と、手短く答えただけである。 「ええ、鏡とぎい」 「風浪之助は」 と、触れ歩いた。人ッ子ひとり出てこない。 「心地が悪いと仰有って、臥床っておいでにござります」 「鏡とぎにご用はございませぬか」 赤堀屋敷を通り越して半町足らずの処で、孫助は胸をど「病人の多いことだ」 源助は朝の食事を独りで、まずそうに食べていたが、 きンといわせた。 「平井様がお見えにござります」 赤堀風浪之助が、帰りとみえて、目の前に近くなってい と、取次を聞くと、俄然、活気づいた。今来た平井は従 る。眼がどろンとしている。 兄弟である。 孫助はぞくぞくと襟許に寒さを覚えたが、ここぞと、 と、又、 「かがみ磨ぎゃあ磨ぎゃあ」 「青木様がお見えにござります」 と、捨身で触れ声をあげた。それが風浪之助に近づい 「うん、来たか」 て、間、四、五尺となった時である。 ぎよろりと光る眼を孫助に向けた風浪之助は、なんの気ますます源助は活気づいた。青木も従兄弟である。 源助は妻の部屋の前を素通りして、風浪之助の部屋へ行 もっかず素通りした。 きかけた。 そんな風浪之助ではない筈だが めかるみ 月が変り変り、五月になって、亀山城下の道路が、泥濘と、妻が部屋のうちから、 「源五どの源五どの」 だらけになった或る日。 と、呼んだ。 明け番で屋敷へ帰って来た源五右衛門改め赤堀源助は、 玄関へ出迎えたものが僅かな雇人だけで、妻がいない、し「馬鹿」 と、源助は返辞の代りに叱りつけた。その言下に かし不快な様子がない。 「何が馬鹿でござります。源五どのを源五どのと呼んで馬 衣服を更えると、 鹿と叱られる訳はない筈でござります」 「又、病人か」 と、召使いの女に、妻のことを聞いた。女は慣れ切って病人ながら声はいきり立っている。源助は振向きもせ ず、 いるらしく、 「それどころではない」
一、赤堀水之助儀、我々親並に兄の敵たるによって討ち捨 ′一こう て、本意を遂げ候也。即ち江戸表に於て御公儀へ訴え奉 「せつける者の有無は兄が見張っている。落ちついて出 り、何方にてなりとも本望を遂げ候様にと、御免を蒙り せよ、裂きでもしては、いかにも狼狽えた如くで面目ない 斯くの如くに御座候。 そ」 一、右の望み御座候故、当分主人へ深く包み、数年渡り並 の ( 註渡り中間並ということ ) 賤しき奉公人に身をやっ 半蔵は帯のくけ糸を切り、中から書面を出した。 ねんご し、今日の奉公随分大切に勤め候故か、懇ろに召使い申 足軽の一人が、勇を鼓して、三、四間に近づいてきて、 かたじけな され候段、忝き次第に存じ候、毛頭、主人方に存ぜら 「その方ども、これ、その方ども」 そうろうあいだ れ候儀にてこれ無く候間、後日、主人たるものの落度 「はツ おばしめし に思召候こと、御免蒙り度く存じ奉り候 と、源蔵が答えた。足軽が、 「その方ども、なんとして赤堀殿を殺害たか、仔細を申一、我々父は石井宇右衛門と申し、青山因幡守大坂御城代 ところ 相勤められ候時分、私ども親も大坂に相勤め居り申候処、 せ、仔細を」 この水之助その時分は赤堀源五右衛門と申し候、源五右 源蔵は三方に眼を配りつつ、答えた。 かたき 衛門親を遊閑と申候て、大津に浪人にて居り申候、この 「この者はわれわれ兄弟の父と兄の敵でござる」 遊閑に私ども親と由緒これ有り候故、源五を頼み越し申 「確かにそうか」 候に付、即ちかくまい置き、いろいろ武芸を励ませ、こ 「左様」 の者進退のことを苦労致し居り申し候処、その時分源五 と、源蔵は多くをいわぬ。何処からか家中の士が飛び出 してくるに違いないだろうから、邀えて闘い、所詮は斬死右衛門方々へ槍の師を致しまわり申し候に付、父宇右衛 門申候は、その方槍の師を致し候事心許なく候間、今少 と、一寸先のことが定まっている。半蔵が、 し稽古致し候わば、尤もの由申聞け候えば、源五右衛門 「兄上、書付を死体の袴に挾みました」 却って立腹し左様に心許なく思召し候わば、試合仕り見 水之助の袴の紐に一通の書置が白い。 申し候段、是非なく試合仕り、源五右衛門は素槍の竹 石井兄弟が水之助の死体に残したのは、次の文面のもの 刀、父宇右衛門は木刀にて、何の手もなく源五右衛門の である。 槍に付入り、少しも働かせず、打伏せ申し候が、意見中 覚 むか いずかた
