「三人か四人といった、それもみんな警部さんかね」 任せるより外はないからね」 ほくろ 「アハハハ、 海野さんの外に警部さんは一人だけ、黒子が それから一時間ばかりたっと、筑摩県松本の海野・三村 目の下にある人、何といったかね、恐い顔のさ、うンう両警部は、集った巡査十八名に改めて訓示をして、配置を ン、三村さんいうたね。村木先生は聞いていないのだね」定めた。それから又一時間近くたっと、十名を竹の湯の周 「いやあ、聞いていたね、みんな警部さんだったのだろ囲に潜伏させ、八名を四組に分け、海野と三村とで二組ず つを率いて、竹の湯に踏みこんだ。 「違うです先生、海野さんと三村さんの外は巡査だという竹の湯の主人以下は内報を受けていなかったので、捕り ですよ」 物があるとは心づいていたが、我が家のこととは思わなか 「話より僕は飯が食べたい。恩田先生、ご飯どうですか」 ったので、驚きはしたが、立ち騒ぐものはなかった。 しかし、志田と大原とは逃げ失せたあとであったので、 「俺も飯にしようか、と致しますかな」 食事がすんで女中達が膳をさげて行った、その後で、 海野、三村両警部は蒼白になった顔と顔を見合わせた。 この知らせが新浅間のはいり口、だらだら坂の農家の納 「おい大原、海野とか三村とかいう者は、僕達を目的物に しているらしいね」 屋に控えていた大庭警部の許へ届くと、大庭は目に怒りを コ俺も、そんな気がしてならねえ」 みせて、さようかと一言いったのみであったが、木村探偵 「逃走の仕度を直ちにするのだね」 は腹に据えかねて、 「だから言わねえことではねえ、先登にこの木村を立たせ 「金は肌につけろ、短刀をふところに入れておくがいし ね、それから着物は帯でからげて持って出るからね、要意てくれ、ここへ乗り込んだら待てしばしなく、一文字に駈 だけしておくのだね」 け込んで、ヒンナグル ( 逮捕 ) がいいといったのに、土地の 男「今すぐ逃げたがいいぜ、おい」 連中は、それではこっちに死傷が出るといって承知しねえ 総「彼等が僕達を目的物にしているのなら、寝入ったところものだから、かくのごとくの、ヘマをやったのだ。これじ とを押えにくるだろうね、夜中か、夜明け前にね」 ゃあ、死傷者を出すまいとしたために却って死傷者を出す ことになるに相違ない ああ、いやなことになった。あ 江「そういわれれば、そりやそうだ」 いつら二人はフン捉まる段になると、今度は必ず馬鹿な暴 「僕達は床を女中どもに敷かせ、寝ると見せて庭へ抜け て、築地の塀のこわれから外へ出るのだね。その先は運にれ方をやりますぜ、大庭さん」
く石川探偵の足音だけだった。木村はその次には鼻を利かるか」 せにかかった、血の匂いがしてはいないか、というのであ「盲探しではムダ骨折りになるだろうが、一ト骨折ろう。 った。張り込み中のはずの島崎、田畑両巡査がもしも不仕だが石川君、念には念を入れろだ、志田の屋敷の方をもう 、ま一度やってみてくれ。拾った着物は、君が体へ付けておい 合せになっているのだったら、早く発見しないと、或し。 手遅れになって、助かるものが助からぬ、そんなことになてくれろ」 「じゃあ、木村さんはどっちへ追ってみるね」 らないものでもないと思うからだった。木村がそこ此処と 歩いて、鼻を利かした限りでは、不幸な匂いはしていなか「溜池の方角だ」 つ ) 0 「じゃ、ここに何の変りもねえとなったら、青山の方角へ 石川探偵の足音が近づいて来た。木村はここだという代追ってみる」 りに暗い中で突ッ起ち、カラ咳を二ツやった。 「じゃあ」 「木村さん」 「じゃあ」 「ご苦労、どうだった」 木村探偵は東の溜池方面へゆく、その途中で、ヨナシの 「あの屋敷はどこにも灯の気がない、といって鼾も聞えね人力車 ( 夜明し流しの人力車 ) を見つけ、三大区出張所へ張り えが、だれか起きている気配がしているから、もう一ペん込みの網が破れていると、走り書きの報告をもたせてやっ 行ってみるつもりだが、こんな物が、隣りとの境目よりこた。 