それが震災後、ばたっと 暴走族が暴れる、校舎のガラスか割られる、タバコは当たり前 : なくなった。生徒も教師も危機感を持って行動し、一番役に立ったのが荒れてる子たちだった。 うちの生徒たちは二時間聞いていて、ひと言の雑談もなかった。 避難所の中学生たちはお弁当の配給を自らルールを作って行った。大人が取り合いをしてお 年寄りに渡らないので、このまましやお年寄りが死んしや、つと思ったからだそ、つだ。トイレが つまって流れなくなったときも、活躍したのは中学生だった。手で汚物を取り、水がないとい えば、プールの氷を割った。教師が何かしろって言うんじゃない。子どもたちが自分でしなく てはいけないと思って行動した。 学校にはそういうのか欠けている。先生の授業数か多いとか、放課後かないとか、そういう のもあるが、次元が違う。そこで何かが機能してないからこそいじめがある。子どもたちの間 に「これじゃいけないぞ」というのがないとだめなんだ。神戸の中学生にはそれか生まれた。 ただ、大人との接点がない 教員同士の協力も大事だけど、子どもたち同士の方がもっと大事。 実 現 といけないから、教師のかかわり方はとても複雑になる。そのためには私はクラスや学年を解 しいと思っている。 章体しても、 第 教師が「自分の学年」「自分のクラス」という体裁や見えを捨てれば、とつばらうことはで きる。しかし、そういう当たり前のことが意外とできないのが学校だ。教員がチームを組んで
る教育は、こういう親の存在がある限り、私は無理だと思っています。 ( 兵庫県神戸市・母 ) ・娘を 2 回転校させたお母さんからの手紙 女子全員から無視される、担任は助けてくれない 娘は、一年生のときから同級生にことごとく裏切られ、いじめられる学校生活をおくってい ます。三、四年生では担任の先生の配慮もあって学校生活もそれまでよりスムーズになり安心 していました。 しかし、五年生でクラスと担任がかわり、娘はふたたびクラスの女子全員からいしめを受け るようになりました。一部の女子か娘を孤立化させようとし、にらみと無視と仲間はすれが始 まりました。 あっという間に、クラスの女子全員に連鎖してしまいました。たなに整理してある娘のラン 実 現 トセルは毎日、床に落とされ、しまいにランドセルの中身まで放り出されてしまいました。上 章靴や雨がさもかくされるよ、フになりました。 第 担任にうったえたところ、「生徒に聞いたけれど、全員知らないというので、そんな事実は ない」と、ただクラスの女子をかばうばかりでした。そればかりか、私が欠席した学級会で、
1 う 6 担任 o 女うちは学級数が多くて、一学年に十数人の先生がいるが、朝や休み時間、空き時 間などに必す情報交換している。あなたのクラスでこんなことがあったよ、とほかの先生が教 えてくれることも多い ーーー先日、あるシンポジウムで、教師の電話相談をしているカウンセラーが報告したことだ が、全国の教師から寄せられる悩みの中で最も多いのは、同僚との人間関係などの「職場内ト ラブル」だった。全体の , ハ〇ー七〇 % を占めている。学校で先生同士が協力し合って問題解決 にあたるのは難しそ、フだな、と感じた。 担任男学校によって違うし、同じ学校でも学年によって違う。私の学校では、先生同士 か何でもしゃべる学年もあるが、自分のクラスの悪いところを隠す学年もある。私の学年は、 私のクラスで起きているようなこと ( いじめ ) がほかのクラスでもあるみたいだが、 ほかの先 生からは聞こえてこない 主任 < 男先生の悩みの大半が同僚との人間関係だというのと同しで、生徒たちも生徒同士 の人間関係で悩んでいるのがほとんど。だから、うちの学校は、行事のたびにクラスを解体し ちゃう。高校訪問や職場訪問も、気の合う者同士が集まって行くようにしている。 少し長くなるが、修学旅行で神戸に行ったときの話をしたい。地元の中学を訪問した夜、阪 神大震災当時の校長が宿に来て話をしてくれた。「うちの学校はすごく荒れていた」という。
