頼み、「あ、そうそう、ゆうべ何処かへ泥棒がはい 0 たと、又も、電報を届けるのが遅くな 0 た申訳にな 0 た。詰長と いうのは分署長のことだ。 店の方で話声がしたが、そうか」と聞くと女中が、「へえ、 こいつは谷井藤吉の仕事だろうと、武田と岡田は顔見合 銀行へ泥棒がはいったそうです、亀山に泥棒騒ぎはなかっ たのに、他土地から悪い奴が入りこんだのでしよう。只今せた。 小使を帰したあとで朝の食事、それが済むと二人は、分 分署へ使いをすぐやります」と泥棒が憎くてならない云い 署へ行って詰長に会い、賊の遺留品をみてから、現場をみ 方をして出て行った。 と、ほとんど入れ違いに、「 ) 」免ください、分署の小使せて貰いたいと申入れた。 でしと、東京と違 0 て此方は小使が自前の着物らしく、じ署員の案内で第百一一十二国立銀行亀山支店の現場へ行 0 いさんが廊下に跪すいた。武田が「ご苦労。東京から電信た。明治文化がたいしてはいっていない処だけに、街の一 体が徳川時代と変り方が著しくない。出山支店は伊勢風の か」と、小使が持っている電信紙をみて手を出したが、小 まばしら 使は渡そうともせず、「司法主任さんが申しあげろと申し建築の旧家を譲りうけたものらしく、土蔵は黒塗りで間柱 なかめき ました、この電信は、ゆうべの夜中の二時に参りましたのも中貫も東京よりがツしりしている。土蔵破りのあとを一 ト目みて、武田は岡田の顔をみ、岡田は武田の顔をみた。 で、早速お届けいたすのところ、事件がありまして取込み で、遅くな 0 て相済まないと、かように申せとございまし例の鶏卵形の切り抜きだ 0 た。盗まれたのは箱に詰めた銀 た」と、くどくど申訳の上、漸く渡した電信紙は猿屋町か貨銅貨とりまぜ、三百余円だという。 らで、「山田組大阪安着」とあり、聯絡先を知らせて来た武田が「藤の奴だこいつは」という顔をした。岡田は 「これで野郎を・ヘンジル ( 召捕る ) 蔓が生えましたぜ」と、 のだった。 かきと こっそり武田に耳打ちした。谷井藤吉がこの犯行をやった 岡田が電信紙を前に、大阪の聯絡先を手帖に書留めてい る間に、武田は小使を引きとめ、「ゆうべあった事件は何限り、この辺に来ているのだから、投げた網が狭くなった 訳である。 偵だった」と聞いた。 の この土地に、本店は桑名で三重県随一の第百二十二国立武田が案内の署員に、賊の足跡とか、放尿したところと 叮銀行の支店がある、ゆうべそこの土蔵が破られ、大金を盗か、落ちていた応古紙とか、何かなか 0 たかと念を押して まれたのを、けさ早く見付け、訴えがあ 0 たので詰長さん聞いたが、署員はありませんでしたと答えた。そこ〈銀行 始め、皆さんの手がふさが 0 ていると、小使の下手な話が員の守谷某という年配の人が、「こんな物が見付かりまし ほか
いうのヘ泊った。 武田は岡田に「亀山へ行こうと思うが、どうだ」と聞い た。「行くべきですよ武田さん」と岡田も同意だ。それで武田が湯からあがって、畳に腹這い、「あアあ、先月二 はとなったが、大阪組の山田・春田の消息が静岡で別れた十六日から此方、きよう初めて、肩に荷物を担いでいない 以来ないので、名古屋から東京の猿屋町へ、電信で問いあ気がする、あアあ」と、愉しげに手足をのばした。岡田も わせて貰ったところ、「山田組消息なし」と返電が来た。 湯あがりで、柱に背を凭たせ、膝を二ッとも抱えこみ、 そいつはおかしいと静岡の松葉屋旅館へ照会すると、あの「これで山田さんとおやじが無事と電信がくれば、今夜は 日二時間遅れて出立したと返辞して来た。