坂の上の雲 - みる会図書館


検索対象: 文學界 2016年8月号
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1. 文學界 2016年8月号

カンファ ゥニョ 日本式解釈によると、雲揚号が江華島海域に侵入して以 アの平和にとって深刻な危険となることは確実だという主張 来、日清戦争と不法占領、明成皇后殺害、東学党の乱にお です。 ウルサ ける蜂起軍と義兵の虐殺、乙巳条約 ( 訳者注・第二次日韓 私は読者欄に掲載された右の記事をあらためて問題視する 協約 ) と統監府設置、そして韓国「併合」がすべて合法で つもりはありません。『坂の上の雲』のドラマ化をめぐる韓 あったということになる。だから、過去の歴史に関して謝 国側の認識がよくあらわれているので引用したにすぎません。 罪も賠償もする理由がない。実際に日本の官民は言うまで このコラムは何か新しい主張をしているのではありません。 もなく、知識人の大多数は左右を問わず一九〇五年の日露 既存の言論媒体を通じて言われていることをうまく整理した 戦争まで日本は国際法上間違いを犯していない模範国であ レベルです。話が出たついでに『坂の上の雲』について最近 ったと考えており、日本帝国の犯罪やそれに対する謝罪を どのように言及されているか見てみることにしましよう。 扱うときも、一九三一年の満州侵略以後敗戦までの十五年 右の記事にも出ていますが、韓国人がこの作品のドラマ化 間の戦争行為についてのみそれを適用する。日本の国民的 に敏感に反応するのは、今年三〇一〇年 ) が「韓国併合百 作家である司馬遼太郎の『坂の上の雲』はそのような史観 年」であることと密接な関係があります。 を代表するものである。 司馬遼太郎は日本の国民作家である。彼は自国の歴史的 右の引用文は政治的に正反対の立場にある新聞から引いた な達成と栄光に酔いしれた。それを自らの文学的感受性に ものですが、他のことはどうあれ司馬遼太郎 ( と『坂の上の 溶け込ませた。そして日本の魂と自負心を再生産した。 雲』 ) については確実に意見の一致を見ています。司馬遼太 『坂の上の雲』もそのような作品である。はその小 説を十三部作のドラマにした。昨年十一一月に五話までが放郎は明治日本の栄光を称揚し、日本の帝国主義を擁護する史 観を作った小説家だというのです。事実、このような見解が 送された。 ( 中略 ) いろいろなかたちで生産、流通しているのが韓国の現状です。 『坂の上の雲』の主要な背景は日露戦争 ( 一九〇四 5 一九 このような理解は必ずしも韓国内だけの視角とは限りません。 〇五 ) である。司馬遼太郎にとっては祖国防衛戦争である。 ャンソギル 最近故国を訪れた在日作家・梁石日はインタビュ 1 で次のよ 彼はそれが朝鮮半島への侵略戦争だという事実を否定する。 - フに一一一口ったことかあります。 その基底い日本帝国主義の歴史観がある。司馬遼太郎は 小説において新たな人物を発掘し、英雄を輩出した。 質問者〕あなたの小説は主流から外れ疎外された人たちの