いと仲間はすれのままになってしまいます 先生最初はオープン主義でやっていました。でも、女の子に「言わないでね」と言われ たのに、そっとしておけなくて、言ってしまった。その子が一時、不登校になってからオープ ンにしなくなりました。 子どもの居場所が必要 自己紹介ゲームで仲間はすれを見たとき、どう対応したのですか ( 先生に ) 。 先生子どもたちに「このクラスはなんて冷たいんだ。みんなに一分間あげるから、自分 たちでど、フするか考えなさい」と言うと、だれかかその子のところへ行きます。ガミガミしか るのではなく、子どもたちに考えさせます。 先生いじめにもいろんなケースがあって、誤解からのものもあります。以前、アトピー 性皮膚炎の子かいて、「うつる」「汚い」と避けられたことがありました。担任の先生と相談し、 実 現私が教室で「この病気はうつらないし、本人はすごく苦しい」と話すと、そのいじめは解消し 章ました。 第 ーーー先生同士の協力はあるのでしようか ほかのクラスのいじめは気つくものでしようか o 先生ほかのクラスでも気づきます。子どもたちから言ってくる場合もあります。でも、
19 う第 2 章ーーーー現実 時間すつあります。 翌日、九月二日、 いっしょに学校に行きました。担任に「〇〇さんが教科書盗んだのね」と いうと、クラスのみんなが、その子の所に来て「借りたっていえ」と大騒ぎ。娘には「貸した っていえ」と責めました。担任は黙っていましたから、私が「大変な思いをしたのに、なぜそ しいました。娘は、それからみんなが口をきいてくれなくなった、お母 んなことをい、フの」と、 さんのせいだと毎日泣きました。 たのんでも、クラスで話し合いもしてくれないし、いまでもつらい思いをして学校に通って います。筆箱に「死ねバカ」とペンで書かれたこともあります。一年生のころから、学校をか えたいといったことがありますが、教頭先生が「そういうのは、学校しゃなくて、教育委員会 にいってはしい」といわれました。 しまでも登下校をひとりでしています。何度たのんでも集団登校の班に入れません。 教室でもばつんと座り、一日中口をきかない日がつづき、大変なストレスでねられない日がっ づきます。 先生はちゃんと聞いてくれない この母親とニ年生の女の子に会って、一年生のときから続いているといういじめやクラスの ( 母親・匿名希望 )
4 が書かれていました。その男子はそんなことをするタイプでは絶対ありません そして、次の日、その女子は学校に来なかったのですが、そのまた次の日、頑張って来まし た。それにもかかわらず、今度はその女子が教室を出た合間に、だれかが筆箱に大量に画びよ うを押しこんでいたのです。そして、また「殺す、死ね、死ね死ね死ね」と書かれていて、わ ら人形の絵が書かれていました。差出人は四人の女子の名前になっていました。その紙は、漢 字練習帳のノートだったので、クラス全員が、漢字練習帳を調べられました。 そんなわけで、わたしのクラスには、一日中先生たちが見はりをすることになりました。先 生みんなが、わたしたちみんなを悪者あっかいしていて、みんな「ほかのクラスに行きたい」 「五年生が終わるまで学校に行きたくない」などと、 担任の先生も、わたしたちをうたがっていて、犯人を見つけるために、かくされたものを見 つけ出したら、そこで待機していたりしていました。そこに、確認に来た人が犯人だ、という ことです。 みんなとてもいやがって、かくされたものなどを見つけてしまったら、はかの人に「お願い、 わたしが見つけたこと、だまってて」などといっていて、本当にボロポロでした。さがさなく てはいけないのに、見つけたらうたがわれる。こんなことってありますか どうして、なにもなくて、平和だったこの小学校がこんなになってしまったのでしよう。と いっていました。
てくるので、私は家に帰ってもやっている。そうすると子どもとつながるかなって思う。 以前、ほかのクラスで、四階の教室から飛び降りようとした子がいた。クラスの子が止めて 戻したが、私はそのとき、思うようにいかないと発作的に死を選ぶ子かいるんだ、と感じた。 死んでも生き返ることができると思っているのかな、と感しることもある。自殺した子も「悩 み抜いて」というのでないのもあるのかな、と思う。命の大切さをいろんな場面で訴えていか ないといけない。飛び降りようとした子を私たちはその後も注意して見ていたし、クラス替え のときも気をつかった。私たちは何もしないわけではないし、見て見ぬふりをしているのでも ない。精いつばいやっている だれが犯人かなど決められない 学校で起きたいしめの被害者に対して、加害責任はだれが負えばいいのだろう。 主任 < 男あなたが犯人です、とはだれにも言うことはできない。はっきり決められないか 実 現 ら、何年も何年も繰り返している。特効薬もない。ただ一つ言えるのは、いしめるグループの 章子どもたちの家庭の雰囲気は似ているのではないか、ということ。お互い傷をなめ合いながら 第 くつついて、ターゲットの子へ向かう。たまたまその場が学校なんだ。中学校は濃縮した小さ な社会で、いじめをしやすい場だから、たまたま中学校に集まってしまっている。しかし、元
