るたびに、恐れ戦かなくてはなりませぬ。わたくしにはと 「そのお話は何度もうかがいました」 ても、何事もなかったふりなどは出来ません」 「お前は俺のする話を泣いて聞いてくれたじゃな、か。 ひと 「安心しなよ、俺がうまく他人の目をごまかすよ、何のわれも何べんもいったが、俺はどんなに苦辛を嘗めてもいし けねえことさ、連れの女は病人ですよと、だれも怪しまな から、罪を俺にナスリつけた奴を見つけ出し、身の明りを いうち、こっちで先手を打ってしまえば、だれがお前を怪立てる気だ、このことは、お前も励ましてくれたのだぜ」 しむものか」 「それが真実ならでございますが、ゆうべからけさの夜明 須那が眠り不足のためのみでない、青い顔をびりッとさ け前の様子では、あなたも、あすこにいる人も、悪いこと せて、大原に向けた。 をするだけの人、善い心をもたない人としか思えなくなり 「そういうことが、あなたは上手なのでございますね」 ましてございます」 「そのくらいのことは何のわけなく出来るさ、といったら 「それはなるほど、ゆうべは俺もあいつが恐いので、あん お前は、悪いほうへとってびッくりするだろうが、俺は悪なことをしたが、けれども」 党がってそういっているのではないよ、困れば困るで、何「わたくしはあなたを殺して自分も死のうと思ったのを、 とかかとか智恵が出る俺だということを判って貰いたくて思い直したのが、今では残念でございます」 「まあさ、い つまで押し問答していても仕方がない ' 歩き 「違います違います。あなたは船の中と下田とで、あんな ながらよく話すから、さあ歩いてくれ」 に涙をこばしていったことが、みんな嘘なのでしよう、わ そこへ志田が引返して来た。房州のときにも冷たさはあ たくしはそ、つ思います」 ったが、今の志田は赤い血を体のうちにもっていないよう 「何度も話をしたではないかよ、あの話は、みんな本当な、顔つきと物腰に変っていた。 男さ。俺は他人のした罪をナスリつけられて捕縛の身とな志田は近づくまで大原に目を向けていたが、傍へきて立 総り、何と申立ててもお上においてご採用がないから、腹にちどまると、須那に目を向けた。その顔に大原は、今まで と 据えかねて、あすこに今いるあの男が、未決監を破ったのたびたび見たどの時よりも、意地の悪い徴笑を見つけて、 あわ 江を幸い、俺もあいっ等のあとについて逃げたのだよ」 慌てながらいった。 「疲れが出てよッばど歩くのが辛いのだよ、だから俺達は 大原は嘘の上塗りをやった、この嘘で須那を泣き落しに かけてモノにしたのであった。 あとから行くから、君は一足先に行ってくれないか」 れのの
かっこう に縮まり、あとは改築したのだろう、恰好がまるまる違うす」とわたしがいうと、「そうか」といって父は又おまっ 家になっていました。「六ツのときまでの我が家はこんなをちらっと見て、「そんなら晩に会いにゆく」というから、 かみまち 物じゃない、二度と俺はここへは来ぬ」と、おまつを促し「宿には大阪上町の九兵衛というてあります」といい、 て行こうとすると、四ッ辻のところに立っている人がありれるとおまつが振返って父にお辞儀しました。父は辻に立 ってわたしどもを見送っていました。 ます、別に気にかけずにいると、「あの人気味の悪、 きよみず その日はおまつに諸所を見物させ、五条坂を清水の方か ちら見てばかりいる」と、おまつが鼻を鳴らすようにして ら下りてくると、西本願寺さんの大屋根が赤い赤い入り日 いうので、「どいつじゃ、気味の悪い奴は」と、立ってい る人をみると、わたしは「ありや」といった。九ツのときで眩しく光っていました。 大阪の八軒屋で、寒い風の吹く暗い晩、母と二人で船の中十文字屋へ帰ると、父の方が先にきて待っていました。 