リンリンに会いたし った しやがんだひざを伝った涙が、足の甲をぬらした。そこがかゆくてかゆくてたまらなくなった。 きゅうしき 、つらぐち とうとう立ちあがったわたしは、裏口からかけこんだ。息をはずませ電話台の前に立つ。旧式の ゅび 電話のダイヤルをまわす指がふるえてすべった。えい、もう一度。五回呼び出し音が鳴って、受 話器がとられた。いきなりまくしたてた。 さが せつやく 「リンリンを捜してきて ! わたし節約するから。二学期からこづかいいらない。おやつもいら ない。だから、リンリンを連れもどして。」 じゅわき 受話器のむこうで、とうさんが息をのむのがわかった。声を低くしてつづけた。 ひとみ いっしようけんめい ちゅういふか さんば 瞳で一生懸命に見つめる。そして注意深く人の話を聞く。会話の中に散歩とかリンリンとかいう 言葉がまざったら最後、しつほをぶんぶんふりまわして準備体操までして待っている。リンリン ことば のよく動く目としぐさは言葉よりよっほど雄弁だ。 わたしがリンリンの気持ちがわかるのと同じく、リンリンもだれよりもわたしの気持ちを理解 なまあたた した した。さみしいとき悲しいとき、いつだって生温かい舌でなめてなぐさめてくれた。「だいじよ 、つぶ、だいじよ、つぶ。」ってい、つよ、つに : わき なみだ し、 ゅうべん がっき じゅんびたいそう いちど ひく
4 脅迫電話 家に帰ると、電話が鳴っていた。 みさぎよう これからカキのむき身作業があるというばあちゃんを残して、よしひろとふたり先に帰ってき じゅわき た。かけこんで、受話器にとびついた。 「はい。『フォックステール』です。」 あ、まちがえた。舌をだしたわたしの耳に、とうさんの声が低くひびいた。 「 : ・・ : なっきか」 ドキンとした。 「無事着いたんだな。」 無事もなにもないよー 「 : : : ばあちゃんは ? 」 医」よ、つは′、 した のこ ひく 2
げんかん けいたい けれど、恵理はまだ携帯を持っていない。家にいるかな。いてくれるといいな。勢いよく玄関の じゅわき 引き戸をあけ、受話器にとびついた。 トウルルル ー、トウルルル 1 呼び出し音が耳の中でひびく。はずむ息を整える。ふと壁に はってある紙に目がとまった。いままで気がっかなかったけれど、チラシの裏にマジックの大き ばんごう な字でいくつかの電話番号が書かれてあった。いちばん上は、″〇八六・二二 みぜんせん フォークすてる〃。ブツ。ふきだした。やだ、ばあちゃん。意味全然ちがうじゃん。フォックス テールって、キツネのしつほって意味なんだよ。そのあと、じんときた。何度も電話の前に立っ すがた ばあちゃんの姿が見えるようだった。 ばあちゃんの意地っ張り。 岡山に帰ったら、ときどきわたしのほうから電話をかけることにしよう。そう、いに決めた。 お、つと、つ じゅわき 十回近く鳴りつづけてから、カチャリと受話器がとられた。なのに、応答がない。おばさん 磯村でございますう。」ってすぐにこたえるはずだ。 だったらかん高い声で、「はい、 えり 「恵理 ? 」 ためらいながらたずねたとたん、 「なっきい 1 ? おかやま えり いそむら なんど 、つら ととの いきお かべ
むかし わたしの知らないずっと昔、ばあちゃんととうさんの間になにがあったのだろう。親子げんか でもしたのだろうか しんばい 「ばあちゃん、まだもぐっとんかゆうて、とうさん、心配しとったよ。」 あんまりしおれているばあちゃんを励ましたくて、つい口がすべってしまった。 「え ? 電話があったんか。」 せなか ばあちゃんの背中がシャキッとのびた。 し士小ったー 仕方なしにわたしはうなずく。 「だあらすけがあ ! なんで、わたしにはなんもゆうてこん。」 カッと見開かれたばあちゃんの目から怒りの炎が燃えあがる。メラメラという音まで聞こえて きそうだった。こ、こわ。これじゃ、とうさん、電話できるわけないよ。気が小さいんだもの。 「つぶれたんだよ。お店が」 早ロでわたしはいった。 「へつ ? 」 ばあちゃんの目の炎がジュッと音たててしずまる しかた みひら ほのお ほのお 123
た。それからふいに声をあらためて、 「なんか、なっき、かわった ? 」 とたずねた。 「しゃべるの、ゆっくりになった。」 そうかもしれない。わたしは少しかわったのかも。いままで地上しか知らなかったわたしの世 界に、海が加わった。目を閉じると、いまのわたしには海の底で必死に岩場にはりついてるアワ しお ビや、潮だまりでゆれてるカニの姿まで見える。 「あーん、会いたいよお、なっき。」 いちどむね もう一度胸きゅんの恵理のセリフ。 「 : : : わたしだって。」 れんあい すなお ふたりして恋愛ドラマやってる、とこそばゆかったけれど、素直にいえた自分がうれしかった。 、えり ばんご、つ ことば 電話番号教えてという恵理に、ばあちゃんちの番号を伝えて、電話をきった。恵理の言葉と声 げんかん にエネルギーを注入されて、じっとしていられないほど体が動きたがっていた。玄関の引き戸を おもて 勢いよくあけて表にでた。路地のきゅうくつな空を切りとって、ツバメかとんだ。 ばんごう くわ ちゅうにゆう えり すがた そこ ひっし 、んり ノ 78
