助手席 - みる会図書館


検索対象: 海で見つけたこと
154件見つかりました。

1. 海で見つけたこと

「おう、じゃないよ。どしたん。」 とうさんは目やにのついた目をまぶしそうに細めて、手のひらでごしごしこすった。男にして は細くて美しかった手もなんだかうすよごれている 「家に行ったらだれもおらんかったけえ、ここで待っとった。乗れ。」 な じよしゅせき こうぶざせき 助手席の荷物を後部座席にほうり投げた。 「なんで。」 「おまえらに絶交きられたら、と、つさん、生きていけん。リンリンを捜しにいく 「うそー 「はよせえ。日が暮れる。」 「わかったー ショートパンツなんてど、つでもいい りこんだ。 ごがん 「護岸の道へまわって。よしひろにいっていく。」 なにもいわずに、と、つさんは大きくハンドルをきった。 「よしひろー、よしひろ 1 。」 うつく に、もっ ぜっこ、つ じよしゅせきがわ わたしは助手席側にまわるのももどかしく、車にころか ま 0 の さカ ノ 43

2. 海で見つけたこと

「こっから先は、ふたりで行け。」 じよしゅせきがわ おおいかぶさるよ、つに、とうさんが助手席側のドアをあけた。いきなりちぎれるよ、つに外にひっ しお まえがみ ばられて、風がうずをまいて車になだれこんできた。潮のにおいのするしめった風。前髪がべた はなさき やすもの せいはつりよう りとおでこにはりついた。汗と安物の整髪料のまざったとうさんのにおいが鼻先をよぎる。いっ びこ、つ しお もだったら大つきらいなにおい。なのに大きく息をすう。鼻腔いつばいに広がった潮の香りに、 むせそうになった。 わたしは左足を一歩、車の外にふみだした。お気に入りの黒いスカートがパタバタ風にひるが える。 「行くよ、よしひろ。」 なつのね 夏音 あせ かお

3. 海で見つけたこと

返事はない。 「おい、よしひろ。」 とうさんか腕をのばして、後部座席でリンリンにだきついて丸まっているよしひろを、やさし くゆすった。寝てるんじゃない。さっきまであんなにはしゃいでたんだもん、寝てるわけない。 みひら かん リンリンもなにかを感じたのか、大きく目を見開いてじっと動かずにいた。 じよしゅせき わたしは、のろのろと助手席の足もとからリュックサックをひつばりだした。重くて持ちあが らない。そのあいだも、風はゴ 1 ゴーとうなりながら背中をおしつづける。そのままおされたふ りをして、シ 1 トにたおれこんでしまいたかった。よしひろみたいに丸まって、ダンゴムシにな 「と、つさん : : : 。」 どうしても行かんといけんの ? 目だけでたずねた。 顔をあげたとうさんが、小さく首をふった。そして気弱く目をそらせ、もう一度よしひろをゆ すった。 「ほら、よしひろ。着いたぞ。」 しお あじ かみ 髪が風にあおられてさかだっ。くちびるにはりついた髪の毛は潮の味がした。 かみ へんじ うで こうぶざせき せなか いちど おも

4. 海で見つけたこと

赤紫にそめわけられた雲たちが広がって、まるで地球上のありとあらゆる美しい色と形をよせ きわ あつめたようだった。ゆっくりと色を濃くしはじめた海が、それをいっそう際だたせていた。 ゅうや じよしゅせき フロントガラスにタ焼けをうっしこんだトラックに乗りこんだ。高い助手席から見おろすと、 ばあちゃんはますます小さく見えた。いつの間にかとなりにならんで、留さんが立っていた。 なにもん 「ばあちゃんのとなりの男、ありや、何者じゃ ? 」 キ 1 をさしこみなから、びつくりしたようにとうさんがたずねた。 とめ いのちづな 「 : : : 留さん。ばあちゃんの命綱。」 数時間ぶりにだしたわたしの声はかすれていた。 いのちづな 「命綱アー ? どうゆう意味じゃ。なんであがあにくつついて立っとんじゃ。」 むねあたた しつこくこだわるとうさんが、子どもじみていておかしかった。胸に温かさか広かった。よ とめ かった。わたしにとうさんやよしひろや恵理かいるように、ばあちゃんに留さんがいてくれて。 車体をふるわせてエンジンがかかった。いわなきや、いまいわなきや。 まど ひら 窓をいつばいにおろし、わたしは大きく口を開いた。なのに、ひりついたのどがくつついて、 いましかないのに。わたしはあせった。そのときだった。リンリンかほ 声がでなかった。 まど ごがん えた。窓わくに足をかけ、大きく二回。ワンワン、ワンワン。その声は護岸の道をわたり、海ま あかむらを 、んり ちきゅうじよう とめ うつく