それではあのとのうのうと寝られるんですがねえ」と、思いを口に出すと あらし きの暴風雨で、途中どこかで事故を起したのではないか武田も、「春田のおやじがいるもの、間違いは決してない、 まるなのか と、津から引返して来たとき、警察電信を東京へ打って貰と云うものの満七日だ、春田のとッさんに似合わねえ、所 ざいでんしん ったが、猿屋町からの返電は「消息いまだ無し心配中」だ在電信ぐらい打ってくれればいいのに」と、浮かぬ顔にな っこ 0 っこ 0 酒つきの食膳がきたので二人は、東京出発以来はじめ て、ゆッくりした晩飯をやって、早く枕につき、連日の寝 武田も岡田も気にかかって耐らないので、重ねて東京の不足と疲労とを休めた。 署へ、「明四日は三重県亀山所在」と打電して貰った、こ 日が出てから眼をさました二人が、朝茶を飲んでいる うしておけば、大阪組の吉凶が判り次第、知らせてくるかと、どこかで話声。 らである。 「そうかい物騒だな、今夜はうちでも気をつけぬといけん 亀山にはいった二人は、ここは分署で、本署は地蔵で名のう」 というを聞くと岡田が眼をきらッとさせた。 高い関にあると聞いて知っていたが、まず亀山分署へゅ き、谷井藤吉というこういう者が、興行関係か芸人関係へ「藤吉の奴、何かやったかな」 「ムスメ ( 土蔵 ) とくればだが。それで思い出した」 立廻るだろうから頼むといったが、見ていると東京組の二 と武田が女中を呼び、「分署から使いがこなかったか」 人が思うようには事がはこばないので、これでは駄目だと 関警察署へ人力車を飛ばせた。署長に会って藤吉の手配をと聞いた。来ないというので、「それでは分署へだれかや 頼み、亀山へ引返し、分署が紹介してくれた宿屋の湊屋と って、東京から電信が来ていませんかと聞かせてくれ」と
た」と署員のところへ見せに来た。旧幕の頃この辺でつか奴は何か、外に、印くを背負っているのじゃねえか、そん 0 た千両箱の蓋だ。署員と銀行員の話を聞いていると、こな気がしますねえ」と岡田はいうのだ。武田も「そんなこ の千両箱の蓋が土蔵の中に落ちていたが、他にも壊れた千とか知れぬ、それでなくては谷井藤吉が犯人だと、うぬの 両箱や、空ッばの千両箱が五ッ六ッあるので、盗難に関係首へ札をつけるようなことはしないか知れぬ」といった。 がないと思い、だれも気にしなかったところ、邪魔だから分署へ寄って湊屋へ引揚げた武田・岡田は、重たい銀銅 片付けようと手をかけると、蓋の裏に字が書いてあるの貨を、藤吉がどう始末をつけたか、たぶん四日市の廻漕問 屋に託し、東京か大阪へ送るだろう、と見込みが立っと、 で、早速もって来たというのである。 署員が蓋の裏の文字を読んでいるうちに、岡田が手帖へ亀山分署を相手に、被害場所のまわりをいつまで眺めてい ても始らないと、四日市出張と決め、武田は分署へ行っ 手ッとり早く写しとった。 六十余州土蔵破りの名人谷井藤吉が、大阪下りのろぎて、猿屋町へ谷井藤吉の犯行報告の打電を頼み、岡田は郵 ちょう ん ( 路銀 ) に借用申候段実正也、返さいはエンマの長便で送る被害始末と検視調書をつくりにかかった。 それが済んだのがタ方。その晩は残念ながら亀山に泊 ( 庁 ) へいてから、六どう銭から一文だけ返さいシタ り、翌日二人は四日市へ向い、着くとすぐ四日市警察署で 。見かけ違いですくない、あきれたよ。 署長に会い、亀山の土蔵破り一件を告げ、管内の銀行と両 明治十六年十月大悪日 替店に、多額の銀銅貨を紙幣に引替えるものがあったら密 よんべ来るところ、呑すぎでこられん、今夜きた。 犯人が自ら本名を名乗っているのだから、谷井藤吉のし告せよと触れて貰った。四日市には汽船が寄港するので、 ごとに違いないが、「武田さん、藤の奴、何故こんな風に土地の銀行の他に、東京の三井銀行などが、支店を設けて わざわざ自分の名を書いたのでしようかね、見得坊でこん かた な真似をするのは、犯罪人気質とは知っていますが、それ武田が両替関係の方にかかっている間に、岡田は初めて だけですかしらねえ」と、岡田は合点がゆかぬ顔だ。武田の街へ独りで出て、廻漕店を片ッ端から虱潰しに調べにか にも判断がっかないが、「犯罪者の見得坊からだろうな」とかった。官名刺を出し、密行証を示し、きのうときようの しか答えられなかった。 託送荷物のうち、銀銅在中の物を探した。二軒三軒とあた 「武田さん、奴はどうで娑婆が短いと覚悟した、ヤケ狗鼠り、四軒五軒とアラい ( 調べ ) 六軒目にはいった浜田廻漕店 びよう がこんなことをさせるのじゃねえでしようか、藤吉というで、「きのうの夕方、依頼された銅鋲一箱があります」と、
