ると逃げるようにしていますので、まず何ごともなく五日 ばかりたっ間に、 わたしの陰口をきく舟コの声を二度聞き ました。何といったのか言葉はわかりませんが、声の調子 でどんなことぬかしておるか、わたしはわかります、「九 コめが、おまっさん手に入れ、うまいことになりかけよっ たが、親方は卒中 ( 脳溢血 ) でもうあかンから店出しは出来 出てみると舟コの奴の逃げてゆくうしろ姿がちらりと見ンやろ、あのような男は、そうなってええのじゃ」、まず えた。わたしの顔つきが変っていたのでおまつが袂をと こんなことをいったに違いありません、そう言わなんで らえ、「病人が、あんたの顔をみたいというているから」 も、そういう肚があって何か言うたに違いありません、そ と、播為が寝ている部屋へつれて行きました。病人はスャんなことぐらい、わたしだとてカンでわかります。 スャ眠りついている。申すまでもなくおまつがわたしに先泊り込んで五日目の八ッ頃、今の午後二時ごろ、お医者 手を打って、舟コのあとを追いかけさせまいと、病人をダがむずかしい顔して、母親と定吉とおまっ、わたしもそこに シに使ったことです。 いました、松原屋万兵衛も来ておりました。それらの顔を 播為の病気は快い方に向きません。今この人に死なれた見廻して、「親方の命数が、もう尽きるらしい、、 お気の毒 ら金物屋の店開きが出来なくなる、死んだら困ると心に慌じゃが、何ともならんから覚悟さっしゃれ」と、 いって帰 てが出て、夫婦づれで子供を抱え、播為へ看病に泊り込みってゆきました。 ました。おまつは「播為から出はいりに河安さんと顔を合気がつくとおまつの母親も定吉もおまつも、親類の人達 わさぬよう気をつけてくれ」と言います。わたしは「なに も、涙の中でそれぞれすることをしておりますが、わたし かまうものか、親が生きるか死ぬかの大病の場合、看病にオ。 どナま、じっと坐りこんで身動きするのも厭になり、頭を きていて文句いわれる筈があるか、もしも咎めるようなこ垂れておったそうです。播為が死んだら俺の店開きをやら と言うたら今度はこちらが承知せぬ」と言いました。おませてくれる人がないではないか、もういかん、何のため大 つが困った顔していましたが、子供が啼いたので乳房をあ阪へ舞い戻ったのじゃい、アタ面白うもないと、こういう てがい、その話はそれなりになって終いました。 気持なのですが、今いったようにロに出して言えるほど、 泊り込んで看病している間、舟コの奴はわたしの顔をみまとまっていません、もやもやとして真っくらになった中 四たびの牢
132 盛りですから、華やかな、ええ衣裳をもっていました、そ と、従妹のおこうがきやッと叫んで、二階中を駈けめぐっ て逃げ惑っている、それに眼もくれず、押入の笥簟の抽出の中から手当り次第に三十八枚とって来たので、百両には ふるてや しから手当り次第に着る物を出し、大風呂敷に包んで、やなると思うたところ、古手屋め、足許をつけ込んで四十両 に値をつけ、何というてもその上の値をつけぬ。角張った ッと声をかけて提げると、それまで何処かで息を殺してい たおこうが、泣き声をあげ、「あれあれ、九ウやんが、あ顔の古手屋の亭主が、衣裳とわたしの顔を見くらべ、厭な うりかい ての衣裳もってゆく」といったので、包を抛り出して平手笑い方をちらとして、「四十両でいけなんだら売買の縁が えび ないというもの」と、じろりじろり顔をみて、こんな品物 で殴りつけたら、おこうの美しい顔がうでた海老のように かんざし なり、何とやらいうのに結うた髷がこわれ、櫛と簪が畳の欲しゅうないという様子です。このおやじは、わたしがど 上に落ちました。おこうは、それッきりで何もいわず、押ういう奴か知っていて、こういう底冷たい応待振りです。 入の前に立ち、わたしの顔を怨めしそうに見ていました。