あせり 「旦那様、お焦慮になってはいけませぬ。彦七様がご一緒て、 四でないので、神様が源五をお出しにならぬのでござりま 「なんという奴じゃ、源五右衛門という奴ぐらい妙な奴は ない、判らん彼奴の気が」 あぐら 「いや俺の思っているのは、そうでないことだ」 と、胡坐を掻いた。 「なんでござりますか」 そのうしろから新五兵衛、つづいて又八郎もはいって来 た。新五兵衛が、 「ここへ来て二日目あたりから気になってならぬ。それは な孫助、源五に智謀に長けたものが味方して、万事指図し 「三之丞殿、この茂七の奴が気短かで、いつまで、ここに ているのではないかとの疑いだ。果してそうだとすると、待っているのだと、先ほどからわしを叱って困る」 はたごめし 「おりや叱りやせん、旅籠飯を食って、ぶらぶら日を送る 俺はこうして居るうちに、彼奴等の策略に乗せられ、近い のがつまらんといったのじゃ」 うちに返り討ちになるのではないかと思う」 「がんがんいうな茂七」 「何を、何を、旦那様は申されるのです」 「背中に水をそそがれたようにそれを思うと寒くなる。恥「黙っておれん、この本郷にこうして待受けているという こと、彼奴等も生きているのじゃ、知らぬものでもない、 かしくて、そんな臆病なこと、大飼の者には申せぬが」 うむ、知っとればこそ出てこぬのじゃ、つまりここにおれ 孫助は思いがけない主人の述懐に、ぎよッとして、 むだ 「そ、そ、それは、旦那様にもお似合いなさりませぬことばおるほど冗じゃというのじゃ」 を申されます」 「そう云わず、今一日待ってみろ。引揚げたが、その後へ と、食ってかかりそうになった。三之丞は苦笑いして、彼奴が出てきたでは、後悔する」 「おりや、こう思う、街道筋へ、毎日毎日建札をたてるの 「自分でも愚痴な考えと叱ってはみたが、思わぬときに思 い出してならぬ。事によると、彼奴等の罠に、知らず知らじゃ、源五右衛門出てこい出てこいと建札で悪口雑言して 怒らせてやる、なら出てくるにきまっている」 ず俺は、追いこまれているかも知れぬ」 「そのテに乗る奴か」 「いけませぬいけませぬ、そんなお気の弱いことで、どう なされます。お体が悪いのでしよう、当分、ご養生なされ何彼と議論は昻じたが、新五兵衛のいうとおり、六日目 を本郷で迎えたが矢張り現れなかった。 ませ、広島へひとまずお引揚げは如何でござります」 その筈である。源五右衛門は美濃の国不破郡今須の宿に そこへ茂七郎が、溢れるばかり元気な顔ではいってき ・一う
相成候。それより以来心掛け罷在り候え共赤堀源五右衛「は ? 」 門有り所知れ申さず候。此頃御当地へ往来仕候由承り候些かぎよっとした。夏目八兵衛が、時どき、屋敷の外へ くる兄源蔵を見知り、遠廻しに探索のロを切ったのではな に付、今明年の内に尋ね出し、本意を遂げ度く存じ奉り いか、もしそうだとすると、この人は赤堀水之助の手先 候、恐れながら御帳面に留置なされ下され候わば、有難 だ、と、思う、いが眼に出た。 く存じ奉る可く候。以上 とらどし 八兵衛はそうとは心づかず、 石井源蔵 元禄十一寅年十一月十六日 「何を目を丸くいたすか、実直な僕が一人欲しいのだが 石井半蔵 源蔵は奉行所にさえ、敵の在所を隠した。 元禄十三年の元旦を、源蔵は人夫姿で江戸の場末のいぶ「あ、夏目様がでござりますか」 しもべ せき宿で迎え、半蔵は桜田の板倉邸内で迎えた。