412 脇差へ気早くも手をかける ) 前だ。何のために草鞋を穿いて駈け出してきたと思やが るんでえ。 市五郎何をジタバタ騒ぐんだ、まだ早えというのに。 ( と初蔵を宥めた ) 釜太郎どうでも話を聞けというならば、是非がねえ、聞 きもするが。 祭文語りはびッくりして、振りかけた錫杖を祭文の読みつ づきと共にとどめた。兼松は不安そうに父の許へ走って行初蔵じゃ、直ぐ来い、どこでも場所はお好みに任せよ く、聞いていた人々は、みんな腰を立てて片寄ってこの不 うぜ。 意に出現した乱暴者らしい二人連れの挙動に怯えた。 釜太郎まあ落着いて、俺のいうことをみんな聞け。俺が 子供をつれて旅へ出た、その所以は知っているだろう。 一人去り二人去り、祭文語りまでが、そこそこに去って行 釜太郎 ( 兼松をグイと引き寄せ、ジロリと市五郎を睨む ) だれ だと思ったら市に初か。 茶店の老夫婦だけが、迷惑そうに不安をもちつつ、三人の 初蔵なんだ、初だと。俺は呼び棄てにされる所以はね 尖り切った話を聞いている。 市五郎こうこう初、そんなに息むな、知らねえ人達が肝市五郎知ってるよ。手前の女房おつるが愛想をつかして をつぶしてらあな。おう釜太郎、いい処で逢ったな。ち姿を隠したからだ。ガキは男の子だから男につくのがご 定法で、手前、泣く泣く引きとって、土地を売って出た ッと折入って話がしてえ、ここでは人目が邪魔だから、 いわれいんねん というのが所以因縁だ。 どこか閑静なところでーーー心静かにとッくりと、話し合 釜太郎 ( 赫ッとなって ) 何をいやがるんでえ。出鱈目をい いをしてえんだが、どうだね。 釜太郎そうか。ある話なら聞きもしよう、が見る通り俺 は子供をつれて旅へ出たのだ、虫を起させねえようにし市五郎あせるなよ。へへツだ。 てくれろ。 初蔵ロ争いに俺は用がねえんだ。 ( 腕を叩いて ) これだ、 これだ。この他に用はねえや。 市五郎とッとと、子供を枷に、話し合うのは厭だと逃げ てえだろうが、そうはゆかねえ。 釜太郎ヘッ、女房を盗まれた揚句の果てに追ッ手をかけ てめえ 初蔵 ( 市五郎の哥児振りが甚しいとして不快に思っていたが、 て・ハラされるのか、手前達が神様にして拝んでる猪の五 急に口を出して市のいうことの先走りをした ) そうとも当り 郎七は、そういうことがお好きと見える。 かせ いわれ
久六御用だ。 嘉蔵神妙にしろ。 町の人、通りがかりの人々が集まり見る。 猪三郎 ( 逃げむとする ) 久六 ( 今度は逃がさじと、捕りにかかる ) 平造 ( 源吉に ) 行こう行こう。 源吉見てゆこうよ。 平造 ( よせよせという ) 源吉 ( 捕物に見入る ) ます。この野郎はあっしよりか、ずっと太え野郎です ぜ。 蝙蝠安あんなことをいやあがる。 ( 猪三郎に ) この界隈で よく聞いて見ろ、皆さん方に可愛がられてる安蔵だ。 見物人 ( 笑う ) 久六あんまり左様でもあるめえ。 嘉蔵厭がられてるの間違いじゃねえか。 蝙蝠安親分達はロが悪いから困らあ。 猪三郎 ( 不貞腐れて大地に寝ころぶ ) 嘉蔵こうこう、舐めた真似をするな猪三、変にしぶと くすると不為だぞ。 ( 軽く蹴る ) さあ起きろ。 蝙蝠安起きろい。 ( 蹴る ) 蝙蝠安、貰った銭で酒をひっかけいい気持ちで通りかか る。 猪三郎物が間違ってるから起きられねえ。片手落ちをさ れちゃ、 いくらお上の人だって、あっしは素直にしねえ 蝙蝠安 ( 捕物をみて ) やツ、やってるぞ。あっしも手伝 気だ。 うぜ。 久六何を、何が片手落ちだ。 猪三郎 ( 安の手伝いが最も有効で、捕われ、縄にかかる ) 蝙蝠安さあこれでいい。 猪三郎 ( 起き直って ) あっしがお縄を頂くのはわかって とうとう生捕りにしてやった、 る、犯した罪があるからだ。 いいざまだ。 ( 手先に ) へ い、ご苦労さまで。 久六安か。 ( 猪三郎の縄尻を手に絡め ) よく手伝ってくれ蝙蝠安判っていたら神妙にしろ。 久六口を出すない。 蝙蝠安口を出すない。 蝙蝠安へい 久六安、手前のこったい。 嘉蔵この野郎を知ってるのか。 蝙蝠安へい 蝙蝠安へい、知ってやすとも。この野郎はね親分衆。 猪三郎 ( 安の返事を横取りして ) あっしの方でも存じて居り見物人 ( 笑う )
