芋川 - みる会図書館


検索対象: 長谷川伸全集〈第6巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第6巻〉

110 で、事態がそうなることは明白である。 ことである。 と、美作が上使の顔をみた、冷笑が露骨に浮んでいる。 処分は美作の他には及ばなかったので、美作の四天王以 「ご心痛をかけまい。友弥、衣服をこれへ」 下のものはほッとした。 と、又坐った。 美作の家督はそのまま友弥に継ぐを許された。友弥は後 上使は、ほッとひとますした、。、、 カまだまだ安心はでき に兵庫厚綱といった。 さすがに美作の態度は立派だった。申渡しを受けたと やがて、友弥が衣服を捧げてきた。美作が、 きも、旧芋川の邸宅へ幽閉されてからも、一点の謗りを受 すき 「御定紋を汚すやも計られぬ、御遠慮申す。竹ノ股の紋っ くる隙もない、しかし、こうは云った。 いたる衣服を持って参れ」 「二十年来の重荷、はじめて卸りて、肩の軽きを覚える」 「まッ と。その年十一月六日、米沢を発足した九郎兵衛は十五 さやどめ 美作は用人を呼んで、大小二刀に、上使の目前で、鞘留日、江戸に着いた。 をさせた。用人は命ぜられるままにやった。涙が一滴、そ 故里にかへると人の羨まん の膝に落ちた。 山路を越ゆる憂きを知らねば 友弥が家紋の衣服を持ってきたので、それに着更えた美 旅ごろも晴れぬ思ひを重ね着て 乍ま、 時雨るるまでに袖は濡れつつ 「いざ、ご同道」 こう咏んで江戸を発ったときと、江戸へ着いたときとで と、上使三人の中にはさまれ、先ごろの日々、登城した は、別人のように窶れている九郎兵衛だった。 ときと同じ態度で歩いた。 おなじ月の十八日、米沢で木村丈八が自殺した。一説に 邸内のどこやらで泣く声が聞えた、それもすぐゃんだ。翌年正月二十四日だという。 足音一ツもう起らなくなっている。 天明三年、美作の四天王の随一と称せられた藤巻新左衛 広居図書の役宅では、九郎兵衛の列席で、図書から、 門が、馬廻組から元の芸者組へ召返されて、閉門を命ぜら 「美作儀、思召有之御役召放され、元芋川宅において囲いれた。幽閉中の美作に酒肴を贈ったので罪せられたのであ る。 入り仰付けらる」 と、申渡された。芋川とは七家騒動のときの芋川縫殿の その年五月二十三日、九郎兵衛は、かねて願いのとおり

2. 長谷川伸全集〈第6巻〉

すわ 美作が起って、衣紋をつくろい、静かに坐った、と、見平右衛門は〃何ッ〃という形相に忽ちなった、が、それ て千坂、色部、芋川が同時に起ちあがり、更めて席に就いは一瞬の間で、すぐ、にツことして、悠然と、美作の右斜 ) 0 めに行き、坐ろうとした。美作は低い叱るような声で、 今度の席のとり方は、正面のやや前に出たところに美作 「これへ」 がいる、向ってその右に千坂、色部の二人、左に芋川がい と、平右衛門の席を自分の前の方に指定した。平右衛門 る。 はびくりと眼の色を変えたが、指定されたとは違って、千 すべ 又どこかで雪が音をたてて辷り落ちた。 坂と色部の前に席をとり、 廊下に森平右衛門の足音が起った。先導の侍に何か話し 「寒夜、御用とは申せ、ご大儀のことです。拙者、少々、 かけている、侍は〃は〃とだけしか云っていないらしかっ風気にて薬用の酒すこしまいって休みおりましたが」 美作が扇の先で畳を叩いた。 杉戸が開かれた、着ぶくれた平右衛門の姿が、二の丸御「黙れ」 会談所ともいう、がらンとした部屋の入り口に立った。 「何と」 うけたまわ イはリ下がって行き、足音が聞えなくなった。 「承れ。御上意」 平右衛門は美作その他の席のとり方を見ると、むッとし弁舌に長じている平右衛門に、ロをきかせぬ手段を美作 た。″この無能な連中が今夜は家柄を嵩に着ている、ふふがとった。上意とあっては平右衛門といえども、平伏せず ン〃と意地悪く、美作から右へ千坂、色部と眺め、更めてにいる訳にゆかないので平伏した。 左の芋川を眺めた。 千坂も色部も芋川も頭をさげた。 美作は瞬きもせず、平右衛門の顔を見詰めている、平右美作は懐中から袱紗に包んだ書付を取り出し、一礼して 衛門はそれに眼もくれず、いつまでも座に就くまい気配で披き、読み聞かせ始めた。 起っている。 「森平右衛門、その方儀」 と、 灯がゆらりと何度も舌を曲げた。 いうのから始まって、十八条からなる問罪書であ る。 美作は白扇を抜きとり、眼を放さず、 「森平右衛門、これへ進め」 それには公私にわたって背任横領詐欺その他の犯行を摘 と、命令した。 発し、不忠不義不正の者と断定してある。 こ 0 はくせん えもん