っち、もとは厩のあった近くに落ちていた」 石川当四郎探偵の方は、再び屋敷跡から志田の屋敷へ近 とうざん 「どれ , ーー・手ざわりでは唐桟らしいが、地湿りはどうだつづいてみると、志田守明の居間だろう、雨戸の隙から灯が 一筋漏れていた。と気がついて、さては明が来ているのだ 男「からッとしていたから、落して行ってから、いくらもたろうと、隙漏る灯の外に、用、い深く近づいた。 だが、内には話声もなく、物音もなく、人が起きている 総ってはいないらしい」 と「すると、志田明が来たということになって来るぜ、なあ気配はなかった。そのうちに灯が消えたが、石川探偵は腰 江石川君」 を据えて、なおも内の様子に耳を傾けたが、鼠の走る音の 「だと、張り込みの島崎、田畑の二人は、そいつを追ッ駈外は何のこともなかった。 けているのか知れない。木村さん、追ッ駈けを、探してみ「おや、血の匂いじゃねえか」
「ああいいとも。ねえ木村さん、屋敷へ着いてツから、俺った若僧だと俺は思う。理窟はねえンだが、あんな手荒い ことをする物奪りは戦争モノにはねえだろうと思うから あ、あの奥サンの処へ来ている手紙類に目を通そうと思っ ている」 だ、もっとも俺がいう戦争モノとは、面を敵にまともに晒 「よかろう、その間、奥サンを、大庭さんに引きつけておして、名を名乗ってチャリンチャリンとやった者をいうの いて貰うように注文を出しておこう」 で、同じ戦争モノでも恥も外聞もねえ腑抜けや、危なくね え処だけで強がっていた奴のことじゃねえ」 「それだとゆッくりやれて良い」 「何とかして怪我人に口をきかせられねえものか、舶来上そのころ悪い意味でいう戦後派という言葉はなかった 等の気付薬か何かで正気づけさせ、やられた時の様子が知が、木村探偵がいうのは、実質がそれと一ッことである。 りてえな」 「徳川さまの瓦壊がモトで、何でも彼でも世の中のものは しょて 「木村さんーーー初手に見つけた通行人だという人ね」 上から下までひっくら返ったからね、その煽りをくらった 「あれか」 若僧の中には、旧幕の頃には滅多になかった非道な罪つく と木村探偵が頤を振って、戸板に引添っている伊東常軌りをしやがる野蛮極まるのがあるから、今夜の一件も多分 のことかと反問した。 そんな手合がやったことだろう」 「そうだよ、あれは確かなのだろうね」 と木村探偵が低い声だが、相手の耳によく聞える話しぶ 「あれはお前、俺の弟の栄三郎な、あれと一緒に、上野かりで続けると、石川探偵はうなずいて、 えぞち 「おなじ戦争に煽られた若い者でも、学問に食いついて放 ら越後、それから仙台領で軍艦へ乗り、蝦夷地へ渡った仲 間さ、十中の八、九、確かだ、といっても、何分こんな世れないのもあるし、旧幕頃にはなかった恥を知らねえ青二 の中になっているので、十中八、九の残り一、二分のとこ才があるし」 すんだい 男ろが、何ともいわれねえ」 「慶応義塾とか東京開成学校だとか、駿台学舎だとかで、 総「そうか、何となく怪我人一件にナレているところがある親の脛を齧らずに苦学力行をやっている若い者の立派さを あぶ みると、おなじように御一新戦争に焙られたりアプレたり とと思ったら、そうか、あの男も矢張り戦争モノだったか、 したのに横へ突ッ走った若僧どもは、どうにも悪くて仕方 江それでは怪我人や死人にはナレているはずだ」 がねえねえ」 「どうだ石川、このホシ ( 犯人 ) は戦争モノがやったのじゃ ねえと俺は思うぜ、戦争モノじゃねえが、戦争の煽りを食「木村さん、函館戦争が片づいて満五年とちょッとだが、 あご あお かじ まる くら
