疵高倉三幕五場 〔序幕〕第一場高倉の家 ( 会津 ) 第二場東郷の門前 ( 会津 ) 〔二幕目〕第一場日本橋 ( 江戸 ) 第二場又八郎借宅 ( 江戸 ) 〔大詰〕高倉の家 ( 江戸 ) ーー〔時〕自寛永一一十年五月至慶安一一年五月ーー 高倉長右衛門東郷茂兵衛小手森喜六 姪まさ弟又八郎丸岡朴庵 老僕佐兵衛妻すが 駒泉卯平 上沼庄助一子又市 老僕久内・小者三平・小者馬蔵・鷹野志麻太・岩月当之助 ・供の者そろ七・可内・奴権十・侍女そで・老武士・孫・ 憂鬱になれる武士 ( 三人 ) ・道具屋・通行の男女・等。
しゃ 有いましたつけね。 亥蔵あッあすこへ、話しながらくる姿が見えて来た。 治兵衛へえ、さようでございますよ。 文吉どれ。 ( のび上って見おろす ) 遠くに先の娘達の唄う声、聞ゆる。 亥蔵もう岩の蔭になっちまった。 ( 文吉の手を取って急 さった 娘の声なんば薩垣が高いというても、花のお江戸は見え ぎ出す ) ねえ文さん。あれ同類か知ら、道連れかしら。 やせぬ。 文吉気の毒に、若い方の男は二番坂まで下らないうち 治兵衛あ、ありや今の娘達がうたってるのですね。 に何か奪られて、谷へでも蹴込まれるだろう。 七 ( 前後に気を配りながら ) もし、ここで一服やって 亥蔵そ、そんな話はもう止そう。ああ厭だ厭だ。 なが 、し、これから先は下り 二人はビクピクしながら大急ぎに立去る。 行きましようか、丁度眺めもいし 蜩が鳴く、 だし、道もいいから楽なものです。 ( 岩に腰をおろし、煙 山の娘三人。炭俵を背負って、陽気そうに唄をうたって来 草をふかしながら、人の有無を確かめる ) る。 治兵衛 ( 小七の向う側に腰をおろし、油断なく時々険しい眼を 山の娘 ( 唄う ) 泣くな歎くな江戸まじや行かぬ、箱根山向ける ) 七熊吉さんとか仰有いましたね。美濃の方で永らく 越しゃ帰り来る。 娘達唄いながら去る 辛抱していなすったといったが、シコタマ溜めて江戸へ お帰りですね。結構でございます、人間、それでなくち お旦那小七 ( 四十余歳、旅姿、道中差をさしている ) 縄抜 ゃいけませんよ。 け治兵衛 ( 三十歳前後。同じく旅姿。振分荷物、道中差を治兵衛いえ、手前どもでは、頂くものを頂かないで、溜 さしている ) 来たる。治兵衛は娘達の方を振り返って見 めたところで、知れたものでございます。 七そりやそうだ、わたしも若い時から随分溜める気 たもと には何度もなって見たがいやもう、溜まるものは袂くそ 七今の娘達は、ああやって山から里へ炭を売りにゆ ばかり、しかし、今度こそ少しばかりですが、溜めまし くんですよ。 なじみ たよ。伊勢には馴染も出来てくらしよかったのですが、 治兵衛そうでございますか。江戸の娘と違って、えらい 思い切って江戸へ十一年振りで今度帰ります。 ものだ。カわざは男もかないませんね。 まえ 七お前さんは、この道中の下り旅はお初めてだと仰治兵衛それはまあお芽出たいことでございます。 おっ 小 小
8 法華信者の廻国者が外を通りかかる。 廻国者はて。 ( 見廻して ) 道を間違えたのでなければよい いんん が、 ( 門口から窺き、慇懃に ) もし、ちょっと伺いとう存 じます。 お作よ、。 。し何ですね。 ( 振り向く ) 廻国者今市へまいるのには、この道を行けばよろしいで 」ギ」いましょ , つか。 平八母の家 お作今市なら、ここをまっ直ぐゆけばいいんですが、 鬼怒川峡谷、藤原村の平八母お作の家。 おや、お年寄が、一人旅ですか。 慶応二年秋、紅葉、日に映えいる昼。 廻国者は、、どのくらいまだございましよう。 お作四里半とまではありませんよ。 お作の住居は、昔全盛のころ若い者の溜につか 0 た手狭な廻国者四里半。まだそんなにございますか。 ( 太息をつ 一棟。