いみちをめぐっては当然、政治闘争が まで上げるために必要な予算と、高齢 て中の人たち」と「静寂な環境で暮ら 繰り広げられる ( 政府の予算をどう使 したい人たち」であって、「国民ー対者への三万円給付に必要な予算はだい しかも困ったこと うか、ある土地を保育所として活用す 「政府」ではない。 たい同じで三千五百億円ぐらいだ。同 るかどうか : : : ) 。その政治闘争は武 じ低所得者への支援なのに、一方はな 、保育所の設置に反対する住民の多 くは高齢者だ。皮らは家にいる時間が かなか予算がっかず、他方はいとも簡力によってなされることもあるが ( た とえば領土をめぐる国と国との争いな 長いので、自宅周辺の環境の問題によ単に予算がついてしまうのはなぜだろ ど ) 、現代では武力以外の手段でなさ うか。答えは簡単で、高齢者への支給 り敏感になってしまうのである。設置 れることか多いそのもっとも重要な のほうが選挙の票になるからである。 された保育園に対して「うるさい ! 」 つまり政治力があるほうに、限りある手段の一つが選挙である。 と文句をいってきたり、火のついたタ かって「コンクリートから人へーと バコを投げるなどの嫌がらせをする人予算は流れていくのである。 いうスローガンを掲げて政権交代を果 政治とはそもそも何だろうか。それ の多くが高齢者だという 。保育所不足 たした政党があった。このスローガン の問題では、「子育て世代」と「高齢は一言でいえば、限りある社会的資源 は一見耳触りのいいものだったが、そ 者」のあいだの世代間対立の図式が明 ( リソ 1 ス ) を誰のためにどのように 使うのかを決めることだ。政府の予算の実態は「現役世代 ( 経済振興政策 ) 確に存在するのである。 欲 から高齢世代 ( 高齢者福祉政策 ) へ」 同じことは、もっと大きな、政府の はその「限りある社会的資源」の典型 て と予算を再分配するためのものであっ である。土地などの不動産もそうであ 予算のレベルでも当てはまる。保育士 考 選挙をナメてはならないのだ。か る。限りあるものである以上、その使 の給与はとても低く、全産業の平均と っての右肩上がりの時代のように、社す 比べて月額で十万円ほど低い。しかし 票 投 会的資源 ( 税収など ) が拡大しつづけ 政府は保育士の処遇改善のための予算限りあるリソースを将来の世代のために 使うには、ますますシビアな政治力の行 る事態は期待できなくなってしまった。の をわずかしかとっていない。一方で、 使が必要 限りあるリソ 1 スを将来の世代のため 低所得高齢者に三万円の給付金を支給 に使うには、ますますシビアな政治カ するという決定はいとも簡単になされ の行使が必要となっているのである。 てしまう。保育士の給与を全産業平均
し」田じ , フ た現代において、すべての要求を満た せる人は、まずいないだろうと思う。 上の質問は、政治学者にいわせれば、 そもそも、民主主義や普通選挙は、 「そんな知識もないのに投票するのかー というレベルのはずだ。しかし政治学知識がない人でも意志決定に参加でき るというコンセプトだ。その前提にあ 者にも、「金融緩和と潜在成長率の関 るのは、政治参加を通じて人間は成長 係について述べなさい」といわれて、 できる、という可能性への信頼である 即答できない人も多いたろう。これま 十九世紀のイギリスでは、無知な民 、経済学者からみれば、「そんな知 衆に参政権など与えるべきではない、 おもないのに投票するのか」のレベル 一定以上の教育を受けた高額納税者に の質問のはずである。 ほかにも、文学者は文学者の、哲学限定するべきだ、という意見が多かっ た。それに対して普通選挙を支持する 者は哲学者の、科学者には科学者の、 「投票するならこれくらいの知識は持側は、参政権を与えなければ民衆は 知・無責任の状態にとどまってしまう、 っていてほしい [ という要求があるだ その方が国家にとって危険である、と ろう。