ている風だった。 た。神子屋へゆくか知れませんが、是助親分では、綱五郎 いつばん 岡田は「実は、こういう者だ」と官名刺を出してみせるに一飯もくれねえでしよう」といった。 と高砂屋は笑って、「そんなことだと思いましたよ、・ハイ岡田は礼をいって高砂屋を出て、急いで巡査詰所へゅ の話のときは気がっかなかったが松川綱丸こと綱五郎のこき、元の姿に戻り、腿引その他を懐中へねじ込み、加納屋 とをいい出したので、あんな奴のことをいうようでは、おへ帰ると、武田警部がいない。宿の者に聞くと「あれから 上の人か、でなかったら綱五郎の一類ではないかと疑いま間もなくお出掛けになりました」という。 あかり した。東京の探偵さんなら、綱五郎の後日譚をお聞かせし燈火がついたころ武田が帰って来た。「岡田君、あの高 ます」と、扱いをすツかり改めた。 砂屋という男は浄瑠璃でもやったのかね、あの声だもの外 ここの桑名から綱五郎が行った玉垣というのは、この国へ筒抜けだ」と笑った。「じゃあ武田さんはあれを外で聞 かんべしらこ の奄芸郡の参宮街道・神戸・白子の間にある村で、そこの いたんですか」と聞くと、「綱五郎が只今帰りましたとい 留左というのは先年、一身田専修寺へ押入って捕縛となっ うところから聞いた、で、桑名署へゆき、大阪の山田・春 た大賊の一味で、目下は名古屋監獄で苦役中のもの、そこ田の組に電信を打って貰った」という。 へ留守を承知で行ったのは何の訳あってか知らないが、綱武田・岡田はその他にも関係の方面に材料をひろく求 えてや 五郎は綱丸といった以前は目のでかいのが却って愛嬌で、 め、十月十日、東京へ帰り着き、その晩は猿屋町の署に泊 人相だって今のように険しくなかったが、神戸辺で一度、った。留守宅へは、その方角へ帰る署員に、帰ったとだけ 名古屋辺で一度、二度も牢へ入れられたと聞いているの知らせて貰っただけだった。 で、泊めてはやったが、パイの話には乗らなかったのだと棆木仙六等の従犯で検挙されたもの三十二人、他に脅迫 いった後で、「綱五郎は人力車に乗って、けさです、家へや欺瞞で引ッばり込まれた者が十一人、この十一人を放免 寄りまして、只今帰りですと挨拶して、大阪へこれから行したいと、菅井警察使等が骨を折っている最中に帰ったの くのだから、どなたかに付け状を頂かせてくれと、泣くよである。 みこやぜすけ うにして頼むので、道頓堀久右衛門町の神子屋是助といっ 四 て、矢張りわたし共の渡世のもので、善悪を一ト目で観破 るといわれる苦労人がいます、そこへ付け状を書いてやり十一月一日午前九時半から、旅から帰って家族の顔をま ましたら、ご恩を忘れないとくどくど云って出てゆきましだ見ない武田警部が白洲を立て、これも武田同様、真ッ黒 かみ ふところ
ど、喜びが強かったのだった。 を解いていた。正私服の巡査は逃亡に備えて、やや遠く四 苅部はいうのだ。「此方が行き届かず、犯罪者を遭して方を固め、岡田は軒下の番頭小僧に話しかけて注意をそら は世の中に相済まぬから、ご両所で充分にやって欲しい。 させ、武田は笛音と店へはいり、「おい佐十郎、一緒に来 当地は不慣れでしようから、竹村・真田両人に応援させ、 な」と、東京軽罪裁判所検事発行の窃盗嫌疑事件被告の逮 なお、顔役で、こういうことに経験がある久坂乙吉を臨時捕状を示した。