310 の夜船の客になった。一人で出向いたのは費用を節するた しぶりでお目にかかりやした、その節はご恩にあずかりま くしかんざしてがら めである。小間物行商の背負い箱と、櫛、簪、手柄、して」 ひざまず 紅、白粉その他の売品は、知合いから借り出したので、こ地に跪いて礼をいう顔をみて、木村は小首を傾け、 「だれだッけ、お前は」 の方には一銭もかけずに済んだ。 木村が木更津の新河岸へ、船からあがったのは四月十日 「お見忘れはごもっともでござンす、かれこれ十年になり であった。志田と大原が木更津を抜けて、青堀の方へ行っますもの。旦那が江戸で番所 ( 奉行所 ) へご常勤のころ、番 たのは先月三十日のことであった。十日のヒラキがあるの所の腰掛け茶屋で働いておりました三蔵でござンす」 ちょんまげ を木村は知っている。 「違えねえ、鎌倉河岸で果し合いをやった三蔵か。丁髷が あの二人は二千円から紙幣をもっているのだから、船着ねえ世の中になったので、顔違いがして思い出せなかっ き場で女どころの木更津で、一夜の遊びをやらずにはいな た。お前よく俺が判ったなあ。起ちねえ、時勢が変ったの かったろうと、千葉県第四大区扱い所と称えた南町の警察 だ、土下座はこっちが困る」 署へゆき、協力を頼んで、宿屋、料理屋から遊女屋はもと 「へい。忘れてすむものですか。あれは慶応三年といった かみなかしも より、だるま茶屋から隠し売女の巣まで、上、中、下の三ッ ころの九月二日の晩でござンした、今から思えば下らねえ おんまや、、、 の通りの裏表ともに、手を冬して調べて貰ったが、それらことで、安藤様の御厩ばくちで御家人くずれの門十郎と喧 しい者が泊った家もなく、飯屋へ寄った様子もなかった。嘩になり、鎌倉河岸で野郎に一本光り物で突きをくれて、 ( 素通りをワザとやりやがったな。それならそれで、ここ濠の水ン中へ突き落し、逃げもしねえでお濠へ向って悪態 からどっちへ踏み出しやがったか、一本一本道路をアライをついていると、横ッ面をパチンと叩いたお方が、旦那で ござンした。あの時のことを忘れたら三蔵は、人間じやご あげるとしょ , っ ) なかちょう 木村は、中の町通りの矢の字屋という旅籠屋へ一トまずざンせん」 引揚げる気で、警察を出て一丁足らず歩いたところで、 「三蔵、俺はこの先の矢の字屋に泊っているから、今夜や ざッばりした服装の四十がらみの屑屋とすれ違った。木村ってこい、丁髷のあった時分の話をして楽しもう」 の方ではだれとも判らないその屑屋が、棒立ちになって声 「旦那は話の腰をお折りになったが」 を挙げた。 「その先はもういうな。あの時は、俺が逃げろといっただ 「あツ。木村の旦那じやござンせんか。どうもこれはお久けのことだ。待っているからこい今夜」
をショ引こう、この世の名残りに一ト晩だけネンネさせてり物というと自前の十手をうしろ腰にさして、木村と一緒 やってな。捕るのは、奴等が朝ッばら大戸をくぐって出にゆくのが楽しみだという、ちょッと型の変った江戸人 だ。亀は木村の外は、頼まれても探偵の手伝いを決してし て、二、三間歩いたところでビシリと行こう、俺は真田、 石川君は黒尾、という割り振りでどうだ。もし奴等が居続ない。 けでもするようだったら、仕方がねえ、朝酒が始まらねえ うちにバグろう、酒がへえると馬鹿なことになりやすいか らな、飯だってへえっていねえ方がいし女。 又等ま二人とも 年は若いし、遊びは青いし、ゆうべッ気というやツで、朝 は驅がお疲れでフラフラ腰だろうからね」 組ンず解れつの、芝居にありそうな犠牲者お構いなしの しせつ 捕り物なそは、木村に限らず探偵は好かない、捕り物は質その晩、木村喜之助探偵と石川当四郎探偵は、私設の助 実で、捕えるものも捕えられた者も、息をはずませること手で、そのころの探偵はだれでも手なずけていた、諜者と いって、子分同然のものを一人ずつ二人呼びあげ、それに なしに済むのが最良なのである。 