わざわいてん 「・ : ・ : なっき。それで、おうち、だいじようぶ ? じゅわき 受話器のむこうで、恵理が体を固くしているのがわかる。転校するっていわれたらどうしょ しんぞう うって、きっと心臓どこどこさせてるんだ。 がっき 「うん、だいじようぶ。二学期までには帰れると思う。」 やさしい声がでた。 「やったあ ! よかったあ。このまま、なっきがもどってこなかったらどうしようって、毎日毎 ばん 晩タオルケットかみしめて、泣いてたんだからあ。」 ごえ えり 甘え声の、思ったとおりの恵理のセリフにふきだした。ふきだすと同時に涙がにじんだ。恵理 かん に支えられてる自分を感じた。気づかれたくなくてしばらくだまっていたら、そのあいだ恵理は はつめい ひとりでしゃべりまくった。電話って、こういうとき便利だ。テレビ電話なんて絶対に発明して ほしくない 「てゆうか、考えてみたら、もし夏休みになっきがこっちにいて、わたしだけ足折っててどこに も行けなかったら、なっきだってつまんないだろうし、わたしもくやしいとこだったけど、なん こ、つみよう か、かえってよかったよお。これって、けがの巧名っていうんじゃなかった ? ちかったつけ ? しゆくだい 禍転じて福となすかな ? どっちい ? そうだ、なっき。夏休みの宿題、もうやった ? わた あま ささ ふく 、んり べんり てんこう なみだ せったい えり えり ノ 76
もくじ なつのね 夏音 5 2 ウェットスーツ 海へ きようは′、 4 脅迫電話 5 ピデオテ 1 プ かめいわすいぞくかん 亀岩水族館 7 フォ 1 クすてる
かん ちゃんの動きがやけにのろく感じられる。自分ででようかと腰を浮かしかけたとき、「もしもし。」 きんちょう ばあちゃんの緊張した声が聞こえた。 「 : : : さあなー。明日になってみんことにはわからんなあ。」 拍子ぬけしたような、どこか気のぬけた受けこたえ ちがった。 わか 別れたとたん、とうさんはわからない人になってしまった。わたしとよしひろがじゃまで、と うさんはわたしたちをばあちゃんちに捨てたわけ ? むくむくとわきあがる疑問に心は石になっ てしまいそうだった。 その夜、と、つと、つと、つさんから電話はかかってこなかった。ばあちゃんもこちらからかけよ、つ とはいわなかった。そういえば、「フォックステール」にばあちゃんから電話がかかってきたと おば ぶくろ いう覚えがない。毎年正月、ポチ袋に入ったお年玉が郵便で送られてくる。それだけが、ばあ せってん ちゃんとわたしたちとの接点だった。 ねむ 外は風の音。眠れないわたしはふとんをならべて寝ているよしひろに、そっと顔を近づけた。 ねいきあたた やす すーはー、すーはー ほっぺたにかかる寝息が温かい規則正しいその音にようやく気持ちが安 らいだ。こんな夜はよしひろだってたよりになるもんだなあ。よしひろの細い腕を胸にかかえこ ひょ、つし 、つご ゅうびん きそくただ こし おく ぎもん うでむね
「じゃないと、絶交きる。」 涙声になったのがしやくだったけど、脅迫電話だった。そうだ。とうさんなんて、絶交だ せつこう 「聞いてる ! 絶交だよ、絶交。わたしだけじゃないよ。よしひろだって、絶交きるからね ! 」 むり 「 : : : 無理だ。」 むり 「なんで ! なんで無理なん。」 「車も手放した。」 「 : : : たのむよ、なっき。とうさんの身にもなってくれ。こんなこと、しとうてしとるわけない じやろ。 ・ : たのむわ。」 月学生の いつものとうさんだったら絶対逆ギレして先制攻撃にでる場面。なのにとうさんは、、 わたしにすがっていた。「しようがないよ、とうさん。」って、いってもらいたがっていた。 追いつめちゃいけない。わたしの勘がそう教えた。あきらめに似たものが、腕からカをうばった。 じゅわき み わたしはそっと受話器をおろした。そのあと身ぶるいがした。あきらめるってことは、リンリ ンを見捨てるってことだ。 お なみだごえ てばな ぜっこ、つ ぜっこ、つ ぜったいぎやく かん み きようは′、 せんせいこうげき ばめん うで ぜっこ、つ ぜっこ、つ 6 9
こわごわアワビを口に運ぶわたしに、ばあちゃんは初めて、「な、うまいだろ。」とやわらいだ 目をむけた。 知らなかったって、とうさん、電話もしてなかったの ? なんで ? なんで、わたしとよ れんらく しひろがくること、ばあちゃんに連絡しなかったんだろ。 たいど ようやくわたしには、ばあちゃんのぎこちない態度の理由がわかった。 「ごちそうさま。」 す お : ひどいよ、と そうそうにはしを置いた。それって、よしひろとわたし、捨て子みたいだ。 ま うさん。頭が洗濯機の中みたいに真っ白になってぐるぐるまわった。吐きそうだった。 「 : : : サイアク。」 なみた 口にだしたとたん、涙がにじんだ。 めいわく ばあちゃん、きっと迷惑なんだ。 かん ちゅうしやじよ、つ けっしん 駐車場での決心は、早くもゆらいでいた。四十日という日が永遠に感じられた。 昼間でさえうす暗かった集落に本物の夜がやってきても、海からの風はあいかわらずだった。 「これはわたしがとったんだ。あんたらがくるとは知らなんだけど、売らんととっといてよかっ たわ。 せんたくき ぐら しゅうらく ほんもの しろ りゆ、つ えいえん