242 もっ艦船を操縦するに慣れている、海戦の経験もある。徐ないか大船主」 がむしやら 西、俺達の方にあるものは我武者羅の勇気一本だけだ。船「しかし、俺は望みを棄てたのではない、今もそのために も武器もその扱い方も、オランダに較べると今のところは骨を折っている。たとえそれが失敗に終っても方法はまだ ある。それは俺達が招撫を受けることだ」 残念ながら劣っている、それでは戦さが出来ない」 「ではオランダに、せつかくのこの島を、盗まれていいの「何をいうんだ大船主。俺達を招撫するなんて、あること かないことか、考えないでも判っている。俺達の生れた国 だな大船主」 はかりごと が待ち設けているのは首を斬って木の枝にぶらさげ、胴体 「そうではない、謀を後日に譲るのだ」 「あいつらは、やがて、あっちこっちに幾つも城を築くだを、大と鴉に食わせることだ」 「いやそうでもない、が、それも出来ない相談だったら、 ろう、そうなったらどうなるんだ、この島がオランダ国に 俺達が強く大きくなって、オランダを討ち攘うのだ。俺は なるだけだ大船主」 今いった三ツのうちの一ツを遣り遂げてみせるから徐西、 「そうさせないために苦心しているのが判らないか」 もう騒ぐではないそ」 「ああ、判らない、ちっとも判らない」 「困ったなあ・・・ーー徐西、それでは話すからよく聞いてお「大船主はウィットとかいうオランダ人が怖いんだ、なあ に、挈った」 け。この島には古くから日本人が沢山いるのは知っている だろう。日本人はああいう性質でもあるし、ここから日本 へなくてならぬ物がはいって行くのだから、日本にとって 「判らない奴だお前は。俺はウィットを怖がっているので この島は一本の命綱だ、だから俺は日本人のなかからしか るべき男を見付けて、それを日本へやって、江戸の将軍をはなくて武器と軍艦を警戒しているのだ。徐西、俺は八方 に間諜を放って相手の様子をいつも調べてよく知ってい 動かし、日本と俺達と、力を協せてオランダを討ち攘おう る。ろくに知らないお前が独りぎめをしてはいけない」 としている、これは出来ない相談ではない」 「大船主は知り過ぎているから気が弱くなったのだ、俺み 「それが出来ればしめたものだ」 こいに知らない方が強いんだ」 「ところが不仕合せなことに、ここに来ている日本人達 「判らないなあお前は。山を越えるのには、道を知ってい で、江戸の将軍の息がかかっている者が一人もいない」 「ではいたしかたがない、俺達だけでやる他なかろうではる方が無事に越えられるか、道を知らない方が無事か、ど
芝竜は顔つきと違い、明快な口調で、 憤りが発した。芝童はそれを制して、 「蔡善継さんの息子さんは、ここへやってはこないそう 「よろしい、判った。みんなは不満なのだ」 だ、その使者も、ここへやって来ない」 髪を解いて乱し、上半身を裸にし、後手に縛をうけ、膝 ひたい これだけ聞いただけで鄭家のものでは芝鳳、その他のもで歩いて、額で地を叩き、三跪三拝の礼を執れというの のでは三人、愕然として腰をがくンとさせた。 だ、それでは降伏だ招撫をうけるのではない。今までの交 芝虎は瞬きもせず長兄の顔を見つめている。芝鵠は微笑渉とは掌を返した大違いである。 して右手の指で左手の指を弄んでいた。芝豹は兄達の顔を これが不満でなくて世界に不満というものがどこに行っ 覗くがごとく見廻している。 たらあるか、と怒るものがある。黄岡へ来た蔡善継の使者 こともなげに芝童が続けた。 はひどい物忘れの名人だと罵るものもある。蔡善継などと 「その代り、ゆうべ遅くここへ来た者がある、棒に衣裳を いう奴は顔にあまり皺ができたので頭の中に智恵という皺 つけさせたような男だ。その男が兵部の文書をもってき が一筋もなくなった老いばれだと罵るものもある。口々に た。これだ」 不満の嵐と怒りの濤が起っているなかで、芝虎の手短かな ゅうべの一通を船将達を最初に、その後で弟達に巡覧さ絶叫が せた。 