2. 文學界 2016年8月号

うひどくなります。秋山兄弟が正岡子規とともに共有してい た楽天性も、作品の末尾に至ると日本の戦勝とは正反対にば ろばろになってしまいます。弟の真之は戦争の惨禍に大きな ショックを受け、贖罪のために僧侶になろうとし ( 周りの引 き止めによって諦めますが、遺言で息子を僧侶にします ) 、 兄の好古は田舎の中学校の校長として晩年を世捨て人のよう に過ごす。 では、何がその楽天的な雰囲気を壊したのでしようか。単 刀直入に言えば、それは日露戦争という日本の歴史上今まで 経験したことのない戦争のせいだと言えるのですが、『坂の 上の雲』でそれは旅順攻防戦を通してもっとも強烈なかたち で表現されています。事実、この攻防戦の勝敗如何によって 海戦での勝利も決まる状況でした。この攻防戦で日本軍は紆 余曲折の末勝つのですが、その過程での呆然とするほかない 光景 ( それはとてつもない死傷者の数で表現されます ) は、 もはや楽天的でばかりはいられない近代日本の暗い裏面を凝 縮して示しました。この暗い面をまさに全身で体現した存在 が、乃木希典でした。 そのような意味で『坂の上の雲』は、前半部の主人公であ る正岡子規の楽天性が後半部の主人公である乃木希典の悲劇 性にバトンを渡す形をとっていると一言えます。したがって、 この小説は明治時代の楽天性を扱った小説というよりは、そ の消滅を扱った小説だと見るほうがより説得力があるのでは ないか。乃木将軍の悲劇性は正岡子規の楽天性を完全に覆す ほど強力でした。おそらく韓国の平均的読者が乃木の名前を 初めて聞いたのは夏目漱石の『こころ』においてでしよう。 明治天皇が崩御すると天皇を追って殉死した人物として登場 する彼は、その衝撃的な最期のせいで漱石によって明治精神 を象徴する存在としてみなされました。 どんな国にもそれぞれ英雄がいると言われますが、乃木希 典は近代日本人の心に深く刻まれた存在として殉死後には軍 神の位置にまでのばりつめ、太平洋戦争はもちろんのこと敗 戦以後も軍人精神 ( 軍国の精神 ) を象徴する人物として日本 人に尊敬されました。ところがまさにそのために司馬遼太郎 が描く乃木の姿は論議を呼びおこさざるをえません ( 実際乃 木に対する議論は日本で今も続いています ) 。司馬遼太郎は 《乃木ははたして優れた軍人だったのか》という質問を投げ かけ、乃木神話がもつ意味を追跡していくのですが、私の考 えでは、まさにこれが『坂の上の雲』という作品の主題だと 思います。 6 思想と現実ーー乃木希典か伊藤博文か ここで私たちは前にあげたキム・ティクのコラムにしばら く戻る必要があります。彼は小説『坂の上の雲』とドラマ 『坂の上の雲』の相違点を次のように述べています。 ドラマの構成は原作にもとづいているか、い くつかの強 調点が異なる。伊藤博文を主人公の一人にして「愚かなほ どの平和主義者ーとして描こうとするのもそのひとつであ 180

3. 文學界 2016年8月号

( 一九〇四 ) を主な背景とし、十九世紀末から二十世紀初 頭の東アジアの急変する国際情勢における日韓関係を詳細 に描写している。 歴史小説と歴史書は、どちらも史実に基づいて書かれる が、読者も違えば、書き手ー小説家なのか、歴史家なの かーーも異なる。当然、それによって一般国民の歴史意識 に大きな影響を及ばす。また、歴史をどう解釈するか、史 実にどのような価値を与えるかも書き手によって異なる。 司馬遼太郎の死後、歴史小説に内在している彼の歴史観が 研究者によって「司馬史観ーとしてとりあげられ、現在ま で脚光を浴びている。まさにこの司馬史観の集大成が『坂 の上の雲』である。日露戦争の勝利を称揚し、栄光の明治 国家を作った人物たちにスポットライトを当てたフィクシ ョンであり、現在まで約一八〇〇万部売れたベストセラ 1 だ。司馬遼太郎は同書で一八九四年の日清戦争が、朝鮮の 地理的位置が大きな要因となって起ったと主張している。 半島国家という存在が維持しにくいという司馬の理論を、 ドラマは濾過することなく伝えている。また、ロシアが一 九〇〇年に清の「義和団事件」以後満州に駐屯することに より、朝鮮半島の植民地化を積極的に推進したのだが、こ のロシアの危険な南下政策に日本が対抗することで起きた 日露戦争を、司馬遼太郎は「祖国防衛戦争」と呼んでいる。 このような司馬史観を大衆にアピ 1 ルするの企画 意図は次のようなものである。「『坂の上の雲』は明治国民 の一人が少年のような希望を抱いて国家の近代化に邁進し、 国家の存亡がかかった日露戦争を克服した「少年の国、明 治」の物語であり、現代の日本と同じく、新しい価値観の 創造に苦悩し奮闘した明治という時代の精神が生き生きと 描かれている。同作品に込められた明治は、日本がこれか ら進む道を示す大きなヒントをもたらしてくれるに違いな つまり明治の復活というわけだ。富国強兵をスローガン に坂の上の青い空の雲 ( 希望と目標 ) に向かってひとつに なった明治期の日本的精神を、この大衆小説は想起させる のである。明治は日本では領土拡張の時代とみなされてい るが、隣国からは侵略の時代と認識されている。日本国内 では明治の復活が国民に希望を与えてくれるとしても、 我々の耳には苦々しく響く。韓国併合百年を迎える二〇一 〇年に大衆媒体で日本国民を刺激する歴史小説の威力を、 我々は注意深く見守るべきではないか。 む 読 多少長めに引用しました。右の記事でわかるのは大まかに 言ってふたつ。第一に、でその小説をドラマ化するこ を とによりふたたび司馬遼太郎プームか起こっているというこ と。第二に日露戦争を称揚し明治国家を作った人物をクロー 馬 ズアップする『坂の上の雲』を、日本の公共放送である が放送するのは問題があるということです。ここにはもち国 ろん『坂の上の雲』をめぐり形成されている日本の雰囲気が 穏やかでないという立場が表明されています。それは日本の 軍国主義化 ( 右傾化 ) の延長線上にあるように見え、東アジ

