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検索対象: 長谷川伸全集〈第8巻〉
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1. 長谷川伸全集〈第8巻〉

「あの二人は夢に出てこないね、あの二人は体が土に戻っ「保身のためだからね、あの女に好意をもたせておくのは てしま 0 てない、形骸なしのものが出てくるはずはないか 利益だからね」 らね。君のは何だね」 「俺あ、早く飛騨の国へゆきてえ、飛騨の高山というとこ 「須那だよ、あの女が夢枕に立って招くのだ、俺に早くころは大層いいところだそうだ」 いといってさ、ところが俺はいやだから逃げるのさ、する「足音が、そうれ近くなった」 とあの女は俺のうしろへ、すうッと追いついて来て、手招晩飯の膳が、ばつりばつりはこばれ、酒が出たころは日 が暮れていた。 ぎするのだよ、俺あ、膝がガタガタいってきかねえから、 逃げきれねえのだ」 大原は女中二人の悪口を蔭でよ、つこ : 、 ししオカ面と向うと打 「君は目がさめていると恋い慕い、夢で会うと嫌って逃げ って変って、一人の女に機嫌とりをした。 るのだね、どちらが君の本性だろうかね」 志田は機嫌とりを一切やらず、女の一人に機嫌をとらせ 「いやなことをいうなよ。お前が、そういうところは、じて納まっている。 つに嫌いだなあ」 何本目かの銚子をとりに行った女中が、戻って来て、 「嫌いでも、君は、僕といつまでも一緒にいなくてはなら 「今夜、何があるのかね、松本の海野さんが、こッそり米 ないのだからね」 ているとさ」 「判っているよ、お前と差向いのときが一番いけねえ、他「ふうン、海野さん一人でか」 人が傍にいるか、往来の人がある道中のときが一番いい」 「三人か四人だとさ」 「しツーーー足音が遠くでしている、やがて女中が膳をはこ「何だろうね」 んでくるだろう。大原、ちと気をつけろ、酒に酔うと君は「何だかね」 寄席芸人の以前が出ていけないからね、君も僕も学校教員大原が、これを聞くと、手にした杯をとり落したが、ぬ のはずだからね」 からず鼻唄をうたいだした。志田は目を据えたが、すぐ平 「とンだ教員だ、行く先々で女を買わねえ晩はねえのだか常の目になって、 らな、それにしてもここのスペタどもには往生だ、悪女の 「その海野さんとは何だね、役者かね」 深情けとはこれだぜ、お前はよく辛抱して相手になってい 、違うですよ。松本の役者で綺麗なのは関三之 るなあ」 助、海野さんは松本の県庁に定勤の警部さんですよ」

2. 長谷川伸全集〈第8巻〉

て一緒に出て、夜遅く帰ってきてから一トしきり寄席の話で、わりあいに明るく、暑いときなので湯気も立たず、入 わらだな 4 と蕎麦の話をしていたから、藁店 ( 寄席 ) へでも行って帰り浴中の男の客が幻燈の画のように見えた。 に蕎麦屋へ寄ったらしい。二十一日は上野浅草へ行ったら 吉永という男の年ごろ人相を美濃田は、二人の女中から しく、夜になってから帰って来た。この二晩とも、蓮江は聞いておいたので、湯槽の中にひたり、首だけ出している 眼のふちを赤くしていたから酒を飲んで来たらしい、吉永三十六、七歳の撫でつけ刈のあたま、揉みあげを長く残し は酒の匂いがしていたが顔に出てはいなかった。きようはた丸顔で眼のでかいこの男が、吉永だとすぐ判った。見て 男が早く出て、二、三時間もしてから蓮江母子が外出し、 いると、吉永は湯槽の中で、何のこともないのにびくりと 午後二時ごろ帰ってきて、二人でひそひそ声で何か相談し して、うしろを振向いたその刹那の表情は、「こいっただ者 ているらしく、女中が茶をもってゆくと、蓮江は陽気な声じゃねえ」と美濃田の眼に映った。 で、日進月歩の世の中とはよくいったものだねえ、東京は湯槽から流し場へ出た吉永は、五尺三寸ぐらいの身長 さすがに大都会、ハマに比べるといろいろ変化が著しいねで、いい体をしている、肩と腰とが当り前と違った発達を えなそと、今までの話とは違うことをいい出したらしく、 しているのと、いかにも強そうな足とをみて、こいっ働い 母親がキョトキョトしていた、という女中のおつるの話だた体だと美濃田はみたが、体の発達だけで、どういう職の った。「何のひそひそ話だったか知らねえかい」と聞くと、 ものか見極める準備をもたなかった美濃田だが、吉永の体 「ジンメイ ( ンが何だとか申していました、何のことでしの二ツの刀疵にはすぐ気がついた。一ツは右の二の腕、一 ようか」とおつるはいう。美濃田は小首をひねり、「何のツは左の脛、どちらも古疵ではない、といって生疵でもな ことか判らねえ」とロではいったが、人命犯といったのじ 、生疵と古疵との間だった。美濃田は科学の影響をうけ ゃねらんかと心にひいンと冖いた ていない、何でも彼でもカンでゆく、吉永の二カ所の刀疵 吉永という男は「今さっき帰ってきて、先客が出るのをもカンで刀疵とみたのだ。このカンは、まさに的中した、 待っていますから、もうじき湯へはいるでしよう」と女中吉永の疵はサーベルに仕込んだ日本刀で斬られた疵だっ がいうので、美濃田は頃をはかって、女中にそッと案内さ た。一年半ぐらい経った疵とみた、これも後になって、は せ、風呂の中がのそける物置の脇へ行った。だいぶもう暗ばあたっていたのが判った。 くなっていた。 なおもよく見ていると吉永は、流し場で垢をすりながら 三坪ばかりの風呂場は五分芯のランプが吊ってあるのあたりに眼を配ることがある、そういう時のガン ( 眼 ) はま がり

