めぐりあ あってのことだろうのう、違うか。貴公がまこと大原の倅は、下総木更津で邂逅った鈴田三蔵が、昔の恩返しの真似 の仲間でなくば、拙者が依頼の只今の伝言をするに及ばぬ事でもしたいと、志願したのを大喜びで迎え、二人一組と 浜村へかかると が、堕落しても士族は士族らしくしろ。伝言はこうだ、三なって、木更津を出たのが朝であった。小 日のうちに自首せいーー東京に於て何をいたして逃げ歩く海辺に突き出しの小休み茶屋に寄り、 ねえ か、本多家四万石の旧臣のうち、このあたりに土着した衆「おい姐や、四、五日前に役者が二人、ここで休んでゆか なかったかい、二人とも二十四、五なんだがねえ」 は残らず聞き知っている、と、これも申せ」 志田は息が詰った、膝がしらがガクリといいそうだ、背と木村が如才のない口調で、茶を汲んで出した小娘に尋 中と腋の下とで冷汗が走っている、破牢その外のことがもねると、 AJO 「あれ、あの人達、やッばりそうけえ、おツかあ、あの男 はやこの辺では人が知ってるのであったか 駅逓夫は志田の目から目を放さず、道をひらいてやるよ達あ役者だとよ」 、つに日川一い ~ 「姐や姐や、あれは東京の役者で、一人は沢村紅助、もう 「大原の影次郎がどうなったか、行って見たいだろう、行一人は市川白太郎というのだが、といったところで、姐や がいうあの人達と、俺がいう沢村紅助に市川白太郎は違う け、今ごろは地獄の使いの女が、破牢の盗賊の首を鎌で掻 か知れない。どうだい二人とも色が黒かったろう」 き切ったか知れぬ」 いい棄てにして駅逓のおやじは、肩の大きな袋を揺りあ「なンの、二人とも青いくらい色が白いさ。そうだなあお ツかあ。旦那さんよ、色が白いと役者でねえのけえ」 げて、那古の方へ歩み出しかけて、志田を振返った。 「三日のうちはこの唇が何もいわぬ。せめてものこれが旧釜ロの前で、薪を小割りにしていた婆さんは、うンそう だそうだと答えるだけで、小娘と違って、何日か前に通っ 朋輩へ拙者の誼みだが、貴公の胸には、かようなることは 男何と「くことか」 た客のことなど、忘れたも同様であるらしい。木村探偵は じようだん 小娘相手に、笑談混りの話面白く、志田と影次郎の年ごろ 総駅逓夫は悲しげな目をちらりとして、那古のほうへ健か とな足をはこんだ。 人相を聞き出し、着衣と持物まで聞き出した。 江 ハ ( 着衣 ) は聞く通りだが」 「どうだ鈴田さん、 「旦那、まさに寸分の違いもござンせん、木更津で仕入れ 志田明と大原影次郎とを追跡している、木村喜之助探偵た物ばツかりです」 くち
保助はにこりと笑ったその次には、じろりと光る目を一一木村喜之助探偵はけさ早くから、志田明を捕縛するた どナめ、丹後町の志田の実家と、内藤新宿の馴染みの女がいる 人に向けた。志田も影次郎も顔をあらぬ方に向けたオ。 で、何もいわずにいる。保助に気圧されたのである。 伊勢屋とに張込みを掛けた。親か女か、どちらかに忍んで 男坂の方へ保助が足早になって行ったのは、それからす会、 しにくるだろう、会いに来ないでも、たよりがあるだろ ぐだった。 うと見込んだのである。木村が張ったこの網に、やがて引 ツかかるに違いない志田と影次郎の二人は、立腐れの小ッ 旗下屋敷の書院に、夜になるのを待ち遠しがっていた。奥 ひえ 日枝神社の正門を横にみて、志田明と大原影次郎は、拾まったそこでなら、門の外を通る人があっても、話声が聞 った竹竿を手にして、風見舞い水見舞いの帰りと見せかえないだけの距離があった。裏は草が深くなった墓地、両 ますがた け、赤坂見付の桝形を抜けて裏伝馬町へ出た。すぐ鼻の先隣りは矢張り立腐れの小禄の武家屋敷だった。 に紀州徳川家の大きな構えの屋敷がある。そこから左へ左「ひでえ屋敷だなあ志田、これでは薪にもならねえから売 へと行くと、住む人があったりなかったりの武家屋敷が、 れねえや。