可笑しなもので、血のつづいている叔母夫婦、明治からこ 従妹の衣裳に用はあるが、従妹に用はないので、大風呂敷っちのいい方では尊属というそうな、その尊属夫婦を踏み にじって来たばかりのわたしが、六十を一ッ二ッ越したこ 包を提げて下へおりてみると、座敷にも庭にも八新夫婦が おりません、どこぞへ逃げたのでしよう。庭の木の根許にの古手屋には、見くびられた、と気がついていて、どうに もならぬ。そちらとこちらと人間のもっている枠の大小が 叔母の木櫛が二ツに折れて落ちていた。 そうさせるのか、上には上の商法からきた度胸の故か。わ たしはご存じの通りの奴、古手屋は堅気の商人、それだの 人足を雇うて例の大風呂敷包を背負わせ、京へ帰って古に、彼奴に呑まれる弱い尻はない、彼奴に恩もなければ義 手屋へ、その足で行きました。人足にわたしが、「お前は理もない、売る買う、ただそれだけの間柄なのに此方が弱 。それは母の物でもないのを強奪してきたから、知らず 俺の顔を知っとるか、伏見生れの狼の九五郎や」といってい、 さかて あるので、何をいうてもへいへいといい、賃銭と酒代をや知らず泥棒が故買屋へ売りにいったと同様なのだろうと、 ったら、「えらい済みまへんどす」といって帰った。 小智恵を持合せた人はいうか知れぬが、そんな気はわたし にまるでない、何度でも三百両になるまでは、大手を振っ 十六歳の従妹というたら、今の人はチンマイ女の子を思 うか知らぬが、以前は嫁入り聟とりの年ごろで、背丈ものて八新へ行く気だから、泥棒染みたことをしたなぞとは思 び肉つきもよく、心かて子供とはもう言えぬ。おこうは娘いも寄らぬのです。
駄馬が二頭、二人の馬子に曳かれて通って行っただけであ顔に戻すいとまがなかった、それどころか影次郎は、右肩 った。 を明の左手に抱え込まれ、胯の間に明の左足が割りこまれ きゅうしょ 影次郎は左手をそッとのばし、隣りの明の寝すがたの肩ていた、これでは何どきでも明の左の膝が、影次郎の急所 の上あたりの砂を音もなく掻いた。三、四たび砂を掻き出を衝きあげ、少くとも気絶させられるだけの態勢だ。影次 こぶし し、拳ぐらいの穴の入り口が出来たとき、明が鼾を立て郎は士族の子である、好きでもなし上達もしなかったが、 。影次郎は右手で頭の下の手拭をとり、胸の上で延ばし叱られ叱られやらせられた武芸のおかげで、こうなっては た、明を絞め殺すのに使う気だ。 明に死命を制されたと気がつくが早いか、悪鬼の如き顔が 道路に目をやった影次郎は、人の見る目がないと見極一瞬のうちに臆病者の首席のような顔に変った。 め、左手で砂の作業をつづけながら、明の様子に気を配っ 「大原、どういうわけで僕が殺したいのだね、ゆうべ手に た。明の鼾が今までより一段と快げに高くなった。 入れた二千百七十円の二ッ割り、僕の懐中にある千円余り・ 影次郎の左手が明の肩の上あたりで、手拭の一方の端をの紙幣が目的かね、それとも別に仔細があるのかね、それ 向う側へ、そッと運びにかかると、明が寝返りを打って顔 だったら聞こうかね、勿論、僕はいつでも君を一挙に殺せ を影次郎に近づけた。そのため手拭は明の首の下で、影次る準備を整えたままで承わるけれどね」 郎の計画よりもッと誂え向きになった。 「志田、思い違いだ。俺が君を殺すはずがねえではない 寝返りと共に止んだ明の鼾が又も立った。影次郎は更めか、俺が君をたよりにしていることは判っているはずでは て道路の前後をみた。人の姿がない、海はと見れば沖に漁よ、 船が、それかと見ればみられるほどに遠かった。 「それはそうだね。神田連雀町で偽せ官員になったとき、・ 影次郎の顔が一瞬のうちに悪鬼のようになった、明に、 君は僕の相棒だった」 男よいよ手をくだす間際に、明が鼾をつづけながら両眼をば「鍛冶橋内だってそうだよ志田」 総ッと開けて、質問をした。 「破獄逃亡の君は、頼もしい仲間だったね」 と「ど、つい , つわけだね」 「それからもずッと俺は」 ぎようとく 江「げ . ッ 「そうだったね、思案橋脇の小網町河岸から、行徳の嘉太 明の声は低いが、殺気が底に潜んでいるかのように尖っ郎、友造兄弟の塩船で海へ逃げ、ここまで来るまで、君は ていた。不意打ちをくった影次郎は、悪鬼の顔をいつもの確かに僕をたよりにしていたがね、ゆうべの犯罪と逃走中 あつら 、 : 一ろよ