12 2 いじめたやつが、苦しむところ、見たいでしよ。 ・クラスの女子の家をまわって涙が出た 私は現在中二です。小学校六年生のときいじめられていました。教室へ入ると、みんなが 「うわ」と言ってさけました。机の上にはチョークで「死ね」とか書かれていて、イスには 「消えろ」と書いてありました。発端は、 ) 、 ししめられていた子をかばったら、私に目が向いた らしいのです。クラス全体も荒れていたから、私はせめていじめをなくそうと思って、その子 をかばったのに、その子は私を裏切って、いじめる側につきました。私はすごく悲しかった。 でも、ここで負けまいとほかのクラスの女子を味方につけました。でも、味方をしてくれた中 にもスハイかいて、私が発言したことを向こうは知っていました。男子には暴力もふるわれま した。でも、親には言いませんでした。心配されたくなかったからです。 いしめ・授業妨害はどんどんエスカレートしていきました。でも、絶対負けるかと毎日学校 へ行き、外見ではヘっちゃらのような顔をしていました。 ある日、学校から帰ると、母が「〇〇さんのお母さんから聞いたわよ。あなたいしめられて いるんだって」と言いました。そして、なんで言わなかったのかとおこられました。私は泣き 泣き今までのことを話しました。その次の日は休日でした。母が私を朝早く起こして、「あん ( 東京・二年・ちゃーこ )
うちの娘で終わりにしてほしい 父 ( 歳 ) の話 小学六年生の千枚通しの事件のとき、校長に抗議して、クラスの保護者会が開かれました。 県の教育庁へ行き、義務教育課の主幹とも話しました。中学へ上がるときに転校させようかと も考えましたが、いしめる子どもたちとクラスを変えてくれるようにお願いして、〇〇中へ入 学しました。クラス替えの配慮はありましたが、い しめはすぐに始まりました。 今年六月に手首を切ったのは知っていましたが、本人には「よそ見してるから、けがするん だぞ。気をつけろよ」なんて言ってました。娘は「包帯巻いて」と言って来ては、「お父さん が一番うまいよ。お母さんはヘただよ」なんて言ってましたよ。 夏休みが終わったころから、私が入試問題の傾向を見て、問題を作って、「これから二人で やっていこう」と始めたばっかりでした。週一、二回、夜。明るく振る舞ってましたよ。こん なことが起こるとは想像もできなかった。何でおれにひとこと言わなかったんだって、ひつぎ にかしりついてました。何で気がついてやれなかったのか、何でこんなことになったのか、真 本カ知りたい。 亡くなる二週間くらい前、ちょ、つど「つなぎノート」に何も書かなくなったころから、娘の 様子が一八〇度変わっちゃった。言葉づかいか投げやりになって、それまで手伝いもしていた
近づきたくないという格好をし始めました。三学期になると、クラスの男子七、八人がするよ うになり、そのうち男子のはとんどと、女子の一部にまで広まりました。 二学期の終わりには、男の子の名前を言って、担任の先生に相談してみました。先生は、直 接その子たちにやったかどうかを聞いたけれど、やっていないと言ったと、私に言いました。 先生にはも、つ相談しませんでした。 いやがらせの中心になっていた女の子 六年生になると、クラス替えで担任の先生がかわり、 たちと七、八人の男子は違うクラスにまとまりました。でも、いやがらせは続きました。廊下 で会うと必す、「ウェ」「オェ」と吐くまねをしたり、私を避けるように上体をそらしたりする のが続きました。一緒に歩いている友だちを引きはなして連れて行かれたりもしました。 通学路や玄関、教室までの階段でその人たちに出会わないかと毎日こわくて、学年全体で集 まるときもすごく不安でした。やめてくれますようにと、お祈りもしました。つらかったけれ ど、自分の苦しみをほかの人に分けてしまうようで両親や先生に相談できませんでした。 実 現 九月に、男の子から服をからかわれたとき、それを知った担任の先生から「ほかに何かある 章んちゃう」と聞かれました。放課後に、吐くまねをされていることなどを話すと、先生は「何 第 かあったら書いて知らせてな」と交換ノートを始めてくれました。でも、その人たちに会わな いよ、フに気をつけていたので、あまり書くことかありませんでした。