毘沙門 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第15巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第15巻〉

駕籠が車の出鼻に出る、駕丁は諜し合せる。車夫組はイラ 頭でつくってみせる ) イラする。 3 毘沙門嘘をつけ、それん許りじゃ煙草一服のヒマもあり 駕丁連ホイホイ、ホイ。ホイ。ホイ。 やしねえ、何をいやがる。 駕籠客嘘と思うなら、この時計の針の動くのを見ている車夫連 ( イ御免。 ( イハイ御免よ。 駕籠連ホイホイ。 カよし 車の前を千鳥に縫って敵の前進を妨げる。 四丁目胡麻化すな胡麻化すな。 車夫連ハイ御免、ハイハイ。 ( 駈け抜けられず、段々と苛立 その間に車夫組も駕丁組も、出発準備をする。いずれも決 ってくる ) 勝の前とて、脛に霧を吹きかけたり、腰を屈伸さぜたり、 駕籠客 ( 駕籠の中で車を振り返って笑っている ) 脛を揉んだり、用意万端に怠りがない。 毘沙門 ( 四丁目と共に車の上でヤキモキしている ) 駕籠客それツ、五分時間経ったぞ。 薬売りその他、両茶店の娘、その父と母とが外に出て、呆 駕丁連わツ。 ( 駕籠の持ち場に就く ) れて見ているうちに、駕籠が先になり、車が邪魔を払い得 毘沙門それツ、負けるなみんな。 ず、左の方へ行ってしまう。 毘沙門と四丁目とは車に乗る。 車夫連わツ。 ( 車の持ち場に就く ) 薬売りその他はポカンとして見ている。 お玉とお杉とは茶代を請求に、駕籠と車とに駈け寄り、丸 盆を出し「あのう」といっている。駕籠の客と車の客と、 同時に茶代を渡す。 四丁目出掛けるのは一緒だそ。遅い速いがあってはなら ねえ。 駕籠客もとよりだ。 駕丁と車夫とガャガャいいながら同じ線に立ち、左の方へ 向い敦囲む。 駕籠客・毘沙門 ( 同時に ) それツ。 ばか 第二場電線の凧 川崎から品川までの間にある、とある道路。道路の中央に 電柱が建てられ、京浜間試用の電信線が架かっている。 電線には凧が搦みついている。車夫組はここまで優勝して きたが、ヘ トへトに疲労して四人ともへた張っている。客 の毘沙門は車の上でグッタリとなり四丁目は蹴込みへズリ 落ちて太息をついている。 通行人が数名。この態を見て肝を潰し、逃げるが如く振り 返りつつ去る。

2. 長谷川伸全集〈第15巻〉

ざわざ永えこと憩んで見せたんだ。このくらいに人力車 駕籠のお客さん。 毘沙門待った待った。おい、 駕籠客 ( 巻煙草を啣え、火打ち道具で火を摺り煙を吸っている ) は速、、 このくらいに駕籠は遅いというのを実地に見せ 学 ) 0 何ですか。 毘沙門官許御免人力車が、どのくらい速いかわかったろ駕籠客だれに見せた、そういう速い遅いの差を僕に見せ うねえ。 ないではないか。 駕籠客いや一向にわかりませんな。 四丁目だって、お前さんここに居ねえもの。 四丁目どのくらいここで、俺達が待合せていてやったか駕籠客居させてからに見せなくては、証拠にならない。 わからねえぜ。 毘沙門そ、そんなわからず屋があるもんか。みんなだっ て知っている。 駕籠客何時間待ったというのですね。 四丁目え、そりや随分長かった。半日ぐらい待ったか知駕籠客味方の証言はアテにならないのですよ。 じか らねえ。 ガラ鈴斯うなったら直に掛合おう。留、頼むぜ。 駕籠客半日ぐらいとは何時間のことかね。 能書留心得た。ゃあ若い衆、御免車の速さがわかった 毘沙門へら棒め。半日はいつになっても半日だあ。 駕籠客半日待ったという証拠は。 蜜柑松何をいやがる。速いという証拠が出せねえで、お 毘沙門え。 前のお客さんはグッと詰ったじゃねえか。 駕籠客君達がここで、半日ぐらい待合せていてやったと荒神吉こうこう俥屋。駕籠はな、そんな不器用な物と違 飽くまで云い張るなら、僕の方でも同じようなことをい ってイキだよ。人力車が歌冫 こも発句にもなるけえ。 おおな います、我々も途中でうまい物を売っていたので半日ぐプキ安べらんめえ大成りだ。ぬしをお客にあたしが曳い らいかかって、そこで憩みながら食べてきた。 て、飛んで行きたい出雲まで。知らねえかい。 四丁目べら棒な。おい、勝負の最中だよ、おい。 竈辰何をいやがる。そりや違わあ。ぬしをお客にあた 駕籠客勝負の最中は君達も僕達と同様さ。君達は何のた しが担ぎ、飛んで行きたい出雲までといってな、駕籠の めに半日ぐらいここにいたんだ。さっさと東京へ先に行員だい。 けばい、ではないかね。 能書留第一何じゃねえか、お前達は一人の客に二人がか そりや、 ぎとくれば四 ら