兄は三カ半蔵は安心した。そう云えば八兵衛の僕の九助が、二 人主人一人中間はたまらねえ、やれ九助それ九助と、水の 日を飢えて送り、弟は平常より多忙に送った。 源蔵は三十三歳になった。半蔵は三十歳である。兄は広む暇さえ滅多にねえ、今度の出代りには、何をなんといわ 島を出て足掛け十九カ年、弟でさえ足掛け十三カ年になれたとて、必ず暇をとる , といっていたが、さてはその代 る。ふたりとも、屈強な壮漢になってはいるが、頬骨が出りだなと気がつくと、同時に、兄源蔵が板倉家中へ入りこ む、これぞ天の与えと、ちらりとながら、緊張して、 て眼がくばんでいる。 「ごギ、ります」 節分が過ぎ、三月はじめのこと。 八兵衛は喜んで、 半蔵がきようもまめまめしく、主家の古葛籠の手入れを 「お前のような男だぞ、骨惜み者はいかん」 していると、うしろに人影がさして、 「十 6 、 0 、 、し当りが′」ざります」 「おい、よく働くの」 つづみうちなつめはち・べえ と、 「一人主人に一人下郎は、お前達の間では厭がると聞いた いった人がある、鼓打の夏目八兵衛である。 が、その男も、厭というのではないか」 「は。これは夏目様でござりましたか。ご通路の邪魔をい 「いえ、そんなことはござりません。是非とも伊勢の国へ たし、相済みません」 参りたいと申しておりましたから」 「邪魔にはならんよ、時にどうした、お前みたいな男が、 と、 ってからはツとした。夢にも口にしてはならぬ、 もう一人おらぬか」 つき ふるつづら しもべ
態は、見苦しくはござりまするが、譬え、御門前にて、顔とも、見当り次第、討ち留めて苦しからず。追ッつけ、吉 見知りのものに出会いましようとて、敵討御帳を、私、願報を承りましよう」 い出でしとは覚られざる用意にござります。尤も、本望遂「有難う存じます」 り「南御奉行様へも参られますか」 げまする節、着用の衣服、使用の刀剣は、或る処に、取 隠しござります」 「参上いたします」 「左様か、暫く待たれい」 「半蔵は弟であるな、両人にて何故まいらぬ」 「半蔵儀は奥羽に罷り越し、敵をたずねおりますうち、病役人は一通の書面をかいて源蔵に与え、 「口上書をまず差出し、次に、その書面を出されるがよ にかかり、彼の地にて只今、養生中にござります。よっ し」 て、私一人、御帳を願い出でましてござります」 「父、討たれしより二十六カ年に及び、御帳を願い出でる「有難く存じます」 そえしょ は余り年月が経ったではないか、なんの仔細あってだ」 これは役人の好意で、添書をつけてくれたのである。 「父石井宇右衛門討たれましたるとき、私ども兄弟、年幼源蔵は夕日をあびて、呉服橋内の南町奉行所に行った。 そこでは、添書があったために、すらすらと用済みになっ 、漸く生長いたしましてより、諸国に敵をたずね、おい おい年月を重ねましたるところ、この頃、敵が江戸へ立廻た上、奉行松前伊豆守の激励の言葉を、役人が伝えてくれ りしと承り、時こそ来りしと存じ、急ぎ、御帳を願い出また。 これで、天下、何処でなり、赤堀水之助を討取っていし ことになった。 役人はむずかしい顔で、源蔵を見つめていたが、急に、 南北奉行所へ出した源蔵の口上書は、次のごときもので 篇柔和になって、 ある。 「控えておれ」 兄「はツ 私儀石井源蔵と申す者にて御座候、私親石井宇右衛門と 申す者、青山因幡守殿に知行一一百五十石下され奉公罷在 源再び役人が出てきた。今度は、前と違って、はじめから 石優しく、 り候処に、一一十六年以前、摂州大坂にて、赤堀源五右衛 門と申す浪人、私父宇右衛門を暗討ちに致し立退き申 5 「願いのごとく、摂津守様お聞きとどけ遊ばされ、御帳に とどめたれば、この上は江戸は申すに及ばず、下馬先なり候、共時分私六歳、一人の弟三歳にて御座候故、延々に たと やまい