から別れを惜しんだとき以来、十八になったきようが日まそれから父とわたしとの間に、あれやこれやと話がいろい で、絶えて会うたことがなかった実父の喜助でした。わたろ出ましたが、父は母のことについて何も聞きませんか しの方から「杵次郎ですがな」と、幼名をわれ知らずいうら、三人で晩飯をすましてから、わたしの方から母は丈夫 と、父は「おうおう」とばかりいって、めッきり老が加わでいると話をすると、眼に一杯涙をためて、「あれに合わ った咽喉をひくひくさせ、「大きゅうなった」といって瞬せる顔がない、済まん」といって下を向きました。 父は、やがていい難そうに、「大阪で訳あって入婿には きもせず、わたしを見詰めました。 わたしはおまつを連れていることを胴忘れして、「この いり江の子島におったが、都合あって今では京へ引移って いうかと思うとおまつに、「聞いたであろうが、 京に来ておいでなされたのか、大阪ゃないのでしたかい いる」と な」というと、父は「わしのことよりお前方がどうして京わたしが手本、頼みますそ、如何なことがあっても夫婦別 、、いながらおまつをちらりと見まし 別になってくれまいぞ」と、涙をほろほろこばしていまし にいるのかいな」と のた。それでおまつを連れていることに気がっき、顔が赤くた。おまつを見ると下を向いた眼から涙が畳やらわが膝や 九なったが、これと駆落ちして勝手に夫婦になりましたともらに雨のように降っていた。 尾いえず、まあええわいと知らん顔していますと、おまつは「若い二人連れでこれから、何処を目ざしてゆく気か」と 顔を火のようにしてお辞儀していました。「少々訳あって いうから、「腕に職があるから京大阪伏見から遠いところ 三条の十文字屋に泊っています、一両日中に出立いたしまで、身を立てる気だ」というと、「そうか」といって考え
山の中に路をもとめたのか、どっちだろうと思い惑った。 には須那という女の連れがあるから、これから先の先々・ 3 志田は強奪してきた金を二ツに分け、一ツは自分が、一ツで、女が邪魔だから今のうちに俺もともども、この山の中 は俺にわたしたのだが、あれは俺に油断させるためではなで人知れず殺してしまえ、そういう気にあいつなっている いか、し、ら のではないか、と疑いが出ると止まるところなく、背中に 「これから先、わたくし達はどうなるのでございます」 寒さが突ッ走り突ッ走りした。 須那の悲しさに細る声がした。 気がつくとうしろに須那の気配がないので、大原は振返 「心配ない心配ない、大丈夫だよ」 ってみた。女は五、六間うしろで路の片端の草に坐り、深 「あなたは強盗、あすこに行く人は、その上に人まで斬つく頭を肩の間に垂れていた。 ているでしよう、そうして、わたくしは悲しいことに、そ「おい」 の同類でございますもの」 呼んでみたが須那は、顔もあげなかった。 くたび 「何を一ッことをいうのだよ、出来てしま 0 たことは、後「草臥れたかい。無理はないな、ゆうべは一睡もしていな つくろ からうまく繕うよりしようがないよ。あすこにいる奴のい いし、こんな山の道を、どしどし歩かせられているのだか うようにならなかったら、夜が明けるまでに殺されているら、男の俺だって楽じゃないのだもの、だがね、もう直ぐ やす よ。あいつは東京で人殺しをした奴で、気味の悪、奴こ . しレた町へ出るはずだ、そうしたら憩んで、何かうまい物を食べ ンだンなりやがったから恐い 、恐くなかったら、だれが、 よう、だから辛抱して歩いてくれ」 あんなことをやるものか」 小戻りした大原が、顔をのぞき込んでいうと、須那は、 須那のすすり泣きが絶えたが、大原は歩きながら続け身動きもせずいった。 「あなたはどうぞ、先へ行ってください」 「なあに、明治御一新の戦さがやんでからこっち、暴動「そんなことをいっては困る、さあ歩いてくれ、直ぐ町が 一揆だと騒ぎがつづいている今の世の中だ、黙って いあるのだからよ」 れば知れッこない、知れさえしなければ悪事が悪事になら 「わたくしは人中に、もう出られません」 「だだをこねてはいけないぜ、こんな山の中に、だれだっ 須那がすすり泣きもせず、答えもしなかったので、大原て住むわけにはゆかないのだ」 は又、志田を上目づかいに眺めながら考えを走らせた。俺「わたくしはここに残ります。これからは知らない人を見【