3. 長谷川伸全集〈第8巻〉

我を折るより仕方がないので、従妹の衣裳三十八枚を四月、伏見の八新のところへ行ってやろうと思いつつ、行く 十両で手放すことにすると、古手屋め、小判を四十枚並おりがなく延び延びになりました。江戸の将軍が大阪の方 から引返して伏見に泊るので前々から取締りがきびしい、 べ、「これはあんさんへ手前どもの店のおっとめで」と、 糸かいので三両つけてくれました。これでいよいよ負けもとなると、わたしみたいな者は行き難い、それやこれやで 八月になりました。 大負けです。 八月五日にわたしは、わたしぐらいの親分格の二人と、 その明けの日、伏見の八新へ手紙をやりました、あの品 品は四十三両にしかならず、受取り残りがまだまだ多分に伏見の船宿松源へ行きました。これは京の宮川町という色 つき、そのうち取りにゆく、金がなかったらお前とこの家街の松中という茶屋で、伏見の松源が引請けの客の遊びの 勘定が六十両溜っている、どう催促しても払わぬ、いざこ を貰うから、そのつもりでおれと書きました。 八新では、その手紙でいよいよ吃驚し、伏見の武芸の先ざが続いて埒があかぬので、松中の亭主が業を煮やし、ど うせ取れぬ勘定ならと、わたしら三人に取立てを頼んだ、 生に頼み、わたしが現れたら門人が二、三人、すぐ駈付け さぶなかがめ る手筈をつけ、用心していたそうです。木屋治郎兵衛さえ尤もわたしは頼まれぬしでない、火繩の三婦と中亀と二人 出てこなければ、わたしは怖いものがない、木治郎は子供が頼まれぬしだが、「近江屋の兄キも一緒にいってくれぬ か」というので、「心得た」と出掛けたのは、そのついで のときから苦手です。 ノ新へ行き、この三月の四十三両の残り分を取るつも 京の人気はあらあらしくなり、新撰組が人を斬った、浪に、 なまくび 士が人を斬った、生首の晒し物が三条河原にある、と来るり、三婦と中亀とには行くときになって、付合ってくれと ちなまぐさ 日来る日が、そのころ血腥いが、盛り場の人出は却って連れてゆけば、こちら三人の無法揃い、町道場の三門人な 盛んで、飲み食いの店は、もとより大繁昌、何の商売も上ど怖るるに足らぬと、こう心のうちで目論見が立っていま 懺景気です。 この日は残暑がきびしいので、わたしは照り降り傘をも 衛そういう間に政治のことで大小の事件がある、がそれは 九わたし共の知らぬこと、わたしどもは相変らず、賭場へ出って行った。 三婦と中亀は菅笠を買うて日除けにかぶり、慣れている 足入りし、仮名屋の親分のところへ行き人足用達の手伝いを やり、ときどき小さな喧嘩をやり、苦情の尻押し貸金の取ので、一向に面白うない道を伏見へ行った。 立てなどをやっていました。三・四・五・六・七と五カ 松源の亭主は三婦と中亀のカケ合いを受け、「お前さん