3. 長谷川伸全集〈第15巻〉

( 四丁目と共に水貰いに去る ) 四丁目叔父御ーー叔父御、どうした大丈夫か。 毘沙門 心配ねえ大丈夫だとも。何のこれしきにーーとはガラ鈴この中で、一番勇気のあるのは誰だ。 いうものの、首が千切れるかと思ったぜ。なあ四丁目、 プキ安俺だろう。 ものみ 速いのも、 しいがこう速くては眼も眩るが、首の骨がガクガラ鈴じゃあ物見をしてくれ。 ガグする度に、欠けて行くような気がするなあ。 プキ安よし心得た。 つが 四丁目俺あ腰の番いが変になった。帰ったら早速千住へ 腿がすくんでいる。漸くにして車に近づき、蹴込みに上ろ うとするが、脚があがらない。 治療に行かざならねえ。 くるまや てき 毘沙門おやおや、俥屋連中、まさか死んだのじゃなかろ能書留どうだどうだ、敵は来たか。 プキ安さあ、どうだかなあ。 四丁目ここを先途と無性矢鱈に駈けたもんだから、勝ち御家七まだ見えぬか。 は勝ったがへた張った。おう、みんな、死んだのじゃなプキ安俺の膝はガグガクするが、みんなはどうだ。 かろうなあ。 ガラ鈴こんなことをしている中に、駕丁に勝たれたら、 かしら ガラ鈴 ( 頭を擡げ ) へえ、生きてます。頭、こうなると欲二百七十六人の仲間に面目ねえ。 はねえ、酒も女もいりません、水が飲みてえ。水だ水だ。 能書留人力車を発明した人にだって顔向けが出来ねえ。 あわ ひつじよう プキ安何だ、水があるのか。 御家七かかる時には、四人合体して力を協せなば、必定 あわ 能書留慌てるな、水はねえんだ。唾も出やがらねえ。 起てぬこともあるまい。 ちからみず かた 御家七何と頭、勇気をつけるカ水、よろしくご工夫願いガラ鈴そうか。じゃあ、みんな集まれ。固まれ。そらい たい。さるにても、駕丁共はどういたしたか。 いか。 ( 四人一緒に背中合せになり ) 一、 毘沙門 ( 車の上で振り向き眺め ) 安心しな。影も形も見え車夫連三ようと。 ( 背中押しをして漸く起っ ) 能書留 ( 一番左の方にいる ) どうだどうだ。 車ねえよ。 ガラ鈴俺にやよく見えねえ。 人ガラ鈴そう聞くと尚更、水が飲みてえなあ。 籠四丁目叔父御、あすこに人家があるから行 0 て水を貰 0 プキ安 ( 一番右の方にいる ) まだ影も形も見えねえ。 て来ようか。 御家七拙者とても立っておられぬ。 毘沙門頼む味方の勇士のためだ。貰い水に出掛けるか。 四人ともズルズルと、地に坐ったり倒れ伏す。毘沙門と四 せんど

