九之助 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第6巻〉
431件見つかりました。

1. 長谷川伸全集〈第6巻〉

いう処があるの、そこを粤 ( オチ ) というのとおなじさ」 その九之助がさっきの松と違う樹の枝に跨って、 「わか 0 たよ国の名だね。八は何さ」 「この浦の水は唐の国へつづき候、帆をあげ候えや、風は 「八はね、閊を八ッ ( 八路 ) に分けてあるからそういう。九追手になり候」 ツの国だから九州というのだろう、いい方が違うだけさ」 と、聞きおばえの船唄を鼻の先でうたい、足をぶらンと 行列が二人の男の児の眼の下を通るとき、道端に立って遊ばせて、唐人行列が引きあげた後でも続けていた。 いる大人の頭のずッと上で、九之助は松の股に胡坐をかい 福松を探す人達が見付けて、 て、に入って見物した。 「九之助。田川の福坊どうしたか」 通り過ぎた行列を見送りながら九之助が、 「知らん」 「福坊、今の馬に乗っていた人ね、一人のひと真赤な顔「さっきまで一緒だったろう」 で、一人のひと青い顔だったね」 「今、知らん」 福松は答えない、それどころか、息をつめて行列を見送「お前が知らんでだれが知っているか」 ている。芝虎と芝鵠の顔に、父とおなじところを見つけた 九之助は顔に皺をこしらえて笑った、 こ、フい、つ・時・、いっ のである。九之助は気がっかない。 ぞや福松が俺をやり込めた言葉を使わずばなるまいと、早 「あんな人、平戸にいないや、何処から来たんだろうな速に あ」 「知っているよ、福坊が知っているよ」 大人は腹を立てて、 からか 十三 「悪い我鬼だ、大人を串戯いおる」 それからだいぶ経って唐人行列が、今度は、楽を奏さ と、怒ったが、二、三人っいて来た子供はそれが気に入 ず、すたすた平戸へ帰った。 って笑いこけた。 福松がどこにもいないので遠来の二人の使者は、甥の顔唐人行列が帰ってしまってから童王の孫のごとき素ッ裸 を見ることが出来ずにしまった。 の福松が、仕済ましたりという顔つきで、海の中から現れ 出でた。 そういう時、河内浦の子供と大人とは、福松を探してい る人達に九之助と一緒だよと答えた。探す者も九之助と一 福松が着物を身につけ、九之助と別れ、母の許へかえっ 旧だと田いっ 、↓よ一まッ

2. 長谷川伸全集〈第6巻〉

河内浦にはそんな特殊な彩色によらずとも、名物が他に 「そうじゃないのだよう。九ウ坊見にゆくかい、行かない 、刀 . し どっちに決めたい」 自からあった、浜辺につづく千里ケ浜である。松原つづき の砂地づたいに大きい児と小さい児と、二人の男の児がそ年上の児をちんびらが九ウ坊と呼んで対等扱いだ。それ の名物のなかにいた。 もだが汝は如何にと質問してきたところ、ことによるとち その日は群る白い雲が青空に浮いていた。東南風がすこ ンびらの方が、子供仲間の位置が上かも知れない。 しあるが穏かだ。 九之助はにつこりとして、 「福坊がゆくなら、一緒にいこう」 大きい児は十一か十ぐらい、四角い顔で眼が細く長い 九之助といった。 「本当は厭だけど、そういうのかい九ウ坊」 「おい、オランダ船、見にゆこうか」 「おれはオランダ屋敷なんかどうでもいいのさ、けど、福 と、 八ツか九ッぐらいの児に相談をかけた。 坊ひとり御城下へやれないから一緒にいくよ。とてもオラ 「おれ、オランダ屋敷、見にゆく」 ンダは無法だもの、おれ一緒にゆくともさ」 小さい児が自説を出した。九之助は顔中皺だらけにし 「オランダ、とても無法だねえ」 つぶら て、きやッきやッと入い 円な眼を九之助に向けた小さい児は、円いことお盆のご 「福坊、又 かい、オランダ屋敷、見るの、好きだなあ」 とき顔で、色が白く、頬が桜の花のごとく唇が朱を塗った 「嫌いだい」 と、福坊が潔家のように答えたので九之助が、 九之助は福坊の説にすぐ応じて、 「そうだよ、オランダ、とても無法さ」 「嫌いなもの、見たがるのか。おかしいなあ」 「おかしくない」 「本当に、オランダ無法だねえ」 と、小さい児が断然といった。 覚えた言葉がまだ少いので表わし方がただ一ツ、〃無法 爺「なぜだい」 だねえといっている、この児の名は福松、姓は田川、後 ていせいこう 姓「嫌いだから何度も何度も見るのじゃないか」 の国姓爺鄭成功だ。 国判らないのかなあという顔つきだ。九之助が、 「おれだったら、嫌いな物は、一ペんで厭になっちまうも の、一ペん見たら、もういいのになあ」 おのず 福松と九之助とが、平戸港をさして歩いている千里ケ浜

