てんかいっぴん - みる会図書館


検索対象: ツバメ日和
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1. ツバメ日和

、つ むつ おかあちゃんはいい、 ケ 1 スから売り物のコロッケを六つ取りだした。ばくは背もたれ よ、つい のない丸イスを用意する。 た 「ばく、おいしいモン食べとうときが一番しあわせやナ」 ゅめきち おばちゃんいただきまアす、と夢吉はいって、しあわせそうにコロッケをひとかじりし ゅめきち 「夢吉くんは、おばちゃんの作るコロッケ、ほんまおいしそうに食べてくれるなア」 てんかいっぴん 「そら、おばちゃんのコロッケは天下一品やもン」 ゅめきち 「夢吉だけはしあわせなやつやデ」 「しあわせしあわせ」 「どれ、おばちゃんもしあわせのコロッケよばれましよ」 ちゃ あっ おかあちゃんは熱いお茶をいれてから、どれどれ、とコロッケに手をのばした。 ゅめきち あじ 「ああ。夢吉くんのいうように、ほっくりとしあわせの味がするナ」 うみしろうま 「おばちゃんとこのコロッケと、ばくとこのまんじゅう、それに、海の白馬のケ 1 キは天 かむてきた 下無敵の食べモンやなア」 ひる じかん 「おおきに。けど、じきにお昼の時間やから、おかわりはないよ」 まる いちばん もの た て せ てん

2. ツバメ日和

みつ て はな ばくはおかあちゃんに夜逃げのことを手みじかに話し、のこっていたコロッケ三つを夢 、つ きち きやくかんしゃ てんかいっぴん 吉のためにもらった。天下一品でも売れのこることはある。買わなかったお客に感謝。 しん れんらく ゅめきちしおやかえ 「夜逃げがおちついたら、かならず連絡するンやデ。夢吉が塩屋に帰ってくること信じて ま た てんかいっぴん 待ってるからナ。それまで、天下一品コロッケは食べおさめや」 あきら 「おおきに、明」 こえ しようてんがい ゅめきち ひとどお よわよわしい声でいうと、夢吉はきびすをかえし、人通りのまばらな商店街をつつき ゅめきち ゅめきちみ かどま っていった。角を曲がって夢吉が見えなくなっても、ばくは夢吉をじっと見送っていた。 ゅめきち しん あ 部屋へ上がり、べッドのはしにこしかけた。ふうう。夢吉がいなくなるなんて、信じら れない。四年間、ずっといっしょだったのに。 あきら ゅめきちひょうじよう てんじようみ ばんやり天井を見ていたら、「おおきに、明」といった夢吉の表情がうかんできた。 き ちょっとはにかんだなかにもかなしい色がにじんでいて、むねのしめつけられる気もちだ つ」 0 あたた ゅめきち ゅめきちゅび からだに夢吉のあとがのこっていた。両うでには夢吉の指がくいこみ、むねには温かい こうさ ゅめきち ゅめきち なみだがしみこんでしオ 、ゝこ。ばくは夢吉をわすれないよう、両うでを交差させ、夢吉のあと をそっとむねにおしあてた。 よねんかん いろ り・よ、つ り・よ、つ みおく ゅめ 0

3. ツバメ日和

みせ 「うん。店にだすくぎ煮、きようはばくらがたくねン」 ゅめきち ばくのかわりに夢吉がこたえた。 はち てんかいっぴん 「おっちゃん、八キロちょうだい。八キロやデ。ばくら、天下一品のくぎ煮作るンやから ゅめきち 益歹士ロはとくいげ - 、こ。 はちご ろくせんななひやくにじゅうえん 一キロいりが八つ。八百円かける八と五パ 1 セントで、六千と七百二十円」 ゅめきちょっ おかあちゃんからあずかってきたお金をきっかりわたし、ばくと夢吉は四つずつを手に みぎて に ひだりて もった。右手に二キロ、左手に二キロ、重い かえ かえ せんど 「さ、はよ帰った、帰った。イカナゴは鮮度がいのち、やデ。おいしいくぎ煮作ってや」 ま こえあいず みせ おっちゃんの声を合図にばくらは店へもどり、待ちかまえていたおかあちゃんに新子の ふくろをわたした。 あきらゆめきち てつど 「ええか、しつかり手伝うてや。明も夢吉くんも」 「まかしといて、おばちゃん」 、つ ゅめきち 夢吉はばんとむねを打った。 どうじ しんこ 新子は二キロずつを大なべ四つで同時にたく。まずはじめに、大ざるにあけた新子を手 いち おお に はっぴやくえん はち かね おも おお につく ) 編っ′、 しんこ しんこ て て 2