3. 長谷川伸全集〈第6巻〉

須田、芋川その他、名門ならぬはないのでこれを遮る力の手段の荒さに驚いたのか、血色が頬から消えている。 須田伊豆が再び口をきって、 者がない。 七家は謁を乞うた。明けの星が、まだ輝いている頃であ「御家督以来七刀年の間の御政治よろしきと思召され候 力」 る。 早起きの治憲は、けさも日の出を拝するまでの間を、灯と、一膝詰め寄った。 治憲はひたと視線を伊豆に向けた。悪いというその理由 の下で書を読んでいた。 を云えと、逞しく、しかし、無言である。伊豆と芋川縫殿 七家は治憲の出座を強請し、 とが専ら、治憲攻撃にかかり始めた。 「一国の大事なれば、即時にと申上げい」 芋川縫殿は、ここでは伊豆よりも、辞句も態度も激烈で と、意気の上に叛骨をありあり見せた。 ある。このとき年二十四である。 治憲が出て座につくと、伊豆が、一冊の書類を差出し、 治憲の前に七人、半円を深く描くがごとく座を占め、眼が「御家督以来、三たび、米沢に御帰国のそのたびごとに御 一斉に治憲に向けられた。七人はゆうべ睡っていない、血政法に、相違を生ずるは、そもそもなにゆえにござります るか」 色が悪い、眼は血走っている。朝が早いので、光が鈍く、 ひときわ と、質問しておいて、 一際、この場を凄じきものにしている。 「されば、十万人のうち九万九千人はその心を離れ服し申 須田伊豆が口を切った。 さず、わずかに一千人のみ服するといえども、その一千人 「御一読を願い奉る」 くら は、奸党の一類か、しからざれば奸党より利を啖わされた 治憲は冊子を手にして読みはじめた。それには序論とも いうべき前書きがあって、五十余力条からなる政治上の失る痴れものどものみにござります。そも上杉家は御代々正 敗、人身攻撃など列記され、数カ条の短い改革案を記し、統を以て御家督あそばさる、当代に至り他家より迎え君と そこな 結論ともいうべき後書きがついている大部のものである。仰ぐにござりますれば、君には、上杉家古来の格を損わ 平これを読み終るまでに相当の時間がかかったので、日は東ず、大切に、家法を遵守ありてこそ、他家よりの御養子に して御家督とならせ給えるに相応しきにござります、しか 膨の空を染め、やがて、その場を明るく照らした。明るくな あくにんばら るに、妄りに悪人原の妖舌にくるめられ、越後時代の質素 ってかえって、この場に漂う重大な危機がはツきりした。 に還ると称え、法を破り、格を下げ、前代未聞の御政治 治憲は二十三歳の年少である。七家に圧倒されたのか、 もつば みだ