4. 長谷川伸全集〈第15巻〉

屋彦兵衛一件では、権三君、助十君などが現れて、大岡れ、道中鎬をっているのも何かの因縁だ。今までのと 越前守君に公明なる捌きをさせたのは、実に君等のよう ころではあッし共がまさに勝利だが、この先の処でお前 けつまず な駕丁君があったればこそだ。 さん方は蹴躓いて転んだから、この勝負は預りとして、 土手六 ( 訳が判らす ) へえ、成程。 早速取り直しと角力ならいうところだ。ここから東京芝 たもとかぎ ガラ鈴 ( 駕丁を冷笑す ) 何をいやがる。 口一丁目新橋の袂を限りにどっちが速いか勝負をしよう 、 0 蜜柑松何だと。 「すは」と車夫組、駕丁組がイキリ立つ。 駕籠客望むところだ。なあ若い衆ゃ。 毘沙門 ( マッチで煙管の莨に火をつけていたが、四丁目と共に駕丁組 ( 気色ばんで、てんでに、わやわや猛り立っ ) 車夫組を宥める ) 車夫組 ( 負けずに猛り立ち睨み合う ) なんとき 駕籠客 ( 駕丁組を宥める ) 毘沙門そうきまったら何時でも、そっちの都合次第で出 ン , 門もし駕籠のお客さん。 立するぜ。 駕籠客何ですね、人力車とかいう物のお客さん。 駕籠客 ( 時計を帯から引出し ) ではーーー今から五分時間の 毘沙門あッし共は江戸の者で。 後に、一斉に出立としよう。 駕籠客僕は江戸の者ではない、東京の住人ですよ。 駕丁、車夫の中で五分時間が判らず、片手を出して聞きに 四丁目江戸も東京も一つのことだ。 くる者がある。駕籠の客は時計の針を誇り気に示して説く 毘沙門と四丁目とは五分時間とは何かよく判らずにい 駕籠客老人と青年とは同じでない、生きてる人と死んだ る。 人とは違う。同じ人間でも男を女といわない、女を男と はいわないが如くにね。 四丁目 ( 口惜がって ) 五分時間というものは、モノでいえ ガラ鈴そんなことはねえ。人間を捉まえて、どこの馬の ばこのくらいのモノよ。 ( 両手で二尺ばかりの幅を造ってみ 骨だといわあ。 せる ) きゅうりわきま 劫駕籠客物の窮理を弁えん奴は話にならん。窮理とは理を駕籠客五分時間とはそんな物ではない。 きわ 窮めたということさ。 四丁目何だと、そんならどのくらいの長さだ。 きゅうりなす 毘沙門胡瓜か茄子か知らねえが、お前さんとあッしとは駕籠客この時計の長、 + 、 し金カこの文字と文字との間だけ 口をきくのが今初めてだが、駕籠と人力車と敵味方に分だ。だからこのくらいだ。 ( 時計の文字盤の五分間の幅を指

5. 長谷川伸全集〈第15巻〉

367 籠人力車 プキ安 ( 脛を叩いて ) はツ、はツ、この通りだ。 さっ 見廻り左様かな。拙者にしてみれば、美人で貞節の妻と御家七 ( 溜息をついている。朋友と邂逅したのがいけなかった かほう のである ) なら、いかに零落しても果報でござるが : み、っ・ かごや かしら 御家七左様に思わるるか。はて、人はおのおのの身の置能書留さあ乗ってください頭、そしてから駕丁のくるの を待って、降参するかどうか一ッ掛合って下さい。成る きどころで、かくも考えが違うものか。 四丁目 ( 車の上にのばり、毘沙門は蹴込みに片足をかけ共に、 べくならここで降参して貰いてえもんだ。何といっても くたび 駕籠や来たると見ている ) ややツ。来たそ。 草臥れたからねえ。 ガラ鈴そりやこそ、みんな確りしろ。 ( 留、安が疲れを忘ガラ鈴ゃいやい留、弱音を吹くない。 れて飛び立っ ) 毘沙門 ( 車に乗り ) しいってことよ。さすがの駕丁も、 御家七すはこそ。 ( 飛び起っ ) これ程遅れたのではグウの音も出めえから、降参するに 見廻り ( 呆れて後へ退がる ) きまってらあな。 四丁目やあ、違った違った、横路へ逸れちゃった。 四丁目そうだとも、御免車の速さを奴等も思い知っただ 車夫連 ( 何だという顔をして地に坐り込む ) ろうよ。やツ、来たぞ来たそ。 見廻り ( 人夫が凧をとるのを指揮する ) 車夫連 ( 昻然として持場に就いて待っ ) 御家七 ( 切りに、人生の変転を考えつつ溜息をついている ) 駕籠が漸く来たる。駕丁の疲労甚しく、頗るよたよたとな 毘沙門 ( 四丁目とは別の車に乗って物見をする ) り、客もまた疲労が加わっている。とうとう駕丁は駕籠を 投げ出してへた張る。 客は外へ四ン這いに転がり出る。 第三場大男の車 駕籠客ブップッ。 ( 口にはいりし土を吐き、起きあがる ) 前と同じ場所。車夫組も二人の客も、元気を大分取り戻し、毘沙門開化の乗り物がどんなに速いか、もう一度見せて 出発の支度をしている。水桶はもう返却されて無く、電線 やれ。 の凧も取り除かれてある。 四丁目そら、威勢よく駈け出せ。 やす ガラ鈴 ( 仲間を代表して ) このくらい永く憩んだら、もうガラ鈴そら出るよ。 大丈夫ですから乗っておくんなさい。 車夫連おい来た。 ( 車がたがたと動く )