「使者を斬れ、斬れ斬れ」 だれの声をも圧した。 十九 芝竜は今の今さッと充血したばかりの顔を、平常の色に 芝童が幹部と肉親の顔を、一々順に見廻した。 戻させたるがごとく頬笑んで、 ちりめん 日はすでにのばっていた。水の上にけさは縮緬のごとく 「今まで招撫を受けたその都度、俺は、みんなの知ってい 小さい波が立っている。三方の対岸にある山々の青黒い処るとおり拒絶してきた。いまさらいうにも及ぶまいが、大 爺どころに、赤い朝の色が反映している。 国の大官達は俺達を誤ってみている。俺達は古くは許棟や 姓「兵部の発した招撫の文書は、わたしに、面縛して軍門に 陳東や許朝光や、それらと同様な大奸剽盗とは全く異なる 国降れと命じてきた。どうだ、この条件は。俺はこれを容れのだ。今の李魁奇や鍾斌や劉香のごとき大奸剽盗の相続人 3 るべきか、それとも」 とおなじに観るはひどい間違いだ。俺達は華国の産品を南 と、 いいかけた時、船将と弟達の間に火が熱したごとき方遠くもって行ってあちらの珍什奇物と交易して帰る海洋 めんばく
帰って饅頭にして食ってしまってやる。大船主、あいつが うな自然港で、今日では台南市の一隅の土地の下になって 何だというのだ、そうして徐西がどうだというのだ」 「お前は他人の倍ぐらい遠くが見える眼をもっているが、 徐西は息を喘ませてつづけた。 見えない物をみる眼をもっていないよ。徐西、聞け。劉香「あれまでに繁昌の街になってきた笨港にも居られなくな そうが はオランダに屈伏して今では奴等の爪牙だよ」 った俺達は、この島のこの北に引ッこんでいる今ではない か大船主。俺達の渡海商売はオランダに睨まれて手も足も 五 出せなくなっているではないか、これをどうするのだ」 芝童は眼の底を光らせて、 「劉香の一党なぞは、そこらの海島にいくらもいる賊とお 「劉香は国という観念がない男だ、国よりも利益を考えてなじことで問題に取りあげるに及まよ ) 、、 。オしカオランダの海 進退する男だ、だからオランダの勢力が東へむかって強く軍はそうはゆかない」 なび 進んでくると忽ちそれに靡くのだ。あいつはオランダに屈「怖いというのか大船主」 伏してその爪牙となったが屈伏を道具につかっているの「怖くはないが強敵だというのだ」 だ。あいつの本心は利益があればということの他ない」 「意気地のないことをいうな、それだから俺はこの間から 「劉香はいずれ洋上で俺がお目にかかった時、饅頭の材料夜もおちおち眠れないでいるのだ。大船主、そんな気の弱 にしてしまうからそれでいい、俺がいいたいのはこれから いことでどうする。オランダと決戦してくれ、俺が第一番 先、俺達はどうするんだということだ」 に戦死してみせるから、みんなは俺の屍を踏み越えて、オ 「大船主の商船隊が、働き場所を失ったではないかという ランダを木ッ葉微塵にやッつけてくれ」 のか」 「子供染みたことをいっては困る」 「そうだ。小にしては劉香の一党が俺達を不倶戴天の怨敵「何が子供染みている、俺は死ぬといっているのだ、俺が に扱ってやがる、大にしてはオランダが俺達をブッ潰そうみんなに手本をみせるから、オランダと戦えといっている としやがる。これをどうするかというのだ。俺達の船は今のが、何で子供染みている。このままだったらどうなるの ろくじもん では鹿耳門に碇を入れることが出来ないのだ大船主」 だ。王直大先生から三代の間つづいてこの島に繁昌したも と、いううちに徐西の眼が血走ってきた。鹿耳門は高砂のが第四代の飛黄大船主のときに潰滅する、それを見てい 島日本人街の一ツである北線尾島から呼べば答えの聞えそられるか。大船主、さあ、きようこそぐずぐずしていない はず