4. 長谷川伸全集〈第6巻〉

美作が突ッ起って叱った。 千坂対馬が短刀を抜き放った。芋川縫殿も、色部典膳も 「待て。いまさら、見苦しいぞ」 短刀を抜き放った。 しよくだい 千坂も色部も芋川も起ちあがった。四人とも、短刀を懐そのとき、平右衛門が一ツの燭台をとり、蝦燭を掴んで 中に要意している。 狙いもつけず投げた。蝦燭は宙で灯を失い、別な台の灯に 次の間の杉戸を押し開き、倉崎清吾が、抜刀を携げ躍り打ちあたった。灯が消えた。 出で、平右衛門の前へ廻りかけた。 平右衛門が手にした燭台を美作に投げた。眉間の軽い疵 白刃にぎよッと体を反らせた平右衛門は、それを避けるに眼が眩んだ平右衛門は、美作ならぬ残りの燭台に打ちっ ように出入り口の杉戸へ進んだ、廊下へ出て十間も走るこ け、その灯も又消えた。 とが出来れば、その晩も城中に、森党のものが尠からず泊その他に二ッあった燭台の灯のうち、一ツは美作等が総 り番で来ているので、それらが救いに駈付けるだろう。こ立ちになるとき作った風に消え、一ツは倉崎清吾が斬付け んなことだったら、こっちも武力の要意をしてくればよか たとき作った風に煽られて消えた。 った。先程の唄の不吉はこの事あるを知らせたのに何たる 用部屋が闇となった。 念の足りなさだったか。一瞬のうちに、あれとこれとが一 廊下の前後は侍が固めた。何事かと走せつける者を食い 度期に思い浮んだ。 とめ、平右衛門のために駈付けた者があれば斬る、と、あ 倉崎清吾は、杉戸に手を、今や掛けんとする平右衛門のらかじめ部署が定められていたので、その方は森となって 横から、抜刀を振るった。それに驚いて手を引込めた平右いる。 衛門の前に廻り、 暗くなった用部屋の中では、平右衛門か美作か、物に躓 「えいツ」 いて音を立てた。 と、真向から斬付けた。平右衛門が、 千坂、色部、芋川は、味方討ちに気をつけ、探り探り平 「、つあ」 右衛門を突こうとしているが、味方か、平右衛門か、半り かす いってうしろへ反ったので、刃は僅かに眉間を掠めかねた。 倉崎清吾は出入り口を固めた。平右衛門が逃がれんとし 美作は肩衣を外しざま、懐中の短刀を抜き放った。きらて、ここへ来るに違いないと思ったのである。 きらと灯に閃いた。 美作は用部屋のほとんど中央と思えるところにじっと起

5. 長谷川伸全集〈第6巻〉

「平常の平右衛門はかかる時、一たん、参らぬといい出し幕府がそのままでは置くまい。軽くて転封、重ければ取潰 ますと、 いっかな出勤いたさぬ人物です。されば今晩の出しにあう。 三人の相談がだんだん深刻になって行くのを、聞かぬで 勤も、どうやら覚東ないと存じますが」 もない美作は、じッと腹を据えて黙りこんでいる。 美作は信じて動かない。 確かに平右衛門は出勤してくる、この鑑定に誤りはない 「確かに出勤いたします」 と、信じてはいるが、もし、そうでなかった場合はと、反 「左様かな」 と、 いった色部も、千坂も、不安らしく顔を見合わせ問が自分の心のうちで起っている。 た。黙っている芋川は憂いを眉根に寄せて唇を咬みしめて ( その時は、明日、彼を、ここへ召し、誅殺する、それで よろしい ) と、答えてみたが、不安が続々起った。 が、森平右衛門からは何の返辞もない。二度目の使いも あす、平右衛門が自分の党のものを引きつれて出仕し、 立戻らずにいる。 時が経った。雪の深い国の夜は、慣れていても骨に冷え要所要所に配置して、反対に此方を責めて斃すという手段 に出るかも知れない。目下、国許における森平右衛門党は 冷えと沁みる寒さが強い しん 絶対に多く、非森平右衛門党は遙かに少い。衆きは少きに 燭台の灯は何度となく芯が切られた。 かなえ 優る、と、 いうことを美作はよく知っている。 千坂、色部、芋川は、三鼎になって相談をはじめた。 あせ 美作はだんだん焦慮ってきた。外は、あくまで沈着を扮 「平右衛門が覚ったのではあるまいか、覚ったとすると、 っているが、内心は膏の汗が絞るばかりである。 美作殿のやり方では、かえって逆にとられ、攻められるか そのとき、森平右衛門は例の豪華な別荘で、妾ともっか も知れぬ」 ず侍女ともっかぬ、数人の美女を侍らせ、武士よりは宴会 と、千坂は心痛していい出した。芋川、色部は、 「いよいよ平右衛門が参らぬと相成ったら、討手をさし向係が適任の配下のもの、数人を相手に遊んでいた。 始めの召喚状は、妾兼侍女共の趣向で、猥雑な踊りめい ける他ござるまいが、平右衛門取立てのものが尠くないに たものが、これから始まろうという時で、平右衛門は色の よって、それらの者が集りでも致すと、容易ならぬことに 黒い顔の筋をゆるめ、にこにこしていたが、 相成るが」 「何、御用状だと、どれどれ」 家臣が、小さいといえども、合戦に似た騒動をすれば、

