春吉 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第16巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第16巻〉

段七しぐれ三幕五場 〔序幕〕第一場斧の家の前第二場一行寺の裏 〔二幕目〕馬小屋の前 〔大詰〕第一場春吉の家第二場一行寺の裏 しぐれの段七一行寺の和尚旗雲の巻蔵 すみ 伊角の春吉房ン ・ヘ重坊主 斧の嘉右衛門駒留文太郎旅芸人 ( 夫婦 ) 娘お栄山阪の仙助老いた農夫 旗雲甚太郎赤の赤次郎平太郎 和田当馬寺男善作女房と娘 斧の三吉・旗雲の戸平、同じく塚造・甚太郎の手下たち・ 前の試合見物の人々・後の試合見物の人々・そのはか。

2. 長谷川伸全集〈第16巻〉

春吉念に及ばねえ、四ッ半きっかりに一行寺裏へ出向お栄思や短い夫婦の練だけれど、あたしは嬉しかった いてやるから、甚太も当馬も、他の奴等も出揃ってろ と、伊角の春吉の返事を必ず忘れるな。 春吉俺だって、思い置くことはちッともねえ。した 戸平不貞腐れて強がってやがらあ。 が、親分の血を吸った土の上を、娘と婿のご最後どころ 巻蔵遅いと迎えにくるぞ。 とは、和田当馬の悪どい智恵に違えねえ。 春吉ゃい草鞋泥棒、元の通りに置いてゆけ。 お栄宿の者を見物に狩り集める魂胆の貼り札も、去年 塚造 ( 手にさげている草鞋に気がっき投げ棄てにして ) ザマ の時と同じように、和田の手口に違いないね。 あ見ろ。 春吉あいつ、名はトン馬だが、悪どい智恵者だ。 なんどき 春吉そりゃあ手前のことだ。 お栄今、何刻だろうねえ。 巻蔵さあ行こう。 春吉まだ六ッ半か五ツだろう。 巻蔵等は戸を開け放しにして出て行く。 お栄じゃ、あたしや、そろそろ支度をしようかしら。 春吉 ( 戸を閉めに行き、外を覗く ) ( 鏡台を出す ) お栄 ( 春吉のうしろから外を覗く ) 春吉 ( 右手に脇差を持ち片手だけで、抜刀する練習をする。傷 つける左手の肘の内に鞘を挾んで抜く、脇差を縦に立てて抜刀す 春吉 ( 戸を閉める ) お栄。もういけねえ、覚悟をしてく る等 ) お栄 ( 化粧の支度をする ) お栄一行寺裏へあたしも一緒にね、その方が本望だ。 ひとたち 春吉屹と俺は、甚太か当馬を一太刀斬る、なあに、斬春吉 ( お栄のすることを見ている ) らせて置いて斬りゃあ斬れらあ。 お栄 ( 鏡に映る春吉の顔を見て振り返り ) 春吉さん、今夜は お栄ちゃん、思い切り厚化粧をしてみるの、どんなに綺 お栄それを土産に、あたしや人手を借りずに、自分で れ形をつけるよ。 麗になれるか、見ていてくれない。 し春吉お栄。 春吉おい来た。 入口の戸がガタンという。 段お栄お前さん。 春吉おやじさんの追善に、春吉お栄二人揃って夜の露お栄 ( 化粧の手をとどめる ) おや。 春吉 ( 脇差を携げ、屹と入口を見詰め土間へ下り、戸を開け かた れ。