かって、千両箱が馬でくるといっていた買取った古手物のりカを入れたのでしよう母がよろめいて、膝を畳についた 荷だ「たのです。酒むくれで頬の赤い宰領馬方が先頭に立とき、父はもう附木に火をつけていました。その火も神棚 ち、幾人もの馬方が門ロで父に礼をいって帰ってゆくと近くまでの寿命で、急に衰えて消えました。「ゲン ( 験 ) の 悪い」と父がひと言いって、附木を三、四枚一緒に火鉢の き、時雨に又なったのを憶えています。 とうみよう 父が「おきし神棚にお燈明をあげて」と、上乗の機嫌で火で付けたので、硫黄臭い火が前よりはずッと幅広くなっ きび ひうち、し いいつけましたので、母が火打石をカマにあて、切り火をて燃えました。その火が妙なことに神棚の燈明に移すと、 つけ 神棚に打ってから、附木に火鉢から火を移し、神棚の燈明しばらく点っていてじき又消えました。汕がないのかと父 とうしん ひざら につけると、ばちりといって附木の火まで一ペんに消えまが灯皿をのぞくと油は充分あったそうです、燈芯はと見る と、これにも変ったところがなかったと、後に母がよくい したので、また附木に火をつけて神棚へゆくまでのうち、 ゅびもと 、しました。 ばばッと音を立てて附木が指許まで一時に燃えましたのでししし あおまゆ そのときの父の顔は血の気が去ってしまい、生きながら 熱やッと母が青眉をしかめ、火鉢の灰に棄てました。それ しぐれぐも を見ていた父の顔に、時雨雲がかかるときのような、薄ぐ死んだのではないかと、母は胸をどきりとして、父の名を 呼んだと後に話したことがございます、よッばどの顔つき らさが急に出てきまして、「も一ペん早う」と叱るように いいました。人さし指の腹を舐めていた母が、附木に火をに父はなったのでしよう。 父は燈明あげることをやめて台所へ駈け込み、庖丁をも 移して立っと、又もその火が細くなって消えました。その って座敷に引返してきて、山と積んである荷にかかってい ときの父は怖い顔をして「どこそから風が吹き入るのや、 ましる繩をばらりばらりと切りました。母が仰天し気が狂った 火が消えたかて不思議はない」と、強い調子でいい とばかり思い込み、引きとめると父は「気が狂うたのでは た。母は黙って附木を火鉢の灰にさし付けていましたが、 ない、もしやと今この胸に浮かんだ不吉がある、万が一そ 悔真顔になり過ぎている故か、母がそのときのような顔をし ふるてやきすけ れだったら古手屋喜助は丸潰れになる」といって、菰を引 のたのを、その後の永い間に一度もみたことがありません。 尾母の手の附木の火が今度は事なく燈明に移ったので、父き剥ぎ引き剥ぎ、箱型の枠木をこわし、中から一枚の古着 尾の顔から薄ぐらいものが無くなった、そのとき、どういうを引ッ攫んで出したのが、今に忘れぬ黄八丈の柄のあらい ものか燈明がばちりといって又しても火が消えました。顔女物で、紅絹裏が美しい物にみえました。それを父はさッ すか くら が前よりも昏くなった父が母の肩を掻き退けました、あまと広げ、袖のところを透して見ていましたが、みるみる真 ゆえ - 一も