3. 長谷川伸全集〈第6巻〉

、しかし、七ツの子供にしては七割ぐらい普通以上で「そっちの足だよ、そっちの足だよ」 3 ある、それにしてもたいしたことはないはずだが、オラン 「こっちか、こン畜生、それ、こっちの足だ」 ダ水夫はたいしたところを蹴込まれた。洋の東西を問わず九之助は肩を入れ代え、敵の右足を担いで、 男の肉体のうちで、いわゆるたいしたところにうけた痛さ 「飛びおりろ福坊」 で、裏返しにされた正覚坊のごとくおとなしくなった。 と、叫んだ。敵味方一緒に引ッくり返したくないのであ 九之助ともう一人の水夫とはまだ戦闘の最中だ、たびたる。 び九之助は抛り出されたが絶えず突貫した、その根気のつ福松はずるずると樹からおりたごとく地に立った。九之 づく勇気を水夫が持てあまし、一発の拳で、面倒な小さな助は敵の一本足を持て扱い 闘士を片づける気になり、お寺にある地獄絵の赤鬼そっく 「一人じゃ駄目だい、手伝えよ福坊」 りの形相をした。 敵は一本足で躯を支え、担がれた足を振り廻そうとして そのとき、這い起きたばかりの福松が、九之助の敵の横いた。福松がその足に飛びついて、 から胴へ飛びついた。横に脆いオランダ水夫がほンのわず「えンやらほい。えンやらほい」 かだけ、ふらふらとなったのに乗じ、河内浦の子供中第一 と真赤になって掛け声をはじめた、それに和して九之助 ・も、 の木のばりの名人福松は、わずか二挙動で敵の肩のうえに 上半身をのしあげた。ここでもまた、あぐりと敵の横顔へ 「えンやらはい。えンやらほい」 くらわした。 小さい二ツの力が水夫を、蟻にひかれる油虫のごとくに 第二の二段鳴きをして水夫は、蜂に螫された虚弱児のよした。 うに茫然としている、その首へ片手を絡み、片手で紅い髪と、近くで男の太い声がして、 の毛をむしった。 「これこれ、わしの取る拍子で手を放せ。それ。ひの、ふ の、みいツ」 「こら、降参か、こら降参か。こら降参一か」 紅い毛が次々に二筋三筋宙に舞った。 そのとおり二人の児が一度に手を放した。突ッ放された ちゅう 「こン畜生め」 よりも激しく赤鬼が、足を天に冲して引ッ繰り返った。 と、九之助が敵の左の足に肩を入れて担いだ。福松がそ「よしよし。お前ら強いの。さすが日本の子供だわい。、 こ夂ロ