君の親御がござる処は、まさかこんなではない 大小さまざまある中には、売られて薪にされた名残りを、 だろう」 すくな 土台石や壊れた築地塀にみせている屋敷も少くない。その 「まあね、見たところ、こうは荒れ果てていないね、安政 あたりで二人の姿が、人通りのないときに消えてなくなっ卯年 ( 安政二年 ) の大地震にやられたのを、翌年建て直した のほうず たのは、寺と武家屋敷が入れ混り、退化した庭木が野方途というから、二十年と少々だからね、とは申すものの、内 に育ち、草深くなった墓地が諸所にある、といった処の一実はこの屋敷同然、まことにもってひどいね、町家の者ど 角の小ッ旗下の屋敷で、見るからに廃墟じみたところだっ もが嘲っていう筍ぐらしだから」 「どこだってご同様の至りだ、俺の家は小大名の家来だか 総そこらは第三大区出張所の管轄で、森伊佐雄権大警部がら、頂戴の御禄も軽少なものだったが、それが無くなると 主任、老巧な木村喜之助探偵がその下にいるのだが、志田大きに痛いさ、でもな、田舎だろう、どうやら食うには困 戸 江と影次郎とどちらも、自分の手で御用にした破牢逃げ去りらないさ、食うといえば腹がヘッたが、迂濶に外へ出られ の二人が、所轄の地にもぐり込んでいるとは、さすがの木ねえから、これでも食って、晩まで辛抱するのだなあ」 こわめし 村探偵でもまだ知らずにいた。 「強飯と饅頭だね、いつの間に買ったのだね」 たけのこ
から、只今置いてゆく旧幕の通用金の方は、預りにしておれているから、その二人がそうかどうかは判らないが、届 ひきあて いてくれと、こういうので、それではと、受取り代金引当けこが、、、 ゅうべも炭屋の三河屋が、危なく麹屋横丁の の預り証をわたし、二分金で八両と二朱金を一ッと預りま医者殺しの二の舞いになるところへ、いい都合に伊東さん した。仕立上りましたらお届け申しましようお処はというが通り合わせたので、曲者は逃げたからまずよかったが、 と、受取りに来るといって、居住の処をいいません」 物騒な奴がこの辺をウロついているらしいから、二分金と 「居住の処もいわねえ、姓名もかい」 二朱金で衣服の代金を払ったものがあるということに、念 「そうなんです。預り証の宛名を書くとて、ご苗字はとい を入れるのが人民の義務というもの、ちッとはそのため、 、つ AJP しいよといっていわないから、上様と書きました。 ヒマ潰しになるが、お互いの住む世の中を良くするためだ 急いで貰いたいというから、十二日の西洋時間で午前十一と思えば何んでもなかろう、とこういわれたので、屯所へ 時という約東にしました。仕立上ってきたのは約束の日のこれから行こうと思っていましたよ」 前の晩だから、十二日の約束の時間よりいくら早く来て「そうか、それはいいことを聞かせてくれた。その二人の も、こっちは待ったなしで渡せる、ところが、約東の午前誂えた羽織に着物と長襦袢と、一ッ物があったら、見てお 十一時になってもやって来ません、丸の内のドン ( 午砲 ) がきたいが」 鳴ったが来ません、あたしのことを旧幣だなんていった方「お安いご用で。長襦袢が一人の方だけしかありません、 が約束の時間を打っちゃる、どっちが旧弊だか開化だかアトはあります」 ね、客だからそれも、 しいとして、午後三時過ぎに二人連れ 二人の客の撰んだ柄は、どれもこれも、途方もない場違 立ってやって来たので、品物を渡すと、紙幣を持参するの いな撰み方で、そのとき木村探偵が書留めた羽織、着物、 を忘れた、取りにゆくのも億劫だから、先日の二分金と二長襦袢の柄や色や模様と寸法書きが、昭和の戦前まで、伝 かか 男朱金でよろしかろうというから、へえ結構でと、前の預り馬町新一丁目の木村の孫の手許にあったが、戦火災に罹っ あらた 総証を当り前の受取り証に更めて渡しました、それだけのこたので今はない。 ととだから何とも気がっかずにいた処、今し方、伊東さんが 木村探偵が巡査屯所へ引返し、大庭智栄少警部に、福井 江うちの倅から今の話を聞いて、それは屯所へ知らせたがい 屋で聞いたことを報告しているところへ、石川当四郎探偵 い、なぜならば、この八日の晩に、辻強盗に殺された関口がトンビを引ツかけた肩をすばめ、寒さに鼻の頭を赤くし という人が、二分金と二朱金、一分銀などで、莫大に奪らて帰って来た。石川の兄は徳川時代に町方同心をやってい おっくう