「じゃあ、すし亀と伊勢屋の亭主に、耳打ちしておこう」街の探偵を気取っているすし亀を一枚加えて、総勢五人 が、内藤新宿遊廓の伊勢屋の外に張り込みをやった。記録 「そうだね、俺も一緒にゆこう」 真田と黒尾が伊勢屋へ登楼ったら、廓内のすし亀が外か的にこれをいうと、明治八年一月十三日のヒケ過ぎから翌 ら張り込む、伊勢屋の中のことは伊勢屋の亭主に責任をも十四日の朝までということになる。 ヒケ過ぎというのは張り見世を引いた、その以後の時間 たせる、そうしておいて不村と石川とは、何人かの諜者を ということだが、今では張り店ということが、何のことか 助手につかって捕り物、とこういう手筈だ。 せいしよう すし亀というのは、木村とは三十年来の友達で、諜者で判らなくなっている、盛粧した遊女を格子のある見世の中 じゅうらん ひょうきやく はないが捕り物を手伝うのが好きな男で、長男は二十五歳に並べて坐らせ、嫖客どもの縦覧にまかせた、それを張 、カ り見世といったもの、その悪いやり方は後に で内務省土木寮の役人、次男は二十三歳で店の跡取りで、 禁止されてなくな 相当に長い時間を経た後にようやく すしを握らせるとおやじ以上なので、亀は店で威張ってだ けおれま、、 と、う身分で、ヒマがあるせいもあるが、捕り、辞典の編纂者でも、死語になったこんな言葉は、知ら 戦友 ゅうかく
犬は逸散に巌角まで行き一声吼えた。彼等は歩いていまわれた時は、肝を潰したぜ、でも、無事で生きていてくれ て良かった良かった」 すというものの如くである。 「俺あ、奥州の駒ケ嶽というところの寺へ、自分の墓を建 どことも知れず、人の叫び声がした。今の二人の行った てたから、それに参ってくれた人があったのだろう」 方角ではない、渓の底らしかった。 猟師は、その声を聞きつけることは聞きつけたが、須那「墓参りしたのは石井常七郎だよ、あいつは奥州の方へ役 が志田に突き落されたとは知らないので、第二の叫び声を人になって行っている。そうか、自分で墓を建てたのか」 「薩長の奴等に葬られてやるものかと、半分は面白ずく 待ったが、聞えるものは山の風と水音だけであった。 このことがあってから三日目、きのう半日降った雨がきで、生きているうちに、自分で自分を葬ったのさ」 ようは晴れている正午ごろ、県から県への山の道で、足掛歩きながらする回旧談の間に、 け八年目でこの猟師は、旧知の者に、はからずも出会っ「喜之さん、お前こんな方へ何しに来たのだ」 という斎藤初五郎に肩書付きの名札を出して渡した木村 ぶしつけ 「不躾ながら、そこへ行くのは木村の喜之さんと違うか」探偵が、 木村の喜之さんとは東京の探偵木村喜之助のことであ「追込みだよ、東京からワザワザね」 る。木村は連れが一人あった。それのみか、小半丁うしろ「昔取った杵束で、明治の十手持ちか。それにしても遙々 にも大庭智栄少警部を首班として、一群の東京巡査の一隊のところ、大層なご足労だ。そういえば三日前に妙な奴を があった。 二人見かけたが、まさか、そいつがお前の追込み中のホシ ではあるめえね」 「だれだい、お前さんは」 「俺が追込んでいるのは、若え男二人のはずだ、女が一枚 「斎藤初五郎さ」 へえッているかも知れねえ」 男「えツ、斎藤の初さんだってーおッ違えねえ初さんだ、 総あまりの変り方に気がっかなかった、何とまた変ったこと「俺がみたのは野郎二人だけ、女はいなかった。年のころ とだ。本当によ、以前のお前を知っているものに、今のそのは二人とも二十一、二、どっちも男ッぶりのいい奴だ」 江姿を見せたらびッくりだぜ、なあおい初さん、俺あ、お前「初さん、それじゃあ一ツ、この人相書をみてくれねえ は奥羽の戦争で死んだとばかり思 0 ていた、墓に線香をあか」 「おう、見せて貰いてえーーおやおや、明治も八年という げて来たという奴があるもの、今お前に斎藤初五郎だとい きねづか