4. 長谷川伸全集〈第8巻〉

おじけ ともの人間にはないものだ、兇状持ちといわれる逃亡中の武七郎の二カ所の刀疵と、きらりと光らす眼に怯気のある 博徒も、これに似た眼つきをするが、吉永のはそれと違っところ、何だろうあの野郎というのが胸一杯で、箸のはこ びがときどきとまった。 ている。盗ツ人臭い 「おさぎ、三両ばかりねえかい」 美濃田は風呂場のそきを切りあげ、おつる・おかね、二 「よ、けど、都ムロしてこようか」 人の女中に、その頃としては大奮発の五十銭ずつの心付け いわずと知れた探偵用の金と、おさぎは知っている。 をやり、三人の金づかいを聞き、今までに訪ねてきた者は 「そうしてくれ、質草は俺の物を持って行ってくれろ」 なくても、今夜にもだれか来るかも知れないから、来たら 「そうは行かない、あたしや外へ出ないでも済むのだか その客の住所氏名は無論のこと、人相年ごろと服装をよく 見ておいてくれ、次第によっては署へ届けてくれと、女将ら、あたしの物を持ってゆくよ」 おさぎが質屋から借りてきた三円五十銭を渡すと、「今 にも女中にも命じておいて外へ出た。 ランプ とッぶり暮れて、家々に洋燈の灯がとばっていた。 夜は神楽坂一の二の若宮館でお通夜 ( 張込み ) する」と、 いおいて出た。 美濃田が若宮館へ現れたのは午後八時前、蓮江母子と吉 神楽坂警察署へ美濃田勝造探偵が帰った。署長の一等警永がぶらぶら歩いてくると出て行ったあとだった。「そい し具合だ、 一ッ今夜は俺を客にして、母子のいる隣 察使・宇都純随は退出して、おらず、副使は管内巡祭に特つはい、 たなし りの部屋へ入れてくれ、でな、田無から歩いてきたので、 務巡査をつれて出ていて、これもいなかった。 探偵部屋へ行って暫くの後、通用門から出て二丁ばかり湯にへえって飯を食うと横になった、と思ったらぐうぐう めあて の津久土近くの我が家へ帰った。いっ帰ってくるか知れな寝込んだということにしてくれ、俺の今夜のお目当は、あ めし い代り、いっ何どきとなく帰って来て、さあ飯だとくる美の三人が帰ってきてからの話が聞きてえのだからね」と、 、、、ぜん′一しら 偵濃田のため、今夜も女房おさぎは膳拵えをしてあった。美女将と女中に筋を通しておき、女中のおつるがしいてくれ の濃田は「今夜はおきまりを抜きにする」と晩酌をやめにした蒲団の上へ美濃田はころがって、隣りへ帰ってくる三人 を待った。 町て小さい蒲団の中で睡っている男の子の顔をのぞき込み、 茶を淹れてくれた女房から留守中のことを聞いて、吊りラ九時半ごろ蓮江母子と吉永が帰ってきた。吉永が女中の ンプの下で膳に向った。だが、風呂場でのそいて見た吉永おかねに、隣りの部屋を指ざして、「これかい」と笑談ら