4. ツバメ日和

ばや 「あ、やつばり ? ようわかってるワ、おばちゃん」 おと ちよくぜん 「そら。たきあがる直前のにおいと音がしてきた。ふたりともあんじようたのむよ」 りよ、って ゅ ぢや しんけんかお おかあちゃんは両手でもった湯のみ茶わんをひとすすりした。真剣な顔になっている。 しごと かお ばくはこの、仕事をしているときのおかあちゃんの顔がすきだ。 さぎようだい ちょっけいはちじっ たけ みつようい 作業台には、直径八十センチほどの竹ざる四つとうちわが三つ用意してある。おかあ り・よ、って てんち お おお ちゃんはアルミホイルの落としぶたを取り、大なべを両手でつかんだ。くぎ煮の天地をか にじる えし、煮汁をからませてやるのだ。 さい。こ さい′」 「この、最後の最後で失敗したら、どもならんからね」 て おかあちゃんは手ぎわよくなべがえしをした。そして煮汁があと少しになっていること て をたしかめてから、竹ざるにイカナゴをあけた。なべはだについているのはゴムペらで手 と 早くすくい取る。 「さ、これでしつかりあおいでや」 ゅめきち ひろ ふためみつ かぜおく ばくと夢吉は、広げられたイカナゴにうちわの風を送る。二つ目、三つ目、四つ目のな っしょ さんにんい かぜおく べもつづいてあけられ、三人で一所けんめい風を送る。 きゅ、つ癶、 あっ しあ 熱あつのイカナゴを急に冷ますことで、しつかりとした、つやのあるくぎ煮に仕上がる。 たけ しつばい と にじる すこ めよっめ に 8

5. ツバメ日和

こづか ゅめきち 小遣いをもらわないばくは、夢吉にケーキをおごってもらうかわりに、じぶんちのコロ た ゅめきち えきまえしようてんがい ッケを夢吉と食べる。ばくのおかあちゃんは、駅前商店街のはずれにあるおそうざいの 店〈みっちゃん〉をひとりできりもりしている。 ぎよこう はとのぼ はとみなみむ ばくらは漁港の波止に登って、ケーキやコロッケをほおばる。波止は南向きにのび、 ま じがた みぎて あわじしまみ ぜんぼうおきおおさかみなみ の字型に曲がっている。前方沖は大阪の南のはし、右手には淡路島が見える。 うみしろうま しみず てんかいっぴん 「海の白馬のケーキと清水ンちのコロッケは、ほんま、天下一品やなア」 つく やす 「ああ。おかあちゃんの作るコロッケは肉かようけはいってて、ほんま、安うてうまい ゅめきち 夢吉のおっちゃんが作るまんじゅうも、めちゃうまやしナ」 た ゅめきちはとのぼ 夢吉と波止に登り、ケーキやコロッケを食べながらとりとめのない話をするのが、ばく ゅめきち おんじん おも はすきだ。おおげさかもしれないけれど、夢吉はばくのいのちの恩人だと思っている。 一年生になったばかりのことだった。 した おお なか 先生のオルガンにあわせて、「大きなくりの木の下で」をおゅうぎしていた。仲よくあ こうさ うた り . よ、って おも と思った。もうれつにお そびましよと歌い、両手をむねで交差させたとき、しまった ! しつこがしたくなったのだ。 せきせき た げんき がっこう みんな席と席のあいだに立ち、元気よくおゅうぎしている。入学したてで、学校のこ せ せんせい いちねんせい き にゆうがく はなし エル 0

6. ツバメ日和

らいしようゆの、イカナゴをたくにおいがまちをすつばりとつつみこむと、もう春だ。 てつだ 去年はじめて、ばくはおかあちゃんのくぎ煮作りを手伝った。おかあちゃんはくぎ煮を いえた 一年分作る。家で食べるのと店にだす分。びつくりするほどたくさん作る。 ゅめきち 夢吉にその話をしたら、 「なんでそんなおもしろそうなこと、ばくにもさせてくれへんかったンや」 ことしゅめきちてつだ といわれ、今年は夢吉も手伝うことになった。 てんかいっぴん ぜっぴん おかあちゃんが作るコロッケは天下一品だけれど、イカナゴのくぎ煮もまた絶品だ。新 子がではじめのころは、まだ小さいので作るのもむずかしい。やわらかく、煮くずれしゃ すこおお ねだんさ すいからだ。まちのおばちゃんたちは、新子がもう少し大きくなって、値段が下がるのを ま てんとうなら 待つ。〈みっちゃん〉のくぎ煮は、店頭に並べるとつぎつぎに売れてい さんがつだいにどようび ひがっこうやす ばくらがイカナゴをたくことになったのは、三月の第二土曜日。この日は学校が休みだ し、新子も大きくなってたきやすいからだ。 あさ ゅめきち ま あさいちばんりよう ぎよせん 朝から夢吉とふたり、そわそわしながら待っていた。朝一番の漁があって、漁船から魚 じゅうじ やちょっこう にようしんこせんど 屋に直行されてくるのが十時ごろ。くぎ煮用の新子は鮮度がいのちだとおかあちゃんは っていた。 いちねんぶんつく きよねん しんこおお はなし に みせ ぶん しんこ にづく 、つ 0 はる に さかな しん 8