「お前が呼んだのか葉」 の名は金翠、礼をいって貰わなくちゃならねえ」 「えツ、あの女を殺しちゃったのか。へええ」 「揚八の名で、俺が呼び出したんだ」 「へええ、何だって呼んだのだ」 と、揚八はこのときになって初めて、さっきのけたたま 「お前と突きあわすためさ。だが安心しろ、俺はお前の味しい夜鳥の声を思い出した。あれが金翠の断末魔の声だっ たのか。 方だからな、そうら、野郎、近くなった」 葉は瞬きを忘れたような眼を向けて、 九 「一官。お前は日本平戸の田川の娘が女房だ、日本では亭 破れ鯨をうしろに月に背いて起った芝竜、月を前にうけ主一人女房一人、そうだろう。そのお前が笨港街で、二人 つらよ′一 て対しているのは葉逵と揚八。 の女房をもとうとしては、俺達、華人の面汚しになる」 酒楼の歌は一組だけになったらしく、細々と聞えてい 「それは又どういうことです」 る。 「よく聞け、お前は数ある華人のなかからたツた 一人、日 「おい一官。俺達ふたりは今夜お前のために、女をひとり本人に半分なった男だ、いわばお前が日本風をやり通すか 杁したよ」 通さねえかが、俺達の面を立てるか立てねえかになるん と、葉が途方もないことをいい出した、びッくりしたのだ」 は揚八だ。 「それで、妄りに女を殺したのですか、どういうわけで す、その訳は」 「何だって」 「お前の身持ちを固くするためだ。俺達華人の面目のため 芝童は月に照らされている二人の顔を眺めただけだ。 によ。妄りになんていわせねえ」 「虎、だれを殺したのだ、何で殺したのだ」 「いまさらそんなことをいうなよ揚八。お前、知っている「金翠 ; 、こ阿港摺れの女でも、人の子ではないか。あ じゃねえか」 の年ごろだ、どこかに子供があるかも知れない、可哀そう 「知らねえ、俺あ知らねえ」 にーーーお前達は、女の命を弄ぶものだ」 「黙って聞いていろ、さて、一官」 ぐッと睨んだが、葉は茶化した。 「何です」 「それもお前のせいじゃねえかよ」 よ Q こ 0 みだ ⅱ・一ヾこよ、
と、いつも五人か七人、随行している者どもに、命令し「大将、逃げるなら今度だぜ」 ておいて、 と、囁いてくれた。水手達は汚物の始末から助かりたか 「その方が、虎には、お口にあうでしよ」 ったのだろう。 からか と、媚びたような眼をして調戯った。 九 そんなことが繰返されて、檻のなかでは、どこをどう航 海しているか、半りかねる日がつづいた。 左右に島々があって、山の連なる陸つづきがある、そこ そうした日数の間に、芝虎は水手四人といくらか懇意にを船は目ざしている。 よっこ 0 檻の中の芝虎はさっき見た海豚の群が、この船を追うよ そのはじめはこうだった。芝虎は檻から外へなるべく遠うに、びよンびよンと跳ねつつ付いてきた、その面白さを くそ く風向きを考えて放尿した、屎は着衣を破った一片にの忘れて、島々と山々とに見入っこ。 オここはどこだか見当す せ、これも檻の外へ多少の工夫を加えて撒いた。檻を汚しらっかない。風水塔が一基、ちらりと見えたので、華国の たのでは飛んだ物と同居しなくてはならないから、それをうちだとは覚った。 避けるためでもあるが、船の奴等を困らせることが目的だ 船の者は、にわかに多忙となり、かっ笑いさざめいてい っこ 0 る。その様子から推して、この内海の奥に港があって街が ( 何をしやがる。船が穢くなる、今度やると打棄っとかねある、ことによるとその街は、この海寇どもの根拠地かも えぞ ) 知れないと思った。 とか何とか、水手達が眼を剥いた。芝虎は何度でもおな 日がきらきら照りつけ、見事に青い海の色が光って、 じように放尿と屎撒きをやり、際限なく水手達に口を尖らる。遙かにみえる浜辺らしい一帯が、雲のごとく白いのは させた。 沙洲ででもあろうか。 ( 大将、これじゃ俺達が耐らねえから堪忍してくれ ) 船が湾内の奥まったところに近くなると、紛れもなく南 水手達が折れて出て、必要な器を持ってきてくれた上、華風の人家の屋根がみえた。そのころ檻の近くを劉香が通 日に何度となく取棄ててくれた。 った。きようは椰子林にかこまれた御殿から出た王子のご そのうちに船が港へはいるのだということを、水手の一とき異風俗で、黄金づくりの馬鞭を手にし、一足ごとに高 人がそッと教えた上に、 高と鳴る朱塗りの乗馬靴をはいていた。 むさ