わたしは尻端折りして質屋へ急ぎました。その後、わた金のある処を見付けにかかったのを、木治郎のおッさんが うしろから眺めていて声をかけたので、わたしは、ぐッと しは大手を振って家へ帰りましたが、いつも長兵衛のいな い時を狙った、顔を合せたら喧嘩になる、そうすると母がもいえない破目になっていたのでした。 泣く、長兵衛とロ喧嘩しているとき母が泣き出すとそれ見 いという気がするが、だれもおらぬとき母の泣いた姿を思 い出すと悲しくなって泣き出す、時には何で急に泣き出伏見の本宅から下へ三、四丁のところに親類があって、 すやら知らぬ悪い友達どもを仰天させることもありましそこから大阪の松屋源之助に嫁にいっているのが、わたし た。それでは家へ帰って母の顔をみると、ちッとは優しくの母とは従姉妹です、源之助が、わたしの実父の弟ですか するかというと、却って厭がらせがいってみたくなりまら、このおッさん夫婦は、わたしと血のつづきがありま す、大事な大事な母を、どこの馬の骨か知らぬ奴に取られす。木屋治郎兵衛が大阪で、連れて行った先がそこです。 たのが口惜しいのです。それでも長兵衛と顔を合わさずに大阪にはそのほかに父の親類がありましたが、母と別れて いまでは、他人となった父ですから、わたしにとっても皆 いると、母を泣かせるわたしの方も泣いているので、終い にはどうにか仲よくなれて、笑い顔を互いにみせ、母からさんが他人で、松屋源之助夫婦だけが親類です、明治以 頼まれて長兵衛とはもう喧嘩せぬと約束するのですが、顔後、親類と他人の区別がとれましたが、そいつは他人を親 を合わすとそうは行きません、忽ち長兵衛と嚼み合いで類同然におもうという方へ行ったのでなくって、親類も他 す。 人と同然にするという方へ行ってしまった、昔はそうでは 或る晩、木屋治郎兵衛がふいにや 0 てきて、「九吉一緒ない、は泣き寄りとい 0 て、わるいことのあ 0 たときカ になってくれるのは親類でした。親身の情というのも親類 こい」とい , フ、「何処へ」と聞くと「大阪じゃ」とい みだ の情をいったものですが、こいつがすっかり紊れたので、 う、大阪へ何しに行くのかいなと聞こうとすると、「お前 のために、わざわざ大阪まで行くのじゃ、何もいわんと一人情は糊のはがれた紙風船みたい、膨らみもしない、上げ 兵緒にこい」といわれ、苦手の人ゆえ致し方なく、その尻にてやってもじき落ちて来る、下に置いたのでは役に立たな 尾 、。昔はそういう親類だけに、他人になるとはっきり他人 足ついて手ぶらで家を出ました。その日は妙なことに母は本 になって、何があってもかまいつけません、ですから父の 家へ呼ばれて行って留守、長兵衛は泉屋へ出勤中で家の中 はわたしだけ、あとは奉公人だけだったので、家探しして親類残らず、わたしが母について伏見にゆき、足尾の名跡
とか、顔の売れた男を前テコに乗せる、そうするとその顔気になったと思ったのが、性根のくずれ始めになった。 次第で黙って通します。前にいった通り、大阪夏の陣で豊祭がすむと何町のだんじりは何カ所で文句がついた、何 かみゆいにん 臣家滅亡のとき以来、二百四十年の間、大阪三郷の髪結人町のはとうとう喧嘩になってだんじりが半こわれになり、 が牢番人を無給金で勤めてきた、といっても、髪結人が交怪我人が何人出たなぞという中で、河安の九コが乗ったの じようやと 代でやったのでなく、めいめい金を出しあって、常雇いので、左官仲間のだんじりには文句一ッつける者がなかった 番人をおいたものです、それは廃止になっているのですと噂される、いよいよわたしの鼻がヒコヒコして来まし カ永年の引きつづきで特別に幅を利かせ、何とか彼とか はりため 理窟をつけて、祭のときなどは通行税同然のものを取った 親方の家の前に鍛冶屋で播為というのがありまして、お おとこだて ものです、その代り髪結にはなかなか男達がいたものでまっといって十七歳の綺麗な娘がありました。十六でわた す。 しが河安に弟子にきたときは色気のない十五の小娘だった 左官仲間ではだんじりの前テコには河安さんところの九のが、わたしが牢から出てきたときは見違えるように女に コを乗せるがい 、あの男なら大阪三郷に知られた鰻谷のなっていました。