222 ないらしいが、滅法な派手好みで、あれだこれだと柄を好 十を越した、そして知合いの福井屋の主人が、 「やあ、いい処でした、今し方、戸籍所の伊東さんが、うんで相談しているのが、田舎廻りの若い芸人でもゴ免蒙り ちの倅に用があって来なすって、ゆうべ塩町へ追剥ぎが出そうな物なので、あたしがためを思って助言したのだが、 た話を聞きました。まあおかけなさいまし、それについて受けつければこそ、小父さんの撰択は旧弊だといって嗤う のでさあ、客だからさようですかとべつに咎めもしませ お話することがありますから。小僧や、お茶もって来な」 くす 「小僧さん、とてものことに、熱い茶にしておくれ、寒くん、小父さん呼ばわりされたのが擽ぐッたくってねえ、こ れでも呉服屋に生れて育って五十一年、お客さまのお相手 ていけねえから」 、何にでも残っていた時をするようになって三十四、五年になるが、若い男のそれ 旧幕の頃そッくりのしきたりが だから、呉服屋の客扱いも、後々とは違っていて、福井屋も初めて来た客が、いい年をした者を、心安そうに小父さ のような都心でもない処の店でも、ちょッとした買い物をん呼ばわりは、徳川さま瓦壊の前にも後にもありません した客には茶ぐらいは出した。小僧だって後代の少年店員や、こいつは変なご時勢の飛ばッちりでさあ、ねえそうで しよう木村さん」 とは万事が違うのだから、小僧やお茶をもって来なという のに、少々ばかり節がついて唄うような調子だ、小僧の方「それはそうだ、言葉ってものは、いつだって、それ相応 でもハイという返辞に節がついて、あアいイと引ッ張ったに格をもっているはずのものだからね、知らねえ二才から 小父さん呼ばわりされては、気持が悪いだろうとも。それ ものだ、だから木村が熱い茶にしておくれといった時も、 のんき 小僧の返事はあアいイと唄う、とい 0 た風で、暢気だともで、その二人は仕立も頼ん工行 0 たのだね、勿論のことお じようとく、 代は注文払いだ、常得意でもねえ者に後払いって法はねえ いえるし、趣きがあったともいえる。 まちかたどうしん 木村探偵は旧幕の町方同心だったし、四十を越えて練れもの」 ていたし、、 しやがられていない男だったので、福井屋の主「そうですともさ、仕立上り八両二朱に相成りますから、 お代は先に頂きたいものでというと、当節通用の紙幣の持 人のロのきき方が、半ばは友達といったところがある。 「実は、十日の昼の八ッ頃、ではない西洋時間では午後の合わせがないから、二分金、二朱金を置くから預っておい 一一時ごろ、一一十四、五になる一一人連れの書生の客がきまてくれ、品物を受取るときに、紙幣をも 0 て来るというか して、二人とも、羽織と上着と下着に、長襦袢を誂えてゆら、手前の方では二分金、二朱金で結構ですといったが、 きましたが、この二人とも世間の東西南北が、まるで判らその二人は、いやいや新通用の紙幣をこの次にもって来る あつら がら こうむ わら