4. 文學界 2016年8月号

ま日本の国内外の事情は日露 源的な理由があったろうと推測できるのですが、その理由を いっか滅びる」と言った。い 戦争の勝利の記憶を思い浮かべ、その時のエネルギーを取知るには、先のコラムの次のような文章を注意深く読むだけ で充分です。 り戻さなければならないほど切迫しているのかもしれない しかし日本は戦争の結果として強制合併の国辱を受けてか 日露戦争の勝利はそれ自体としては栄光だったが、日本 ら今年で百年を迎える隣国の立場を少しは慮っているのだ つつ - フ、か をプレ 1 キの利かない帝国主義の道へ突き進ませ、四十年 後に原爆と敗戦を招いたという彼なりの史観のためである。 全体的な論旨は前に扱った文章と大差ありません。しかし、 私が考えるに、全体の論旨のため気づかずに見過ごすこと 他のものには見られなかったいくつかの客観的な事実と、考 がありうるこの部分こそ、私たちの議論でもっとも注目しな えるに値するものをみてとることができます。まず指摘すべ ければならない部分です。もしこれが事実なら、司馬遼太郎 化について。事実、映像 きことは、『坂の上の雲』のドラマ がドラマ化を拒否した理由が、日露戦争を日本の栄光と考え に対する議論はこの小説が出版されてからずっとあった。 なかったからだという推測が可能であるからです。もちろん、 、原作者である司馬遼太郎がそれをずっと固辞してきた と言われます。 特定の面のみを強調すれば、日本の勝利を称揚するものとし て見ることができる面がないではない。しかし、それは細部 この単純な事実は、現在放映中であるドラマ『坂の上の を全体に拡大解釈する誤謬に陥っているのです。 雲』が司馬遼太郎の意向とまったく無関係だということをあ 事実、司馬遼太郎はそのような誤解を予想でもしていたか らためて思い起こさせてくれます。もちろん、は司馬 遼太郎の死後長期にわたる説得の末、著作権者である遺族の のように、他の作品とは違い相当な分量のあとがきを各巻ご 同意を得たのでしようけれど。したがって、次のことを強調す とに付け加えています。しかし、残念なことに韓国では小説 る必要がある。司馬遼太郎に対する評価と、今回のドラマに対 そのものは何度か翻訳されましたが、示し合わせたかのよう にあとがきをすべて省略しています。これからこのあとかき する評価は区別して議論しなければならないということです。 こ , 」で自然と疑問が生じます。彼はなぜドラマ化を拒否し まで含めた『坂の上の雲』を見てみますが、これは作品より たのか。これに対し司馬遼太郎は「ミリタリ 1 趣味で誤解さ 作家の言葉に解釈的優位を置く立場とは無縁です。 れるおそれがあるから」と答えているのですが、この単純な 司馬遼太郎の膨大なエッセイを一警したことのある人なら、 答えを鵜呑みにする人はおそらくいないでしよう。もっと根あとがきに込められた内容が他のものにいろいろなかたちで