このおまつがわたしにどうやら気があ 喧嘩の立役者だという人が出て、それならそうしようとなる、というと娘にばかりかずけることになるが、実は牢か り、親方父子から話があったので、わたしでよかったらとら出て親方の家の敷居を八十幾日ぶりで跨ごうとすると、 辞退もせず引受けました、これが悪かった。わたしにして軒の下に立っていた娘があって、「九コはン、お芽出とう まか みれば皆さんお困りだからと引受けた、罷り間違ったらもさん」といって笑顔をみせた、その娘が播為のおまつだと う一度牢へゆく、それも左官仲間のためと、こう考えたか安さんに聞いたのがその晩。その翌日の朝、井一尸端で久振 ら二言といわず引受けたのですが、さてだんじりの前テコりに顔洗っていると、眼のなかにきのうの娘の顔が出てき に乗って出ると、役者が着る衣裳より派手な縮緬浴衣は着よる、何そ用事しているときでもちょろりと眼の中におま ているわ、年は若いわ、自分でいうのはヘンですが、そう つが出る、つまりわたしの方でも惚れたのだが、わたしと 不細工な顔をしていないので、人目につくこと人目につく いうャツは、こっちから女に惚れましたそというのが嫌い こと、晴がましいことが好きな性分ですから、いい気になで、ロには出さんが想うていた。夏祭はきよう限りという っていました。祭の間というもの、どこでもわたしの乗っ日、往来でゆきおうたおまつが、わたしに話があるという ているだんじりに文句をつける者がない、われながらいい から、何の話か聞こうというと、「ここではいえぬ、人の
監守が外から牢格子を叩いて叱りつけたので、志田は漸と一番最初に、おい新入りといった四十を越えたらしい く黙った。黒原三光は起っている膝をふるわせ、首うなだ牢人が、細長きに過ぎる顔を突き出して聞き咎めると、志 れて罵りを受けていたが、背中を小突かれると、ほッと息田が言下にやり返した。 「不服か、不服なら不服らしくやってみせろ」 をついて歩き出した。 六号室では志田明が青くなった顔を、遠のいてゆく監守「何をこいっエラそうにぬかす」 そこへ引返して来て通りがかりの監守が、牢格子に高頬 や黒原の足音に向け、やがて監房をひらく音がすると、 を押しつけて、中を覗き、 「大たわけめ、必ず返報をしてくれる」 「黙れ、黙らんか。世話の焼ける奴等だ」 と身ぶるいして、血走る目を向け、又も叫んだ。と、 、、、日減にしろ、馬鹿でかい声をしやがっ 「旦那に申上げます、この新入りめ、はいって来るとす 「おい新入り ぐ、我儘の仕放題で、相牢のわれわれども三人が、迷惑で て耳がガンガンする」 四人いる未決囚の一人で、小力のありそうなのが志田をしようがございません、きっとお叱りおきを願います」 長きに過ぎる顔の未決囚がペコリペコリ頭を監守に下げ 叱りつけると、外の二人もその尻について、 た。監守は目を三角にして、 「ふざけた新入りじゃねえか、諸事万事ご一新になったと いったって、そいつは娑婆のことだ、ここはお江戸伝馬町「今はいったばかりで、我儘の仕放題とはその意を得ぬ。 以来の地獄の一丁目の出店だぞ、ご牢内の作法はまだお廃こら新入り、おとなしくしろ、お前は四百五十石の旗下の 子だというではないか。相牢の三人は蔵破りと米一俵の泥 止になってはいねえ」 「やい若僧、いつまでご牢人に尻を向けて、立ちはだかっ棒と、首縊りの所持金を盗んだ奴だ、氏も育ちも違う、そ の上に、その方は宮内省御用医者殺しという極重罪犯では ていやがる、こっち向け」 ないか、罪科からいってもお前の方が重いのだ。おい相牢 男「作法通りに早くさせてしまえ」 総次々にいう相牢人の方へ、志田はくるりと向いて、一人の者ども、戒めを忘れて騒いでみろ、承知せんから」 叱りつけて、監視の椅子のある処へ行った。 とずつ顔を熟視して、 強いらしい相手だと判ると下タ手にすぐ出たのが、蔵破 江「三人とも平民だろう。僕は旗下の倅で、上野の彰義隊の りの長きに過ぎる顔の牢人だった、と見て、米泥棒の三十 生残りだから上座につく」 こひょう 「何だと」 前の小兵で貧相な牢人も、首縊りから盗みをした五十がら
