人間 - みる会図書館


検索対象: 二つの環境 : いのちは続いている
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1. 二つの環境 : いのちは続いている

病気も減りはじめ、すでにパプア・ニューギニアでははとんど見られない。 せんばいかく 狂牛病の先輩格のヒッジの「スクレイピー」もこれに似ている。 さか しいく イギリスでは産業革命のころから、羊毛産業が盛んになりヒッジが多く飼育されるようにな オいまでもイギリス人の人口 ( 約五九〇〇万人 ) とヒッジの数 ( 約四〇〇〇万頭 ) とはほ きんしんそうかん ゞ一丁われるようにな ば同じだ。あまりに密集して飼育しているうちに、ヒッジの間で近親相姦カ彳 しり・よ、つ かんそう り、また時にはヒッジの骨を乾燥してヒッジの飼料に使うこともあったようだ。 せま 危険が迫っていたのに、人間は気がっかなかった。 けんやく ヒッジやウシを飼育する時に、できるだけ倹約しようとして、人間はヒッジが死ぬとその死 かんそう 骸をリサイクルし始めた。ヒッジの体を粉々にして乾燥し、ウシに与える。ウシを飼う人間と しては死んだ動物を処理するのは大変だから、リサイクルしてもう一度使えるのは好都合だ。 でも、少しおかしい もともと、ウシは草食動物だから放し飼いにしておいてもヒッジの頭をかじったりはしない えさ 仲良く一緒に草を食べる。ところが、人間が死んだヒッジを粉々にして乾燥し、餌の中に混せ ればウシもヒッジとはわからないで、つい食べてしまう。

2. 二つの環境 : いのちは続いている

はんげ , き こうせいぶっしつ 細菌側でも必死に反撃に出る。まだはっきりわかっていないが、どうやら〃どんな抗生物質で もだいじようぶ〃という細菌が出てきた。これが「」だ。その人に体力があれは自分 おとろ のカでを退治できるが、手術をした後などのように体力が衰えているときには、ひと たまりもなくやられてしまう。死ぬ。 でも、人間と細菌の間でこんな「いたちごっこ」が起こるのには、それなりの理由がある。 人類が誕生したのは六〇〇万年前。人類が文明を作り出したのが一万年前。そして、フレミ ングがペニシリンを発見したのはわすか七〇年前である。それまでの長い尸 、人間は自分のカ で細菌と戦ってきた。そしてペニシリンが発見されても最初のころは値段が高かったので、 「これを使わなければ命が危ない ! 」という時だけ使っていた。 ね ところが抗生物質は便利だ。飲めば効く。ちょっとした病気なら栄養をとって、ゆっくり寝 ていれば直るのに抗生物質を飲む。物をドンドン使い捨てるのに慣れてきたので、抗生物質も らんざっ まるで使い捨てるように乱雑に用いられている。それに社会のしくみや人々の気持ちがせちが らくなってきたこともある。 人間はときどき故障するものだ、そんな時はゆっくり休養をとれは良い。でも「熱があって さいきん 0

3. 二つの環境 : いのちは続いている

なバカなまねはしないだろう。楽ができれは楽の方が良いし、面倒なことはいっさいしない方 が合理的だ。 でも、人間は機械ではない。ビックリすることに出会ったら、それを友達や家族に話したく なる。体の痛いときも、さすってもらえば痛さがまぎれる。まして、人を愛すれは別れがつら い。だから愛のない人生は楽だけれど死んだ方が良い かんきよう そんなことは大昔からわかっているのに、環境となると人間はひたすら自分だけが決適な 環境を作り始める。ある土地に人間がやって来ると、まず目に見えない囲いを作る。その囲い は「都市」と呼はれることもあるし、「市街地」と言われることもある。その中には人間しか きげん 入ってはいけないし、動物や植物、そして鉱物が入るためには人間のご機嫌をとり、人間のた めだけに生きなければならない。そうしないとたちまち皆殺しに遭う。 地球上の土地の面積は増えない。だから人間が土地を囲いこめば、それだけ動物の住むとこ ろはなくなる。このようにして、人間が自分たちだけの空間を作り、他の生物との共生をイヤ だといっているので、動物の住むところがどんどん少なくなる。トラはそれに苦しんでいるし、 トキも、バイソンも、イヌも、カナプンもみんな、人間が姿を現せばそこは生き物にとって めんどう 7 02