飛びかかる老巡査に、志田は躄り腰になったままで、刀はこんなに無茶苦茶な人殺しをやりやがる。おなじ六号末 を抜き放った。老巡査がうしろへ一足飛びさがる、それを決房にいた悪事を犯したものでも、うぬと俺とでは大きく 違うのだぞ」 追って志田が突きを入れた。 ねむ 志田は突きを入れたとき瞑った目を、起ちあがってから あいた。気がっかずに歩いたとみえて、老巡査は五、六歩 車上の男女 うしろに倒れ伏していた、それを見ると志田は膝がしらが 曲って、へたへたと坐った。 ロの乾きに苦しんで目を据えている志田に、十間余り先 から声をかけた者がある、立木から放れはしたが、両手首 東京の第三大区付き探偵木村喜之助は、木更津の三蔵を の結び目が解けずにいる保助であった。 助手にして、志田明と大原影次郎の足どりを小浜の掛け茶 「志田、うぬは又こんなことをやりやがった」 屋で取ったのが始めで、上総の天神山村の宿屋と房州金谷 「保助、来たね、お前も、かくの如くにしてやる」 あいまいや 刀を携げて志田が突ッ起 0 たので、保助はくるりと向きの曖昧屋とでまた確かめ、、本多四万石の旧臣で今は駅逓夫 の老人からも聞きとり、鎌をもって那古では岩井屋の預り をもとに戻して、十間余り逃げてから振返った。 興津の方から女三人に男が二人、一ッ先の曲り道のとこ娘が大原影次郎を追 0 てい 0 たのを引戻しはしたものの、 娘は再び家出したことも聞き込んだ。白浜村では恩田利器 ろへ、見えた。 翁が大原を引ッくくッたが、偽せ警官が現れて巧みに連れ と見て志田は刀を携げてその方へ勢い込んで向った。 間もなく男二人は山の方へ逃げ込み、女三人は道端で抱き出し、逃げ失せた前後の様子を、恩田翁が簡潔ながら的確 、木村探偵が知ろうとするところを残りなく、自身で聞 男合って気を失った。 総志田はその中を風のようにつっ切 ) て、みるみる姿を曲かせてくれたのみか、大原を追う安斎林右衛門の娘須那が ちらりと姿をみせたこと、須那を尋ねて旅の職人らしい男 とり道の蔭に隠した。 戸 江保助は自由にならぬ両手首を上げつ下げつ、地を踏みつが来たこと、それらも加えて語ってくれた。 白浜を後にした木村探偵は、前後に人のないときに、 け踏みつけ、 , フめくよ、フに、つこ。 「俺のことを無雑作に人を殺すといやがったくせに、うぬ「なあ三蔵、骨折りをかけた甲斐あって、俺達が追ってい
からやッつけて、当り前の土地にようやくした、こういう 歴史を新宿という処は明治の初めにもっている。 さて内藤新宿の花街のことだが、その沿革は長くなる し、この話に用がないので略すとして、江戸時代の内藤新 きびようし 宿の花街も、幾ツかの黄表紙と称する一種の世相を書いた 本が、面目を細かく伝えている、といったところで、新吉 ほそおもて 細面で、キレ長の目が鋭くときどき光る石川当四郎探偵原とは比べるべくもない、下の位置の花街とされていた。 、伝馬町新一丁目の巡査屯所を出た。屯所は通称で正式だが、海に沿った品川と並び称し、甲州街道の色香の場所 には東京警視庁第三分庁第三署といった。第三大区の九、として繁昌したもので、鈴木主水という侍と遊女白糸の伝 十、十一の三ツの小区担任がこの署だったが、その少し前説や、うわばみお由という夫の敵討をした女がここの遊女 らんちょうこのいと であった話や、新内節の代表作として蘭蝶此糸の情話は今 には巡査屯所と呼んだこともある、それが公私どちらも、 公文書以外では巡査屯所といった。木村のような屯所のもでも伝えられている。 のが、外の屯所のものと話すとき、「三の三屯所の木村だ」前にもいったが明治五年十月二日、太政官から人身売買 の禁止令が出て、日本中の到るところの遊女、芸妓、酌婦 といった、つまり第三分庁第三署の省略である。 もう一ツ、事のついでに面白いことではないが、前にちがのこらず解放された、そのころは解放という言葉が、そ の後々の或る時代同様に、盛んに使われた。 