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検索対象: 学問・宗教人物事典
54件見つかりました。

1. 学問・宗教人物事典

髴百科 第①巻スポーツ・芸能人物事 アベべ、ヘップバーン、コロンブス・・・。人生の目標に挑み続け たヒーロー、ヒロインたちの栄光と挫折の生涯。 第②芸術 9 文学人物事 アンデルセン、アンネ = フランク、べートーヴェン、ピカソ・・ 波乱に富んだ人生そのままがドラマであり、魂の叫びが名作と なった。 みる全 5 巻 監修 / 山口昌男 仕様 / A4 判・上製カバー装 各巻平均 52 ページ ( カラー 44 ページ ) 第③産・技術人物事 ′コノ、ノ◆ u¯亠 エジソン、シャネル、ビル = ゲイツ・・・。成功の陰には人知れな い努力と失敗があり、一瞬のひらめきが人類の発展につながる こともあった。 第④巻政渹し人物事島 ガンジー、チンギス = ハン、ヘレン = ケラー、マザー = テレサ 。祖国と人類を愛し続けた一人の人間の強い意志が世界を動 かした。 第⑤・宗教人物事典 キリスト、シュリーマン、キュリー夫人、ファーブル・・・。そこ には、真実を究めようとする子どものころからの深い愛と情熱 があった。

2. 学問・宗教人物事典

げんばくとうか 原爆投下を知ったアインシュタインは「ああ」 ことばうしな とつぶやいたきり、しばらく言葉を失った。 せんげんしよめい にんがくしやひとりゆかわひできかた ラッセルーアインシュタイン宣言に署名した 8 人の学者の 1 人、湯川秀樹と語らう。 にんげんひとみ しんどうひかり かん げんしばくだんそうたいせいりろん と呼びます。人間の瞳はその振動で光を感じる いう情報が入りました。原子爆弾は相対性理論 こうそく ひかりなみ はつあん きようりよく ばくだん せんそう きら のですが、光を光速で追いかけたとき、光の波 をもとに発案された強力な爆弾です。戦争を嫌 せいし とおす ざんぎやく が静止して見えるとすると、通り過ぎることの ったアインシュタインも、ナチスの残虐な行為 しんどうすう はやげんしばくだんかい ない振動数 0 の光は、纛じられなくなってしま を止めるには、ナチスよりも早く原子爆弾を開 かんが かいはっと います。そんなはずはないと考えたアインシュタ 発するしかないと考え、アメリカでの開発に取 こうそく だれ かくしん ばくだんかんせい インは、光速は誰から見ても一定なのだと確信 り組みました。しかし、その爆弾が完成したの もんだいかんがつづ ねん こうふく ねん とうか じっさい しました。そして、この問題を考え続けて 10 年 は 1945 年のドイツ降伏後で、それが実際に投下 こうそく はや いどう せかい 後、光速に近い速さで移動する人から見た世界 されたのは日本だったのです。アインシュタイ こうそく くうかんじかん し、ってし、 ンは、らの理論が数十万人の市民の命を奪う では、光速を一定に保っために、空間や時間が のちぢ とくしゅそうたいせいりろんはっぴょう かな せん 伸び縮みするのだとする特殊相対性理論を発表 結果となったことを悲しみました。そして、戦 ねんいつばんそうたいせいりろん かんせい かがくせんそう はんたい ・つ - つ、 しちよく し、 1915 年に一般相対性理論として完成させた 後は科学の戦争への利用に反対し続け、死の直 じぶんそうたい ぜん てつがくしゃ のです。のちにアインシュタインは、自分が相対 前には、イギリスの哲学者ラッセルとともに核 せいりろんはつけん りゆう はいぜっうった せんげん 性理論を発見した理由をこう語っています。「普 廃絶を訴えるラッセルーアインシュタイン宣言 つうひと わす じかんくう しよめい かくはいぜっ みち 通の人が子どものころに忘れてしまう時間や空 に署名し、核廃絶への道しるべを残しました。 かん ふしぎ おとな 間についての不思議を大人にな かんが っても考えていたから、ほかの ひと もんだい ふか 人よりも深く問題を追究するこ とができたのです。」 だいにじせかいたいせんげんしばくだん 0 第ニ次世界大戦と原子爆弾 ねん 1930 年ころになると、祖国ド ひき イツではヒトラーの率いるナチ せいりよくつよ じんはく スが勢力を強め、ユダヤ人の迫 カゞし、 害を始めました。ユダヤ人で、 へいわしゅぎしゃ 平和主義者だったアインシュタ こうぜんひなん インは、ヒトラーを公然と非難 ねん してドイツを追放され、 1933 年 にアメリカに移住しました。第 にじせかいたいせんはじ 二次世界大戦が始まると、ナチ げんしばくだんかいはつはじ スが原子爆弾の開発を始めたと じようほう はい ひかり ひかり カん かんが はつ いってし、 ちか ひと にほん けっか りよう てんさい すがお 天才アインシュタインの素顔 ついきゅう てんさい せかいじゅうなまえ 天才として世界中に名前を知 られたアインシュタインだった すがお が、その素顔はユーモアを好み、 おんがくあい そぼく けんい 音楽を愛し、権威を嫌う素朴な ひと たの きんじよ 人だった。頼まれれは近所の子 きかがくしゆくだい きやすて どもの幾何学の宿題を気安く手 つだ ぜんもんせいかい 伝い、それも全問正解ではなか てがみ ったという。手紙が好きで、科 がくしゃなかま せかいじゅう 学者仲間をはじめ、世界中の子 みすか てがみ どもたちから届く手紙にも自ら 返事を書いていた。 えんそう バイオリンを演奏する アインシュタイン。 きら はじ とど ついほう へんし いじゅう