以前の母屋は、数年の風雨に荒され見るかげもなき おおくわ 廃屋となっている。 お作大桑まで三里少し、それから今市までが一里半足 かいまいかいどう 垣は破れ門は傾いているが、遠近の紅葉が、眼も眩むばか らず、でも、牛も馬も通る会津の廻米街道ですから、 り . に天しい い道ではありませんが、丈夫な足なら雑作なしだが、見 たところ、余り丈夫でもなさそうな、何だったら大原か たかとく 縁側の日向に、糸車をもち出し、母お作 ( 四十八、九歳 ) 高徳で、百姓家に頼んでお泊んなさるがいいねえ。 が糸を紡いでいる。 廻国者ご親切に有難う存じます。おかみさんは江戸の方 どこからか耳採りの村の娘達の唄う声が聞えてくる。 のようでございますね。 唄 ( 声 ) お前おとこなら、アノ、鬼怒川の ( 二人合唱の囃子 ) お作ずッと昔はね。 ( 寂しげに笑う ) コラサノサア。 ( 一人の声 ) 水の流れを堰いてみや。 ( 合廻国者江戸か。江戸という一一一一口葉をこの十日余りすっかり むしよう 唱 ) ョイサノサア、ヨイヨイナア。 忘れていましたので、江戸とただいっただけでも無性に 団扇太鼓の音が遠くから聞え、やがて近くなり、老いたる なっかしくなって、眼の中に涙が溜ってきます。 〔序幕〕
492 さん、これも恋路さ。お邪魔さま。まだ弥之さん、あが おきの今のロぶりは、そうでもなさそうだったけど : ってこないの。 。ねえ、おしほさん、弥之さんは江一尸へ帰る人、新三 おしほええ。 ( 考え沈んでいる ) 郎様はこの土地にいる人、それをよく考えてみるがいし のち よ。 おきの後にね。 ( 出て行く ) おしほ ( 爪弾きをする ) おしほその江戸へ帰らなかったら : ・ 弥之助 ( 押入からそッと出て坐る。おしほに何かいいかけてや おきのへええ、弥之さんはこっちに住むの。 おしほ める ) しいえ、そんなことはないけれど、もしもそうに おしほ ( うしろに人の気配を感じ、振り返って ) あれツ。 ( 驚 でもなったらば : すかた おきの何の訳はないことじゃないか、心一つの据え方 弥之助 ( 江戸人といっていれど、そうでない言葉の訛り ) おし じよろう ( 笑ってい ほ。な、な、なにを、そんなに驚く、ハノノ おしほ向うはお客、こちらは女郎、これがこんなところ とくしん じようほう るが泣き声に聞える ) ではご定法と、心を鬼に、得心させたとはいいながら、 嘘で固めて取ったお金、考えてみると気が咎め、さっきおしほ弥之さん、いつの間に : まぶ 弥之助今、今きたばかり。お前は爪弾きに夢中で、気が も、弥之さんの顔をみるのが眩しくって : つかなかったのであろ。 おきのそんな気の弱さで、この薄情商売が勤まるものか かんじん ねえ : ・ 。おやおや、ここへ来た肝腎の用がそっちのけおしほそうか知ら : になってしまった。 ( 塀外の往来をみる、情夫が来ているの弥之助おしほ、江戸へ、いや、江戸でなくてどこへでも で ) ちょいと、ちょいと。あら怒ってるの。え、え、待行こう。 しゃべりみ たせたのを怒ってるの。ツィお喋舌に実が入って、ご免おしほえツ。 なさい この通り。 ( 拝む ) え。ええ持ってきていると弥之助金はある。身請けしよう。 もね、今抛るからね。 ( 往来を見廻し、紙にひねった金を投おしほええツ。 ( あと退りする ) げる ) あら、あら、もう行くの、現金じゃないの、ちょ弥之助 ( おしほの裾を押えつけ ) 逃、逃げるのか。 、とツ。ええ、この情なし男め : : : あ、行っちゃった。 おしほ弥之さん、そのようなお金を、どうして持ってい 。、、。おしは るのですえ。 ( うッとり見送っている ) さあ、もうこれてし とが
