おも わらいもちよりもおとうちゃんのほうがおかしいワ、と思っておとうちゃんを見ていた ら、おとうちゃんはきゅうにわらうのをやめた。 わる 「いや、すまん。おとうちゃんが悪かった」 と、おとうちゃんはひとことあやまり、ランニングシャッすがたのまま、表に飛びだし ていった。 ーアマクテオイシイワライモチ ヒンヤリツメタイワライモチハイリマセンカ なんや、やつばり、わらいもちゃンか。 てんじようみあ ばくはくちびるをとがらせると、うでぐみをして天井を見上げた。 そら、〃わらいもち〃を〃あらいい気もち〃とまちがえたンは、おかしかったかもしれ ん。おかしかったかもしれんけど、おとうちゃん、なんであないわらいころげてたンやろ。 しばらくして、おとうちゃんがもどってきた。 あきら 「ほいナ、明」 さしだすおとうちゃんの手に、″わらいもち〃かのっている。たぶん、わらいもちだ。 「あらいい気もちでも、わらいもちでもないデ、これは」 おもてと み
らいしようゆの、イカナゴをたくにおいがまちをすつばりとつつみこむと、もう春だ。 てつだ 去年はじめて、ばくはおかあちゃんのくぎ煮作りを手伝った。おかあちゃんはくぎ煮を いえた 一年分作る。家で食べるのと店にだす分。びつくりするほどたくさん作る。 ゅめきち 夢吉にその話をしたら、 「なんでそんなおもしろそうなこと、ばくにもさせてくれへんかったンや」 ことしゅめきちてつだ といわれ、今年は夢吉も手伝うことになった。 てんかいっぴん ぜっぴん おかあちゃんが作るコロッケは天下一品だけれど、イカナゴのくぎ煮もまた絶品だ。新 子がではじめのころは、まだ小さいので作るのもむずかしい。やわらかく、煮くずれしゃ すこおお ねだんさ すいからだ。まちのおばちゃんたちは、新子がもう少し大きくなって、値段が下がるのを ま てんとうなら 待つ。〈みっちゃん〉のくぎ煮は、店頭に並べるとつぎつぎに売れてい さんがつだいにどようび ひがっこうやす ばくらがイカナゴをたくことになったのは、三月の第二土曜日。この日は学校が休みだ し、新子も大きくなってたきやすいからだ。 あさ ゅめきち ま あさいちばんりよう ぎよせん 朝から夢吉とふたり、そわそわしながら待っていた。朝一番の漁があって、漁船から魚 じゅうじ やちょっこう にようしんこせんど 屋に直行されてくるのが十時ごろ。くぎ煮用の新子は鮮度がいのちだとおかあちゃんは っていた。 いちねんぶんつく きよねん しんこおお はなし に みせ ぶん しんこ にづく 、つ 0 はる に さかな しん 8
第六章ーカバがほしい日 ごごゅめきち げんじっ その日の午後、夢吉かいなくなったのは現実で、もう会うことはできないけれど、ばく のうでにはあとがしつかりときざみこまれていて、波止へ行きたくなった。 しんごう ある かわ ある 信号をわたり、川じりを見ながら歩いた。きのうの夜は、ここをこうやって歩いたんだ。 まえ ゅめきち とっぜん おとうちゃんも夢吉も、突然、ばくの前からいなくなる。きのうはたしかにいたのに、 」よ一つはいよ くろ めまえ 目の前を、黒っほいものがすっとよこぎった。ん ? なんだろう。ツバメだ , きみち おも ゅめきち ツバメだと思ったしゅんかん、来た道をとってかえしていた。今年もまた来たデ、夢吉。 しん・こうあし さきすっく 店ののき先に巣を作るデ、おとうちゃん。信号で足ぶみし、走って家へもどった。 かいだん 階段をだだっとかけ上がり、つくえのひきだしからレンズつきフィルムを取りだした。 いちもくさんと そして一目散に飛びだした。 こくどう ジェイアール あおしんごうみ のガ 1 ド下をぬけて青信号が見える。国道をわたり、川じりを左手に見て走る。 みせ した よる ことし いえ ひだりて みはし
たかしなまさのぶ 高科正信 ウグイスが鳴き、イカナゴのくぎ煮をたくにおいがまちじゅうにただよいはじめる じもとしおやはる こころ はるおとす と、地元塩屋は春です。人びとはこの春の訪れを心からたのしみにしています。魚 やぎようれつ かくち ちじんおく 屋に行列をつくり、一年分のくぎ煮をたき、各地の知人に送ることができると、ほ っとします。ああ、今年もまた春が来てよかった、と。 はんしんあわじだいしんさい はちねん ことしだいしんさい とおとお 阪神淡路大震災から八年がたちました。今年も大震災などなかったように、遠い遠 ひろひろうみ はや い南の国から、広い広い海をわたって、ツバメがやってきました。