よッといってある、人身売買禁止実施の前例を聞いておい 「仮名手本忠臣蔵」五段目で早野勘平の女房お軽が、生計 て貰いたし の貧しさを救うために、遊女屋へ身売りするところがあ 内藤新宿というところは、明治の新政府ができて後、一 番始末に困った処だった、無頼漢が徒党をつくって横行しる、あれと同様なことを、昭和年間の先ごろまで、為政者 ゆすり て良民を苦しめ、強請と強奪と暴行と賭博と喧嘩とが絶えが放っておいた、それが昭和の敗戦後に占領軍によって禁 ない、正しい者が正しいことを主張しても、暴虐の力に潰止された、とこう思っている人々もあるだろうが、ごく近 されてしまう、後世にいう暴力の街で、悪い意味のポスがい世代でこれは二度目で、一ツは前にいったからすでに知 横行した。そこで安田与八郎という人が政府の許しをうけっているだろう明治五年の禁令。そのときの禁令は冒頭に こういっている、「人身ヲ売買致シ終身又ハ年期ノ限リ、 て、一隊を率いて暴漢退治に乗り出し、悪徒どもを片ッ端 「木村さん、トテものことにもう一ペん行って、念入りに アタッて来る」 と品書きを、半紙四ッ折手製の帳面に、矢立の筆を走ら せて写しとった。
たので、石川も自ずと探偵という仕事に興味をもったものた、その他の二人連れは福井屋で衣類を買ったものとは、 で、そのころ年は三十そこそこだ 0 た。 年齢その外に違いがあった。さてそこで残った三組は、ど 「よウ、石川君帰ってきたか、ご苦労さん。新宿の方はどれも年齢が三十前後のものばかり。 なら んなだった」 「なあ石川君、この三組とも遊び場所へくる客の慣いで、 「木村さん、おいしくねえよまだ。大庭少警部殿、いつも本当の姓名を付けッこねえ。どういう人間かしらな、この ひょうきやく 必ず二人連れでくる嫖客というものは、そう沢山はない 二人ずつ三組、六人の奴は」 もので、書抜いて来ました。これなんです、二十一組しか「木村さん、この中で三十七歳と三十二歳の人ね、こいっ ありません」 は正月の六日と八日に遊興している、敵娼に聞いてみた 石川探偵が内藤新宿の貸座敷業者の会所と、一軒ずつ貸ら、三十七の方は四谷見付の地主の倅、三十二の方はそい しみ 座敷をアタッて調べてきた、客帳に拠る、二十一組の二人っの従弟で、遊びはいたって吝ッたれで、いっ来たって、 連れの客を、少警部と両探偵とで、片ッ端から検討をやり一枚一本だっていうからね、正月六日にきたときも、吝ッ しゅう 出した。 たれた祝儀の出し方だっていうね」 おおまがき あげや このときの遊女屋はどんな大籬の見世でも、揚屋とはい 「そうか、おキマリで遊ぶのか、百十両手に入れた奴らし しようぎ くねえな」 わず、貸座敷といった、随って遊女は出稼ぎ娼妓といっ た。明治五年十月二日に人身売買禁止令の実施があって、 「次は二十八歳と二十七歳の二人連れ、客帳には白井権八 その後、それまでの遊女屋とは性質も機構も一変して、再郎と花川長兵衛と付けさせているが、権八の方は木村さん もと 開業となったもので、徳川時代からそのままやって来た旧ご存じの、下高井戸の牛馬売買の六左衛門だ」 の遊女屋の客帳はなくなっている、だから古いので一年「あいつが白井権八郎だって、ふふン、笑わせやがる」 新しいのになると六カ月、それ以上はわからないし、 「花川戸の長兵衛に一字足りねえ花川長兵衛は、これも本 さかのば はたや そう古きに遡る必要が今度の一件ではない。事のついで村さんご存じの、幡ヶ谷の牛馬売買の久助だ」 にいっておくが、明治以来、人身売買が禁止され実行され「その二人の近頃の銭のつかいツ振りは」 たのは二度で、一度は前いった明治五年、その次のは日本「こいつらも女にモテない吝ッたれだ、残った一組のこい 敗戦の直後。 つは臭いね、伊勢屋の客で、年はどちらも二十五歳と客帳 検討をしてみると、結局のところ三組の二人連れが残っ につけさせてあるが、敵娼に聞くと違うね、どっちも二十・ おの あいかた