徳之助どうでもおなかを連れて行くのか。文太、お前は 付をしてずらかった芸者を連れて高飛びすれば、手前 あたしの家が繁昌の頃は、随分世話になった男、それが も同罪を免かれねえ処を、元は少し世話になった潰れた つな たいけ 今では打って変り、わたしに繋がるおなかを、執念深く 大家の道楽息子だから、人情をかけて見逃がそうと、骨 眼の敵にするとは、義理も人情も、知らない男だ。 を折っているのがわからねえで、好き放題をはざきやが さしたてもの 文太郎俺は御用を勤めてるのだ。御用先じや文太郎の根 ると、一緒に江戸へ差立者にしてやるぞ。 ヾっ ) 0 性骨は鉄石だ、僅な義理人情に負けて勤まる御役と思っ徳之助あ、そうしておくれ、そうされれば本望オ さか おとな てやがるか。 ( おなかに ) ここの御陣屋は川向うだ。清でおなかあなた。あなたは温和しくして、こいつに逆らわ ずにいてください 縄は赦してやる、さっさと歩け。 こいつはあたしに厭なことをいっ おなかこいつの企みに乗せられたと、わかっていながら て、断わられたのを根に持って、恰度、火事になったの 濡れ衣が干せないのは、わたしの不運だと諦めましょ を幸い、あたしを火付けに落して、敵討をする気と知れ うわやく う。あなたあなた、わたしは江戸へやられます。ご無事ていながら、いくら手向っても上役の旦那方にうけのい でいてくださいまし。 いのがこっちの因果。弱い者いじめをされて、こいつに 徳之助お前ばかりをやるものか、あたしも一緒に付いて厭々押し潰されるより仕様がありません。 ざんそ ~ 打こ , つ。 文太郎俺の讒訴はそれで仕舞いか。では出掛けるそ、さ 文太郎手前には用がねえ。 あ歩け。愚図っくと手荒くするそ。 徳之助たとえ一町二町離れていても、あたしは屹とお前徳之助おなか、あたしが悪かった。家の中のごたごたか に付いて江戸へ行くよ。 ら勘当されて自棄でいたから、焼け出されて逃げて来た むかんが 文太郎付いて来たくば勝手に来い。泊り泊りのお慰み お前と、二人一緒にいたさに後さきなしの無考えで、江 に、唄を聞いてやってもいし 。 ( おなかに ) いつまでめそ 戸を離れたのが悪かったのだ。その罪はわたしにある。 めそしていやがるんでえ。 おなかはただ、あたしに付いて来ただけなのだ。 徳之助待っておくれ文太さん。おなかが火付けしたなど文太郎五月蠅えなあ。さあ歩け。 ( おなかを突き飛ばす ) とは、お前の見込み違いなのだ。 徳之助 ( おなかを庇い ) 何をするんだ、怪我でもしたらど しらす うするのだ。 文太郎文句があるなら江戸へ来い。お白洲の砂利の上で、 云えるものなら申しあげろい。 何をいやがるんでえ、火文太郎何をするものか、突き飛ばしたんだ。足がのろい
治兵衛へええお前、島帰りか。そうだったか。 けたんだ。文句をつけているのじゃねえ、慾からだとい 七三宅じゃ俺も温順しかった。二年三年たつうち えばそれまでの話だが、勘ぐり過ぎたかも知えねえが、 に、女の事は忘れても、子供のことは忘れられねえ、度 おれには少し不思議なんだ。 七そりやお前みたいな人だけが不思議がるのさ。俺び度び夢に見たんだよーーへへ、笑ってくれるな。 じよう 治兵衛笑うものかな。たとえ何をした人間でも、情があ はもとよりどこの盗ツ人泥棒でも、あるが上にも欲しが ししいからねえ。 るのは金さ。奪れると見たら飽くことなしだ、それ盗ッ 七有難え。そう云ってくれる人に初めてあった。伊 。それにおれは江戸へ帰 人根性というだろう、 ぶきした 吹下で喧嘩別れをした弟分の野郎は、おれが娘のことを るのだから、欲しいが上にも欲しいのさ。 わら しい出すと、小七も、愚に返ったと嗤やがったーーそれ 治兵衛じゃ何故、おれをパラして奪らねえ。 から、おれは島を破ったんだ。命をハッてする荒仕事 七元ならいざ知らず、今のおれには人を斬ったり突 あふ 波にもまれ、風に煽られ、もう死ぬ死ぬと思った都 いたりが出来なくなった。