6. 長谷川伸全集〈第15巻〉

駕籠客 ( 駕籠の中で手をあげる、駕籠が右の茶屋前に下され さを書きあげて、東京中へひろめにゃならねえ。 る ) 毘沙門だからよ。勝負を綺麗にやろうというのだ。 お玉 ( 商売敵のお杉に「それ見るがいい」という素振りをし 車夫え。 て愛想よく迎え水手桶を二つ持出す ) 毘沙門みんなも知ってる通り、駕籠の奴等は隹 . りやがっ て、ハナ棒の一人が蹴損き、駕籠を引繰り返しやがった駕丁 ( 四人ともガャガャいいながら、思い思いに水を飲む ) 駕籠客 ( 毘沙門等を尻目にかけ、 床几に腰かけ ) 若い衆や、 ろう。 うち ここの家にあるもので、気に入った物があったらドンド 四丁目 しい気持だった。 ン食いな。 毘沙門駕籠から抛り出された客の奴が、うしろから大声 蜜柑松 ( 仲間を代表して ) へえ、有難う存じます。おう皆 で文句をつけたのを、みんな知ってるか。 おっしゃ な、旦那がああ仰有ってくださるのだ。遠慮しちゃ却っ 。 , 門これで勝ったとて、本当の勝ではねえ、天災に付て悪い、好きな物をご馳走になろうじゃねえか。 け込んで勝をとるとは勇士のとらねえところだ、とこう竈辰おいしよ。 ( 吉、六と茶屋の中〈入りかける ) 吐した。だから俺はここで奴等を待合せ、更めて新規蒔駕籠客と、と、だがな若い衆や、変な物を食って頃 ~ 気を 挫いちゃ困るぜ。いいなそれさえ判ってれば何でも食い ここから東京までに勝負を決しようというのだ ~ 旦しに、 が、みんなはどう思う。 四丁目成程。そういわれてみると、その方がモノが綺麗蜜柑松 ( 仲間と相談し、冗食い否決をする ) だ。どうだみんな、ここで駕籠の奴等を待合せ、尋常の駕籠客おや、何にも食わねえのか。 蜜柑松へえ。みんなと相談したところが昨今出来星の乗 勝負をしようじゃねえか。 り物に、万一にもヒケでもとったら天下の物笑いにな ガラ鈴 ( 仲間を集めて相談する ) り、何百年か続いてきた駕丁渡世の名が廃れますから、 威勢のいい掛け声が聞え、右から垂れを刎ねた一梃の駕籠 日本中の駕丁一統のため、飲みてえ酒だが辛抱すると、 に四人の刺青ある駕丁がっッ走り去る。客はザンギリ頭、 かように一同の者が申しますので。 開化の風俗、白縮緬の帯に時計の鎖の太いのが目立つ。鞄 おうらい を持っている。駕丁は江戸時代その儘の密柑松、竈辰、荒駕籠客いやあ感心、オーライ応来。それでこそ由緒の古 神吉、土手六、いずれも車夫に反感を持っている。 い駕丁手合いだ。君達のような人があればこそ、小間物 けつまず あ すた ゆいしょ