した。「何じゃ、おのれは建仁寺町でヘイへイようこそお能書を並べ立てたなかに、「われかて知っているやないか、 泊りさんと毎日いうてけつかったやないか」とやり返した四人ともこんなことこそしておれ、京へ帰れば近江屋身内 で人も怖れる肩書きっきの者ばかりや」と、下郎はロのさ ので、喧嘩が加賀屋と子分とに引越した。 ; ないものとその頃の芝居でよう言うたセリフの通り、わ れと我が身状をパラシおったものだ、だれが聞いたかてこ 母親の死 ら可笑しいとなるはずです。 阿弥陀村の時光寺の次は曾根天神に参拝と決めてある。 かんしようじよう 曾根というところには、菅丞相が筑紫へやられた時、ここ に立寄り、手ずから植えた一株の松があります、その松が 旅先の一夜妻のことから囎みあっていた波切り作次と橋永年の間に育って、幹の太さが一丈七尺、梢までの高さが 下の金が、京を出て以来、気に入らぬ御用人、金沢惣十郎一丈ばかり、横にのびた枝のひろがりが十八間、世にも見 の正体をスッパ抜いて、赤ッ恥を掻かしてやろうと毒口を事になったので、曾根の名木となり、名高いものでした。 叩くと、これも心はおなじ打出の六と丹波岩とが、それやそれへこれから行くのですから、時光寺の饗応をよい加減 くそみそ にして切りあげ、発足となると、住持はじめ土地の有力者 りこめてやれと、四人がかりが狗鼠味に御用人をやッっ が、うやうやしく見送る、その中を毎度のことでみんな上 けた。それをわたしも丸尾求女も知らぬ、騒がしいのは知 っていたが、御用人が道具持に面皮を剥がれているとは知手になって、天晴れ高丘四位の御代参で発ちました。 旧暦の九月ですから、道中には持ってこいで、綺麗な空 らん、そのうち鎮まったのでそのままにした、これが悪か った。四人の子分は、「やい御用人、われの正体は京の建の下を直徳の乗っている乗物を、魚橋から出た人夫にかっ がせ、曾根へゆく途中、機嫌の悪いのは御用人だけです、 懺仁寺町宿屋の亭主宗右衛門やないか、慣れん大小腰にさし 衛疝気を起して困っておろうがや」、といった調子でコキ卸さっきの喧嘩相手の四人は、何があったかしらんという風 九すのを、土地の者が聞いていて、「こらおかしい」となつです。 足た。おかしい訳です、当り前なら御用人の一ト言で縮みあ魚橋から曾根へは一里ばかりの道です、その半分過ぎ Ⅳがる道具持が、むちやむちゃにやッつけるのだから、だれの、田圃と林の道へかかると、丸尾求女が小さい声で、「松 とて不審じゃとなる。その上に四人の奴が要らぬ強がりで村氏うしろの方に人が多勢まいるが何であろう」というか みじよう
たので、石川も自ずと探偵という仕事に興味をもったものた、その他の二人連れは福井屋で衣類を買ったものとは、 で、そのころ年は三十そこそこだ 0 た。 年齢その外に違いがあった。さてそこで残った三組は、ど 「よウ、石川君帰ってきたか、ご苦労さん。新宿の方はどれも年齢が三十前後のものばかり。 なら んなだった」 「なあ石川君、この三組とも遊び場所へくる客の慣いで、 「木村さん、おいしくねえよまだ。大庭少警部殿、いつも本当の姓名を付けッこねえ。どういう人間かしらな、この ひょうきやく 必ず二人連れでくる嫖客というものは、そう沢山はない 二人ずつ三組、六人の奴は」 もので、書抜いて来ました。