釜太郎もしお前さん、長びいてはあッしに疲れが出るか 釜太郎念にや及ばねえ、さあ来い ばち 初蔵と釜太郎の斬合いを、市五郎が傍から、付け込む機会 ら、一か八か、邪魔しねえでやらせておくんなさい を眼を光らせて狙っていた。 。そんな 佐四郎女房を盗まれた男にしちゃ歯切れがいい 佐四郎は栗を啣みつつ争闘を面白そうに見ている。 ら早いとこでやってみるさ。 ( すいと脇へ寄った ) 初蔵 ( 仕損じて尻餅をつく ) 市五郎野郎ツ。 ( と釜太郎に斬ってかかり、渡り合う ) あツ。 ( 一刀、足を軽くやられて倒れた ) 釜太郎 ( 得たりと、踏み込み斬ろうとした ) 佐四郎 ( 栗をとって釜太郎に打つける ) 初蔵おやこン畜生。 ( 斬ってかかったが、偶然の機会で釜 太郎の刃に腕を刺され ) あツ。 釜太郎あツ。 ( 頬を打たれて竦む ) 市五郎 ( それを見て釜太郎に斬りつけた ) 佐四郎 ( 手を拍って ) やった、やった、ハハハ。 釜太郎 ( 受けとめはしたが腰がくだけどうと倒れた ) 釜太郎 ( 初と市をもう一刀斬ろうとして思いとどまり ) やし 初も市も、得たりと釜太郎を討取ろうと集った。 本来なら命をとる処だが、これから先、子供を抱えて流 5 ツ。 ( 栗を投げつけて二人の顔に当て ) 浪する身の上だけに、罪つくりは成るたけしたくねえ。 佐四郎野郎ツ。野良 助けてやるから、逃げて行きやがれ。 ちえツ、もう無え。 ( ヒラリと大巌石から飛んで下り、初、 市と初とは、扶け合って、あと振り向きながら逃げて行 市と釜太郎との間に割って入った ) そんなに早く勝負をつけ ちゃ面白くねえ、もッとゆッくりやらかせ。 佐四郎 ( 兼松の縛めを解く ) 初蔵何て変な奴なんだ。 釜太郎 ( 市と初のうしろ姿に向って ) おつるにそういえ、手 市五郎 ( 佐四郎に ) おう、お前は一体どういう気なんだ、 前、畳の上じや死なさねえからそう思えと。 はツきりいってくれ、考えがあるから。 佐四郎お前達の味方になる訳があるもんか、知れたこと兼松おとッちゃん。 ( と釜太郎に縋りつく ) 釜太郎おお、びッくりしたか。おとッちゃん、喧嘩に勝 坊をいうな。 ったんだぜ。もういいんだから心配するな、な。 風初蔵じゃ、敵か。 うら 兼松うむ。 旅佐四郎怨みもつらみも手前達にやねえ。 釜太郎 ( 血刀を兼松に見せぬようにして流れへ洗いに行く ) 市五郎じゃ、一体全体どッちなんだ。 佐四郎 ( 父について行きかける兼松の手をとって引きとめ ) お 佐四郎判らねえ奴だ。どッちでもねえんだよ、俺あ。
。し事、刀 市五郎 ( 驚いて見廻し、大巌石の上の佐四郎を見つけ出す ) 市五郎、初蔵の二人は、初め釜太郎を甘く見た傾きがあっ たが、斬り合って始めて容易に討ちとれないのが判ってき おや、手前は、何者だ。 たので、奸才のある市五郎が一計を案じ出した。 佐四郎俺あただの見物人さ。 初蔵見、見物人が手出しをする奴があるか。ああ痛市五郎 ( 兼松の傍に行き、刀を擬して、釜太郎を呼んだ ) ゃい え。何をブッつけやがったんだ。 ゃい。これを見ろ。 佐四郎ここへくる途中拾った落ち栗さ。そらまだ持って釜太郎 ( 初と渡り合い、隙を得て振り向く。