3. 長谷川伸全集〈第16巻〉

162 いちようじ えもんだと、さっきも一行寺の和尚さんがいったつけ。 春吉何だと。 段七、左様ならだ。お栄、内へはいれ。文太、みんなも段七男はここだ、胸の中にある性根だ魂だ、俺の持っ はいれ。 てる魂がどんなものだか俺は知ってる、だからそれを云 段七だけ取り残されている。 ってるんだ。 段七 ( 怒って急ぎ立去ろうとして振り返り、つかっかと戻っ春吉それがどうした、春吉の胸にや魂が宿っちゃいね えとい , つのか。 てきて ) 何があっても俺は知らねえぞ、あいっと俺と、 どっちがよかったか、後悔しねえようにしやがれ。 段七いねえ、いねえ、いねえとも。俺のような魂が手 前なんそにあるもんか。 春吉いくら兄弟分でもあんまりな云い草だ、あやま 伊角の春吉 ( 二十六、七歳 ) 駈け来り段七に心づく。 れ。 春吉段七じゃねえか、大変だ、一緒に来てくれ。 ( 家 へ入ろうとする ) 段七何が兄弟分だ、俺はたった今、芹の嘉右衛門と赤 段七なあんでえ春吉か。 の他人になってくれたんだ。 春吉俺は妙なことを聞き込んだ、もし本当ならこうし春吉おい。そりや本当か。 てはいられねえ。 段七手前とも赤の他人だ。 段七嘉右衛門さんの眼がつぶれてるとは思わなかっ春吉こんな時に飛んでもねえ。おい段七、そこに居て た、何のことでえ。 くれ。俺が行って親分にとりなしてくる。大変なことを 春吉親分の眼がどうしたと。 聞き込んだのだから待っていてくれ、どこへも行ってく 段七お栄ちゃんも盲だ。 れるな。 ( 家へはいる ) 春吉えツ。 ( びつくりして行きかかる ) 段七ゃい春ーーー春吉、待ちゃがれ、手前にはいうこと 段七春吉、待て。 がある。いわずにいると腹の中でむれて口が臭くなる。 春吉何だよ。 ゃい待て、フン、何とか彼とかぬかしやがって逃げやが 段七春、俺と手前と、どっちが男は上だ。 った。どうで女好きのする野郎なんてそんなものだ、ザ マ見やがれ。 ( かッと唾を吐いて立去りかける ) 春吉え、何のことだ、それは。 きた

4. 長谷川伸全集〈第16巻〉

お栄あ、当り前じゃよ、 オしか。お前さんのいない世界春吉しまッた、窓から覗いた奴がありやがった。 お栄あツ。 ( 急いで、窓を開け外をのそく ) に、だれが生きてなんかいるものか。 春吉よしツ。俺はとめねえ、ここに居ろ。今夜の討入春吉 ( 脇差を手にして ) 居るか。 お栄いない。 りはたツた一人ぎり、へへ、気が揃って結句いし お栄首尾よく行ったら、引揚げてきておくれだろうね春吉いねえ、どれ。 ( 窓から覗こうとする ) お栄お前さんはおよし。ああ、あすこに黒い影がみえ え。 春吉 るけど、人かしら、それともあれは。 この命の半分はお前のものだ、大事につかってく 春吉甚太の身内に見付かったのならそれまでのこと】 るつもりだ。 だ。お栄、その水を持ってこい。 お栄運がよければ共々に、長い草鞋を穿けたら穿こう お栄あいよ。 ( 窓の戸を閉める ) し、枕を並べて死にもしようし。 春吉とお栄と水盃をする。 春吉俺よりも先に来て戸を叩く奴があったら、その時 外で声がする、低い声で「今晩は今晩は」といい、戸を は、伊角の春吉は打死したと思え。 お栄三声呼んで、お前さんの声が聞えなかったら、戸 を開けないで、 ( 匕首を抜きかけ ) こいつで、ズ・ハリと自分春吉 ( 脇差に手をかけ、乗り出す ) お栄 ( 春吉を引きとめ、起って行く ) どなた、どなたです。 を殺すよ。 ええ、え。一行寺の寺男さん。 ( 春吉に「どうしよう」と聞く ) 春吉も一度会えるか、これッきりで別れるか。お栄、 春吉 ( 覚悟して「開けろ」という ) 水盃だ お栄 ( 用心して、春吉に眼で合図して、戸を開ける ) お栄あいよ。 ( 水をとりに行く ) 外はとつぶり暮れている。 窓がその以前に少し外から開き、たれとも知れず覗いてい れ 一行寺の寺男で片足悪い男が飛び込んでくる。 ぐ し る。 寺男 ( 急いで戸を閉め、太息をつく ) お栄どうしたの、寺男さん。 段春吉おや。 窓がピタリと閉められる。 寺男今、今、今、聞いた。甚太郎の子分三、四人、こ お栄 ( 水を入れた丼を持って ) どうして。 こへ来る。