「凋すとはど、つい、つことだ」 「消すというのは、殺すのだ、なあ揚」 と、葉が口をはさんだ。 「そうかそれでは、李英もお前達が殺したか」 「ああそうだよ」 と、葉がいうのをさえぎって揚八が、眼の珠をぐるぐる 破れ鯨のどこかでことンと音がした。それに気がついた 動かし、 のは芝童だけ、虎も熊も知らなかった。 「あの阿魔のことを知りてえか。けさ早くだった、袋へ詰 「お前達は李英も殺したのだろう、何という馬鹿だ。お前 おし とんきん めて渡してやった。二、三十日もしたら東京あたりで、白 達がいう私の妻になる女とは今年ようやく八歳の子供だ。 めと ろいづら 私は今二十八歳ではないか、馬鹿な。それも私が必ず娶る粉面に汗をかいて、猿料理を客と二人で食ってけつかるだ といったのではない。たとえばといった、それを揚八お前ろうよ」 「すると、人買いに売り渡したのだな」 が無理にこじつけたのではないか、馬鹿な。田川七左衛門 かげ 殿に許しをうけているのでもない、花房権右衛門殿にご相「うんお庇で儲かっちゃった」 「そうしたお前が人買いの白面鬼を志願して斬った。斬 談申上げたのでもない、馬鹿な。そればかりか、金翠とは この飛黄、ろくろく話を交わしたことすらない。李英は知る、斬られる、双方人間以下だ」 っている。あれは私の故郷のものだ、少年の頃の遊び友達葉はうしろ手を組んで二、三歩下がっていたが、 だ。政府がないこの笨港の街で、薄命に泣く幼友達をみて「熊さんや、お前のことだぜ、人間でねえと仰有るのは」 いたわ 「俺ばかりじゃねえ、そういう葉、おまえも人間以下だと 優しく劬ったのが気に入らないとはお前達の方が無理だ。 女の命をおもちゃにして遊ぶ、お前達こそは中華の恥だ」仰有るぜ」 「笑談いうな、姓は葉、名は逵、人間だ。その証拠に俺は 爺言葉と調子が厳しい。揚が乗り出した、夜目にも咽喉に 金翠なんか殺すもんか。女を袋詰にして、豆じゃあるめえ 姓這っている筋がわかる。 のうがき 国「能書はもうそれッきりか。一官、これからもある。気をし、俺が売るもんか」 つきあ 揚が眼をぎらぎら葉に向けて、 つけて女と交際え。手前が熱をすこしでもあげそうな女が 「何をこの野郎、手前と金翠で、人買いを引ッばって来や あったら、俺がこの腕でみんな消してやる」 英の姿がみえなくなったことも」 二人がにやりとしたので見ると、李英の身にも何か起っ ているらしい 十
「大船主はだンだン陳先生みたいになってくるんだなあ。 で決心してくれ」 ハリッ、何とか彼とか。そんな奴のこと知るもん 「俺達が悉く亡びていいのなら、お前のいうとおりあすか何だ 力」 らでもオランダと戦うが、オランダの暴戻をやッつけて、 四代相伝の大商船隊を活かそうというのなら、今は戦う時「お前からしてそれだから、戦えないのだよ」 「そんなことがあるか」 でない」 「判らねえなあ、俺がいうのは大船主が先からいっている「振泉大船主が亡くなられた時、プロビンシャのオレンジ ことをやろうというのだ、玉砕か、瓦全か、どっちを執る城は」 かだ。日本人だったらきっと玉砕するだろう、俺達だって「そんな七面倒なことどうでもいい、戦うか戦わないか 永らく日本の平戸にいたものだ、日本人のいいところに劣だ」 「七面倒でも七面倒でなくても、オランダを倒すためには るものではない。玉砕、結構だろうじゃないか プロビンシャの街とオレンジ城と、それを支配する大将と 「徐西、そんなに呼吸を荒くしていうな、落着いてくれ。 軍艦と兵力とを調べないでは、こっちが負けて亡びるだけ 俺は、玉砕しない」 でしかない。お前はこういうことを知っているか、プロビ 「臆病だそれは」 カ瓦全もやらぬ、俺はンシャにオレンジ城が築かれるとき、何というオランダの 「黙って聞け。