実を云えば今だって、ええ面 何て幸いか島破りが 倒だ、幸い人足は絶えている、ここでパラせば十両手に度、娘のことが思い出された。 まとばり うまく行ったんで、余温をさまして江一尸へそっとへえる へえると思い立ったが、いや、考え直してやめたのさ。 へえ まで、お話にならねえ難行苦行さ。さあ入ってみると大 治兵衛そりや又、何故だね。 まちなみ 七慾も慾だが。聞いてくれるか。おッとその火を踏火のあとで町並が新規になり、女房子の居どころはまる きし知れねえ。いくら探しても判らばこそ、そのうちに み消さねえでくれ、おれも一服つけよう。 ( 治兵衛の側へ 行って吸殻から火をつけて、元の処へ来る ) 悪事をしなくちや食うことが出来ねえから、ツイやらか ずらか からだやば した、それが積って躯が危険くなり、高飛ってから二、 治兵衛ははあ、江戸には女がいるんだな。 三年は旅かせぎ。又江戸へこっそり潜り込み、探してみ 七女か、そりや昔の話だ。実はね、江戸に置去りし ちめえ みじよう たが知れねえんだ。ところが、この十三日前に、 布て来た娘があるんだ。おれみてえな身上のものの子だか 財 しい鴨と狙いをつけ、道連れになった男の口から、ヒョ ら、どうせ、不仕合せさ。 イと娘の無事がわかったんだ。女房が病い死んで今年で 治兵衛大きいのか、もう。 六年、だというのさ。 七今年十一さ。丁度十年前、おれは三宅へやられち 七広いようでも狭いのが世間だ。そうか。 やってのう。 かん みやけ 小 しまげえ わずら
さわ 猟師そんな物は知らねえさ。 猟師この先の佐和からも行けるよ。 文太郎知らねえか、ならそれでいし 。今いった男二人に文太郎そこまでは此の道一と筋だな。 猟師そうだよ。 女が一人、通らなかったか。 猟師おら、見なかったよ。 文太郎よし、もう行ってもいし て網を張るか。 ( 去る ) 文太郎そうか。じゃあ俺の方が先手に廻ったか、そうだ 猟師 ( 文太郎を見送りて去る ) とすると占めたもんだ。 猟師その人達は何だね、お前の連れか。 政吉、久々野の我が家で着換えたので、江戸を出た時の旅 文太郎よしてくれ。お尋ね者を友達にや持たねえ。 支度になっている、脇差を腰にしている。徳之助とおな 猟師えつ、お尋ね者だとね。 かと、扶け合いつつ政吉の後からついて来たる。 文太郎そうよ、お尋ね者よ。男は江戸で人を殺した奴、 政吉は二人の仲を妬ましく思い、ともすると殺意が出たり 女は、これも江一尸で火付けをした恐ろしい奴等なんだ。 中止したり、又、殺意を生じ自省する。 俺あ、それこれだ。 ( 十手をちらと見せる ) どうだ。わかっ あんばい ここまではいい按排に逃げ終せたが、まだ安心は 猟師おお、お前さんは目明しか。 出来やしねえ。 ( 徳之助を斬りにかかり、反省する ) 高山から 文太郎そうよ。江戸じや名の売れた岡ッ引よう。おうお ここまではかれこれ十四里もあるだろうから、多分大丈 う、もし途中で、今いったような奴に会ったら黙って行夫、とは思うが油断はならねえ。もう少し踏ん張って見 よ、フ け、迂濶に口をきくと飛んだことになるそ。それから、 高山の御用聞きの連中に紛れたんだが、逢ったら俺のこ徳之助政吉さん、済みませんが、これが大変疲れたらし たた いから、少し休んで行ってはいけますまいか とを話してくれ。忘れると後で崇るそ。 猟師亠よ、、キ、、 わかりました。 ( 行きかける ) 政吉ああいいとも。それじや一服して行くかね。 ( 徳 之助を殺しかける、又も反省する ) ここなら、たとえ文太郎 文太郎こいつは一本道だったな。 かのう 猟師 ( 振りむいて ) は、、 美濃の加納へ行くならこの道の奴が追っかけて来ても、此方が先に目付けるから安心 しもばらかなやまおおた だ。逃げるにかまけて、左程にも思わなかったが、さす だ、下原、金山、太田と出て行くさ。 亠丿ら 0 一 ) や」可 はぐ せんて 政吉 どれ、もう一とのしし