我が子が刺されん とする有様に、狼狽して隙だらけの体になった ) いるからお好みなら又ぶッつけるぜ。 市五郎見れば堅気でもなさそうだ。今仔細あって勝負の初蔵 ( 得たりと ) しめたツ。 ( 勢いこんで斬りつけかけた ) 場合だ、黙って見ていてくれ。 佐四郎こん畜生。 ( 栗をとって二度、礫に打っ ) 佐四郎おう心得た、もうやらねえよ。その代り、勝負は初蔵あツ。 ( 顔を打たれ ) 痛え。 立派にやって見せてくれ、不意討ち、欺し討ちは搨どり釜太郎 ( 市五郎と一一、三合して追い退け、兼松を護 0 た ) 過ぎて面白味がすくねえ、ゆッくりと尋常に、双方力強兼松ああン、ああン。 ( 声を放って泣く ) 、斬ったり斬られたり、充分に面白くやって見せてく釜太郎おとッちゃんは傍にいる、泣くな泣くな、兼やお れ。 前は強え子なんだぜ。 初蔵変な奴が出てきやがったなあ。新児あいつは釜太兼松 ( 声を低くして ) ああン、ああン。 市と初とは、大巌石の上の佐四郎と、釜太郎とに備えて、 郎の仲間か知れねえぜ。 軽々しくはかかるまいとしていた。 市五郎そうかも知れねえから、その心算でかかればい、 ゃな。 佐四郎 ( 栗を咬みながら ) おい。何から始まった喧嘩なん 釜太郎 ( 兼松を立木に結びつけ終り、大巌石の上の佐四郎を一 だ。え。え。ちえツ。訊いてるのに黙ってけつかる、厭 坊 来瞥して、市、初に ) さあ望み通り、命の取りッこ。鬼の手ならいうな、聞かねえやい の 先の犬ッころめ、来い 釜太郎 ( 佐四郎に ) もし、そこのお方。 旅 初蔵何をツ。 ( と斬ってかかった ) 佐四郎何でえ。 佐四郎やれやれ。こいつあ面白そうだ。 ( ひとみはどの釜太郎お見掛けしてお縋り申します。この子をどうぞお だま すが
作蔵等、文太郎の周囲に集まる。 おなか ( 決心して ) いつの世でも、弱い者は負かされる 「水を持って来てやれ、水だ水だ」という者がある。 のが通り相場、あなた、あたしは死んだ者と、思い切っ 作蔵 ( 独り離れて ) 俺あ厭だ、文太郎の奴では、水もや てくださいまし、ね、ね。 徳之助 るのは惜しい しいえ、わたしは諦め切れない。 文太郎ええ埒のあかねえ奴等だ。 ( おなかを引摺るように引文太郎 ( よろめいて起ち ) 野郎ッ逃げたなーーー逃がすもの 。 ( 政吉等の去れるとは、反対の方へよろめいて歩く ) き立てる ) 一同、あっ気にとられて見ている。 徳之助 ( 妨げんとする ) 作蔵のみは冷嘲している。 政吉 ( この以前より、幾度か決心して逡巡し、遂に飛び出し て、文太郎の眉間を殴っ ) 文太郎あっ。痛え。 ( 倒れる ) 第二場中山七里 ( 引返 ) 政吉 ( おどおどする徳之助とおなかに ) 逃げるんだ。さあ、 南飛騨の勝景、中山七里の一部。前の日よりも一両日余り びつくりしていねえで早く逃げろ。さもねえと俺のした 過ぎ、満山の紅葉、今を盛りと色づいている頃。 ことが無駄になる。筏橋の方へ早く行け、それからの道 益田川の清流に臨みし細き街道、川沿に奇巌怪石がある。 案内は俺がする。 ところどころ松の木、紅蔦のからまれるものもある。 徳之助 ( おなかを連れて必死に逃げて行く ) しんが 亀久橋の文太郎、旅装軽快にいでたち、急いで来たる。高〕 政吉 ( 倒れている文太郎に注目し、殿りの積りで、そろそろ 山の御用聞きに助勢を乞い、同行したが、途中で紛れてし 引揚げかかる ) まい、今は一人でいる。猟師が獲物を腰にさげて通る。 文太郎野郎つ、やりやがったな。 ( 起ちあがる ) 政吉 ( 文太郎の襟に手をかける ) 文太郎おうおう聞きてえことがあるから、待て。 里 猟師旅の衆か、何だね。 七文太郎やっ政か、政吉だなっ。 山 政吉ジタバタするねえ。 ( 絞殺しかける ) 文太郎此方の方へ男二人と女一人とが来やしなかった 中 か。女は胡弓を持っているんだがーーーお前、胡弓って物 作蔵、高太郎、百松、その他、何事かと飛び出して見る。 を知っているか。