4. 長谷川伸全集〈第6巻〉

「ど、つい , つ、えらいことを」 「どこへ行っていました福松」 「嘘を吐いたの。福坊、探しにきた人においら知らないと 「獅子ケ岩で遊んでいたの」 獅子ケ岩は干潮のとき九之助が、いたずら顔を突き出し嘘いって、小母さん、ご免なさい」 「そうでしたの」 て福松に、赤児の啼声をしてからかう、そして後の世にい 率直な九之助の心にお喜奈は眼を潤ませ、華国から渡っ うところの稚児ケ巌である。 た菓子を紙に包んで与えた。 「そなた一人で」 「九ウ坊は松の木に腰かけていたの」 十四 「いけません、今頃、海へはいって遊んでは」 その宵。昼間の客が置いて行ったさまざまの海外の品が 。し」 あるので、見違えるばかり華々しくなっている母の居間で 「あのお部屋に皆さまが、お前を心配していてくださる、 福松は、頬に血の気を漲らして頑張っていた。 行ってお詫びを申上げてお出でなさい」 「泉州へ帰るの、福松は厭ではないの」 「はい」 「お前がどのくらい男らしくお詫びするか、母は聞いてお華国刺繍のある小さな蒲団のなかに、福松の弟次郎が、 すやすや睡っている。 ります」 「けれど、一人で帰るの厭」 。し、皆さま、みなさま」 わるび と、母に福松は激しく首を振ってみせた。まだ水気の残 大きな声でいって飛んで行った、すこしも悪怯れてなぞ る黒い髪が、横に、ひどい勢いで動いた。 いない。次で聞える声は、 「次郎坊と、二人ならいいのですか」 「福松は獅子ケ岩で今まで遊んでいたの」 「二人でも厭。三人で帰ります」 と、いう声がこれ又大きい。詫らしいことを一言もこの 「母にも行けというのね」 釜児はいわばこそ。 「それでないと、あたい帰らないや」 姓そのとき、門ロで、お喜奈の前に、悄然とした九之助が 「そんなことをいっていて、いつまでも帰らずにいたいの 国立っていた。 ですか」 「どうかしましたか、九之助どの」 「三人で帰るときまで、帰らないの」 「えらいことをしたの、小母さん」 みなぎ

5. 長谷川伸全集〈第6巻〉

平戸城下の海辺に高く飜えっていたオランダ国旗は、跨「九う坊、黙っているんだよ」 ぎ三カ年、引きおろされたままである。が、高さ八尺ほど と、指図した。 のオランダ塀に囲ませた広大なる敷地をもっ商務館の堂々殴りあいの達人といった驅の二人の水夫は、監視人の眼 たる建物には何の変りなく、本館と別館と休養館、それかをかすめて、躄船から脱けてきたに違いない、でないと姿 ら公会堂、倉庫、門長屋、火薬庫、鳩小屋まで備わり、海をここに現わす訳がない。 にもオランダ桟橋とオランダ防波堤をもち、国力を誇示し 二人の男の児が通り抜けると、うしろから水夫の一人が ている。この時から八年の後、島原の乱平定して帰途の松九之助を襲い引ッんで投げた。投げたのよりもッと残酷 平伊豆守信綱がそれを一見し、これは日本侵略の一歩手前だ、打棄ったのである。 で足踏みするものなりと、驚愕と観破とを一緒にやった。 もう一人の水夫に、突然、小さな 福松も無事ではない。 その後、長崎の出島にオランダ人封鎖を断行した。それほ両足を攫まれ、鶏のごとく逆さに吊され、振子のごとくも どその頃としての雄大堅固なる平戸のオランダ商務館であてあそばれた。 る。 充血で顔が小さい朱塗りの盆のごとくなった福松は、怖 4 さい手で何度も水夫の腿を掻き 福松も九之助もそんな事情を話されても判るのには遠いれも怯えもしていない。、 幼さだった。福松は殊に年下、父鄭芝童が台湾で、オラン探している、攻撃をやる気である。 ダのために余儀なく、数代っづく根拠地を棄てて海へ去っ 一方では九之助がそのときすでに突貫していた。 た、そのことも話されてのみこめる年にはまだまだであ 五 る。 二人の男の児は千里ケ浜がやがて犀きるに近いところ福松が敵の腿に漸くのことで咬みついた。 爺で、〃オランダ無法だねえ〃と、話合ったそのオランダ水「うああア」 姓夫二人が、牢破りをして目下脱走中という態度で、やって 二段鳴きの悲鳴をあげて水夫が手を放した。福松は両手 国くるのに出会った。 を地に突き、落ちて縮めた足で蹴った。力ができていない 「福坊、怖がるのじゃないよ」 小さな躯だ、かえって鞠のごとく自分の方が引ッ繰り返っ 年上だけに九之助が挺身護衛を買って出た。福松はそのた。