5. 文學界 2016年8月号

したというのは合っていますが、その逆 ( 近代戦争が近代文 学の発展に大きく貢献した ) も見方によっては正しい。重要 なのは順序ではなくそれらが互いに 一協力しあうやり方です。 してみると戦争とは、文学的にも ( または思想的にも ) 眺め てみたときにはじめて「戦争」として認識されるものなのか もしれません。それは戦争以前や戦争以後も同じではないか と田 5 います。 たとえば私は以前「近代文学は戦後文学である」と主張し、 日本の場合近代文学の始まりは「日露戦争以後」であると指 摘しました。そして漱石を例にあげて当時日本の文学者が日 露戦争の勝利にどれほど陶酔し鼓舞されていたかも見てみま した。事実日本の近代文学はその勝利感 ( 言い換えれば気 概 ) なしには不可能だったかもしれません。しかし実際にそ れ ( 日露戦争での勝利 ) の意味を問う文学者はほとんどいな かった。もしかするとそれを問わないこと ( 封印すること ) によってのみ可能なのが文学 ( または思想 ) なのかもしれま せん。 私たちは『坂の上の雲』を、まさにそれを正面から問うて いる作品として注目する必要があります。つまり、司馬遼太 郎の関心は「日露戦争」や「日露戦争の勝利」そのものにあ るのではなく、それがもたらした結果にありました。当然そ れは日露戦争に対する評価と直接関係します。日露戦争での 勝利は司馬遼太郎の観点から見たとき、一言で「きわどい勝 利」、「僥倖に近い勝利」にすぎませんでした。しかし日露戦 争が終った後の日本人はその僥倖ないし偶然を能力、必然、 自信に「翻訳」 ( これがまさに「思想」であり「文学」です ) したので、日本全体が痴呆化し半世紀もたたないうちに取り 返すことのできない敗戦に至った。私はこれが『坂の上の 雲』という小説の核心ではないかと思います。 戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようと せず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を 絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、そ の部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として 日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。 やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて 敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。 敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとす れば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などという ものはまことに不可思議なものである。 ここにいたってなぜ彼がドラマ化を拒んだのか推測が可能 になります。おそらく「視覚化」された場合、自分の意図が 歪曲される可能性があると考えたからではないでしようか 文字だけでなる小説でもすでに充分に誤解を招いているのに、 演出家が焦点のあてかたを間違えれば これはジャンルが 転換される過程でよく起こることですー日露戦争を称揚し 国民意識を高揚させるとか「ミリタリ 1 趣味」をあらわす作 品になるという憂慮が大きかったのでしよう。もちろんこの ような誤解の可能性は『坂の上の雲』という作品内に存在す

6. 文學界 2016年8月号

変奏されていることがわかるでしよう。「「旅順から考え る」というェッセイもそのひとつだと言えます。私たちはひ と土 6 、すこのエッセイをと、はロにす・ることにしましょ - フ。 司馬遼太郎はこのエッセイで、日本人にとって旅順は単に 「地名ーというより「思想 ( 用語 ) ーとして受け取られる傾向 かあると、話を切り出します。そう言いなからも少なくとも 自分はそれに抵抗したいと付け加えている。皆さんは「旅 順ーと言えば何を思い浮かべますか。韓国人なら、当然旅順 刑務所が思い出されるでしよう。旅順刑務所はもともとそこ に進駐していたロシアが自分たちに抵抗する中国人を制圧す るために建てたものですが ( 一九〇一 l) 、日露戦争後に日本 が接収し、韓国人、中国人、ロシア人を収監する代表的な監 アンジュングン シンチェホ 獄となりました。周知のとおりここは安重根が殉死し申采浩 が獄死したところでもある。しかし、日本人には旅順は残忍 な刑務所があった場所というより、日露戦争最大の激戦地と して刻印されています。 小説を読んだ ( またはドラマを観た ) 人はご存知でしよう が、『坂の上の雲』には三人の主人公が登場します。日露戦 争を勝利に導くのに大きく貢献した秋山好古・真之兄弟と、 日本の近代詩歌改革に大きく貢献した正岡子規です。しかし、 正岡子規は作品が半分も進まないうちに ( つまり日露戦争が 起こる前に ) 死に、秋山兄弟も日露戦争が始まると、スポッ トライトを浴びる場所から降ろされ、戦争に参与した数多く の人物のなかに埋もれてしまいます。 「わざわざ」意識しないなら、彼ら ( 秋山兄弟、正岡子規 ) が主人公だということさえ見逃すほどです。したがってこの 作品はどの観点から見るかによって主人公が変わる作品だと 言えるのですが、『坂の上の雲』のハイライトを旅順攻防戦 であると見るとき、作品の本当の主人公は悲劇的な人物とし て描写される乃木希典だという主張も可能です。前に日本人 は旅順を思想用語として受け入れる傾向があると言いました が、「旅順の思想」とは具体的に言えば乃木希典の神話化と 結びついていると言えます。 司馬遼太郎の筆を経た人物のうちで今まで最も多くの論難 を呼び起こしているのは乃木将軍です。なぜでしようか。そ れはこの人物をどう評価するかによって日露戦争がもつ意味 そのものが変わるためです。では、司馬遼太郎自身は実際誰 を主人公にしていたのでしようか。秋山兄弟、正岡子規でし ようか。それとも乃木希典でしようか 私たちが二者択一にこだわらなければこの問題は簡単に解 けます。推察するに、最初は秋山兄弟と正岡子規を主人公に む 考えていたのでしよう。しかし、物語が進むにつれ、自然と読 彼らから乃木将軍に関心が移った。秋山兄弟が果たした役割 を ー力か代わりになりえたでしようか これは第一巻のあ とがきで司馬遼太郎自身が言った言葉ですー乃木将軍はそ馬 うではないからです。 人 国 韓 5 『坂の上の雲』の楽天主義とその消滅 司馬遼太郎が誤解される理由のひとつは、彼が明治時代を