5. 海で見つけたこと

うんどうしんけい しつの間にか浮き輪もはずれて、地元の子どもたちと見分け くる。運動神経のいいよしひろは、、 かっかないくらい泳きか上達している。きのうはイカにすみをぶつかけられたって、大騒ぎして たたみ 「畳半分ほどもあるアカエイと遭遇したおりは、こわかったなあ。ウェットス 1 ツの中で、さす そ、つけだ ぜんしん がに全身の毛が総毛立つのがわかったよ。」 そのときの恐怖を思いだしたのか、ばあちゃんの手がふるえてお酒が少し食卓にこばれた。 たたみ 「畳半分て、こんくらい ? 」 りよ、って よしひろが両手を広げる。 「いんや。もっと。」 「こんくらい ? 」 「もっと、もっと。」 りよ、って 両手を広げたままよしひろは、いすごと後ろにひっくりかえった。 「でつけえ 1 。」 なかま 「でもばあちゃん、エイってマンタの仲間じやろ ? マンタ、かわいいじゃん。なんで、こわい 0 きよ、つふ およ じようたっ そ、つぐ、つ わ しよくたく おおさわ

6. 海で見つけたこと

「まだつづいとる。」 一分三十秒を過ぎたところで、ようやく洗面器からゆっくりと顔があげられた。ビヨー、磯笛 だいどころ が夜の台所にひびいた。 「どうね。」 ばあちゃんはすじだらけの手で顔のしずくをぬぐうと、得意そうに小鼻をふくらませた。ばあ ちゃんのこういうところって、かわいくて好きだ。孫のよしひろと、まじではりあってしまうん だもの。 「一分三十秒。」 びようそこ 「ふん。三十秒で底までもぐって、三十秒で獲物をとって、残りの三十秒であがってくるけえ むかし なあ。そんなもんだなあ。昔は二分はつづいたもんだがなあ。」 「苦しゅうないん ? 」 ふしぎ すず よしひろには、涼しい顔のばあちゃんが不思議で仕方かない。 「余裕をもってあがるけえ、だいじようぶ。」 さんそ 海女は酸素ボンべは使わない。素もぐりだ。水中めがねひとつで海底までもぐっていき、息の つづくだけ両手に持てるだけの、ばあちゃんいうところの海のお宝をとってあがってくる。それ くる よゅう りようて びようす びよう つか びよ、つ せんめんき えもの まご しかた のこ たから 力いてい こばな 、ひょ、つ いそぶえ

7. 海で見つけたこと

「もしもし、なっき。もしもし。」 じゅわき 必死に呼びかけるとうさんの声がする。受話器をたたきつけた。頭の中が真っ白で、なにも考 まど むねりよううで えられなし 、。はりさけそうな胸を両腕でかかえる。赤いカロ 1 ラの窓にはりついていたリンリン じゅわ の白い顔が、目の前でぐるぐるまわる。なんで ! とうさん、なんで ! たたきつけられた受話 、トウルルル 1 。両手で耳をふさいで、 器が、ふたたび身をふるわせて鳴りだした。トウルルルー わたしは廊下にうずくまった。聞きたくない。聞きたくないもう、なにも聞きたくない。 胸の動悸がはげしくなった。メトロノ 1 ムみたい。カチ、カチ、カチ、カチ。 かのうせい 「保健所に連れていったら、殺されるのはわかっとるし、可能性が残っとるぶん、リンリンにとっ てもそのほうかええ思うたんじゃ。」 「ど、つい、つこと、と、つさんー どなりはじめていた。 「 : : : 山の中に、リンリンを、置いてきた。」 「いやあ ! 」 わたしが悲鳴をあげるのと、よしひろがワ 1 ワ 1 泣きながら廊下を走りまわるのとが同時だっ むね ひっし ほけんじよ ど、つき ろ、つか ひめい ころ ろ、つ一カ のこ りようて しろ