3. 学問・宗教人物事典

たんじよう ・シャカの誕生 ほくとうぶ しやか シャカ ( 釈迦 ) は、インド北東部にあったマガ たんじようこ おうこくおうじ ダ王国の王子として生まれました。誕生後間も すくひと なく「人間を古悩から救う人が生まれた」との せんにんおうきゅうおとず おうじ かみ 神のお告げを聞いた仙人が王宮を訪れ、「王子は とうとおし さと ひら やがて悟りを開き、尊い教えを世に広める人に なるだろう。」と言いました。 たいせっそだ たいへんよろこ 王は大変喜び、王子を大切に育てました。上 きぬ いふくつく なっふゆ 等の絹で衣服を作り、夏と冬と雨期とを快適に きゅうでんた すうじゅうにん じじよ 過ごすために 3 つの宮殿を建て、数十人の侍女 を仕えさせ、ぜいたくな食を与えました。し せいかっ なか かし、そんな生活の中でも、シャカは、老いや ころうば にんげん こんげんてき 5 やまい 病、死といった人間の根元的な古しみに心を奪 うつく ものおも われ、物思いに沈みがちでした。やがて美しい おうじよ つま おとこ 王女を妻とし、男の子も生まれましたが、シャカ なや の悩みは深まるばかりでした。 ほだいじゅしたさと ひら ・菩提樹の下で悟りを開く であ ある日、シャカは 1 人の修行僧に出会いまし よ、す ころも しっそ た。質素な衣をまとった僧の落ちついた糅子に しゅぎようそう 心をひかれ、シャカは声をかけました。修行僧 は、占分はすべての欲を捨て、老・病・死の古 さと しゆっけ のう ひら 悩を乗り越えて悟りを開くために出家し、苦行 をしている者だと答えました。らも出家を決 おも 意したシャカは、 29 歳のとき、交や妻子への思 しゅぎようたびで いを断ち切り、 1 人で修行の旅に出ました。 もの シャカは物乞いをしな こうめいふた たび がら旅をし、高名な 2 りせんにんたす おし 人の仙人を訪ねて、教 えを受けました。しか おし し、教えを受けるだけ さと では悟りを開けないと 知り、山林にこもって くぎよう いき 息を止める苦行や長 だんじきおこな い断食を行いまし た。シャカの体はや ほそ せ細り、骨と皮ばか りになりました さと が、それでも悟 りは得られませ んでした。 くきようおこな 苦行を行うシャカ。 ぶつきようひら おういす 王位を捨て、仏教を開いた ( ゴータマ = シッダッタ ) ねん 463 ? ~ 383 ? 年 シャカ ひと ひろ じよう おうじ かいてき ふか しゅぎようそう ひとり ほくとうぶ そくくに インド北東部にあったシャカ族の国マ おうこくおうじ ガダ王国の王子として生まれるが、 29 たいし しゆっ 歳のとき、太子としての地位を捨て、出 しゆきようたびで さまざましゆきようすえ 家して修行の旅に出る。様々な修行の末、 えぶつきようひら さいさと 35 歳で悟りを得て仏教を開いた。すべて むじよう かんが へんか のものは変化するという「無常」の考え おこな よくす に立って、欲を捨て、正しい行いをすれ じゅうきようち ねはん ば、誰もが自由の境地「涅槃」にたどり かわりゆういきふきよう 着けるとして、ガンジス川流域で布教 おこな さい を行い、 80 歳でこの世を去った。 くぎよう さい け さいし ひとり ただ さんりん なが からだ ほねかわ ”ことはのま : ど、 第を第を しゆっけ 【出家】 ぶつもんはい せそくちいせいかっす 世俗の地位や生活を捨てて仏門に入ること。イ いぜん げんし ぶつきよう ンドには、シャカが仏教をおこす以前から原始 さまざましそうも ぶつきようよ しゅうきよう 仏教と呼ばれる宗教があり、様々な思想を持つ しゆきよう しゆきようそうさと もと 修行僧が悟りを求めて修行をつんでいた。 20