しかし複雑化し、専門化が進ん を 前同作部 区内司 上 枚囲たの 3 齢 員年々なて立画慎い 誌 はれ件誌年 会 / 数まし足企辺さ の浜 く円に行版野だ / 紙たさ条人号 広圓他す発出 のまを 8 る当 6 覧 用ま刊同同番と光夏区内 キ 8 原 3 にれ 話こ義年立画係 - = ~ です ( 賞て家の ( を師 円詰品降さ靉電の羅 7 足企賞 会、、 4 版学 会ま費学け作 る万字作以表刳部名記陽 5 出文一三協い会文設全〒協ペ レ定百表日発場 3 氏明員 を家ムⅧ 家て家を「 規 4 発 1 にの一・ど委郎博刻る先。る家 、ヤ金募説未月誌こピ所な考一和表乍すり鈩べ乍 作し員作賞誌局作一 ジ賞応小の 1 雑。コ住歴選田尾発イ表送貶の当全集会全学刊す務浜全谷ホ ・募正「文季ま事鹿■ ・・・後年人品か略■豊横■銓発■〒 一全作家文学賞 作品募集 2016 年 12 月 31 日 締め切り 0 いう考えを持っていた 彼らによれば、無知な民衆であって も、一票を行使する機会を与えれば、 政治に関心が芽生え、自発的に学ばう とする機運が生まれる。そうした教育 の可能性を、普通選挙支持者は信じて なかには、無知な民衆の投票によっ て政治が乱れるのが心配なら、知的少 数者に複数投票権 ( たとえば五票 ) を という意見もあった。 与えればよい、 それでも、民衆に政治的関心を持たせ、 社会全体のレベルを上げるには、民衆 に参政権を与えるしかないというのが、 彼らの考えだった。 歹 18 歳の君が投票するとき考えて欲しいこと
と、近代日本陸軍の創始者である山県有朋のことです。 る。ドラマでは伊藤は「渾身のカで戦争を回避しようとし ふたりは学問においては同門だったのですが、師匠であっ た明治時代の英雄」である。 た吉田松陰は江戸末期を代表するとても「純度の高い」 ( 司 馬遼太郎の表現 ) 思想家でした。ところが山県有朋は生涯師 韓国人にとって伊藤博文は朝鮮侵略の元凶として絶対悪に 匠に好意を抱いていたのに反して、伊藤はそうではなかった 等しい存在であるため、右のような内容を見ると感情的反応 ( います。思想がない ( 無思想の ) 伊藤が師匠である吉田 か先立ちがちです。そのような反応に理由がないわけではあ りませんが、それにとどまるならば、「我々の中の日本」以松陰には気に入らなかったし、同じ脈絡で伊藤もまたそんな 師匠に共感できなかった。 外の日本を見ることは永遠にできないでしよう。逆に、日本 韓国人の先入観とは異なり、当時日本政府はロシアとの戦 の立場で伊藤博文という人物を見る必要がある。 争にかなり否定的でした。伊藤に代表される現実主義者の政 右のコラムの筆者は、何よりもドラマが原作とは異なり伊 治家たちはロシアに勝っ確率はかなり低く、勝っ可能性のな 藤博文を美化していると批判しているのですが、彼が渾身の い戦争は無意味だと見たからです。伊藤と同じく若いときに 力で戦争を回避しようとしたことだけは明らかな事実であり 四カ国艦隊の長州攻撃を経験した山県も最初は戦争回避論者 ( 彼は裏取引のため高齢にもかかわらずヨーロッパの国々を でした。ところが彼は開戦論者に転向してしまう。これに対 巡る労苦を惜しみませんでした ) 、これは司馬遼太郎が小説 して司馬遼太郎は次のように説明をしています。 で強調している部分でもあります。彼がそれほど戦争を防ご うとしたのは、平和を愛していたからではありません。現実 む しかしやがて開戦論にかたむき、伊藤のような徹底性を読 主義者の伊藤はロシアと戦っては勝算がないと冷静に判断し 欠いていたのは、山県が軍人という戦争稼業の男で、元老 たにすぎませんでした。伊藤が乃木と違い司馬遼太郎から高 になってからでも第一線の功名を夢想するところがあった い評価を受けているのはそのような現実主義的な面です。 馬 ほど本来戦争がきらいではなかったという要素のほかに、 いわゆる「司馬史観」と呼ばれるものがあります。それは 山県は伊藤とおなじ現実主義者でも、伊藤にくらべてみれ 簡単に言えば「合理主義」ないし「現実主義ーに対する強い ば多分に「思想性ーがあったことにもよるであろう。思想国 擁護と関係があるのですが、これは逆に現実を無視 ( 超越 ) 性とは、おおげさなことばである。しかし物事を現実主義 する思想性に対してはかなり批判的だという意味でもありま 的に判断するにあたって、思想性があることは濃いフィル す。彼は第二巻のあとがきで、まさにこの問題を近代日本が タ 1 をかけて物をみるようなものであり、現実というもの 生んだふたりの巨人を比較することで論じている。伊藤博文