6. 長谷川伸全集〈第6巻〉

一段下の畳敷、治憲の左下にあたる処に、美作と上杉分家た。 の家老、重役が一人、間を置いて采配頭が三人、その前側七人のうち須田伊豆だけは申渡しが終ると、 には城代、郷村取次頭取、奥取次二人、そのうしろに三十「今一応の御糺明を願い奉る」 と、進み出でんとするを、美作が、 人頭が十六人二列に坐っている。その次が、囚人のいる畳 敷で町奉行が二人向きあっているのを起点に、一人の囚人「上意相済めり、そこ退かれい」 に三手組四人の付添い、その左右を仲之間詰八人、大小姓と、一喝した。伊豆は無念の形相を治憲に向け、 にら かたず 八人が囲み、囚人の後方には捕手が三人固唾を呑んで睨ん「御夢がいまだ醒めさせられぬか」 でいる。 と、朱を塗ったような顔になって睨んだ。 この配置は、囚人が暴行に出たときの要意と、威光を張伊豆、縫殿はその夜、切腹した。 ったもので、陣の布き方と似たもの、如何に、囚人が暴行千坂対馬に十七歳の子、太郎左衛門清高がある。悄然と しても、絶対に、殿へ近づけず、囚人を討果すためには して帰った父をみて、涙を流し、 数段の構えがあり、殿の防衛にも又数段の構えがあり、す「さてさて情なきことにござります。須田、芋川の両人の わといえば、配置の変化が次々に出来る組み方である。 み殺し、何とて、おめおめ生きて帰られましたか。私はご そし 一番囚人は千坂対馬だった。己が非念を以て政治を謗り遺骸のお帰りを待ち設けておりました」 ざん いたり 讒を構え、徒党を結んで君を要する仕方不届の至に付き重 この太郎左衛門は後に上杉家の名臣となった。 き罪科にも可 = 申付一候え共共段差許、隠居閉門、知行半地 を召上げである。 二番囚人は須田伊豆である。判決は切腹。三番囚人は色須田伊豆の死後二カ月、家断絶、没収の品々処分のとき 部修理で、千坂同様に隠居閉門、知行半知召上げである。伊豆の手道具の中から藁科立沢の書いた秘密文書が出た。 須田家では累の他に及びそうな物は、一切、焼いたはずだ 四番は長尾兵庫、五番は清野内膳、この一一人は隠居閉門、 オカとうかして漏れていたのである。 太三百石召上げられる。六番は芋川縫殿で切腹。七番は平林っ三、、。 上蔵人で隠居閉門、三百石召上げである。切腹は須田伊豆と立沢は処刑が他に及ばぬものと聞き、ひそかに安心して 芋川縫殿、主唱二人だけにとどまった。 いたところ、九月二十六日の早朝、有壁良安という同僚が 此の他に連判に加わった者があるが、全部不問に附されやってきた。立沢はまだ寝ていた。

7. 長谷川伸全集〈第6巻〉

二度目の召喚状が発せられた。文句は例によって鄭重を 「いずれも方、ご所存、お聞かせ下され」 極めている。 見廻したが答えるものがやはりない。 千坂対馬は美作の顔を眺め、 美作は膝をつづけて三ッ叩き、 ( このたびの使いも又、空しく立戻るのではないか ) 「応かーー否か。返答あれ」 と、憂いている。 森とした一座のなかから一人、 かたじけなかたじけな 芋川縫殿は黙って考えている。 「忝し忝し、美作殿」 ( 平右衛門が覚ったとしたら、彼はどのものだから、手を と、柏手を打って拝むものが出た。 一座の意志は、これで明白に示された。森平右衛門誄殺束ねてはいまい、何等かのテを試み、美作を窮地へ追いこ あかっき に同意であるのだ。 むだろう、と、なった暁、どうすれば忠臣として誤りな いだろうか ) 五 と、それを検討している。 用部屋の灯に照らされ、奉行千坂対馬、芋川縫殿、おり色部典膳も美作の顔を眺めている。 から帰国中であった江戸家老色部典膳、それに竹ノ股美作美作は端然としている。心のうちで、 の四人が、先程〃急ぎ御用談の儀これあり、大儀ながら早 ( ーー党を結ぶ利を為すに非ず、義を徇り仁を輔くるに在 とこしな 速ご出勤これありたし〃と鄭重にかいた文句の召喚状を発り、但だ願わくば醜虜を殲し、終えに日月新たならしめ してあるので、森平右衛門が登城を、今か今かと待っていよ ) る。 と、「従軍行」を復誦している。 千坂 : が、平右衛門の返辞は、″所労にて出勤いたしかねる、 御用談は明日にでも〃と、軽く撥ねつけてきただけであ「美作殿」 己る。 「はあ」 「万が一、平右衛門これへ参らずとあらば、何となされま 太美作は、はツとした。〃彼奴、覚ったか〃と心のうちに したくござる」 すか、ご存意、伺、 上起る動揺を、じッと抑えて、 「今一度、呼出されい」 「いや、必ず参ります。ご安堵ください」 と、 色部も又、心配顔で、 いったが、我ながら声が顫えているのを知った。 たす