4. 学問・宗教人物事典

ぶつりがく であ ・物理学との出会い アインシュタインは ねん 1879 年、ドイツのウル ムに生まれました。 ちちおや 工ンジニアの父親は、 むす すうがく かがく 息子が数学や科学に きようみ よろこ 興味を持っことを喜 びよう び、 5 歳のとき、病 き ね 気で寝ていたアイン シュタインに、方位 むちゅう 磁石の不思議さに夢中になる じしやくあた 磁石を与えました。 アインシュタイン。 アインシュタインは、 ひ かならきた じしやく 何かに引かれるように必ず北を指す磁石の針を み め ちからそんざい み 見て、目には見えないカの存在を知り、曇える こうふんかん ほどの興奮を感じたといいます。そして、その 興味を美わす、物理学の道に進んでいきました。 そうたいせいりろんたんじよう ・相対里論の誕生 ぶつりがくしゃ かんが アインシュタインが、物理学者として考え出 りろんなか もっとじゅうよう した理論の中で最も重要とされるのは、于由の あ そうたいせいりろん しくみを解き明かすもとになる「相対性理論」 りろん じかんくうかんみひと うんどう です。この理論は、時間や空間が見る人の運動 へんか によって変化するというもので、その基本には 「晃は動いている人から見ても、止まっている人 おな はや すす ほうそく から見ても同じ速さで進む」という法則があり ぶったいおな はや お ます。ふつう、動いている物体を同じ速さで追 ぶったいせいし み いかけると物体は静止して見えますが、光の場 ちが ほうそく ねんじつけん 合は違うのです。この法則は 1887 年に実験によ かくにん って確認されましたが、アインシュタインはそ じつけんおこな まえ の実験が行われるよりも前、また 16 歳のときに うそくお ひかり 光を晃速で追いかけたらどう見えるかを考えて み かんが いました。 ひかり やま とおす なみせい 光には山と谷を作りながら通り過ぎる波の性 しつ びようかんとおす かずしんどうすう 質があり、 1 秒間に通り過ぎる山の数を振動数 やさしい相対性理論 せいきさいだいぶつりがくしゃ 20 世紀最大の物理学者 アインシュタイン つ 0 ( アルバート = アインシュタイン ) 1879 ~ 1955 年 も ねん じしやく さ し ふ 4 と す じんりようしん つ ドイツに住むユダヤ人を両親に生ま うっす れ、イタリア、スイスと移り住んた。 26 さい ぶつりがくじようしき 歳のときに、物理学の常識をくつがえす とくしゅそうたいせいりろん はっぴょう げんしりよくりよう 「特殊相対性理論」を発表し、原子力や量 しりきがく げんだいかがくささ さまざまぶんや 子力学など現代科学を支える様々な分野 どだいきず ねんだい の土台を築いた。 1930 年代、ナチスの じんはくがいつよ いじゅう ユダヤ人迫害が強まるとアメリカに移住 けんきゅうつづ だいにじせかいたいせんちゅう し、研究を続ける。第ニ次世界大戦中、 しようりおそ げんしばく ナチスの勝利を恐れ、アメリカの原子爆 だんかいはつきようりよく かくはいぜっ せんご 弾開発に協力したが、戦後は核廃絶を うった へいわうんどうつづ 訴え、平和運動を続けた ーリし 0 きほん み ひかり っく やま ”ことばのまど H 第アインシュタイン・ロマン そうたいせいりろん 【相対性理論】 ぶつりがくきほんりろん じゅうりよくあっか ばあい 物理学の基本理論で、重力を扱わない場合につ しんくうすすこう とくしゅそうたいせいりろん いての「特殊相対性理論」では、真空を進む光 そくど ぶへん じかんくうかんかんれんあ の 速度は不変で、時間や空間は関連し合って伸び ちち じゅうりよくと しめ 縮みすることを示した。のちに、重力を取り入 いつばんそうたいせいりろん はっぴょう れた「一般相対性理論」が発表され、ブラック うちゅうげんしようせつめい りろん ホールなど、宇宙の現象を説明する理論として ちゅうもくあっ 注目を集めた。 イシ 0 タイの - 対性理物 面自い、わかケ ・野公実 :. い はっぴょうとうじ りかい 発表当時、理解できるの せかい すうにん は世界でも数人といわれ なんかいそうたいせいりろん たほど難解な相対性理論 かいせつほんかずおおで 解説本も数多く出ている。 0 4