プロレタリア作家たちが、マルクス主義という「社会化さ ときに烈しく応酬した。その典型的な人物が中野重治だった。 中野の肩にはいつも彼の文学と共にプロレタリア文学の現在れた思想」を教条的に、あたかも絶対的真実に至る階梯のよ〆 うに語る言説には誤りがあったにせよ、彼らが思想を信じよ と未来が重くのしかかっていた。そんな重荷は下ろしたらど うとしてささげた純、いには見過ごすことはできない何かがあ うか、というのが小林からの呼びかけでもあったのだが同時 る に、その必然を小林は深く理解もしていた。 熾烈な熱情をもって行われた、作家たちの献身ともいうべ き営みは、ほとんど信仰者のそれを思わせる。むしろ、対象 思想が各作家の独特な解釈を許さぬ絶対的な相を帯び が思想であったとしても、そこに帰依とよぶべき態度で臨ん ていた時、そして実はこれこそ社会化した思想の本来の でみなければけっして見えないものがあることを小林は、は 姿なのだが、新興文学者等はその斬新な姿に酔わざるを つきりと感じとっている。「成る程彼等の作品には、後世に 得なかった。当然批評の活動は作品を凌いで、創作指導 残る様な傑作は一つもなかったかも知れない」と書いたあと、 に人た。この時ほど作家達が思想に頼り、理論を 次の一節を続けた。「又彼等の小説に多く登場したものは架 信じて制作しようと努めた事は無かったが、亦この時ほ 空的人間の群れだったかも知れない。併しこれは思想によっ ど作家達が己れの肉体を無視した事もなかった。彼等は、 て歪曲され、理論によって誇張された結果であって、決して 思想の内面化や肉体化を忘れたのではない。内面化した 個人的趣味による失敗乃至は成功の結果ではないのであっ り肉体化したりするのにはあんまり非情に過ぎる思想の 姿に酔ったのであって、この陶酔のなかったところにこ 労働者の日常をどこまでも現実的に描くことを切願した作 の文学運動の意義があった筈はない。 家たちの手から生まれたのは、皮肉にも「架空」の存在だっ ただがそうした現象は個々の作家の力量の欠落に起因する 左翼の文学運動とは畢竟、彼等が信じた非情な思想に酔う のではなく、彼等が皆、プロレタリア文学の理論に忠実であ ことだったと書きながら小林は、プロレタリア文学者たちの ろうとしたためというのである。だが、ここでの「架空」が、 態度を否定しているのではない。陶酔とは小林にとってほと 先にバルザックやジッドを語ったときのそれと同じであるこ んど帰依に等しい言葉だった。真に田 5 想に酔える者でなけれ とを知れば、小林が否定しているのではないことは分かる ば、真に思想を生きることはできないというのは小林の信念 だったといってよ それは宗教的にいえば「教義的」と言い換えてもよいような - わい、 0 よ′、
( 本稿は韓国で二〇一一年に刊行されたジョ・ヨンイル『世界文 学の構造』の結末部第四章「遥か彼方の世界文学ーー司馬遼太郎 とイ・ムニョル」を翻訳し改題したものである。 ) 註 ( 1 ) イ・ボギム「日韓併合百年と『坂の上の雲』」、《ハンギョレ》、 一一〇一〇年七月十六日付、傍点は引用者。 ( 2 ) パク・ボギュン中央日報編集人「『坂の上の雲』以後ーーパク ボギュンの世界探査」、《中央》、第一五七号三 〇一〇年三月十四日 ) 、傍点は引用者。 ( 3 ) ハン・スンドン選任記者「〈日韓併合、無効〉・ : ・ : 鳩山にでき るのか」、《ハンギョレ》、二〇〇九年十一月二十日付、傍点は 引用者。 ( 4 ) 梁石日対談「明るい社会のなかの闇について語りたい。 