高倉 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第15巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第15巻〉

すがえ。 すがえ。お金でござりまするか。 高倉取れというに。金よりは、恋の歌がよかったの高倉行きたくば今からでもよい。居りたくば御城受取 か。 ( じっと見る ) の方々が追立てるまで、たとえ俺が居なくとも、ここに 寝起きしているがよい。米も味噌もまだ半年一年分は残 すが ( 長右衛門の感情に心付かず ) 有難う存じまする。 ( 金を受取る ) っていよ , フ。 すが ( 喜び外に少し現れ ) では、只今からお暇を願いま 高倉そちはこれから後、どういたす。 すがはい。 ( とのみ答えぬ ) しても。 高倉うむ、よい共。が、行く処がそちはもうあるの 高倉身の振り方を最早考えついたか。 すが ( 確信のある声で ) は、。 すが 高倉どう考えついた。 すが夫を持ちまする。 高倉何処へ。だれのところへ。 高倉夫を。 ( 失望が自ずと出る ) そうか。女だもの。夫佐兵衛 ( 血相変えて入り来たる、長右衛門に何か告げんとして、 唇だけが微かに動いている ) を持つべき筈であったな。 あんたが すがあなた様は。 ( と云いかける ) 高倉どうした。 ( にツと笑い ) 案に違わず、茂兵衛が参 高倉俺のことは尋ねるな。今、俺が何と答えたとて、 その通りになるか成らぬか、他人にも俺にもわかりはせ佐兵衛はい、東郷様が。あの。 ぬ。 高倉ここへ通せ。すが、あちらへ行け。佐兵衛、ここ すがでも、当所にお居でなされまするとか、または他へはもう、参るに及ばぬ。 すが ( 右の座敷の方へ行き、決心がついて去る ) 国へ。 佐兵衛は、はい。 ( 出入口から去る ) 高倉永代この若松にとどまるかも知れず、或はまた、 高倉 ( 反古を火に投じている ) 高江戸へでも出るかも知れぬ。 すが佐兵衛殿やわたくしは。 東郷茂兵衛。長右衛門より一、二歳多い。多血質。死装東 疵 つもり の心算で晴着をまとっている。 高倉いつなりとめいめいの都合次第、志すところに去 茂兵衛 ( 殺気横浴、出入口より入り来たって高倉を睨む ) 長右 るがよし ひと

2. 長谷川伸全集〈第15巻〉

庄助気の弱いことをいうな。どうにかなるかも知れ ぬ。さあ行こう。 喜六どうにも成らなかったらどうする。 庄助酒でも飲んで憂いを忘れろ。 喜六酒か。よし。庄助もっと飲もう。酒だ、酒オ ( 起ちあがる ) しいことが無くなるだろう。 庄助おぬしでは覚束ない。高倉殿、失礼仕りました。 高倉 ( 庄助に答礼する ) 喜六もう挨拶はしなくてもいいのだ。お互いにただの 浪人だ。 ( 唄う ) 加藤加藤と身は慎めど堀も埋もれ城も落 庄助止せというに。仕様のない男だ。 ( 喜六を引摺るよ うに藪の路へ去る ) 高倉長右衛門、この以前に藪の路より来たり、一一人を眺め ている。 高倉 ( 二人を見送る ) 鐘の音が遠く聞える。 庄助やや、高倉殿らしい 喜六長右衛門殿だと。おお、高倉殿。高倉殿、この度茂兵衛 ( 門を内から開く ) おお、長右衛門、来ていたか。 びの大変、何たることでござろう。実に無残とも何とも高倉約東の通り、迎えにきた。死後の始末はもうつい はや。 、門に眼を注ぐ ) 高倉 ( 黙って入れ違って立っ 茂兵衛残っているのは、又八郎が、遺書を見ることだけ ここは東郷茂兵衛殿の門前か、弟の又八郎は拙者 懇親だが、あれは兄があるから大きに助かる。高倉殿は高倉又八郎はまだ見付けずにいたのか。 一一百五十石、妻子はなし、召仕いの男女三、四人は、畴を茂兵衛心づかずにいるのが却 0 て幸いだ。 出して、あとはご自分一人きりだ。独り者はこんな時に高倉若年ながら見どころのある男、遺書をみたら追取 いいなあ。拙者は七十石で五人の子持ち、母と妻と拙者刀で、さぞ俺を探すだろう。 とで、泣いても笑っても八人の糊口を、かせがねば相成茂兵衛おぬしが勝てばな。 らぬ。 高倉そうだ。場所は。どこにする。 庄助いつまで愚痴をいって居るのだ。 茂兵衛この先の木立の蔭、あすこは、どうだ。 くつきよう 喜六二百五十石で彼は一人、拙者は七十石で八人口高倉人も通らず、足場は広し、屈竟だ。 ) 0 、 ) 0 0 ) 0