5. 学問・宗教人物事典

げんそはつけん あたら ・新しい元素の発見 ぶつりがくしゃ さい 27 歳のとき、マリーは物理学者ピエール = であ ねっしんけんきゅう キュリーと出会い、熱心に研究に打ち込 ねんけっこん しせい む姿勢にひかれて 1895 年に結婚しました。 こうせきふく そのころ、鉱石に含まれるウランとい こうせんはな ぶっしつめ う物質が目に見えない光線を放っことか こうせんしようたい はつけん さが 発見されました。光線の正体を探してい とのぞ たマリーは、ウランを取り除いたあとの こうせき ひかりで 鉱石からも光が出ていることに気づきま こうせきひかり はっ べつげんそふく した。鉱石に光を発する別の元素が含ま かんが れているのだと考えたマリーは、ピエー こうせき ルとともに大量の鉱石を砕いては溶かし じようりゆう さぎようつづ じみち て蒸留する地道な作業を続け、ついに新 げんそはつけん 元素を発見しました。これはマリーの祖 国にちなんで「ポロニウム」と名づけら れました。 のぞ ところが、ポロニウムを除いたあとも こうせきひか 鉱石は光っていました。 2 人は 4 年がか ほうしやせいかごうぶっ えんか ちゅう りで放射性化合物「塩化ラジウム」を抽 こうせき しようじゅ ねん 出し、この功績で 1903 年にノーベル賞を受 びようき ちりよう 賞しました。ラジウムには病気の治療な ようと はつけん こうせき ちゅうしゆっぎ どの用途が発見され、鉱石からの抽出技 じゅっか で 術を買いたいという申し出があいつぎま けんきゅう きら したが、研究でもうけることを嫌った 2 ぎじゅっせかい こうひょう 人は、その技術を世界に公表しました。 こうせんひじようゆうがい ぶっしつはな しかし、これらの物質が放つ光線は非常に有害 けんきゅうつづ ほうしやせん な放射線だったので、知らずに研究を続けてい ふたり たいちょうくす た 2 人は、しだいに体調を崩していきました。 はつじよせいかがくしや 0 初の女性科学者として 1906 年、ピエールが交通ま設で亡くなると、 マリーは、その悲しみを研究に向けることで占 ぶんささ 分を支えました。ピエールのあとを継いで女性 はつだいがくきようじゅ じゅんすい 初の大学教授となり、化合物でない純粋なラジ ぶんりせいこう どめ しようカ功や ウムの分離に成功して 2 度目のノーベル賞に輝 いたのです。 だいいちじせかいたいせんちゅう しやしんいりよう 第一次世界大戦中、レントゲン写真の医療へ の応用を思いついたマリーは、占ら危険な戦場 ちりようて せん せかいはつ におもむいて治療に手を貸し、戦後は世界初の かがく じよせいかがくしゃ けんきゅうへいわりよう 女性科学者として、科学の研究と平和利用の訴 こうはんせい - つつ・ ほうしやのうしようがし、 5 えを続けました。後半生は放射能障害に古しみ けんきゅうつづ ねんはつけつびようたお ながらも研究を続け、 1934 年、白血病に倒れて ねんしようがい 66 年の生涯を閉じました。 つ み たいりよう ねん ふたり しゆっ しよう ふた しんげんそさが けんきゅうおこな 研究を行うマリーとピエール。新元素を探すマリー じぶんけんきゅうやす きようりよく のために、ピエールは自分の研究を休んで協力した。 り しようじゅしよう 親子 2 代でノーベル賞を受賞 し あいだ マリーとピエールの間には、イレーヌとエーヴ ふたりむすめう という 2 人の娘が生まれた。工ーヴはピアニストに ちょうじよ りようしんけんきゅうひ なり、長女イレーヌは両親の研究を引き継いで、 おっと じんこうほうしやのう 夫のフレデリック = ジョリオとともに人工放射能を つく せい 作りだすことに成 功し、ノーヘル化 がくしよう 学賞を受賞した。 マリーが亡くなっ よくねん た翌年のことで、 おや キュリー親子にと どめ っては 3 度目のノ しよう ーベル賞となった。 つ じよせい か かごうぶつ じゅしよう な を / か : こを うった ぶたりむすめ みき マリーと 2 人の娘右が′ ひだり イレーヌ、左がエープ。 と 3