% 9 中山七里 りだよ。介抱するのもされるのも、お互様のことじゃな政吉 ( 自殺したおさんに生き写しの 前に一度跟けて歩いたが見失い、ここまで来て再び見つける。 おなかの傍を通り過ぎたが、おなかは俯むいていて顔が見えぬ。 おなかそう優しくされると、あたし、有難いやら、悲し 立ちどまり凝視する ) いやら、気地もなく泣けて泣けて仕様がありません。 おなか ( 目眩が鎮まったので、川を見る ) 徳之助水でも貰って来てあげようか。 政吉 ( おなかの顔を見て、我を忘れ ) おつ、おさんだ。お おなかえ。でも、ようござんすの。 さん、俺だ。 ( はっとして逡巡する ) 徳之助欲しいのだろ。知らない人の家へ貰い水に行くの を厭がったのはずっと前のことさ、旅を重ねてこの頃でおなかえ。 ( 気味悪く思い、助けを空しく求め、後退りする ) は、随分図々しくなった徳之助だよ。貰ってきてあげる政吉あ、もし。だしぬけだったので、さぞ肝を潰した でしよう、勘忍してくださいよ。 から、ここで待っておいでよ。 おなかえ。 しいのでございます。 おなかええ。済みませんけど、それではどうぞ。 徳之助何の、雑作もないことさ。 ( 酒造家の方へ行きかけ ) 政吉ほっ、お前さん、江戸ですね。 我ながら旅すれがしてきたかと思いながら、楽に育ったおなかええ。そういうあなたも、この辺の人とは違った お言葉。 者の意気地なしで、大きな構えの家へは行き難い。こっ 政吉ええ。あっしは江一尸の深 , ーーなに江一尸で永らく奉 ちの方の小さい家で貰って来てあげる。 おなかあなた。あなた。 公していました。 おなか ( 答えず、眼は怖れと警戒とで汕断がない ) 徳之助え。何だえ。 れんれん 政吉 ( 恋々として話をしたがる ) つかぬことを伺います おなか磧へ下りて、川の水を飲みましよう。 が、お前さん、こっちには、何か縁故があっておいでな 徳之助そんなことをしないでも、貰って来てあげるから ふつう しし力い。 ( 去る ) すったか。ここは江戸とは不通同然の山の中だが。 待っていておくれ。 おなかいしえに。 政吉 ( 二十八、九歳 ) 飛騨風俗、江戸を出て逃げ歩き、交政吉 こういっては失礼だが、いくら零落れてても、門 くぐの 通不便の飛騨の久々野に隠れ、三里余りの高山へ、きよう付にまで成らずとも。いやこれは飛んだ出過ぎた云い 用足しに来ている。 方。怒らないでください、あやまります。
のろけ いいよいいよ、俺は、それを惚話とは聞かねえか んだがなあ。 ら。だがの。それ程に好きな男を、江戸から、この利根 お小夜親分、どうも済みません、この中からたびたび、 ・ヘり 川沿まできてまでも、何で振り通しているんだね。 ご親切にいってくださいまして、有難いのでわたしあ泣 ふう お小夜親分、利いた風なことをいう女と思わずに、あた いておりました。 しのい、つこと、聞いてくださいましよ、フか 銀平おれへいう礼なら後廻しがいい聞きてえのはお ほんしん 銀平念には及ばねえ、そいつを聞きに来ているんだ。 前の本心だ。佐太郎が厭なのか お小夜ナマをいっては済みませんけどーーーねえ親分、あ お小夜 たしゃ江戸で、子供の時から、男の中で揉まれて育った 銀平 ( ひと膝乗り出して ) 厭でねえというと、好きだっ もんですから、こんな気になるのか知れませんけど てことになるんだが。 お小夜ええ、親分、わたしや、この胸の中では、あの人男と女というものは、出来てしまうまでの間は、男が上 さいげん りつめ上りつめ、際限なしに上りつめるものじゃありま なら、と、田 5 ってはいるんですけれど。 せんかしら。 銀平え。お前、佐太郎を好いているのか。