しいところへ気がついてくれた。それでは女遊び 総半島のうちで捕縛ができる、大原影次郎とても伊豆の下「うン、 田で捕縛ができる、と思ったが、そのことはもうロにしなの出来る飲み屋を虱潰しに調べてみよう。船の者にワタリ かった。何が何でも追跡し逮捕する、それまでは、外の一をつけたとしたら大抵そんな処でやるものだからな。この 切は事の終るまで眼中にないのであった。所持の探偵費用土地に親分といった男がいるだろう、その手を借りて洗う はえ も残り少くなっているが、それにも木村探偵は、頓着しなとしよう、一々こっちが歩くより早え」 かしら 二人の妾に曖昧茶屋を一軒ずつやらせている、博徒の頭 くなっているのであった。 興津へ木村探偵と木更津の三蔵がはいったときは、勝浦に木村が会って話すと、旧幕のころの来歴もあり、東京の の屯所からも出張して来ていて、笠浦老巡査殺しの犯人を探偵というので、承知しましたと同業の間をすぐ調べさせ た。その報告によると、なめ川という曖昧屋で、剣術修行 必死に探していたが、何の得るところもないのであった。 木村はその犯人は志田明という奴に相違ない、志田はこ者だという若い美男が、三河半田の三番丸の船の者といっ ざいれき ういう素性で、こういう罪歴のある者、恐らく彼は船へ乗の間にか知合いになったというのがあった。 はやら 、、一 ) 、 ~ めいっレしキノ , ) 「そろそろ流行なくなった剣術っ力しし って逃げたのだろうから、その方を調べたがいいと勝甫 、刀」 自分でも調べに当ったが、 から来てる屯所のものにい、、 木村はそれから一時間ばかりのうちに、美男剣術つかい 船の客としてはそれらしい者は乗っていないのが判った。 が舷を雇って、三番丸へ行ったのが朝の昏いうちだった 「旦那、志田は東京で偽せ役人をやったときの紙幣をもっ と、見ていた者から聞き出し、更に船問屋を歩き廻り、旅 ているのでしよう」 しようぜん 宿へ戻って来たときは悄然としていた。 と三蔵が小首を傾けていい出した。 まんちゃく 「瞞着した金は二千百七十円、そいつを二ッ割りにして分興津の駐在所へ情報をとりに行った三蔵が帰ると、 「三蔵、済まねえムダ骨を折らせた。志田だよ、剣術つか けたとすると、あいつの手には千八十五円はいった、その しし化けやがったのは。あいつがこッそり乗っていった三 うち使っただろうが、半分残っているとしても五百円余り はまだある、俺の見込みでは五百円ということはねえ、番丸は半田へ帰ってゆくのだそうだから、その途中、船改 めのねえところで陸へあがるだろうから、浦賀と下田とで 七、八百円はあるだろうな」 くらここで足掻いても追っつ 「それじや野郎、金ずくで船の者にワタリを付け、こッそは船から下りめえ、だが、い くことではねえ。俺の今度の探偵旅は不運で終りだ、早速 り乗ったかも知れません」 くら
小網町二丁目の河岸で、船頭同士の噂話を耳にした第一一一木村探偵は石川探偵と二人で、漁りに漁って来た材料に 大区の探偵木村喜之助は、探偵であることを隠し、大福餅順序をつけ、連雀町から室町を経て小網町河岸まで、二人 の行商人に成りすまして、船頭の話に割りこみ三月二十九の脱走囚の足取りを、遂に割り出すことが出来た。判らず もや 日の夜更に、この河岸に舫っていた行徳の嘉太郎、友造兄にいるのは誤殺の人命犯石川保助のことだけである。