7. 長谷川伸全集〈第15巻〉

そ。 力車との勝負は、申さば、ご一新前が勝っか、ご一新後 毘沙門 まあまあ待ちなよ。 が勝っかなんでございますからねえ。 四丁目待てとは叔父御、何故なんだ。 ガラ鈴ちえツ、能書留がまた始めやがった。 なにしな 能書留早い話が、新しい物ほど諸事万事何品に限らずよガラ鈴あいつらがここへ着くのを待って更めて勝負を仕 直すのですか。 ろしいに決っております。先年の戦さだってそうでござ いましよう、剣術の名人だって、一発ズドンとやれば毘沙門四丁目も、みんなも聞いてくれ、大山街道から本 早速打死だ、たとえ一生涯苦心して習い覚えた免許皆伝街道へ出たところで、らず一緒になったのはあいつら の駕籠だ。何の急用か知らねえが、一梃の駕籠に四人の の腕でも、新しい鉄砲というものにはいろはの犬でかな くりからもんもん 駕丁、その駕丁に倶利加羅紋々を揃えたところは、去年 ワンかなワンでございますからね。 あたりまでなら見事とも剛勢ともいうところだが、只今 毘沙門、四丁目は留を扱いかねて相手にしないで他の話を じや時勢遅れだ。 している。ガラ鈴他二人の車夫は留に構わず、思い思いに 休憩している。以前から憩んでいた人々の内で、東西に発四丁目その時勢遅れの駕籠が、俺達の御免車を追い抜こ むたい うとしやがったので、無態こっちは癪に支った。 足した者もあるが、まだ薬売り甲乙と、夫婦者、老商人な どが残っていて、遠い道路の方を囁き合いながら望み見てガラ鈴そうですとも。東京市中なら御免人力車が、どの くらいの威勢のもので、駕籠をどのくらいに凌いでる ふみだ 左から右へ進むのが 遠く駕籠を担ぐ四人の男の頭だけが、 か、皆さんがご承知だが、旅へ踏出すとそういかねえ。 あふ 見える。 だからあいつらも、身の程知らず我々の人力車を、煽り つけて追い抜こうとしやがったんだ。 四丁目おや、来たな野郎共が。 とうろう 御家七蟷螂の斧をふるうて童車にむかう、哀れ憫然な駕 毘沙門ああ、あすこに見える。 御家七 ( 仲間を顧み ) いずれも、敵が追々間近く参った丁どもじゃ。 カ 負けるな そ。 こっちも張り合い、あっちも張り合い、 人 籠プキ安さあ来やがれ。 勝てと、双方喧嘩腰でここまでやって来たんだが。 なんとき かしら プキ安勝負はまだこれからですぜ頭、東京へ着いて何時 ガラ鈴さあ頭、乗ってください。 だてん たったら、やっとこさと駕籠が着いたと、双方の速さ遅 能書留駄天走りだ。駕丁めら、目に物見せてくれる さわ しの びんぜん