あかし た。それには赤坂丹後町士族志田明・当二十四歳、牛込神ったし、貧富の地位が逆さに変り、今でいう斜陽族なるも わらだな みってる 楽坂藁店士族黒原三光・当二十四歳とある。 のが、どこにも悲劇を演じていたという、どちらを見て 木村が、それを解説して、 も、政府が変革し社会制度が急角度に一変した影響が、横 せつけん 「この本姓名は黒尾芳常実は黒原三光が申立てたもので、 に縦に席巻している中で、気力を失い、鑑識が曇り、能力 志田にこの通りだろうと確かめると、野郎め、そちらで決を出し得ないものは、日ごとに惨落してゆくより外はなか めてくれと、顎を突き出して、天井を眺めやがる、実にそった、ことに年齢が若くして敗戦の惨を体験し、降伏して ふりよ の憎ッたらしいことといったらありませんが、こいっ本姓俘虜となり、または逃げ歩いてわずかに免がれた者の中か 名に違いありません、黒原の本姓名を志田に聞くと、蛇がらは、希望の光に背中を向けて我から堕落に身を投げ込 冬ごもりしているみたいな目をして、僕は交際をしただけみ、無気力の枝に小さな反逆のわくら葉の芽をのそかせ、 で身許調べはしなかったと、鼻の先で嗤やがるから、こっその果ては兇悪犯をやった者が二、三の例ではとどまらな ちが訊いているのはそうではねえ、一緒に人殺しをやるは 。それともう一ツは海外の新智識を取入れる政策が、一 どの仲の友達の本姓名だというと、天井をまたも眺めやが般の間で歪みをつくり、後に一英国人をして、「日本は欧 って、偽名であったらその者の責任で僕の関知せぬこと羅巴が五百年かかった文明を五十年で取入れることに成功 だ、本人が黒原三光が実姓名だというのなら、多分そうな し、驚異といわれ奇蹟といわれたが、しかし日本人は欧羅 んだろうという。あいつは当世流の見本みたいな代物です巴の長所と共にその弊害をも取入れた、百年後の日本はそ がん ね」 の癌に喘ぐであろう」と批評をさせるようなことにもなっ 申すまでもないがそのころは、戦後の影響が強く残ってた。木村探偵のいう、「当世流の見本」とは、そうした戦 らんり いて、東京は江戸の昔に遠く及ばない乱離の跡がまだまだ後に生じた「心の不具者」を多少の漠然さをもって指して 男著しかった。明治二年五月に蝦夷地 ( 千代ヶ崎、五稜郭、室 いったものだった。 さてその日の午後、木村、石川の両探偵が、志田明と黒 総蘭 ) の反軍が鎮定されて、日本全土に銃砲火が収まりはし たが、相踵ぐ政府転覆陰謀 ( 雲井童雄事件、愛宕通旭、外山光原三光を別々に、下吟味をやった。下吟味がそれから二日 戸 、、エレ J こよ 江輔を盟主とした事件その他 ) 、要人の殺傷 ( 大村益次郎、広沢真っづいて、身許調べも一ト先ず段落をつけてししー しらす 臣暗殺、岩倉具視襲撃 ) 、士族農民の暴動 ( 伊勢の長谷部一事った四日の後、大庭少警部が白洲をひらいた。白洲という 件、信州松代、伊予、讃岐その他にも少くない ) 、その余波もあ言葉に限らず、旧幕の司法警察の名称や慣用語がかなり多 ヨーロッ
「あツーーーあいつが、こんな処に来てやがる」 いくら暴れても助かりッこねえよ」 順礼姿の牢破りの一人が、手を口にあてていった。 「助からないから暴れるのだね」 . レししカら々畆げよ」 「やい大原、もッと上へ急ガ、、、、 「無駄だよ」 「何をいやがる」 「刀を手にとれ」 「俺あ引返す、志田に用があるのだからな」 「無駄だというのに」 「何とでも勝手にいっていろ、志田を探せばうぬだって御 「刀をね、手にとるのだね」 そのうちに山狩りの村のものが、立ちあがった二人の姿用とならあ」 とき なだれ をみて、鯨波の声をあげつつ後へ雪崩を打った。その声を大原は上へ上へ、急ぎかけた。 「あれえ、あの野郎め、あとをつけて来やがる。あんな奴 聞きつけて、三村警部組の巡査が五人、前後して駈けつけ と一緒になってたまるか」 て来た。 