敵を探すといっても、先方も生きている人間だから、討たで、遊んでいればいられるのに、どうして危い方へ行きた れまいとして逃げ歩いているんでしよう。それじや広い世がるのだろうねえ重助さんは」 間のどこを探していいんだか判らないじゃない、そんな雲「俺は武士だ。まだ子供の弟に、敵討ちをされてたまる を掴むような探しものをするのは、当世向きじゃないと思 力」 うねえ。それに、万々が一、うまく目つけたところで、先「あたしに怒らないでおくれよ、あたしが悪いのじゃない 方が強けりや此方の損じゃないか、およしなさいよ。それからーー仕様がないねえ、あたしと一緒にいれば、体は楽 よりはあたしと一緒に大坂へ帰っておくれでないか。重さ だし、食べたい物は食べられるし、欲しい物は買えるし」 んは何もしないで遊んでいればいいんだから、ねえ、それ「そんなことはよろしい。おい、ひと月おきに源五を探し に出て、大坂の家へ必ず帰るから、その路用の金をくれと 、刀 . し . し」 じようち いったら、なんといった」 お勘は情痴より他の世界を持たないらしい。 「そりや厭ですと断ったさ」 「黙れ」 「だから俺は伊予へ行き、路用の才覚をした上で、源五を 「あら怒った ? 」 「怒らずにいられるか、俺の父は非業に果てて最早十カ探し出して討ってとるのだ。そうすれば、俺の姓名が日本 年、その間、俺は随分と骨折って源五を探したものだ。尤中に広まる、そうすれば旧主青山から第一にお迎いがく も、ここ暫くはお前と一緒にいて、源五探しはやめたようる、青山様ばかりか、諸侯方から続々と召抱えたいとお使 なものの、心のうちでは、絶えず彼奴を討っことを忘れて者がくる。どうだお勘、そうなればお前は立派な武士の妻 だ、悪くはなかろう。そういう仕合せが目の前にぶら下っ いなかった」 物「又怒るかも知れないけど、なんで急に又、敵討ち敵討ちている俺だ。路用の金を出してくれ、そうすれば、何も、 といい出したのさ。一時は、兄さんがその方はやるから、室津から伊予まで海路をわたることはない。今からすぐに 兄委しておくと、あれほどさつばり忘れていたくせにさ」 大坂へひとまず引返すがどうだ」 「ちょいとちょいと。室津から何所へ行くのだって、お気 源「忘れてなどいたものか」 の毒さま、それじゃ損ですよ。伊予の松山へゆくのなら備 石「今そんなこと急にいっても駄目」 ぜんうしまど 前の牛窓へ行って船へ乗ったらどう」 「忘れているものか」 「なんにしても危いことじゃないの。そんなことしない 「いやこの前行ったことがあるから、俺の方がお前より確 むろっ
「そうしたら、さそ源五の悪運がいよいよ盛んになるでし 「あります」 よう。兄上は何をボンヤリしている。敵は、この辺に最早「何が」 おりません」 「云いますまい」 「おる」 「云え」 「いません。いるというなら、たれが何処で、源五の姿を「聞きたいのですか、では申します。兄上は、一度、大坂 見かけましたか」 へ帰りたいでしよう」 「それはだれもない。見かけたら逃がさぬ。見かけはせぬ「馬鹿。本望を遂げぬうちは、帰りたくても帰れぬ、何を が、そのくせ、どこか近くにいて、われわれをひそかに狙馬鹿な」 っている、としか思えぬ。それだからここで機の熟するを 「だから、余計、募るのです」 待っているのではないか」 「何が、募る」 おうち 「おらぬ者を待っと、機が熟しますか」 「市瀬市左衛門殿御内の、或る人のことです」 「おらぬという証拠はあるまい」 「馬鹿なことを又いう」 「おるという証拠を持っていますか、ないでしよう。何故「肌身に何をつけておるのですか、兄上。