6. 学問・宗教人物事典

ほんとうかみおし 0 本当の神の教えを求めて しはいか イエスは、ローマ帝国の支配下にあるユダヤ 人の土地パレスチナに生まれました。このころ ひとびと ていこくあっせい パレスチナの人々はローマ帝国の圧政に苦しん でいましたが、いずれ神の遣わした救世主が睾 かみくに よげん せな「神の国」をつくるというユダヤ教の預言 まのぞ を信じて、その日を待ち望んでいました。しか しさい しんでんぜい しんでん し、ユダヤ教の司祭たちは、神殿税や神殿への しふく かんが ささげもので私腹を肥やすことばかりを考え、 しゅうきようがくしゃ きび 丿つほう 宗教学者たちも、ユダヤ教の厳しい律法を守る かみくに むか 正しい者だけが神の国に迎えられるとして、律 まも まず もの さげす 法を守れない貧しい者たちを蔑んでいました。 いつほう かみほんとうおし かんが ′ヾ - つ 一方、神の本当の教えは別にあるのだと考え ひと よげんしゃ る人もいました。預言者ヨハネは、荒れ野でイ ひとびと 力、し ) ナゴとハチミツだけを食べてくらし、人々に改 さい 心を呼びかけていました。イエスは 30 歳を過ぎ こうや たび たころ、ヨハネの教えを聞くために荒野へと旅 立ちました。 ひとびとかみあいと ・人々に神の愛を説く せんれい ヨハネから洗礼を受け、荒野で古しい修行を かみあい だれうえ びようどうあた つんだイエスは、神の愛は誰の上にも平等に与 ひとびと あい えられるのだと知り、人々にその愛を説きまし ツつほう ばつあた た。律法をやぶれば罰を与えるユダヤ教の厳し かみ ひとすく じあい かみ い神とは異なり、人を救う慈愛の神を説いて、 じゅうじか きゅうせいしゅ 十字架にかけられた救世主 とち イエス = キリスト きよう きげんぜん 紀元前 4 ? ~ 30 ? 年 ねん きよう きよう まも おし ほくぶ すだいく バレスチナ北部のナザレに住む大工ヨ さいす ハネの子として生まれる。 30 歳を過き こうや にちかんしゆきようおこな かみ るころ荒野で 40 日間の修行を行い、神 でしひとびと あいと の愛を知ると、弟子や人々にその愛を説 よく きようし いて歩いた。欲にまみれたユダヤ教の司 さい りつほう こしつ がくしや ひはん 祭や、律法に固執する学者たちを批判し きようしさい て、ユダヤ教の司祭にとらえられ、ロー はんきやくつみじゅうじかけいしょ マ帝国への反逆の罪で十字架刑に処され しご た。死後、その教えは「キリスト教」と せかいじゅうひろ して世界中に広められた。 きよう きび あい ある ていこく きよう 【バレスチナ】 げんざい がわにしがわふくち 現在のイスラエルとヨルダン川の西側を含む地 ほう ていこく 方。イエスが生まれたころにはローマ帝国に支 はい おうこく 配されたユダヤ王国があった。 よげんしや 【預言者】 かみことはった 神の言葉を伝えるために神から選ばれた人。 せんれい 【洗礼】 しんじゃ せいしよくしゃあたま ぎしき みず 信者になるための儀式で、聖職者が頭から水 をそそぐ。 えら かみ ひと せんれい イエスはヨハネから洗礼を受けた。