5. 長谷川伸全集〈第8巻〉

かぬように売り、底をついた売り食いの様子を見せまし た。家にいた五人の居候にはそれより先にいくらかずつ金 をくれて立去らせ、わたしが夜中に帰ったときは一人もお まず行ったのは、尼ヶ崎で、上宿の岩見屋という旅籠屋 いしどめ りませんでしたから、この方は手廻しよく始末がついてい へ泊り、石留という親分を訪ねて、「女達を連れ、このた ました。 び播州見物に出てきたからよろしく」と頼みました、少々 小づかいが欲しいから頼むなどといわないでも判ってくれ 近所の者におまつは、この有様ではやって行かれんの で、上町唐堀の実家へ帰るより仕方がないと行き先を充分ます。岩見屋へ戻って暫くすると、石留の若い者がきて、 「この頃は、よろしき慰みが出来ません悪しからず」と、 にうたっておいて、紙屑まで残らず売払い、難波新地を引 払ったのが、わたしがわが家へ忍んでいってから二十日目金一両一分置いて行きました。わたしは京・大阪二カ所 でした。 で、とにもかくにも親分といわれるものですから、訪ねて 行った先の親分とは、双方の貫禄によって、こちらも先方 幸町の宿屋でこッそり、おまっと倅と三人一緒になり、 女房が持ってきた金で、宿賃や何か払うと手に残 ? たのはも応待が違います。わたしは石留を訪ねても、お控えなさ 天保銭が二枚と小銭が二百三十文だけです、これでは伏見いとかお控え願いますとかいう、俗に仁義と人がいう、あ なら 行きの三十石船に乗れません。おまつが悲しげな顔をするれはやりません。わたし共の慣いで、ロのきき方が切口上 ので、「ええわい心配するに及ばん、こうなったのを幸ですが、世間様ご一同の挨拶とたいして変りません、石留 、播州めぐりをして名所古蹟見物をして歩こう、銭一文の若い者が宿へきたときでも、若い者はわたしに仁義を切 もたいでも道中が出来る俺じゃ」といって、おまつの気をりません、礼儀をつくした言葉づかいで用向きだけをいい ます、口調は切口上です。前に話したかも知れませんが、 引立たせ、翌日、大阪を首尾よく抜け出しました。 つむぎ 懺わたし達夫婦の着ているのは絹物、倅は紬の着物、羽織お控えなさいとやるあれは、仁義ではありません、辞儀を 衛は博多だから、見てくれはいい。ずッと昔わたしが子供の訛ってジンギとなった、本当はジギで挨拶ということだそ 九とき、両親につれられ丹後の宮津へ行ったあれと比べるうです。仁義というのは相見互い扶け合いのことで、挨拶 みだ と相見互い扶け合いとは違う、それが紊れて辞儀も仁義も 足と、折詰と竹の皮包ぐらい違います。 一つものとしてしまったのだと言います。 貰った一両一分のうち宿賃を払って、尼ヶ崎を発った翌

6. 長谷川伸全集〈第8巻〉

が一家残らずを縛って一ッところに集めた。その次に大原頭の裸馬に跨がった者が、旋風のように北寄りに飛んでゆ おとり が主人夫婦に突きつけた刃の光を囮につかい、家族と雇い くのを見た。 の男女を怯えさせ、志田は総領息子の頬を白刃で叩いて脅 かし、現金のあるだけを取り出させた。 翌日は雨もよい、その午後、汗をぬぐいぬぐい男二人と やがて志田は現金を風呂敷に包んで腹へ結びつけ、厩か女一人とが、山の中の径を歩いていた。山も樹も人も包ん ら二頭の農馬をひき出し、門を開いて外に繋ぎ、引返してで、雲やら靄やらが、来ては去り又来て去っていた。 行った。今度は大原が出て来て、繋ぎを解いて裸馬に乗っ 三人とも口をきかなかった。いっとはなく一人の男が先 た。志田が間もなく抜刀をさげて呼吸あらく駈けて来て、 へゆき、男女二人は遅れて歩いた。 裸馬に飛びついたが、二度やり損じてようやく跨がった。 「あなたはやはり、この世においでなさらない方がよいお しんが 「例の場所へ君は先に行け、僕は殿りをする」 方だったのでしたねえ」 、お前の抜刀の黒いのは何だ」 「よしてくれ。あれはーーあすこへ行く、あいつに脅かさ 「逃げる必要で、二人斬ったから血がついているのだろうれて、よんどころなくやったことだ、それもあれ一度だけ ね。おい行け」 の約束だ、それに、もしもの時はあの男が一切を背負って 「ううむ、大変なことをお前やったのだなあ」 くれるのだから、安心してくれ」 かげ 「馬を駈けさせろ、君は追手に囲まれたいのではないだろ「わたくしもお庇をもちまして、同類にされました」 「何をいうのだ、お前は何もやりやしない、同類なんてこ 「違えねえ、逃げなくては詰らねえ」 とがあるものか」 この二人の強盗が、馬を飛ばさせて逃げてから暫くする 「いいえ、同類でございます、わたくしはあなたと馬で逃 ばんぎ たけばら と、屋敷の中で板木がパン。ハン叩き出され、竹法螺の音が げたのですもの」 尾を永く引いて吹き立てられた。 「そういえば、よくまあお前を横抱きにして、裸馬を走ら やがて村の家々から人が次々に飛び出し、豪農の屋敷をせて、落ちもしなかったなあ」 かりゅうど さして、東西南北から、田畑の畔を辿り、林を抜け、ト川 「わたくしは、あの狩人さんの小屋でしようか、どなたも を飛び越え、駈けつけて行く手行く手に、提灯が振り照ら いないあの小屋か、どこかの道端かで、取り残しておいて たいまっ され、松明がかかげられた。その人々の中の幾人かは、二頂きとうございました」 おび せんぶう