俺は玉砕しない、、 玉となって全しだ。玉砕ではない、玉全だ。これが鄭芝童会社員が大将だったか知っているか、知らぬだろう」 「聞いて知っていたんだが、気にとめねえもの、覚えてる の決心と実行を現わす言葉だ」 もんか」 「大船主は臆病にとッつかれているんだ」 「だからお前のことを陳先生が惜しんだはずだ。オランダ 「馬鹿だな。お前はオランダの海将ハリツ・フレデリック しが セン・デ・ウィットという男のことを知っているか。知ら大将はマルチンヌ・リンクという男だ。俺はリングを歯牙 にかけないが、油断のできない男が一人別にいる。それが 爺ぬだろう、名前も初めて聞いただろう、それでは戦えとい さっきいったウィットだ。この男はオランダ海軍のなかで 姓う資格がないよ徐西」 しな 国 も指折りの男で、中華派遣艦隊の司令官だ。オランダ海軍 は俺達のもたない新鋭の武器をもっている、その武器に熟 練しているウィットだ。そうして又俺達のもたない長所を 徐西は苦い顔をして、 ばうれい
禁して、日本と改めさせていた。 。そこへ飛黄大船主鄭芝童が根拠地をひとまず置いた。 華暦でそれは天啓といったわが寛永三年のことで、芝童は芝童は笑みを湛えた眼を向けて、 「徐西、そんなことをいっても、オランダ軍艦がやって来 四十六歳になっていた。 徐西がこのごろ苛々して、芝竜の背中へ白い眼をあびせたら、否応なしに話を打切り、合戦になる」 かけ、鼻で嘲ることがちょいちょいあったが、きようはそ「勿論それはそうだが、奴等どうしてどうして、ここを嗅 ぎつけるものか」 うした陰性な仕打ちから脱皮して真正面から詰め寄った。 「そうかな。案外そうでないのではないかな」 「大船主、俺はどうしても黙っていたくないから、きよう 「どうしてだ大船主」 こそ、云うだけのことをいうからその心算でいてくれ」 ちまなこ 穏かならぬ眼つきで、ひからびたような山嶽の樹の色に「奴等は俺達を血眼になって探しているよ」 「それは劉香とその一党だろう、あいつらは今では全くの 眼を向けている徐西は、にツと口を横にすばめて笑う芝童 の鼻の先に、自分の顔を衝突させる気のように突き出し、海賊になりきっているから、オランダが追い廻しているの 「用を思い出したなんていって、話の中途で、起ってしまはあいっ等の方のことだ」 「徐西、亡くなった陳先生がよくいっていたつけな、徐西 うようなことはあるまいな大船主」 は、識ることを避ける、それが徐西を単なる闘将に終らし このごろ肥ってきた芝竜の血色のいい顔に、眼が和かく めるだろう、惜しいことではないかと」 「恐ろしい権幕だな。何のことか知らないが、起っなとお「何だいそれは、何がいいたいのだ大船主、遠廻しにいう のはよして貰いたい、ズバリといってくれ、歯を当てない 前がいうなら滅多なことでは起っまい」 で豆を食えというようなことはいってくれるな」 徐西は顔を引ッこめて、 「滅多なことでも滅多なことでなくても、きようの話を半「結局は劉香のことだよ」 爺ばにして起っては困る、俺が困るのじゃない大船主が困る「あの海賊が何だというのだ、あいつは俺達の船だと見た そうりやく 姓のだ、大船主だけが困るのじゃない、日本三十六軍の教導が最後、どんな無理でもやらかして搶掠しやがる。あいっ 等に俺達はいくらか温かい情をもっていてやるのにあいっ 国として四代っづく大商船隊のみんなが困る」 初代の大船主、王直のときは東夷三十六蕃の教導と誇称らは俺達を仇敵だとしてやがる。俺が洋上で運よくあいっ したが、芝童が大船主になってからは東夷という言葉を厳にお目にかかったら、女みたいなあいつの腿の肉を持って あざけ けんまく