4. 二つの環境 : いのちは続いている

しらか物は 美しい花、高原の白樺、野に咲くコスモス、畑のキャベッ、どれも命あるもの。そして、人間 は地球とそれらの命あるものの中で生きている。 そして人間はウシや魚、キャベツなどの生き物を捕って食べなければ生きていけない。それ は多くの肉食動物や草食動物と同じである。でも人間だけは少しよけいなことをする。宿題で カプトムシを観察するときはカプトムシをつかまえるし、花ビンに花をいけるときには切花に してさす。花を切って花ビンにかざれば、美しく楽しいけれど、それは何日か楽しませてくれ るだけだ。根から切り離された花は、数日でその命を終わる。 宿題のカプトムシも多分、死ぬ。 そして、生きているのはキャベツやカプトムシのように目に見えるものだけではない。あの だいちょうきん 「細菌」も生きていて人間と一緒にこの地球で生きている。大腸菌は人間の腸で暮らしていて おんけい おそ 人間もその恩恵を受けている。たしかに、細菌の中には人間を「襲う」ものもいるが、決して 「楽しみ」や「宿題」のためにするのではない。 自分たちが生き残るためにしかたなくする。 それはちょうど人間が生き残るためにウシを食べたり、キャベツで栄養のバランスをとること と同じだ。ただ、人間から見ると細菌が体の中で増えてもらうと困るし、ウシにとってみれば、 さいきん

5. 二つの環境 : いのちは続いている

さいきんむていこう 書き換える数」で対抗する。細菌も無抵抗でむざむざ殺されることはない。それが生き物の強 こうせいぶっしつ さであり、どんな天変地異が起こってもそれを乗りこえてきたのだ。人間が抗生物質を使えば 使うほど、細菌は勉強ができ、 ZZ< を書き換えて抗生物質に効かない細菌を登場させる。 人間と細菌は長い間「まあまあ、なあなあ」の関係でやってきたのに、フレミングがペニシ きび きみよ、つ 丿ンを発見してからおたがいの関係は急に厳しい対立関係になった。人間から見れは、奇妙な 細菌が出てきたということになるが、この地球は人間だけのものではない。ヾ ノイソンもトキも そしてブドウ球菌も、みんな命を持っている。一緒に住んでいた人間が急に攻めてくるのだか はんげ・き ら、細菌も反撃しているだけだ。このような例は、身近にも出てきた。 ひがい 最近になって、夏になると小学生やお年寄りが被害にあう「 O—I 五七」という大腸菌が それだ。本来大腸菌は人間と共生している細菌で、人間の役に立つもので毒生はない。が、 きようれつ 「 O—一五七」だけは強烈な毒素を出す。これまで人間と仲良く暮らしていた大腸菌ですら、 人間と一緒に住むのをいやがるようになってきた。そして奇妙なことに、毒を出す O ー一五七 は、森が豊かでピルや自動車が少ない「開発途上国」と呼はれる国には見あたらす、日本のよ かんきよう うに人工的な環境に住んでいる「先進国」の人の中で毒素を出すらしい いっしょ だいちょうきん

6. 二つの環境 : いのちは続いている

電気が必要なら石油を燃やして発電してもらいたいと思うだろう。石油を燃やす火力発電所は、 ばいえん 限りある石油を使い、一一酸化炭素を出し、煤煙で空気をよごすので、付近に住む人間にとって かんきよう は環境に悪い。でも、都市に住んでいない動物や植物、地球にとっては、水力発電のために ダムを作って川をせき止めるのとどっちが良いかと言えは、火力発電にしてはしいと言うだろ 実は人間は全てのものを自然から僴りている。そして人間も自然の一員だから、ジックリ考 えれば、「人間に優しい」とい、つことと「自然に優しい」とい、つことは同じはすだ。この問題 はあとで整理しよう。その前に、人間と自然ではなく、人間と人間の間の環境問題を少し勉強 してみる。 それにはクーラーが教科書になる。 あせ 夏の暑いときクーラーは助かる。汗でベトベトになりやっと家についてクーラーのきいた部 屋に飛びこんだときの快感はたまらない。ヒャーツとした冷気が気持ちよく汗はんだ肌を冷や す。 冷蔵庫に冷たい飲み物でも入っていれはバンザイー はだ 121