これなんです、二十一組しか「木村さん、この中で三十七歳と三十二歳の人ね、こいっ ありません」 は正月の六日と八日に遊興している、敵娼に聞いてみた 石川探偵が内藤新宿の貸座敷業者の会所と、一軒ずつ貸ら、三十七の方は四谷見付の地主の倅、三十二の方はそい しみ 座敷をアタッて調べてきた、客帳に拠る、二十一組の二人っの従弟で、遊びはいたって吝ッたれで、いっ来たって、 連れの客を、少警部と両探偵とで、片ッ端から検討をやり一枚一本だっていうからね、正月六日にきたときも、吝ッ しゅう 出した。 たれた祝儀の出し方だっていうね」 おおまがき あげや このときの遊女屋はどんな大籬の見世でも、揚屋とはい 「そうか、おキマリで遊ぶのか、百十両手に入れた奴らし しようぎ くねえな」 わず、貸座敷といった、随って遊女は出稼ぎ娼妓といっ た。明治五年十月二日に人身売買禁止令の実施があって、 「次は二十八歳と二十七歳の二人連れ、客帳には白井権八 その後、それまでの遊女屋とは性質も機構も一変して、再郎と花川長兵衛と付けさせているが、権八の方は木村さん もと 開業となったもので、徳川時代からそのままやって来た旧ご存じの、下高井戸の牛馬売買の六左衛門だ」 の遊女屋の客帳はなくなっている、だから古いので一年「あいつが白井権八郎だって、ふふン、笑わせやがる」 新しいのになると六カ月、それ以上はわからないし、 「花川戸の長兵衛に一字足りねえ花川長兵衛は、これも本 さかのば はたや そう古きに遡る必要が今度の一件ではない。事のついで村さんご存じの、幡ヶ谷の牛馬売買の久助だ」 にいっておくが、明治以来、人身売買が禁止され実行され「その二人の近頃の銭のつかいツ振りは」 たのは二度で、一度は前いった明治五年、その次のは日本「こいつらも女にモテない吝ッたれだ、残った一組のこい 敗戦の直後。 つは臭いね、伊勢屋の客で、年はどちらも二十五歳と客帳 検討をしてみると、結局のところ三組の二人連れが残っ につけさせてあるが、敵娼に聞くと違うね、どっちも二十・ おの あいかた
若旦那」 漸く宗吉は、街の探偵に甦った。 「十一日というと、俺がここへ来た日だ。それで、どう変 いつの間にか宗吉から、街の探偵の心が煙と消えてしま なのさ」 っていた。 「だって、今来ている森沢っての、見たところ当り前の旦その晩の宗吉は羽衣のところ、その次の日の午後は山田 那然としているけれど、変な符牒で話すわ、この間、あれ家と、六人連れの正体探りは進まないどころか中断だが、 外国の言葉かも知れないといったけど、そうじゃないわ」羽衣と山田家の女将山中戸お琴と女中のおさきと、三人の かじ 「聞き齧ったことはねえかい、 一つでも二つでもさ」 女の仲を往来することは大きに進んだ。 「ええとーーーそうそ、つ、俺のポケはだの、あのヤマナシは どことも連絡せず、新聞も読ます、世間の話も聞かない 若い街の探偵は、去る七日の夜更か八日の朝いまた暗い間 だのといったわ、何それ」 「知らねえや、そんなの」 小梅の水一尸徳川別邸の宝蔵破りがあったことなど、ま さすがに宗吉は白ばッくれた、探偵の方は青くても、ポるで知らず、女のふところからふところと渡り歩いて、日 を過した。 ケが偽名、ヤマナシは贓品、そのくらいは知っていた。 おさきが階下へ行って間もなく引返して来て、「若旦那、 これを女将さんが」と、紙に包んだ紙幣を出し、「それか ことづけ らね若旦那、九時半にイヤな奴が参りますとお言付よ。こ おやゅび れが来るのよ」と、拇指を出して見せた。 「どれ、それではそろそろ帰ろうか」 「それがいいわ。あたし、まだ二、三日はいるわ」 「絜っかし」 春田賢次郎老探偵は、むずかしい顔を又むずかしくし た。このおやじにしては珍しいことだ。 偵「薄情ねえそんな返辞して。あしたの午後、入らッしゃい ひる のね。旦那の奴、今夜は泊って、あしたの正午ごろ帰るから「岡田、仮名屋の若が、森下のところへ、まさか、行って はいなかっただろうな」 明ね、い つもそうだもの」 「ああ、じゃあ、あしたの正午過ぎにくらあ」 「えツ、何だって。仮名屋の宗坊が、あいっ等の一まきと 「女将さんの他に、あたしがいるってこと、忘れないでねかかわりあいでも」 よみがえ 二回の脱獄