61 上杉太平記 一見して投げ出し、 「所労といえ」 と、ぶッきら棒にいった。 美作等の必死の策を、平右衛門はこんな風に、あっさり 扱ってのけた 二度目の使いがきたときは、怪しげな踊りめいたものが その晩は殊に寒かった。 大喝采を博した後である。 森平右衛門は彩色絵のある金屏風一雙をうしろに、燃え 平右衛門は今すんだ余興を思い出し、にこにこ笑いなが しとね たつばかりの緋毛氈を敷かせ、その上に大きな紫紺染の蓐 ら、 を置かせ、ゆらりとばかり寛いでいる。 「この次には、趣向をわしが立ててやる」 「女ども」 と、上機嫌だったが、 と、平右衛門が酔った眼をむけていうを待たず、十余人 「何だと、又御用状か。どれどれ。若輩どもが、何事によ らず平右衛門なくては成し難い、困 0 たものだ。御家に平侍 0 ていた女達が、一斉に美しい顔を向けた。 、つもやる癖で、右手を骨無し 右衛門が、もしおらなかったら、どうする。さてもさて平右衛門は酔ったとき、し も、年齢に拘らぬ若輩どもが、三采配、六侍頭、年寄の家のように、だらりとさせ、 「唄え、所望」 、揃いも揃って生れたものだ」 言葉の終らぬうちに、女達は、三味線をとりあげ、調子 と、鄭重なる文一一旨を一見し、にやにや嘲り笑っていた をあわせ、唄い手の女は軽い咳ばらいをした。 が、急に女共に顔を向け、何かいしカレオ 森党のもので今夜もここに来ているものは、酒席の周旋 が巧みである。すこしの間も平右衛門を退屈にしておかな そういうことにかけて得手の者ばかりで、女達が伴奏 と歌手の席につくまでの間、洒落や笑談を怠らずにやっ 平右衛門は上機嫌で、 はべ 、 ) 0 森平右衛門誅殺 くつろ
「ゆうべそう思ったのですが兄さん、兄さんは、いっ頃かる。今からそれを話す」 一人を除いて弟達の眼が芝童の眼にそそがれている。芝 ら日本へ行かないのかい」 童の眼が急に懐古にひたるようになった。 芝童は笑って答えずにいる。芝鳳が追いかけて、 「お前達が知っているとおり、われわれの父は泉州の府に 「日本にいる兄さんの子供は幾歳になったの、名は何とい - 一うか 庫吏だった。府治の後架と州庫とは一ツの街を隔てて相望 うのです」 んでいた、私は日ごとに州庫に行って遊び戯れていたもの 卓の上を無心のごとく撫ぜっつ芝童が、 「まだ幼い」 つぶや と、だけいって屹とした顔を、順序に席についている弟芝鳳が咳いた。 達に突然向けた。まず赤い顔が丸々としている眼の太い芝「わたしだって同様だったよ」 虎、その次が鋭いものが細長い顔に閃いている青白い芝それが耳にちらッとはいったが、芝童は吹かなかった風 あご 鵠、次が頬と腮が飛び出したような芝鳳がやや濁った眼をのごとく聞き棄て、 「私が十歳の或る日、石を投げて戯れていた、投げた一ッ 瞬いていた、それから燃えるような眼をした色の黒い、一 の石が蔡太守 ( 蔡善継 ) の額にあたり皮破れ血が迸しった、 番若い芝豹だ。 小役人が私を掴み、太守の前に引きずッて行った。太守は 芝童の眼つきがいつもと異なると気がついて、襟を正し ゆる たごとき心になったのは、芝虎・芝鵠・芝豹の三人で、ひ笑って釈してくれた」 とり芝鳳は自分の問いがいい加減にされた不快を、窓の外蔡善継はそのとき容姿秀麗な鄭家の子、一官が、毅然と して罪を待つのを眺め、″法は貴に当れば保釈す〃といっ の竜舌蘭に向けていた。 て投礫の罪を釈したのである。芝童はそこのところを省略 「弟達」 と、いって芝童が更めて又見廻した、今までにこんな態していった。 「蔡太守、今、齢七十余、このごろ人を遣わし撫諭するこ 爺度を執ったことは一度もない。それに声音といい語調とい とすでに四回ーーー私がいった進退の岐路が目の前にあると 姓い荘重だ。 国「私、一身の栄枯と安危の岐れ路が、目の前に横たわってはそのことだ。私は蔡太守に恩義を負うている、が、それ いる。右するか、はたしてそれが幸いか、りかねるのではここでは取りあげまい。鄭芝童はどうしたがよいのか、 ある。左するか、はたしてそれが不幸か、これも判りかね賊と闘って海洋の通商者であること、明日も又昨日のごと きっ