7. 学問・宗教人物事典

きんだいせいしんいがく 近代精神医学のもとを築いた フロイト きず ( ジクムント = フロイト ) ねん 1856 ~ 1939 年 まず モラビアのフライブルクで、貧しいユ じんしようにんこ ダヤ人商人の子として生まれ、 3 歳でウ いじゅう だいかくてつがく ィーンに移住する。ウィーン大学で哲学 まな いがくてん せいしんいがく を学び、のちに医学に転じて精神医学の けんきゅう ゆめぶんせき せいしんぶんせき 研究に打ち込む。「夢分析」「精神分析」 ほうほう にんげんむいしきせ と呼ばれる方法により人間の無意識の世 かいかいめい じゅうれんそうほう 界を解明し、「自由連想法」と呼はれる せいしんびようちりようほうかんがだ きんだいせい 精神病の治療法を考え出すなど、近代精 しんいがくおお はってん 神医学を大いに発展させた。その後も、 むいしきしんりがく おお ちよしょだ 無意識心理学をもとに多くの著書を出 ぶんがくびじゅっしやかいがく おお し、文学・美術・社会学などにも大きな えいきようあた 影響を与えた。 さい 【ナチス】 ねんせつりつ きよくうせいとうよくねん 1 920 年に設立されたドイツの極右政党。翌年 とうしゅ いらいせいりよくの ヒトラーが党首になって以来勢力を伸ばし、 ねん ないかく はんたいはだん 1933 年ヒトラー内閣をつくると、反対派を弾 あっ じんはくがい ほうりよく しはい 圧し、ユダヤ人を迫害するなど暴力による支配を だいにじせかいたいせん ねん 行い、 1939 年には第ニ次世界大戦をおこした。 朝こ七ばのま : ど 36 ます じんいえ ・貧しいユダヤ人の家に生まれる はじ ジクムント = フロイトは、心の病を初めて解 せいしんかい あらわ きあかした精神科医です。ジクムントが現れる せいしんいがく にんげんせいしん までの精神医学では、人間の精神は、すべて意 ころやまい 識によって生み出されるものであり、心の病も、 かんじやじしん かんが 患者自身のゆがんだ意識が原因でおこると考え られていました。しかし、ジクムントは、すべ にんげん むいしき ての人間には、意識には現れない無意識という ひそ ものが潜んでおり、それによって心の病がおこ かんが ると考えたのです。 ジクムントは、 1856 年、東ヨーロッパの小国 いま モラビア ( 今のチェコ ) のフライプルクで、貧 じんかていちょうなん しいユダヤ人の家庭に長男として生まれ、 3 歳 ちちおや かんけい のとき、羊毛商人である父親の仕事の関係で、 オーストリアのウィーンに引っ越しました。そ つぎつぎおとうといもうとう ははおや の後、次々に弟や妹が生まれましたが、母親は、 おさな りはつ あい 幼いころから利発なジクムントをことのほか愛 せいかっ べんきようべやあた し、貧しい生活にもかかわらず、勉強部屋を与 さいのう えて才能を伸ばそうとしました。そのかいあっ ねんゆうしゅうせいせき て、ジクムントは、 1873 年優秀な成績でウィー にゆうがく ン大学に入学しました。 むいしきせかいよ 0 無意識の世界を読みとく はじてつがく ジクムントは、初め哲学を学びましたが、や ころやまい げんいん あらわ ころやまい ねんひがし しようこく まず さい ようもうしようにん だいがく まな いがくみち がて医学の道へと進路を変えました。医学の研 しんろ けん いがく ることで、患者自身も気づかない無意識を呼び覚まそうとした むいしきよ かんじやじしんき 患者を長椅子に横たわらせるジクムント。患者に自由に語らせ かんじゃ じゅうかた かんじゃながいすよこ とうじ ようになります。ジクムントは、精神病患者を せいしんびようかんじゃ ものと考えられていた精神の世界に関心をもつ かんしん せいしんせかい かんが 究を進めるうちに、当時はまだ複雑で神秘的な ふくざっしんびてき きゅうすす