8. 海で見つけたこと

「ねえ、これ使う ? 」 と、つめい えんりよ なかはら 遠慮がちに中原さんが、きれいな透明のセロファンの袋とリボンをさしだした。 「わあ、ありがと。」 中原さんてすごい。気がきく。わたしなんか作るとこまでで精いつばいで、ラッピングまで気 かまわらなかった。 れんけい 「あなたたち、みごとな連係プレ 1 ね。いちばん早くて、いちばんいいできよ。」 よしざわ じようず . だいす よしざわ クラブの吉沢先生がほめてくれた。吉沢先生ってほめ上手だから大好き。いつだったか「山崎 かんしん あねごはだ さんは姉御肌ねえ。」って感心してくれたことがあった。 「姉御肌って ? 」 「りりしい女の人のことよ。」 って思った。横綱っていわれるよりずつ りりしい。その言葉の響きが気に入った。かっこいい それからはなにかするときいつも、″りりしい〃って言葉が胸の中で反響するようになっ こうちゃ よしざわ 吉沢先生にいれてもらった、アップルティ 1 というリンゴの香りの紅茶と一緒に、できたての クッキーをみんなでたべて教室をでると、ほかのクラブの人たちはもう下校しはじめていた。 あねごはだ つか ひび ふくろ かお むね よこづな はんきよう やまざき 7

9. 海で見つけたこと

ちょうりしつ 作ったりしてオ 1 プンに入れると、調理室いつばいにバターや卵のこげる甘いにおいが充満して、 まだクラブに入れない低学年や、男子までがのぞきにきた。「おーい、横綱。あとでひとっくれ ねが え。お願い、ひとつでええけ。」ふふーん、あげないもんねえ。あげるのは市村君だけだもんね 冷ましたクッキ 1 に砂糖をとかしたアイシングで色づけする。ところが市村君にあげるつもり がた のサッカ 1 ボ 1 ル形クッキーの六角形がどうしてもきれいにぬれなくて、わたしはパニックに すんせん なった。「ぎやー、またはみでた。」キレる寸前のわたしの手からはけをとると、「だいじようぶ えり だって。」恵理が器用にぬりなおしてくれた。集中しすぎて寄り目になった目がかわいかった。 「サンキュ。」 「どういたしまして。」 両手でハイタッチしたら、粉がまって、むせた。むせながら大わらいした。だってよく見たら ふたりとも、顔じゅうピンクや黄色のアイシングだらけで、まるでサッカーのサポーターみたい になってたんだもの。 「オーレ、オレ、オレ。」 ふたりで腕を組んでくるくるまわった。 りようて うで 、よ、つ ていがくねん こな しゅうちゅう たまご よこづな あま いちむらくん じゅうまん

10. 海で見つけたこと

ぬれたショ 1 トパンツをはきかえようと、わたしはひとり家へとむかった。 こうみんかんちゅ、つしやじよ、つ ごふくたかおか 公民館の駐車場に、エンジンをかけたままのバンが止まっていた。「呉服高岡」。へえ、おんな じ名前のお店があるもんだなと通りすぎようとして、足が止まった。 「と、つさんー うんてんせき ハンドルに足をかけて、運転席でとうさんが眠っていた。口をほかんとあけて眠りこけている さい 顔は、あごに無精ひげがはえて、たった十日で十歳も年とったように見える。店にでるときはあ んなに身だしなみに気をつかってたおしゃれさんなのに。 「とうさん、とうさん。」 ドアをドンドンたたくと、やっと目かあいた。 「おう、なっき。」 7 フォークすてる ぶしよう ねむ ねむ 742