そうか はた それでいて何で袖にする。傍で見ている俺の眼にも、す銀平ふうん、お前、年はまだ若えがそれにしては、世 じやけんしう 間をよく見詰めてきたと見えるなあ。いかにもその通 こし邪慳な仕打ちだと、思えることも二、三度あった り、おれにしても憶えがある、好きな女が、自分のモノ が、あれは、そうすると、どういう訳だ。 てん にならねえうちは、梯子があれば天までもと、夢中にな お小夜親分。男と女との仲は、五分と五分じやございま るのが、まあ通例だ。 せんもの。 銀平え。うむそうか。そりや云う通りだ、亭主となれお小夜訳が出来てしまったら、その時はーー男の心は下 がるた くらい かんばく り坂ーーそれがあたしゃ悲しいので。 ば家中での関白の位、いろは骨牌にもある通りだ。が、 お前は佐太郎と五分々々に行きてえというのか。おいそ銀平そうか。成程なあ。 りや違うぜ。亭主を尻に敷く気で夫婦になろうと、そんお小夜佐太郎さんを好いてもいるし、一緒になりたいと も思っていますけれど、江戸でもそうでしたが、ここで な考えをしたんじや大違えだ。 のばせみ もあんな逆上気味、あんなに熱くなってくれたのでは、 お小夜いえ、そうじやございません、あたしや、佐太郎 嬉しいには嬉しいけれど、先々が案じられます。 さんが好きで好きで。 ( 羞しがる ) じゅう つうれい とお
お小夜そのツグ舞いとやらの柱なら建っていました。あ いている ) の高い高い柱の上でなンかやって見せるんですってね 銀平 ( 三人をあとから送って行く ) お蝶が見送りについて行き、お仙とお金とが座敷を整理し 銀平うむ。みんな、ちッとお小夜に話があるのだ月 ている。 があったら手を拍とう。 お仙承知いたしました。 お小夜 ( 二十一、二歳、江戸の者、ここの家へ手伝いにき 銀平方々、開ッ放しにしといてくれ。 ている ) 裏梯子からあがってきたと見え、銀平等の行った お金ま、。 方とは反対にはいって来たる。 銀平 ( お仙の出て行くのを見送り、お小夜に ) なあお小夜・・ お小夜お金ちゃん、お仙ちゃん。銀平親分は。 もういい加減にしたらどうだ、佐太郎をお前は、可裏そ お仙お小夜さんでしたか、まあ、よく結えましたわ。 うだとは思わねえのか。 お小夜そう。 ( 髪へ手をやって微笑する ) お金親分は、お客さまのお見送りにいら 0 しゃいましお小夜 ( 悲し気に下を向く ) 銀平今更おれがいうまでもねえ、佐太郎のことについ めえ ては、俺よりお前がよく知っている。なあお小夜、あの 銀平 ( 戻って来る。お小夜に ) 何だ、お前ここへきたの した まんまにしとくと、どんなことになるか知れねえぜ。 か、階下だろうと思ってお蝶を見せにやったところさ、 お小夜 ( そッと脇を向いて涙を拭く ) そんな処に立っていねえで、まあ坐んな。 銀平お前は江戸からこの川菜屋が身寄りというので逃 お小夜いつ見ても、利根川はいい眺めですね。 げてきた。そいつを佐太郎め、渡世を棄てて追ッてきた 銀平江戸からきて、三月四月じゃ、まだまだ利根川の 逃げてきたというから、俺は始めのうち、お前は佐 いい味はわからねえよ。 じよう お小夜やッとこの頃、御手船というのはどんな船で、定太郎が嫌いなのだと思 0 てたんだが、そうでもねえ様子 ごろじゅう おやと だ。この頃中の佐太郎を見ねえ、蝮のようにだれかれな 往御雇いとはどんな船だとか少しずつわかってきました。 おみこし しに噛みついて、喧嘩といえばいつでも佐太郎だ。あれ 銀平十四日の宵祭から御神輿の納まるのが十六日、そ じゃあお前、やがて無事ではいられねえぜ。あいつが死 の日は明神様の前で、ツグ舞というものが奉納されるん んでもお前は損も得もねえのか、そいつが俺は聞きてえ だ。布川もこれで見る物のあるところさ。 あじ つき つき はしら