大原が急ぎに急いで上って行くのを、急に立ちどまって 「大原、来たぞ来たそ、僕も闘う、君もやれ」 きびす 志田は拳銃を巡査に向けて引き金をひいたが、不発であ見送っていた石川保助は、踵を返して志田明が、馬鹿げた 抵抗をやっている方へ急いだ。 った。また引いたが不発だった。志田は刀を抜いた 志田は最初に発見された場所にいなかった。志田は二人 と見て大原は背中を向け、山をさして逃げ出し、 「手前ひとりで召捕られろ、俺あ逃げらあ。志田の大馬鹿の巡査を傷つけ、自分も左の肩に一刀あびせられ、体半分 を、おのが血で染めて逃げ廻り、山火事の名残りの荒れ地 野郎。手前にリ ーツばり廻されるのは、もう沢山だ」 うしろの方では志田が、巡査と斬りあいをやっているらに逃げのびていた。石川保助は、それを谷一ッ隔てて見つ け、木の根に屈んで、じッと見詰めていた。 しい、刀の打ちあう音がしたかと思うと、しばらくしんと おたけ 目鼻が、はツきり判る近さに志田が見えるのではない 男なり、雄叫びと打ちあいの刀の音が又聞えた。兇賊発見の こだま のたけばら が、きッと身構えたのがわかった。大庭警部が六尺棒を抱 総竹法螺の音だけが、次々に谺した。 えて、志田の左横に現れたのである。大庭のみならず木村 大原は山を上へ上へとのばった。半丁あまりも行ったこ 江ろ、男の呼ぶ声がうしろでした。ぎよッとして見廻すと、探偵が、これも六尺棒を構えて志田の右横に現れた。保助 ひそ Ⅱ今抜けて来たばかりの深い森の端に、思いがけなくも、石は木蔭に潜んで見入った。 川保助が順礼姿で立っていた。
影次郎は頭を垂れて答えなかった。後悔に似たものが 玄関に人の気配がそのとき又もやした。今度は一人では さすがに出て来たのであった。 ひょういん ぎようがく このときは恩田豹隠と称ないらしかった。 恩田老人は号を仰嶽といい、 かんせき し、畑つくりと漢籍の教授をや 0 て、余生を質素に送って老人の妻が起って行 0 た。雨垂れの音はさっきから止ん でした 「さればな、わしはな、主君の請願が東京政府の許容する影次郎は老人の話で、後悔めいたものが出てきたその一 ところと相成り、北条へ移らるるときお供を辞してこの地切を、忽ち棄てたようににやにや笑った。今度こそ志田明 にとどまった、その方の父もこの地にとどまった、安斎もが来てくれたのに違いないと思ったのであった。 な、安斎は普請方ではなかったのだが、一徹の気性が家中老妻が間もなく引返してきて、老人に 「役場の権が警察のお方をお一人お連れ申したと、かよ のもの多くに忌まれ、誹謗の的にされた一人であったな」 う申します」 よっりばつりと往時を思い出した、女色を追う 影次郎は ~ て遊び呆け、不行跡の発覚をあれこれと未然に防ぐのに忙「それで」 ほばうつうちょう しかったそのころ、家中にそんなイキサツがあったとは知「ご当家に、東京の警視庁より捕亡通牒の者がまいってい ともひで らなかったのであった。そういえば母の笑った顔をそのこると承知して参上と、県の警察役人木村智栄と名乗るお方 がかよ , つに・甲します」 ろ見たことがなかった。 老人は取り出した捕り繩をしごいているだけで、影次郎影次郎は身ぶるいして青くなった、志田が来たと思いき や、本物の警察官吏がやってきたらしい。 に本繩をかける様子もなく、 「昔話はこれで終いである。がその方は良き父と母をもち「これへと申せ」 と老人がいい終らぬうちに、木村智栄が書斎へはいって 男ながら、心のうちにその良さを承け継ぐことをしなかった 総な、それは時勢や周囲のせいではない、その方のせいだ、来た。 「役儀なればご免」 とその方に承け継ごうとする心がなかったのは何故だったか と若い警察官吏は、一気に影次郎に近づき、素早くつづ 江な、わしには判らぬ、その方はおのれのこと知っているだ けて平手打ちを頬に二ッくれた。 ろうな、何がそうさせたやら」 女の体漁りであると、影次郎は答えをすぐ心のうちでし