3. 長谷川伸全集〈第15巻〉

高倉怒ったのか。 すが ( 低く造り声 ) 東郷でござる。 3 まさ いえ。夜更になりましては、ご両親にご心配をか高倉何ッ東郷。茂兵衛の弟は両人あったが、兄権左は けます故。 病んで死に、今在るは又八郎一人の筈。おぬし、名は何 高倉そうだったな。今日はいろいろと世話になった。 とい、つ ご両親によろしくと申しあげてくれ。佐兵衛、。 こ苦労なすが ( 低く、造り声 ) 又八郎と申す。 がら送ってやってくれ。 高倉又八郎とや。 すが ( 斬り込む ) 佐兵衛承知仕りました。 まさ ( 佐兵衛を従えて去る ) 高倉 ( 片足不自由ながら巧に躱し、すがの刀を叩き落とし、 高倉 ( 体を庇いー柱に倚るか、横臥するかするー書を読む ) 引き据えて ) やツ。女だ。 ( すがの覆面を取らんとする ) そで ( 茶を持ってくる ) すが ( 覆面を剥がれじと争い、袖を千切られ、懐剣を抜いて 高倉そで。もう用はない、休め。おお、風が出たな。 長右衛門を突きあげる ) えいツ。 高倉 ( 懐剣を躱すために覆面を剥ぎ得ず、身を守りつつ、す あの窓の破れたところへ戸を引きつけて置いてくれ。 そではい。 ( その如くして去る ) がに眼をつける、女だとするとだれか、疑問が浮ぶ ) 高倉 ( 書に熱中する ) すが ( 必死に突いてかかる ) 高倉 ( 懐剣を叩き落とす ) 窓の戸が少しずつ開く、黒装東、大小を帯し、すがが忍びすが ( 脇差を抜き斬ってかかり、誤って自ら傷つく ) あツ。 入る。灯が激しく瞬く。 ( 倒れる ) すが ( 戸をうしろ手に閉め、ひそかに長右衛門に近づく ) 高倉 ( 疲労を感じ、抜かざりし刀を杖に、息をつく ) 確に 高倉 ( 心付いていれど、知らざる風を扮い、書に目をさらす ) 女だーーが、東郷に妹はない。 と、だれだーー・あ、又ノ すが ( いよいよ近づき、打ち込み得る位置となる ) 郎の妻か。それならば。 ( すがかとも思い然らずとも考え、覆 面を取るために近づきかける ) 高倉 ( 振り返らずに ) そこな男。おぬし何者だ。 すが ( はツとなる ) 高倉 ( 振り返って ) 長右衛門の寝首を掻くには、まだ時 表口に物音がするーー重態の又八郎が一子又市を抱き、駕 籠を飛ばせて来たる。 刻が少々早い。何者だ。名乗れツ。 かわ