6. 長谷川伸全集〈第6巻〉

からは、九十九島がはのかに見える。 急に九之助が何かを思いついて、 3 「福坊、いっか行っちまうんだろう、船に乗って、遠くの「福坊後戻りしよう」 国へさ」 「ど , フしてさ」 しんきまきなお 「行かないよ」 「福坊が生れたところから新規蒔直しに歩くのさ」 「、つン、そ、つか」 「どうしてさ。おとッさんが迎えにきたら、仕方がないだ ろ、フ」 二人は小戻りして潮の中にある大きな石を眺めた。干潮 「行きたくないよ」 でないと傍まで行けない。九之助が悪戯そうな顔をして、 「ど、つしてさ」 おぎゃあおぎゃあと急に赤児の啼き声を真似ると、福松も 「おれ、行きたくないんだ」 おぎゃあおぎゃあといってあらためて歩き出した。そこは きな びりッと福松が小さな眉毛を昻らせた。 貝をひろいに出た鄭芝童の第一夫人お喜奈が、寛永元年七 「行くなよ、なあ福坊、ゆくなよ。行っちまうとおれ立、 、冫し月二十三日、急に産気づいて福松を分娩したところであ ・一うみいし ちま , フから」 る。石は今もある児誕石である。 「行くものか、行きたくないのだもの」 二人の子供は満足そうに、平戸の城下さして歩いてし 子供は話題と一緒に気を変えることが好きだ。 「帆柱のないオランダ船が今でもいるねえ」 外洋からその背中をみただけでも、その麗しさに見惚れ たすけ と、福松が港の方を眺めると、九之助が、 ると海員がいう平戸島は、玄海灘からはいって田助港を右 「オランダは子供が嫌いだよ」 にみて平戸にはいれば麗わしさが倍加する。その反対の方 「そうさ、オランダは無法だもの」 向から九十九島を右に見つつ平戸に到れば、又一段と麗わ 「十字架もっている子供は、どんな子供でも好きになるのしさが加わる。この水路からだと平戸港の手前に白沙青松 だぜ」 がつづくのを望見するだろう、そこが二人の子供が歩いて いた千里ケ浜、港はそれより奥へ些かはいったところにあ と、九之助が発見者の報告のごとく述べると、大柄でも る。 年は七ツの福松が、驚くべきことをいった。 とおる 「子供が好きなのじゃないよ、オランダは十字架が好きな平戸の領主は松浦氏、その先は源の融から卦ず。羅生門 のき」 鬼退治の渡辺源次綱とおなじ血のわかれである。 あが みと

7. 長谷川伸全集〈第6巻〉

虐めをいたしくさる。お前ら、強、、さすが日本の子だわ鼻といわれたオランダ防波堤と、オランダ塀と、オランダ し」 商務館の建物をみると、眼を輝かした。嫌いだから何度で 九之助はがすこし痛 い、だが、褒められると得意になも見るのだという、その眼の輝きである。 った。福松はそうでなかった、日本の子供だわいというそ「九ウ坊、あすこのお山、何というか、知っているかい」 いかずち れを、素直にとれないものがある。哀しげな眼が今にも涙 小さい指が示したのは、雷ケ瀬戸を眺望する後の亀甲 をこばしそうである。 城の築城地、亀ケ岡である。 声をかけた大人は千里ケ浜を見にきたどこかの武芸者ら九之助は千古の松に囲まれている亀ケ岡を仰いで、 「知っているよ、お城跡だよ」 むらぐも 福松は独りはなれて海の彼方の空なる白い群雲を見つめ「お城の名前だよ」 かなその下に父がいるのだと知っていた。 「名前か。忘れちゃったあ。生れない先のことだもの」 「日の岳のお城だよ」 こういう会談だけ聞いていると、年下の福松の方が年上 二少年が、勝った昻奮で、熱した頬を並べ、呆然と見送らしく聞える。 る二人のオランダ水夫を振返った。平戸の城下へゆくこと福松は鶴ケ峰を仰いだ。鶴ケ峰があるから亀ケ岡があ をやめずにいる。 る。鶴ケ峰にはその頃鶴ケ峰城があった。松浦家二十八世 「小父さん有難う」 隆信が壱岐守に任ぜられる前、まだ肥前守といったころ、 いったのは九之助だけで、福松はまだ悲しげな眼つきを江尸へ行っていなければこの城にいた。 している。 福松の眼はいつの間にか勝尾岳の東の麓にとどまった。 二人の〃オランダ無法〃は、監視する武芸者の、世界のそこはむかし王直の屋敷のあった処、この時は印山寺とい 爺どこにもない独特の眼つきに怖れを抱き、踵をめぐらしてう寺になっていた。 姓丸山へ、南蛮の俗謡でもあろう、下素な曲を口にして去っ「福坊、又、印山寺みているのかい」 国た。二人とも頬と腿の疵が生れた時からあるかのごとく、 コ理 , フよ」 「隠すない、印山寺みたっていいんだよ」 外れてパクバグいう靴の爪先と踵とをひき摺 0 ている。 福松の元気は城下にはいると恢復した。後々には常燈ケ 「 E ・山十じゃないよ」 ) 0