79 蝙蝠安 猪三郎のそむけたる顔をのぞく ) 猪三郎変てこな野郎だなあ、押借りをしてるのだろう嘉 郎の野郎だ。 泥坊除けみてえなことをいやあがる。 猪三郎何をいやがる。 蝙蝠安素直にいってる内は出し難いのか、やい出せツ。 しんみよう 久六・嘉蔵神妙にしやがれ。ご用だ。 ( 猪三郎の袖を引ッ張る ) 猪三郎 ( 袖が千切れる ) 野郎、袖をむしりとりゃあがった猪三郎 ( 久七・嘉蔵と格闘し、闇に入る ) 蕎麦屋 ( 怖々すかし見る、気がついて立去ろうと支度する ) 蝙蝠安そのサマで逃げてみろ、忽ち御用だ。 猪三郎 ( 縛されて、灯の圏内にはいってくる ) 猪三郎忌々しい・ハカ野郎め、こんなことぐらいで驚く俺 そばや、荷をかついで歩み、円を描ける光が移りゆき・そ 蕎麦屋 ( 槻のうしろから出て、訴えに急ぎ去る ) ばやと違う方へ、猪三郎と手先とが歩いてユる。 猪三郎が攻勢に出る。安は腕力が劣るとおもい、逃げかけ たが腕力が劣っていないのを覚り、攻勢に転じる。猪三郎 〔二幕目〕 のふところから清助の奪われた財布が出る。安は財布を み逃げんとする、猪三郎の首に財布の紐がかかっているの で逃げられない。 結局、争いの内に紐が切れて、財布は安の手に渡る。 蝙蝠安おうい、おうい。 ( 財布を捧げ清助の行きたる方へ走 り去る ) 蕎麦屋 ( 手先久六・嘉蔵を導き来たる ) 猪三郎 ( 倒れていたが起きあがる ) 野郎ツ、ぬすっと野郎め。 久六・嘉蔵 ( 左右から猪三郎の腕を執る ) 猪三郎な、何をするんだ。 久六面を見せろ。 橋の袂 日をうしろにした往来、川向うに町家がみえる。 だいどころぐち 往来の一方は船宿の台処ロ、反対の一方は質屋でもあろう か、黒塀、塀越しに緑したたる如き柳の枝。 つきがた 黒塀に背をよせて老乞食月形の熊がうずくまり、うつらう つらと眠っている。 女まじりの子供が隠れンば遊びの最中であ。飴屋の唐人 あめや
413 旅の風米坊 市五郎いや、追ツかけてきたのは俺と初との料簡だ。五市五郎一天地六の目を争う世界で息をしてる者に、野暮 郎七親分は知らねえことだ、間違えちゃいけねえ。 な理窟は通用しねえ。追い目も切り目もその時勝負の、 釜太郎市。お前は物の理解のつく方の男だから一通りい この道の者が好き合ったらどうなろうと仕様事がねえじ 、フカ ゃねえか。今更そんなに歯を咬んで怒るのなら、何でお 初蔵へへン。市五郎哥児にお弁茶羅をいっても、俺は つるさんを叩ッ斬って草鞋を穿かねえ。 とおば 肯かねえからその気でいろ。 初蔵うぬの意気地なしを棚へあげて、遠吼えをしやが るねえ。 釜太郎 ( 初には取合わず、市五郎に ) 俺にしろお前にしろ、 苦楽を生涯ともにする気の女房に、寝返りを打たれたと釜太郎判らねえ奴等だなあ。子の可愛さにひかされて、 なます したら、どんな気がする。 膾にしても足りねえ怨みを、じッと耐えておつるには、 市五郎気の毒だが、俺はそんな目にあったことがねえか 指もささずにいるこの気もちが、手前達にはどうせ判る もんか。 ら、知らねえな。 初蔵間抜けだから女房に逃げられるんだ。 市五郎ロ戦さでは勝目がねえので旗を巻いたか。では、 釜太郎間抜けかなあ。ヘッ、大きに間抜けに違えねえ。 そこらでゆッくり話し合いと出掛けようぜ。 ( 熱狂して ) その間抜けは俺だこの俺だ。女房を盗んだ初蔵今更逃げても駄目だ。判ってるだろうな。 