5. 長谷川伸全集〈第16巻〉

春吉和田当馬の腰をみろ、長え短えで二本、あいつが に入っているのは、鉄か鉛か。 手前にや見えねえか 当馬望みに任せ、白刃と白刃で勝負してやる。 ( 竹刀の 重坊主おうなるはど、そうだ。 ことを糊塗するために迫る ) 春吉判ったら引ッ込め。 春吉待て待て。ゃい甚太。伊角の春吉が、一世一代を 当馬まだか、春吉。 とッくりうぬには見せてやる、よく見て置け、一生忘れ 春吉急くな三ビン。 られねえような死方をして見せてやるそ。 ( 右手に持った 当馬おのれ、急くな。 脇差を、ヒョイと持換え鞘を振り飛ばして抜刀する ) 春吉 ( 当馬の前へ行く ) 当馬 ( 抜刀する ) 当馬竹刀をとれ、拙者も竹刀をとっている。 数合する、技倆は違っているが春吉は幸運で、危ない処を 免れて闘いつづける。 春吉 ( 竹刀を足で蹴って ) 手前の竹刀を俺によこせ。 当馬何だと、こいつ。 春吉渡せねえのかその竹刀が、何で俺に寄越せねえ、 段七、五分も透かさぬ股旅風俗で顔を手拭で包み、甚太郎 去年の竹刀もそれだろう。 の腰を蹴る。子分等は試合に夢中になり知らずにいる。 当馬判った。お前の所望は真剣勝負か。そうだろう。 甚太郎何をしやがる。 おい戸平、この竹刀を持ってゆけ。 段七そら。 ( 斬り倒す ) 戸平 ( 起っ ) 今までは、去年惨事があったので鳴りを鎮めていた見物 が、俄然、叫喚する。 春吉そこへ置け、抛ってみろ、抛れめえ。臭え臭えと 田 5 っていたが、その竹刀には仕掛けがあるな。 当馬 ( 喫驚して飛び退き、身構える ) 当馬云い懸りをつけるな。この場になって男らしくな春吉 ( 驚きながら、当馬に対抗する ) 段七 ( 繩を越えて ) 春、退け。ええ退きやがれ、退けッ 春吉手前、男らしくその竹刀を抛れ。 退け。 当馬ようし。 当馬うぬ、何奴だ。 戸平 ( 当馬の傍へ行き竹刀を受取る ) 巻蔵、房ンべその他、抜刀して春吉、段七に備え、一方で 春吉抛れめえ、ザマを見ろ。去年も使やがったその中 は倒れている甚太郎を囲む。