弟のわたくしに だか知っていますか、教えてあげましようか、それは確か隠して、何を大切に、肌身放さず」 におらぬからだ」 それは彦七が、いっか見てしまった三之丞の、隠し持っ 「弟、そう苛立たずに」 ている守袋のことだ。 「兄上と一緒にいたのでは、生涯、源五に出会えません。 守袋は市瀬の娘のつくったものである。 「彦七お前は、三、四日前、垂井へ出たな」 帽わたくしは一己でやります」 「 .. はにツ 「話を逸らすのですか。ええ、出ました、どうかしたので 兄さすがに三之丞が憤激した。彦七は拳までふるわせ、一すか」 源抹の冷笑さえ浮かべ、 「一人で出てはいけないぐらいは、知っているだろう」 石「わたくしが別になれば、兄上は気兼がなくなるでしょ 「一人ではありません。茂七、又八郎と三人です」 1 、つ」 「それはお前が一人で、垂井で、酒を飲んでいると聞き、 あやま 「何の気兼だ。兄弟の間で、気兼があるか」 又八郎、茂七が、過ちあっては取返しがっかずと、行って
「お前は、彦七と一ツにいる時でなくては、本望を遂げてけ、ぶらりぶらりと歩いていた。見たところ此の辺の郷士 の子らしい は亜 5 いと田フか」 三之丞主従はそれに少しも心付かずにいる、新五兵衛の 「いえ、左様には存じませぬが、彦七様が、お可哀そうで なりませぬ」 一行も気がっかない。 その若者は赤堀党の一人で、源五右衛門の従兄弟だっ 「心柄だ、是非がない」 「それは左様ではござりますが」 三之丞主従が醒ケ井まで行かず、途中、右に曲った、そ 「叱ツ、人が通る」 こに本郷村がある。代官所はすぐ知れた。 三之丞主従は関ヶ原へ出て今須へ行き、今須から程な 新五兵衛の一行も、右に曲って本郷村へむかった。と、 、美濃近江の国境を越えた。 〃寝物彼の若者が振返って眺めていたが急に引返した。いくらも そのころの旅人は興味をこの国境にもっていた。 まだ歩かぬうち、肩にした馬の沓を、 語の里〃といってである。 「おい、くれるぞ」 寝物語とは、美濃といい近江といえど、人家並び居て、 隔つるは家の壁一ツ、されば寝つつ、国を異にした同士通りがかりの農家の土間へ、ばんと投込んで行ってしま った。 : 、りムロうということから起ったとい、つ。又、隔つるは そういうことがあったと知らぬ三之丞は、秋山武左衛門 家の壁ではなく、溝のごとき川一筋だともいう。 の添書を代官所の元締に出した。 護衛役の茂七郎が、新五兵衛の袂を曳き、 代官所の扱いは親切を極めた、が、赤堀源五右衛門はま 「出ぬな、彼奴が」 だここには現れていなかった。 「黙って歩け」 新五兵衛が指図して、宿を本郷村にとり、源五右衛門の 「心得た」 さめ 兄車返しの小坂を過ぎ、醒ケ井方面へ、三之丞主従が向っ代官所出頭を、きようかきようかと、待ち設けて五日にな よそお オカ遂に空しかった。 源ているそのうしろから、飽くまで別々の者を扮い、新五兵っこ、、、、 座敷に人なきを幸い三之丞が、 石衛一行三人が歩いている。 その又うしろから一人、脇差を帯し、袴を穿ち、古下駄「孫助。不便だと彦七のことを云 0 た俺の方が却 0 て不便 源五の奴、巧みにわれわれを飜弄する憎い奴だ」 をひきずる二十二、三歳の男が、馬の沓を五、六足肩にか ヾ ) 0
ら、父上のご無念は遂にはらせないで終ります」 くれるな、何事も兄弟二人、熟談の上でやろうではない 力」 「それは取越し苦労だ。敵の病死を懸念するなら、只今だ とてじッとしてはおられないではないか。今、直ちに源五 めぐりあ 「彦七、叱るわけではない、聞くだけだ。何故、だれにもに邂逅わねば万事休すと考えるのと同じだ」 告げず突然に発ったのだ」 「そうです、それだから彦七は無断で発ったのです」 「大津を目ざしてな」 「返り討ちになりたくないからです」 「だれに」 「そうです。わたくしが遊閑を討果します」 「さあ」 「高岡の伯父が手引きしそうです」 「彦七、落着け。