8. 長谷川伸全集〈第6巻〉

と、二人ともさ、日木・の子袵ハだよ」 「判らないねえ、どうして違うのだろう」 平戸から河内浦へむかう唐人行列が、千里ケ浜にかかる「本当に判んないや」 と、白沙青松の景色と、行列の色彩とが絡みあって、華人行列がだいぶ近くなったと見え、どぎつい言葉がよく聞 も南蛮人も見慣れたこの土地に、今までにない珍しい趣きえている。 をつくり出した。 福松のまだ見ぬ故郷に九之助がふいと興味をもった。き ようばかりのことではない、 二隻の華船から上陸した楽手の隊が、この行列に加わっ これはたびたび今までにもあ ったことである。 ているので、眼で見ずにいる者も耳が行列を知った。 数多ある松の老樹のそのなかでも、ひときわ、年経た一 「福坊の国、何といったつけ」 株の梢に、小さい顔が二ッ並んでいる。福松と九之助だ。 「・杲州さ」 「福坊。あの行列、何だい」 「そうじゃないよ、難かしい方の名さ」 「お葬いだよ」 「ああ、泉南仏国かい」 とんでもないことを福松は答えた。はるばる二隻の船を「うん、それから」 催し、血の続く芝虎と芝鵠とをさし向けた、これは福松迎「何だっけ」 いの行列なのである。 「長いのさ、ほら、福坊のおとッさんが子供のとき石をぶ 「立派なんだね、福坊の国のお葬い、でもやかましいお葬つけて、殿様が怪我したろう」 しオ」 「ああ、泉州城の門の聯の文句ね」 「そうだよ。何だっけ、あれ」 「仕方がないさ、国が違うのだもの」 「だって福坊とおいらと違わないぜ。子供がおんなじなの 「あれはね。八閊名勝無双の地、四海人文第一の邦さ」 益にさ、国が違うって、わからないなあ」 「あの話いっか針尾島の叔父様にしたらね、八閊って何だ 姓「おいらもヘンだと思っているのさ。九ウ坊が家にある華っていうのさあ、おいら知らないといったらね、知らない なふく 国国服着て、あたいも着て、二人並んでいると二人ともさ、 ことを口にするのでないって叱られたよ。だから忘れちゃ おいらの国の子供だよ」 った。八閊って何だい」 「そうさ、今だって、おいらと福坊が、こうやっている 「閊 ( ミン ) ってのはね、福建のことさ、福建の先に広東と