8. 長谷川伸全集〈第6巻〉

がある。武力をつかうとまで行かせず事を処分しなくては 「あれお聞きくださりませ。あのように、今日は、朝より ならない、が、その方法がない。 何ごとか広り、平常の態がござりませぬ」 と、 いった。そう云えば奥で、訳のわからぬことを喚い この騒動のうち二、三の秘談がある。七家のうちのだれ であるか、そこの執事が、主人の行動を非なりとして諫めている者がある。 たが肯かない、再三、諫止を試みたが肯かない。執事は腹その翌日も次々の日も、こうして執事が切り抜け、とう とう、連判状に姓名を記さずに終ることができた。 を切り、大声で、 さてーーー二十九日の夜のことである。 「謙信公以来、累代忠勤のこの家が、野原となることやが てである。あら、この天井の物、惜しきことよ」 莅戸九郎兵衛は子の八郎といって十四歳なるに遺書をか と、血を掴んで天井に投げつけ投げつけ死んだ。 いて、それに、楠正成の遺訓を同封して残し、深夜我が家 又、三手配のうち、若年のもので須田伊豆等に見込まれの塀を乗り越え、編笠をかぶり、竹ノ股美作の屋敷に赴い たものがあって、伊豆の一派が度たび来て、相談の上、 よいよ、連判状に捺印する日となった。印形はそこの家で美作は驚き喜び、九郎兵衛を迎えた、が、九郎兵衛は早 おそ は執事が保管している。主人が執事のところに来て、 くも、美作が、七家の結東に懼れ、この三日間、茫然とし ていたことを覚った。 「印形をくれ」 はず 美作は息を喘ませ、 「印形を何にお捺しになります」 「何でもいい」 「七年前、江戸で病死した兵三郎 ( 高津恒達 ) が、臨終の前 「よく′ざりませぬ」 に一書を寄せた、それにはこうある。森平右衛門一件落着 執事は感づいていて、心を痛めていたことだったので、 し、御政治新たなる今後、憂うべきこと一つあり、じつに 布団を布いて無理に主人を押込み、素知らぬ顔で座敷へ出そは須田伊豆、芋川縫殿なり」 「ほ、つ て、 が、兵三郎は悪口を書いておらぬでしよう」 「只今、主人儀、勝手へまいり、申すこと、にわかにしど「左様、こういう意味でーーー須田、芋川は器幹小ならず、 ろもどろと相成りおります。何事かござりましたか」 将来、足下の下風に立ちて甘んずるものに非ず、これを受 と、 いって、煙に巻いて帰した。 いて死して安んずる能わず」 翌日その連中が又やって来た、執事が、 「その先がござりましよ、つ」 、 ) 0