在日小 説家、梁石日」、《週刊韓国》、二〇一〇年四月七日、傍点は引 用者。 ( 5 ) キム・ドンホ東京特派員「〈ョン様仏壇〉まで登場した韓流」、 《中央日報》、一一〇〇九年十一月二十日付、傍点は引用者。 ( 6 ) 周知の通りこれはイム・フアの「移植文化論」ですが、これの 克服を生涯の課題としたキム・ユンシクさえも最近イム・ファ 側に傾きつつあるという感じがします。聞いたところでは、私 的な席で彼はイム・フアが正しかったと言ったそうです。 ( 7 ) 拙稿「批評と反復」、「韓国文学とその敵』、図書出版、二 〇〇九。 ( 8 ) 拙稿「文学の奇跡ーー松本清張の生と文学」、「松本清張短編傑 作コレクション』 ( 下巻 ) ( ブックスフィア 1 、二〇〇九 ) の解 説。 ( 9 ) とてつもないラブコ 1 ルを受けているにもかかわらず、韓国訪 問を断っているという話です。全世界を股にかける村上春樹が いちばん近い国である韓国 ( アジア ) をなぜ訪問しないのか、 推測が飛び交っていますが、もし彼の言葉どおりに公式的な行 事のようなものに対する拒否感がその理由だとするなら、おそ らく彼は永遠に韓国の地を踏むことはないでしよう。そのよう なものを完全に避けるには有名すぎるからです。したがって、 , 」のまま彼は神話となる可能性が高いと思われます。 ( 川 ) 拙稿「ドン・キホーテと文学少女」、『作家たち』、二〇一〇年 春号。 ⅱ ) 司馬遼太郎「雑感としての『閔妃暗殺』」、『司馬遼太郎が考え たこと』 ( 第十四巻 ) 、新潮文庫、一一〇〇六、一三五頁。 ( ) キム・ティク朝鮮日報論説委員「「万物相』日露戦争百六周年」、 《朝鮮》、一一〇一〇年一一月七日、傍点は引用者。 ( ) 司馬遼太郎「「旅順ーから考える」、「歴史の中の日本』、中公文 庫、一九九四。 ( Ⅱ ) ここは一九四五年にソ連の赤軍が進駐した後、やっと使用中止 決定が下り、一九七一年、復元され展示館として生まれ変わっ た後、一九八八年に中国政府によって国家重点歴史文化財に指 定されました。 信 ) 司馬遼太郎「あとがき一」、『坂の上の雲』 ( 八 ) 、文春文庫、 202
べケットの映画、ドウルーズの映画 大山載吉 小説、演劇、ラジオ、テレビなど様々なジャンル日メディ まうのと同じように、どうやっても追放できない「自分を見 アで作品を創作したサミュエル・べケットが、映画のために るもう一人の自分」が存在の担保となってしまうということ である 書いた唯一のシナリオが『フィルム』である。「存在スルコ 、哲学 この「見る自分と見られる自分」の二重構造を表現するの 、知覚サレルコトデアル」 (Esseestpe 「 cipi) という 者バ 1 クリ 1 の有名なテ 1 ゼが冒頭に付されたこの作品のシ に、映画ほど適した表現メディアもないだろう。キャメラは、 ナリオは、主人公のバスター・キートン ( Ⅱ対象 0 ) が、追 対象 0 の逃走を運動それ自体において捉えながら、自らも追 跡者であるキャメラの目 (=æ) からひたすら逃れようとす 跡し、絶えず視野に捉えることで対象を「存在ーに磔にする るプロセスを描いている。 O にとって、知覚されること " 存 ことができるからである。実際、キャメラ追跡者の正体 在することは苦痛でしかない。それゆえ、 O はからの逃走 は、「外的な第三者ではなく、一実は自己である」 ( 『べケット戯 の途上で、自らを知覚する他者や動物、さらには事物など周 曲全集 3 』 ) のだ。このことは、映画の終わりに、揺り椅子 囲の存在者からの視線を敏感に感じ取ってはそれらを消去し でまどろむ O がによってついに正面から捉えられ、を見 て、 しく。しかし、これは実現不可能な試みである。というの る O の視点から映し出される映像がまさに O と同じバスタ も、どんなに外部からの視線を遮ったとしても、自己を知覚 ・キートンの顔であることから判明する。 O は、「顔を手 する自己によって当の自己は知覚されてしまうからだ。それ に埋め、首をうなだれて、ゆっくり揺れながら、すわってい は、デカルトの「我思う、ゆえに我在りの「思う我」 ( コ る。カメラそのまま。椅子の揺れが徐々に静止に近づく」 ギト ) がその存在 ( 「存在する我」 ) を否応なしに保証してし ( 同 ) 。シナリオでは直接的に書かれていないが、映像では O 2 . り . っ・