4. 長谷川伸全集〈第15巻〉

高倉 ( 釈然として ) お心が、付かれたか。只今のご一言 高倉うむ。脱がせてくれ。 いっさいひょうかい よくそ申された。拙者に於ても一切氷解。 まさ駈込み者を逃がしておやりなされたのでござりま 平重々失礼。 するか。 高倉武士の詫びは一言で足りる、もう申されるな。ま高倉そちまでが今の人のようなことをいう。逃がしは さも佐兵衛も、今宵のことは一切他人に語るな。 せぬ勝手に逃げた。もっとも逃げるように俺の眼が、こ 卯平大抵の人物には閉ロせぬ拙者だが高倉殿と聞いて うしては見せたのだが、ハ、、、。 心が怯んだ。会津で東郷なにがしとの勝負のこと、先頃まさホホホホホ。叔父莱、 ー / 木しかがでござりました。 あだか 日本橋にての勝負のこと、みな聞いて存じて居ります。 高倉今の人との掛合い振りか。何も修業恰もよしと矢 おもて しつか 手出しをせすによいことした。あツはツは。これをご縁表に立たせてみたが、案外に確りしていた。 に時々は訪れ参ってもようござるか まさ何そご褒美をくださりまするか。 高倉いつなりとお訪ねください。 高倉やろう、何でもやるそ。あの分なら兄の一粒種、 卯平朋友どもに話をいたせば、連れて行けという奴が 申分は少しもないが、欲を申せばただ一つ、何故女には 多かろう、一両名つれて参ってもよろしいか。 生れて来た。 よこみちふす・ヘ 高倉ご随意こ。 ; 、 . レカ武士道過ぎて横径に踏み辷らした まさそれは、わたくしの故ではござりませぬ。 ご仁はその限りでなし。 高倉ふくれるな、ふくれるな。ハハハハ。 卯平わかった。爾来、拙者も召使いに、手荒なことは佐兵衛 ( 入り来たる ) 只今のお方は大層喜んでお帰りでご いたしますまい ざりました。あのくらいにやッ付けられると、大抵は腹 高倉 、飾り気のないご人だ。今宵はもう遅立てて前後の考えを失うものでござりますが。 お引取りくだされたい。 高倉あの男も、根は馬鹿でないと見える。 倉 平飾り気のないのは貴殿の方がうわ手でござる。失まさ野に放たれた馬のような、あの気象だけは治して あげたく存じます。 高礼いたした。姪御殿、失礼いたした。 ( 佐兵衛に会釈して 去る ) 高倉治ったらそち婿にとるか、いやこれは失礼。そち 疵 佐兵衛 ( 長右衛門の命を受け、送って出る ) は来月婿を迎えるのであった。怒るなよ。ハ、、、。 いとま まさ叔父様。お袴を。 まさ叔父様。お暇仕ります。 ひる かざけ

5. 長谷川伸全集〈第15巻〉

にわか 高倉俄に役替えとなり、主君の御身辺警固を仰付けら茂兵衛 ( 庭に跳び下り、足場をはかる、焚火を不思議そうに見 れ、手も足も出ぬ立場に置かれ、俺も家中の多勢と同詰める ) 様、君国を救い得ぬ腰抜けの一人になり、自ら恥じ自ら高倉 ( 刀を手に縁までくる ) 茂兵衛燃え残りのこの火は何だ。何か焼いたな。 責めている。されば大事を未然に防げなかった家来が、 今日浪人するは当り前。分を尽さぬ家来共が当然荷うべ高倉最前までは心許し合うた友達、今は白刃をつき合 ほねぶし せ互いの皮肉はおろか、骨節かけて斬り裂き合う相手が き扶持放れだ。 おぬし故、生き残れるか斬り死か見込みがっかぬ。よっ 茂兵衛おぬしと俺との考えは、千日談合しても、解け合 しんこ て、新古さまざまの手紙、覚え書きの反古など、死んで うことではない。 高倉俺は君臣ともに罪ありという、おぬしは主君と老のち、人に見られて恥ずかしからぬよう、残らず焼いて 灰にした。茂兵衛おぬしは。 臣との罪、家来に責はないという。 茂兵衛その異論を決するは刀の外に何があろうか。衆人茂兵衛俺は弟又八郎に、後事を託する遺書を一通書いて ちゅうざ いがみお きたのみ。反古の始末は付けずに来た。 稠座の中で啀合うた両人が、他人の仲裁をよきことに、 子供のようにまた再び、こともなげに睦まじくはして居高倉そりやいかぬ。おぬしが勝てばそれでもよい。さ もない時は、詰らぬ物が残っていては恥ずかしいぞ。 られぬ。 さむらいふう 高倉会津加藤家の武士風だ。俺の刀は最前から、あす茂兵衛そうは思うが、今更となっては仕方がない。 さやなり 高倉勝負の時刻を少しのばぜ、待ってやる。 こで切れと鞘鳴している。 茂兵衛何、待っていると。半刻とは待たせまい。再び来 茂兵衛うむ。よく云った。ここでやるか。 むだ るそ。 ( 上へあがる ) 高倉おぬしが好きならここでもよい。が、徒労な争い 倉だとは思わぬか。おぬしは理屈の結末はどうでもよいの高倉来るには及ばぬ、俺の方から迎えに行く。 茂兵衛よし、来い。待っているぞ。 高だ。多勢の中での口論を、その儘すませては恥辱だと、 高倉半刻たったら外へ出て見ろ。高倉長右衛門が門前 疵それだけにこだわって、血潮を流してみたいのだろう。 に立っている。 茂兵衛 ( 頑として聞き容れず ) 庭でやろう。支度をしろ。 とど 高倉思い止まる気がないのか。 ( 首肯いて ) 支度とて別茂兵衛うむ、心得た。 ( 去る ) せめ おおせつ しゅうじん