8. 長谷川伸全集〈第15巻〉

ら、違やがらあ。今のこの水のうめえこと、ある金なら 出足が鈍るようだったら一大事だ。勝たねえじゃあ面が 千両ぐらいやってもいい位だ。何とまあ、大いそううめ立たねえんだから、その料簡で飲むなら飲みな。 えなあ。 ( ガブガプ飲む ) ガラ鈴 ( 仲間と顔見合せて ) へえ。 寺、よう 御家七誠に左様じゃ。 ( 水を手盥に入れ手拭を絞って汗を拭毘沙日 今飲む一合を預けとき、東京へ着いてから勝祝い こころよ う ) うう、これはまた千金の快さじゃ。 を一升ずつ飲むか。え、どうだ。 プキ安 ( 手桶の水を手で掬い飲む ) ガラ鈴 ( 仲間の意見を聞き合せ代表となる ) へえ。有難うご 能書留 ( 安に ) ゃいやい、汚ねえ真似するねえ。 ざいます。あッし共も旧弊な駕籠に負けたとあって くるまひ プキ安え。 は、東京二百七十六人の車曳き仲間に面目がございませ 能書留 ( 素早く安の水を飲む ) ああこれで生き返った。ど ん。酒と聞いては眼のねえ連中ですが、大事な勝負の折 れもう少し生き返ろう。 ( 安を掻きのけ、水手桶に近づく ) 柄ですから、唾をのんで、ここの処は一番我慢をいたし プキ安やいやい、人のいいことをするな。それじゃ順番ます。 毘沙門 が違わあ。 ( 留を掻きのける ) いやあ、見あげた覚悟だ。本物の戦でいえば忍び 、たび 毘沙門おう、味方の勇士の面々、草臥れていても元気一 の緒を切り香を焚き込めという処だ。さすがは江一尸ッ子 むだ 杯で頼母しいぜ、だが、冗に騒ぎ廻って体をつかって貰揃いが気に入った。 いたくねえ、何といっても大敵だ。旧弊駕籠とはいうも四丁目なあ勇士の面々、屹と勝ってくれ、頼むぜ。みん か 1 一や のの古い昔からある駕籠だ。それに駕丁が四人共、見る なの方は一一百何人の車曳き仲間を背負って勝負を争うの とびもの からに強そうな奴ばかり揃ってやがるから、汕断はなら だが、俺の方は江戸の花といわれて来た鳶の者が、えた ねえ。 いの知れねえジャンギリ頭の客とする勝負だ、負けたが つらだ 四丁目戦さでいえば今までは序の巻で、これからが本当最後、組合へ面出しが出来なくなっちまわあ。 ( 毘沙門に ) の火花を散らしての勝負だ。さあみんな、酒がよかった ねえ叔父御、そうでござんしよ。 ら飲んでくんな。 ( 車夫連中は酒と聞いて勇み立っ ) と、と、 毘沙門そうとも。乗りかけた舟。じゃねえ人力車だ。勝 たずにこれが居られるか。 一寸待ってくんな。いうまでもねえが、駕籠と人力車と どっちが速いか、勝負はこれからが大切なところだ。何能書留ご尤もでございます。仰有る通り、古い旧弊な駕 ふさわ もこちとらは酒は惜しみはしねんだが、もし酒のために 籠と、日進月歩の時勢に相応しく生れて出た官許御免人 たのも たらい きっ おっしゃ

9. 長谷川伸全集〈第15巻〉

駕丁連何を。 に一人かかるんだ。大急ぎだとて二人しかかからねえ、 贅沢いっても三人までだ。そればかりか、今に見ろ、二車夫連何だと。 駕籠客まあ待て待て。車の方の諸君、君達は一を知って 人の客を一人で輓く車が出来るから。 土手六ナマをいうな。一人の客に二人かかろうと四人か 二を知らないからいけない。駕籠は遅いかも知れない。 しかし遅いというだけで、良いところまで悪いとするの かろうといいじゃねえか。一人でも多くかかれば、それ はいかんね。 だけの銭になる。詰る処が働き口が多いので結構なん だ。手前みたいに二人の客を一人で輓くなんて喜んでや毘沙門へン、乗り物は速いから乗るんだ。駕籠のどこが いいんだ。 がると、今に百人の人間を一人で輓くようになってみ ろ、飯の食いあげになる者がどのくらい出来るか知れね駕籠客風情だな。味だね。 えそ。開化は便利だと嬉しがっていねえで、一台を十八四丁目そんな物なら人力車にもあらあ。 駕籠客無いね。無いから僕は乗らないんだ。 人で輓く車でも発明して貰やがれ。 おおかた 蜜柑松手前達は、何かというと車が速いというが、上り毘沙門大方、人力車に乗ったことがねえんだろう。 駕籠客無論だ。 坂へかかって見ろ、駕籠の方が余ッ程速いやい ガラ鈴駕籠が速いというのか。ヘッ下り坂へかかって見四丁目じやわからねえ筈だ。 駕籠客ところがだね。僕は頭はこの通りジャンギリだ。 ろ、御免人力車の速さは鉄砲玉以上だあ、 時計も持っている、万事が新奇だ。このくらいに新しい 竈辰車なんて何のザマだ、小さな石に乗りかけても、 ひなん 横倒しになって手足を折るか首の骨を折るかだ。命が大物を知っていて、人力車を批難するんだから間違いはな 事な人はみんな駕籠に乗らあ。 毘沙門じゃあ、古がり屋の新しがり屋だな。 プキ安動くたびに頭をゴッゴッ打つける駕籠と違って、 駕籠客君達は新しがり屋の古がり屋さ。 車人力車は四方見晴しだ。 カ 荒神吉何をいやがる。ハイハイ御免よ。間の抜けた商売四丁目一緒にされてたまるものか。 人 駕籠客君達は煙管で煙草をすうのにマッチを使ってい 駕だあ。 ふくろう 能書留ホイホイと梟みてえに啼きやがって、何のザマ る。新しがり屋の古がり屋でなくして何そやだね。 四丁目そういうお前さんは、巻莨に火をつけるのに燧打 あじ あたら ひう