この逮捕状は個人の名はなく、この事件に に雇いあげ、ご両所に助力させましようから、社会の害毒関して逮捕が出来るという、権限を与えたものだった。 を取除くよう勉強を願います」という、立派な態度だっ佐十郎はきのう予審免訴になったばかりで、きよう再び た。競争心の行き過ぎから、互いに〈シ隠し、時には邪魔逮捕されるので、ぶるツとなった。動きのとれない証拠を まですることが往々にしてある探偵の世界だったので、武握られたと思ったのだろう。武田は佐十郎が口を開く隙を 田・岡田は頭をさげた。 与えず、たツたツたツとパリ ( 引致 ) 、身柄は正私服の巡査 武田・岡田は東京でホシ ( 犯人 ) 五人を押えた前後の事情にもって行かせた。 を告げ、協力の打合せをやり、山田新平等と交渉のある皆 その足音や人声に奥から皆戸かるがのぞいた、武田が声 戸かると、それに関聯の鳥居・金保を引ッばることになをかけた、「お前が皆戸かるだね」と穏やかに調べ始めた。 り、昼飯の馳走になっていると、竹村・真田の両探偵か かるは内縁の夫が拉れてゆかれたと気がついたらしく、武 ら、「鳥居佐十郎・皆戸かるは自宅にいる、金保は大阪へ田の尋ねに、おどおどしながら答えた。 ゆく仕度中らしい」と情報が届いた。それッと、馬喰町の かるのいう処では、体の関係はあるが、戸籍面が別だか 植木職金保種吉を引致には、松本警部・竹村・真田両探偵ら夫婦ではない、ここの地所は借地だが家屋はわたしの所 に正服巡査九人、土地の警官ばかりが行き、驚き慌てる金有だ。店の資本は、わたしが家屋と店と金を四千円出し、 保を引ッばった。鳥居佐十郎引致には武田・岡田の東京組佐十郎は六千円出資しただけだ、利益の分配はわたしが五 に、駈付けて来た顔役の笛音こと久坂乙吉、応援の正私服分、佐十郎が五分で、くらしの金は双方が出しあってい 巡査が十人付いた。 る、というのだ。これを武田は巡査に筆記させ、かるに読 伏見町の皆戸かる名儀の店は、間ロはさほどでないが奥み聞かせて署名と拇印とをさせた。「ではお前も今から行 行は架い、 東京の者には珍しいが、名古屋では当り前だ。 くのだ」と、逮捕状を示した、この方は皆戸かるの名がは 鳥居佐十郎は帳場の中にいる、軒先に番頭小僧が商品の荷いっている。かるは卒倒しそうになった。巡査が水を一杯
の皆戸カルから、「アヘン・ハ行く悪い」と打電して来重洲町の警視庁に、綿貫副総監を訪ねたが不在、官舎へ行 ている。アヘン・ハとは地名か人名の隠し言葉だろう。 くといた。手短かに話して出張の許可を受け、探費は綿貫 山田家コトは神田錦町山田コト名儀で、三重県津・阿が私財を四百円立替え渡してくれた。副総監は玄関まで送 漕町五番地山田儀兵衛宛に、「あす出す受取れジキ って出て、「そうそう、気象台から暴風の警報が出ておる、 ( 金 ) よこせ」と打電している。この返電と思われるも今夜出発するなら必ず陸路をとること、決して海路は相成 のが、二十日午前十一時、山林五兵衛宛に、「ジキ ( 金 ) りませぬ」と、二度まで繰返していった。 マワシ ( 送っ ) た受取れ」と打って来ている。 菅井警察使等が署へ帰ると、山田警部・春田探偵と岡田 又、京橋区上槇町中井儀八から、大阪府西成郡難波村探偵が、武田警部の宅から出張用の旅仕度を取寄せ、今夜 溝内伝兵衛宛に、「品マワシた受取り次第金よこせ」 八時五十分新橋発横浜行で出発と決めて待っていた。 と打電している、この返電は見当らなかった。中井儀 五 八とは森沢儀兵衛の変名だろう ( 後にこの推定が的中し たと判った ) 。 神奈川停車場前にその晩も、終列車がはいるのを待っ 武田警部・岡田探偵等は午後六時ごろ猿屋町署に帰り、 て、程ヶ谷・戸塚、或いはもッと遠くへ行く客もあるの 待っていた菅井警察使に復命した。