6. 長谷川伸全集〈第15巻〉

うつむ 佐兵衛 ( 転ぶが如く入り来たる ) た、大変なことになりま佐兵衛はい。 ( 俯向く ) 3 したなあ。 高倉約東の時刻までにはまだ間がある。酒を飲もう のぞ か。すがに、酒を持って参れといえ。 高倉窺いて見ていたのか。 佐兵衛はい。東郷様とは日頃から、あれ程お仲がよかっ佐兵衛はい。 ( 是非なく去る ) はたしあ たのに、俄に決闘いをなさるなぞとは、夢かと疑うばか高倉 ( 刀を抜き、拭いをかける、やがて愛玩する ) まこと 佐兵衛 ( 酒を持ってくる ) り、真事とは思えませぬ。 高倉俺もまさか茂兵衛と太刀打ち合わすとは思わなか高倉すがは居らぬのか。 しようねだま ったが、出来てみれば互いに武士の性根玉をどう引違え佐兵衛どういたしましたのか、居りませぬ。 ても止めには出来ぬ。佐兵衛、この勝負、どちらが負け高倉ほう、もう出て参ったか。 佐兵衛え。出て行ったと仰せになりますると。 るかーーとてもわからぬ。 佐兵衛あなた様なり茂兵衛様なり、どちらか一方が胸を高倉欲しくば、今直ぐにでも出て行 0 てよいとい ったが気早な奴、もう行く先の相談にでも参ったのだろ おさすりなされてくだされば、事なく済むではござりま う。 ( 巾着を投げ与え ) 佐兵衛、半刻の後に俺の命の有無が せぬか。 しんゅう きまる、多分はもう、金の入用なくなるだろう。先程、 高倉心友なればとて、武士の意地を張る決闘が、避け 半分はすがに与えた、残りはお前にやる。またこの家の られるものか。 なか 諸道具一切、売払って金に換え、半ばはすがに与え、半 佐兵衛わたくしには、そのお心持がわかりませぬ。 ばはそちが取ってくれ。武器武具の類は江戸にいる一人 高倉俺が屈服すれば事なく済むが、武士という奴はそ の姪まさに遺わしたい、送ってやってくれまいか。 うは出来ぬものだ。そちにはこの心持がわからぬだろ 佐兵衛お申しつけは何事でも。が、すが殿はもう戻って う。まあ黙って見て居るがよい。 来ぬのではござりますまいか。 佐兵衛いえ、わたくしは家来といたしまして。 高倉そのような心当りでもあるか。 高倉 ( 抑えて ) 云うな佐兵衛。 佐兵衛着物も着換え、貯えの金も持って参ったらしく、 佐兵衛はい。 ( 落涙する ) あて 残りの荷物には、この品々不用とわたくし宛に、走り書 高倉佐兵衛、こっちを向け、涙をこばしているのか。

