ばくの部屋に着くなり、おとめは元気になった。羽をふるわせながら、バサバサ歩きまわる。 「初めてだなあ、ばく。つかさくんの部屋にくるの」 「ばか、あんまりじろじろ見るなよ」 ごめん。男の子の部屋って、めずらしくて。ばくんちは、姉さん三人だから」 「三人 ? 」 「そう。女っていう字を三つ書いてかしましいって読むだろ。うちは母さんを入れて四人だから、 うるさくてたいへんだよ」 「へえ、四対二か」 「ちがうよ。四対一」 「だって・ : : 」 「いないんだ、父さん。うちの親、離婚したの」 「あ : ・・ : そうなのか」 ばくは、せきばらいをひとっして、天井を向いた。おとめの家族構成なんて、ぜんぜん知らな かった。おとめだけじゃなし ) 。ばくはクラスの子たちの家族についてもよく知らない。家族だけ でなくて、その子の趣味とか、くせとか、好きなものとか : 知りたいと思ったことはなかっ しゆみ りこん てんじよ、つ かぞくこうせい 2
やみ たかすぎ おく じじいは、まっすぐ高杉の兄さんを見つめている。しわの奥の目が、夜の闇のように深い。 「何度もいっただろう。それはできない」 「勝手だ」 「ちがう。勝手なのは、人間のほうだ」 たかすぎ 高杉の兄さんがくちびるをかんで、じじいをにらみつける。ばくは息がつけない。ストープの ちんもく 上のヤカンが、シュウシュウ : : : と音を立てている。重苦しい沈黙をやぶったのは、女の人の声 だった。戸が開く音がして、消え入りそうな声がもれてきたのだ。 たく なるさわ 「こんにちは。成沢さんのお宅でしようか」 たかすぎ じじいが立ちあがる。ばくと高杉の兄さんは、同時に息をはいた。 さおとめ 「あの早乙女と申します。いっぞやは、息子がお世話になったそうで」 せなか ばくは、はいた息をのみ一、んでしまった。おとめのお母さんだ。背中のほうに耳をそばだてる。 「え ? ああ、息子さんね」 つも心配ば 「雪道ですべって気を失ってしまうなんて、びつくりしてしまって。あの子には、い かりかけられるんです。あの、 , 、れほんの少しなんですが」 ノ 26
「逃げてもむだだよ。こう見えても、ばくは百メ 1 トル十二・五秒で走れる。ちなみに空手は三 ばくは、言葉につまった。人は見かけによらないものらしい なや 「そんなにおびえるなよ。ばくは、こ、こ、 オオ妹が悩んでいる因を聞きたいと思っただけなんだ」 「ま、まノ、に ? ・」 「て一つ、丑に」 たかすぎ 高杉の兄さんは、やわらかくほほえんでばくを見た。体に電気が走ったような気がした。目が かんねん 笑っていない。しんと澄んだ湖のように、冷たくて静かな目だ。ばくは、観念した。この目の前 ) 。ばくは、自 5 をすいこんだ。 では、どんなうそも見ぬかれてしまうにちがいなし 「もてない女にかぎって、根も葉もないことをいうって、ばくがいったからだと思います」 するど せぼね 正直にいった。お兄さんの目が、鋭くなった。ばくの背骨がまっすぐのびる。 「ふーん、勇気あるねえ、君」 たかすぎ こえだ 小枝がおれるような音がした。何かと思ったら、高杉の兄さんが指をならしているのだ。ばく ) 0 ヾ は、つばをのみこんだ。おとめの顔が、ちらっく。ばくは、まちがったことはいっていなし 段」 げ さん