8. 学問・宗教人物事典

おもさんこうぶんけん 0 主なー 並木雅俊著『アインシュタインと時空の旅』 ( 丸善 ) ェルンスト = カッシーラー著 / 山本義隆訳『アイ ンシュタインの相対性理論』 ( 河出書房新社 ) 寺村輝男著『アフリカのシュバイツアー』 ( 童心社 ) レイチェル = カーソン著 / 上遠恵子訳『海辺生 命のふるさと』 ( 平河出版 ) 大宮信光著『面白いほどよくわかる相対性理論』 論』 ( 精興社 ) 大林辰蔵監修『サイエンスコミック 3 山田大隆著『心にしみる天才の逸話 20 』 ( 講談社 ) 加地伸行著『孔子画伝』 ( 集英社 ) ( 日本文芸社 ) 相対性理 毎日新聞社 藤田美術館 PANA 通信社 東京国立博物館 集英社学芸編集部 国立西洋美術館 京都外国語大学付属図書館 小田原市役所 岩崎宗純 0 協力一覧 きようりよくしゃいちらん えた科学者ダーウイン』 ( 岩波書店 ) スティーヴ = パーカー著 / 八杉龍一訳『世界を変 中沢釜夫著『世界の伝記 18 釈迦』 ( ぎようせい ) た先駆者たち』 ( 教育社 ) 竹内均監修『世界の科学者 100 人未知の扉を開い ゴッホキュリー夫人』 ( 講談社 ) 式馬隆三郎・崎川範行著『世界伝記全集第 8 巻 松原哲明ほか『図説三蔵法師の道』 ( 河出書房新社 ) 植田三郎著『数学を創った人たち』 ( 国土社 ) ( 講談社 ) 三木卓著『少年少女伝記文学館 13 ファープル』 ( 講談社 ) 森禮子著『少年少女伝記文学館 1 イエス』 佐藤一美著『シュリーマン』 ( 講談社 ) で』 ( 宝島社 ) レイチェル = カーソン著 / 上遠恵子訳『潮風の下 グドール自伝チンパンジーの森へ』 ( 地人書館 ) ジェーン = グドール著 / 庄司絵里子訳『ジェーン・ スティーピー = パーカー著 / 百々佑利子訳『世界 を変えた科学者マリー・キュリー』 ( 岩波書店 ) 中野美代子著『中国の英傑 6 三蔵法師』 ( 集英社 ) 『中国の歴史 7 シルクロードの旅』 ( 中央公論社 ) レイチェル = カーソン著『沈黙の春』 ( 新潮社 ) 『伝記世界の偉人 3 キリスト』 ( 中央公論社 ) 『伝記世界の偉人 12 ファープル』 ( 中央公論社 ) ジェームズ = ヘントリー著 / 菊島伊久栄訳『伝記 世界を変えた人々 7 シュバイツアー』 ( 偕成社 ) = バーチ著 / 菊島伊久栄訳『伝記世界 ビバリ を変えた人々 10 パストゥール』 ( 偕成社 ) アンナ = スプロウル著 / 乾侑美子訳『伝記世界 を変えた人々 13 ダーウイン』 ( 偕成社 ) フィオナ = マクドナルド著 / 日暮雅道訳『伝記世 界を変えた人々 19 アインシュタイン』 ( 偕成社 ) 野田彰著『ニュートン』 ( ポプラ社 ) 林達夫編訳『ファープル昆虫と暮らして』 ( 岩 波書店 ) フリーデンタール著 / 笠利尚ほか訳『マルティ ン・ルターの生涯』 ( 新潮社 ) NHK アインシュタイン・プロシェクト『やさしい 相対性理論』 ( 日本放送出版協会 ) ヴィーセ著 / 大塚勇三訳『夢を掘りあてた人』 ( 岩 波書店 ) 森田安一著『ルターの首引き猫』 ( 山川出版社 ) ジンジャー = ワズワース著 / 上遠恵子訳『レイチ ェル = カーソン』 ( 偕成社 ) レイチェル = カーソン著 / 日下実男訳『われらを めぐる海』 ( 早川書房 ) 『 21 世紀こども人物館』 ( 小学館 ) ユニフォトプレス レイチェル・カーソン日本協会 Rachel Carson History Project * 著作権については十分配慮いたしましたが、お気づきの方がいらっしゃいましたら、弊社まで御一報ください。

9. 学問・宗教人物事典

0 もくじ アインシュタイン アルキメテス イエス = キリスト ガリレオ キュリー夫人 げんじよう 玄奘 こうし ジェーン = グドール シャカ シュバイツア シュリーマン ソクラテス ダーウイン ニュートン バスツール ファーブル フロイト マルクス ルター レイチェル = カーソン ふじん はん つか 14 20 22 24 26 28 30 32 34 36 38 40 42 かた アタム = スミス アリストテレス ウェゲナー 工ラスムス コッホ コペルニクス サメンホフ ジェンナー バスカル ハップル バブロフ ハレー もうし 孟子 モンテスキュー リーキー リンネ 総索弓に そうさくいん そうさくいん 0 総索引 ほん ガウス カルバン カント ケインズ しはせん 司馬遷 しゆき デカルト ハーシェル ピタコラス プラトン マホメット メンテル レントゲン 老子 ロック ろうし ぜんかんとうじよう 44 45 ー 46 47 .. 48 じんぶつめい 0 この本の使い方 および現代中国人名については現地音を採用。 ) げんちおんさいよう げんだいちゅうこくじんめい 用し、五十音順に配列してあります。 ( 朝鮮人名 ちょうせんじんめい こじゅうおんじゅんはいれつ よう 0 人物名は、日本でよく使われている呼び方を採 よかたさい つか じんぶつめい 取り上け、巻末にまとめて解説してあります。 あ かいせつ かんまっ と そのほか、同じ分野で活躍した 32 人の人物を にんじんぶつ おなぶんやかつやく イラストとともに紹介してあります。 しようかい な功績を残した人物 20 人を選び、写真やカラー しやしん にんえら こうせきのこ じんぶつ 0 この本では、学問および宗教の分野で特に大き しゅうきようぶんやとくおお ほん がくもん 本シリーズ全 5 巻に登場する人物名 ごじゅうおんじゅんはいれつ そうさくいんもう を五十音順に配列した総索引を設 けてあります。 りかいたす ほんぶんちゅうむずか 理解を助けるため、本文中の難しい かいせつ ことばを解説してあります。