7. 長谷川伸全集〈第15巻〉

窓を破って逃げ失せた不埒者、そいつには拙者もいたし高倉老僕の外には召使いの女ばかりと侮って、無法に 方がある、貴殿がお捉えなされても勝手の成敗などいた押入って参られたのか。 佐兵衛左様でござりまする。 されるな。この儀は屹と、申しあげおく。 平 ( 窓の外を一睨して ) 最早、追っても追いつけま高倉怪しからぬご仁だ。 ( じろりと睨み ) 拙者は会津浪 人高倉長右衛門と申す。 。何の彼のと面倒をいい 、馬蔵を逃がしたのだろう。 平えツ。貴殿が高倉長右衛門殿か。 後日、更めてお話に罷り出る。お忘れなさるな。 高倉一介の素浪人、取るに足らぬ男と見らるるかは知 高倉耳の遠いご人だ。逃がしはいたさぬ逃げたのだ。 矣の君に おわかりか。 らぬが、江戸に名ある人の知遇をうけ、或る諸イ しどう は、いささか武芸を教授し、士道のお話し相手仕つる長 卯平逃げたのなら何故捉えてはくれぬのだ。拙者と違 右衛門。貴殿の振舞いをこの儘穏便に相済しては拙者の って間近くいた筈だ びつこ 高倉拙者は見らるる通りの刀疵、 ( 鋭く ) 脚は跛だ。ま名が穢れる。長右衛門は大小数カ所悉く向い疵、うしろ とうそう して刀創いまだ治癒せず、薬責めの昨今、この体ではた疵は一カ所もなしと人もいい我もいいながら、真の心は 至極の臆病にて、無謀殺伐の旗本衆が相手ゆえ、理非を とえ弁慶が景清だとて、逃ぐるを追うて行けるものか。 たた も質さず、敢えて争わず帰したと語り伝えられては末代 、、、ハ。但し、目の前六尺近くにじッとしている生き まで、この疵男のすたれとなる。 物なら、所望とあれば真向、袈裟がけ、突けなら胸許か 平いや高倉殿。いや何、高。 ら背中まで、二の太刀はつかわね初太刀の一と振り。少卯、 高倉順に従い、序に従い、拙者より訴え出で、今宵の 少ばかり鮮やかにやって見せる覚えはある。 曲直理非を掟に拠って正そうか。それ共、武士同士に舌 平何。それは旗本の一人、駒泉卯平と知って、挑み の闘いは無用、論より刀と申されるなら。 ( 鋭く ) この太 かける大一一一口壮語か。それならばこの方にも思案がある。 刀で血を流そうか。 自体、ここはだれの宅だ。貴殿の姓名を承ろう。 平いや、その儀は。 高倉それすら知らぬところでみると、貴殿は案内も乞 高倉以上二つの外には、貴殿が詫び言いうて引取られ わず、押入ったものと見える。佐兵衛、そうではない ることだけしか残って居らぬ。 そこっ 卯平高倉殿。拙者の粗忽、お許しください。 佐兵衛は、。左様でござりまする。