7. 長谷川伸全集〈第8巻〉

まで連れてゆかれた。草履はどこへ行ったか足袋はだしにれというのじゃ、よく覚えとけ職人というものは仕事場を なっていました。 大切にするもンじゃ、判ったら呼んでこい」とやらかす それから二人とも口もきかず、仕事場へ行くと安さんと、手伝いがびッくりして、「親方親方、用のある人が来 あらた が、「おやじから更めてカケ合わせるからいい」とか、「若てまンが」と、大きな声でいうと八平が、「だれじゃ」と い二人では八平の貫禄に歯が立たない」とかいうので、わ いって出てきましたので、「俺じゃ、けさの礼するンじゃ たしは安さんが気の毒でならなくなった。安さんはこうな い」とこれから大立廻りとなりました。わたしは元服して ると気が弱い、よしそれなら俺一人で始末してくれる、とそうそうの十七歳、先方は四十二歳、体は八平の方がよろ 肚はきまりましたが、安さんがいろいろ宥めるので、仕事しいが、無茶にかけてはわたしの方が上ですから、忽ちの にひとまずかかりはしこ ; 、 オカ今し方の大負けに負けたのが うちに先方は受身となり、とはいっても、わたしはときど 残念で耐らず、安さんのスキをうかがって仕事場から姿をき突き倒されたりコカされたりしたが、何が何でもただ茶 消して、上町唐堀の親方の家へゆくと、家中だれもいませ茶無茶に攻め手となり、亀源の軒下わずかのところで双方 ん。台所へいって出刃包丁を手にとり、目についた布きんとも血まぶれになった。そこへ手間取りが二人三人又二人 たばこ だか雑巾だかでくるみ、腰にさして外へ出ると、隣りの莨と飛び出して来て、ひと目見ると逃げてしまい、 漆喰を練 屋から親方の女房が色の白い顔をのぞかせ、「九コどうし っていた手伝いも、他にもいた人夫も、親方がやられてい たのンや、青い顔して」と声を立てたので、わたしは、ばるのを見て、薄情の腰抜けども揃いで、どこへ逃げたかお っと駈け出して辻を曲ってしまいました。安さんがそれか りません。亀源はもとよりのこと、近所の家でも奥へ逃げ ら間もなく、「九コ知らんか」と駈け込んで来たと、後々込んだのでしよう、どこにも人ッ子ひとりいません。往来 になって聞きました。 の西も東もどちらからも人が来ぬ、おおかた遠くの方に立 停まっていたのでしよう。 四 だれが捨てたのか水桶に残った氷ででもあろうか、砕け わたしは鰻谷の元結問屋へいって、上塗りの漆喰をふねて散った解け残りが、亀源の門口に光っていたのを、逃げ で練っていた左官手伝いに「八幡屋平兵衛親方を呼んでく身でばかりいた八平が踏みつけ辷って転んだ。わたしはコ れ」というと、手伝いが「いやや」というから、「訳のわ力されたばかりなので、刎ね起きると今度はわたしが氷を からン奴じゃ、普請場へ踏ン込んでは失礼だから呼んでく踏んで横倒しにのめりました。