こうなって来ると、名で、泊りがけで客をのせ、遠ッ走りをするのに慣れている 古屋と三重県に一組、大阪方面に一組と出張探偵を是が非人力車夫が、いい客を乗せたいと群がっていた。 でもやらなくてはならない。初め岡田が、この一件の根は汽車がはいって駅の外へ出てきた人の中に、武田警部・ 愛知県にあると予測した通りになった。 岡田探偵の名古屋組と、山田警部・春田探偵の大阪組と 菅井警察使はその場で、「武田警部と岡田探偵は三重県が、めいめい和服、脚袢、靴という姿で、角燈ランプを手 と名古屋へ出張してくれ、山田警部と春田探偵は大阪方面に混っていた。 偵へ出張してくれ、出発は今夜のうちだ、準備してくれ。わ客の奪いあいで、喧嘩かと思う騒々しさが、諸所に演じ のしは軽罪裁判所の令状下附の手続きを今すぐさせる、それられている中へ春田老探偵が、きらりきらり眼を光らして 明から武田警部は、わしと一緒に本庁へ行ってくれ、出張探はいり、兄キ株とみえる車夫に、 偵の許可を受け、探費を請求し受領してくる」と、書類を「おう、シャンとした奴を揃えろ、ちッと荒え仕事だ」 つくって軽罪裁判所へ特別使者を出し、サシ曳きの車で八 ばらばらと四、五人集った。
番頭が帳簿を繰って見せた。差出人は勢州亀山新町十三番と熟考をやっていると、暫くして武田が唇を噛んで戻って 地松田綱五郎となっている、藤吉が最近に名乗った芸名の来た。 松川綱五郎の川を田に変えただけだ。宛名は東京府神田区「岡田君、まことに済まぬことをした」 ためいぞん 東福田町二十四番地為井存三郎とある。岡田はこのとき知「えツ、済まねえとは、何です」 らずにいたが、為井存三郎は盗み物を扱い慣れた男で、そ「ここへ先に来ていながら、とんだドジをやった。今ね、 の方で前科があるので、他人名儀で古道具・古着類・地が署へ使いを頼んでから、帳場にあった宿泊人名簿に気がっ ね、刀剣類と、四ッ営業の鑑札を受け、臓品の捌きをやっき、手にとってみると、当国山新町十三番地銀行員松田 ているが、棆木仙六等とは関係なく、藤吉だけとつながり綱五郎・三十七歳とある、あれッと思って聞いてみると、 が出来ていた。 きのうの夕方来て泊り、けさ五時に発った。行先は名古屋 岡田はその銅鋲の中味は銅貨が多く、銀貨は藤吉が、か としてある、人相年ごろを聞くと藤の奴に違いなしだ。途 なり手許に残したろう、と鑑定し、その荷はありますかと方もないドジを踏んだ」 、、、じゃありませんか、ホ 「ああそうですか、武田さん 聞くと、「けさ十時の積込みで横浜行の山城丸に載せまし た、出帆が正午ちょッと廻りましたから、沖へ出てもう三 シは近くなって来たんだもの」 時間になります、ハマから東京へはハマの特約店山七扱い「そうか、ホシに我々が近くなったか、そういう考え方も です」と聞いて、それなら東京でその荷は押えられると、 ある。どうだ、名古屋へ行こうか」 少々ばかり安心して四日市署へ引返すと、武田は署の紹介「そうですね、すぐ発ちましよう」 で旅館桑名屋へ行ったというので、そこへ行って浜田屋扱人力車一一台を呼ばせ、四日市署へ行って挨拶し、名古屋 いの荷物のことを復命した。「そいつは旨かった、では、 へ発った。 署へ行って東京へ電信を打って貰い、その荷を押えて、為蒸しあつい日で、四日市から三里二十五町余の桑名へは 偵井存三郎をアラッて貰おう、なあに電文と手紙を書いて、 いるまで二人とも炎天干しだ。 の宿屋のものを署にやるよ」と、気軽く出て行った。 桑名へはいるとむうッと前より蒸しあつい。岡田が車を 明 武田の車に近づけさせ、「名古屋はあすのことにし、今夜 めま は桑名泊りにしましよう」と、目交ぜをしていった。暑い 岡田は手帖を出して、今までのさまざまを読返し、整理からでは勿論ないこと知れきっている。