0 ったら」と、智恵を借してくれたので、そうすることとし 仕方がないので宗吉は、母がこッそり財布ぐるみくれた そなえつけ 金を探費に、再び車で吉原へ乗りつけ、廓内をぐるぐる廻て、会所備付の蒲団にくるまり、とろとろとすると、起さ れた。 り歩いた。時間は経ったが得るところ皆無だ。 おおび 午前一一時の大引けまで、漠然と六人を探し歩くうち、夜宗吉は大門口に張って、早帰りの客を、一々みたがいな い、そのうちに明けはなれ、帰る客は随分あったが、きの 露でしッとり濡れて、風邪をひきそうになった。 まれ うの六人連れの一人も見当らなかった。きようも晴れて陽 人通りも、いたって稀、大がいるのが妙に眼につく がくふとん 「あいっ等どこかへあがって、額蒲団の中でうまくやっての光が、寝不足の眼に痛い午前九時ごろまで根気よく張っ たが、とうとう見当らなかった。 やがるんだろう、忌々しい奴等だ」と、それでもまだ歩き 浅草の観音堂の脇に水茶屋があり、その一劃に揚弓店な 巡行の巡査に怪しまれ、「仮名屋の倅です、親類のものどが百軒ぐらいあった。宗吉がつまらないという顔をし が六人連れで来ている筈ですが、その中の一人に国から電て、そこへ現れたのが午前十時ごろだった。市という巾着 けんたい 報が来ているので、早く知らせたいと、頼まれてやって来切に会ったので、これ幸いと一緒に、朝と昼と兼帯の食事 たんです」というと、最初の巡査は「左様か」といって行の供をさせ、外へ出ると市公が、「若、これでご免にして ってしまった。二度目の巡査は「それなら会所へ行って遊ください」と、ペこりと頭をさげて人通りの中へ消えて行 客名簿をみたがよろしかろう。こういう場所だから本名はった。頭を下げたのは、これから仕事をするから見ない振 名乗るまいが、六人連れなら目星がつくであろう」と教えりをしてください、そういう意味だ。 しろうと こうなると、若い素人探偵は、どうやったら良いのか見 てくれた。宗吉は素人の悲しさ、遊客の名簿に気がっかな 当がっかないのて : 、い加減にそこら中を歩いた。家へ帰 かったのだ。 会所へ行って話すと、仮名屋新造の名前が効いて、百以るには土産話がいる、それがないのだから弱った。 きみ、がた みせ 後の象潟町にむかしは、出羽本庄二万二十一石の大名、 偵上の楼から来ている遊客名簿を、書記が手伝って調べてく のれたが、六人連れの遊客はなかった。二タ組か三組に別れ六郷家の上屋敷があった、明治になってから取払いとな みやぶ 叮て遊んでいるのだろうが、宗吉はそれにしても、観破るカり、六郷ッ原といった。観音堂のうしろに当る。宗吉がい よいよっまらない顔をして通っていると、女二人と摺れち 浦がまだなかった。 会所の書記が、「仮名屋の若、どうです、朝帰りを見張がった。ぶうンと匂った香水が、東京にはない確かに横浜 回一