気の早いものは、 す ごがっ えきまえちい しよ、ってんがい もう巣づくりをはじめています。五月になれば、駅前の小さな商店街は、生まれた こ、つけい おも ばかりのいのちのざわめきであふれることになるでしよう。その光景を思いうかべる こ、つふ′、 だけで、ばくは幸福な気もちになります。 ほんよ せんさく せんせん この本を読んで気がついたひとがいるかもしれません。前作の『ふたご前線』は島 おんな しゅじんこ、つ び ものがたり 田真秀という、ふたごの女の子のかたいつほうが主人公の物語でしたが、『ツバメ日 より・ せんさくと、つじよ、つ しみずあきらしゅじんこうものがたり 和』は、前作に登場した清水明が主人公の物語です。 たいせつおもき あとかき・ : ・おたがいをとても大切に思う気もちをみつめて みなみ ことし いちねんぶん ひと はる さかな 7 04
にがっげじゅんいちねん いちばんさむじき 二月下旬。一年のうちで一番寒い時季だけれど、ああ、もう春はすぐそこまで来ている おも んだなと思わせるような、あたたかな日があったりする。 はなみ 空き地の木たちは根こそぎほりかえされてしまって、二度とウメの花見をすることはで こころま しおや ふゅお きないけれど、塩屋に住むひとたちが冬の終わりを心待ちにしていることがある。 しんこりようかいきん たいちょうにじっ くろ イカナゴの新子漁が解禁されるのだ。イカナゴは体長二十センチほどの魚で、背が黒 あおいろはらぎんはくしよく ほそながさんねんもの つほい青色、腹が銀白色をしている。ャリのように細長く、三年物をフルセと呼んでいる。 ようぎよ たいちょうさんよん そだ じゅうにがっさんらん にがっげじゅん 十二月に産卵し、生まれた幼魚が二月下旬には体長三、四センチに育つ。それを新子 しんこ という。新子をつくだ煮にしたものがイカナゴのくぎ煮。色やかたちがおれ曲がった古く き ぎに似ているところからつけられた名まえだ。 こころそこ きせつ ひと くぎ煮を作る季節がやってくるのを、人びとは心の底からたのしみにしている。新子 りようかいきん しおや あま に◆っ′、 第漁が解禁されて三月になると、塩屋のまちのいたるところでくぎ煮作りがはじまる。甘か 第三章ーくぎ煮作り さんがっ にど いろ はる さかな しんこ しんこ ふる
あきら 「えらいこっちゃ、明」 ゅめきち 「なにえらいこっちゃ、夢吉」 あきら 「そやけど明、ミーちゃんのことなんかようおばえてたナ。ばく、すっかりわすれてた」 おおがねも あんごう 「あ、ああ。ミ 1 ちゃんいうのは、大金持ちのおばあさんのネコやなくて、スパイの暗号 はなし やったンかもしれんなアて話」 「スパイ : : : 力」 ゅめきち ふふ、と夢吉はわらって首をふった。 「ばくとこ、スパイにねらわれてるンや」 「ス、スハイに ? 」 あきらあ こんばん しみず 「明と会えるのも、もう今晩でしまいや。清水くん、長いあいだ、いろいろとお世話に なりました」 わる ゅめきち 「なに悪いじようだんいうてるンや、夢吉」 「じようだんとちがうデ。ま、スパイはちょっと大げさやけどナ」 「やつばりじようだんや」 れんたいほしようにん やまの 「おとうちゃん、山野センタ 1 内のカラオケスナックの連帯保証人になっててナ」 ない おお なが せわ 2
第五章・夜逃げ ってばくにさしだしたンや」 「そうかア。そんなことがあったやなんて、おばえてへんなア」 「どんなことでもそうや。したほうはそのうちわすれるけど、されたほうはいつまでもお わる ばえてる。ええことでも悪いことでも、ナ」 「そんなモンやろか」 こころ あきら 「そのときや。明のこと一生大事にしよ、そう心にきめたンや。おもらしのことなんて、 なんでもないことやった」 ゅめきちた あ 夢吉が立ち上がった。 あ いっしようだいじ おもあきら 「その、一生大事にしょ思た明と、もう二度と会われへんかもしれんのや」 ゅめきち 夢吉のからだが小きざみにふるえだした。 た ゅめきち なら ふゆきせつふう ばくは夢吉のよこに立って並んだ。冬の季節風で、からだのしんまで冷えきっていた。 「一つ一つつ」 な ゅめきち ゅめきちこえ うめくように夢吉の声がもれて、むせび泣きにかわった。夢吉はばくの両うでをつかむ な な と、顔をばくのむねにあずけて泣いた。おえつ、おえつ、おえっと、いつまでも泣きじゃ くった。 かお いっしようだいじ にい」 ひ り・よ A っ