7. 文學界 2016年8月号

由を最大限享受しながら『坂の上の雲』は書かれたわけです。 るものでもあります ( 実際中盤部を越えてからは前半とは違 ところが結果的にこの作品は大衆作家という彼の作家的位置 い小説というより戦争ノンフィクションに近づきます ) 。『坂 とは関係なく彼を「国民作家」として屹立させます。 の上の雲』は文学的にはそれほど成功した作品と見ることは できません。後半に行くと話題が戦争の過程に没入しすぎる 8 韓国の国民作家 ? 小説としての安重根 あまり、他のことをすべて放り出しているという感じをぬぐ い去れない。彼の「没入しすぎ」に何らかの底意を探すのは 先述のキム・ティクはコラムを次のように終えています。 もしかすると当然なことかもしれません。 だから前に言及したように司馬遼太郎も単行本を出すたび 日本のある評論家は「民族の物語を記憶できない民族は に長いあとがきをつけて不必要な誤解を遮断しようとしたの いっか減びる」と言った。い ま日本の国内外の事情は日露 でしよう。多くの人はこのあとがきを文学の外的なもの ( 贅 戦争の勝利の記憶を思い浮かべ、その時のエネルギ 1 を取 言 ) とみなしそれほど重要に扱わなかったようです。しかし、 り戻さなければならないほど切迫しているのかもしれない。 私はこれを本文と有機的に結びつくものとして、すなわち小 しかし日本は戦争の結果として強制合併の国辱を受けてか 説の一部として見なければならないと思います。彼にとって ら今年で百年を迎える隣国の立場を少しは慮っているのだ 小説とはこのようなものまで全部含めるジャンルであったか つつ - フカ らです。 む ここで私が注目したいのは「民族の物語」 ( または国民叙読 小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズをつく るほどの厳密さもないことである。小説というものは一般事詩 ) という表現です。近代文学が発達した国の特徴のひと を に、当人もしくは読み手にとって気に入らない作品があり つはその国の国民叙事詩をもっていることだと言えるのです えても、出来そこないというものはありえない。 が ( ロシアの場合は『戦争と平和』、日本の場合は『坂の上馬 の雲』 ) 、韓国にもそのような作品が存在しているでしようか そういう、つまり小説がもっている形式や形態の無定義、 すぐに思いつく『林巨正』と『張吉山』は盗賊小説の枠を大国 非定型ということに安心を置いてこのながい作品を書きは じめた。 きく外れておらず、『土地』は家族史小説という形式に縛ら れており ( 後半に行くほどその関係が緩くなり、そのために また別の問題が発生します ) 、『アリラン』はあまりにも受難 「一般的な意味での文学性」を犠牲にしてまでも、小説的自