8. 長谷川伸全集〈第15巻〉

すが ( ひそかに愕く ) る ) すがどうそなされたのでは無いかしら。 佐兵衛何と仰せなされまする。 佐兵衛どうなされるものか。この大騒動の中で、眉毛一高倉はて。六十万石の伊達家始め大小の諸家を押える っ動かさず、成行きゅえ是非がないと、こともなげに仰会津若松の城主、さしの加藤家が没落する時だ。剛毅 しゃ 有ったのは家のご主人様ぐらいなものだ。その他の人は無類の東郷茂兵衛でも、少しはいつもと違う筈だ。ハハ ご大身はご大身程、微禄の者は微禄の者程、皆それそれ に何の彼のと理屈をいったり罵り喚いたりだという。そ佐兵衛 ( 漸く安心して一礼し、去る ) 高倉 ( 書留帳を火に投げ込む、それに挾っていた二つ折の短 うだ、東郷茂兵衛様、あの方もお騒ぎなされぬという、 冊が地に落ちる ) さすが家のご主人様の仲好しだけある。それだもの何と すが ( 短冊を拾い ) これは。 ( 捧げる ) なされるものそ。さあ焼こう、取っておくれ。 高倉短冊か。灰にする。 ( 取って火にくべんとする ) すがでも、何故、急にお焼き棄てなされるのか。 佐兵衛いらなくなったからだよ。 ( 手紙を焼く ) すがお焼棄てになりまするなら、後々の思い出に、頂 すがただそれだけかしら。 ( 焼くのを手伝う ) 戴いたしたく存じまする。 いか。 ( 短冊を披 高倉 ( 反古と書留帳を抱えて来たる ) 佐兵衛、反古は俺が高倉 ( 少し恥ずる色がある ) これが欲し く ) 欲しがってもこれはやれぬ。風流めかした吟詠と違 自身で焼くから、お前はあちらへ行って居れ。東郷茂兵 一生に一人の妻と思いをかけた女へ、これは恋の 衛がやがて参るに違いない。すが、手伝え。 ふち 佐兵衛は、。 歌。先程までの高倉長右衛門なら、扶持に放れる身であ 高倉 ( すがに手伝わせ、反古を焼き、佐兵衛に ) 茂兵衛が りながら、欲しくば喜んでやったであろうが、只今とな そちにはやらぬ、この火の中へく ってはやり難い 参ったらこう申せ、高倉長右衛門。先刻よりお待ち申し れてやる。 ( 投げ込む ) て居ると。そして、ここへ直ぐご案内しろ。 佐兵衛は、。 すがそれならば何なりとも、お書きさしの端きれなり 高倉いや待て佐兵衛。いつもと違って茂兵衛め、言葉とも、頂戴いたしたく存じまする。 が粗雑になって居よう。態度も荒々しかろうが気にかけ高倉 ( 巾着の金を半分ばかりみ ) それ、これをやる、取 れ。 るな。いいか。 おっ

9. 長谷川伸全集〈第15巻〉

せんかた 又八郎さらば。詮方がない。必死の力を絞ったら、まだ高倉 ( 決心する ) 人の気力強ければ、不思議に命を保つ た例もある。又八郎。気力を励まし今暫く生きのびろ。 いくらかの力は出よう。長右衛門殿、ここを借りるそ。 ( 又市を刺し殺さんとする ) 来月早々、我が子のように可愛く思う一人の姪が婿とり 又市 ( 泣く ) する。その祝い酒を飲む夜まで疵と闘い病と争い勝ち、 すが ( 子の泣く声に半ば起き、いつの間にか倒れ伏す ) 石、鉄を咬むとも生きのびて待って居ろ。それまでには 又八郎 ( 又市の泣くをも顧みず、刺し殺さんとする ) 日頃恩顧を蒙った松平若狭守様、御町奉行神尾備前守様 がんぜ 高倉 ( 跛をひいて、止める ) 何をする。血迷うな。頑是その他の方々に、約東の果たし残り少々あれば、一々み ない子を無残千万。刺すな。ええ。刺し殺させはいたさ な片づけ終り、潔よくおぬしに討たれてやる。 ぬそ。 又八郎何。 ( 我が耳を疑い ) 何という。 又八郎ええ、無情ないぞ高倉殿、おのれは、敵と狙う又高倉あと僅かな日数だ。必死に気張って生きていろ。 八郎一族が、かくまで悲運に落ちたを見て、心のうちですがはたとえ先立ってもせめておぬしだけに、この皮肉 - 一うべ を斬らせこの頭を授けてやりたい。 は快しと、笑っているのか。 高倉いや、俺は笑ってなどいるものか。又八、おぬし又八郎 ( 泣く ) の眼には、この疵だらけの長右衛門の醜い顔に、心のす高倉 ( すがを抱き起す ) 南無三。すが。すがーーありし まち がたが何と浮き出ているか見えぬのか。無理もない。 , 街日の主従だ。も一度び、眼を開け。 を通れば子供等が駕籠をのぞいてわッと泣く。それほど又八郎妻はーー妻は死んだか。 ふびん 高倉不便な最期、いや、似ましくも麗しい、武士の妻 凄まじい俺の顔では、悲しみはただこの胸のうちばか り、色、外に現われては出ぬ筈。 が最期をとげた。 又八郎 ( 又市を宥めていたが ) 何。 又八郎ああ、又八郎の死も近づいたらしい 高倉幸いにして二つながら眼は傷つかず、すこやか 高倉何。又八。敵も討たずに死ぬのか。それでは地下 だ。見ろ又八。長右衛門はおぬしらの運拙なさを悲しん の兄茂兵衛に面目ないぞよ。 でいる。 又八郎今更ながらーー死生命あり。 文八郎おお、泣いているのか長右衛門ーーともするとこ高倉意地を張れ又八。敵を討たずに何とする。 又八郎是非もない。又市、又市。 ( 瞑目する ) の頃の癖で、ひがんで出る言葉が今更恥ずかしい。 そと