みつ て はな ばくはおかあちゃんに夜逃げのことを手みじかに話し、のこっていたコロッケ三つを夢 、つ きち きやくかんしゃ てんかいっぴん 吉のためにもらった。天下一品でも売れのこることはある。買わなかったお客に感謝。 しん れんらく ゅめきちしおやかえ 「夜逃げがおちついたら、かならず連絡するンやデ。夢吉が塩屋に帰ってくること信じて ま た てんかいっぴん 待ってるからナ。それまで、天下一品コロッケは食べおさめや」 あきら 「おおきに、明」 こえ しようてんがい ゅめきち ひとどお よわよわしい声でいうと、夢吉はきびすをかえし、人通りのまばらな商店街をつつき ゅめきち ゅめきちみ かどま っていった。角を曲がって夢吉が見えなくなっても、ばくは夢吉をじっと見送っていた。 ゅめきち しん あ 部屋へ上がり、べッドのはしにこしかけた。ふうう。夢吉がいなくなるなんて、信じら れない。四年間、ずっといっしょだったのに。 あきら ゅめきちひょうじよう てんじようみ ばんやり天井を見ていたら、「おおきに、明」といった夢吉の表情がうかんできた。 き ちょっとはにかんだなかにもかなしい色がにじんでいて、むねのしめつけられる気もちだ つ」 0 あたた ゅめきち ゅめきちゅび からだに夢吉のあとがのこっていた。両うでには夢吉の指がくいこみ、むねには温かい こうさ ゅめきち ゅめきち なみだがしみこんでしオ 、ゝこ。ばくは夢吉をわすれないよう、両うでを交差させ、夢吉のあと をそっとむねにおしあてた。 よねんかん いろ り・よ、つ り・よ、つ みおく ゅめ 0
第二章・ミーちゃんさがし ゅめきちそうぞう 「夢吉の想像ではナ」 はなあいて 「たったひとり、いや、たった一匹、じぶんの話し相手になってくれるのがネコのミ 1 ち ゃんなんや。ああ、ミーちゃん、おなかがすいたのね。よしよし、マグロのおさしみあげ ましようね。ああ、よしよし」 「マグロのおさしみはないやろ」 かねも 「いや、金持ちのすることはわからんデ。で、おばあさん、どうする ? 」 ゅめきちそうぞう おおがねも 「もし、夢吉の想像どおりやとして、ひとりぐらしで大金持ちのおばあさん、きっと大 よろこ 喜びするナ」 「いンや」 ゅめきち したう 夢吉は、なんにもわかってへんやつやナ、ちちちと舌打ちをして、首をふった。 よろこ 「喜ぶだけとちがう。お礼や、お礼。ボランティアやあらへんデ」 「お礼」 さんじつぶんじゅうまんえん 「なんせ、三十分十万円のセスナ機借りてさがしてるンやデ。ネコ一匹のために。お礼 もたんとはずむにきまってる」 「そうかなア。けど、その、ひとりぐらしで大金持ちのおばあさんのミ 1 ちゃんを見つけ れい いっぴき おおがねも いっぴき み おお
だれ じぶん しゅじんこ、つ ものがたり ものがたり ひとは誰でも、自分の〈物語〉を生きている。そしてその〈物語〉の主人公でも たしゃ しゅじんこ、つ だれ ものがたり ある。誰かにかわって、他者の〈物語〉の主人公になることはできない ー刀 ぜんせん は『ふたご前線』のあとがきでそんなことを書きました。ふたごはそれぞれがかけが ひとり しゅじんこ、つ とうじようじんぶつ えがないし、主人公ではない登場人物たちもまた、一人ひとりかけがえがない。 、刀 しみずあきら ものがたりか ふたごの物語を書いているあいだじゅう、そして書き終えたあとも、ばくは清水明 あきら のことが気になってしかたありませんでした。めったなことではひとと話さない明は 一、も 、刀学ん た ものがたり どんな子どもなのか。友だちはいないのか。語るに足る〈物語〉などないのか : し あきらしまだまほ であまえ わたらいゅめきち ばくは、明が島田真秀と出会う前の、真秀の知らない、渡来夢吉とのかけがえのな あきら めだ ゅ、つじよ、つものがたり おも がっこ、つ ど、つとい、つことのない明 い友情物語を書こうと思いました。学校では目立たない、 ゅめきち たいせつおも と夢吉。そのふたりのあいだに育まれた、おたがいをとても大切に思う気もち。しみ ほんよ お しず じみとした、静かな気もちでみなさんがこの本を読み終えてくださったなら、作者と してうれしいかぎりです。 ものがたりあ ではまたべつの物語で会いましよう 二〇〇三年ツバメ飛ぶ春の日に 0 ねん レ」 はるひ お 0 さくしゃ 0 0 7 0 )