白い息をはきながら、じじいは、はなれてい く。ばくも、後をついていこうとした。 「待てよ」 低い声が、ばくの足にからみつく。ばくの足は、とたんに動きを止めてしまった。 「なんですか」 「お前、 ) しくつだ ? 」 とっぜん むし たかすぎ 突然何をいっているのかと思った。無視しようと思ったのに、目がすいよせられる。高杉の兄 さんからばくに向かって、見えない引力がでているようだ。 「十二歳です」 小さくつぶやいたら、お兄さんは今初めて気づいたように、うなずいた。 「そうだったな。ゆいなと同じだったんだ」 ばくから目をそらして、空を見る。雪だ。粉のような雪が、はらはらと落ちてくる。 「気をつけろ。友だちをひきもどすのは、命がけだぞ」 「は ? あの : : : 」 たかすぎ 高杉の兄さんは、さすような目でばくをにらんだ後、向きを変えた。ポケットに両手をつつこ んで、背中をまるめながら歩きだす。よびとめようとしたのに、声がでてこない。今日のばくは、 せなか
「おっ・ たかすぎ じじいの足が止まる。雪の上にかがみこんで、何かを拾いあげた。高杉の兄さんといっしょに たかすぎ のぞきこむ。じじいの手にのつかっているのは、 小さな毛のかたまりみたいなものだ。高杉の兄 さんの顔がこわばった。 「知らないのか ? 」 たかすぎ ばくがうなずくと、高杉の兄さんは言葉を選びながら説明してくれた。ペリットというのは、 フクロウがネズミなどの小動物を食べた後、消化できなかった部分をはきだしたものだという。 ・つてことは」 じじいが、つぶやいた かたむ 「これは、お前の友だちの食事の跡だ。まずいぞ。もうだいぶ、シマフクロウのほうに傾いている」 思いだした。おとめは、 , 、の頃、ばくといっしょにごはんを食べなかった。お父さんにごちそ うしてもらったなんていってたけど、うそだったんだ。じじいの手元から目をそむけた。胃のあ たりがじりじりする。おとめは、 小さなネズミだってこわがるやつなんだ。それなのに : ごろ あと ノ 46
はそこにいるように思いだせる。 「あっという間に仲良くなった。同じクラスだったのに、今までどうして友だちにならなかった ケームもしたし、 のかふしぎなくらいだった。ばくらは、それからいつもいっしょに行動した。、 ハスケやサッカーもした。虫取りだっていっしょにやった」 たかすぎ すがたそうぞう 高杉の兄さんが、クワガタ虫を持っている姿を想像して、笑ってしまいそうになった。だけど、 たかすぎ 当たり前か。今から三年前のことだもんな。目を向けると、高杉の兄さんの顔がゆがんでいた。 おく 「それなのに、あいつはフクロウになることを選んだ。ばくらをみんな捨てて、あいつは森の奥 こ肖、ん ' たんだ」 しばるような声だった。ばくの目の奥に、この間見た夢が、フラッシュみたいにまたたいた。 「そ、それで ? そのシュンって人、どうしてるの、今 ? 」 「知らない」 「知らないよ。それつきりだ」 ばくののどが、ひからびていく。じじいの友だち、テルヒコさんと同じってことか。ひざの上 でにぎりしめた両手が、細かくふるえた。 おく ゅめ ノ 24
ばくは、枝をかきわけて、おとめに近づいていった。おとめはひるんだように後ずさりしたけ れど、飛びたとうとはしない。 「おとめ、どういうことだよ、え ? ばくがお前を軽べっしてるって ? いったんだよ、そんなこと」 おとめが人間だったら、えりくびをつかんで一発お見まいしているところだ。だけど、シマフ クロウになったおとめは、どこをつかんでいいのかわからない。仕方がないから、おとめを見お ろしながら話した。 たかすぎ 「どうせまた高杉だな。まったく、どうしてあいつは、でたらめばっかりいいふらすんだか」 たかすぎ ホコボコにするならし 高杉の兄さんがムッとするのがわかったけれど、かまわないと思った。、、 「ここからでよう、おとめ。帰ろう」 おとめは、うなだれたまま首をふった。 「ばく、決めたんだ。もう人間はいやだ。 , 、のままシマフクロウで暮らすよ」 「どうしてだよ ? お父さんもお母さんもお姉さんたちも、みんな悲しむだろ」 おとめが、顔をあげた。金色の目でばくを見つめる。 ろ。 えだ いつ、どこで、だれが