ゃぶ、、、 えをしたので、話はすぐ決った。 うようですが、こいつは麹町が藪にらみで見当が違ってい 4 ます、村田市松はノビ ( 窃盗 ) かムスメシ ( 土蔵破 ) でしよう「有難う存じます。それについて一ッお願いがございま が、東海道荒しとはまるで寸法が違いますから、小梅村のす、この際、どうか三週間の休暇がいただきとうございま 宝蔵破りの賊は別にあります、と云って、これこれの奴がす、休暇をつかって、水戸様の破りと、東海道の破りが、 犯人だと申上げるネタを今もっていませんが、村田市松の一致しているかどうか、それを確かめながらツルを見付 ところへ出はいりする奴の中に、春田のおやじがいったよけ、正犯人を追いこんでみたいと思います。私は昨年一ば うな体が特別に軽い奴や、右の足の指を隠して見せないよい無欠勤で褒美休みも幾つかございます、それとこれを一 うにしている奴がいないようです。それと、村田市松が東ツにして、三週間のお暇がいただきたいのですが」 春田は三週間の休暇をせびる岡田のまだ子供の名残りが 海道へ飛出して行ったにしては、東京を留守にした日数が ある横顔をのそき、眼を細くして笑っている。 足りませんから、犯人は別にあると観ます」 「そうか、それでは岡田君やってみるか」 菅井警察使は土方副使の意見を糺し、山田・武田両警部 「はい、春田のおやじの考えを尋ねた上で、ご返辞をいたの意見も聞いた上で、 したいと思います」 「ふうむ、休暇を探索につかうのかね、では明日から三週 間の賞休を出そう」 「よろしい、では、後刻、武田警部まで申出て貰いたし」 それから二時間足らずのうち、春田賢次郎老探偵が帰っ探偵部屋へ帰ると春田が、岡田の背中をびしやりと叩い どぶ てきて「岡田、あれから押上の溝ッ川の中から、水戸様御ていってくれた。 ながえ 定紋入りの銀の菓子皿と長柄の銚子に茶卓があったぜ」と「岡田、面白えぜ、休暇を貰って働くとは、気に入った 話し、岡田が警察使のいったことを話すと、にこりと笑っぜ。いざという時は手を貸すからな」 て、「岡田、俺と一緒に武田さんの机へゅこう、来な」と その晩、下谷三味線堀の宅へ帰った岡田正秋探偵は、下 先に立って行き、「この一件は岡田に任せていただきたい 町娘が世話女房を見習い中といった風な妻さえ・二十一歳 もので」といってくれた。 に、「あすから三週間の賞休をいただいたので、江の島・ 武田警部は署長室へゆき、すぐ出てきて春田と岡田を、鎌倉を見物してきたいのだ、おいらの持合せは二円三十銭 だが、おめえの処にいくらかないか」というと、妻は喜ん 菅井警察使のところへ連れて行った。 春田はここでも「岡田にやらせていただきたい」とロ添で鏡台の底深く探し、六円九十銭の紙包を出して渡した。 ただ
桑名本宿の茶屋旅籠加納屋へ、客となった二人は、女中「広い世間だ、人間の数は多いもの、兄キ俺より年が下、 などの人目を避けて、「武田さん奴は名古屋へはいるにしといって、ねえことじゃねえ」 ても後日です、一両日はこの辺にいて、ことによると名古「だって旦那は三十にはまだまだでしよう、さっきのお客 屋へは行かねえで、大阪へ行きますぜ、千両箱の蓋に大阪は三十七か八というところですもの」 「目の細い男だ」 下りの路銀と書いたのは、きッと本音ですぜ、だからこの 近所をあたって見ましよう」といった。武田もそういう考「いいえ、目のおおきい」 えをもっていたので、一一言とはいわず桑名泊りに同意した 「けれど色が白い」 のだった。 「真ッ黒でしたねえ」 風がやッと出てきたので凌ぎよくなった。 「背の高い、そうさ五尺七、八寸あるね」 注文の料理に酒がきたので、二人は女中の酌で猪口をと 「いいえ、五尺二、三寸」 った。岡田が女中にいろいろ話し掛けたが無ロなのか、新「不器用な奴だろう」 参なのか、ハイとイイエの二いろしか口にしない、そこへ 「それも違っていますわよ、お猪口をつかって手品をやっ 中年増の女中が来たので、岡田はこの女ならロが軽かろうて見せてくれたのですけれど、素人ワサではありません、 と、話を持ちかけた。 