7. 二つの環境 : いのちは続いている

の本から ) 」 きゅ、つやく せいてん ユダヤ教の聖典、聖書 ( 普通はキリスト教の呼び方で「旧約聖書」と言われる本 ) の一節 ていこ、つ とその解説である。旧約聖書は特定の宗教の聖典なので抵抗のある人がいるだろうが、歴史的 な物語として読むこともできる。そして、そこに人間の知恵がギッシリと詰まっていることに 驚かされる。 人類が誕生し、一万年前から徐々に文明生活を始めた。そうすると、それまで目立たなかっ た人間の欠点があらわになってきた。人間はそれに苦しみ、苦しみぬいて大きな宗教ができた。 じゅきよう ふく ユダヤ教 ( その後のキリスト教、イスラム教を含む ) 、仏教、儒教などがそれである。 さと / 、の、つ たぐいまれ 何千年の人類の苦悩、それが類稀なる人によって「悟り」という形で語られる。 : 限りある時間の中で生きる人間は、神に似せて作られたといっても、人間だから限界が ある。「その限界を忘れるな」と神は言った。むしろ人間は限界があるのだから、その限界を こ 知り、それを超えないことが、かえって人間を偉大にし、人間らしくするものだ : ひやくじゅう ちょうど、百獣の王、ライオンが偉大なのと同じだ。ライオンは自らの活動の限界を自ら わかっていて、それを守る。王は命令されない。だから自分で自分を制限する。 ふつう 149

8. 二つの環境 : いのちは続いている

も学校に行かなければならない」とか、「今日はテスト」とか、「休むと会社をクピになる」と いうので、てっとり早く抗生物質に頼ってしまう。そうこうしているうちに抗生物質を使いす ぎて、「効かない細菌」か登場してきたというわけだ。 たんさいばう もう一つの理由は、単細胞のえらさである。これは難しいが人間と他の生物の関係を考える ときに重要だ。 レ玉ノ早田・包 糸月 ! 」と叫んで他人をバカにすることがある。細菌の多くは単細胞で、人間のよ うな「高等生物」は多細胞動物だ。細菌と人間を比べるとどうも人間の方がえらいように見え るので、単細胞より多細胞の方がえらいということになる。でも、単細胞の生物にも強みがあ でんし る。は親からもらう遺伝子なので、生まれたあとでは変わらない。 でも子どもを作るときに QZ<< を書き換えることができるので、自分の子どもは、自分より 強くすることもできる。人間は平均すると三十年に一度子どもを作るが、細菌は二〇分に一回、 はんしよく 繁殖する。そのたびに書き換えのチャンスが訪れる。だから、人間が一回書き換える間に、 細菌は八〇万回も書き換えることができるので、進化という点ではとても勝負にならない つまり、人間が「頭脳の力」で抗生物質を作って細菌を殺そうとすれば、細菌は「を たよ

9. 二つの環境 : いのちは続いている

「漠」となる。 最近「砂漠が増えている」と言われている。その砂漠とは「砂が多く作物ができす、人間に 役立たない場所」を指している。確かにそこは生物も少ないが、人間が作った都市より野生動 物は多い。砂の多い砂漠が少しすっ増えているので、人間から見れはそれが「環境問題」と感 じられるが、野性動物から見れば、人間の多い都市こそが砂漠だ。 く 103

10. 二つの環境 : いのちは続いている

人間は動物と一緒に暮らすことができるだろうか ? 科学は何のためにあるのだろうか ? かんきよ、つ 私たちは環境を守り、心豊かな生活を送ることができるのだろうか ? この間題は、この本の最後に考えてみたいと思う。ここでは、まだそこまで考えるためには かんきよう 命は人間だけに与え 準備が不足している。ただ、環境とは人間だけのものではないらしい、 られているものではなく、全ての生物にとって等しく大切なものであること、そして人間だけ が快適な環境の中で、「自然」が苦しんでいるらしいことを知るにとどめたい。