9. 長谷川伸全集〈第6巻〉

け、ポルトガルとは違ったテで地盤を固めた。 四 オランダの平戸入港に遅るること跨ぎ五年の慶長十八年 五月四日、イギリス船が平戸に来た。これもまた三浦の按それはそのとき、日本がオランダと国交を断絶してい 針の尽力で、平戸で貿易を許され、商務館を設けた。そのた、そのためだった。 やひょうえ 家屋は顔思斉が所有であったのを賃借して使った。 長崎の末次平蔵が出資の商船隊を率いた浜田弥兵衛が、 オランダ商務館は家屋五十戸を買い潰し、イギリス商務台湾で、商品と護身武器の没収、航行と接見と通信の封 館を尻目にかけて改築増築をやり、石造りの火薬庫まで設鎖、その上に帰国禁止まで食ったことがある。相手は台湾 けた。イギリス商務館も、その後になって一万三千余人のヘ近頃侵入したオランダ、時は、わが寛永三年で、福松は 諸工を使って拡張をやったが、買い潰した家屋は三戸だっその時三歳だった。 た。投資の競争は別としても、イギリスは貿易の竸争でオ その翌年の春、弥兵衛等は危険を突破して帰国し、寛永 ランダに叩きのめされて、とうとう収支償わず、元和九年五年再び台湾にわたり、オランダ側の最高地位にあるビー 、けレり 十一月三日商務館を閉鎮し、ジャ・ハ島の・ハンタムに引き揚 トル・ノイツを彼の部屋で生擒し、オランダの武官と文官 げた。平戸に於けるイギリス貿易は跨ぎ十年で終りを告と、陸海の兵を敵に廻し、六日間に跨る敵中籠城で、どん げ、平戸の外国貿易はオランダ一手となった。 底的に彼等を屈伏させ、謝罪の人質五人と損害賠償を得て 福松と九之助が知っている平戸港には、最早イギリスの帰国した。福松がまだ五歳の時のことである。 名残りがなかった。オランダ人が買って取り毀し、記念の 五人の人質は日本九州で獄に入れられ、平戸のオランダ ばはんせん 足しになるものは、、 しっさい、残さなかった。ポルトガル商館は閉鎖され、館長のナイエン・ロードは、昔、八幡船 貿易の名残りのごときは跡もかたちもなくなっている。 の大将だった小日 丿理万衛門の宅趾で平戸鏡川の寺の坂にあ しようせんあん しかし、オランダ人もそのとき というのは福松が九る小川庵に拘禁された。館員数名も同様だった。 之助と千里ケ浜を歩いているーーー商売全盛の他に商務館それから足掛け三年、福松は七歳。河内浦の港に、帆柱 長が神経衰弱症をおこしているほどの事件にぶツかってい のないオランダ船がいまだに繋留されている。江戸幕府が い早、・ぶね 福松の知ったことではない、父芝童には拘りあいのな航行不能処分に附したこの躄船は、拘禁中のオランダ人同 いことでもない。 様の神経衰弱もおなじかたちを、日毎に加えていた。

10. 長谷川伸全集〈第6巻〉

「オランダよ」 「左をみるのだ森。あの突き出たところを大炸角という、 「それから奴隷市の島へやられ、今そのオランダの飼犬だその先に突き出たところがあるだろう、あれが小炸角。大 小二川の炸角のふところが奥へずッと引込んでいるのが炸 あご かくおう たすけ 何か毒づこうとする揚八の腮を、ばかッと蹴った芝竜角澳、みなとだよ。平戸の港、田助の港、博多の港のみな が、仰向けから起きあがる売国奴に唾を吐いて、 とだよ。父が少年のころ石を投げて遊ぶうち、太守に傷を 「八、お前は呆子ていても生きているからいい聞かせる、負わしたところ、泉州の府のあるところは、今通った大炸 お前は中華人だったのだぞ。孫、斬れ」 角のうしろを奥にはいったところにある。八閊名勝無双の さッと孫逵が舞わした偃月刀、その閃めきの上に首が飛地、四海人文第一の邦と号すという話は、いっか平戸でし び、鳥影のごとき影を地に走らせ、落ちたとき、再びものたね」 しん いわぬ口が、二度砂を咬んだ。 福松の森は日本の服を着て、小振りな脇差を帯している ので、明の服装をしている芝童と並んでいると、肥前の国 松浦の雷ケ瀬戸をゆく華船ではないかと思うばかり、とて ほうざんちくざん 大奸の船 も、台湾の鳳山、竹塹、香山から遙かなる沖を、西をさし ゆく船とは思えない。 「泉州の府城へゆかないのですか」 黒く輝く眼をむけて森の丸い顔が父を仰いだ。芝竜は眼 安海を船出した鄭芝竜の船隊が、来る日もくる日も、潮を象のようにして、 が湯になったごとく暑いつづきの時だった。順風に帆を孕「今度はゆかない、近いうちにゆく」 ませ北上している。 「その時、わたくしもお供いたします」 爺台湾海峡を北にのばって行く芝竜の飛虹将軍船隊は、「そうとも、森はそのとき、飛虹将軍の子だから二、三百 と、フ だいさくかく 姓頭をとッくにうしろにして、深滬の沖を過ぎ、大炸角の出騎ひきつれてゆくのだ。森は馬に乗れたな」 国鼻を遙かに見て、小炸澳の一端にある古来角を望むころで「よ、。 。し九ウ坊とおなじぐらい乗れます」 ある、旗艦に相当する花信二十四番船のうち、桜桃号の楼「九ウ坊とはだれだったね」 台で、芝童が福松の肩に手をかけ突ッ立っていた。 「平戸の九之助は、正直で強い、たのもしい子です」 しん - 一 しん