8. 長谷川伸全集〈第8巻〉

で、腹が立てたいような、泣きたいような、口惜しいようと泣きました。 その晩はお通夜です。人の出入りが多い。 な、それでいて茫として一つところに永いこと坐っていま した。それをみて松原屋万兵衛がおまつの母に、「だれ一 鍛冶職の店は定吉というおまつの兄がいるから、二代目 人として悲しがらぬ者はない、その中でも、あれ見てや播為を継いでやって行けるが、わたしの方はそう行かぬ、 れ、九ハンがあのように悲しがっている」と言ったそうで店開きがしてあればだが、店の形も段取りもついておらぬ がっかり うち、播為が風邪をひいたのから始って死亡ですから、わ すーーーなあに、悲しいのではない落胆です、わたしは涙一 っこばしてはいません、腹を立てています。何じゃいこれたしの心のうちは、ぐらぐら沸き返る湯です、自分では気 がっきませんが、何そあったら蓋をもちあげ口から吹き出 は、何じゃい何じゃいと、怒鳴って暴れたい気でした。 おまつが「一ペん家へ行って見てきてくれ」と言いまそう、灰神楽を立てようと、湯気をふいている鉄瓶です、少 少のことにも突っかかって行きたくてならん、怒らずとい す。明治御一新の前の何年というものは泥棒が横行した、 町奉行所で泥棒を押えたり斬りつけたりした者に褒美を出 いことに腹が立てたくてならん、時も時、舟コの奴が例の した、それでいくらか穏かになったと思うと、京で浪士が通り、「おい九コどうしたんや」と、河安の弟子でいた頃 暴れた、新撰組が斬込みをやった、という噂がひろまるととおなじ口を、悔み客の多勢いる前でききました。わたし 又も泥棒が横行しました。そんな時だったので、家を留守の待っていたものが来た、物もいわず、ばかりと一ッ舟コ にしているのがおまつは心許ないのです。「よしや」とわの頬桁に平手打ちをくれました。「九コ、こら何さらす」 たしは家へゆきました。 と舟コが人前だけに猛り立ったので、いよいよわたしの待 徳井町の留守宅に何ごともなかったので雨戸をあけて風っていたものになりました。「今までは辛抱して来たが我 を入れかけたが、 一、二枚あけただけで火のない火鉢に腰慢の緒が切れた」と喚くと、自分の声がはずみになって、 懺をかけ、又しても播為が死ぬのではもうあかんと、一ッ事沸き立っ湯気が体中から噴いて出て、元の狼の九五郎にあ っという間に逆戻りです。「俺はここの家の娘の亭主、お 衛を考えるでもなく考えないでもなく、茫然として煙草すう ふたこと 九気も起らずにいました。播為から使いが追っかけるようにのれは、ここの弟子職人やないか、一一言とぬかすと引き裂 、て日ロへ背負ってゆき、海の中へ棄ててくるそよ」と睨 足してやって来て、「親方の容態に変が起ったから来てくれ」し ) という。そら大変やと慌てて引返し、病人の枕許へ行こうみ廻すと、舟コは人様のうしろに隠れ、ブップッまだ何か としたら臨終でした。さすがのわたしでもシン底からわッぬかしています。おまつの兄は、わたしより年上だといっ

9. 長谷川伸全集〈第8巻〉

なる奴で、わたしが「おい守山道へ行こう」といっても返を静かに狙っていたが、恰度いいところを見付けたのでし 辞せず、二、三間近づいてきたアパ吉達を睨んで大津で買よう、やッといって物干竿を突き出しますと伝次は肩を突 った道中差に手をかけました。いたらぬわたし共と違ってかれてよろよろとなる、その顔を横払いに物干竿で払いま すと伝次がたわいなく仰向けになって、手足を上に背中を 守山道も矢走道もア・ハ吉はこんなことに慣れているので、 忽ちのうちに人足達に塞がせたので、どちらへも行くに行地にどンとついて倒れました。これで伝次は二、三人に擱 まれて引き起され、するすると捕繩がかけられました。髓 かれぬわたし達五人は袋の鼠となった中で、お政が、ひい は歪む、頬に鬢の毛は汗でべとりと引きついている、鼻血 ッと泣き声を立てました。当人にしてみれば、自分ゆえに は出る、高頬をスリ剥いている、指の先からも血が出てい 他に男二人女二人がお召捕りになるのが身ごころを責め、 ばくれん 泣かずにいられなかったのでしよう。お秀は莫蓮な女でしる、体中に波打たせて息をついている、今にも死にそう っちけいろ たが、土気色の顔を疳持ちみたいにびくりびくりと顫わせに、ぐにやりとなっていました。 気がついてみるとお秀もお徳もお政も地に坐っていまし ている。お徳は、うろうろして一ッところを小刻みに動い 。起っているのはわたしだけです。伝次の独り合点の立 ている。わたしはというと、もう仕方がないから捉まろう と一ッ処にじッと起っていました。伝次は違います、ア・ハ廻りを道傍の松の木の下で眺めていたア・ハ吉が、わたしの 吉が、ぶらりぶらりと近づいてくるのを睨んでいました。傍へやって来て道中差をとって、うしろに付いて来た子分 あご アパ吉はわたしには眼をくれず、にやりにやり笑いながらに渡し腮を振ってみせると、子分は心得て三人の女を引ッ 九尺ぐらいの近さになると、伝次が道中差を引ッこ抜いて立てて行きました。見るとその先の方で伝次が吊しさげら 飛びかかった。「小僧なんしよる」といってアパ吉が横にれるようにして、人家のある方へ連れてゆかれました。 ひょいと躱すと、伝次は勢い余って前の方へとッとッと駈アパ吉がわたしに、「さすが大九はンの倅だけあって伝 け足で一間ばかり行く、その左右から六尺棒やら竹杖やら次と違うて抵いなさらぬ、あんさんには繩かけまへン代 り、神妙にしなはれ、おまはンは牢へはやらん、親御はン 持ったア・ハ吉の子分に人足が手伝って、殴るやら突ッつく はげまん やらです。兀万といって伏見の街でときどき顔をみたことに渡すで、神妙にしなはれ」と、伝次がつれて行かれる方 のある四十余りのアパ吉の子分は、物干竿を槍に構えて伝を見送って、「一緒に来なはれ」といって近くの茶屋へ連 次を狙っていたが容易に突きません、伝次が血眼になってれてゆきました。伝次と三人の女は、その茶店にいませ 右へ追いかけ左へ追いかけ、独りで大あれに暴れているのん、もッと先の方の人家にいるらしゅうございました。 かわ