を顔に出した。 喝采しないばかり。宗吉が二階へあがると、付いてゆきな 羽衣はび ' くりして、「若旦那、あたし、その男に惚れがら素早くおさきに手を振 0 て、一一階〈あがらせず、「若 てやしないのよ、何といってもあたしのことから、最初は旦那、来てくれたわねえ」と、肩に両手をかけ、顔をのぞ 牢へはいった人だから、気の毒だと思うだけよ」と、必死き込んだ。 になっていい訳した上で、「その男は本名を谷井藤吉とい 女将はおさきを呼んで、宗吉のもてなしの仕度をさせ、 した って今年三十八になるの、眼の大きいのは昔に変らない、 衣裳をあらためるのだろう階下へ行った。 元が軽業師だから体がこんな風よ」と、肩幅の広い、腰の 「ねえおさきさん、今し方ここから帰って行った客ね、あ すわ 据った、かたちをして見せた。 の二人はいつも来るのかい」 谷井藤吉なら四谷のズラカリ者と、気がつくだけの準備「若旦那とはロをききません、だって女将さんが嫉くんで が宗吉にはない、折角これだけのネタを聞いていながら、 すもの」 ネタがネタにならずだ。 とおさきはながし目を宗吉にくれて、 今にも降りそうな雲が、千住の方の空にもやもやと出た「見たんですの若旦那。五十ぐらいにみえる小肥りのあぶ 明けの朝、吉原を出た宗吉が馬道で朝湯へはいり、仁天門らぎった男がいたでしよう、あれがうちの女将の旦那」 をはいると、山田家の女将が思い出され、雷門へ出ると足「あいつが、へええ。もう一人は」 うすび は東仲町へ向き、薄日が二階にさしている山田家の前まで「お公卿さま」 くると、人力車が二台並んでいた。客が帰るらしいと、ひ「まさか、お公卿さまよりはイカサマ行者という面つき とまず通り抜けかけると二人の男が出て車に乗った。「あだ」 れえ、あいつだ」と宗吉が見送った二人は、この間の六人「本当ね、七条という華族だっていうんですけど、変な奴 連れのうち、あぶら肥りの男と黒い歯の男だ。 だわ、符牒でうちの旦那と話をするんですよ」 宗吉に街の探偵の心がよみがえった。山田家へ「こんち 「どんな符牒だい」 は、この間煙草入が忘れてありませんでしたろうか」と、 「それが判らないのよ、あれは外国の言葉かしら、うちの でたらめ 出鱈目をいって、はいり込みのキッカケを拵えた。 旦那は横浜の居留地に知っている人がたんとあるといって いるから」 女中のおさきより女将の方が先に聞きつけ、「まあ若旦 まち 那、ようこそ、さあどうそ、おさきちゃん、若旦那よ」と ここで又街の探偵は、六人連れのうち二人が、どういう
ったところだからといったら、ふうンといって帰って行っ 廻って木更津の手前の桜井まで、知らずに後戻りしたと二 人が話合っていたのを、飯をもって行った女中が聞いて来たそうです」 すると大原影次郎は勝山で、志田に隠れて匕首でも買っ ましたので、私共は、何とまあ呆れた旅の衆だと笑いやし たが、これが二日ばかりムダをしたわけと違うけえ、三さ たことだろう、だとすると、この二人の間柄に底割れが起 っているらし、、 ん」 ということだけが、不確実ながら推測で きた木村が、 そんなことだったかと木村が、それはそれで得心した。 「そこでご亭主さん、だれか気がっかなかったかねえ、二 「なあご亭主、田中も赤坂も、ここでは女に手を出さなか ったかね」 人が刃物か何かもっていたかどうか」 「やツ、尋ねられねえと、いわず終いになるところでし「赤坂という男の方は、さッさと先へ独りで寝てしまいま あかまん た。この赤坂という方が、泊り合わせた東京の刃物屋さんしたが、田中という方は、三好屋と三ッ丸屋と二軒の赤饅 じゅうや から、八寸ばかりの白鞘物を、連れの田中というのに内密頭屋に、わずかな間にあがって、両方で女を買って、サッ で買ったそうです。鈴田の兄キよ、その取引したところさと帰ったそうです。なあ三さん、達者な野郎でねえけ 、何と大小便どころの脇だったとよ、どうも臭え奴だえ、田中という奴はよ」 すると影次郎は、泊り泊りで女漁りをやるが、志田はそ ね、別に洒落をいうわけではねえがさ」 ふしど の反対で、旅籠の臥床の中に、じッと引込んでいるのだろ すると志田明は、兇器を懐ろに忍ばせていると判った。 