9. 長谷川伸全集〈第6巻〉

色も、顔も、髪のかたちも、くすんでいる。 女の中から首だけ見えている平右衛門が、 出入口の杉戸の前に、ただ一人はなれて、真ッ四角に坐 っているのは、一刀流の倉崎清吾である。 「会談所へまいる。供揃えさせい」 「はツ その他にはだれもいない。 しりぞ 用人が退くと、平右衛門は、着換えながら、手当り次第四ツを報ずる城の太鼓が聞えた。雪の夜に響いて音がい に、女の体に触り、きやッきやッという嬌声を楽しみながつもより冴えている。 ら、 だれも何とも云わない。 「おい、〃君が齢い〃と、″森の鴉〃の両人、下城を待って どこやらで雪が辷り落ち、どどッと音がした。 すじ いろ」 だれも眉毛ひと筋動かさない。 女たちの嬌声が又しても入り乱れた。下城を待てとは何すッすッと摺り足が廊下に聞えた、時どき廊下の板がぎ ッ A 」い、つ のことか判ったのである。 平右衛門は襦袢の上に、毛皮の胴着を着て、綿のはいっ杉戸が開いて、廊下から冷たい風が眼にしみるように入 った。燭台の灯が一方へ、ゆらりと舌を曲げる。 た三枚襲の小袖、袴をつけ、羽織を着た。 まるまる 「森平右衛門様、おあがりにござります」 小柄な平右衛門が着ぶくれて丸々とした。 と、坊主が平伏して報告した。美作は、ほッと安心の息 が出かかったが、押えつけて、 「よし。その方達、残らず、詰所へさがれ。参れと申さぬ 二の丸の用部屋では、今、燭台の蝋燭を新しいのと代え 限り、一歩たりとも出るを許さぬ」 た。ぢぢ、ばちり、と、はねる音がした。 みじろ 正面には、竹ノ股美作が身動ぎもせず坐っている。眼を「はツ」 こびたい 記据えている顔に、灯がつくる陰が深い。てかりと小額が光「さがれ」 用部屋は元の四人になった。倉崎清吾は四人の家老に目 太っているのは膏汗だろう。 礼して、次へ去っていた。 上美作の前に半円をつくって坐っているのは、今夜の立会 い人千坂対馬、色部典膳、芋川縫殿の三人である。年齢千坂も色部も芋川も黙っている。美作も唇を引き結んで かみしも が、美作と違って三人とも老けているので、上下、小袖の まいがさね

10. 長谷川伸全集〈第6巻〉

立沢は何とも心づかず、広間で待っている有壁良安のとあった。明和は八カ年、その次の安永は九カ年、その又次 1 ころへ行くと、意外なことを聞いた。 の年は天明である。 「御町奉行が何か尋ねたいという。わしに同道してこいと美作は脂肪ぶとりで、赤ら顔で、十余年前、森平右衛門 申付けられたがのう」 を誅殺した当時の蒼白さが何処へか消し飛んでいる。笑う 「げッ 声にも、世慣れたものの調子高さがある。 立沢はさてはと覚り真青になった。とたんに、ものも云天明のはじめの或る日、米沢の美作の邸宅へ、倉崎清吾 わす、伏嗅と奉行同心とで十人ばかり、どかどかと踏込んが訪れてきた。久し振り過ぎるはど久し振りである。 できて立沢を包囲した。 「どうした清吾、とンと訪れてこぬではないか。久しく会 立沢は脚をわなわなさせ、西町奉行所へ連行され、八ッわなかったなあ」 ( 午後二時 ) に取調べがあり、揚屋入りを命ぜられ、翌二十と、鷹揚に古い友人を迎える美作には、、 しっとなく出来 七日、判決、即日、有壁良安の宅で藩士安江郷助が太刀をあがった型がある。昔、藁科松伯を中心に、学に励み、国 とり、打首となった。 を憂えたころの美作ではない、江戸の大町人三谷三九郎を はじめ京大坂の金持相手に、酒にとり持たせる懇親会で種 七家騒動があって二年目、安永四年七月三日、須田伊を蒔き、藩の事業費の借出しという収穫に巧みな美作であ 豆、芋川縫殿の跡を、その末流の須田平九郎、芋川磯右衛る。幕府の要路に血の出るような借財から贈賄して、普請 門に継がし、二百石ずつ給い、千坂、色部、長尾、清野、の割当、用金の申付け、そういう一切を免れるに巧みな美 平林の五家の閉門が解かれた。 イになっている。 清吾ならずとも、美作の変り方に心づかぬものは上杉家 中にひとりもない。 美作の末路 美作は古い友人に対しての心持も態度も、すこしも変っ ていない、が、心持も態度もひどく変ったものになって来 ていた。清吾の描いている美作は、森平右衛門誅殺当時の 美作であり、七家騒動のときの美作である。その二ッとも 竹ノ股美作が上杉家の執政になったのは明和四年四月で遺憾な点がなかった、でもないが、今日のごとくあぶら切