6. 長谷川伸全集〈第16巻〉

185 段七しぐれ 甚太郎房、帰ってきたか。 ( 子分が持ってきた床几にかける ) 巻蔵黙ってろ。当馬さんのロを塞ぐじゃねえか。 重坊主フン。 ( 横を向く ) 房ンべ へえ、只今。 当馬どうだ春吉。お栄と名残りを充分に惜しんできた 甚太郎春吉と入れ違えになったらしいな。 房ンべ残念でした。 春吉察しの通りよ、髪まで女房に撫ぜっけさせてやっ 甚太郎話はあとで聞こう。もう始まるんだからなあ。 てきた、見ろ。 房ンべあらましは聴いたようなもののよくは判らねえ、 当馬 ( 嚇と嫉妬を起す ) こりや何のことですね。 当馬黙って見てりや判る。おや、変な着物を着ている巻蔵 ( 春吉に ) 長脇差を渡せ。 春吉何、甚太の腰をみてから云え。 巻蔵おや、手前、親分と試合をする気できたのか。 房ンべこれはその。 重坊主が駈け来る。 春吉でなくって、だれと勝負を争うのだ。 当馬拙者だ。 ( 繩打ちの中央に起ち、両手に竹刀を一本ずつ 重坊主来た来た。春吉の奴がきた。 持っ ) 甚太郎何ッ来た。 ( 起ちあがる ) 春吉え。うむ、そうか、望むところだ。 当馬親分、まあ、腰をかけていなさい。 甚太郎うむ。 ( 腰を卸す ) 当馬嘉右衛門の追善には、その晩の名代相手、和田当 見物が喝采する。 馬が、一番よかろうが。春吉、支度がよかったら、繩を 春吉、晴れ着をまとい、右手に脇差をさげ、竹藪を通って越えてこっちへ来い。それ竹刀だ。 ( カラリと竹刀を一本抛 る ) 来る。 春吉覚悟と一緒に支度はしてある。 当馬漸く来たか春吉。 当馬来い 戸平俺は、逃げやしねえかと心配していた。 春吉行くとも。 巻蔵 ( 戸平に ) 黙ってろ。和田さんに悪いじゃねえか。 春吉まだ四ツの鐘は鳴らねえ。 重坊主待ちゃがれ春。長脇差を渡せ。 重坊主今夜はここの寺の者は動してやがるから、時の春吉手前はあっちへ行って見てろ。 重坊主おや、この野郎。 鐘を撞くかどうだか、 ( 巻蔵に ) なあ。

7. 長谷川伸全集〈第16巻〉

176 お栄ああ忘れていた、着換えたらどう。 春吉我儘いっちゃいけねえ。俺一人で踏込む敵地だ、 春吉やがて段七がくる筈だ。 生きて返ってこられるものか、だから佐野へ。 お栄今、ここへ。 お栄えツ、お前さん一人ぎりかい 春吉なあに、宿外れの杉山稲荷、あすこで出会う約束春吉何、そうじゃねえ、段七も一緒だ、二人のうち一 だ。でなお栄。お前、佐野の伯母さんのところへ、行っ 人、生きて返りやめつけものだ。 てはくれめえか。 お栄お前さん、隠しているんだろう、段七は厭だとい お栄ええツ。じゃ、段七さんと二人で斬り込んでゆく ったのに違いない。 春吉いや。 のが今晩なの。 春吉大きな声をするなよ。壁に眼があり耳があるこのお栄そうだとも判ってるんだ。あいつは自分のこと 頃の簗田では、家の中の話にも汕断は禁物だ。 を、俺の魂は違うんだなんてノメノメという奴だ、そん な奴に、男らしい男なんてありッこない。お前さん、藤 お栄ああいいとも、あたしが男なら一緒に死ににゆく のだけど、いくら気が強くても女は、女、お前さんの足原くんだりまでわざわざ行って、断られてきたんだろ 手纏いになるだろうから、あたしのことに構わずに安、い 春吉 して行っておくれ。 いかにも気休めにいった嘘だった。全くは段七の 春吉じゃ佐野へ行ってくれるんだな。 奴、頭ごなしに他人扱いだ。 お栄あたしゃ佐野の伯母さん処なんか行きやしない。 お栄矢ッ張りそう。そうなったら尚のこと、あたしは 春吉え。 ここに居残っていよ , っ 物 - つ、、ら・ お栄ここにいて、吉左右を待っているよ。 春吉いけねえ、居残っていたらどうなると思うんだ。 春吉そいつはいけねえ。佐野へ行け。 お栄あたしも芹の嘉右衛門の娘、和田当馬の慰み物に お栄厭。 はなりッこないから、安心していておくれ。 春吉 いうことを肯かねえか 春吉気性はそうでも女の身では。 お栄佐野へ行くより、ここにいたいよあたしは。伯母お栄お前さんやおとッさんに恥を掻かせるような、身 さんは、機嫌の取り難い人なのはお前さんだって知って の終りはつけないよ。 るじゃないか。 春吉死ぬのか。