「田中の方のことは知らねえかねご亭主」 まぢか 「それだ、二人が出立してから聞いたことですが、田中と翌日の朝、湊を出た木村探偵と三蔵が、安房が目近な金 いうのが、この先の床屋へいって、髭を剃らせて、剃刀の谷まで来たときに調べてみると、雑作なく知れた。志田と 男いらないのがあったら一梃譲ってくれといったそうです」影次郎とは金谷の大六屋という宿屋へ、赤坂至と田中進の の 総コっン」 偽名で泊り、翌日は鋸山へのばり、一ト目十国という名勝 と「生憎だといって断ったら、西洋小刀の持合わせがあった地見物中、知合った赤提灯屋という金谷の曖昧茶屋の女に 江ら高く買うといったそうですが、それも断ったそうです。誘われて引返し、三晩泊って出立して三時間もすると、二 人とも女のところへ引返してきて、又一泊して発ったので 四どこかに刃物屋はないかと聞くので、床屋のかみさんが、 勝山へ行ったら間違いなくある、一万五千石の御陣屋がああった。 あいくち
この乗合馬車が神奈川の停車場近くなると、発車を知ら たか、いつ見ても八字髭は、出入口に近いところに並ん で腰掛けている二人連れの男にばかり眼が行っていた。そせる振鈴がカンランカンランと鳴っているので、汽車に乗 の二人連れは古道具屋と博徒、と見える恰好で、耳と耳とり継ぐ客は、乗り遅れる乗り遅れると気を揉んだ。横浜発 をスリ合わせるように、低い声で話をしていて、八字髭が新橋行の汽車は既にホームにはいって、ゆッくり時間をと っていたので、やがてゴットンと発車した、その刹那に駈 眼をつけているのを知らないらしかった。 乗合馬車が藤沢から二里の戸塚の立場茶屋の前にとまけつけ、後尾のハコへ、素早く乗ったのは岡田だけで、乗 り、客のほとんどが下りて床几にかけ、一銭二銭ずつ、み合馬車の客のうち他には一人も乗れなかった、中にも八字 じん棒・石ごろも・胡麻ねじ・塩煎餅などを買い、五厘の髭が目を向けていた二人連れ、古道具屋と博徒風の男は、 ぎよしゃ 茶代を払って茶をのむ間、馬は水をつける、馭者は煙草何でも彼でも乗る気らしく、出て行く汽車を追ってホーム を吸、つ。 を駈けて、駅員に制止されていた。 やがてして馬丁が「さあ出るよ出るよ、乗っておくれ乗新橋へ列車が着き、構内から下車した客が潮のように出 いてきた中に、岡田は勿論いた。前行く人をスリ抜け追い抜 っておくれ」という声に、客はそれそれ以前の席につ た。八字髭の客のところだけが、小さい風呂敷包一ッ残っけ、駅前の広場へ出ると人力車が塀のように並んでいる。 えてやまち 岡田はサシ曳き ( 綱ッ引・梶棒 ) の人力車を雇って、猿屋町 ているだけで空席になっている。 馬丁はすぐ気がついて、茶店の裏の用足し所に向い、 の署へ飛ばせた。それとおなじ時に、戸塚で消えた八字髭 「髭のお客さん、馬車が出るよ」といった。「あれえ、仕方が、岡田とおなじ汽車から下り、一人曳きの車を雇って客 がねえね、お客さんお客さん」、馬丁は用足し所の近くまとなり、岡田とおなじ方角の方へ行った、と、岡田は知ら で行って引返して来て、「髭のお客さん、いねえぜ」と馭なかった。岡田の乗った汽車のハコは後尾、八字髭が乗っ ぶっちょうづら きかんしゃ たハコは汽鑵車から三ッ目だったので、構内を出たのも、 者にいった。馭者は仏頂面して「仕様がねえな」といった 偵が、それでも五分はど待った、髭の客は姿をみせない。馭車夫と交渉したのも、車が曳き出されたのも、岡田より先 の者は「出すべい、置いてある包は茶店のおばさんに預けとで、しかも岡田の車が後から追い抜いたのだが、汽車の客 叮け」という、馬丁は「来たらこれ渡してくれ、三番馬車に、、、排けてゆく混雑の故もあって、岡田は見落した。 たてば これより先、八字髭は、乗合い馬車が戸塚の立場にとま 乗ってくれろといってな」と、小風呂敷包を茶店のおばさ んに渡した。 ると、わざと小風呂敷包を残してハコを出て、他の客が茶 おしの