と挨拶を掛けた。そのころは知る知らずにらず、犒い 合うのが当り前だったから、探偵が投げた挨拶は尋常なこ「何をしやがる」 とで、東京の住人ならだれもやる作法の一ツだった。 と水溜りの中でその男がいって、刎ね起きざま、探偵に その男は挨拶を掛けられて、一瞬間、ドキリとしたらしは取ってかからず逃げにかかったが、右の手首に捕繩の輪 く、ロでは、 が食い込んでいて、繩尻を探偵に引かれ、あッといううち 「へい」 煽りをくれて引張る手練に、再び泥へ横倒れになっ といい、頭も軽くさげたが、 探偵の目をさけた顔の向け 方で、こいつ目の色がちらッと変ったなと、宇佐美は観て「おい、起きろ」 とったので、 「へえ」 男は体をぶるぶるさせ、気落ちのした顔で、泥沼から起 「往来がまるで川みてえだ、しようがねえな」 きあがる、その中途で捕繩が左の手首に搦んだ。 ロ小言を聞かせて、相手に安心させ、水溜りを避けて、 「おい、石川保助はどうした」 家並の軒の下へゆくと見せて、その男の右の手首をさッと 掴み、 「石川保助ね、そんな人は知りませんが」 「お前の名を聞こう」 「知らねえがあるか。大原と志田はどっちも二十四だから 男は顔中に皺を寄せたが、すぐ当り前の顔に戻り、 お前じゃねえ。歩け一緒にーーお前は三十七、八にみえる 「あたしですか、あたしの名前は」 が、年よりも老けてみえるのだろうから、三十三、四だ 「自分の名をいうのに手間とれるのだな。ちょいと第一大な、すると、強盗犯で人命犯のケツが割れかかっている田 区 ( 出張所 ) まで来てくれ、いわずと知れた俺はその筋のも無次郎兵衛だろう、そうだな」 男のだ」 「恐れ入りました旦那」 総といい終らないうちに、その男が拳固で探偵の胸へ突き「外の五人と離れたのはいつだ」 とを入れた。そんなことだろうと宇佐美は知っていたので、 「へえ、塀へ取りつく時に、もう別々でしたから、外へ出 たときはパラ・ハラです」 江躱しておいて、相手の脛へ蹴りを入れた。探偵の蓑が肩か ら辷って泥水に落ちたのと、男が泥水にばしゃンと音を立「一人ずつみんながか」 て、仰向けに落ちて、返り水をまともに浴びたのとが同時「ちらりと見たときは、石川保助ね、それから大原影次郎 こ 0
芳松は、わたしより二寸五分ばかり背が高かったので、柄山の金時さんや」と、山の中での高話みたいにいう。お ぶん わたしは芳松を睨めつけるのに、すこし見上げて睨めつけ秀という綺麗な女が、わたしの傍へきて、芬と匂う白い顔 ました。「無理いうてあかンなあ」という芳松の帯へ手をを押しつけるように近づけ、「ほンに可愛ゆらしいお子や なあ」と、頬べたを押しつけよったので振りきって、「伝 かけて、わたしが、「さあ、雷の次郎のいる処へゅこう」 と、引ッ張りますと芳松が渋い顔をして、一緒に歩き出し次に用があって来た、呼んでくれ」というと、お秀がひょ いと体を飛び退けて、「伝やンの友達かいな」というから 芳松が、わたしを連れて行ったのは中書島の遊女屋でしわたしが、「あんな仕様もない奴を友達にはもたぬ、雷の たが、そこに雷次郎がいなかったので芳松が「ここにおら次郎は俺が母親のかたきだからここへ呼んでくれ」と、 うとお秀が狐みたいな尖った顔になって廊下の奥へ駈けこ なんだら今夜はどこに行っているか知れへン」といった が、わたしが何が何でも承知しませんので弱り返って、今んでゆく、客引きの女はびッくりして、「親のかたきいう かみなり 度は奈良屋という遊女屋の前で、客引きの女に、「伝やンてアンさん雷さんをどうなさるのや」と、ぶるぶる顫え 来ておりやヘンか」というと客引きが、「来ておいやす」て、丹塗りの腰板張りめぐらした桃色壁に背中をつけ、き よとンとしてわたしを見詰めていました。