そこ 弟の塩船で、人声がしていたが気にもとめず寝つづけてしへ行徳へやった諜者が帰って来て、嘉太郎兄弟から聞き出 、小網町河岸から木更津の浜手までのことがわかった まい、夜明けになってみると、嘉太郎兄弟の塩船がいなく なっていたことや、行徳の船の者の話では、嘉太郎兄弟はので、志田と大原の新しい逃走起点が木更津だと確定的に なった。嘉太郎兄弟はロが固く、行徳特派の諜者は手を焼 二十四、五歳の男二人に脅迫され、船を品川沖へ出したと いたが、塩問屋の主人のロ添で、ようやく口を割らせたの ころ、内房州へ船をもって行けといわれ、この船ではトテ モ行かれぬといい張り、ようやくのことで木更津辺へ船をであったという。 すごもんく これで追跡の起点を、上総の木史津に置いて間違いなし 着けて別れたが、別れ際に聞かせた凄文句が兄弟には恐ろ となったので、木村はそれらの材料をもって、大庭智栄少 しくて、東京通いの仕事を断ってしまったことなどを聞い 警部の指揮を仰ぐことになった。大木司法卿が内職同様な ことまでして、探偵資金をつくった事件だけに、大庭少警 その翌日の朝、木村探偵は同僚の石川当四郎を助手に、 諜者を集めて連雀町から小網町河岸までを調べさせた。そ部は勇み立って、川路大警視宛の探偵費用仮下げ渡しの願 れを綜合すると、連雀町の沢屋多左衛門方へ現れた偽せ役書をつくった。その願書には理山書が必要であった、それ には三月三十日午前九時から十時までの間に、脱走囚二名 人二人は、破獄の未決囚志田明と大原影次郎であることは 確実とすでにされていたが、その二人が犯行の後で、室町が木更津へはいったことを強調しなくてはならない。 案外の早さで、川路大警視がこれを認めたらしく、費用 男の往来で人力車夫と悶着を起し、車夫がそのとき大声で、 総近ごろ噂に高い牢破りはこいつらだと、弥次馬連中にいつの仮払い金があった。請求は十八円五十銭であったが、 とたそうだが、どういう手違いだったか、所轄の警察第一大取りあえずという但し書がついて、木村喜之助探偵の手に 江区の役所がこれを知ったのが翌日の夜で、時すでに遅れて渡った費用は十一円であった。木村はその十一円の外に、 追究にたぐる蔓がなく、そのままになっていることまで判自分の貯金から五円とり出し、合計十六円をもって、 っこ 0 物の背負い商いに変装して、思案橋の脇から出る木史津行 こ 0 つる
ほういんでんしん 卩という者はいないということだけであった。通信機関が 「行くとなれば法印伝信をつれて行こうと思う」 「あいつなら恰度いい。それにしても費用を前借りするの欠けている頃なので何も彼も遅い ふくら 中橋広小路まで何ということなく歩いて来た木村の耳 はこれだけではネタ不足だ、もうちッとネタを膨まさねえ ふとざお に、どこかの二階に浄瑠璃の檮古場があるとみえ、太棹の といけまい」 ばち その翌日、田宮探偵の手に、金谷ヶ原の間宮勘兵衛から撥さばき鮮かなのが聞えて来た。 東京の旧門人宛の手紙の中に、「例の者、先頃当地着、世「野崎だな」 と思っただけだったが、世の人々にいついつまでも訴え 間を忍び罷り在り候」という文句があったという情報がは しせいじん いった。「例の者」とは志田明だという見解は、田宮だける、市井人っくるところの哀詩の、はかなくも美しい曲は くだ でなく、警視庁の幹部の間でも有力であった。これが大木今、お染と久松が船と駕籠との別れ別れに遠ざかり行く件 りであった。 司法卿の探偵資金による府外活動の第二陣となった。 「船だ」 第三陣は、今のところまだなかった。 木村は我を忘れて腿をびしりと叩いた。お光の悲恋を約 第三大区の木村喜之助は、志田明と大原影次郎と石川保東事のように、思うともなく思い出した淡い幻想を、かな ぐり棄てて、 助と、この三人がどこかの水の底か地の中に、死体となっ ちげ 「違えねえ、あいっ等は海を渡りやがったのだ」 てはいったのでない限り、東京府内から消え失せたのは、 とロの中で、われ知らずいった。 