10. 長谷川伸全集〈第15巻〉

359 駕籠人力車 / 、と 大きな興 力車が近 遅いのだが すよ、いくら馬鹿でもお多福でもね。 車夫 ( 四人の声々 ) ハイハイ御免、ハイ御免よ。 肥州士あぎやンもな見たことのあるや。 お杉ええ見ましたわ。この間、ここを通って行ったん 人力車二台、曳き子、後押し付きで走ってくる。乗客も疲 ごめんぐるま ですもの。御免車というものは、速いには速いが、気付 れてるが車夫はやや強く疲労している。左の立場茶屋前で け薬を一服飲んで乗らないと、目が眩るんですってね。 梶棒を卸す。 びしやもん 乗客は髷のある東京の鳶頭で毘沙門の頭に、四丁目の若頭 肥州士そぎやンこと無かたしな の二人、いなせな風俗、大いに江戸前で腕に刺青がチラチ 薩州士 ( 肥州の士に眼で行こうと合図し南洲の「逸題」の詩を やしな ラ見える。相州大山へ普請のことで行って来た帰途であ 吟じながら、連れ立って去る ) 虎を養わず豺を養わず、ま とじよう ぶんそくきゅうち る。 たこれ九州叫の一涯、七百分束旧知の処、百二の都城み 車夫は明治初期の画にある如き風俗で、ガラ鈴、御家七、 な我が儕ーー プキ安、能書留の四人である。 お玉知ったか振りをしないがいいわ。 お杉 ( 人力車連中が自分の店の客になったので、お玉に「そ お杉何も知ったか振りなんかしやしないわ。 れ見ろ」という態度をする ) しし加減なこと お玉御免車に乗ると目が眩るなんて、 お玉 ( 口惜しがって地団駄を踏む ) はいわないがいい。 人が聞いて笑うよ。 お杉だって、あんなに速く走るのだもの、目が眩るに毘沙門 ( 太息をつき ) や、ご苦労ご苦労。みんなの骨折り きゅうへいかご りあい で、生意気な旧弊駕籠を、遙かうしろに追い残してくれ 決ってるじゃないの。物の理合がそうに違いないわ。 た。げえツ、、い気持だ。ゅッくり休みな。 ( 下車して床 一同 ( 車の走る方向に体を向けて、熱心に、驚奇の眼で見てい 几にかける ) る。車は茶屋の前へ次第に近づいて来たのが、一同の様子でよ 四丁目 ( 床几にかける ) 始めの内は抜きっ抜かれつで、ど くわかる ) う勝負がつくかと心配したが、この分ではこっちの勝 お玉とお杉とは、声は聞えないが、まだイガミ合いのロ喧 りゅういん だ。ああ、これで溜飲が下った。 嘩をしている。 四人の車夫は、お杉が持って来た手桶の水を争って飲んで 車夫 ( 四人が掛け合いの声 ) ハイ御免。ハイハイ、ハイ。 御免よ。 ( 車輪の音が次第に近く聞えてくる ) 一同 ( 右の方から驀然に飛ぶが如きーーその実、今から思えばガラ鈴フウ、ああうめえ。水は酔ざめに限ると田 5 った わともがら