10. 長谷川伸全集〈第15巻〉

327 疵高倉 すが ( 低く ) 早く何処へでも。早くーーー早く 又八郎頼もう、頼もう。高倉殿。長右衛門殿。 ったな すが ( 声を聞きつける ) 又八郎長右衛門。武運拙く生れついた又八郎は、兄茂兵 高倉 ( 刀を杖に、跛ひきつつ、出入口を一枚開く ) そこに 衛の仇をも報せず、刀疵から余病を発して、名医の力が ともしび なんびと 見えたご仁。何人だ。 最早及ばぬ命は、風前の灯同然。妻は、いとしや、我が さわ ざいしゆく 又八郎 ( 声。よくは聞えず ) おお、在宿か、東郷又八郎だ 瞑目する以前に、貴殿の寝首など掻いて、死出の障りを 高倉 ( よく見入り ) 何、又八郎だと。よし、参れツ。 除こうと、見られよ、夫に隠してつくった黒装東に姿を ( 元の位置に戻って待っ ) やっし、忍び入ったが果報薄く、返り討ちとなってこの 又八郎 ( 容易に敷居を越えずにいる ) 態だ。すが。まだ死ぬなよ。夫婦親子三人、死ぬるとき 高倉ゃあ又八。長右衛門の気象を忘れたか。入るを待は遅れ先立たず、同じに彼の世へ旅立っぞ。長右衛門 ち討ち果たす如き、卑劣な勝利は嫌いの男だ。 殿。兄も貴殿の刃の錆となり、妻も同じき悲運に落ち 又八郎 ( よろめいて入る。又市の手を曳いている ) おお、間 。夫も、この子も、同じく死にたし。一族四人、悉く に合わなかったか。 ( 怯える又市を抱えて ) すが , ー・ーすが。 貴殿の手にかかって、敵討たずの東郷が、儚ない武運の 最早こと切れたか。 ( 長右衛門の抜き討ちを慮り、すがに近終りをつげたい。さ、返り討ちになる、討ってくれ。 寄りかねる ) 高倉何ーーー返り討ちを所望か。 対ってくれ。 高倉さては、察しの通り、すがかーーすがであった又八郎 ( 居ざり寄る ) おお、討たれたい。言 。 ( 万感胸を打って、眼に涙をふくむ ) 高倉闘うカのない者を、斬る刀など、高倉長右衛門 すが ( 辛うじて半ば起きる、覆面を既に脱っている ) 又 持っておらぬ。 はや 又八郎いや。貴殿の気象は知っていれど病いと疵とに亡 郎殿か。心は逸ってもこの痩せ腕、面目なや仕損じて。 おもで 又八郎 ( 又市を抱き緊め。咽び泣く ) びる又八郎、重傷を負った妻のすが、かかる夫婦の間で すがここに居てはお命がない。早く何処へなりと、早はこの又市をたれが養う。言葉が悪くば返り討ちとは申 しんたいきわ すまい。進退谷まった夫婦親子三人を、介錯して死なせ 高倉 ( 沈黙、突ッ立って的もなく前方を凝視する ) てくれ。 又八郎すが。余命僅かな又八郎だ。ここを去って、あと高倉返り討ちはもとより厭。介錯と名を改めても、俺 は刀に、指一本もかけたくない。 幾刻の命がのびるものぞ。 はか