8. 文學界 2016年8月号

( 本稿は韓国で二〇一一年に刊行されたジョ・ヨンイル『世界文 学の構造』の結末部第四章「遥か彼方の世界文学ーー司馬遼太郎 とイ・ムニョル」を翻訳し改題したものである。 ) 註 ( 1 ) イ・ボギム「日韓併合百年と『坂の上の雲』」、《ハンギョレ》、 一一〇一〇年七月十六日付、傍点は引用者。 ( 2 ) パク・ボギュン中央日報編集人「『坂の上の雲』以後ーーパク ボギュンの世界探査」、《中央》、第一五七号三 〇一〇年三月十四日 ) 、傍点は引用者。 ( 3 ) ハン・スンドン選任記者「〈日韓併合、無効〉・ : ・ : 鳩山にでき るのか」、《ハンギョレ》、二〇〇九年十一月二十日付、傍点は 引用者。 ( 4 ) 梁石日対談「明るい社会のなかの闇について語りたい。 在日小 説家、梁石日」、《週刊韓国》、二〇一〇年四月七日、傍点は引 用者。 ( 5 ) キム・ドンホ東京特派員「〈ョン様仏壇〉まで登場した韓流」、 《中央日報》、一一〇〇九年十一月二十日付、傍点は引用者。 ( 6 ) 周知の通りこれはイム・フアの「移植文化論」ですが、これの 克服を生涯の課題としたキム・ユンシクさえも最近イム・ファ 側に傾きつつあるという感じがします。聞いたところでは、私 的な席で彼はイム・フアが正しかったと言ったそうです。 ( 7 ) 拙稿「批評と反復」、「韓国文学とその敵』、図書出版、二 〇〇九。 ( 8 ) 拙稿「文学の奇跡ーー松本清張の生と文学」、「松本清張短編傑 作コレクション』 ( 下巻 ) ( ブックスフィア 1 、二〇〇九 ) の解 説。 ( 9 ) とてつもないラブコ 1 ルを受けているにもかかわらず、韓国訪 問を断っているという話です。全世界を股にかける村上春樹が いちばん近い国である韓国 ( アジア ) をなぜ訪問しないのか、 推測が飛び交っていますが、もし彼の言葉どおりに公式的な行 事のようなものに対する拒否感がその理由だとするなら、おそ らく彼は永遠に韓国の地を踏むことはないでしよう。そのよう なものを完全に避けるには有名すぎるからです。したがって、 , 」のまま彼は神話となる可能性が高いと思われます。 ( 川 ) 拙稿「ドン・キホーテと文学少女」、『作家たち』、二〇一〇年 春号。 ⅱ ) 司馬遼太郎「雑感としての『閔妃暗殺』」、『司馬遼太郎が考え たこと』 ( 第十四巻 ) 、新潮文庫、一一〇〇六、一三五頁。 ( ) キム・ティク朝鮮日報論説委員「「万物相』日露戦争百六周年」、 《朝鮮》、一一〇一〇年一一月七日、傍点は引用者。 ( ) 司馬遼太郎「「旅順ーから考える」、「歴史の中の日本』、中公文 庫、一九九四。 ( Ⅱ ) ここは一九四五年にソ連の赤軍が進駐した後、やっと使用中止 決定が下り、一九七一年、復元され展示館として生まれ変わっ た後、一九八八年に中国政府によって国家重点歴史文化財に指 定されました。 信 ) 司馬遼太郎「あとがき一」、『坂の上の雲』 ( 八 ) 、文春文庫、 202

9. 文學界 2016年8月号

生きざまが主をなしています。それには特別な理 由があるのでしようか ここでは日本国民の愛読書である『坂の上の雲』を嫌韓の 代表的な小説であるとまで言及している。このように韓国の 梁石日〕作家は基本的に弱者、抑圧されている人について 考え、知らしめる者です。もちろん、権力を代弁 国内外で流通している言及や議論を見てみると、まるで司馬 こよっねに 遼太郎が日本の最悪な点を集めて凝縮させた化物のように思 する作家もいます。司馬遼太郎の小説 ( ( われてきます。引用しなかった他の記事も大差がありません。 英雄のみが登場するじゃないですか。しかし私は、 ここで次のような問いを投げかけてみることができます。 作家は弱者の生、闇の物語をあらわさねばならな 「はたしてそうだろうか。司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』 いと信じます。私は小説で明るい社会のなかの闇 ( 4 ) について語りたいのです。 は日本帝国主義を合理化する小説であり、いわゆる「司馬史 観ーは日本の軍国主義を裏付けているのだろうか」 ここでも司馬遼太郎は英雄主義的歴史観をもっ作家として 2 日本と韓国のあいだにある島に行きたい ? 言及されている。ある新聞の東京駐在員も次のようなニュ 1 スを打電したことがあります。 長期間日本に滞在し、新聞であれテレビであれ現地の言論 を注意深く見ている人はおそらく知っているでしようが、日 司馬遼太郎は、南下するロシアを牽制するために満州と 本は韓国人も当惑するくらい「北朝鮮関連の言説」が溢れて 朝鮮を日本の影響下に置かなければならず、この外勢から む いる場所です。ほとんど毎日のように目にします。それもと読 日本を守るための自衛策だったと主張する。大日本帝国に ても否定的なかたちで。 よる侵略をこのように合理化した司馬の歴史観はそのまま を 日本の大衆的な歴史認識となったことは言うまでもない。 そのような新聞記事やテレビ番組、そして関連書籍を見て みると、報道の目的が事実の「伝達ーにあるというより、事 同書は日本人がアイデンティティを強烈に自覚し、侵略戦 一口 争に敗退したことに対する恥の意識を拭うのにも大きな役実の「消費ーにあるという感じがします。それは単純な情報 割を果たした。同時に、韓国は取るに足らない国だと認識 として存在するというより、現在の日本社会を構成する核心国 させ、嫌韓論の源流にもなった。日本人最高の愛読書が韓 にある装置のひとっとして作動しているという結論にたどり 着く。日本という国家が北朝鮮によってようやく存在してい 国のイメ 1 ジと文化を貶める役割の先鋒となったのであ る。 ると思われるほどです。