ものを、グレてはいッこまツ、 奴を、そ、それじゃ何といえばいいのだ、いやさ手前達釜太郎堅気でいればいい の親分五郎七を間男、女盗ツ人、獄卒、鬼畜生、何とい りに、この道で親と仰いだ五郎七に子まである女房を盗 えばいいんだ。俺とこの子と二人の一生涯に、泥の筋を、 まれて、眼がさめた時はもう遅かった。ヘッ、この何年 斜めに太く引いた野郎を、何と名をつけて呼べばい、 というものを、親分大事と腕を張って、五郎七のために 寿命を縮めた揚句がこんなこととは。 市五郎おいおい、これが堅気なら、そういう理窟は立っ初蔵愚痴をいわずに腰を立てろ。 はんぎよう うるせ よ。ご判形のうらを行く渡世人の世界では、その理窟は釜太郎蒼蠅え。おい市、この子供も道連れにさせる気 立たねえ。 釜太郎親子、夫婦の間柄が、世間並とは違うというの初蔵なあに、その子は俺達が連れて行く。 市五郎いンや、どうともお前の勝手だ。 ぐ ) 0 や、 0
411 旅の風米坊 文の顔とに興味をもって見あげていた。 釜太郎兼や、兼ゃ。 ( 菓子をやろうと差し出す ) 兼松 ( 父の方を振り向き、ニッコリして菓子を貰いに行き、 食べながら又元の如く、衆に先だって祭文を見あげている ) 祭文デロレン、デロレン、デンデロレン、熊谷丹治の 直実は、おン大将に打向い、一つの功を奉る。あなたの ちょう み首頂戴いたした上からは、千町万町万々町、お墨付を 第一場奥上州追ッ員近く 頂くとも。 みんな聞き入っている中でも、茶店の老爺は祭文好きと見 奥上州の会津街道、沼田から四、五里、もうやがて追ッ貝 え、首を振って低く口真似をさえしていた。と、沼田の方 が近かろうという山道の、崖を背にして掛け茶屋が一軒あ る。 からでも来たらしい旅拵えの博徒、底沼の市五郎、梨村の 初蔵、通りかかって祭文をちょっと聞いていたが。 秋半ば、木々の紅葉は今が盛り。茶店の脇に落ちている筧 の水のあたりに、やがてくる冬を註進貌な穂の開いた芒が 市五郎 ( ギョロリと光る眼で、早くも兼松を見つけ、何の気も のびている。 つかず、通り過ぎようとする初蔵の腕をとって引戻し、低い声 ) 祭文語りが、茶店の前で、錫杖を振り振り濁声を張りあげ 初。あすこを見ろ。な、居るだろう、尋ねて居る代物が ている。 よ。 いちあに、 祭文デロレン、デロレン、デンデロレン。摂州にては初蔵どこに、どこにーーーおッ居た。市哥兄。やッちま なだい 一の谷、おン大将の敦盛と、熊谷丹治の直実の源平名代おう。 ( 笠、合羽を急いで取った ) のお話は、デロレン、デロレン、デンデロレン。 市五郎えい慌てるな。蛇が見つけた青蛙だ、逃がしたく ても逃げられねえ一本筋の会津街道。慌てるなというに。 娘をつれた父、夫婦者、それに通りがかりの土地の農夫農 ( 初蔵を制して、合羽を引廻させ、笠を手にもたせ、おのれは 婦も混って、祭文を聞いていた。もう一人旅拵えきりッと 落着き払って、釜太郎の前へ進み寄り ) おい、釜太郎。 した渡世人と見える市代の釜太郎 ( 三十四、五歳 ) が床几 釜太郎えツ。 に掛けて休んでいる。釜太郎の子、兼松 ( 七・八歳 ) がた れよりも近く祭文語りの前に立ち、錫杖の動きと、息む祭初蔵 ( 合羽も笠も放り出し ) 俺達だ、梨村の初蔵だ。 ( 長 〔序幕〕