つ、」 0 わずか数行ですが、ここで私たちは誤謬を五つ取り出すこ とができます。 ( 一 ) まず叙述者は「「松下政経塾」として知 られる松下村塾」という表現を使っていますが、最近有名政 治家と財界人を多数輩出することで有名になった松下政経塾 は松下電器産業の創業者であり「経営の神様」と呼ばれる松 下幸之助 ( 一八九四ー一九八九 ) が一九七九年に設立した人 材養成所であり、百年も前に設立された松下村塾とは何の関 係もありません。 ( 一 l) また彼は「松下村塾は日本開国派の 先駆者である吉田松陰が建てた私塾であり」と書いています が、松下村塾は吉田松陰の叔父であった玉木文之進が設立し た ( 一八四一 l) 私塾であり、吉田松陰も幼い頃ここで学びま した。もちろん以後彼がそこを引き継いで優秀な人材を多く 輩出したのは事実ですが ( ただ安政の大獄で処刑されたので 彼が実質的に運営した時期はほんの一年間 ( 一八五七ー一八 五八 ) にすぎない ) 、彼が建てたとむやみに言うのは事実と 大きくはずれていると言えます。 また彼は吉田松陰が松下村塾で蘭学 ( オランダ語 ) と英語 をはじめとする西洋文物について教えたと一言うのですが、 ( 三 ) まず「蘭学」とは彼が補足説明するように「オランダ 語」を指すのではなく、江戸時代にオランダを通じて入って きた西洋の文化や技術を研究する学問を指すものであり、事 実上「洋学ーに近い意味でした。それが当時「蘭学」と呼ば れたのは、江戸幕府が布教をしないオランダにのみ制限的に 交易を許可してー強力な鎖国政策が維持されていた時期で したーオランダが事実上西洋文物に接する唯一の通路だっ たからです。 そして ( 四 ) 吉田松陰が師匠である佐久間象山に蘭学を学 んだのは事実ですが、条件上彼がオランダ語や英語を他人に 教えるほどであったとは考えにくく、松下村塾が有名になっ たのは単純に西洋文物を教えたからというよりは、師匠が一 方的に弟子に教えるのではなく弟子と師匠がともに意見を交 わすという教育方針をとっただけでなく、知識伝授以外の授 業や登山をともにすることにより「生きた学問」を志向した 点にあります。 またイ・ムニョルは ( 五 ) 「伊藤は吉田松陰を尊敬し、松 陰からも寵愛され」たと書いているのですが、前に司馬遼太 郎が言及したように思想家というよりは現実主義者であった 伊藤は師匠の吉田松陰からにらまれており、伊藤もまた師匠 をそれほど尊敬していませんでした。このようにそれほど長 くない分量で五つもの誤謬が見いだせます。この間違いは意読 図的なものでしようか。でなければ単純な手違いでしようか を 周知のとおりこの小説は《朝鮮日報》に連載されたものです。 多くの読者や、編集者によって本になる前に修正する機会が 一口 あったのに、それがまったくなされなかったのはひょっとしは て近代日本の巨人伊藤博文によって安重根の存在感が薄まら国 ないように私たち全員が自動的に ( 無意識的に ) 没理解とい う機制を作動させたからではないでしようか ここで浮かぶもうひとつの疑問は、次のようなものです。