10. 文學界 2016年8月号

史にのみ焦点を合わせた感がないではありません ( たとえそ のようにせざるをえなかったとしても ) 。 しかしこのような状況は私たちの文学的能力とは関係あり ません。国民叙事詩の不在は全国民がひとっとなって戦う 「国家間戦争ーを経なかったことと関連があるからです。韓 国の小説でもっとも頻繁に取り扱われるふたつの戦争 ( 朝鮮 戦争とベトナム戦争 ) は、前者は内戦の性格が強く、後者は 戦争の主体ではなかったという点でどちらも「国民戦争」 くい面がある。韓国近代文学が描く戦争とは、はたし てどんなかたちだっただろうかと自分自身に問いかけてみた ことかあります。そのときふと思い浮かんだのかまさに最近 出たイ・ムニョルの『不滅』だったのですが、興味深いこと に作者は同作品を「国民叙事詩」として書いたと、創作意図 を自ら明らかにしています。 周知のとおりこの小説は安重根を主人公にする歴史小説で すが、この作品で重要なものとして取り上げている時代は 『坂の上の雲』のそれと大体一致します。実際イ・ムニョル は『坂の上の雲』を意識した発言をしていたりもします ( こ の部分についてはもう一度取り上げます ) 。明治維新を通じ て三百年間続いた江戸時代を終息させ、近代化に拍車をかけ ていた日本が、一一度にわたる国民戦争を通じていち早く近代 国家を作り上げながら、朝鮮を植民地にしようとしていた時 期に、地方豪族の一員として生まれた安重根は反乱を起こし た東学軍との戦いの途中で朝鮮政府と高藤を経験し、社会的 盾としてキリスト教を受け入れ、布教に力を入れるようにな り、その途中で愛国啓蒙運動の一環として学校を建てたりし、 国債補償運動にも熱を入れますが、どれもうまくいかないと 見るやウラジオストクに渡り亡命勢力を糾合、国内侵攻作戦 を試みる。しかし、どれも朝鮮の滅亡を防ぐには力不足でし イ・ムニョルはこの作品を通じて韓国人の集団的無意識の なかに生きている安重根を不滅の姿として形象化しようとし たと告白しています。しかし、見方によっては安重根くらい 歴史小説の主人公にしにくい存在もおそらくいないでしよう。 韓国人の無意識に刻まれた彼の名前はすでに歴史的評価を超 越した位相を獲得しているからです。すなわち、彼は日本の 乃木希典のような存在であると言えます。乃木将軍が日本の 軍人精神を象徴する代表的存在ならば、安重根もまた朝鮮の 尚武精神を象徴する代表的存在であるためです ( 李舜臣とと も」 ) 0 、乃木神話が司馬遼太郎によっていちど破壊された後、 今は論難の只中にあるのに対し、安重根は依然として神話的 存在として残っているという点が違うといえば違う。そのた め、両者の比較はいろいろな面で意味があるでしよう。 9 韓国的な、あまりに韓国的な 『不滅』について 一般的に安重根と比較される人物は、彼が暗殺した伊藤博 文です。それはおそらく彼が社会的存在となることができた 理由が、暗殺された人物がまさに彼 ( 伊藤博文 ) だったとい 、、 0