きッと芸人だわねえ」 「姐さん、この酒は地酒かい、おらあ下りが飲みてえ、と岡田はアゴとりの中から、この女中のいうさっきの客は いったって腹くだりは厭さ、下りの酒がのみてえ」 谷井藤吉に間違いなしだと、ちらッと武田に眼で合図し 「あらいやだ、このお酒、下りなんですよ」 「どう仕りまして、この酒は上りさ、何故って酔うと頭へ 岡田は、あははと笑って女中に、 ビンピンくるから下りじゃねえ」 「その男はね、名古屋へ今度かかる興行物に出る手品師 「まあ、この東京の旦那は、さっき発ったお客みたいに面さ」 白いことをいうねえ」 「あら、だって大阪へ行くといってましたもの」 「さっきの客って芸人みたいな男だろう、あれは俺の弟「そうさ、名古屋をうってから大阪さ」 さ」 「違うわ、すぐ大阪らしいわ、川船は何時に出るか聞いて くれといったんですもの」 「あらいやだ、旦那の方がお若いのに」 こ 0
千余円の物とが奪われた。合計四万円余の被害品のうち、警部・武田警部と、春田・島田・岡田の三探偵その他に示 三百余点の金銀製の美術品は、町田方の預り物で、預け主し、無理な努力を敢てやってくれといった。そう云われる こいっこそ東海道と水戸家の破りの一人と、 は来朝中のアメリカのエチ・ジェーロー氏で、氏はポストまでもない、 ンの富豪、東洋美術の蒐集家で、帰米の後、日本美術の展カンと実証とで極めをつけて森下包明を、目にみえない網 覧会を催し、西半球にない美の紹介をやろうという特志家に入れたはずだったのに、握っていた財布を抜かれたよう な、張込み中の被害なので、どんなことをしたとて、必ず であった。 武田警部が全力を傾けたのは、この盗難を早急に解決し押えると決心は強いが、困るのは何をやるにも先立つ物の なくては、アメリカの紳士に対し申訳がないとした、その金のないことだった。今までは菅井警察使はじめ三人の探 偵までが、身を切って、張込みに夜明しをする巡査に、 ためである。 ーロー氏は駿河台鈴木町の知名の士の邸に、賓客とうどん、稲荷すしぐらいは食べさせ、車馬費その他をめい して宿泊していた。町田平吉の急報に驚き人力車で駈けつめいが立替えッ放しにしていたが、こういうことになる け、連れて来た通訳を介して武田警部から説明を聞き、近と、探偵費用が、ちッと多くかかることは知れているの くの写真師を雇って現場の写真五、六枚を撮影させ、賊がで、春田老探偵がいい出して、三探偵から山田・武田の両 遺留して行った琉球茣蓙・水手桶・木片数種をも撮影させ警部に上申し、両警部は、それを警察使に具申した。上申 だの具申だのと、このころからして、その使いわけがされ ーロー氏は麹町区八重洲町にある警ていた。菅井警視はすぐそれに同意し、金百円の探偵費用 その日の午後、ジェ 視庁を訪い、副総監綿貫吉直に会い、自身で指図して作ら仮支出を警視庁に要請した。 めやき ところが当時の警視庁は、わずかに娼妓の賦金収入で賄 せた濡れ焼の現場と遺留品の写真を寄附し、探偵費用とし て日本貨一万円を提供する用意があるといった。氏の求むっていて、費用の不足に苦しんでいたので、猿屋町署の要 請が拒絶された。それでは探偵が出来ないのだから、菅井 偵るところは盗まれた美術品が、金又は銀の塊りと化けない 警察使は筆をとって二通の書類をつくった。一ツは岡田正 のうちに、犯人を捕えて欲しいというにあった。 叮綿貫副総監は猿屋町署の菅井警察使に、厳重で熱烈な調秋探偵がやった東海道土蔵破り犯罪手口の研究と、江の島 子で、この事件の極めて満足なる解決を、短時日のうちに方面と東京における吉田金兵衛・森下包明の神出鬼没を追 ひじかた なすべしと命じた。菅井警察使はこれを、土方副使・山田究発見したる経過とを併せたものである、もう一ツは探費 こ 0 きわ ふきん