府内から外へ出たからである、それだったら在る足取りだ その時からすぐ木村探偵の船調べが始まった。上総生れ からとれない筈はないと、まず第一に見当をつけたのは、 東京を起点とする道路の悉くに添っての調べであった、人と自称する大原影次郎がまず目安で、上総船へ目をつけ きみ - らず 男力車夫はそのほとんどをアライ ( 調べ ) 、街道の飯屋、蕎麦た、となると木更津通いの出る小網町に重点が置かれた。 しかし、第一回は何の得るところもなかった。 総屋も手の及ぶ限りアライあげたが、三人のうち一人すら、 のてんみせ かし 翌日の木村は焼大福餅売に変装して、河岸に野天店を張 調べの上に浮いてこないのである。 って一日くらしたが、どうやらこの日もムダに終るらしか 江きようも本村探偵は諜者を四方に出してやった後で、八 重洲の警視庁へ、大原影次郎の出身地が確実に判ったかどった。 うか聞きに寄ったが、判ったのは上総の庁南に大原影左衛「あれッきり来ねえさ、あの兄弟はよ」 まか
おおど 目を前へ廻してごろりとなった。その後で、二人の諜者と の卸した大戸にある臆病窓を軽く叩いて、妓夫を呼んで、 たちまちのうちに話をつけた。 すし亀とが一人すっ交代で、目をさましていることに決 五人は妓夫が開けたくぐり一尸から中へはいり、張り見世り、木村と石川と休み番の二人とは、屏風を立てて風除け へあがった。そこは畳敷きで、隅ッこに妓夫の仮り寝の床の囲いにし、火鉢をもち込んで、睡るでもなく睡らぬでも なく、時間が過ぎてゆくのを待った。 が敷いてある。 張り見世用の獅噛み火鉢を三ッ四ツはこび、火と木炭と をもって来た妓夫に、木村は愛想よく、 「すまねえすまねえ、もういいから遠慮なく寝てくれ、俺伊勢屋の小かねの客の真田繁成というのは、昼のうち伝 達はお役だから、起きたり居睡りしたりしているが、お前馬町の屯所で、木村探偵が大庭智栄警部に説明したのに間 かかわ には拘りあいがねえンだ、寝てくれ寝てくれ、実をいえ違いなく、真田幸村と木村重成とを組合わせ、重を繁に変 ば、お前が寝込んでくれた方がこっちは勝手がいいのだ」えただけの変名だった。その正体は赤坂丹後町に売り食い をして日に日に細っている、四百五十石の旧旗下の倅の 大ビケ過ぎると、妓夫は用がない。 しだあかし 「では、お言葉に甘えて横にならして貰います、何かご用志田明だった。志田明の連れで小藤の客の黒尾芳常も変名 がございましたら、お起しなすってください。風除けにおで、これも木村探偵がいった通り、九郎義経をモジッたも くろ ので、その正体は旧幕のころ御家人だったものの倅で、黒 つかいになるのでしたら、あすこに屏風がございます」 はらみってる 、、、昔りるかも知れねえ。そうそう、小かねと小原三光と自称している者だった。どちらも昨年 ( 明治七年 ) 「挈」 , っ力しイ・ からの友達づきあいで、年は前にいってあるが、どちらも 藤の客の二人から、勘定はサゲたかい」 二十四歳だが、節分がまだ来ないから二十三歳だと、この 「いえ、まだで」 晩も女達にいっていた。 「祝儀は切ったそうだね、太政官の紙幣で」 ここで話を元へ戻らせて、志田明と黒原三光の麹屋横丁 「き、よ , つで」 「有難う、邪魔してすまねえ、俺達に気ガネしねえでくの関口雲亭殺しを、二十三歳の若者二人の側からいうこと いー、キ - にしてみよ、つ。 れ、鼾も寝言も慎むことはねえぜ」 昨年の九月、志田明が女遊びに耽って、内務省駅逓寮の 「へえ承知いたしました。では、ご免ください」 妓夫は張り見世の隅へいって、寝道具の中へ、帯の結び筆生をクビになったとき、黒原三光だけが明の味方とな おろ しが