そのうちに女が といったので、わたしが、「ほンならここへ呼んでくれ」 というと客引きが、「そういわんと二人ともおあがりやす駈けこんだ方から雷の次郎が、眉毛を眼の上に引ッつけて な」と、気もちの悪い笑い方をした、芳松が狼狽して、駈け出して来て、「だれじゃ、俺をかたきとぬかしたは」 「九やン、わい帰して貰う」と、逸散に逃げかけると、客というから、「俺や、用がある、外へ出い」、というと伝次 がわたしの顔をみて、「俺をだれと思う、雷の次郎と知っ 弓きが袂を握って、「小そうても男ゃないか、男のにこ こに来たからはそのようにするがよい」、と店の中へ引ッて外へ出い吐かすか」というから、わたしも負けていず、 「知らん者が探してここまで来るか」とやり返すと、「や ばり込んで、「どなたさんかおいやすか、可愛い男さんが 来とります」と、黒光りのする廊下っづきの奥の方へ怒鳴めとけやめとけ、丁稚臭い奴が何をぬかす」とわたしを見 るのと一緒に、厚化粧の女が赤やら青やら紫の着る物着て卸していうので、「丁稚臭いか臭うないか、嗅がしてやる はや から外へ出い」と大きな声でいう。早、奈良屋の前は人だ どこからか出てきて、わたしの方を振返ってみた。客引き の女が、「お秀さんかいな、このお子さん見たが、ええ可かりです。人が多勢みていると強がりたいのがこの手合の 愛いらしいやないか、上気して顔が赤うなったところ、足常、ということは、わたしも、その後たびたびこうした
の屋のおかみだ、そうだね」 女中が告げた。 「はあ」 「じゃあ、ゆうべあの男は二階へ泊 0 たのじゃねえのか 蓮江がびくりとして、青白くなった顔を縦に振った。 し」 ほんちょう 「吉永武七郎というのは本町一一丁目の売込商の支配人だと と聞くと、 宿帳にあるが、こいつは嘘だーーだが、俺はそんなことを 「いいえ、矢張り階下へお寝になったんですよ」 と、おかねの方がくすりと笑っていった。そのあとをお聞きにきやしねえ、聞きたいのは、あの男にハマから連れ 出された、しかも親付きでね。これは一体どういうことな つるが付け足して、 むつ 「あの女の方、ゆうべは六ヶしいことをべらべらべら、立んだ」 板に水というのはあれでしようかしら、男の方が怒り出し母親が蓮江の膝をそッと指で突き、「云ってしまってお て、二、三度大きな声を出したそのたびに、やり込められくれ」という顔を、眼をつむっている娘に何度も向けた。 した たらしいんですの、階下へきてからお酒をおひとりで三本美濃田は母親のうしろに、ロを開いた鞄があるのを、は いって来た時から知っていた。 飲みました」 といって、これもくすりと笑った。武七郎め、情約を女「吉永の鞄があるね」 やけざけあお 「ございます、そこにある上海鞄です」 に違反され、自暴酒を呷ったとみえる。 美濃田は「二階へ行ってみる」とあがる途中で、風が送すこしずつ蓮江の顔の色が、平常に戻りはじめた。 ってきたのか蓮江の母親が、「まあ」と驚いた声だけを耳「その中に兇器があるのじゃねえのか」 にした。蓮江の部屋の前へ行って、声をかけようとする蓮江は眼を伏せて答えなかったが、母親が黒ごしらえの と、障子があいて蓮江の尋常でない顔がのそいた。探偵は短刀を美濃田に差し出した。今し方、二階へあがろうとし て聞いた、「まあ」という驚きの声は、この短刀を吉永の 公用名刺を出し、 だしぬ 「出抜けで失敬だが、ちッと承わりたいことがあるので上海鞄の中から見付けたときだったのだろう。 なあに心配ねえ心配ねえ、お前方母子に犯罪があるな蓮江はもう隠さなかった。畑中民蔵はハマの松影町二丁 目三十番地に住み、商人だというが一向にそれらしいとこ んて思ってやしねえ。ご免よ」 ろがないこと、どこかの監獄を破って逃走中の者ではない 部屋へはいって座を占めた美濃田が、ちょッと凄んで、 「お前は宿帳にハマの羽衣町と書いているが、足曳町の花かと思われること、左の肩に刀疵があること、神奈川青木 した シャンハイかばん