の計量をあやまりやすい。ときに計量すら否定し、「た う。興味深いことに開戦論の震源地は一般大衆とマスコミ、 え現実はそうあってもこうあるべきだ」という側にかたむ 大学と在野の政治家であり、後に軍隊が同調するかたちを帯 きやすい。芸術にとって日常的に必要なこのフィルタ 1 は、 びました。学習効果とは本当に恐ろしいものです。すでに日 政治の場ではときにそれを前進させる刺戟剤や発芽剤の役 清戦争時に得た莫大な賠償金 ( 受け取った賠償額は当時の日 割をはたすことがあっても、ときに政治そのものをほろば 本政府の国家予算の四・五倍でした ) で社会基盤施設が整備 ( 絽 ) してしまう危険性がある。 され、鉄鋼産業が育成されるのを見た当時の民衆は、漠然と 戦争が好況をもたらしてくれるという期待をもつようになり、 司馬遼太郎にとって思想性や芸術性は現実政治で必ず拒否 日清戦争をきっかけにとてつもなく成長したマスコミ ( 今は しなければならないものとして提示されているのですが、そ 反保守メディアに分類される《朝日新聞》がこのとき大きな れは多くの場合信念 ( 当為 ) を立てて現実を無視する傾向が 役割を果たしました ) がこのような雰囲気を確信させるのに 存在するからです。ここではっきりわかっていることは、司 決定的に寄与し、時代の流れを追っていた知識人もまたこれ 馬遼太郎が数多くの難関を克服し日本が日露戦争を勝利に導 に積極的に加担しました。いわゆる「七博士」は開戦を促す いたことについてはある程度肯定的な評価を下しているもの ため政府を訪問し、在野の政治家も個別的に政府の要人と接 の、それ以上に日露戦争そのものが無謀だったという点を強 触し開戦の必要性を強調しました。 調し続けているということです。言い換えれば、彼が見るに これに関して伊藤博文は自分を訪ねてきた在野の政治家に 開戦論者は現実を無視した判断で国民を塗炭の苦しみにおい 「私は諸君の名論卓説よりも、大砲の数に相談しているのだ」 やった「思想的人物」であるというわけです ( 幸いなことに と言い、当時の首相であった桂太郎は銃を一度も撃ったこと 勝ちはしましたが ) 。彼が小説でそのような思想と戦う伊藤 のないくせに戦略戦術を云々し「いまが開戦の適期」だと主 の行跡を比較的詳しく描写したのは、それに対する批判だと 張した七博士をからかいました ( ちなみに、桂太郎は陸軍大 言えます。 将でした ) 。しかし、大勢はすでに現実主義者がどうこうで きないほどに傾いていました。 7 日露戦争の起源と国民物語の誕生 日本人は国民的気分のなかで戦争へ傾斜した。これら政 ここで生じうる疑問は、ロシアとの戦争に対して一貫して 府側の避戦論もしくは自重論者が結局は開戦の決議者にな 否定的であった日本政府がなぜ戦争をしたのかにあるでしょ 戦争の運営者になるのだが、かれらにとってやりやす 182
気になるシャルレだが、彼女はすぐっれない態度をとる。彼 女の曖味な態度にいらっくシャルレは、彼に会いに来たユゲ ットと舞台装置のなかで戯れのキスをする。だが瓢簟から駒 というべきか、ふたりは本気になり、シャルレは想いを遂げ ようと、パリ市中のマラケ河岸にある、ファラデルの独身者 用アパルトマンを借りようとする。ファラデルによれば、ア パルトマンは今月限りで他の者に明け渡さねばならないか、 まだ一日残っているので大丈夫だということ ( ところが、次 の入居者というのが、なんとエリックであり、しかも彼は、 コール ) に一日早く金を渡 管理人のフォワン夫人 ( ダリ 1 ・ このことが次幕での大混乱 しさっさと入居を決めてしまい を生む ) 。ところで、その頃ジョルジュも、エリックがかっ てプ 1 マイヤックというフランス人女性と結婚していたこと を知り、妻のかっての姓と同一であることから、にわかに妻 の身持ちが心配になり出していた。劇は大団円に向け、風雲 急を告げてくる。 第三幕。マラケ河岸のアパルトマンで密会したシャルレと ュゲットは、寝室に入るが、ユゲットが初体験で緊張してい るせいか、なかなかうまく事が進まないようす。そのうち、 新入居者のエリックが居間に入って来る。そこへジョルジュ が、妻との関係を彼に問い詰めるため訪ねてくるが、ジルべ ルトの元夫は少し頭を冷やしてこいと現夫を散歩に追いだす。 そのあいたに、 今度はジルベルトとアルレットがエリックを 訪れ、口止めを巡って押し問答をしているところにジョルジ ュが戻ってきて、こともあろうに妻を発見した彼は、エリッ クとジルベルトの関係を詰問する。