8. 長谷川伸全集〈第16巻〉

らねえか。 お栄ええ。 ( 憂いに沈んでいる ) しゆく 旅芸人夫婦は、礼をいいながら出て行く。 お栄宿ではその噂をするものも無くなったとさ、甚太 夕日の色は薄らぎ、宵の色がやや加わって来る。 郎や和田当馬が怖いんだろう。 お栄が溜息をついて、行燈に灯を入れる。 春吉確かに当馬のしわざと思うんだが、ここはお旗本 鐘の音が遠く聞える。 の知行所で、代官所では預り地だし、支配違いなのだか ら、身を入れて下手人なんか探しやしねえ。 伊角の春吉が、塩谷郡藤原からここ足利郡簗田へ帰って、 お栄お前さん、どうだったのさ。 人目を忍び家へはいる。 春吉え、段七のことか。 お栄うんと云ったかい。 お栄がぎよっとする。 春吉え。 春吉お栄、俺だ。今、帰ってきた。 お栄 ( 安心して ) お前さん帰ってきておくれか、ああよお栄あの男のことだから、何の彼のといっただろう。 春吉なあに、承知してくれた。 お栄えツ。 春吉留守に変ったことはなかったか。 ( 草鞋をぬぐ ) お栄甚太の処の奴が、厭がらせに、覗きにくるのが毎春吉あいつ、俺がいった通り、よく知らせてくれた、 親分と縁を切っても心は子分、受けた恩返しに腕貸しを 日さ、好かない奴等さ。手の疵は。 しようと一も二もなく引受けてくれた。 春吉大分いいが、まだ使い物にゃならねえ。 お栄この頃房ンべがいないということだけれど、もしお栄まあ。 春吉お前が思うようでもねえ、段七は今更ながら頼母 ゃ。 しい男さ。 春吉その房ンべの野郎に途中で・ハッタリぶつかったん あさはか れで、締めてくれようと追っかけたところ、泡くらって雲お栄それじゃあたしの考えは、女の浅墓というものだ かどぐち ったのかねえ。だれ一人として門口に足踏み一つしない しを霞と逃げやがって、とうとう見失って残念した。 ( 坐 段る ) 今、気まずく別れた段七さんが、お前さんに腕貸しをし てくれるとは、全く、あたしにや夢みたいだねえ。 5 お栄そうして、あの。 春吉 一行寺の和尚さんを河原で殺した下手人はまだ判春吉段七は、恩も義も弁えている男だ。 たのも