10. 長谷川伸全集〈第8巻〉

番目の大詰があくところでした。おまつが小さい声で、 「桟敷に好かんものが来ておる」という、そうかと脇をみ る振りして、おまつがこッそり教えた方をみると、成程そ こに好かんものがおる。わたし等はさむらい五郎と飾りを つけて蔭でいうている、早口にこれをいうと侍ゴロ、二本 みぶ ごろっき 刀をさした破戸漢ということです、市中の堅気さんが壬生 やぐら 京に南の芝居と北の芝居と二ツが四条で櫓と櫓を竸うて浪士というて嫌ったり怖がったりする、新撰組の者のこと いるのが、京の大きな芝居で、そこへわたしも嫌いでないです。新撰組は徳川将軍の番卒だぐらいにしか知りません が、この人達の中には、わたし等よりいかん浴れ者がお から時折りゆくが、おまつは倅の為次郎がまだ小そうて、 芝居がわからぬのに連れて見にゆく、懇意な女連中を誘うる、わたし等だとて家つきの女房が間男して亭主を困らせ てこれも一緒です。わたしは一ッ芝居を二度は見ませぬているから話をつけてくれとか、騙して品物をとられたが が、女房は、ひいきの役者もないのに、二度目に見たとき訴えるには証拠が足らず、入費の要意も出来ぬから何とか が最初よりも面白く、二度より三度目が面白さが深うなるしてくれとか、どうしても金を返さぬから何とかしてくれ とか、頼まれぬと手は出さぬ、ところが壬生浪士の方では というタチで、いっとなし、かなりの見巧者になっていた。 1 一うしやく 仏光寺の部屋でばくちを打っていると、さッばり目が出金でも物でも強借して持ってゆく、ひどいのになると女を ぬ、きようは悪日や、これから当分の間は食う心配せぬともって行ってしまう、本当のところはそういうことが十あ オカ二十あったか知らんが、その時分は壬生浪士が目 ならんわと、度胸を据えていたところへ、おまつの使いでつこ、、 子分がやって来て、近所の人と北の芝居へ行っていると知をつけたら、何に限らず持ってゆくとだれもが思い込んで 懺らせて来た、そうかそうかとうわの空で返辞した、その次いた。それに町奉行所は徳川家の役人で、新撰組は徳川家 衛の盆から、奇妙に目が出て、よい具合にふところが温こうのため命を投げ出してかかっている連中というので、何を やっても見て見ぬ振りですから、悪いことしても放ってお 九なったので、ここらが、きようの切上げどきじゃと見て、 く、その新撰組のものが三人、俺は命を投げ出しているの 足賭場の若い者に一両やり、草履番に一分やって外へ出て、 駕籠に乗って北の芝居の近くまで行き、中へはいると時刻だぞと、立札を建ててでもいるように、東の桟敷で酒を飲 が時刻ゆえ狂言はあらまし済み、書き物の何とやらいう一一んでいる。おまつがいうには「あの連中は、幕があいて芝 六角の拷問