7. ツバメ日和

第五章・夜逃け ゅめきち ゅめきちあ たとえ、夢吉に会える日が二度と来なくても、ばくは夢吉をわすれない。わすれるもの 、つ しおや かえ ゅめきち か。いや、そんなことはない。夢吉はきっと帰ってくる。生まれて育ったこの塩屋のまち こころま ゅめきちかえ てんかいっぴん へ。海の白馬のケーキが、天下一品のコロッケが、夢吉の帰りを心待ちにしている。 ゅめきち ゅめきち はな ゅめきち ひび その日が来るまで、ばくは夢吉との日々をだれにも話さない。夢吉は、ばくだけの夢吉 わたらい たんにん ゅめきちがっこう ひとうぜん つぎの日、当然のことだけど、夢吉は学校に来なかった。担任が「渡来くんは急な事 じようてんこう 情で転校しました」とだけいった。 がっきゅうはんのう こえ ええーっ、なんでー、という声がわずかにあがったきりで、意外なほど学級の反応は おも ゅめきち つめ 冷たかった。夢吉がいあわせたら、どんなふうに思っただろう。 たいおん つく ばくはひとり、その冷たさを両手でおにぎりを作るようにぎゅっとかため、ばくの体温 ゅめきち ゅめきちゅめきち でとかしてやった。夢吉、夢吉。ばくの夢吉。 う りよ、って しカし そだ きゅうじ

8. ツバメ日和

うみしろうま とお 「ああ、あ。ばくはもう、海の白馬のケ 1 キ、二度と食べられへん遠くへ夜逃げするンや。 えいえん てんかいっぴん 天下一品コロッケとも、永遠のわかれや」 ゅめきち 夢吉はひどくがっかりしたようにいった。そのいいカたがやけにおかしくて、そしてむ ねにしみた。 」 , っヤ」っ ネオンサインを身にまとった大型フェリ 1 か、東から西へゆっくりと航行する。 ゅめきち 「なア、夢吉」 はな お ばくは、鼻がツンとするのをこらえてフェリ 1 を目で追った。 き まえ 「前から聞いてみたいことがあったンや」 いちねんせい 「一年生のときの、ほら」 「おもらしのことか」 ゅめきち 「なんで夢吉だけがばくのこと助けてくれたンや」 ま しゅうぎようしき なさ 「スパイは、いや、借金取りは子どもの終業式まで待ってるワなんて、そんな盾けなん かあるかいナ」 み しやっきんと おおがた たす こ にど ひがし め にし

9. ツバメ日和

じかん おと しず やがてそれはえつくえつくというカのない音にかわり、ばくらのまわりには静かな時間 なが だけが流れていた。 てゆめきち ばくは曲げた手で夢吉のかたをだきつづけた。どうやってなぐさめればいいのかわから た ふゅはと ないまま、冬の波止に立ちつくしていた。 ゅめきち じかん どれくらいの時間そうやっていただろう。夢吉はほくのうでから手をはなすと、ようや かおあ く顔を上げた。 あきら ながおみ 「夜でほんまよかったワ。なんば明でも、泣き顔見られるンはテレくさいモンやデ」 「ああ」 かえ ばん 「夜逃げの晩にかせひいたらどもならんよって、帰るワ」 「ああ」 こくどう しんごう ぎよこうなかある ばくらは波止をおり、水銀灯がついた漁港の中を歩き、国道にでた。ここの信号はとに き しんごうま ゅめきち あかなが かく赤が長い。信号待ちをしているあいだ、みように気はずかしくて、ばくは夢吉のほう を見ることができなかった。 ま ゅめきちそと みせかえ 店に帰ると、おかあちゃんが店内のかたつけをしているところだった。夢吉を外で待た せておく。 よる み ま すいぎんとう てんない ちから て 8

10. ツバメ日和

第三章・くき煮作り はしでませかえしても、もう煮くすれることはない。 「こんにちはア」 みせさきこえ と、店先で声がした。 「できたてのイカナゴ、ちょうだい」 きやくてんかいっぴん ししさと一つ しいしょ一つゆとゝ さっそく、お客が天下一品のくぎ煮を買いに来た。本物の、 きやくよ でたいたくぎ煮のにおいが、 お客を呼びよせるのだとおかあちゃんはいう。 ちょっと待っとくれやす。いくらほどごいりよ一つで」 まえ おかあちゃんは前かけで手をふき、くぎ煮をパックにいれ、はかりにかけていく。こう まいにち やって、毎日、おかあちゃんはイカナゴをたき、作りたてのくぎ煮はつぎつぎと売れてい ゅめきちめ ゅめきち ばくは夢吉に目くばせをした。夢吉はだまってうなずき、ばくらはできたてのくぎ煮に こう ゅび いくらでもつまむことができた。 指をのばした。くぎ煮はからくて甘くて香ばしく、 あま ほんもの