ここで機転を利かせたア ルレットが、じつは自分が、エリックと一時結婚していたプ 1 マイヤックという名のフランス人女性だと言いだし、ジョ ルジュはそれなら証拠に唇に接吻して見ろと言い放つ。エリ ックはじつは、少年時代に女教師から接吻されてから、唇へ の接吻を憎悪し避け続けてきた ( フランス語原題の「唇は駄 目よ」の由来 ) のだが、アルレットと唇を合わせると、その 甘美な味わいに狂喜し、彼女と結婚 ( ジョルジュへの話のう えでは再婚 ) すると言いだす。シャルレとユゲットもやっと 思いを遂げることかでき、ジョルジュとジルベルトの仲も元 のさやに収まり、一同が上機嫌でマラケ河岸を去るところで 幕。 このオペレッタの映画化は、予定されていたプロジェクト ( 燔 ) がご破算になったため急きょ代換案として浮上したらしい だが、オペラへの憧れは、監督としての最初期からレネのう ちに存在した。一九五九年の時点 ( まさに長編デビュ 1 作映 『ヒロシマ・モナムール』公開時点 ) で、彼は以下のように喇 開 言明している 「私は芝居をやりたい faire ( h 冐のです : ・だがとりわけ、戯曲の伝統的構造、いわゆる芝居の心理者 他 的なトーンには抗いたいという思いかあります。私が実現し たいのは : : : ある種の音楽的なトーンを再発見すること、実 際にはオペラに行き着くことなのです」。レネは『巴里の恋 アラン・レネ試論
となげいたことがある。選挙は敗れた りを知っているとか、親に頼まれたが、 方にはつねに不満がのこる。それでも ほかに応援したい矣補者かいるという のなら、気にしないで「しがらみ」は 「変な声も天の声」と納得させる選挙 でなければならない。 断ち切ってよ いたれがだれに投票し たのか、現行の選挙制度はわからない 不満はあっても不正はない ようになっている。投票用紙に自分の 職選挙は徹底してそうあらねばならな 名前は書かなくていいのだ。憲法でき 有権者は清き一票を投じ、公正な ちんと定められた秘密選挙である。し 選挙がおこなわれなければならないの がらみ関係者には「ちゃんと投票した 権力をだれにゆだねるのか、一大 よ」と嘘をつけばよい。 事である。権力の本質は暴力であり、 危うさはつねにつきまとう。有権者と 投票所で投票用紙を手にしたとき、 わたしたちは完全に自由になる。だれ は神聖な大役なのだ。良心にしたがっ にもじや土されることはない。 熱烈な て内なる「天の声」に耳をすまそう。 支持政党があれば決断がゆらぐことは 私利私欲が渦まく世の中において、 ないが、確固とした信念がなければ、 清き一票はけっこうむずかしい。金品 で票のとりまとめなどをおこなった罪自分のなかから「変な声」が聞こえて くることかある。なぜ自分はこのひと 選 で逮捕される者はあとを絶たない。 挙違反は言語道断としても「しがら 自分のなかの「変な声」にまどわされる み」というものがある。会社ぐるみの ことなく「天の声」をしぼりだすしかな 選挙とか、親類縁者が立候補とか。べ つに違法ではない。い っしょに応援し たいと思うならすなおに一票を投じれ ばいい。こだ社長と裏社会とのつなか に投票するのかー、有名人やタレン ト候補者で、テレビで顔をよく見てい て、なんとなく親しみを感じているだ けではないか、小学校のときの恩師で はあるが実は政策もなにも知らないと か、迷いはじめたらめんどうだ。自分 の空虚さに追いつめられ、なにも書か ないまま投票したり、思いは千々に乱 れて「すみませんでした」とか「ドラ えもん」とか「悪党」などと書くひと もいる。白票も他事記載も無効票とな る。「変な声」にまどわされることな 「天の声」をしばりだすしかない。 選挙速報を見ながらばうぜんとなる だろう。何万票、何十万票もの得票数。欲 「わたし」がだんだんうすめられてい 考 得票数の末尾の「 1 」にちらちら とわたしの幻がうかぶだけでなんとなす ′、 , フれし 、無名の有権者の力は それくらい微力だ。選挙後、「変な声」の の一票を投じてしまったと悔やんだり してもとりかえしはつかない。 そんなときには次の選挙までねちっ