9. 長谷川伸全集〈第16巻〉

170 てめいたち 太郎ととうとう昻じて喧嘩になったかーー手前達あ負け春吉殺されたそ。 やがツたんだな、だらしのねえ、何のことでえ。 段七何。 春吉負けた、散々だ、何といわれても仕様がねえ。 春吉下手人は和田当馬だ。 段七云うな、その先をいうな、手前達の喧嘩の勝ち負段七甚太の嬶の男妾か。いつだ。 けを聞きたくねえ。俺を見ろ、この姿を見やがれ、俺は春吉去年、お前が盃を返した晩だ。 百姓だ。大地が育ててくれるなり物に精をつけ力をつ段七ううむ。 ( 唸る ) け、汗を掻いてくらす百姓だ、手前達とは違うんだ。 春吉聞いてくれ、こういう訳だ。 春吉段七。もっと俺に悪態をつかねえのか。 段七厭だ、娘の亭主は手前だ、俺より手前の方が男は 段七何。 一枚上と見込まれたんだ。聞かねえ、聞かせるな。 春吉お前の目の前へ出ればどうされるぐらい、俺も知春吉 だから、のつけにこの傷を見せたんだ。 っていた。そんなことではいけねえ、もっと毒づけ、悪段七百姓だあ俺は、足を洗って百姓になったんだ 態をつけ、殴れ、蹴れ、俺は地面に額をすりつけ、お前ばくち打ちの喧嘩沙汰を知るか。 のする通りになっている。 春吉お前それで済むか。俺もお前も可愛がられたんだ 段七くそ。殴らねえ、蹴らねえ、毒づかねえ、俺は百 ぜ。親分が、殺されたと聞いて、平気でいられるのか。 姓だ、俺は大地のなり物を育ててくらす百姓だ。手前 」に段七俺は堅気だ、平気でいてていいんだ。仕返しをす 用はねえ。帰れ、帰りやがれ。 るのは手前の役だ、俺じゃねえ。 春吉 ここで死ねと、もしいうなら俺は即座に死んでも春吉その仕返しを一ト月前に俺はやった。この疵を見 いんだ。 ろ。 段七気違え。 段七俺の仕事にそんなことはねえ。 春吉気違いにもなるだろう、このままではあんまり散春吉後生だ段七、もう一度簗田へ帰ってきてくれ。簗 散過ぎるんだ。 田は残らず旗雲の甚太の物にされてしまい、仙助始め子 段七帰れ。 分のうち骨ッばい奴は散って他国へ草鞋を穿き、残って 春吉段七。親分のことを知っているかよう。 る奴は甚太にくッついてしまい、今じや一人も寄りつき 段七何だと。 やがらねえ。 けえ

10. 長谷川伸全集〈第16巻〉

巻蔵春吉のだな。 で勝負をしよう。 春吉 ( 飛び出し来る ) お栄ええ。 巻蔵だけ踏止まり、戸平、塚造、重坊主は外へ出そうにな 巻蔵逃げを打てば云わずと知れた春吉の負け、出てき る。 て勝てば、うちの親分の負けだ、とこうなんだ。 戸平必ず出てこい。四ッ半に着到して試合の刻限は九巻蔵 ( 春吉を睨んでいる ) 重坊主春、いやがったな。 塚造刻限は四ッ半着到だ。場所は一行寺裏の原ッば春吉聞いてりや貼り札をした、何をぬかしやがる。 戸平 ( 仲間の背後から首だけ差し出し ) あんなことをいっ てやがらあ。 巻蔵すこし黙ってろ ( お栄に ) 春が勝てば、望みの通り 何でも肯こう、うちの親分が勝ったら、簗田を真ン中に春吉そりや俺の方でもいう文句だ。あんなことをいっ てやがらあ。 五里四方、影のそきも致しませんと、一札入れろ、堪忍 してやる、とこう仰有るんだ。 塚造手前の他に、だれが斧の一家では残ってると思っ てやがる。 戸平そんな眼が怖えものか。春吉が腕を斬られたの は、身の程知らずに親分や当馬さんに刃向った罰で、仕春吉手前それを知らねえのか。よく憶えとけ、斧の一 家の名残りは、こッこ オ俺一人オ 方がねえ話なんだ。 重坊主そうだとも ( 巻蔵に ) なあ。 重坊主その一人の奴の他に、あんな貼り札をしそうな奴 があるもんけえ。 巻蔵小出しに口を出すなよう。 春吉ある。 重坊主フン。 ( 横を向く ) 巻蔵 ( お栄に ) 四ツを打ったら迎えにくるから、春吉に巻蔵ある、そいつあだれだ。 春吉手前達オ よく云って置け。 ふざけ 重坊主巫山戯た野郎だ。 戸平さあ行こう、もう良かろう。 ( 外へ出かける ) 塚造 ( 春吉の草鞋を見付け、抓みあげる ) おい、こんな物が巻蔵四ッ半といえばまだ間がある。蔭ながら口上も聞 あった。 いただろう、この手紙にも書いてある、怖れず、間違わ 重坊主どれどれ。 ず、屹とこい 、、つ ) 0 、、つ ) 0