お吉お師匠さん、又あした。 お篠まあ、おまッちゃん、そんな話どこで聞いたんでお篠は、。 す。いえ、うちの清助はまだまだ一人前になっていませお町 ( 外から出入口の内へ戻り ) 小母さん、今駈けていっ んもの、お嫁さんの話なんそ、もっと先のことですよ。 たの久六と嘉蔵ですって。 おかんあらそうかしら、清助さんのお店の大番頭さんのお篠そうでしたか。 お町岡ッ引のところの久六、嘉蔵ね、おお厭だ、あん 娘さんがそうだって聞いたのに。ねえきいちゃん。 な奴。 お吉お梅さんという名、ねえ。 おかんきのう安ともう一人、捉まえたんだて、知って おかん違いますよ。お花ちゃん。 しるきいちゃん、きようは何を捉まえるん・ ) ろ、フ。 お吉梅だって花でしよ、ねえまあちゃん。 お吉安ってばこの間、ねえ、まあちゃんまあちゃん 露路の外を駈け行く者、二人程あり。 のおあし貰わなかったねえ。 お町あらあ、何だろうねえ。 ( 起って出入口を開けて、の お町ええそう。子供からは貰わない、大人になったら ぞみ見る ) 貰う。 お吉まあちゃん、火事。 おかん おかん違いますよ、子供からは取らないとったの、貰 しいえ、喧嘩、そうじゃない急病人かしら。 お篠 ( 落着いて針をはこびつつ ) おまッちゃん、何んですわないと取らないとでは違うもの。 お町ああそうそう、そうだった。お師匠」ん又あし かわかりませんか。 お町小母さん、変な男の人が二人、あっちへ駈けて行 ったの。近所の人達、あっちこっちから覘いてみているお篠はい。 娘達、外へ出て久六・嘉蔵の行った方を見 安けど。 ( 外をのそいて ) 隣の小母さん、今のあれ、何だっ お吉あらあら、こっちへ来る、あたし行う。 ( 先に 蝠たんでしよ。 ( 外へ出て行く ) 走りになってゆく ) 蝙お篠何でもないのでしよう。さあ、お帰りなさいよ、 おかん ( 出入口から内へ ) 小母さん。今の ( 指一本を出してみ お昼ご飯がじきですよ。 せ ) こっちへ又やって来る。 おかんは、。お師匠さん、またあした。 、 ) 0
148 して倒れ伏す。母子は抱きついて泣く ) 時次郎 ( 悚然として佇む ) おや、人声がするぞ。 ( 外をのそく ) ちょツ、来やがった。おかみさん。三蔵さんの髪の毛を かんせい 切った、持って行くのだ。逃げ出すんだ。 ( 喊声がかすか にする ) 奴等大勢、東になってやってきやがった。 おきぬあ、喊の声をあげている。 時次郎早くしておくんなさい。 ( 外をのぞき ) 大分近くな りやがった。髪の毛を切ったら内懐中へしつかり仕舞う 中仙道熊谷宿裏通り のだ。死ぬ時はその髪の毛を抱いてお死によ。 まだ宵の料理はたご屋の二階で騒いでいる声、唄、鳴り物 おきぬは、。太郎吉おいで。 など混って聞える。諸所にある立木が、枯れたように見え 時次郎裏から逃げられますかい。 る厳冬だ。寒そうにして行き交う男女がある。酔って飯盛 太郎吉うン。おいらが道を知ってらあ。 と手をつなぎ忍び歩く泊り客もある。太郎吉が一人、ばっ 時次郎そうか。じや教えておくれ。 ( 外をのぞき ) いよい おびただ ねんと佇んでいる。絃入りの小諸追分が近くで聞える。酔 よ近くなりやがった。おかみさん。ほらあの夥しい足音 ッ払いが通りかかる。 だ。あいっ等みんなにかかられちゃ、十のうち十、命は ねえ。助かったら拾い物だ。坊や、泣くなよ、小父さん酔漢おう小僧。何してる。 太郎吉 ( 顔をみて答えず、脇を向く ) がついてらあ。 太郎吉うン。泣きやしねえよ。 酔漢おや、この餓鬼は唖かい。 外の声わあツ。わあツ。 ( 多人数の足音が次第に近くなる ) 太郎吉唖じゃねえやい 時次郎 ( 燈火を消し、裏口の戸を開く、月が照っている。外を酔漢はあ成程、声が出やがらあ、何してる。 , フか、が、フ ) 太郎吉ばんやりしてらあ。 おきぬ ( 太郎吉と共に三蔵に合掌し、裏口へ出て行く ) 酔漢ははは。晩飯時分を取り外して遊び呆けやがっ 時次郎 ( 三蔵に片手拝みをして出て行き。戸を閉める ) て、おん出されたな。 外の声わあツ。 ( 直ぐ近くなる、入口より数人、抜刀して躍太郎吉違わい とき り込む。喊声はまだ続いている ) 〔二幕目〕