だなって思うのは当たり前だと思うよ」 「だって、それじゃ : 父さんは、ごっい手をばくのロにあてた。 そ、つむ 「まあ聞け。父さんは、受けつけの林田さんも、総務の内藤さんも、経理の村瀬さんも好きだな あと思う」 「父さん ! 」 「まあ聞けって。だけどな、その″好き〃の質がちがう。ずっと好きでいたい、 きでいようと思う人は、なかなかいないぞ。なにしろたいへんだからな」 父さんのほっぺたが、ポッと染まる。ばくのほっぺたまで熱くなる。 ざっそう 「父さんは、好きだっていう気持ちを育てたいと思うんだな。水をやって、雑草をぬいて、肥料 をまいて。気持ちだって、手入れをしないと枯れてしまうこともある」 : と一夭一フと、コ 1 ヒ 父さんを見つめてしまった。父さんは、じゃがいもみたいな顔でガハ かみ ーを一気にのみほした。乱れた髪にしわくちゃのパジャマ、この頃おなかもでてきた。寝不足の しよばい顔の父さんとは、あまりにも似合わない言葉だ。 「だけど、そんな相手は、今のところひとりだけでたくさんだな。いろんな人への気持ちを育て みだ そ はやしだ ・カ ないとう ごろ むらせ 努力をしても好 ねぶそく ひりよう 00
「里子さんは、まだ寝てるぞ。夜中のチャイムにも起きないんだから、たいしたもんだ」 ばくと父さんは、顔を見あわせて小さく笑う。里子さんというのは、ママの名前だ。ママは自 さとこ きようせい 分のよび名にうるさい。父さんには里子さん、ばくにはママとよべって強制する。 「父さん、ちょっと聞いていい ? 」 「なんだ」 「たくさんの女の人を好きになる病気ってある ? 」 父さんは、のどの奥でヒクッとひきつった声をだしてから、大きく息をはいた。 「お前、学校でなんかあったのか ? 」 あったなんて、いえやしない。、 父さんは、コーヒーをのむよりも、もっと苦い顔をして天井を にらんだ。 「そういう男も、いないとはいえない。い や、ほとんどの男が、そういう病気かもしれないな」 「ええ ? 」 「だって、考えてもみろ。この世には、美人や、かわいい人や、やさしい人や、りりしい人や、 たよ 頼りがいのある人や : いろんな人がたくさんいるんだぞ。それぞれ、ステキじゃないか。好き四 さとこ ね さとこ てんじよう
られるほど、父さんは器用じゃない」 それから、声をぐっとおとした。 あらし 「だけどな、わかりやしないよ、人間なんて。恋ってやつは、嵐のようにやってくるもんなんだ」 「おはよ : : : ふたりとも早起きねえ」 カた 父さんの肩が、ビクンとはねる。父さんの好きな ( ? ) 里子さんが、ドアからねばけ顔をつき だした。父さんに負けないくらいボサポサの髪だ。父さんが大きくひとつ、せきばらいをする。 癶」レ : っ それから、ママに砂糖入りミルクみたいな笑顔を見せた。 「おはよう、里子さん。コーヒ 1 のむ ? 」 「うん。すごく濃いやっ」 「オッケー。やつばり大人は、プラックだよな」 かた ばくを見て、意味ありげに笑う。ばくは肩をすくめて立ちあがった。あばたもえくばとは、よ くいったもんだ。 のぼ いつもより早く家をでた。おとめが心配だったからだ。おとめは学校にいくだろうか。日が昇 っているから、もう人間にもどっているはずだ。ばくは、学校まで急いだ。だけど、途中で足止 さとこ かみ さとこ