どうしてそんな妄想をかくのだ。お前ら「兄上、わたくしでは返り討ちになると思われるのです しくないではないか」 力」 「わたくしが卑怯者だというのですか」 「いや、そうではない」 「そうは云わない。高岡の伯父様は武士だ、そんなことを と、云いはしたが、どうであろうか。衰弱している彦七 なさる筈がない」 は、きのうよりきよう、血相も悪く、眼の光も濁って 「わたくしは油断がならぬと思っています。わたくしが突る、恐らくは仕損じて討たれるだろう。 然に発ったので、兄上もお発ちになりました、これで兄弟「とにかく、大津へ行こう」 二人とも、返り討ちになる惧れが、最早なくなりましたか と、三之丞がいい出すと彦七はにツことはじめて笑い ら安心です」 「参りましようーーしかし兄上、遊閑はわたくしが討つの 篇「兄はそう思わない」 です、よろしいのですね」 「、つン」 「その油断がいけません。わたくしども二人が返り討ちに 弟 兄なると、源五を討つものがありません」 弟を賺かす心算で仮に同意した。 源「ある。いつも云っているではないか、十三郎、亀之助の石井兄弟主従四人は、それから垂井へ出て、柏原へ向 石二人がいる」 い、中仙道を順路、大津に向った。その道すがら三之丞 「あれ達は六歳と三歳ではありませんか。十年経ったとては、彦七の健康が思ったより悪いので気を揉んだ。 十六歳に十三歳、その十年の間に源五がもしも病死した とも、心づかず彦七は快濶に振舞った、が、すこしばか
今までの例によれば、今度も亦、源五右衛門は、巧みに 「孫助か」 挑戦するだけのものらしい 「只今、垂井の宿の玉泉寺の和尚さまから、大飼の旦那様三之丞は激しくして、 に、お知らせがござりました。源五右衛門が、ゆうべ、垂「孫助。彼奴めに又飜弄されるのだ。憎い憎い」 井の宿に、このような建札を又も立てたそうにござりま そこへ、瀬兵衛が、新五兵衛、又八郎をつれ、颯爽とし てやって来て、 「三之丞、源五の奴、京上りしたらしい」 と、孫助は半紙に書いた建札の写しを拡げた。 三之丞は赫として、耳朶まで赤く染め、 と、いいながら、旅仕度した新五兵衛、又八郎を指さ し、 「又か」 刎ね起きざま、建札の与しを、食いつく如く読んでいた「事は速やかなるべし。新五兵衛、又八郎を京へのばら が、読み終るとほッと息をつき、 せ、五条橋に、石井着到、対面は何月何日何刻、と建札さ はやび 「憎い憎い。源五に俺は手玉にとられている。憎い憎い」せることにした。その建札に彼奴の返答があり次第、早飛 きや ( 手足を顫わせ憤った。 脚を寄越すによって、三之丞に孫助、わしに茂七と、この 建札の文章は相変らず、三之丞を刺戟する云い廻しで、 四人は今須まで出向いて沙汰を待受け、すぐに京上りと、 こういっている。 こういう手筈にしたがのう」 〃大垣御城下の赤阪屋に宿札を立てて待ったが、何分にも 三之丞が罠にかかり、返り討ちになるを瀬兵衛は怖れて 彼の地は、石井縁故のもの多く、われにとって不利のこと いる。それで、新五兵衛兄弟を瀬踏みに出すことにしたの 次々にあるにより、到底、尋常の勝負とは名ばかり、石井である。 利益となるは明らかにつき、已むを得ず、大垣出立、京都三之丞に異議はない。 にのばる故、石井兄弟両人のみで、早々に京都に上り、五その場から新五兵衛兄弟が発足した。 条橋東詰に着到の建札いたすべし。さすれば五条大橋の上・京へ上った大飼兄弟からの早飛脚は、待てど待てどこな ちゅうちょ きた にて尋常の勝負決すべし、必ず来れ石井兄弟、躊躇して世かった。東山道今須の宿へ出て、待受けている三之丞は、 人の嗤いを買うな。但し今日より四、五日の内を限ると心 日毎を、苛々、送った。 得ある可し〃 漸く、京からの飛脚が来た。五条橋に何度建札をたてて こ 0 かっ