば武家の婦女らしゅうないか存じています 養母伊左江の存生中ま、、、 。し力な女でも芦田家で生涯をす と畳みかけて詰め寄って、譲ればこそです。 ごすことは出来ぬと、十郎左衛門は断念し、勿体なけれど こうして第十一回の祝言が芦田家で挙げられました。通 母を見送ってから、よしそれが晩婚となろうとも、いま又り一ペんの義理で、祝言の席につらなる人々のうち、芽出 しても妻を迎えるより自他の仕合せと、伊左江がすすめるたいと心から思うものは一人もない。芦田家の側はここ二 妻帯を、抜けつくぐりつしているうち、結納の贈物が母の十何年の間に二十二へんの婚礼なので、いずれ近く、或い 居間にあるのを見付けました。 は半年か一年で、二十二へん目の離別があるだろうと一向 「どなた様のご祝儀にござりまするか」 に愉しがらず、酒と料理だけは辞儀なく飲み食いしていま と聞くと伊左江は待設けていたのでした。 す。花嫁の側に二、三、様子を深く知らねばこそ、芽出た 「これはそなたの嫁女の結納です」 がっている人もあります。 「わたくし一向に存じませぬが」 花嫁は相州小田原十一万余石、大久保加賀守忠真の士 「芦田の家のため、母が計らいました」 で、浅倉左近次の次女、名は蝶といいます。良くいえば賢 代といった次から次へ、家の筋を失うては相成らぬという明過ぎるともいえます。悪くいえば傲慢な性質です。美貌 こと、不仕合せにてよろしき嫁に外れしため婚儀に心すすではあり、才気煥発でないことはないが、伊左江とではい 涙まぬはおのれあって家を忘れし不所存なること、その方のずれその内、又もや離縁と思うものが花嫁の側にはありま 不所存を母が匡すとて撰りに撰って嫁定めをしたこと、とせん。如何に芦田の後家がえら過ぎるからとて、浅愈の蝶 かな 言葉の数多く、切り口上のごっごっしたいい方で、永々とには敵いませぬ、何一ッヒケを取るものとてなし、弁舌も ただ
「あれツ」 お作は恐怖しながら、われを忘れても、それだけは忘れ「もしお前さん、早く出て行ってくださいませんか、家は 女と子供ばかりで、奉公人はみんな暇を出してしまって、 ず、亀太郎を抱こうとした。 幸助はお作の悲鳴にぎよッとして、うしろ手に隠し持っ男は手前一人きりなんですから」 あいくち 「、い配しねえでくれ、けっして迷惑はかけねえ。大きくな ていた七首を出したが、嘉吉夫婦の怯えている顔をじっと りましたね、あの子は」 みて、われと恥じて刃物をうしろ手に隠した。 「早くどうぞ出て行って頂けませんでしようか」 「お前さんは、ど、どなたです」 「そんなに追いたてねえでくれ、このザマなんだから、外 「俺か、俺は。喧嘩して逃げてきた者だ」 へ出りやすぐ首に繩だ」 「何だとて家へはいって来たのです」 「お作、しよ、つがないから、なるように放っておこう」 「ここの家へか。うむ、へえって来ちゃった」 つじつま 「でもお前さん、もしゃ亀太郎でも」 辻褄のあわぬことを云って幸助は、家の中を見廻すふり 「えツ、その子の名は、今亀太郎ってのか」 で、亀太郎ばかり眺めている。 「今ですって。もし、それではお前さんは四年前に、この 「四年前より淋しくなったな」 先の大阪屋へ押込みにはいった上に、この子を家の台所の 「え、何ですって」 「俺は、この先で四年前の今ごろだ、押込みをやったよ、外へ」 「そんなことを知るもんか。俺は大阪屋へは押込みにはい その晩も、今夜みてえに霰が降ってやがった」 ったが棄児なんて、憶えのねえことだ」 「やつばりそれではあの時のお前さんは」 「それなら、今夜、そんな姿で、何の用があってはいって 「盗つ人だよ」 来たのです」 「そんな人が何だって又」 「え。なあに、四方八方、逃げ路を塞がれて、しようこと 声「いつまで経っても、元のまんまの悪者さ。なあおい、き の なしに逃げ込んだのよ。じき出て行くから安心してくれ」 よう昼間、女がひとり、訪ねて来なかったか」 根 「もし、お前さんが、いまさら何を仰有っても、家じゃ亀 屋「何しにお前さんの知っている人なぞが、訪ねてくるんで 太郎を返しませんよ。お前さん、どうそしつかりその人に いってくださいよ、それでないとこの子が可哀そうです 「確かにくるはすなんだが、あいつ出られなかったのかし
あとずさ お作の手から嘉吉の手に移った赤子は、啼きもせす、眼嘉吉は後退りしてお作の前にきた、そのうしろでお作 が、拾い児を抱いて怯えて小さくなった。 をばちばちゃっている。 「お、つ、いい「卞たいい「すた」 幸助は台所の外を覘き、前後を見廻し、そッと、うしろ 抱いて歩く嘉吉にお作はついて歩いてあやした。 手に雨戸を閉めた。 「静かにしろ」 「どうだろうお作、朝になったらお届け申さなくちゃなら っそ , っ ないが、縁あって家の外へ棄てられたのだから、 嘉吉はお作の前に坐った、庇うつもりだ。 のこと家の子にしようか」 「ここの家は新店だな」 「そうして下さると有難いんですよ」 と幸助は、心張棒を雨戸にあて、家の中を見廻した。 「子守っ子をひとり置かないといけないかしら」 「あしたっから小僧がひとり来るんでしよう、そうした 「俺は、いわずと知れた、盗つ人だ」 ら、子守ッ子を置かないでも、きっとあたし、やって行き と店の間へ幸助は入った。 ます」 「そうできれば一番いいんだけれど」 「手荒えことは決してしねえ、声を立てるな、いしな決 どしンと家の中のどこかで物音がした。 のぞ して声をたてるな又、俺の面を覩くな」 「あれ」 お作が驚くのを嘉吉は、ぎよッとしながらも制して、赤「は、 子をお作の手に移させ、今、音のしたのは台所と見つめ「俺はお前のところへ盗みにへえったんじゃねえんだ」 「えツ」 赤子はお作の手のうちで、乳房をくわえてすやすや睡り「驚くな、こんな新店の炭屋、しかも、夫婦かけ向いで、 これから仕出そうという家へ眼なんそっけるもんか。しつ の 外は、この先でひと仕事したんだが、逃げこんできたんだ、 台所を嘉吉があけて見た、雨戸は閉っていた、が 根 いや驚くなよ。もしも捉まったところで、ここで隠匿っ 屋から開けられて、霰たばしる中から手拭で覆面した稲葉小 僧幸助が、ぬっとはいってきて赤子に眼をつけた。腰に脇て貰いましたなんていうもんか、脅かしつけて無理やりに 隠れていたというから心配するねえ」 差をさしている。 めす かば