10. 学問・宗教人物事典

・第宀「らい川いゞ い霎いー姦ー 上一、寧に . ド ーし . ツイ 、第をい 第ト、一耳な - ン . ト ~ ト 擘ん。 - ーアーを第些 = 第マ一 ほくせいぶ にんいじようにんぶ おか トルコ北西部にあるヒッサリクの丘は、 100 人以上の人夫によって発掘された。 ゆめはっくつ ・夢を発掘したシュリーマン しきんじゅうぶんあっ 資金が十分に集まると、シュリーマンは事業 さが から手を引いて、トロイ探しに取りかかりまし ミケーネの遺跡から発見され おうこんかめん しんわどうぜん えが た黄金の仮面。シュリーマン た。このころ、神話同然の『イリアス』に描か とうじよう は『イリアスに登場するミ じつざい うたがひとおお れたトロイは、実在さえ疑う人が多く、もし実 おうな ケーネの王の名を取って「ア ざい 在するならばトルコのブナルバシの丘だと学者 ガメムノンの面」と呼んだ たちは言っていました。しかし、『イリアス』を そらんじていたシュリーマンは、その丘では英 なんしゅうまわ 雄たちが何周も回って戦うには大きすぎ、日に なんどみなと おうふく うみとお 何度も港から往復するには海が遠すぎると感じ ものがたり ました。そこで、『イリアス』を信じて、物語 はっくつばしょ おか に合うヒッサリクの丘を発掘場所に決めました。 いせき おか つかさ ヒッサリクの丘は積み重なった 9 つの遺跡か はっくつかいし ねん ねんめ らできていて、発掘開始から 2 年目の 1873 年に きょだいじようへき - つ - つ・ いしだたみじようもんはっ 巨大な城壁が、続いて王宮への石畳、城門が発 きゅう 0 んいちぶ おうごんおうかんくびかざ けん 見され、宮殿の一部からは黄金の王冠や首飾り たからもの でんせつ などの宝物が見つかりました。伝説のトロイを はつけん せんそう 発見したシュリーマンは、さらにトロイ戦争で ほろ さが みやこ トロイを滅ばしたギリシアの都ミケーネを探し、 しんでんたからもの ばち はっくつ しようねんじ 墓地や神殿、宝物などを発掘しました。少年時 だいゆめもつづ でんせつ 代の夢を持ち続けたシュリーマンは、伝説の古 だいぶんめいそんざい しようめい せかい 代文明が存在したことを世界に証明し、考古学 そくせきのこ れきしおお の歴史に大きな足跡を残しました。 い”獰 はっくつ じぎよう はつけん いせき じつ がくしゃ おか めん し、 にほんおとす おか んし、 日本を訪れたシュリーマン おお かん じぎよう はっくつはじ あいだ 事業をやめ、トロイの発掘を始めるまでの間に、 せかいいっしゅうたび とちゅうしようぐんとく シュリーマンは世界一周の旅をして、途中、将軍徳 がわいえもちおさ にほん こうきしん 川家茂が治める日本にも立ち寄っている。好奇心の つよ きものすがたひとびと 強いシュリーマンは、ちょんまげに着物姿の人々 きようみふか かんさつ りようし たの やそのくらしぶりを興味深く観察し、領事に頼みこ がいこくしんけんふつきんし しようぐんぎようれつ んで、外国人の見物が禁止されていた将軍の行列 けんふつ も見物した。ま せんそう た、江戸の浅草 まわ 寺では、コマ回 きよくげい しの曲芸にた かんしん いそう感心し、 ようす それらの様子を ちゅうごく にほん 中国と日本 ほんか という本に書き 残している。 おうきゅう しようぐんとくかわいえもちきようれつ 将軍徳川家茂の行列。 25